Side ラウラ・ボーデヴィッヒ
酷く心地よい感覚から目を覚ますと、私は白い天井を見上げていた。
「・・・私は・・・」
深いまどろみは私の脳を麻痺させていたのだろう。天井を見て、この場所が何処であるかを確かめるのには数十秒の時間を有した。その後に何気なく、近場の窓の外を確認すると水平線の影へと傾く夕日が私の顔を照らしていた・・・夕日?・・・それにここは医務室・・・そんな馬鹿な・・・私は確か――
「気が付いたようだな」
急に声を掛けられ、少しばかり驚きながらもそちらへと顔を向ける。
「織斑・・・教官?」
私の横になっているベッドの側で織斑教官はこちらを見下ろしていた。軽くため息を付く教官を見て、横になったままというのも教官に対して失礼だと思った私は身体を起こそうとするが・・・
「うっ・・・」
ぐらりと視界が揺れ、身体を起こす途中でベッドへと倒れ込んでしまう。頭痛と共にずっしりと鈍い感覚が頭を支配している。身体も鉛の様に重い。まるで全身のあらゆる場所に許容量以上の情報を流しこまれた様な気分だ。
「身体を起こすな・・・お前は今日一日、絶対安静だ」
「教官・・・何が起こったのですか?」
状況の理解が追いつかない為に教官に今の状況を問うた。学年末トーナメント、その試合で黒瀬少佐達と戦い、彼に追い詰められたところまでは覚えている。だが、それ以降の事は霧がかっていて思い出せない。一体、私はあの後どうなったのだろう・・・
「教官、教えてください」
「そう急かすな・・・本来なら重要案件である上に機密事項なのだが・・・当事者のお前には知らせておくべきだろう」
教官は短く思案をした後にゆっくりと口を開いた。
「・・・VTシステムの事は知っているな?」
「ヴァルキリー・・・トレースシステム?」
私が聞き返すと短く頷き、教官は椅子から立ち上がると窓の方へと移動した。
「そう、IS条約でその研究はおろか開発、使用・・・全てが禁止されている悪魔の兵器。それがお前のISに積まれていた」
「まさか・・・そんな」
「使用者の願望・・・お前の『シュヴァルツア・レーゲン』の場合は『力に対する強い渇望』が発生の鍵となっていたらしいがな」
窓の外にある夕日を睨む教官から目を逸らす様にして、私は黙り込んでからしばらくして、ようやく声を発した。
「私が・・・望んだからですね」
激しいまでの力の渇望・・・そうだ、私は力を望んだんだ。彼を取り戻す為に、彼の笑顔をまた見る為に。相手を全て破壊する力・・・だけどそれを使って私は彼に剣を向けた。それで・・・
そこでようやく、記憶を覆っていた靄が全て晴れた。
「・・・そうだ、彼・・・黒瀬少佐はどうされましたか!?」
「あいつか? あいつなら今頃学生寮に帰っているだろう。お前よりはマシらしい。まったく、身体だけは丈夫な奴だから・・・」
織斑教官の言葉に安堵の息を吐く。だがそれと同時に激しい後悔が襲ってきた。
「・・・教官」
「なんだ?」
「私は・・・ドイツに戻ります」
許せなかった。自分が・・・救えると自惚れ、彼の思いを軽んじ、求めるあまりに力に溺れた自分が許せない。そしてそれ以上に、その歪んだ力を使って少佐を傷付けてしまった。
確かにあの闇の中で至った感情に変わりはない。おそらく、私は彼の事を・・・
だが・・・いや、だからこそと言っていいだろう。私は自分自身を許せない。一体何の為に強くなったというのだ。彼を傷付ける為ではない。彼を助けたくて、救いたくて、それだけを願って磨き上げてきた力だったのに。
「もはや、私にはここにいる理由がありません。それに彼の側にいる価値も権利も・・・ない」
無意識にベッドのシーツを握り締めていた。口ではそう言いながらも、この場所に居たいと望む自分がいる事に私は自虐めいた小さな笑いが零れた。この場所を嫌い、排除しようとしたのは誰だ。まったく、本当に滑稽じゃないか・・・
「だから・・・私は――」
「ラウラ・ボーデヴィッヒ」
自分に認めさせる様に呟く言葉。だがそれは短く鋭い教官の声によって遮られた。
「は、はい・・・」
「お前は誰だ」
「私は・・・」
その問いに、私は答えられなかった。私は・・・誰なのだろう。
「誰でもないならば、丁度良い。お前は今日から『ラウラ・ボーデヴィッヒ』だ」
そう言うと織斑教官は私から視線を外すと医務室のドアに向かい、足を止めた。
「・・・誰かの側にいる為の価値や権利などに意味は無い。要はお前がどうしたいか、だ。だからお前は、お前の望むお前になればいい・・・お前が望む、『ラウラ・ボーデヴィッヒ』に」
教官は私に告げると医務室を後にした。その言葉を聞いて、私はしばらく呆けていたが、ふと込み上げてきた先ほどとはまるで違う笑いが溢れた。
「ふっ・・・ふふふっ・・・」
私は私・・・私の望む私になれ、か。さすがは師弟だけの事はある。最後の最後で私を救い出す言葉までも一緒とは・・・教官も少佐も私を扱うのに非常に長けている様だ。
後悔が消えたわけではない。おそらくこれからも今日の出来事は私の脳裏に焼き付いて離れないだろう。だがそれでも、私が望む私になれるならば・・・私は・・・
「私は・・・ラウラ・ボーデヴィッヒだ」
一頻り笑い終えた後、私は自分の名前を呟いた。私は今一度、ラウラ・ボーデヴィッヒになろう。今、ここから・・・・ラウラ・ボーデヴィッヒは再び始まるのだ・・・彼に救われた、あの時の様に・・・
Side off
・
夕方になって、落ちかかりの陽光に照らされながら俺が医務室の壁に寄り掛かっていると扉が開き、千冬さんが出てきた。
「・・・盗み聞きとはな、異常性癖は感心しないぞ?」
「そんな事していませんよ・・・たまたま通り掛っただけです」
「何処かで聞いた様な言い訳だな」
「おそらくご自分の言葉かと」
千冬さんは俺の言葉を聞いて、肩を竦める。実際、学年別トーナメントでの出来事を事情聴取されて、職員室から戻る時にシャルルに食事をしようと誘われたので、食堂に行こうと歩いていたらその途中に医務室を通りかかったら千冬さんが入って行くのが見えたのでラウラと何話すのかなって興味があったんだけどな。
「聞こえていたか?」
「安心してくださいよ、聞き耳立てなきゃ聞こえないレベルでしたから」
「・・・・すまなかったな」
急に謝られて、俺は少し眉を顰めた。そんな俺を見て、千冬さんが小さく笑った。
「お前の言葉だった」
「ああ・・・いいですよ、別に」
千冬さんはおそらくさっきのセリフの事を言っているのだろう。たまたまこの場所に通り掛っただけであり、別に俺は全然構わない。
「それと、傷は大丈夫なのか?」
「・・・見ます?」
言いながら、自分の制服の首元を引っ張る。すると千冬さんはため息を吐いた後に、こちらを見ながら、無表情で言い放った。
「裸に剥いてやろうか?」
「出血が派手だった割には怪我自体そこまで酷いものでもなかったらしいです。『黒天』が全身装甲だったおかげで『雪片』がそこまで通らなかったのが要因かと」
「奏君には感謝しなければな」
「まったく、これ以上に無い妹ですよ。感謝してもしたりません」
そう言って、小さく笑む。しかし数秒後には俺の顔から笑みが消えていた。学生達は皆学食に行っており、辺りには人影一つも見当たらない上に千冬さんが目の前に居るのだ。丁度良い、今一番聞きたい事を聞くとしよう。
「千冬さん・・・」
