それに応える方法
提督不在の執務室。春の陽気を帯び始めた柔らかな光が差し込んでいる。空気もどこか冷たさが和らいできてはいるものの、以前として寒さは感じられた。そして、執務室という場所の性質と部屋の主の性格のせいか、飾り気がなく殺風景な内装が春の気配を外へと追い出していた。窓も閉じられ、空気もどこか淀んでいるようだ。
そんなどこか寒々しい場所で鈴谷は暇を持て余していた。
提督が部屋を出た直後は、かの戦国武将の如く椅子を暖めるべく椅子に腰をかけた。しかし、揚々とした気持ちもすぐに手持ち無沙汰からくる退屈感へと切り替えられた。こういうときに限って、すべき業務もない。
壁にかけられた時計に視線を向けるが、針の動きは思っていたよりもゆっくりとしたもののようで、先ほどから10分と経っていなかった。机の上に上半身を投げ出し、思わず小さく溜息が漏らした。
すると、視界の隅で光るものがあった。鈴谷自身の左手からであった。
薬指にはめられた指輪に未だに慣れられずにいた。
「本当にもらっちゃって良かったのかな」
そう呟いたが答えは返ってこない。
代わりにコンコンと、扉をノックする音がした。
「どうぞぉ、提督は留守だけどね」
姿勢を戻して、来訪者に答えた。
「提督が不在ならば都合が良いですわね」
そう言いながら熊野が部屋に入ってきた。
そして、部屋を軽く見回し肩を大げさにすくめてみせた。
「しかも、特にお急ぎの仕事があるわけでもなさそうですし」
「そんなことないし、これでも鈴谷、チョー忙しいんですけど」
歩み寄ってくる熊野に対してわざとらしく抗議の声をあげた。
「提督の椅子でくつろいでいる秘書艦がそんなこと言っても説得力がなくってよ」
退屈な状況のせいで心を掻き乱すような何かが滲み出てくるのを感じていたところだったので、話相手が来てくれたことは鈴谷にとって幸いだった。それが親しい熊野ならば、なおのことである。
だが提督の不在を好都合という熊野に対して、全く理由が見えてこない。
何か約束でもしてたかな、と逡巡する鈴谷であったが思い当たるようなことはなかった。
「それにしてもどうしたの?」
熊野に尋ねるよりほかなかった。
「勿論、鈴谷、あなたにお聞きしたいことがあるからこうして来たのよ」
「熊野、ゴメン。 なんのことだかさっぱり分かんないだけど……」
鈴谷の反応に先ほどと違って本当に呆れているかのように肩をすくめた。
「……あなた、最近とあることばかりしているようだけどお気づきになって?」
熊野の問いに鈴谷は首を横に振った。
「では、言わせていただきますますわよ。 あなた、このところそれを眺めてばかりでしてよ、それも憂い顔で」
熊野の指摘に鈴谷は驚いた。少し前の行動を思い出したが、それはたまたま目に入ったからであって普段からそんなことをしているという自覚はない。ましてや、憂い顔などといわれて余計に驚いてしまった。
しかし、鈴谷はありえないと、否定することはできなった。
左手にはめられた銀色の装飾具がときとして、負の感情を舞い上げる引き金になるような気がしているからだった。
「自分でも気づいていないようですし、回りくどい言い方はいたしませんわよ。 提督とのケッコンカッコカリに思うところがあるのではなくって?」
熊野の言葉からは、鈴谷への気遣いが感じ取れた。
しかし、その想いに応えるだけのものを鈴谷は用意できず、思わず視線を下へと逃がした。
他人のことを心配し、執務室まで足を運ぶ友人の姿が眩しく見えた。
普段から常に自信を持って前を歩く姿を誇りに、そして、羨ましく思っている。
提督から一番最初に貰う指輪。
それは、そんな場所のほうが輝くのではないか、そんなことが頭をよぎった。
「熊野のほうが良かったんじゃないの……」
鈴谷が意識することなく彼女の口は言葉を発していた。
自身の言葉に驚いた。
それが熊野の耳に届いてしまったのではないかと、ヒヤリとした。
事実を確かめるために、ゆっくりと視線を戻した。
「今のは、どういうことですの?」
口走ったと思ったのは勘違いであるという鈴谷の願いは儚く散った。
今や熊野の表情は、憤りを帯びていた。
「まさか、自分は指輪をもらうのに相応しくないとおっしゃるの?」
「鈴谷よりもいい娘、いっぱいいるじゃんって思っただけ……」
胸中に渦巻く想いを打ち明けた。
それは選び出された言葉ではなく、自然と湧き上がってきたのものだ。この場の状況が鈴谷の心に栓をしていたものを除けたのかもしれない。
「貴女、提督の気持ちを無下になさるつもり?」
まるで我が事のかのように強い口調で熊野は問いただした。ここまで感情を発露させることは珍しい。
「私達の能力を引き出すための道具とはいえ、仮にも女性にこのような指輪を贈るんですのよ。提督とて悩んだに違いありませんわ。その結果として、鈴谷、貴女に贈ったんですのよ。それなのに……」
勢いそのままに言葉を続けた。捲し立てられる形となった鈴谷だったが、熊野の言わんとすることは理解していた。
「熊野の言いたいことは分かるよ。提督の真剣な気持ちだもん。でも、やっぱりという分かんないだよ……」
鈴谷は思わす、顔を背けた。今の鈴谷にとって、熊野は眩しすぎた。
「それを提督に直接仰ったらよろしいんじゃなくって?」
これまでと打って変わって、熊野は静かに話した。
確かに、自身の気持ちを知ることは出来た。しかし、だからと言って簡単に話せることではないように思えた。
「想いなどというものは形にしなければ、伝わりませんのよ。勝手に伝わるような便利なものじゃなくってよ」
「そんな簡単に出来ることじゃないじゃん!」
「私に対して出来て、提督に出来ない道理などありませんわ!」
初めは諭すつもりでいた熊野だったがいつの間にか、意地になり、それどころではなくなっていた。
「でも!」
「『でもでも、だって』は、淑女の言うことではありませんわ!」
ガチャ
話があらぬ方向へ流れかけたその刹那、ドアノブが回される音がした。
訪問者に2人の視線は扉へと注がれた。
入ってきたのは提督だった。
「熊野も来ていたのか。もう用件は済んだから、鈴谷を連れ出してもいいぞ」
先程まで、ここで交わされていたことなど提督が知るはずもない。
この突然の事態を熊野は好機と見た。
「そうですわね。もうそろそろ昼食の時間ですし、そうしたいところなのですが、鈴谷の方からお話しがあるそうなので、そちらが済んでからに致しますわ」
熊野の顔は提督に向けられている。しかし、言葉そのものは鈴谷の背中を無理矢理押していた。どこか芝居がかった口振りにそれを感じた。
鈴谷は驚き、抗議の視線を熊野に向けたが、意に介さずといった態度に跳ね除けられた。
「それでは、外で待ってますので」
そう言って熊野は部屋を後にした。
友人からの無形の贈り物を受け取ったからには覚悟を決める他なかった。
(せっかく受け取った気持ちなのだ、しっかり投げ返そう)
明確になった気持ちを自分の中で確かめるように握りなおした。
淀んでいた部屋の空気が動き始めた。