気が付くと、俺は空を見上げていた。その空は美しい星空で、巨大な月が辺りを照らしている。雲一つない、満点の夜空。周囲に咲き誇る白百合も何処か満足げな印象を受けていた。
「・・・またここか」
ポツリと呟いて、身体を起こした。そこはいつぞやの時、夢の中に広がっていた空間。奇妙な夢だとは思っていたが、まさか続きがあるとは思わなかった。
「もしあの夢の続きなら・・・・」
周囲を見渡す。だがその姿は見えない。諦めて、もう一度寝ころんでいたところに倒れ込んだ。だが―――
「私をお探しかな?」
「うわっ!?」
驚きのあまり声を上げて、すぐに起き上がる。周囲を見回し、何処にもいなかった人物が・・・先ほど探していた人物が目の前に現れたのだから。
「び、びっくりした・・・脅かさないでくれ」
「すまないね、少し君をからかいたくなってしまった」
そう悪びれもなく、微笑を浮かべる。メフィスト・フェレス、それがこの女性の名前だったか。相変わらず、まるで影の様にゆらゆらと、消えかかりそうな見た目をしている。
「それで、用件があるのかい? 君の頼みならば謹んでお受けするが」
「いや、そんな大層な事でもないよ。ただ―――」
思っていた事を口走ろうとして、言葉に詰まる。それは少し恥ずかしく、なんだか自分が小さい子供の様に思えたからだ。
「寂さを覚えるから、かい?」
「・・・ま、まあ・・・な」
だが、俺の沈黙はメフィストの前では無駄だったようで、数秒も経たぬうちに言いたかった言葉を言い当てられてしまった。読まれてしまった事とそんな事を考えていた事の双方、恥ずかしくて頬を掻いて誤魔化した。
「相変わらず、君は寂しがり屋だ・・・その様なところも愛らしいよ」
「・・・ほっとけ」
微笑を浮かべるメフィストにぶっきら棒に言い放つ。そんな中で、俺は先ほどの発言に引っかかるところを感じて、今更ながらにも問いかける。
「相変わらずっていうけどさ、そんなに昔から俺とお前は知り合いなのか?」
夢の中の住人に何を問うのか、と思いながらも俺は女性に問いかけた。するとメフィストは少し残念そうに笑みを崩しながら、頷いた。
「ああ、古い友人だ。君と私は共に道を歩んだ者であり、お互いを支え合う存在だった」
「支え合う、存在ね」
「相手の意志を尊重し、側に居ると誓い、片時も離れぬ様に想い合った」
「・・・それってまるで―――」
恋人の様だ、そうぼんやりと思った。だが俺は確信していた。もし、俺がこの女性と会った事があったとしても、俺のこの人に対する思いは恋人のそれとは違うものだったのだと。
だって俺には、すでに―――
「君は、私にとっては生きる為の理由そのものだった」
「そんな大した人間でもないよ、俺は」
頭に浮かんだ言葉を打ち消す様に自嘲気味の笑みを浮かべて、メフィストの言葉を遮った後に続ける。
「俺は現実を直視する事が出来なかった。非難に耳を塞ぎ、責任を遮り、辛さから逃げて・・・結果、何も手にする事が出来なかった」
「・・・・」
「それどころか・・・」
俺は大切なものを失った。この世界で、最も大切とも思えたもの。この身を犠牲にしてでも、守りたかったもの。それを俺はいとも簡単に失ってしまった。いや、単純に失ってしまったどころか・・・
「俺は・・・」
「零司」
俺はメフィストの遮る様な言葉を聞いた後、背に感触を覚えた。肩に回された腕は白く、か細い。黒い長髪が俺の頬を優しく撫でる。そこでようやく、現状を理解した。俺は今、メフィストの腕の内に居るのだと。
「君の罪は、意識を蝕み、身体を腐らせ、心を壊そうとするだろう。そして私は君を赦す術も権利も、持ち合わせていない」