「ああ、わかっているさ・・・VTシステムの件だろう?」
先ほどの何処か楽しげな雰囲気は吹き飛び、スッと千冬さんの表情から笑みが消え、俺も頭の中のスイッチが入れ換わる。
「学園側で調べたところによると、あれはつい最近作られたものらしい。システム自体の型版がお前の情報による物とは多少の異なる点が見つけられた」
「つまりドイツ政府はシステムを再利用しているのではなく、再開発しているってことですか」
「そうなるな・・・戦争中でもないのに戦闘用
「ドイツ政府の事は知っていましたけど・・・まさか学園へと派遣した生徒に搭載させてくるってのは・・・」
「ああ、良く分からん。こんなものが作られているという事が知られたら、ドイツ側にはリスクしかない。だというのに、この場に派遣したボーデヴィッヒの『シュヴァルツア・レーゲン』に搭載させるとは・・・ドイツ政府には理由を聞かせてもらいたいものだ」
千冬さんが呆れる様にため息を吐くのを横に、ギリッと自分が握り締めた拳が鳴った。ここで悔んだり、怒ったりしたところで何の解決にもならないのはわかっている。だが、憤りを隠せずには居られなかった。
「零司」
ポンと肩に千冬さんの手が置かれた。それだけで、煮えたぎった頭の中がゆっくりと冷めて行った。
「すみません・・・」
「謝るな・・・お前の怒りは理解しているつもりだ」
夕日に照らさた廊下で俺と千冬さんは短く言葉を交わす。
「・・・両親が憎いのだろう?」
俺は黙って、ただ千冬さんの言葉に小さく頷いた。
俺の両親は俺がまだ幼いころに死別した。だが、彼らの研究の一部は今も世界に根付いている。
両親の研究、その大本となっていたもの。それはAI関連の開発だった。
機械の感情、その有無。その感受性。人間の神経を読み取り、進化していく自己進化AI。
その研究の一環として生まれた物の中に、人間の感情を受け取り、それに対応した進化をするプログラミングを受けたAIがあった。
そのAIシステムは両親が死んだ後にドイツに流れ、怒りや恐れなどの『負の意識』に対して反応し、その戦闘能力を爆発的に高める物へと変化していった。
それが・・・・VTシステムの基盤となったシステム。
つまるところ、俺の両親はあの悪魔のシステムの生みの親に当たるわけだ。
「まったく、あの馬鹿共はロクでもないものしか残していかないな」
頭をガリガリと掻き、吐き捨てた。俺を不幸にするだけなら、まだ百歩譲って許してやらない事もない。だが俺の仲間を巻き込むのであれば、話は別だ。どうあっても、許すわけにはいかない。
「・・・まあ、俺の事は良いんですよ。それよりも開発したところとかは見つけられたんですか?」
「それに関しては安心しろ。束が始末したらしい」
「束さんが?」
意外な人物の登場につい聞き返してしまった。そんな俺を見て、千冬さんは詰まらなそうに話を続けようとしたその時―――
ヴー・・・ヴー・・・
ポケットから携帯電話のヴァイブレーション音が聞こえてきた。一体誰だ、こんなタイミングに掛けて来るなんて・・・ん?
「・・・誰だ」
「・・・・・」
千冬さんの問いかけにポケットから携帯電話を取り出して、その着信者が記された電子画面を見せると、皿の様な眼になった。おそらく呆れと驚きが同時に来ているんだろう。俺もそんな心境だ。
「どっかから見ているんですかね・・・」
「知らん・・・早く出た方が良い。お前相手なら何回でも掛けて来るぞ」
それもうざったいな・・・早めに出ておこう。
「はい・・・もしもし?」
『はろはろー! たっばねさんだよー!』
今までの空気を全てぶち壊しにするかのように、素っ頓狂な声が俺の鼓膜を振動させた。俺は痛むこめかみを押さえながら、いつも通りに異常なテンションの束さんの受け答えに応じる。
「ああ、どうも・・・急にどうしたんですか?」
『どうしたもこうしたもないよ。れーくんが怪我したんだってちーちゃんから聞いて、束さんはもう心配で心配で―――』
「千冬さん・・・」
「いや・・・すまない」
批難の視線に千冬さんは顔を覆いながら珍しく素直に謝った。おそらくうっかり口を滑らせてしまったのだろう。だとしてもこの人相手にそういう迂闊な行動は慎んでほしいものだ。
『まったく、あんなポンコツ兵器のクセに私のれーくんに怪我させるなんて許せないね』
「・・・いつの間に俺はあなたのものになったんですか?」
『え、違うの?』
「違いますね、残念ながら」
『あー、残念だとは思ってくれるんだね。束さん、感激だよ!』
「・・・ところで束さん、ちょっと聞きたい事が」
『ん~? いいよいいよ、なんでも聞いてちょうだいな。大天才の束さんが答えてあげるよ』
「あーはい・・・その不細工な代物、VTシステムの話なんですが・・・始末したってどういう意味ですか?」
始末とはまた不審な響きだなと思いながら問うと、電話の向こう側から束さんのあっけらかんとした声が聞こえてきた。
『あ、あれね。つい数時間前にこの地上から消えてもらったよ・・・ああ、もちろんだけど死傷者は出してないよ?』
「死傷者の事なんて訊いていませんよ?」
『えー、でもれーくんは私が人殺ししたら怒るでしょ? れーくんは優しいからね。でも安心して、絶対に死傷者は出てないよん。あんなの赤子の首を捻り潰すくらい簡単だよ!』
「赤子の手を捻る、でしょう。何怖いこと言っているんですか」
こちらを見透かしたように笑う束さんに俺はため息を吐いた。何はともあれ、VTシステムが今後この世に出回る事は無い事を願おう。
「ともかく、ありがとうございました」
『れーくんが礼を言う様な事でもないと思うけどね。別に親の罪が子の罪になるわけでもないのに』
「まあ、一種のケジメだと思ってくれれば幸いです」
『ふ~ん・・・かーなんもそうだけど、れーくんも真面目だなぁ。まあ、そこも束さん的にはチャームポイントなんだけどね』
そう言って笑う束さん。なんだかんだで励ましてくれているのかな、今のは。
でも・・・やっぱりそうは思えないんだよな、俺は。
親の罪は子の罪にはならない。確かにそうかもしれない。だけど、全てに目を瞑る事なんて俺には到底出来っこない。そんな図太い精神もなければ、切り捨てる冷酷さも持ち合わせていないからだ。
『でもちーちゃんも酷いよね』
「千冬さんが何か言ったんですか?」
『私があんな不細工な代物を作るわけがないのにさあ、一枚噛んでいるんじゃないかー、って聞いて来たんだよ?』
「あー、なるほど・・・それで千冬さん、束さんが研究所を始末したってことを知っていたんですね」
『そうなんだよ、れーくん。まったく、失礼しちゃうよ。私は完璧にして十全な束さんだよ? すなわち作る物も――』
「完璧にして十全でなければならない」 『完璧にして十全でなければならない』
『さっすがれーくん、わかってるね』
嬉しそうな声が聞こえてきた。そりゃあ、わかりますとも。いつでも完璧である存在。束さん、あなたはそういう女だ。少々、おふざけが過ぎる事はありますけど。
『さてと、他に質問はあるかな?』
「いえ、知りたい事はわかったんで」
『そっかそっか、れーくんは素直でいい子だね。じゃあご褒美に良い事を教えてあげよう』
何だろうと思い、何故か笑いを含んだ束さんの言葉に耳を傾ける。
『ちーちゃんのスリーサイズなんだけどね。私と最後にあった時は上から―――』
べキョ――――!
