いやー忙しい。夏は異常なまでに忙しい。むしろ仕事ない方なんですけどね、夏って…ホント何なんだろ…
最近小説書いていて、感想でもそれっぽいことが書かれていたためか、「ああ、高校時代が懐かしい」と感じるようになってしまった…あのころに戻りたい。
そんな前置きはさておき、話の続きです。ではどうぞ
食堂での勉強会が行われた、その日の晩。食堂の時の騒がしさを体感した後だと、自室の静けさが少し寂しくすら感じる時間帯。さすがに夜にもなれば日も落ち、外には爛々と輝く星々と月が顔を覗かせており、日中の猛暑もゆっくりと引いてきている。
「この時間くらいになれば、結構楽なんだがな…外に出る気にはならんけど」
一日の終わりに近づく夜空から机の上に広がるノートへと視線を移す。楽と言っても、多少は暑いことには変わりないわけで、今の俺の部屋にはエアコンから吐き出される涼しい空気が充満している。温度は28度設定。いやはや、快適である。
「よし、一段落だな…そろそろ時間だと思うんだが」
目の前のノートに物理の演習問題をまとめ終え、グッと身体を伸ばしながら、机の上に置かれたオーソドックスなベル付きの時計を確認する。時刻は只今8時5分前といったところ。夕食の時間は終わっており、約束の時間はそろそろのはずだ。
そう考えていると、部屋のドアがコンコンと控えめにノックされた。
「お、来たか…空いているから入っていいぞー」
ドアの向こうにいる人物に聞こえるように、少し声を張って入室を促す。しかし、ドアが開くことはないどころか、返事すら返ってこない。
「何をしているんだか」
おそらくノックはしたものの、ドアの前で緊張しているのだろう。なかなか入ってこない来客者に苦笑を浮かべながら小さくため息を吐くと、椅子から腰を上げて、ドアまで歩いていく。
「おい、青島。早く入ってこないと勉強が始まら…」
ドアの前にいるであろう青島に言いながら、開けると俺は少し言葉に詰まった。
「変なところとかない、大丈夫、私は大丈夫。ちゃんとお風呂入ってきたし、着替えもした。髪型も直したし、変な匂いもしないし、何も問題なし…でも私が気付かないところで問題があるかも…黒瀬さんは優しいから指摘しないかもしれないし…」
いや、まあ青島はドアの前にはいた。確かにいたんだが、勉強道具片手に何やらブツブツと独り言を喋りながらグルグルと同じところを練り歩いている。しかもそれが今も続いているということは、俺の声も聞こえていないのだろう。
「おい、青島」
「よ、夜に男子の部屋に行くなんて初めてだから、ちょっとくらいミスがあっても…でも黒瀬さんを男子と呼ぶべきなのかな…私たちよりも年上だし、見た目的にも「男子」という文字は合わないよね…」
「なんだとぅ」
軽くショックだった。男子という単語が似合わないといわれても、お前と俺は二歳程度しか違いはないはずだぞ。こちとら若い青年であろうとしているのに…青春くいっぱぐれたとはよく言うが、それでもまだまだ少年の年齢だ。
「誰が老け顔じゃ、誰が」
「おうっ!?」
若干失礼な事を言う青島に軽いチョップをくらわす。するとはやりこちらの存在に気づいていなかったのか、青島は明らかに女子の発する悲鳴ではない声を上げた。トドか何かか、お前は。
「く、くく黒瀬さん!?」
「どうも、黒瀬さんです…俺の部屋の前で怪しい行動をするんじゃないよ」
頭を掻きながら、呆れ気味に言いながら、周囲を確認する。理由はもちろん、誰かに目撃されていないか、という確認だ。ここは千冬さんの部屋の近くということもあり、あまり生徒は近寄らないが、もしも目撃されたらそれはそれは大変な騒ぎになる。
「早く入れ、誰かに見られるとマズイ」
「え、えっと私…」
ここまで来て、未だにあわあわと戸惑う青島。さっきの言葉を聞くに、男子の部屋に来るのは初めてということで、緊張するのはわかるのだが、こんなところでもたもたしているのも非常によろしくない。