耳元から聞こえる、メフィストの言葉は甘く、それでいて相手を思いやる様な優しい声色だった。初めてここに来た時の様に
「だが案ずる事は無い。君の望む贖罪の時は必ず、必ずやってくる。だから君はそれを待てばいい」
酷く落ち着く。まるで永遠にここに居たいと思わせる様な優しさと安堵に溢れた、依存してしまいたいと思えるほどの、甘美な感覚。だがそれと同時に、少しばかりの恐怖を覚えた。この感覚に身を任せてしまえば、何処までも底知らぬ場所へと落ちて行ってしまう様な・・・そんな感覚だった。
「メフィスト・・・」
ほとんど無意識に零れた名前を口にして、俺を抱きしめる女性の表情を窺った。すると彼女は・・・
「ようやく・・・名前を呼んでくれたね」
初めてこの場所で出会ったときと同じ様に、薄い微笑を浮かべていた。
・
「・・・んあ?」
微かな揺れを感じ、気の抜けた声を発しながら、俺はゆっくりと瞼を開いたが陽光が瞼の隙間に入り込み、咄嗟に瞳を閉じる。
「まぶしっ・・・」
「あ、起きましたか」
隣から聞こえた明るい声に反応して首を曲げる。すると見知ったクラスメイト、青嶋がこちらを見ていた。
「・・・あれ、ここは」
今一、状況を掴み切れていなかった俺は寝ぼけた頭に鞭を打って目を覚ますと周囲を見渡す。見えるのは広いとは言い難い空間に並べられた座席。その座席から覗き込むようにして、クラスメイト達が俺の事を見ていた。
「あ~あ、黒瀬さん起きちゃった」
「いいじゃない、しっかり寝顔を堪能できたし」
「黒瀬さんの寝顔、可愛かった~」
キャッキャッと話し始める女子達を眺めて、ようやくここがどんな場所なのかを理解できた。確か俺は臨海学校に向かう為のバスに乗って、それから―――
「そっか、俺・・・」
「出発してから、すぐに寝ちゃいましたね。お疲れですか、黒瀬さん」
「ああ、まあ・・・な」
他の女子同様に小さく笑う青嶋に苦笑を浮かべながら、答える。疲れているというか、実は昨日の夜、考え事をしていて寝付けなかっただけなのだが。
考え事というのも、今の俺にとってそんなものは一つしかなかった。新たに現れた襲撃者の事だ。二人の教員を海沿いの高台で撃退し、俺達を相手に歯牙にもかけない様な戦いをした、あの紫色の大型IS、聞けばパイロットの名前はアレッシア・アシュフォードというらしい。フローメル・サイエンステクノロジーの社員であると言った彼女の動向を千冬さん達、教員が探ってみたがトーナメント時に現れた襲撃者同様に情報は無く、フローメル社にもその様な名前の人物は登録されていないという結末にいたった。
だが、俺にとってあのアレッシアという女性がどのような素姓なのかは比較的に重要な事ではない。俺の過去に付いて何かしら知っている、という問題よりは。
しかもあの女性が最後に残した言葉。『番犬の長』、俺の過去を知る人間にとってこれほどピンポイントな言葉もない。つまりその言葉を知っているというのは、俺がどのような事をしてきたのかを知っている。
「何としてでも・・・聞き出したいもんだな」
「え?」
「あ、いや・・・なんでもないよ」
零れた俺のセリフに怪訝な顔をする青嶋に対して、なるべく心配を描けない様に誤魔化しの笑みを浮かべる。すると―――
『零司、大丈夫?』
頭に直接声がかかる感覚を覚えた。『黒天』のプライベートチャンネルで聞こえてきたのはシャルロットの声であり、中央の通路を挟んで隣に座る彼女に視線を送ると目と目が合った。
『あの一件以来、元気ないみたいだけど』
『ああ、大丈夫だよ。ちょっと考えるところが在るだけだ』
そう言葉を零す。どうやら俺が何かしらを悩んでいるのをシャルロットは薄々ながらも感じていたらしい。相変わらず鋭い娘だ。
