フーと散歩   作:水霧

28 / 78
第六話:ひろいとこ

 ちょうどすれ違いざまでした。

「こんにちは」

 人当たりが柔らかそうな男が話しかけてきました。その男は雑談しようと向き合います。

「……どうも」

 一方、話しかけられた男は無愛想に応答します。向き合わず、相手に背を向けたままです。

「どちらに向かわれるんですか?」

 にこやかに尋ねると、

「この先にある所に……」

 ぼそぼそと呟くように返します。

「もしかして、墓地か何かですか?」

 男は沈黙して立ち止まり、

「あぁ……、実は私も行ったんですけど、かなり廃れていましたよ」

「……それでも、行くだけだ」

 素っ気なく立ち去ろうとしました。しかし、

「それなら、私と一緒に行きませんか?」

 声高に呼び止められました。

「ここからそんなに遠くない場所に小さな集落があるんですよ。必要な物資が手に入るかは保証できませんが、足休めにでもどうです? あなたもかなりお疲れのようですし」

 愛想よく勧めてきます。

「それに、あなたが行こうとしてる所は複雑に入り組んでいて、きちんとした準備と相当な覚悟がなければ、地元の方でも迷いこんでしまうところです。ここで爪先を変えていただかないと、私があなたを殺した気分になってとても気持ちが悪いんです」

「……」

 男はようやく向き合って、歩み寄ってきました。もう一人の男はニコリとして、歩き出します。

「はい。では、行きましょうか」

 

 

 今にも雨が降り出しそうな曇天(どんてん)で、春の夜中のような肌寒さが辺りを包みます。

 (まば)らにはげた林に、粗雑に舗装された道が間を()うようにいくつか通っています。落葉の季節でもないのに、哀愁漂わせる暖色系が風景を(いろど)ります。その中を男が二人歩いていました。案内役の男の後ろにもう一人の男が、少し離れて付いてきていました。

 案内役の男は無地の白いシャツに下半身を丸ごと覆う鋼鉄製のごついブーツという妙な格好で、腰に刀を据えており、荷物は特に持っていないようです。体格もよさそうなくせに、爽やかな童顔です。

「私の名前はディンです。あなたは?」

「……」

 後の男はただ黙々と歩いています。

 皮のフードが付いた黒いジャケットにダークブルーのジーンズ、薄汚れた黒いスニーカーを着用しています。岩石のようにごつく黒いリュックサックを背負い込み、ウェストポーチを両腰にそれぞれ一つずつぶら下げています。フードを深く被り、顔色がはっきりと(うかが)えません。

「すみません、調子に乗ってしまって……。もう少しかかりますので、その間の辛抱をお願いします」

「分かった」

 二人はさらに歩いていきました。進んでいくと、はげていた林に木々が増えていきます。道も一つにまとまり、やがて森林を二分するような道になっていました。しかし、道は段々と荒れ、ひび割れや砂利は増えて、足で踏む度に、森林に響く騒音と化しています。鳥や虫の声もないこの森林で砂利の音だけ。それが虚しくも寂しくも感じさせていました。

 黒い男は左耳に指を当て、何かを押し込んでいるようです。よく見ると、そこから黒い“線”が繋がっていて、服の中へと隠れています。案内役の男“ディン”は、

「耳が悪いのですか?」

 遠くから黒い男を見遣(みや)ります。

「……あぁ。数ヶ月前に戦争に行ってきたんだ」

「戦争……ですか」

「そこで爆弾に直撃しかけたんだ……」

「なるほど、爆撃音で耳を……」

「治りかけてるんだけど、念のため保護してる」

「フードをしてるのも?」

「……視線が気になるもんでね」

「でも、あなたみたいな格好の人、たまに見かけますよ。誰かに憧れているかのようです」

「そうか? ……オレは逆にあんたみたいな人をどこかで見た気がする」

「そっくりさんかもしれませんね」

 二人が話していると、

「あれか」

「意外と普通でしょ?」

「……そう、なのか?」

 木々に囲まれた集落が見えました。集落のバリケードとして木々が密集していて、人一人も通れなさそうです。そして、二人の目の前だけが中に入れる玄関となっていました。

 中に入れば、木造の家屋がいくつもあって、芝生が生い茂っています。天を仰げば、木々の枝が密集していて、集落の屋根代わりになっています。そのおかげで、雨粒が集落の外へ流れていきます。傘は不必要のようです。

