提督と陽炎のお話。

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大海より立ち上りしは、幽かなる陽炎

 陽炎は司令室の窓から遠くの水平線を眺めていた。

 今日の演習であろう事か自身が旗艦であるにも関わらず自軍の艦娘を、それも自身がネームシップを務める陽炎型の数隻を大破させてしまったのだ。艦隊の命を預かる者としての意識が低かった、実力不足だった。それをひしひしと思い知らされたのだ。今こうして、窓の外の景色を見ながら自分の至らなさを嘆いているのも、ある意味では不貞腐れているだけと言えるだろう。

 本当に自分を変えたいと思うなら、今こうしているうちにでも何かしらの訓練はできたはずだ。それをしないのも、やはり自分が栄光の第一艦隊旗艦としての意識の低さの証拠である。

「陽炎型ネームシップの名が泣くわ……」

 そんな言葉が陽炎の口から漏れる。彼女の心境は大破も同然だったらしい。

 すると見かねた提督が目を通していた資料を束ねて立ち上がり、その口を開いた。

「どうかしたのかい、陽炎? 演習からずっと元気がないようだけど。」

 見た目的には陽炎よりも一回り程大きいものの、世間一般で言うところのヒヨっ子に属するであろう提督は優しい笑みを浮かべて彼女に問いかけた。本当に軍人かと疑いたくなるような物腰の柔らかさに初めこそ気に障ったが、今となっては全幅の信頼を寄せている。それはきっと過酷な戦線を共に潜ったことから芽生えた一種の友情なのだろうと、陽炎はそう理解していた。

「私が旗艦でいいのかなって思っちゃってさ。」

「どうしてそんなことを?」

 朗らかな雰囲気が一変、提督の表情から笑顔が消え心配そうな、それでいてどこか少し寂しそうなものへと変化する。まさかいつも強気な陽炎が、旗艦でいることに疑問を覚える日が来ようとは思ってもみなかったのだ。

「まさか、演習のことを気にしてるのかい?」

 思ったことすぐに発言するのは、提督の美点であり欠点であり、そして二人の共通点であった。

 陽炎は目を逸らし気味に苦笑いを浮かべ、小さくため息をついた。きっとこの男でなければ苛立ちを覚えただろう。慣れ、ないしは諦めに近い感覚を彼女は常々提督に対して抱いていた。

「司令って本当に……やっぱりいいわ。」

 デリカシーがない、とでも言いたかったのだろうか。

「そうよ……きっと私が旗艦じゃなかったらもっと被害は抑えれた。あの元帥相手だってもう少し粘れば、完全勝利は無理でも戦術的勝利くらいには持ち込むが出来たかもしれないのに!」

「まあ落ち着いて……はいこれ。」

 徐々にヒートアップする陽炎を提督は制しコーヒーを淹れたカップを二人分用意した。昔何かで読んだ本に、もっとも何かの迷信かもしれないが、コーヒーはストレスの抑制効果があると記されていた気がする。

 それに陽炎の悩みの種である演習相手の旗艦金剛には散々泥水扱いされていたが、提督自身はコーヒーを好んで口にしており、陽炎もどちらかといえばコーヒー派であると前に聞いた。

 そもそも英国は18世紀まではコーヒーが主流で紅茶など存在しなかったはずだが、そんなことは今はどうだっていいのだ。

 提督は自分が座っていたソファーに彼女を促し、自身もそれに腰掛ける。軍人にしては痩せ気味な提督と華奢な陽炎がソファーに座ると、二人で掛けているにも関わらずある程度ならプライベートスペースが確保できるほどの余白ができた。

 コーヒーを陽炎に手渡すと、一口含んで溜め息を零す。提督は自分のものと比べ、砂糖は多めに入れておいた。逞しさが眩しすぎて影になりがちだが彼女は――いや彼女だけじゃなく、提督以外の軍人の殆どが年端もいかない少女である。それを確認するたびに、彼は情けない気持ちで一杯になってしまう。