『それに落ち込んでいるのは俺だけじゃないはずだ』
『うん・・・そうだね』
俺達は揃って最後部座席を見る。そこに座るのは一夏と篠ノ之とオルコットだった。
「一夏さん、自由時間は誰かと一緒に過ごす約束をしましたか?」
「いや、そういうのは特にないな・・・」
「そうなのですか、では私と一緒に・・・」
「別に良いぜ。そうだ、箒はどうする? 一緒に泳ぐか?」
「い、いや・・・私は・・・その」
この後にある自由時間の話をする彼らの姿はいつもと変わりないものに見えた。だがその心の奥では、確かにこの前の襲撃者の事が引っかかっているはずだ。一夏は自分の友人達を傷付けた奴を許さないだろうし、篠ノ之もそう思うはずだ。そしてオルコットにしてみれば、代表候補生としてのプライドもある。それを足蹴にされて、頭に来ないはずはない
『緘口令が敷かれているからおおっぴらには騒がないだろうけど、皆それぞれ悔しいし、許せないはずだ』
『そうだね』
『それに俺だって、皆を傷付けられているのに許せるほど寛容な心を持ち合わせていない』
『・・・零司』
『守って見せるさ、ここは俺の・・・俺達の居場所なんだから』
そうだとも、次に出会った時には・・・全力で立ち向かう。相手の力量はハッキリしていないが、俺の居場所を破壊しようとするなら、許しはしない。だから守る、守って見せる。そう決意する様に膝の上の拳を力強く握り締めた。その時――
「あの・・・デュノアさんがどうかしたんですか?」
青嶋に声を掛けられた。その声を聞いて、神経をシャルロットから外すと周囲の視線がこちらに集まっている事に気付いた。しまった、すっかりプライベートチャンネルで話し込んでしまっていたからか、完全にシャルロットと見詰め合う形になっていた。
「ああ、特に何にも・・・な、シャルロット」
「う、うん」
あちらも今状況に気が付いたのか、誤魔化す為に焦って頷いた。すると周囲の視線が一層、疑惑の色を深めるのがわかった。
「・・・・・じぃー」
特に隣の席の青嶋がジト目でこちらを見て来る。なんだかこんな視線を数日前に受けた気がする・・・あの時はシャルロットだったっけ? あの時は朝の襲撃があった後だったからなんとなくわかるけど、なんでお前がそんな目をするんだ、青嶋よ。
「そ、そうだラウラ。お前、そう言えば今日は自由時間どうするつもりなんだ?」
空気と共に話題を変えようと、俺はシャルロットの隣に座るラウラに声をかけた。だが返事は返って来なかった。そしてその代わりに―――
「・・・私は大丈夫だ・・・大丈夫・・・何も問題は無い・・・」
何やらブツブツとつぶやいている。一体どうしたというのか。正直言って、結構不気味だ。
「おーい、ラウラ。大丈夫か、お前」
「・・っ!?・・・は、はい! 私は大丈夫です! 問題ありません!」
俺の声がようやく鼓膜にまで至ったのだろう。ラウラは勢いよく立ちあがると、敬礼をしながらようやく返事を返した。そして―――
「運転中のバス内で立ち上がるな、馬鹿者」
「は、はい!」
バスの前方から聞こえてきた千冬さんの言葉に反応して、すぐさま腰を下ろした。見たところ何やら緊張している様だが・・・一体、どうしたというんだ。
「なあシャルロット、ラウラの奴は一体どうしたんだ?」
「えっと・・・深くは聞かないで上げて」
そう言うとシャルロットは苦笑を浮かべた。正直、気になるのだがルームメイトであるシャルロットの言葉に従う事にしよう。何もかも詮索するのも、あまりよろしい事ではない。
「海、見えて来たよ!」