痛々しい破壊音と共に束さんの声は聞こえなくなり、その代わりに耳元でメキメキという音が鳴り続けていた。ゆっくりと携帯から耳を離しながら、そちらを見ると千冬さんが素手で俺の携帯の上部を握り潰していた。
「・・・あー、千冬さん?」
「何か聞いたか?」
「・・・残念な事に」
「ほう、それは良かったな。お前にはくらわせなくて済む」
夕日で影っていた所為か、それとも他の理由なのか、千冬さんの表情はうかがえない。ただ、『それは俺の携帯なので弁償してください』なんてことは間違っても口にできない様な雰囲気だという事は理解できた。
しかし・・・千冬さんのスリーサイズね・・・なんだか聞いていたら聞いていたで対応に困りそうな情報だ。
「まあ、VTシステムに関してはそう言う事だ」
「わ、わかりました」
おっかなびっくりに返事を返すと、ふと近くの壁に立てかけられた時計が目に入った。そこで俺はハッとなり、どうしてここを通りかかったのかという本来の目的を思い出す。
「・・・どうかしたか?」
「あー・・・実は食堂で待ち合わせしていまして」
「相手はデュノアか?」
さらりと待ち合わせ相手を言い当てる千冬さん・・・何故ばれたし。
「ええ、まあそうですけど・・・」
「まあ、男女交際に関して私から口を出すつもりはないが・・・あまりデュノアばかりをかまっている他から痛い目に合わされるぞ?」
「他って何ですか、他って・・・・え?」
ため息を吐いて、呆れていると俺は耳を疑った。今、千冬さんは聞き捨てならない言葉を発さなかったか?
「えっと・・・男女交際ってのは・・・」
「なんだ、デュノアが女子だという事を知らないとでも思ったのか?」
驚く俺に少し小馬鹿にした笑みを浮かべる千冬さん。なんだ、気付いていたのか。まあ実際おかしいからな、男子でISを操作出来るなんて・・・良く見れば顔立ちも女の子だという事がわかるだろう。
「まあ、安心しろ。私の口からとやかく言うつもりはないさ。馬に蹴られて死にたくはない」
「は、はぁ・・・」
これはまあ、知られてしまったのが千冬さんだという事で結果オーライなのだろうか。なんだか鋭い教員は気付いていそうだけどな・・・イリア先生とか。
「ところで行かなくていいのか、待たせているんだろう?」
「それもそうですね・・・じゃあ、失礼します」
千冬さんに急かされて、俺は食堂に向かって歩を進めようとした。
「・・・零司」
だがすぐに千冬さんに呼び止められ、振り向く。そこには何か言いたげながらも、言ってもいいのかと思案している様な、そんな顔をした千冬さんが立っている。
「・・・なんですか?」
「いや・・・その、だな」
「千冬さんらしくないなぁ。ちゃんと言いたい事があるならビシッとどうぞ」
俺がそう言うと、千冬さんは少しムッとしてこちらに背を向ける。そして言葉を口にする。
「・・・よくやった・・・」
「・・・へ?」
いきなりの褒め言葉に虚を突かれた俺は茫然と立ちすくんでいたが、それに構うことなく千冬さんは食堂とは逆方向にカツカツと進み、あっという間に見えなくなった。俺を褒めた事が少し恥ずかしかったのだろうか。
「・・・どうも」
とても短い・・・というよりたった一言だったが、俺は胸の中にはやたらと温かい喜びを感じていた。こんなに嬉しいのはやはり相手が千冬さんだからだろうか。
「・・・よくやった、か」
出会った時から変わらぬ、素直になれない自分の師の可愛らいしところを脳裏に刻みながら、俺は喜びを微笑に変えて食堂へと向かった。
・
「つまり、一回戦だけは全員やるのか」
「うん、個人データを取る為にね。一年間の中でもこの時期に個人データを取れないのは今後の学園側の進行にも問題を来すからね」
「まさかこんな形で終わるなんて誰も想定していなかっただろうし・・・あ、すみません黒瀬さん、黒コショウ取ってくれませんか」
医務室から移動して、食堂に付いた俺は先に到着していたシャルルと一緒に食事を始めていた青嶋と席を共にしていた。話題はもちろん、学園別トーナメントの件だ。
「ほいよ・・・しかしあれに関してドイツ政府はどう説明するつもりなんだろうな」
「ISの中身自体がブラックボックスです。その上、最新型である第三世代ですから何とでも言い訳は出来そうな気もししますけど・・・」
「無理やりな説明じゃあ、今後のドイツのIS企業への信頼を考えるとそうはならないと思うよ」
「イグニッション・プランの件もある。他の欧州諸国への不信感を煽る様な行動は出来ないだろうから、少なくともドイツはしばらく動かないだろう・・・うん?」
サバの味噌煮を口に運ぼうとしたところ、こちらに向けられる視線に気付いて振り向く。するとそこには十数人程度の女子達が酷く落ち込んだ様子で集まっていた。彼女達はこちらに視線を向けていたが―――
「優勝・・・チャンス・・・消え・・・」
「交際・・・無効・・・」
「・・・うああああああん!」
一人が声を上げるとパタパタと食堂から走り去って行った。なんだ、一体。
「学年別トーナメント中止は悔んでいるだろうね、皆」
「男子交際の絶好のチャンスだったから・・・」
二人の話から察するにおそらく学年別トーナメントで優勝したら一夏と付き合えるってやつの事なんだろうが・・・
「なんで俺を見て泣くんだ、訳がわからんぞ」
「あれ? 零司は知らなかったの?」
「何が?」
「例の交際、零司も入っていたらしいよ?」
「・・・相手としてか?」
そう訊くと二人は頷く。おいおい、ずいぶんと話が捏造されたもんだな。俺はそんな話は全く持って知らないぞ。
