砂漠のような大地、真っ青な空、調子に乗って浮かれている太陽、ぽつんと目立つ……街。しかし、街のある地帯は自然の恵みを受け取っているのか、緑に囲まれていた。不自然なほどに砂地と草原の境界線がはっきりしている。
砂漠の方に視界を移すと、渓谷が連なっていた。二つに分かれていて、その間に川は流れていなく、代わりに道となっている。自然の要塞と形容してもいいほどに立ちはだかり、ミルクココアの色をしていた。そして、暑い。直射日光からの放熱で、焼き石の上に立っているような暑さが立ち込めている。
その渓谷の頂上に、誰かがいた。黒い何かを足元に置き、草原の方を眺めている。
男だった。七分袖の白いシャツに薄手の布でできた白い羽織を着ていて、青いチノパンを履いている。靴は土の
「……行くか」
「飛び降りる勇気が出たのですか?」
四角い物体がネックレスとして黒い紐で通され、服の前に飾られている。水色のようなエメラルドグリーンのような色をしていて、
「電池取るぞ」
「どうぞご自由に。困るのはあなたですから」
「……エラソーに……」
青年は
「唯一認めているのはあなたの鋭い感性くらいです」
「褒めてんのかけなしてんのかわからない……」
青年は降り始めた。
渓谷を何とか降っていき、地上に辿り着く。空が遠く感じた。
砂漠を渡り歩き、遂に一歩先が草原というところまで着いた。既にかなりの汗をかいていた。
男はくるりと振り返る。自分が先ほどまでいた砂漠や渓谷。なんとなく哀愁漂わせるものを感じたのか、ネックレスの四角い物体を手に取り、適当に操作して、ぱしゃりと電子音を鳴らした。
「よし」
男は一歩を踏み出した。足の裏に伝わる草を踏む感触。それに感動して、走った。
「ダメ男、はしゃぎすぎです」
“ダメ男”と呼ばれた男は、
「久しぶりに……っというか微妙に涼しいな」
四角い物体“フー”に怒られた。澄んでいて綺麗で冷淡な女の声だ。
ダメ男の言う通り、草原に入った途端に涼しくなった。微風が撫でてきて心地好い。
「お、見えてきた」
そして街が見えてきた。壁が街を囲い、
さらに近づくと、緑色の正体が分かった。
「ツタの葉がびっしりですね」
「ここが古い街かもしれないな。ちょっと楽しみだ」
ダメ男は門に着いた。駆動式なのか、上に鉄鎖が掛けられていて、中へ侵入している。しかし、誰もいない。門の脇に受付があるが、人がいなかった。どこにも何もない。
「既に滅んでいるのではありません?」
「それはないだろう。まぁどっちにしても、せっかくのご好意だし無下にできない」
ダメ男は荷物を下ろし、待ってみることにした。
「まぁ、少し待ってみようか」
「ダメ男は人が
「何も起こらなきゃ、他を目指すよ。それでいいじゃない」
「仕方ないですね。ちなみに噂では、この先にある街は普通の街みたいですよ」
「い、いつの間に……」
「ダメ男が夢中で品物を見ている間、商人さんに聞いたのです」
「……あの時か。だってさぁ……」
談笑しながら、とりあえず待ってみることにした。
待ってみて待ってみて、
「いくらなんでも、これは何もないと判断した方がいいと思いますよ。もう五時間以上経過しています」
夕方になった。
「確かにな。でも、ここの景色も悪くないしさ、今日は野宿しようかなって」
「ダメ男がそう言うのなら、仕方ありませんね。その馬鹿正直さに、もはや呆れたとしか言えませんよ」
「んじゃ、準備するか。今日は晴れてるから、星がよく見えそうだ」
ダメ男は門の近くで野営をすることにした。リュックから黒い傘のようなものを取り出し、順序よく組み立てていく。
「“テント
「“テント
「そこだけはやけに
次に、唯一草が生えていない門の前で石を並べて、火を起こした。そこに金網を敷いて、厚底の鍋を置き、水と何かの粉末を溶かして温める。
ぼうっ、と焚き火が映えてきた頃、すっかり日が沈んでいた。昼間と違って冷え込んでいて、焚き火の熱が身体に染みる。
空は月がないものの、点々と星が
「綺麗ですね」
「そうだな。これだけでも、来た甲斐があったと思うよ」
にこりと笑った。
ダメ男は鍋からコップで液体を
「はぁ」
さらに身体が温まる。
ダメ男は折りたたみ式の小さな椅子に腰掛けた。
「疲れていますか?」
「え?」
唐突に
「なぜここで野宿するのかを考えていました」
「あぁ、確かに疲れてるけど、こうして旅をしてるのが楽しくて、むしろ疲れてるのを忘れるくらいだ」
「そうですか」