ふと一人の女子がそう言うと、バスの中の騒がしさが外へと集中する。バスがトンネルをくぐり抜けた瞬間、窓の外に見える海はまるで歓迎するかのように陽光に照らされて、輝いていた。
例の襲撃者の事を考える事も大事であるが、俺は学生であり、学校の行事を行うのが正しいあり方である。だとするのなら、これからの三日間は少なくとも暇な時間は無いだろ。
(ともあれ、今日から三日間・・・忙しくなりそうだ)
そんな事を思いながら、俺はクラスメイト達と同様に輝ける水平線を眺めるのだった。
・
バスのクラスメイト達が海を確認してから数分後、俺達が乗ったバスは目的地である旅館へとたどり着いた。パッと見た感じでも純和風の旅館である事が窺える。
「ここが今日から三日間お世話になる花月荘だ。諸君、従業員の仕事を増やさぬようにしろ」
「「「「よろしくお願いしまーす」」」」
四台のバスから降りた各クラスの一年生は千冬さんの言葉の後に挨拶をする。それを聞いて、旅館から姿を現して、俺達の出迎えに出てくれていた旅館の女将が柔らかな物腰で丁寧な一礼を返した。
「はい、こちらこそ。今年の一年生も元気があってよろしいですね」
とても綺麗な人だ。歳はおそらく三十代くらいなのだろう。鮮やかな和風の着物が落ち着いた雰囲気と相まって、大人というイメージを強く植え付けられた。
「あら、こちらが噂の・・・?」
そんな事を考えていると女将さんは俺と一夏を見つけるとこちらに歩み寄って来ると千冬さんに尋ねた。
「はい、今回は男子同伴という事でそちらにもご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「いえいえ、その様な事は」
「今日から三日間、よろしくお願いします。女将さん」
「うふふ、どうもご丁寧に。清州景子と申します」
千冬さんと並ぶ美人女将に頭を下げると、それに一夏も続いた。すると女将さんも先ほどの様に丁寧に礼を返す。そんな俺と一夏を一瞥してから、千冬さんが口を開く。
「お前ら、問題を起こすなよ」
「俺は自分から進んで問題を起こす様な事はしませんよ」
「俺はってなんだよ、俺だってそんな事はしない」
「それを信じたいものだな」
そう言って小さいため息を吐く千冬さんを見て、女将はクスクスと愉快そうに笑う。しかしこういう笑いも気品があり、まったく嫌みにもならない。ここら辺が接客業をする人間の凄いところだと思う。
「それでは皆さん、お部屋にどうぞ。海に行かれる方は別館の方で着替えられる様になっていますので、そちらで。場所がわからなければ、いつでも業務員に申し付けください」
「「「「はーい!」」」」
女子一同が元気に返事を返すと女将さんは笑顔を浮かべたまま、旅館内へと俺達を導いて行く。玄関口を通り、縁側を越えて、それぞれの部屋がある通路にまで案内されると、女子達はすぐさま自分の指定された部屋へと入って行った。そしてそこで、俺は一つの疑問に打ち当る
「・・・って、俺の部屋って何処だ?」
どの部屋に行くのかと臨海学校のしおりに目を通したところ、俺の部屋が指定されていない事に気が付いたのだ。ちなみに隣に立つ一夏も訝しげな表情を浮かべていることから、俺と同じ事に気が付いたのだろう。
「俺達、まさか廊下で雑魚寝か?」
「んな馬鹿な・・・女子達と同じ部屋というわけにもいかないだろうから、さすがに部屋くらいは用意してあるだろ」
いつぞやのシャルロットの件もある。このテンションの高まった、バイタリティあふれる女子達が居る内で、それだけは教員として千冬さん達も了承はしないだろう。
「そこの男子二人、何をしている。付いて来い」
「二人とも、こっちですよ」