 ほんの数滴が黒い男のフードに当たり、すっと下へ伝い落ちました。

「晴れていれば光が差し込んで幻想的な風景が見られたんですが……」

「すごい……」

 ディンは宿屋を紹介してくれて、黒い男はそこで二泊することに決めました。

 

 

 夜。

「耳は大丈夫ですか?」

 クールな女の“声”が男に話しかけます。しかし、部屋には該当する人物がいません。それなのに男は、

「森林浴には持ってこいな場所だな。雨がやんだら、やってみようか」

 違和感なく返事します。

 部屋は六畳くらいで、ベッドやテーブル、浴室といった設備もあります。しかし、明かりが弱かったので、電光式のランタンを()けています。

 男は椅子に座って、テーブルで荷物を広げていました。ジャケットはベッドに脱ぎ捨てていて、黒のタンクトップを着ています。

 耳から赤く()みた綿を抜き取り、新しいものと丁寧に取り替えています。

「まさか、耳の穴を掃除しすぎて引っかいてしまったとは言えませんよね」

「うるさい」

 今度は使い込まれた布と液体を取り出し、布に液体を浸します。それで手元に置いてあった水色の蝶番(ちょうつがい)を拭き始めました。

「ただ、気色悪かったな」

「ダメ男の顔ですか?」

 “ダメ男”と呼ばれた男は、

「痛いです」

 テーブルの角に蝶番をぶつけました。

「そういうことを言うからだよ」

「実力行使ですか。酷いにもほどがあります」

「どっちがだよっ、フー!」

 “フー”と呼ぶ蝶番をこまめに拭き直します。

「見られてた。じっくりとな」

「自意識過剰です。ダメ男のきもちわ、すみません、ぶつけないでください」

「分かればよろしい。で、見られてたというより、虎視眈々(こしたんたん)と監視されているような……そんな視線を感じた」

「つまり、ダメ男の命を狙っているということですか?」

「そこまでじゃないと思うけど、追い剥ぎか何かじゃないかと思う」

「確かに、簡素な村を(よそお)った大胆な手口は何回も経験していますからね。雰囲気が似ているということは、それに類したものだと察しがつきます」

「とりあえず、油断はできないな」

「そうですね。そして時にダメ男、伝えたいことがあります」

「何だよ?」

「でェたガはそんシましタ」

「うわぁぁぁ、まじか! ごめん! もう乱暴にしないから、き、消えるなぁぁぁ!」

「ウソです」

「……」

「乱暴にする男性は女性から嫌われますよ」

「……肝に銘じとく」

 

 

 夜が明け、日が差し始める頃、大雨が降っていました。冷たく降り注ぐ雨は緑の屋根を伝い、集落の外へと流れ落ちていきます。一方、中だけは雨脚が鈍っていました。

 部屋で唯一の窓に、ぽつぽつと雨で殴る音が響きます。その窓からダメ男は外を見ていました。

「朝だけど、少し薄暗いな」

「そうですね。こんな所ではお買い物もできませんね」

「でも、こんな場所は滅多にない。……いい所だけどなぁ。あ~ぁ……幻想的な風景とやらを見たかったな」

 ごろりと床に寝っ転がりました。

「昨日の言葉はどこに行ったのですかね。それはそうと、明日の朝は晴れるみたいですよ」

「お、それは楽しみ」

「幻想的な風景とやらが見られると思います」

「じゃあ、今日は張り切って運動しようか」

 ダメ男が勢い良く立ち上がって取り出したのは、エグイほどに鋭いナイフでした。刃渡りが拳三つほどの長さで、()も同じくらいです。その柄は黒い骨組みに薄く透明な膜が貼られています。仕込み式で、先端にあるボタンを押すことで刃が突出します。