「ああもう、ほら」
「あ…」
青島の手を取って、俺は部屋の中へと引っ張り込むと、奥に追いやる。多少乱暴になってしまったが、一応確認したところ人目はなかったから、とりあえずは大丈夫だろう。
「これでよしっと。これなら誰かに急に入られることはないだろ」
ドアに鍵をかけると安堵の息を溢す。これならいきなり誰かに入ってこられて、俺の部屋に青島がいる現状を見られるのは避けられる。
「こんばんは、青島」
とりあえず一息つける現状を構築すると、青島に向き直り、なんとも今更な挨拶をする。
「こ、こんばんは…」
そんな時間にやってきた…というより、俺がこさせたのであるが…青島は一度、俺から視線を外して、聞き取り辛くすらある、か細い声で挨拶をする。薄紅色に染まった頬と俯きがちの顔が、なんとも初々しい。
「ま、硬くなるなよ…って、それも無理な話か」
「は、はい…」
もじもじと太ももの前で指をいじる、というあまりにも乙女な動きをする青島。そんな姿は苦笑を漏らしながら、机の上に広げられた俺の勉強道具を片付けると、向き直る。
「ま、そのうち慣れるさ。というよりも、慣れてもらわないと困る。そんなんじゃ勉強に集中できないだろうからな」
「ど、努力します」
「上等上等…じゃ、さっそく始めますか」
そう言うと青島は強張り切った身体で力強く頷く。そんなガチガチで大丈夫かね、と考えながら俺はまだ苦笑を止められないでいた。
・
「…なるほど、青島を、か」
神妙な面持ちで千冬さんは呟く。学食での勉強会後に俺は職員室を訪ねていた。理由はもちろんのことながら、壮絶な頭脳をお持ちになられる青島を俺の部屋に呼ぶことについて、許可を貰う為だ。
「ええ、あれじゃ100%来週のテストには間に合いません。なので少しでも勉強時間を伸ばしたいと思いまして」
「……」
ギシッと腕組しながら椅子の背に寄りかかると少し考えるように千冬さんは黙り込む。いくら俺が「手を出さない」と言っても、女子である青島が男子である俺の部屋に行くのは、あまり道徳的に宜しい事ではない。しかし現状が現状な為に一方的にNOと言うのも難しいというところなのだろう。
「正直、許可出すのは難しいでしょうけど、それでもOKって言ってもらわないと困る状況なんですよ」
なので、こちらの意見を一押ししておく。実際、青島の成績はそれくらいに悪い。どうにかここで挽回しておかないと、今後の勉学にも影響を及ぼしかねない。
しかしあれだな。部屋に女子を呼ぶのに報告しなければならないというこの状況は、家に意中の娘を呼ぶときに親に確認する状況に似ている気がする。もし誰か女子を呼ぶときは一夏は毎回これをするのだろうか。そう思うと、ちょっと不憫。
「…青島の学業の状態を知っている身としては、お前の提案はやぶさかではない」
「はい」
「しかし、それに対して不満を漏らす者達がいることもまた事実だ」
そう言いながら、千冬さんは俺の後ろについっと視線を移し、それに続いて俺も軽くげんなりしながら首だけで後ろを振り向く。
「「……」」
そこには無言のままにこちらを睨みつける二人の女子。言わずもがな、シャルロットとラウラが立っていた。つい先ほどの言い合いが後に引いているのだろう、二人共まるで犯罪者を見るような目をしている。
「そんな目にもなるだろうな」
「俺はそんな酷い事をした覚えはないんですがね…あと、人の心を易々と見抜かないで下さいよ」
俺は教師でもないのに青島の勉強を真剣に心配しているだけであり、まったくもってやましい考えなど微塵もないというのに…誠に遺憾である。
「まあ、二人の言いたいことはわからんでもない」
「千冬さんまで…俺は別に青島に対して何もする気はないですよ」
「そうあってほしいものだが…」
そう言って、コーヒーを口にする。何か信じることのできない要素でもあるのだろうか。何故、ここまで俺の信頼が落ちているのだろうか。俺にとって、今後の課題になりそうである。