そんな事を考えていると、さらに奥の廊下へと進む道の前に立つ千冬さんと山田先生から声が掛った。どうやら俺達の不安は杞憂だったようで、安堵の息を吐きながら二人の後ろに続いた。
そして案内された場所にあったのは・・・
「『教員室』?」
扉に張られた一枚の紙を見て、そこに描かれた文字を一夏は読み上げた。廊下の先にあったのは離れた位置にある二つの扉、そしてその両方に『教員室』と書かれた張り紙。
「・・・何かお説教くらう事やりましたかね、俺達」
「説教をするのに、わざわざ部屋でする必要もないだろう」
この場所に呼び出された意図を測りかねて、頭の中で出た答えを口にすると千冬さんはそう言った。そうですよね、もし説教するならその場でチョップから辛口説教コースですからね。
「じゃあ、俺達はなんでここに呼ばれたんですか?」
「えーと、それはですね・・・」
一夏の質問に少し困った様な嬉しい様な複雑な表情を浮かべる山田先生。そんな隣で千冬さんはさも面白くなさげにその質問に答えた。
「臨海学校中の三日間、お前達にはこの部屋で過ごして貰う」
「・・・えーっと?」
千冬さんの話を聞いて、一夏が理解できていないのか首をかしげていた。ま、気持ちはわからんでもない。俺も理解できないわけではないが、どうしてこうなっているのかを思案しているところだ。
「本来ならば、お前達を二人で一部屋とも考えたのだが、それだと絶対に消灯時間を過ぎているのに部屋に入ってくる馬鹿共が出て来るだろう」
「ですから、私達で黒瀬君と織斑君を見張る事にしました」
「見張る・・・ですか」
苦笑交じりに呟く。でも千冬さんの言っている事もわからなくもない。ここに来ているのはただの旅行ではなく、学校行事として来ている。それも臨海学習、そう学習なのだ。ならば、ハメを外し過ぎてはならないし、節度を持った行動が義務付けられるのは当然である。
「ちなみに部屋割りは手前の部屋を私と織斑、奥の部屋を山田先生と黒瀬となっている。黒瀬、部屋の鍵だ」
そう言うと千冬さんは俺に鍵を手渡した。そう、俺達IS学園の関係者には節度を持った行動が必要とされる。だとするのならば、俺と山田先生の同室というのはいいのだろうか。一夏と千冬さんは姉弟だからいいとしても、俺と山田先生は知り合いと言っても他人同士だ。そして何よりも男女である。
「じゃあ黒瀬君、私は先に部屋に行っていますね」
「・・・はい」
そんな俺の心情はいざ知らず、山田先生は部屋へと向かって行った。心なしか足取りが嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか・・・
「あー・・・千冬さん? 俺はいいのかね」
「何がだ」
「いや、その・・・山田先生と同室で」
山田先生がいなくなったところを見計らって、俺が先ほど思った事を途切れ途切れながらも千冬さんに伝える。さすがに赤の他人である男女の同室はいかがなものかと・・・と。
「黒瀬」
すると千冬さんは俺の肩をがっしりと掴むと俺をまっすぐと見ていた。いつもと変わらない美しい顔立ち。だが何故だろうか、今向けられている美顔から発せられる殺意にも似た雰囲気は・・・
「わかっているとは思うが、この部屋割りはお前よりも優柔不断な織斑の方が女子からの誘惑に弱いと踏んでの事だ・・・だからな」
「は、はい・・・」
「くれぐれも・・・山田先生と間違いのない様にな」
「・・・っ!?」
その言葉を言われた瞬間に全身の毛孔から嫌な汗が濁流の如く溢れ出る。いかん、よくわからないけど、これはいかん! 今、この言葉に了承の意を返さなければ俺の人生とかその他諸々が終わってしまう!