「黒瀬さん、もしかして・・・」
「ああ、完全に寝耳に水だ・・・情報源は誰だ?」
「話によると布仏さんらしいけど」
布仏・・・あのほんわかゆっくり娘か。あの娘はどうしてこんな事を・・・後で理由をお聞かせ願いたいものだ。その後、小一時間の説教をするがな。
「零司、もしかして残念だった?」
「ん?・・・ん~、そうだなぁ」
シャルルの質問に俺は箸を置いて、首を捻る。残念かどうかって言われても、元々話も知らなかったわけだし・・・
「なんとも言えないな。何も聞かされていなかったから驚いただろうけど・・・この学園の女子は可愛い娘が多いけど付き合いたいって思う娘はいないからな」
「そうなんだ・・・」
「そうなんですか・・・」
そんな感想を述べるとシャルルと青嶋は嬉しい様な、悲しい様な・・・なんとも複雑な表情を浮かべていた。そんな二人を眺めながら緑茶を啜っていると―――
「そんな事だろうと思ったわ!」
食堂の出入り口付近から聞き覚えのある声が聞こえた。俺は首だけを捻ってそちらを向くと、食堂から出て行く篠ノ之と何故か腹を押さえてうずくまる一夏の姿を見つけた。
「・・・おい、一夏。大丈夫か?」
「・・・骨は大丈夫だ」
「そうか、じゃあ立て。そんな所でうずくまっていたら通行人の邪魔になる」
「そ、そうだな・・・」
一夏に歩み寄り、立ち上がらせるとシャルル達のところへ戻ると隣の席に座らせた。
「また篠ノ之と喧嘩したのか?」
「いや、喧嘩っていうか・・・良く分からないんだよなぁ」
そう言うと一夏はため息を吐く。まあこの学年別トーナメントが中止になった時期に一夏と篠ノ之が話して、一夏がよく分からないままに篠ノ之にキレられるということは・・・大体話は読めた。
「どうせお前が何か迂闊な事を言ったんだろ?」
「迂闊な事って・・・俺はただ箒が付き合って欲しいって言ったから――」
「『ああ付き合うぞ、買い物くらい』って言った・・・とかか?」
一夏がまるで占い師でも見る様な目つきで俺を見る。いや、これくらいなんとなく予測できるよ。
「な、なんでわかったんだ?」
「なんでって・・・なあ?」
「う~ん、一夏ってワザとやってるんじゃないかって思う時があるよね」
「というより、ワザとじゃないと篠ノ之さんが心底可哀想になってくるなぁ」
苦笑を浮かべる二人と訝しげな顔で首をかしげる一夏。覚悟を決めて、緊張のあまり周りが見えなくなってしまうほど頑張って告げた言葉も一夏相手では効果を成さない。ああ、本当に篠ノ之が可哀想だ。
「なあ、零司。俺はなんか箒に怒られる様な事をしたのか?」
「いや、怒られる様な事があるのかと聞かれればお前の行動言動、主に全てが駄目だと思うがね」
「・・・零司、なんか怒ってないか?」
「怒ってないぞ、呆れているのと篠ノ之に同情しているだけだ」
「なんで呆れられるのかがわからないんだが・・・」
篠ノ之の奴、大丈夫かな。打たれ弱い性格ではないと思うが、ショックで引き籠ったりしないだろうな・・・
「・・・心配だ」
「随分と心配なんだね、篠ノ之さんの事」
あまりの鈍感さで傷付いて、引き籠る篠ノ之を想像して、ため息混じりに呟くとシャルルが俺に対して言った。
「そう言えば・・・黒瀬さんって時々篠ノ之さんと二人で居る時がありますね」
「え?」
「ふ~ん・・・
「は、はい?」
篠ノ之の心配をしたら、何故か女子二人にジト目で睨まれた。なんか良く分からないが、明らかに不機嫌だって事とここでの不用意な発言は危険だという事はわかる。故に俺はこの話を終わらせる為に一夏へと向き直る。
「・・・ま、まあアレだ。一夏、今後はもう少し意味を読んでから発言しろよ? このくらいの年の女子はデリケートだからよ」
「お前、何歳だよ」
お前に言われたかないよ、この健康マニアの老人脳みそめ。自分や他人の健康の事やオヤジギャク考えている暇あったら、違う事に頭を回せ。篠ノ之の事とか篠ノ之の事とか篠ノ之の事とか。
「あ、黒瀬君に織斑君、それにデュノア君も。ここに居ましたか」
急に聞こえた声に釣られ、再び出入り口の方へと視線を向けると一人の女性がこちらにやって来ていた。
「あ、山田先生。先ほどはお疲れ様です」
「黒瀬君もお疲れ様。取り調べ続きで大変だったでしょう?」
「いえいえ、あれくらいなら大した事ありません。イリア先生の愚痴よりはマシです」
「あー、それはわかりますね。イリア先生の愚痴は長いですから」
俺が言うと、山田先生は口元を押さえて小さく笑った。確かイリア先生と山田先生は大学時代の先輩後輩だったな。おそらくその頃から愚痴が多かったのだろう、山田先生には同情する。
「・・・・・」 「・・・・・」
少し気分が晴れたが、俺へと向けられる重圧が払われる事は無い。というより、さっきよりも強くなってないかね、そこのお二人さんよ。
「そうですか。私達、おそろいですね・・・えへへ」
「はい・・・まあ、愚痴仲間ですけどね」
そんな事は知らない山田先生は何やら幸せそうな笑みを浮かべる。まるで子犬の様な笑顔だ、しかし、そんな光景にも和む暇すら与えまいと向けられる視線に俺は引き攣った笑いしか浮かべる事が出来ない。
「? どうかしましたか?」
「あ、いえ・・・ところでどうかしたんですか? 俺達を呼んでいたみたいですけど」
「そう、そうなんです! 三人に朗報があるんですよ!」
興奮して、声を荒げる山田先生。何事だろうと思ったのか、シャルルの視線が俺から外され、俺は片方の重圧から解放された。
「なんとですね! ついに男子用大浴場使用が解禁する事になりました!」
・・・なん・・・だと・・・?