「まあ、お前が青島に手を出す、出さないは置いておくにしても、男子の部屋に一人で行かせるというのは、やはり問題になるだろう。理由はどうあれ、な」
「それは、まあ」
「わかるな?」と目で言われ、俺は頭を掻きながら頷く。無論、何の問題もなしに青島を部屋に入れることはできないとは思っていた。そしてその為に何かしらの条件があるのだろうというところも予測出来る。だが一体どんな条件を出されるのかはまったくもって予想できないでいた。
「部屋が近い私が付いているべきなんだろうが、生憎夜の見回りも任されていて、おそらく部屋に帰って来るのは深夜になるだろう…そこで、だ」
そう言いながら、ついっと千冬さんの視線が俺から背後にいる二人…というよりも、シャルロット一人に移った。
「デュノア、お前に監視を任せる」
「えっ…私、ですか?」
予想外のご指名に驚きながら自分を指さすシャルロット。そんな彼女に対して、千冬さんは淡々と話を続けていく。
「先ほどの話で分かるように、今晩も私は見回りでな、手が空いていない。だからお前に任せることにした」
「え、でも――」
「ま、待ってください教官! それなら私びゃ!?」
千冬さんに何か言おうとしたシャルロットよりも早く、ラウラはその身を乗り出さんばかりに話に食いついた。だが次の瞬間、俺の真横を結構な速度で通った物体がラウラに直撃し、奇声を発しながら崩れ落ちる。
「ボーデヴィッヒ、私の役職は何だ?」
「きょ、教師であります…」
「理解はしているのだな、では今後はそれ相応の対応をするようにしろ」
「りょ、了解しました…」
フラフラと立ち上がるラウラの額から張り付いていた消しゴムが落ちる。なんだか懐かしいやり取りだ、頭が痛くなる。それと、さっき飛んで行ったのって消しゴムだったのか。いきなりで全然わからんかった。
「で、なんだ?」
「レイジの監視ならば、私が適任であると申請します」
立ち上がるラウラは千冬さんに尋ねられ、ビシッと姿勢を正すと、先ほどの発言の続きを口にする。
「それはなぜだ?」
「私の方が監視役としては優れているからです」
「…ほう?」
ラウラの言葉に含みいっぱいの一言を口にする千冬さん。ああ、これはいかん。ラウラ、引くなら今のうちだぞ。
「ではお前は渡された課題は全部終わらせたのだな?」
「え?」
「まさか欠片も終わっていないのに、こんなことを言い出したのか? まさかそんなことはしないだろう?」
「そ、それは…」
「もし終わっているならば、提出期限をお前だけ早めにしようと思うのだが」
「……出過ぎたマネをしてすみませんでした」
「そう思うなら最初からするな、馬鹿者め」
千冬さんに鋭く追い詰められて、ものの数秒でラウラは撃沈した。言い負かされたというよりは、威圧感に負けたみたいだが…どちらにしろ可哀想に…
「というわけで、ボーデヴィッヒは無理だ。デュノア、お前に任せる」
「えっと、私でいいんでしょうか?」
「それなりには信頼している」
それなり、という言葉が出て、シャルロットは苦笑を浮かべる。完全には信用していないのか。まあ、今まで俺とシャルロットの間にあった出来事を考えるに、完全には信用しないっていうのは妥当なのかもしれない。
「シャルロットにはラウラの勉強を見てもらった方がいいんじゃないですか?」
「定期的に、不意打ち気味に確認しに来ればいい。そこまで部屋も遠くあるまい。なあ、デュノア」
「は、はい」
そう言って頷くシャルロット。これはもう見に来る気満々って感じだな。見に来ること自体は別に良いんだけど、それでラウラの勉強に支障が出るのだけは勘弁してほしい。
「大丈夫か、お前」
「…努力します」
ガックリと肩を落とすラウラに声をかけるが、沈んだ声しか返ってこない。可哀想なラウラよ。あとでしっかり勉強を見てやるから、なるべく早めに終わらせような?
