――トントントントン
「――ん?」
小刻みに響く物音に目が覚めた。見上げた天井は無骨な鉄板ではなく、木目の細かい木の天井だった。
「・・・・・・どこかと思えば、自分の家か」
船に乗っている時間の方が長いからか、この1Kも久しぶりだ。自分の所在を確認するのに時間が掛かってしまった。起き上がって時計を見ると、デジタル信号を受信した針が午前9時を示している。明日の休日は昼まで寝るのだ。そう昨日の晩に決意をしたはずが、睡眠時間は少ししか延びなかった。日々の習慣には逆らえないらしい。
「あ、おはよう提督。朝食までちょっとだけ待ってね。沢庵《たくわん》だけ切っちゃうから」
「ああ」
布団を畳んで押入れの中へと投げ込む。外の空気を吸おうと窓を開けたが、寝巻き姿のままでは寒く感じた。南西諸島帰りのせいか考えが及ばなかったが、日本はもう冬だ。毛布を出さなかったことも惰眠を貪れなかった理由なのだろう。
「昨日よりはマシになったか……」
足元が揺れていないことに違和感を覚える。陸酔いとでも言うのだろうか、波に揺られていないことに酔いそうになる。日常生活に支障を来す場合、申請すれば手当ては付くのだろうか。背伸びをしながら無駄なことを考えた。
「はい、提督。朝ごはんの支度ができました! ほかほかのご飯に、温かいお味噌汁。付け合せのたくわんに、自慢のたまご焼きです! いっぱい食べてね?」
そんなことをしている間に、部屋唯一の卓袱台には朝食が並べられていた。とても美味しそうだ。味噌汁の香りが鼻孔を擽る。
「ありがとう。いただきます」
「……」
「……」
「……どう?」
「ん? ああ、その割烹着、似合っているね」
どこから持ってきたのか知らないが、小柄な体なのに堂に入っている。頭にちょこんと載せられた純白の頭巾が少し眩しい。
「ありがと。料理は美味しい?」
「ああ、旨い。味噌の濃さも私好みだし、甘いたまご焼きは私の好物だ。米と沢庵の組み合わせも最高だ。毎日食べたいと思うし、文句の付けようがないほど美味いし美味しくないわけがない」
「やったぁ! 練習したかいがあってよかったぁ~」
「ところで、飯を食っておいて非常に今更な疑問なんだが――」
「なぁに?」
「――瑞鳳君、何故君が私の家にいる?」
ぐるりと周囲を見渡す。ちゃぶ台とテレビ、よれよれのカーテンと押入れしかない簡素な10畳一間は、私が個人的に契約した部屋なのだが。
「あれ? 提督覚えてないの?」
きょとんとした顔は可愛いと思うが、そうではない。
昨夜、私は瑞鶴君や加賀さんに呑みに誘われた。帰還時恒例の空母の集いだ。それに参加しないかと誘われたが、上官がいると気を遣うだろうと断った。その後は家に帰ってからビールを飲んで寝たはずだ。目の前の瑞鳳君も空母達の集いに行っていたはず。ならば何故、瑞鳳君はここにいるのだろうか。鍵閉めだけは何度も確認したはずなのだが。
「提督、任務に就く前に言ったよ? 外で食事するのも飽きたから、料理が得意なら作りに来てくれたら嬉しいって」
確かにそんなことを言った気もするが、はて……? 誰に言ったのかとんと覚えていない。瑞鳳君に言ったのだろうか。しかしこうして朝食を作りに来てくれたのだし、きっとそうなのだろう。
「提督は甘いたまご焼きの方がいいの? 良かったら次は塩味とか、ネギ入りとかも作るけど」
「じゃあネギ入りの――いや待て、おかしいだろ。君はどうやって私の部屋に入ったんだ」
「私のたまご焼きもたべりゅ?」
「たべりゅ? じゃない。いや貰うが、その前に私の質問に答えないか」