「え、でも男子大浴場って来月からじゃあ・・・」
「今日は大浴場のボイラー点検日なんですが、点検自体はもうすでに終わっているんです。ですから、今日は男子用として貸し出す事が決定したんです」
俺は内心、ガッツポーズをしていた。風呂好きの俺にとって大浴場とはまさに心の癒しを与えられる空間。いや、決してシャワーに文句があるわけではない。だが、シャワーと風呂ではかなりの差がある。しかも大浴場だ。この報せを喜ばない他あるまい。
「零司、物凄く嬉しそうだな・・・」
「わかるか、一夏?」
「ああ、全身から滲み出てるよ」
苦笑を浮かべる一夏だが俺は全く気にしない。いかんなぁ、嬉しさのあまり頬がニヤけて仕方ないよ。
「では大浴場の鍵は私が持っていますので、脱衣所の前で待っていますね。三人とも準備が終わったら、大浴場まで来てくださいね」
そう言うと山田先生は食堂から出て行った。
「大浴場か・・・いやぁ、楽しみだ」
「そ、そうだね・・・」
俺の横で複雑な表情を浮かべるシャルル。その表情を見て、浮かれていた頭が標準状態まで引き戻された。ここで発生した問題に気が付いただから。
シャルルはどうするんだろうか、という問題に。
解放された大浴場には男子三人が入る事になっている。つまりその内にはシャルルも入っているわけだ。しかしシャルルは女子、しかもそれがバレてはいけないという条件付き。一緒に入るわけにもいかないが、下手に拒めば怪しまれる。
「よし、じゃあ部屋に戻るか・・・行こうぜ、零司、シャルル」
「あ、ああ・・・そうだな」
「う、うん・・・それじゃ青嶋さん、また明日」
「うん、黒瀬さんもまた」
青嶋に適当な挨拶を返した後、俺達三人は食堂を後にして学生寮に向かって歩き出す。
(ど、どうしよう・・・零司)
(うむむ・・・どうしようか)
コソコソと一夏の後ろ、小声で相談する。せっかくの大浴場だというのに手放して喜べないというのはいかんともしがたい事だが、どっちを優先かと言えばそれは当り前の様にシャルルの方だ。
(ぼ、僕は脱衣所の方で待ってるっていうのは?)
(それだと一夏に怪しまれる。かといって抜け出すにしても脱衣所の前には山田先生が居るだろうし・・・)
「でも実際、楽しみだよな。大浴場って聞いてたけど、いつも入れなかったからな」
「そ、そうだな」 「そ、そうだね」
一夏に強張った声が返る。ああ、クソ。こんなところで一夏が障害になるなんて思ってもみなかった。どうにかしてこれをクリアしなければならない。
そんな事を考えている間にも歩は進み、もうすぐ一夏の部屋が見えて来る。
(強引な手だが・・・やるしかないか)
(ど、どうするの?)
方法を訊いてくるシャルルには何も答えずに、俺は周囲に人の気配がない事を確認すると最大限に自身の気配を殺して一夏の後ろに立つ。そして首筋に狙いを定めると、そこへまっすぐに手刀を打ち込んだ。
「おうふっ!?」
一発で意識が飛んだのか、一夏は俺の目の前に倒れ込んだ。その一夏のポケットから鍵を取り出してから担ぎ上げ、一夏を部屋のベッドへと寝かせた。すまないな、一夏。シャルルの学園生活を円満にしていく為には必要な犠牲なんだ。今回の風呂は辞退してくれ。
「い、いいのかな・・・あんな事して」
「・・・心苦しいが仕方あるまい。その代わりと言ってはなんだが、女子に看病される喜びをくれてやる・・・シャルル、携帯電話貸してくれ」
言いながらシャルルに携帯を借りるともはや見知った電話番号を打ち込んで、耳に当てる。呼び出し音が鳴って、少しすると電話先の人物の声が聞こえてきた。
『はい、もしもし?』
「おー、篠ノ之か?」
『黒瀬さん・・・今日は携帯電話からではないんですね』
「いやね、携帯電話は今日ご臨終されたよ。死因は圧死だ」
『はあ・・・それで何かご用ですか?』
「実はな、一夏が倒れちゃってさ。今部屋にいるんだが・・・看病してやってくれないか?」
『えっ、倒れたって・・・!』
「ああ、安心しろよ。多分疲れただけだから、お前の蹴りが問題だったわけじゃない」
『そう・・・ですか』
ホッと電話越しに安堵の息を漏らす篠ノ之。ああ、あの蹴りは結構やり過ぎだったって自覚はあったんだな。そりゃ、あれだけ綺麗に入っているならなぁ・・・
「ま、そういうわけだから、看病・・・というか、目が覚めるまで見ていて欲しいってわけだ。何か必要そうだったら、各自対処して上げてくれ」
『わかりました、すぐ行きます』
そう言い残すと電話が切られた。おそらく本当にすぐに来るんだろう。ま、これで少しは機嫌がよくなってくれると良いんだがな。
「シャルル、携帯ありがとな・・・・って、なんだよ?」
「・・・篠ノ之さんの番号、覚えてるんだね」
またまたふくれっ面な不機嫌シャルルさん。またかと俺はため息を吐く。一体全体、俺が何をしたかというのかね。
「単純に携帯電話で通話する回数が多いんだよ」
「なんでそんなに多いのさ」
「それは・・・まあ、色々と話す事が合ってだな」
「・・・ふ~ん」
こら、そのジト目を止めなさい。俺が悪い事しているみたいじゃないか。いや、悪い事ではないよ・・・でも知られたらおそらく、ある二人からはかなり憎まれると思うけどさ。
「・・・準備しようぜ、山田先生が待ってる」
深いため息を混ぜつつシャルルにそう告げると俺は背後に感じる、刺さる様な視線を気にしながらも一夏の部屋を後にした。
・
「あ、来ましたね・・・あれ、織斑君とデュノア君は?」
「シャルルは準備に時間がかかると・・・・一夏は死ぬほど疲れているのでの寝ました」
そう言うと何の疑いもせずに山田先生は「そうですか」と頷き、ドアの鍵を開けた。すると清潔にされた脱衣所がこちらに口を開けた。
「一番風呂ですよ、ゆっくり浸かって行ってください」
そう言うと山田先生は脱衣所のドアを閉めた。それを確認すると俺はため息を吐きながら、制服を脱衣籠へと入れて行く。
一夏の部屋を出てから俺とシャルルは自室へと戻り、大浴場へと赴く為に準備をしていた。するとシャルルは―――
「零司は先に行ってていいよ、僕は後から行くから」
と言って、俺を部屋から追い出した。一人で入るのかと思った為に俺が部屋で待っていようかと言ったのだが、結局俺が追い出された為にこうして一足先に大浴場へと足を運んでいた。
「これなら一夏の奴を気絶させた意味がないな・・・ま、いっか」
そんな事を言いながら、服を全部脱いで、ガラス戸を引く。
「おお・・・・」
感嘆の声が漏れた。そこは広々としたバスルーム。大きい浴槽が一つに中くらいの浴槽が一つ、それに檜風呂まである。中くらいのものにはバブルとジェットが完備されており、サウナに全方位シャワーまである。なるほど、大浴場の名に恥じない設備だ。
「毎日女子達はこんな風呂に浸かってるのか・・・なんか卑怯だな」
そんな事を言いながらボディーソープで身体を洗い、シャワーで身体の泡を流すとすぐに大きな浴槽へと浸かった。
「ふぃ~・・・」
肩までしっかりと浸かると全身に湯の温かさが染み込んでくる。疲れが抜けて行く感覚に思わずため息が出た。ああ、極楽極楽。やっぱり良いもんだね、風呂ってのはさ。風呂は心の洗濯とはよく言ったものだよ。
「よっと・・・イテテ・・・」
風呂の中で軽く身体を伸ばすと、傷が少しだけ痛んだ。右肩から腰のあたりに掛けて、一閃の傷。美しいくらいに洗練された一太刀によってつけられたこの傷、痕は残ったがそれほど大きな怪我にはならなかった。
「VTシステム・・・ラウラの奴はどうするつもりなのか」
あのシステムの使用者は精神に大きな負担をかけるが、どうやら話によるとラウラの精神には奇跡的に異常は無く、いつもどおりに生活出来るらしい。だがラウラは今後、どうするのだろうか。ドイツに帰国するのか、それともこの学園に残るのか・・・
おそらく可能性としては前者の方が大きいだろう。何せあいつはドイツ軍人だ。祖国の為に戦う事が誇りなのだろう。それにこの学園はあいつにとっても息苦しい場所なのかもしれない。
だがドイツに帰ったら、あいつはどうなるだろうか。
あの学年別トーナメントは各国の要人が来ている。VTシステムの事がドイツ側にとって不利益な情報である事は間違いない状況でラウラはドイツに戻って、それで大丈夫なのだろうか。
「だけど学園に残るとは思えないしな・・・」
大体、もうラウラが学園に残る理由がない。俺を引き戻す事には失敗した。あれだけの事を言って、それで契約したんだ。まさか納得しないなんて言い訳はしないだろう。あの娘はそういう娘だ。
「・・・どうしたもんかな」
だが考えても仕方ない。結局、最後はラウラ自身が決める事だ。誰かが強制したりする事ではない。だから俺は事の成り行きを見守ろう。それくらいしかできないだろうし。
考えを打ち消す様にバシャッと顔を洗った。
ガラララ・・・・
その時、不意に俺の耳に音が入っていた。これはアレだ、この風呂場のガラス戸を開ける音だ・・・・ガラス戸?