「私的にはボーデヴィッヒの成績以上に黒瀬の貞操の方が問題だ。頼んだぞ」
「教官!?」
「先生と呼べと言った!」
本日二発目、千冬さんの怒りの消しゴムがラウラの額を捉えた。ベチンという皮とゴムのぶつかる音が確かに俺の耳にしっかりとこびりつくのだった。
・
Side 青島雫
「…という話が合ったんだ」
「はぁ…」
非常に疲れた顔をした黒瀬さんの言葉に私は相槌を打つ。黒瀬さんの部屋に来て、勉強を始めて五十分ほどが経過した。目の前に広げられた数学の教科書と参考書に羅列された呪文のような言葉は未だに頭の中に入ってはこないけれど、その難しさ故なのか、部屋に来たばかりの時に感じていたみっともないほどの緊張も徐々に和らぎ、こうやって黒瀬さんの話を多少なりとも聞けるほどになっていた。
「じゃあデュノアさんも部屋に来るんですか?」
「まあ定期的だから、顔出してすぐ帰るんだろうけど」
言いながら、黒瀬さんは部屋に置かれた冷蔵庫に入れてあったインスタントの麦茶をコップに注ぎ、私の前に持ってきてくれた。「ありがとうございます」と頭を下げて、ペンを置くと麦茶をゆっくりと飲む。ほのかな苦みのある冷たい液体が喉を潤す。
「時間も決まってないんですよね?」
「不意打ち気味でないと意味がないらしい」
ため息交じりに黒瀬さんは自分の麦茶の入った湯呑を傾ける。不意打ちでないと意味がない。その意味は分からないでもないけれど…結構本気で警戒されているんだ、私。
「…色事を交わす仲でもないのにな」
「ッ! ゲホッゲホッ!」
「っと、おいおい大丈夫か?」
「だ、大丈夫です…ケホッ」
いきなりボソリ呟かれた一言に驚いて、むせ返ってしまった。ま、まさか直球で口に出すとは思ってもみなかった。黒瀬さん、いくらなんでも不意打ちすぎます。
「ここ五十分で落ち着いたと思ったが、俺の見当違いかな?」
「お、落ち着きは…しましたけど…」
完全にというわけではない。というよりも、いきなり男子の部屋に上がって緊張しない女子の方がどうかしていると私は思う。ここは女子の…私の部屋とは全然違う空間であり、ましてや気になる男子の部屋…それに夜に二人きりという状況…
いけない、意識したらまた緊張してきた…
「さっきも言ったかもしれないが初めての男子の部屋で緊張するのもわかるけど、筆進めないと終わるものも終わらないぞ。さあ勉強勉強」
「う、うう…はい」
おそらく私の緊張を少しでも和らげようとしてくれているのだろう。いつもと同じ笑みを浮かべて、黒瀬さんはそう語り掛けてくる。しかし、今の私にその笑顔は逆効果だったりするのだ。
(…頭に入らない…)
私にとって、まるで戦場のような空気を纏う部屋の中で勉強という過酷な戦い。そして私の目の前に広がる戦うべき数学たちの問題は脳がその情報の侵入を拒むかのように一向に記憶に刻み込まれる節はなく、勉強机に二人でついているということは真横には必然的に私にとって最大の障害である人が座っているわけで…
(結論、無理。勉強絶対無理!)
実質、私の教科書は二ページほどしか進んでおらず、内容も小指の第一関節くらいしか入っていない。これだけ緊張するならば、むしろデュノアさんに来てもらった方が…
「青島…おーい、青島」
「ッ!? ひゃい!?」
声かけられているのに気付かずに、素っ頓狂な声を上げてしまった。まったく声が聞こえてなかった。考え事していたとしても、もうちょっと聞こえていてもいいでしょうに…ああ、恥ずかしい。
「なんだ、また変な妄想でもしてたのか?」
「またって…そ、そんな変な妄想しませんよ?」
「昼間に絶妙な妄想をかましてくれただろ」
何を言っているんだか、といった表情の黒瀬さんにそう言われ、グッと言葉に詰まってしまう。そりゃ、確かに昼間は私のいけない妄想がちょこっと…ほんのちょこっと漏れたかもしれないけれど、それだって…
「それは…黒瀬さんがあんな誘い方するのがいけないと思います」
「俺は勉強会をすると言ったんだかね…まあ言いたいことは分からんでもないけどさ」
ちょっと反撃気味に言うと、黒瀬さんは天井を仰ぎながら、呟いた。この人は時々自覚がないのかあるのかわからないところがある。そこに不満があるわけではないけれど、少しその行動に戸惑ってしまう。
「ほかの皆も勘違いしちゃうかもしれませんよ?」
「ていうか、してたな。それもあって、こうやって内密にってことになったんだけどさ。いやはや、青島のルームメイトが篠ノ之で助かった」
あっけらかんと言う姿に私は内心でため息を吐いた。デュノアさんもボーデヴィッヒさんも、やっぱり黒瀬さん相手だと大変そうだな…私もだけど…