「本当に心配症だな、ったく」
「心配などしていません。唯いっしんぱいスるとすレばで、デンチガ……」
「わ、わぁぁ! だからそういうのは早く言え! 電池切れかけのフーの声は怖いんだよ!」
ダメ男はあたふたしていた。
ちなみに、この時のフーの声はしゃがれて呻いているような、それに砂嵐が混じったような声らしい。それはまさにダメ男の嫌いなものの声に似ているという。
翌日の早朝、フーが目覚める時には既にダメ男は起きていた。リュックからナイフを取り出していて、練習をしていた。それを終えた後、身に纏う衣服を全て脱ぎ捨て、お湯に浸したタオルで身体を拭いていた。フーの視界では、ダメ男は背を向けている。
「ダメ男」
「おはようフー、起きたか」
振り返ろうとしたダメ男にフーは、
「振り返っちゃだめです!」
全力で言い放った。そして、
「なぜ裸なのですか? 土に
全力で
「だって汗で気持ち悪いし汚れてるし、フーが寝てる間に済まそうとしたんだよ。そしたら起きちゃうし……」
ダメ男は真面目に答えた。
「ダメ男にしては正論ですね。人もいませんし、お風呂もありませんし、訓練後なら仕方ありませんね」
「第一、人はな、産まれたときは裸なんだ。逆に、なんでそんなに恥ずかしがる必要がある? 産まれたときのすがた、」
「その発言はNGです。もはや原人の発言ですよ。とにかく
「三段切腹っ?」
「かの、“ハマチハンペン”が成し遂げたとされる切腹ですよ」
「三枚おろしかよっ! みんな食べ物じゃん! 確かに成功しそうだけどな!」
「これだからダメ男はダメなのです。今や歴史ブームなのです」
「オレは過去に用はない」
「それでも時は動いているのです」
「……なんかそれかっこいいな……」
「そんなことより早く衣服を着てください。クズ男」
フーの声に、もはや温情の“お”の字の一画目もなかった。
「……ごめん。でも、リュックさ……テントの中にあるんだよ……」
そのテントはというと、なぜかフーの真横にあった。フーは沈黙するしかなかった。
ダメ男はしっかり隠しながら、テントに入り、きちんと服を着た。黒のだぼだぼセーターにダークブルーのジーンズ、黒の履きならしたスニーカーを履いて、ぐっと背伸びした。セーターにはフードが付いていて、もこもことしたファーが縁に装着されている。袖は掌が半分くらいまで覆い、裾はジーンズのポケットを完全に隠すくらいに長かった。
「ん、んぅ……お待たせ」
「とにかく死んでください」
「悪かったって……」
とりあえずダメ男は、朝食を食べることにした。昨日の残りのスープと携帯食料をもくもく食べる。さくさく、ずずっ、はぁ……、と門を見ながら食べていく。
「やはり滅んでいるのでしょうかね」
「滅んでるなら門くらい開けてほしいもんだ」
「身体の清拭をするなら、もう少し人目のつかないところでしてほしいものです」
「引っ張るねぇ」
「ちくちく言わないと覚えないですからね」
「ごめんなさい」
朝食を取り終える。その頃にはすっかり青空になっていた。温かい日差しが降り注ぎ、身体の中から高揚を覚える。
すくっ、と立ち上がり、門の前にやって来た。
「誰かいないのかぁっ!」
ダメ男の言葉はどこにも届かなかった。厚い鉄壁に跳ね返される。
なぜかうずうずしていた。
「ダメ男、まさか良からぬことを考えていないでしょうね?」
「ここまで拒否する国なんてそうそうないよ。なら、受けて立つ!」
「やっぱり」
ダメ男は荷物を整理してみた。調理セットや救急セット、テント傘、食べ物飲み物、アタッシュケースなど、必要最低限の物はある。それと黒い袋があった。開けてみると、容器と
ダメ男はジャケットと砥石、容器を取り出した。ジャケットから掌サイズのナイフを抜き取る。数えてみたら全部で三十八枚あった。それを一本ずつ砥石に丁寧に
次にセーターの左胸からナイフを取り出した。朝練習に使用していたものだった。握りは黒い骨組みとその隙間を埋める透明の膜で構成されていて、柄の先端にあるボタンを押しながら振り抜くと、刃が出てくる。仕込み式のナイフで、どちらも拳三つほどの長さがある。
これも砥石とクリームでお手入れを施していき、自分の右腕で切れ味を確かめた。やはり血は出ない。
最後に“テント傘”や石などを片付け、灰は地面に埋めた。荷物を綺麗にまとめ、入口らしき門お近くに立てかけた。
「よし、準備完了。この鉄壁を攻略するよ」
いつになく真剣な面持ち。