「・・・は?」
ゆっくりと手を離して、前・・・ガラス戸の方を見る。ここは今男子の為に貸し切りとなっている。つまりこの場所に入れるのは男子生徒と認知されている三人のみ。そして一夏は部屋で寝ている・・・すなわち誰が入って来たのかというとそれはもう明白であり、何も考える必要なんかない。
「え・・・・えと・・・・」
そう、IS学園の男装の麗人。シャルル・デュノアがいた。
「な、なん・・・・」
なんで入って来たのかと問いたかったが、言葉にならない。いや、目の前に裸(ある程度は隠しているが)の女子がいるから戸惑っているとかそういうんじゃなくて、ただ単純にシャルルの行動が理解できなくて、驚きのあまり声を失ってしまっていた。
「あ、あの・・・零司」
「な、なんじゃい?!」
「は、恥ずかしいから・・・・あの・・・・こっちは見ないで」
「・・・・失礼しました」
当り前のセリフに少し冷静になった俺はすぐさまシャルルに背中を向けた。すると少しして湯船が揺れる。シャルルが・・・・風呂に入って来た。
「・・・・あ、暖かいね」
「・・・・まあ、風呂だからな」
「そ、そうだよね・・・あはは」
言いながら、俺に背中を預けて来る。肌と肌が触れ合い、風呂の温かさとは違う温度の感触を覚えた。
シャルルは何を考えているんだろうか。先に行っていてと言ったから、俺が出た後で入ってくると思ったのに・・・困った。非常に困った。枯れているみたいに思われがちかもしれないが、俺だって一人の男だ。傍らに裸の女がいれば、それなりの反応をしてしまう。邪な心がないわけではないのだ。
「・・・ごめんね、急にこんなことして・・・驚いちゃったかな?」
「・・・驚かない方がどうかしていると思うぞ?」
一言交わしては、沈黙。その沈黙に合わせる様に水滴が落ちる音が反響する。何と緊張する風呂場だ。ええい、落ち着け。シャルルの裸ならあの夜、ベッドに押し倒した時にマジマジと見てしまったじゃないか。そんな事でうろたえてどうする。元ドイツ軍人はうろたえない!
「あの・・・零司・・・聞いて欲しい事があるんだ」
「なんだい、言ってみなさいシャルル君」
「な、なんだか口調が変だけど・・・大丈夫?」
「・・・大丈夫だ、問題ない」
大きく深呼吸して、自分を落ち着かせる。それを見計らってか、シャルルはゆっくりと俺の手に自分の手を重ねると口を開いた。
「僕ね、やっぱりここにいる事にしたよ・・・フランスへは帰らない」
「・・・・・・」
「僕は・・・この場所で見つけたいんだ。本当に、心の底から大切だって思える居場所を・・・」
嬉しそうな声が聞こえると重なった手に力が籠り、指が絡まる。そんな手を握り返すと俺は口を開く。
「見つけ出せるさ、お前ならさ」
「全部・・・零司のおかげなんだよ?」
重なる手が離れたと思うと、背中に感じていた感触が変わった。肩に小さく感じる手、俺に寄り添う様にして、シャルルは俺の事を抱き締めていた。背中越しに鼓動が聞こえる。結構早いな。こんな事をして、やはり緊張しているのだろうか。
「零司は僕の居場所になるって言ってくれて、それがとても嬉しくて・・・ようやく自分が存在する理由を与えられた気がしたんだ・・・」
「・・・俺はそのきっかけに過ぎないさ」
「そのきっかけがあったから、今の僕があるんだよ・・・僕を救ってくれた人がいるから」
心の底から優しい喜びが感じられた。今まで、救えなかった人は多い。むしろ救われる事しかできなかった。そんな無力な自分が許せなかった。大切な人を救える存在になりたかった。だからこそ、シャルルを見て思ったんだ。
―――この娘を救いたい、笑顔で居させてあげたい。
そして俺は今、救う側から救われる側へとなったのだ。
なんだ・・・救われたのはシャルルだけじゃない。
俺も救われたのだ・・・彼女の言葉で・・・
「その言葉で自信が持てたよ・・・ありがとう、シャルル」
「―――シャルロット」
「え?」
「僕のお母さんがくれた・・・本当の名前だよ。零司には、そう呼んで欲しいんだ」
耳を擽る、聖母の様な優しい声でシャルルは俺にそう告げた。俺はシャルルの手を優しく握り、頷く。
「ああ・・・・ありがとう、シャルロット」
「うん・・・・ありがとう、零司」
礼を言い合う俺とシャルル。そんな中、横目でシャルルを盗み見る。そこには優しげで柔い、純粋無垢な子供の様な笑顔・・・・俺がシャルルに望んだ、『偽りのない、本当の笑顔』があった。
「・・・あ、あの、零司」
「・・・うん?」
「自分からやってなんだけど・・・ゴメン、ちょっと・・・恥ずかしくなってきちゃって」
数十秒ほど抱き会っていると、シャルルは顔をほんのりと朱色に染めていた。どうやら自分のやった行動の大胆さに今更気付いたらしい。やっぱりちょっと天然だよな、お前ってさ。
「俺はもう少し、こうしていても構わないけどな」
「えっ!?・・・そ、それは・・・その・・・」
「・・・冗談だよ、本気にするなって」
パッと握っていた手を離してやる。するとシャルル・・・いや、シャルロットは少し残念そうな顔をして、呟く。
「・・・零司がして欲しいなら、構わないのに・・・」
「・・・・ん? 何か言ったか?」
「な、なんでもないよ!? ぼ、僕先に身体と頭を洗っちゃうね!」
矢継ぎ早に言うとシャルルは湯船から上がって、ジャグジーの方へと行った。俺はシャルロットから視線を外す意味も兼ねて、風呂の天井を見上げた、そして、おそらくシャルロットに出会ってから一番安らかな気持ちで優しくほほ笑んだ。
・
三日後、学年別トーナメントの一回戦分は全て終了し、今日から通常授業へと移行する事になった日。朝、俺の隣の席にシャルロットはいなかった。何やら部屋を出る時に『先に行ってて』と言われたんだが・・・
「零司、シャルルはどうしたんだ?」
「・・・なんか用事があるみたいだな、詳しくは知らないけど」
「どうしたんでしょうか・・・」
一夏と青嶋が不思議そうに首をかしげている。来ない・・・もうすぐSHRが始まってしまうぞ。
それに・・・
「・・・あいつも来てないな」
窓際の後ろへと視線を移す。その席は空、今日はラウラも来ていない。精神面は問題ない、肉体には捻挫くらいだと聞いたが・・・まさかもう・・・
「み、皆さん、おはようございます」
思案していると教室に山田先生がふらふらな足取りでやってきた。昨日は仕事で苦戦している様な雰囲気ではなかったし、疲労が溜まっているってわけでもないようだが・・・何かあったのか?