「あの…黒瀬さん」
「ん? どうした?」
湯呑を置く黒瀬さんは頬杖をついて、小さく首を傾げる。自分から今晩部屋に来るようにといって、あまり動揺もしなければ、余裕の態度を貫いている。私としてはあの言葉を言われて、つい先ほどまで頭の中が真っ白になるくらいに緊張していたというのに、まったく黒瀬さんにはそのような素振りは見えない。いくら勉強会だからといって、少しくらいは意識してくれてもいいのではないかと、私は少なからず思っていた。
だからそんな少し鈍感な黒瀬さんに、問いかけることにした。
「黒瀬さんは…その…」
少し言葉に詰まる。今から質問しようとしていることはあまりに直球であり、失礼だとも思える、そんな質問。本来ならしなければいいだけの事なのだけど、私はどうも気になってしまっていた。
「…誰かと…そういう関係を持ったことはあるんですか?」
そんな不躾な私の質問に黒瀬さんはキョトンとした顔で口を開いた。
「そういう…というと?」
「今日みたいに…女子を部屋に呼ぶような関係…です」
「…ああ、なるほど」
納得したように言うと椅子の背もたれに寄りかかる。
「なんだか、ああいうことを言うのにも余裕があるというか…手馴れているといいますか…」
「……」
「もしかして、デュノアさんやボーデヴィッヒさんとは…そういうのじゃないのかなって…」
口から出てくる言葉はもはやド直球を通り越してデットボール級の失礼なことばかりであり、もはや自分でも何を言っているのかわからなくなってしまいました。もう笑うしかありません。黒瀬さんも妙に真面目な顔をしているし…ああ、私ってホントバカ…
「えっと…変なことを訊いてすみません…」
粛々と声のトーンを下げながら、頭を下げる。ああもう本当に何をしているんだろう、私は。こんなことを聞くなんてまた変な娘だと思われちゃう…
「い、今のは聞かなかったことにして、勉強の続きを―――」
「…あったよ」
―――えっ…
ポツリ、と。小さく、本当に小さく聞き取るのも難しいくらいの声色で、黒瀬さんは零した。
「黒瀬…さん?」
そんな黒瀬さんを見て、私はいつの間にか浮かべていた笑いを消していた。うつむき加減に呟く彼の顔には小さく微笑が浮かべられていたが、その笑みはどこか儚げで、見方によっては悲壮とも取れる静かな悲しさがあった。まるでなくしてしまった思い出を噛み締めているような…
「えっと…」
私の知っている黒瀬さんは、もっと気さくな笑みを浮かべていて、ほかの皆と合わせた私たちを優しげに見ていてくれた。だから、こんな悲しげな表情の黒瀬さんを目にするのは初めてだったし、そのおかげで私は悟った。
私のした質問は黒瀬さんのもっとも触れてはいけない部分だったのかもしれないと。
「……青島」
黒瀬さんは私の名前を呼ぶとゆっくりと顔を上げる。たったそれだけの動作なのに、おびえなのだろう、私はビクッと体を震わせた。だが当の黒瀬さんのその顔からは先ほどまでの憂いを帯びた表情が和らぎ、話を出す前のそれに戻っていた。
「集まってもらったところ悪いけどさ…今日はここら辺にしようか」
ただそのいつもの表情すら、どこか貼り付けたような違和感があり、私は黒瀬さんを直視することができずに――
「…はい」
―――短く返事をして、頷くのだった。
Side off
・
チクタクチクタクと時計の針の音が無音の部屋に響く。普段なら何気なく鳴り続けており、聞きなれているはずのこの音すらも、今の俺にとっては心のざわめく音のように聞こえてならない。
「何をやっているんだか…」
その時計に目をやると午後九時五分を回ったことに気が付く。つまり、青島を部屋から帰らせてから、十分ほどが経過したことになる。だが俺の内心に浮き上がった黒い靄は未だに晴れることがなく、ゆらゆらと漂いながら、胸糞悪い感覚を振りまいている。
「はぁ…」
ため息。何に対してのため息かといえば、原因は一つ。自分自身だ。
『今日みたいに…女子を部屋に呼ぶような関係…です』
青島につい先ほどされた質問。唐突に出されたそれに、俺はただひたすら揺さぶられていた。おそらく青島からすれば、興味本位の質問だったのだろう。あの娘も年頃、ましてや女子校に通っているのだから、そういうことに興味があるのは当たり前だろう。
「だったら、それなりの答えを言えってんだよ、間抜けが」
それができなかった自分自身を罵倒する。本当に間抜けだ。相手はそんな答えが返って来るなんて予想できるはずもないのに、俺は青島になんて答えた?