「貰った合鍵だけど。提督は一人じゃ生活できない不摂生な男だから面倒を見て欲しいって、中将が昨日の内にみんなに配ってたよ?」
「お節介婆さんかあの人は……」
人の家の合鍵を黙って作った上に配るなど、ひょっとしなくても犯罪だ。憲兵は何をしている。
ときどき思うのだが、あの人は私のことを孫か何かと勘違いしているのではないだろうか。昨日は言われなかったが、事あるごとに見合い相手がどうのこうのと。
私はこれでも健全な男児であるし、それ相応の欲求だって持ち合わせている。仕事上の付き合いならともかく、休暇中にうら若き乙女である艦娘がこうして一人暮らしの男の家に上がり込むなど、本来あってはならないことだろう。ただでさえ私に関しては悪い噂しか流れていないのに、艦娘を手籠めにしたなんて噂なんて流れてみろ。喜んで私を捕えにやってくるぞ。そんなのは冗談でもごめんだ。
「鍵は後で回収させてもらう。だいたい、飯を作って欲しいと言ったのも冗談で言ったつもりだ。本気にする必要はないぞ」
「じゃあ提督は一人でご飯作れるの?」
「作れるわけがない。お湯を入れるインスタント程度が限界だ。陸にいる間はそれと外食で構わないさ」
「体に悪いよ? はりまの執務室も少し目を離すとすぐに書類が足元埋め尽くすし、洗濯や掃除も出来ないよね」
「洗濯物に対する洗剤の適量など知らん、洗えれば何でもいいだろう。書類は散らかしているように見えて整理されているぞ。私はどこに何があるか把握している。だらしない上司がどうしても嫌だと言うのなら、陸にいる間だけヘルパーを雇う。お前たちの力は借りん。ご飯お代わり」
「無駄遣いはダメです! 提督は首から上しか使い物にならないんだから、それを知ってる誰かが面倒を見ないと恥ずかしい思いしちゃいますよ? はい、ご飯いっぱいよそったからね」
「さらりと本音を言ったな? 君、私が何を言われても何とも思わない奴だと思っているだろ。私だって部下にそう言われればちゃんと傷つくんだぞ」
「だったら人間らしい生活しようよぉ。冷蔵庫の中、期限切れの『あたりめ』しかなかったし……」
ああ、昨日の晩酌の摘みにした残りか。日持ちするようにとだいぶ昔に冷蔵庫に入れておいたが、流石に半年以上も消費期限が過ぎればすっぱかった。買い物に行くのが面倒だったのと干物に消費期限などないはずと適当に食べたが、腹を下すか心配になっているところだ。
「とにかく! 私たちも次の任務が決まるまで訓練しかすることないし、提督の面倒はちゃんと見てあげます! いーい? 食中毒と不摂生で戦線離脱だなんて、恥ずかしくて鎮守府を歩けないよ」
「わかった、わかった。全面的に降参だ。ただし朝は9時から、夜は8時までに帰ること。それが守れるなら好きにしてくれ」
「提督ったら変な噂が立つこと気にしてるの? 別に私は困らないけど」
「私が困る」
その時間帯なら人目も多いし、変な噂が立つことはないだろう。入り浸っていると思われるのもそれはそれで困るが、私の生活スキルと天秤に掛けた結果だ。ある程度の風評被害は覚悟するしかない。願わくば、職を失うような事態になりませんように。
「親しき仲にも礼儀あり、だ。君の献身ぶりには公私を通じて感謝しているし、生活スキルで頭が上がらないのも確かだ。しかし、私にも大人の男としての意地がある」
せめて洗濯だけでも出来るようになろう。パンツを知り合いの女の子に洗わせて興奮する人間にはなりたくない。
「そんな意地なんてごみ箱にポイしちゃえばいいのに」
何も聞こえんぞ。