「実は今日、転校生を紹介したいと思います。いえ、転校生と言うか・・・もう皆さんには紹介してある人なんですけど・・・ああ、どうしてこうなったのでしょうか・・・」
何やら歯切れの悪い山田先生。しかし、また転校生か。ラウラやシャルロットに引き続き、ちょっとスパンが短すぎないか?
「えっと、じゃあ入って来てください」
「失礼します」
・・・・・あれ? この声、なんか物凄く聞き覚えがあるんだが?
ドアが開かれ、一人の女子が教室に入ってくる。髪はブロンド、瞳はアメジスト。つい今朝、俺の部屋で挨拶を交わした少女が教卓の前に立った。
「シャルロット・デュノアです。皆さん、改めてよろしくお願いします」
「「「よ、よろしく・・・お願いします?」」」
シャルロットが頭を下げるとクラスの女子達は困惑しながらもそれに応じる。教卓の前に立つシャルロットの姿は俺や一夏、そして彼女自身が着ていた男子制服ではなく、白いスカートの女子制服。
「ええと、デュノア君はデュノアさんでした、という事です。今日からまた先輩教師から文句の言われない様に部屋割りを組み立てて行く作業が始まります・・・はぁ」
山田先生はシャルロットを見て、疲労しきった表情で重苦しいため息を吐き出す。それは・・・なんというか、お疲れ様です。
しかし、よかったなシャルロット。もう偽りの自分で包み隠す必要なんて無くなったんだ。これからはただ一人の女子として、学園生活を満喫すればいい。俺はそれを全力で応援しよう。
「おめでとう、シャルロット」
「ありがとう、零司」
シャルロットに笑いかけると笑顔を返して来てくれた。これでいい、あと気掛かりなのはラウラなんだが・・・ちょっと山田先生にでも訊いてみるか。
「え? デュノア君って女・・・?」
「おかしいと思った! 美少年じゃなくて美少女だったわけね」
「我々の薄い本の内容が普通になってしまった・・・おのれシャルル、いやシャルロット・デュノア!」
「って黒瀬さん、同室だからって知らないってことは―――」
「ちょっと待って! 昨日って確か、男子が大浴場使ったわよね!?」
シャルロットの登場に湧きあがっていた喧騒がさらにヒートアップしていく・・・あれ? なんだか雲行きがおかしな方向に進んでいませんかね。
「黒瀬さん・・・そんな」
「あ、青嶋? そんな泣きそうな顔で俺を見ないでくれ」
隣に座る青嶋は結構本気で涙目になっている。止めて、そんな目を俺に向けないでくれ。良心の呵責で死にそうだ。そんな死に方じゃあ今時、新聞の隅っこにすら乗らないぞ。
「そんな、まさか黒瀬さんの部屋が二人の愛の巣になっていたなんて・・・ううっ」
「ごめん、青嶋。言っている意味がちょっとわからな―――」
「男女で同室など・・・不純異性交遊も甚だしい! 見損ないましたよ、黒瀬さん!」
「そ、そうですわ、黒瀬さん! 不潔ですわ!」
「あー、もう! 篠ノ之にオルコット、お前達もちょいと黙ってくれ! あとで状況をしっかりと説明するから!」
セシリアが後ろの方から、何を想像したのか顔を真っ赤にして声を荒げる。お願いだから話を引っかき回さないでくれ。ああもう、とにかくラウラがどうしているかを訊き出さなくては―――
「山田先生!」
「あ、だ、大丈夫ですよ! 黒瀬君は悪くないんです! いえ、むしろそれくらい積極的な黒瀬君の方が先生は――」
「先生まで暴走しないでくださいよ! 俺はあなたにラウラの居場所を―――」
――――ドガアァン!
「零司ぃっ!!!」
俺と山田先生の間を破壊された扉が横切る。そちらを見ると灰煙の奥から赤紫のIS、『甲龍』を装備した凰がまるで阿修羅の様な表情でこちらに歩み寄ってくる。阿修羅じゃなかったら羅刹、それでもなかった夜叉、それでもないなら鬼女だ。
「なんでお前が来るんだよ!」
「奏を泣かせる様な事するなって言ったでしょうがっ!」
「お前の奏に対する友情には素直に礼を述べたいところだけどまずはそれをしまってからにしてくれ!」
カシュッ―――
「いや、しまえって言ってるでしょ!? なんで衝撃砲が開かれるんだよ! 頼むから日本語を理解してくれ!」
開かれた両肩の衝撃砲にエネルギーが収束する。本来なら『黒天』を展開して防御でもするんだが、今はトーナメントの修理が終わってないから手元には存在しない。つまり、このままでは―――
「死ぬから、それマジで死ぬから!」
「死ねえぇぇぇ!」
「殺る気満々じゃねぇか畜生おおおおお!」
ズドォォォォォンッ!!!
断末魔の様な叫びを響かせると教室がフルパワーの衝撃砲により大きく揺れる。あ、死んだ、俺死んだ。もはや俺の身体はバラバラになっているんだろうな。ごめんよ、奏。俺は決して良い兄さんじゃなかったよ・・・・ってあれ?