「できれば無視して次の街に行きたいのですけどね」
「やだ。それだと逃げたような気がするから。それにフーだって気になるでしょ?」
「それはそうですけど」
ダメ男はにんまりした。
「“開かぬなら、開けてみせよう、×××さん”」
「“これぞ正しく、馬鹿の典型”、ですね」
「何ともお後がよろしいようで」
コメカミのあたりに血管が浮き出ているように見えるが、フーは気のせいということにした。
ダメ男は外壁を叩いてみた。
「……」
まるで分厚いコンクリートを叩いたように、全然音が響かない。
「相当厚いですね。一メートルではきかないですよ」
「どこか別の入口探すか」
「むしろ最初にすべきことですよね。昨日にでもできたことですし。そこに頭が回らないとはさすがですね」
「うっさい」
コメカミのあたりから今にも血が吹き出しそうな気配がしたが、フーはカルシウム不足だと思うことにした。
今度は押して殴って蹴ってみた。びくりともしない。しかし、
「砕けたようですね」
「あぁ、オレの骨がなっ。いってぇ……」
成果はないことはなかったらしい。
続いて、助走をつけて、思いの丈の力でタックルした。これもびくともしない。
むむむ……と考え込む。不意にあっ、と声を上げた。
「ひっらめいた」
「何をするのです?」
「こうしてみる」
ダメ男は門にびっしり生えているツタをつかんで、ぐっと引いてみる。みしみしいうが、登れることは登れるようだ。
「“押してダメなら引いてみろ”ってね」
「まぁダメ男の存在にはドン引きですけどね」
「いちいち毒づくんじゃないっ」
よじよじ。ダメ男は虫のようにツタを登っていく。ぎちぎちと不穏な音を聞かせるが、慎重に伝っていく。
「けっこう高さがあるのですね」
ビル三階建ての高さがあるだろうか。その半分ほどに到達した時、
「ダメ男、とっても怖いことになっています」
「なにが?」
ぎちぎちがみしみしへと変わり、ぶちり……。
「ツタが切れています」
「!」
完全に切れる前に急いで降りた。
「ツタも無理そうですね。いいところまで行きましたけど」
「……何か、どんどんオレが
「最初からです」
「……」
不意に泣きそうになった。
その後もいろいろ試した。ナイフで門を削ってみたり、ハンマーで叩いてみたり、釘を打ち付けたり、そこら辺にあった石を投げ付けてみたり。しかしどれも効果が全くなかった。
「なんなんだこの門は……。戦車でも持って来いってか……」
「逆に好奇心が湧いてきました。不思議な物質ですね。これが言っていた“面白いもの”で間違いないでしょうね」
「むしろムカついてきた。こうなったら奥の手二連発だ」
ダメ男はポーチから黒い袋、リュックからアタッシュケースを一つ出した。黒い袋は門に置き、その他荷物を全て持ってかなりの距離を取った。
「何ですか?」
「見てからのお楽しみ……ぐふふ……」
不敵に笑う。ダメ男の表情は明らかにダークサイドだった。
ケースを開けると、中は赤いクッションにはめ込まれたパーツがいくつもあった。それらを手際よく組み立てていく。
完成したその姿は丸い煙突のようだった。煙突の後ろから何かを装填する。
「ダメ男、まさか!」
「砕け散れえぇぇっぇぇぇぇ!」
ぽしゅっ、と何かが発射された。照準は門、とりわけあの黒い袋。直撃すると、
「わっ」
暴風が中心から吹き荒れる。周りの草原は外へ外へと
爆心地はというと、爆炎と黒い煙がもうもうと立ち上り、砂埃と黒い煙で見えなくなっている。しばらくすると爆炎は空の彼方で消失し、代わりに黒煙が立ち込める。地面は隕石が衝突したように大きいクレーターとなっていた。
「大丈夫ですか?」
「なんとか……かおいたい」
右頬が真っ赤になっている。
「明らかにやりすぎです」
「……ごめん。はっちゃけちゃった」
てへっ、と舌を出して笑った。
「ダイナマイトにロケット弾ですか。ダイナマイトはともかく、よくロケット砲を持っていたものです。リュックの中は異次元ですか?」
「“備えあれば憂いなし”っていうだろ」
「備えが物騒すぎて不安になるレベルです」
しかしヤツは、
「! うそだろっ?」
生き残っていた。
ダメ男は草っぱに燃え移った火に気をつけながら近寄ってみると、門は焦げていたが、形はしっかりと残っていた。クレーターは門直下の地面を
クレーターに下りて、組み立て式スコップで少し掘ってみる。
「すごいですね」
「第二作戦も失敗だな。もし地上だけだったらトンネル作って下からくぐってやろうと思ったんだけど……」