『…あったよ』
「…本当に…間抜けもいいところだ」
なんで、なんで答えた。なんで真実を口にした。もっとも自分の語りたくない真実を、何も関係のない人物に打ち上げた。何も知らないから、受け入れられるとでも思ったのか。知らない人間からすれば「悲しいお話」で済むとでも思ったのか…
…ありえない。自分の悲しみや後悔を他人に押し付けるなんて、やってはいけない行為だ。
特に俺みたいな、誰かが背負ったら潰れてしまうような荷物を持っている人物が、それをするのは暴力じみた行為だ。理解している…はずだったのに。
「弱くなったもんだな…」
弱々しい自嘲気味な笑いが浮かぶ。弱い、本当にそうだ。昔の自分が強い人間だったかと問われれば、決してそんなことはなかった。周りの人間に支えられ、前に進むことも一苦労で。むしろそのころから俺は弱い人間だった。だがそれでも、今ほど惰弱ではなかったはずだ。
背負うものがあるままに、皆に会い、仲間となり、寄りかかれる人々として自分勝手に考え、それに甘えようとしている。駄目だ、それだけは絶対に駄目だ。もしそんなことをしてしまったら、俺はおそらく自分を絶対に許せはしないだろう。
『もしかして、デュノアさんやボーデヴィッヒさんとは…そういうのじゃないのかなって…』
シャルロットやラウラの姿が頭に浮かび、すぐに霧散する。あの二人が、青島はそう考えていたのだろう。確かにあの二人とは、仲良くしている。だがそれとこれとは全くの別問題だ。おそらく、俺が真の意味であの二人を愛することができるかと言えば…俺は「いいえ」と答えるだろう。
もしそれが「はい」と答えられる相手がいるとすれば、たった一人、奏だけだ。
愛しい家族。愛すべき妹。そして俺の過去を確かに知る数少ない存在。奏からすれば、俺の存在は頼れる兄であったりするのかもしれない。だが俺はそんな良いものではない。
俺は奏を愛している。だって――
――俺は奏以外を愛するわけにはいかないのだから。
「……ッ」
息が詰まる。胸が苦しい。視界が染まる。それがいつもの発作であることは、すぐに分かった。そしてその原因も、理解した。だがそれでも俺の頭の中で渦巻く言葉は消えることがない。
愛してはいけない、愛することなどあり得てはならない。
俺は一つの愛のために犠牲にした。
かけがえのないものを犠牲にした。
二度と戻らない意志を、二度と戻らない思いを、二度と戻らない…その人を
許してくれなどとは言わない。
永遠に俺を蝕むならば、そうすればいい。
「全部…俺だけが背負えばいいのだから…」
この悲しみも、この後悔も、この痛々しいほどの悲哀も、全部俺が抱えて、潰れてしまえばいい。そうすると決めた。そうするしかないと諦めた。だから俺は今ここにいて…今たった一人の家族を愛し続けている。
「まるで…呪いだな」
酷くなる息苦しさと頭痛に意識に霞がかかり始める中で呟くと、俺の視界に人影が写り込んだ。ぼやけた視界ではそれが誰なのかははっきりとわからない。だけど俺の意識はそれをとらえた瞬間に、刻み込まれた呪詛を
…私はあなたを…
「……すまない」
思い起こされる、どこまでも澄んだ声色と涙と共にこぼれた自身の言葉を耳にしながら、俺の意識は暗闇へと落ちていくのだった。
EP49 End
はい、EP49終了です、如何でしたか?
なんだか話の方向性がブレッブレですね。申し訳ない。そして出てこないシャルロット…俺は何を書いているんだ…。言い訳がましいですが、初期段階でこの話を書くときはシャルロットメインだったんですよ、それがいい感じにまとめていく過程でこんなことに…何故だー!
前も書いたかもしれませんが、なるべくいろいろなキャラに出てきてほしい。スポットライトを当てたいというのが、私の執筆する上での希望なのでどうしてもいろんなキャラの話を書きたくなってしまうのです…あれ? 誰かメインの話って無理じゃね?……いやいや、できるって頑張れ私。
なんだか零司の発作を書くのが久々な感じです。結構書くの難しいんですよね、中二的表現も書くの難しいですし。この豆腐メンタルが!
今回も読んでいただいてありがとうございました。もしよろしければ今後も応援していただけると嬉しいです。
それでは、また(^ω^)ノシ