「・・・俺、生きてる?」
防御態勢を取っていた俺はゆっくりと構えていた腕を開く。すると俺の眼前に漆黒の機体が、俺を護る様にして立っていた。
「お、お前・・・ラウラ」
そう、俺の目の前に立っていたのは『シュヴァルツア・レーゲン』を装備したラウラだった。
「あ、あんた・・・!」
「邪魔だ」
呆気に取られる凰。ラウラはそんな凰に対してワイヤーブレードを展開し、両手両足、そして衝撃砲を拘束すると完全に動きを封じた。それを確認すると俺へと向き直る。
「ラウラ、お前・・・ドイツには戻らなかったのか」
「まだ帰れません・・・帰れるものですか」
驚きで唖然となる俺にラウラは倒れかけた俺の肩を抱き、俺をまっすぐに見詰める。
「私は、ラウラ・ボーデヴィッヒです。だから私は、私の望む行動をします・・・ようやく、この場所に来た本当の理由がようやく理解できた気がしますので」
「ラウラ・・・お前は何を言って――」
言葉を遮る様にラウラが俺の肩を引いたと思うと、唇に柔な感触を感じた。
彼女の息が頬を撫で、瞳を閉じたラウラの顔がこれでもかというくらいに近くに感じる。いや、これは近いんじゃない。距離が零になっている。まさに一瞬、気が抜けていたとはいえ、ほんの一瞬で起きた出来事。
俺はラウラに唇を奪われたのだった。
「・・・ちゅっ・・・はあ」
「・・・・・・・・・・・・・・ら、ラウラ?」
ゆっくりと離れる唇の感触に俺は戸惑う。衝撃砲による死の恐怖から一転、甘酸っぱい接吻の味・・・脳みそは急激な展開について行っていないのか、上手く感情を制御できません。ただわかるのは、目の前にいるラウラもやはり恥じらいがあったのか、ほんのりと頬を染めているのが可愛らしかったというくらいだった。
「私は・・・あなたを嫁にします! これは決定事項です! 異論は認めません!」
「・・・・お・・・・・お友達からお願いします?」
ああ、もはや適した返事が何なのかさっぱり分からない。ただ、ただこれだけはわかる。今、俺の置かれている状況があまりにも悪いという事だけだ。プランD、いわゆるピンチですね。
「そっか・・・そっかそっか、そんなにあたしに喧嘩売って嬉しいんだね・・・れぇいぃじぃぃぃぃぃぃぃ!」
なんだかラウラの後ろで何かがメキメキと無理やり破壊される音が鳴っているんだが、俺の幻聴かな。ああ、それにオルコットが『スターライトMKⅢ』を構えているし・・・篠ノ之、君はその真剣を何処から取り出した。青嶋、泣くんじゃない。君は強い娘だ。だから『エレファント・スレイヤー』を俺に向けるな。
「「「黒瀬さん!!」」」
「ま、待て! 話せばわかる! 人間だもの!」
「問答無用!」 「問答無用ですわ!」 「問答無用です!」
いかん、目が攻撃色だ。怒りで我を忘れているんだ。少なくとも彼女達は俺に対して手加減なんて事をしてくれないだろう。つまり・・・逃げなくては使い古されたボロ雑巾の様になるのは確定的に明らかだ。
「こんな場所に居られるか! 俺は職員室に逃げるぞ!」
トン・・・
しかし、常に現実とは非常である。人間は運が悪い時はとことんまで転がり落ちて行く。扉に向かおうとした俺の前に立ちふさがる人物が一人。
「・・・・・」
それは太陽の笑顔を浮かべるシャルロットだった。
「にこっ」
ああ、笑顔を返せたらどれだけ良かっただろうか。残念だったな、シャルロット。俺にはそんな心の余裕は存在していないぞ。
「零司って他の女の子の前でキスしちゃうんだね。僕、びっくりしちゃったよ」
「あ、あのですね、シャルロットさん。俺は決して加害者ではなく、被害者なわけでして・・・何故、笑顔のままでISを展開してるんですかね?」
「どうしてだろうねぇ・・・ふふふ」
バキンッと音が鳴り、シールドが剥がれる。えっ、何故『楯殺し』? 何故『灰色の鱗殻』? そんなものを人間に撃ち込んだら、どうなるのかくらいは理解できていますよね。
「ちょ、ちょっと待て! キスの事を怒るならシャルロットだって・・・・」
「なっ!・・・・れ、零司、あの時起きてたの!?」
「あ・・・・」
ずっと胸の内に隠していた事実、咄嗟の事で口を滑らせてしまった。ましてやこんな状況で・・・シャルロットだけならばまだしも、今この場には敵が四人もいるんだぞ。まあ、だけど今目の前にいるシャルロットが一番怖いんですけどね。
「今のは、アレだ! 言葉のあやっていうか・・・ノーカウントだ、ノーカウント!」
「零司の・・・・・」
プルプルと両肩を震わせながら、カーッと一気に顔が赤くなっていく。そしてガキョンッという音が鳴り、『灰色の鱗殻』はシリンダーに弾薬が装填されると同時に俺の全身から冷や汗が濁流の如く流れ始める。
「零司の馬鹿ぁぁぁぁぁぁ!」
「おい、マジかよ!? 夢なら覚め・・・・ぎゃあああああああああああ!!!」
完全に向かうパイルバンカーは虚しい俺の声を引き裂いて、断末魔が始まったばかりの七月の夏空に高々と響き渡るのだった。
Side ???
「ドイツ第三世代、『シュヴァルツア・レーゲン』は搭載されたVTシステムを廃棄後、条約規定範囲内で使用を許可。学園への強襲と『人形』のコア強奪、それらの事実は何処にも存在しない・・・・なるほど、もみ消しにしてはやり過ぎだな」
「良く言う。誰が手間をかけさせたというのだ」
「仕方ないだろう、完璧主義者なんだよ・・・私は」
「・・・まあ、良いじゃねえか。これで状況は最初に戻ったんだ」
「時期もあるわ・・・そろそろ始めましょうか、彼女の計画を」
「その事だが・・・少しだけ待てないか?」
「あのIS、か」
「ああ、強いだけの阿呆ではないらしい。あのIS、どうもキナ臭い」
「まさか・・・『彼女』の意志が?」
「あの程度では少し理解しかねるが・・・試す価値はあるという事だ。状況はすでに手遅れだが、同時に緩慢でもある。今更焦る事もあるまいよ」
「なるほど・・・では、私が出よう。もし、私の考え通りならば全ての事が次の段階へと進んで行く」
「それはどういう意味だ?」
「その意味も理解できないのね・・・これだからあなたはこの会議には不足なのよ」
「・・・んだと?」
「止めろ。含むところがあるならば戦場でやれ。誰も止めはせんさ」
「ともかく次の出撃は任せる、お前が出てくれればおそらく間違いはないだろう。戦闘も・・・あれが誰なのかという事も」
「・・・フランチェスカの様な不始末だけは勘弁だぜ?」
「安心しろ、セレナ。私はゲルトルーデの様に先走らなければ、フランチェスカの様に後手に回る事はない」
「それは戦場で証明してほしいものですわね」
「ひがむな、テレサ」
「そこまでだ。確かに緩慢ではあるが、だからといって無駄話をしている時間はない。ではアーデルハイト、後は任せる」
「了解した」
「・・・では――」
「ああ」
「ええ」
「―――我が戦友、アーデルハイト・シュトルム。そなたの輝かしき忠誠に幸運と祝福を」
「「「「
EP27 End