「なるほど。目の付け所がいいですね。ですが、相手はそれすらも
ダメ男はごつごつと蹴りを入れた。
「これは逆にこれはすごい。これだけ頑丈なら、材料に使ったら最強だ」
「でもダメ男、この門は“加工されています”よ?」
「……!」
ダメ男のコメカミに一筋の汗が滴る。
「ってことは、これを上回る機械やら器具やら、加工する道具があるってことか? それもこの中に……?」
「そういうことになりますね」
「……」
一気に戦意喪失した。
「……行こっか」
ダメ男は荷物をまとめて、そこを後にした。
ある所に大層仲の悪い旅人夫婦がいた。事ある毎に
大草原の中歩いていると、目の先に街が見えてきた。城壁に囲まれ、いかにも頑丈そうな作りだ。
ここが面白い所らしい、と男が言う。女は、あっそう、と興味ないようだった。
男は門へと足を運ぶも、門番もいないし、門が開く様子はない。苛立っていた女が蹴りを入れると、ぐしゃりとひしゃげてしまった。
男も
中は死体の山だった。ハエやウジがたかり、どす黒い血溜まりと肉の海が無造作に放置されいる。この世のものとは思えない光景に男も吐いた。すると男の背後から女が。
甲高い悲鳴と轟音が何回も響く。悲鳴が止んでも、轟音は止まらなかった。
すっかり夜が更けている。何かの鳴き声が寂しく独り歩きする。
そんな夜中に仄かに明かりがついていた。闇夜に溶け込んでいく橙色、そのおかげか、ダメ男とテントが仄めく。焚き火だ。石を積んでカップを加熱していた。辺りの地面は燃えるものがないようだ。
ゆらゆらと炎が揺れ動く。ダメ男は雲を眺めるように、ぼーっと眺めていた。
「……」
「ダメ男?」
フーはダメ男の膝の上から呼びかけた。
「なに」
棒読みで返事をした。ぐりぐりと地面を指でほじくっている。
炎のせいなのか、顔が赤かった。
「結局あの国は何だったのでしょうね」
指の第一関節くらいまで深くなった。爪の間に土が入り込む。
「さぁ。今となっては分からないな。ただ、見なくてよかったかもしれない」
「どうしてですか?」
ダメ男はくすりと笑う。
加熱しきったカップをそそっかしく手元に置き、携帯食料と一緒に食べ始める。スープだった。
「嫌な感じはしてたから」
「嫌な感じというのは何です?」
「なんというか、あそこは門が開けられないんじゃなくて、いや、門じゃないのかもって思った」
「? どういう意味です?」
スープをふーふーして、冷ましてから飲む。
「なんか、意地でも中に入れさせないぞって感じだったし……直感だけどさ」
「なるほど」
ダメ男のえも言えぬ感覚に、フーは納得した。
「“パンドラの箱”というお話をご存知ですか?」
「……知らない」
「神話ですが、神であるゼウスがあらゆる悪と災厄を詰めた箱です。人類初とされる女性、パンドラが好奇心でその箱を開けてしまい、人間界にあらゆる悪や災厄、不幸が飛び出してしまった、というお話です」
「へぇ。そのパンドラっていうのも罪深い女だなぁ」
「好奇心には勝てないということかもしれませんね」
「うん」
力強く同感した。
「もしダメ男の言うことが本当なら、あの国はまさに“パンドラの箱”だったのでしょうね」
「うーん……そこまで大げさなものじゃないけどな」
「それでお話の続きですが、その箱に入っていたものは全部悪いものではなかったのです」
「? 他に何かあったの?」
「それは“希望”です」
「……希望……」
「ですが、パンドラは慌ててしまったためにその箱を閉じてしまったのです。結果、“希望”だけが閉じ込められたまま、人間界は悪と不幸が混沌としたものになり、人々は苦しんでしまったのです」
「……やっぱパンドラってのは罪深いなっ。いいことないし」
「まぁ一部抜粋ですから。詳しくはお近くの書店までお求めください」
「何の宣伝だよっ」
そろそろ眠ろう、とダメ男は焚き火を消して、テントに戻っていった。
「そういえば箱の中は希望だけなんだよな?」
「そうですね」
「じゃあその箱をずっと持ってれば、諦めずにいれるわけだ」
「ダメ男、何が言いたいのです?」
「んー……そういうものがあれば、どんな不幸や災いも乗り越えられるってことだ」
「よっ、よく分かりませんね。いきなり変なことをいっ言います。きもちわ、わるい……」
「……じゃあ寝るぞ」
おやすみ、と声をかけ、おやすみなさい、と交わし、床に就いた。
ふふ、と嬉しそうに笑っていた。どちらが笑っていたのかは……。