ともあれ、唇を尖らせる姿からは、瑞鳳君も年相応な少女にしか見えない。艦装を装備していない艦娘でも、鍛え抜かれた軍人が相手にならないほど力強い。触れれば壊れてしまいそうなほど華奢な瑞鳳君でも、その気になれば車程度片手で持ち上げるだろう。そんな少女たちが日常的に海の化け物相手に戦って料理作って洗濯をすることになるとは、過去の軍人なら誰も考えなかっただろうな。
以上を纏めると、世も末、だ。
「ごちそう様。旨かったよ」
「お粗末様でした。また作ってあげます」
艦娘を引退すれば、瑞鳳君は男達から引く手数多な女性に成長するだろう。食べ終わった食器を洗い場に運ぶ後姿を眺めていると、ふとそう感じた。
「……テレビでも付けるか」
何を馬鹿なことを。部下をそんな目で見るとは、セクハラもいいところだ。昨今の提督失業率No.1の理由が艦娘へのセクハラだと言うことを思い出せ。クビになった奴らは屑だ、人間の片隅にもおけん。このご時世、日本男児たるもの御国の為にあるべきなのを、あの屑どもめ……
――ピンポーン
「なんだ、今日は来客が多いな」
さて、一年の半分が無人の家に訪れる物好きはどこの誰だ。新聞販売なら丁重におかえりいただこう。暮らしの半分が海の上の私が新聞を購買すれば、たちまちポストが溢れかえってしまう。
――ピンポンピンポーン……pipipippp
「はいはい、今出ますよ。ったく、どこの誰だ」
洗い物を切り上げて対応しようとする瑞鳳君を手で制する。激しく連打するキツツキアタックに怒り心頭だ。丁重にお断りするのを改め、威圧して帰ってもらおう。
「新聞なら要らんぞ――は?」
「居るなら早く出なさいよ! このクソ提督!」
これでもかと目力を込めながら扉を開けた先には、私以上に目力の強い曙君が買い物袋を両手に立っていた。
(なぜ……曙君が我が家の前に立っているのだろうか)
「なによ、はやくそこ退きなさいよ。中に入れないじゃない」
「すまない、ちょっと驚いてな。まさか、君が私を訪ねて来るとは思わなかった」
「気持ち悪いこと想像しないでよね、寒気がする。たまたま暇だったから面倒見に来てあげただけなんだから。クソ提督を一人で放置したら死んじゃいそうだし」
瑞鳳君といい曙君といい、いったい彼女たちの中で私はどのような扱いなのだろうか。手に持った買い物袋の中身が食材なのを見るに、想像に容易いが。
「……まあ、せっかく遊びに来てくれたんだ。連装砲B型改二、何としてでも手に入れなくてはならなくなったかな?」
「別にそれが欲しいから来たわけじゃないけど。ま、せいぜいわたしの為に頑張りなさい」
フンス、とドヤ顔で胸を張る姿が可愛らしい。顔を見れば毒を吐くような子だが、こういった一面を見せる曙君はまだまだ可愛らしいものだ。我が秘書艦殿はこんな子供っぽい反応すら見せてくれないからな。
「ところでアンタ、朝ご飯まだでしょ? 作ってあげるからそこ退きなさい・・・よ・・・・・・?」
「うん? ああ、今朝は瑞鳳君が来てくれてな。つい先程食べ終わったところだ」
「おはようございました《・・・・・・・・・・》。でも、今日はちょっと遅かったかな? ね、曙ちゃん?」
私の背からひょっこり顔を出した瑞鳳君。チラっと視界を後ろに向けると、それはもうイイ顔だった。煽り態勢ゼロの曙君にそんな顔を向ければ・・・・・・そう思いながら視線を前に戻すと、案の定顔面が引き攣っていた。
「お腹空かして倒れてないかと心配して来てみれば、何やってるんだか」
「司令、横浜鎮守府のお土産持って来ました。一緒にどうですか?」
「あ、あの……姉さんたちがどうしても行けって……」
その後ろからぞろぞろと。どうやら、私に休まる時間は無いらしい。
大鯨と浦風が出ないんですよ…