「りょ、了解です! この黒瀬零司、全身全霊を込めて、山田先生との宿泊を健全なものとして行います!」
「そうか、それではな」
その場で敬礼してしまいそうな勢いの俺の答えを聞いて満足したのか、薄く冷たい、それこそ肝が冷えるという言葉がぴったりなくらいな笑みを浮かべると千冬さんは自分の部屋へと入って行った。
「・・・なんだったんだ、一体」
へたり込みそうになる自分を押さえる様に壁に手を付くと、素直な疑問を口に出した。注意するのだって、もっと普通にしてくれればいいのに。あんな事をやられたら、寿命が縮むぞ。
「零司・・・」
「・・・なんだ?」
「すまんな、なんか」
「・・・・いいってことよ」
その場で立ちつくす一夏の励ましにも取れる言葉を聞いて、俺は消えかかりそうな声でそう答えるのだった。
・
「あ、零司」
部屋割りでの一騒動合った後、山田先生よりも早く海に向かう準備をして廊下を進んでいると荷物を持った凰とばったり出くわした。
「よ、凰。お前も着替えか?」
「他にこっちに行く事は無いんじゃない?」
「それもそうだな」
そう言って、更衣室のある別館へと続く廊下へと並んで歩き出す。
「そういえば、一夏が千冬さんの部屋に居るって話は聞いたか?」
「聞いたわよ・・・よりによって織斑先生の部屋とはねぇ」
凰は重いため息を吐く。まあ、コイツの心情を考えればため息の一つも出るだろう。他の先生ならともかく、千冬さんじゃあな。もし侵入できたとしてもその後どんな目に会うか、わかったものではない。
「ねえ、零司。あんたなら織斑先生の事どうにかできるんじゃないの?」
「何故俺にどうにかできると思うんだ。あの人に対抗なんてしないぞ、俺は」
というより、出来ないと言った方が正しいのだが。
「何よ、少しくらい身を削りなさいよ。妹の友人の頼みなのよ?」
「頼みがあるなら、もうちょっと真摯な対応をしてほしいもんだ。それに俺はまだ命が惜しい」
二人で軽口を叩き合いながら、廊下を進んで行く。しかし、今更ながら思うが凰の様な友達が奏にできるとは、少し予想外だった。あいつは内向的な性格ではないが、単純に外へ出る機会が少なかったからな。
「・・・? どうしたのよ、急に黙り込んでさ」
「ん? いや、ちょっとな」
それに凰も奏に優しいというか、やたら親切にしてくれているところもあるのだろう。そういえば、どうしてこんなに奏に良くしてくれているのかは聞いたことがなかったな。
「凰はどうして奏に親切にしてくれるんだろう・・・そう考えていたんだ」
「何よ、急に」
「いや、親切にしてくれている事が嬉しいんだよ。だから、どうしてかなってな」
俺が訊くと凰は少し困った様な表情をしていた。もしかして、何か凰にとって言い辛い事があるのだろうか。
「・・・別に言いたくないなら―――」
「ちょっと、似ていたから・・・かな」
「・・・え?」
凰の呟きに、俺は足を止めた。似ていた、そう言った凰は俺に向かって続ける。
「基本的に器用なんだけど心の方は不器用で、優しいからこそ、頼れない。そして身体が弱いくせに、なんでも背負おうとしてしまう」
その奏に似ているという人物を思い出しているのか、凰は瞳を閉じて、語る。そんな凰の言葉に俺は黙って耳を傾けていた。
「なんていうか、放っておけないのよね。ああいう娘を見ていると」
そう言ってフッと微笑を浮かべる。ただその笑みは何処か影を帯びており、ただ一般的に聞こえる言葉以上、凰にとって深い意味合いを持っている様に聞こえた。
「凰・・・」
「それに仲の良い友達に親切にするのに、大層な理由なんていらないでしょ」
俺が声をかけると凰はいつも通りの明るい笑みをこちらに向けた。彼女の帯びた影に少し不安さすら感じたが、その笑みがそれを誤魔化す為のものである事を察して、言おうとした言葉を呑み込んで、笑みを返す。
「俺はお前が奏の友人で本当によかったって思っているよ」
「何よそれ、大げさね」
「そういうなって、俺は今心の底から嬉しいんだからよ」
「別にそんな・・・だ、大体あんたに喜ばれる様な事は・・・」
「俺にとって、奏を大切にしてもらえる事は自分の事よりも嬉しいんだよ・・・だから、ありがとうな」
「・・・うー」