「ちゃんと大切に扱ってくださいね。借り物なのですから」

「分かってるって。昨日、めっちゃお手入れしただろ」

「ダメ男の生命線ですから、当然です」

 ダメ男はするすると衣類を脱ぎ、タンクトップとパンツ一枚になりました。

「傷が増えましたね」

「イイからだ?」

「顔を除けば悪くないと思います」

「そんなに顔太ったかなぁ……」

「そっちではないですっ」

 露出している肩周りから腕に、いくつもの傷がありました。切傷、銃創、火傷、(あざ)など、筋肉の盛り上がりとは別の凸凹(でこぼこ)があります。

 ダメ男は舞踏のように、ナイフを使って練習しました。敵が目の前にいるかの(ごと)く立ちふるまい、想定した敵の急所を的確に狙います。

「ところで、その格闘術は誰に教わったのですか?」

「うーん、誰だっけ? なんかそこら辺の人に教えてもらった」

「よくそれで生き延びていけましたね」

「勝てない相手とは戦わないからだな」

「なるほど。それは正しい判断です」

 ダメ男は練習を終わりにしました。その瞬間、雨を浴びたように汗がどっと出てきました。ストレッチを十分にしてから、お風呂で汗を流します。

 お風呂から上がって、ベッドに放置していた黒いジャケットに着替えました。ナイフは砥石(といし)で整えて、収納してポーチにしまいました。

 朝食に土を固めたようなブロック型の携帯食料を食べます。もそもそとして、最後は水で流し込みました。

 それから数時間、ずっと部屋でごろごろしていました。が、

「……うん」

 ダメ男の表情は曇る一方です。それを察したフーは、

「イヤホンを使用しますか?」

 黙って相槌を打ちます。片耳だけのイヤホンを差し込みました。

 そして、改めて外を見て、

〈まだカーテンが閉まっていますね〉

「……昨日はあんなに穏やかだったのに……今日は変だ。嫌な感じ……重い気がする」

〈ダメ男の感覚は獣並みですね〉

 状況を確認しました。ダメ男とフーは至って冷静です。

「ディンには申し訳ないけど、ここから出ようか」

 リュックから革製のフードを取り出します。それをジャケットの(えり)に取り付けます。浅く被り、荷物を持ちます。ダメ男は扉に耳を当てると、何かを感じたようです。

〈木の軋む音が複数聞こえます〉

 こくりと首を縦に振ります。

 ポーチから円柱状の物体を取り出しました。それには丸い取っ手が差し込んであり、それを引き抜きました。

「…………」

 “三”、のタイミングでドアを少し開け、その物体を隙間から転がし、またドアを閉めました。その直後、ぼしゅっ、と漏れるような爆発音がしました。少しだけ部屋が揺れます。

 煙がドアの隙間から漏れ出したのを確認して、ダメ男は廊下に身を出し、ピピッ、と手投げナイフを投擲(とうてき)しました。廊下はどす黒い煙で何も見えなくなっており、黒い煙の中へ消えていきます。悲鳴と共にドタドタと慌てる音が聞こえ、やがて消えました。

 一旦部屋に戻ることにしました。

〈足音は二人分です。かなり重装備だと思われます〉

 小さく頷きます。

〈一体何が目的なのでしょう?〉

「殺すのが目的なら、最初からこんなことせずにミサイルでも何でもぶち込むだろうな」

〈つまり、拘束が主目的ということですか?〉

「かもな。……外に出たいけど……とりあえず様子見だ」

 それからダメ男たちが身構えてから数時間経過しましたが、

「ふぅ」

 何も起こりませんでした。念のため、防弾ベストをジャケットの下に着用して、手には掌サイズのナイフを握り締めています。それでも、さらに数時間しても何も変わりませんでした。

〈持久戦でしょうか? とても不気味です〉

 ずっと神経を集中させ、気配や物音、臭いを察知しようとしています。しかし、さすがのダメ男にも疲労の色が出てきてしまいます。大して動いているわけでもないのに、額から玉の汗が(したた)り落ちます。