「どうかな?」

「いいんじゃない? ありがと。」

 先程よりかは明るくなった声で陽炎は返事をする。タイミング的には今しかないだろう。

 提督は珍しく考えてから口を開いた。

「陽炎、君は自分が思ってるよりも優秀な娘だよ。それに努力家だ。」

 優しい、本当に優しい声色。

「お世辞ならいらないわよ……」

「僕がお世辞を言えるような人間だと思うかい?」

 陽炎は黙って目をそらす。そこは純粋に否定して欲しかった提督だが、大事な秘書が沈んでしまっているのだ。この際そんなことは気にしない。

「それに今回だって、ただ何もしなくて負けたわけじゃない。」

 提督は得意そうに話す。

 実は陽炎、苦汁を飲まされた元帥の艦隊旗艦である戦艦金剛を得意の夜戦にまで持ち込み大破に追いやったのだ。これには相手方も賞賛を送っていた。

 なので陽炎の悩みの種となったあの戦闘も、結果として敗北を喫したものの戦果としては実に大きなものだったのだ。

「元帥殿も君を高く評価してたよ。」

「あれは不知火や黒潮たちが頑張ってくれたから出来ただけよ。皆がいなかったら何もできないのよ。」

「それは逆に言えば、皆がいれば強くなれるってことだよね? こんなありふれた臭いセリフを言うのも恥ずかしいけど……陽炎。君は一人じゃない。」

 真剣な眼差しで提督は陽炎の目を見つめる。

「君の後ろには、君を慕う皆がついてる。仲間の数だけ強くなれる。君はそういう娘なんだ。

 例え世界中を敵に回しても皆を守るためなら立ち向かうような、そんな強さが君にはある。だからあまり自分を過小評価しちゃいけないよ。それは君を慕ってる他の子たちも否定することになっちゃうからさ。」

「司令は過大評価しすぎよ。」

 そう口にする彼女の表情は、微笑んでいた。

「そんなことないと思うけどなぁ……」

「でもまぁ……それだけ期待されちゃったら、私もクヨクヨしれられないわね!」

 カップのコーヒーを飲み干し、勢いよくソファーから立ち上がる。単純なのも彼女らしい。

 するとタイミングよく、司令室の扉が小気味よく三回ノックされる。

「どうぞ。」

「失礼します。」

 凛とした声が響いた後、姿を現したのは陽炎型駆逐艦二番艦の不知火だった。演習で負った傷もすっかりと癒え、万全の体制と言えるだろう。一体彼女らの体はどうなっているのか。提督としては最大の疑問点だが、傷の治癒速度は速いに越したことがない。

「どうかしたのかい?」

「いえ、陽炎の様子が……」

 ああ成程、心配してやってきたのか。普段の雰囲気が大人びていてドライなことから勘違いをしやすいが、彼女も姉思いの良い娘である。

「ほらね、陽炎。僕の言った通りだ。」

 提督が微笑むと、陽炎もいつも通りのニカッとした笑顔になる。その方が彼女らしいし、彼女にはそうあって欲しい。提督は心の底からそう思った。

「何の話ですか……?」

 一方、蚊帳の外となってしまった不知火は訝しげにこちらを眺める。

「こっちの話よ。それよりありがとね、不知火。私はもう元気だからさ!」

「そうでしたか。では、失礼します。」

 陽炎の様子を見て安心したのだろう。ゆっくりしていけばいいものを、不知火はそそくさと司令室を後にした。

「陽炎、君も一度自室に戻ってはどうだい? あの様子だと皆心配しているようだし。」

「そうね、そうするわ!」

 立ち去ろうとドアに手をかけたところで、覚悟を決めたかのように提督が陽炎を呼び止めた。

「最後に少しだけいいかな?」

「ん? なぁに?」

 気の抜けた返事が帰ってくる。

「さっきの話なんだけどさ……もし、本当に不安でどうしようもなくなった時は、迷わず僕のことを思い出してくれ。

 僕はずっと君を見守ってるから。それこそ夜戦の時に輝いてる星みたいにね。」

 照れくさそうに話す提督に、陽炎も少し照れてしまう。

「司令は……どちらかと言うと、太陽かな? それも朝日ね。」

 それだけ言うと、さっさと陽炎は部屋を後にした。

「陽炎が得意な夜戦と掛けたんだけど……上手くなかったかな?」

 一人になった司令室で提督は呟く。

 一方で廊下を歩く陽炎は言ってしまったという表情をしていた。

「あれって聞き様次第でプロポーズじゃない!」

 陽炎は提督を単純に雰囲気で朝日と形容したわけではない。

 太陽が無ければ陽炎は生まれない。つまり「貴方がいるからこそ私は存在していられる」という意味で太陽に例えたのだ。陽炎の中での提督は既に「友人」ではなかった。いや、もしかすれば彼女自身が気付かなかっただけで、ずっと以前からそうだったのかもしれない。

 勢いに任せて口にした言葉に悶絶する陽炎であったが、その言葉の意味を提督が理解するのは彼女が姉妹の協力によって「うっかり」口を滑らす日まで訪れなかったという。


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