素直な言葉を伝えると凰は照れているのか、少し朱色に染まった頬を掻いた。意地っ張りで挑発的なところもあるけど、やはり凰はいい娘なんだと心底思う。でなければ、あんな事を言えるはずもあるまい。こんな娘が奏の友人になってくれるのは、本当に、本当に嬉しい事だった。
「あ、あんた良くそんな恥ずかしいセリフを吐けるわね」
「お前も結構いいセリフだったぞ」
「わ、私はいいのよ! 友人だし!」
「じゃあ俺だっていいだろ、俺は凰の友人だし・・・それとも俺は友人じゃないか?」
「えっ・・・あ、いやそういうわけじゃないけど・・・ああもう!」
耐えきれなくなったのか、凰は叫ぶとニヤニヤと笑う俺に背を向けて、廊下をズンズンと進んで行く。
「おい、どうした?」
「うっさい! 私、先に行くから!」
照れ隠しにそう言い残すと凰は先に行ってしまった。そんな後ろ姿を見て、からかい過ぎたかと思いながらも、俺は心地よい笑みを浮かべていた。いやはや、こう見ると凰も可愛らしいものだ。
「一夏は幸せ者だな・・・ん?」
ふと空を見上げると、奇妙な物が視界に入った。それは逆三角形の物体、それもオレンジ色という明らかに空の青とは不似合いな色合いであり、それはまっすぐに落下して行き、ズドンッという激しい音を廊下の先から鳴らした。嫌な予感がする。何が嫌な予感かって、あのオレンジ色の逆三角形の物体を見た事があるからだ。
「まさかな・・・」
少し小走りに廊下の先へと向かった。そして別館へと続く通路に出たところで、俺は予想通りの光景に遭遇した。真っ先に視界に入ったのは通路の外に突き刺さった、巨大なニンジンである。生のニンジンではなく、イラスト用にデフォルメされた形をしたそれだ。
「おい一夏、お前は一体何をした」
そんなニンジンの前で何故か尻もちを付いている一夏へと問いかけると驚愕の表情のままでこちらに向き、口を開いた。
「ウサミミを引っこ抜いたら、ニンジンが降って来た」
「なるほど、わからん」
一夏の説明に俺がそう返すとプシューという空気の抜ける様な音を鳴らせながら、ニンジンが縦に割れた。そしてその内から嫌に陽気な声が聞こえてきた。
「あーはっはっは! 引っかかったね、いっくん!」
出てきたのは、これまた予想通りの人物だった。青と白のワンピースを着込み、一夏の手元にあったロボチックなウサミミを奪い取ると頭に装着、クルンと一回転した後に一夏へと向き直った。
「お久しぶりです、束さん」
そう、俺達の前にあったニンジンから現れたのはIS技術の開発者にして、全世界各国が血眼になって捜し回っている天才、篠ノ之束さんである。
「うんうん、おひさだね。本当に久しいねー、そ・れ・と」
ニヤニヤと笑う束さんの視線が一夏から俺に移る。ゲッと声を零しながらその瞬間に一歩後ろに下がったが、反応は一歩遅かった。
「れーく~ん!」
「うわっ、なんか来た!?」
束さんに飛び付かれ、俺は心の底から声を上げた。だがそんな事をお構い無しに束さんは力強く抱きついて来る。
「うーん、お久だよ、れーくん! 束お姉さん、寂しかったんだよー!」
「あーもう暑苦しいです! 離れてくださいよ!」
勢いのまま抱き付きながらクルクルと回る束さんを叫びながら襟首を掴んでベリッと引き剥がすと俺は深いため息を吐く。この人が来ると途端に騒がしくなるから困るんだよなぁ。
「と、いうか、なんでこんなところに来ているんですか?」
「おおっと、そうだった。いっくん、さっきまで箒ちゃんと一緒だったよね? 何処に行ったのかな? トイレ?」
「ええっとですね・・・」
一夏はまくしたてる様な束さんの質問に答え辛いのか、悩んだ風に呻いた。だがそんな一夏を見た束さんは陽気な笑顔を崩さないままで言った。
「まあ、私が開発した箒ちゃん探索機を使えばすぐに見つかるから別にいいや。それじゃあまたね、いっくんにれーくん」
束さんはそう言い残すと頭のウサミミの指す方向へと向かって、走り出して行った。というか、それが探知機だったんですか。それにどういう原理で篠ノ之を探知しているんだろうか。
「・・・嵐が来たようだ」
「ああ・・・そうだな」
そんな束さんの後ろ姿を見ながら、俺と一夏は虚しくも呟くしかできなかった。
EP31 End