 ドアや窓付近の壁などに耳をあて、探りますが、雨音が強くなっていて、聞こえにくくなっていました。冷静だったダメ男に、余裕が失せていきます。

〈食料は何日分ありますか?〉

「一日一食計算だと六日分くらい。持久戦じゃ間違いなくお陀仏(だぶつ)だ」

〈短期決戦では不確定要素が多すぎて難しいですね。もう相手のことを考え、〉

 その時、

「!」

 床に穴が空けられ、木片と一緒に何かが出てきました。

「まじかよ!」

〈ダメ男! にげ、〉

 フーの言葉を断ち切り、部屋は強烈な閃光に(まみ)れました。網膜に無数の針が突き刺さるかのような閃光。ダメ男は、

「ぐあぁぁあああぁっ!」

 目を(おお)って、(うずくま)ってしまいます。

〈ダメ男! ダメ男! しっかりしてください!〉

「め、めがぁぁ……!」

 すたっ、と目の前にサバイバルブーツが迫ります。

「奇襲成功」

「袋の準備完了。獲物を確保する」

 迷彩服の男が二人、ダメ男を囲みます。服の上からでも筋肉で膨れ上がっているのが分かります。

 一人がダメ男の両手を紐で縛ると、もう一人がダメ男の荷物を押収します。リュックやポーチ、ナイフまで取り上げられてしまいました。

「お前ら誰だ! 離せっ! ぐぅぬ……離せ……!」

 ダメ男は懸命に暴れます。しかし、体格差がありすぎたのか、ひょいと担がれると、呆気(あっけ)なく袋にぶち込まれたのです。

「こちら“アメンボ”、獲物を確保。直ちに帰還する」

 二人が肩に担ぎ、歩き出した途端に、

「!」

 手元が狂ったのか、袋を落としてしまいしました。

「何をしている! 早くはこ、……!」

 ついでに、もう一人も袋を落としてしまいました。

「ぐあっ!」

 二人の両手には手投げナイフが突き抜けていました。痛みに悶える声と一緒に溢れ出だす真っ赤なシャワー。ぼたぼたと袋や床を血で濁してきます。

 その間にダメ男は袋を切り裂いて脱出します。

「き、きさまぁぁぁ!」

「死ねっぇぇ!」

 二人がハンドガンで応戦しようとした瞬間、

「うっ?」

「へぁ?」

 なぜかそのハンドガンまで落としてしまいました。ぶるぶると震え出します。

「ぅ」

 そして倒れ込んでしまいました。

「ふぅ」

 安堵のため息。

 二人はぴくぴくと痙攣(けいれん)しています。

〈ジャケットの方を確認し忘れるとは焦りましたね〉

 両手には手投げナイフが握られていました。

 今度はダメ男が二人を拘束します。所持品を粗方(あらかた)回収して、銃は解体して破壊しました。上手く動けないようで、ほぼ無抵抗でした。

 ふとして、ダメ男は服の中に何かを見つけました。無理やり()いでみると、黒いイヤホンのような物が襟元に装着されていて、コードがズボンの方へと伸びています。辿っていくとポケットにトランシーバーが入っていました。死体の耳からイヤホンを外し、自分の耳に入れます。

〈……しろ、ヒツジ、どうした?〉

「お前ら、一体何者だ?」

 相手は一瞬黙ります。

〈知りたければ降伏しろ……ククク……〉

 相手は嘲笑(せせらわら)います。男の声でした。

「今のうちに言っておくけど、オレを襲うようなら容赦しない。あんたの部隊を全滅させるだけだ。手を引けば、被害は少なく済むよ」

〈分かっていないようだな。こちらには時間があるのでな。たっぷりと可愛がってやろう。無様に地べたを這いずり回れ、青二才が〉

「……っ!」

 ダメ男は床に思い切り叩きつけ、踏んづけて木っ端微塵にしました。

〈何を企んでいるのかは分かりませんが、長くなりそうですね〉

 

 

「ターゲットをこの森から逃がすな! 十五人で包囲し、連携しながら追い詰めろ。できるだけ捕獲しろ! 万が一の事態には任せよう。責は私が受ける」

「了解。アリ、コウモリ、ネコ、イヌ、ゾウの部隊は包囲を開始。捕獲優先とし、想定外の事態は各自判断せよ」

〈アリ、了解〉

〈コウモリ、了解〉

〈ネコ、了解〉

〈イヌ、了解〉

〈ゾウ、了解〉

「絶対に後悔させてやる……」

 

 

 鬱蒼(うっそう)とした密林、そこから滲み出る雨粒、半ば泥沼状態の地面。ざらざらと砂嵐のような雨音が密林での唯一の音でした。

 雨がしきりに降り、徐々に強くなっていきます。ダメ男の服は雨でずっしりと重くなっていました。衣服を着たままプールに入ったかのようにずぶ濡れです。

 ダメ男はというと、木に登って一休みしています。木の太い枝に脚を挟み、(みき)に寄りかかっています。

「どうやら、オレを本格的に狙っているみたいだ」

 ぼそぼそと呟きます。

〈そのようですね。今まではただのゴロツキばかりでしたが、あの二人、“見た目では”訓練された部隊でした〉

「あんなのが何十人もいたんじゃ、骨が折れる……」

〈それに、ディン様も気がかりですね〉

「人のことよりもまず自分。このままじゃ(なぶ)り殺しだよ……」

 分厚い雨空に覆われ、光が森に差し込むことはありませんでした。むしろ大粒の雨が陰りを強調して不気味に見せます。ダメ男の髪の先端から、雨が滴り落ちていきます。

 リュックは肩掛けのバンドを露出(ろしゅつ)させ、それ以外の部位は黒い袋で包んでいます。近くの枝に引っ掛けていました。

 そこに、三人やってきました。他には誰も見当たりません。ダメ男はフードをさらに深く(かぶ)り、身を木の枝に伏せます。

 声が聞こえてきます。

「……げットって、どんな風貌なんだ?」

「連絡きてないんすか?」

「寝てたからさ……」

 三人はダメ男のいる木の根本で立ち止まります。どくん、と心臓が強く打ちます。

「では改めて……。偵察隊からの情報によれば、二十歳前後で黒い長髪、百七十くらいです。装備はナイフが中心で臨機応変にあらゆる武器も扱えるみたいです」

「そして、ブービートラップや奇襲といった戦術も得意みたいっすよ」

 ふぅ、と声を抑えて息をつきます。どうやら雨宿りをしているだけのようです。

 一人がもう一人に何かを手渡しました。用紙のようです。

「ただ、左耳を負傷しているらしく、補聴器のような物を身につけているみたいです」

「……!」

 ダメ男の表情が強張(こわば)ります。

 コツコツとフーを二回小突きます。

〈分かっています。トレースを開始します。十数秒お待ち下さい〉

 その間にもダメ男は気配を殺しつつ、耳を澄まします。しかし、途端に話が小声になったため、そして雨音がさらに強くなったために聞こえづらくなってしまいました。

〈……トレース完了。こ、これは!〉

 フーが驚いています。

〈あの用紙にはダメ男の個人情報が記されています〉

「!」

 ぴくりと眉をしかめます。

〈ダメ男の追っかけにしては詳しすぎます。身長はサバを読みすぎですが、性格や気質、好み、持ち物、挙げ句の果てには女性のタイプまで……一体どこからこんな情報を入手していたのでしょう?〉

 うんうんと小さく頷きます。

〈心当たりがあるのですね? ということは、かなり前から尾行されていたことになります。ダメ男に対して、相当な執着心と憎悪がうかがえますね〉

 そのまま三人はダメ男に気付くことなく、通り過ぎていきました。

 それから数分後、悲鳴が聞こえました。

〈案外、間抜けなのかもしれませんね〉

 ダメ男は物音を極力抑えて木から降り、慎重に歩きます。できるだけ地面が露出した部分を避け、木の根っこを伝い歩きます。

 ダメ男の前方に大きな落とし穴がありました。近辺の木に身を隠し、様子を見ます。

〈確か、針山落とし穴でしたよね?〉

 ダメ男はまた頷きます。フーは“ナムナム”と独り()ちました。

「!」

 ダメ男は真上に、

「っ」

 小型ナイフを投げました。

「がっ」

 ぐしゃりと、先程の男が落ちてきました。腕にナイフが突き刺さっています。

「う、あぁ」

 次第に男は身体が震えてき、仰向けに倒れました。ダメ男は抱きかかえます。

「他の二人は?」

 ダメ男は左目にナイフを突き付けました。

「その、穴の……なか……」

 ダメ男はなんとか男を立たせ、千鳥足で向かいます。盾にしながら穴を見ました。確かに、肉塊が二つあります。

「い、いのちっだ……けは……」

「なら、知っていることを全て話せ。煙に巻こうとしたら、指を一本ずつ切り落とす。喚いたり、騒いだりしてもだ」

「……」

 くっ、と男の小指にナイフを突きつけます。

「三人十五部隊、武器は銃やマシンガン……任務は標的の捕獲、万が一の事態には抹殺……」

「それで、オレを狙う目的は?」

「わ、分からない。傭兵(ようへい)なん……だ。ターゲットを捕獲、抹殺するということしか分からない……」

「それだけか?」

「本当だ……! 信じてくれっ」

「……」

 ダメ男は男の、

「ぎゃあぁぁぁぁぁっ!」

 ……一ヶ所だけ、赤い雨が地面を赤く汚していきました。すぐに雨を混じり、赤みは消えていきます。

 今度は穴の前まで引きずり、顔だけ出させました。

「全てを話せと言っただろう? まだまだ隠してるな」

〈ダメ男、みだりに傷付けてはいけないですよ。敵の神経を逆撫でることになります〉

「ひゅーっ、ひゅーっ、はぁっはぁっ……!」

「今度話さなかったら、この穴に顔から落とす……いいな?」

 身体全体を震わせながら頷きます。頷かせます。

「傭兵、ということは依頼主がいるはずだ。誰だ?」

「それはしらない、本当にしらない、そにょ早くたしけて……し、しぬっしぬ……」

「じゃあお前らが話していたオレについて、どこで知り得た?」

「い、いらいぬしがいらいぬしがっ……!」

 男はパニックを起こし、がくがくと怯え始めました。

「……分かった」

 ダメ男は(ひも)を取り出し、男の手首をきつく締め上げます。止血です。流れていた血がやがて止まりました。

 男を近くの木にもたれさせます。雨宿りのついでに、男に応急処置を施していきます。

「あんたはメッセンジャーだ。だから生かす。二度とオレに付きまとうなと伝えてくれ。そうでなければ痛い目に遭う……ってね。こんなふうに」

 ダメ男は男の“元”小指を(つま)みました。男は、

「たのむ、本当知らないんだ……! やめてぅれ……」

 まだ(しび)れているのか、もぞもぞと芋虫のように(うごめ)きます。

「まだきちんとした処置をすれば小指は繋がるかもしれないな。……けど、これは見せしめだ」

 まるで弱い者(いじ)めで優越感に浸っているような憎たらしい微笑み。男は一貫して同じことを言いました。

 ダメ男はなぜかペンチを取り出し、そこに(はさ)み、

「はい、さよなら」

 全力で握りました。

「うわああぁぁぁあぁっ! あっぅん?」

 取り乱した瞬間を狙って、後頭部を叩き、気絶させました。男はくたりと地面に転がります。

「……」

 ダメ男はいろいろな処置をしてあげました。……怪我以外にも。

 

 

「……ぃ、おい!」

「ん、あぁ」

「大丈夫か!」

 男は目を覚まします。他の仲間に保護されていました。

「尋問されたようだな、治療は済んでいるが……小指は……」

「……」

 まるで見せつけるかのように捨てられていました。まるでプレスマシンにかけられたかのように、ぺしゃんこでした。男はただ涙を流します。

 仲間は六人いました。四人が陣形を組んで守り、二人が小指を失った男の手当てをしています。

「標的はどうだった?」

「情報通りだった。ナイフはこれだ……」

 小指を失った男が渡したのは小型のナイフでした。

「情報通り、小さいナイフだが、切れ味がよく、痺れ薬が塗られていた。腕に直撃したら二十分は痺れて動けない」

「よくやった。これを化学班に鑑定させ、対抗薬を作らせよう」

「ヤツが……ヤツが“付きまとうな”と……」

「……大丈夫。任務は続行だ。こんな(むご)いことをするなら、こちらも手段を選ばん」

「……かたきを……」

 小指を失った男は満足げに笑うと、そのまま目を閉じました。

「……」

「……ゆっくり眠れ。仇はう、」

 その直後、その場は爆発しました。

 

 

〈“メッセンジャー”ですか〉

 雨音以外の轟音が一帯を震わせました。音の津波でダメ男の衣服があおられます。

〈いつになくえげつない戦略ですね。度を超えた尋問に人間爆弾、いつになくいつになく、余裕がないのですね。いつもの青臭い信条はどうしたのです?〉

 イヤホンから刺さる言葉。

「……殺意丸出しの相手に、手加減できるほどの余裕はない」

〈口だけだったのですね〉

「……」

 特に反応はありませんでした。

 いつになく、鬼気迫る雰囲気です。

 ダメ男は来た道を帰っていました。しかし、見えてくるのは森ばかりです。

「あの道に帰れないな」

〈砂利道ですね〉

「方角は合ってるか?」

〈この空間は磁気のような方角を狂わせる何かがあるみたいです。コンパスもダメみたいです。土地勘もない場所で、しかも天候も視界も最悪です。頼れるのはダメ男の野生の勘だけです〉

「……」

 ダメ男はさらに小一時間歩きました。しかし、辿り着きません。

 ダメ男は木陰に隠れて、休憩しました。

〈ただの迷子じゃないですね。迷いやすいように、目印となる木々や岩石を消しています〉

「どうやって……?」

〈少ない変化で十分です。特徴的な部分を削ぎ落としたり、似たような木々に仕立て上げたりすればいいのです。岩石なら破壊するだけです。輪形彷徨(りんけいほうこう)を仕向けています〉

 小刻みに肩で息をします。

〈方向感覚を取り戻しましょう〉

「……そうだな」

 ダメ男は猿のように鮮やかに木に登り、辺りを見渡しました。

「! 枯れ木が一つもない……」

 見えるところ全てが森林でした。くすんだ緑色一面です。

「こんなに広かったか? あそこに行く時はぼーっとしてたから、広さを確認してなかった……。いや、それでもこれは……」

〈確かディン様は、“墓地への道のりは地元の方でも迷いやすい”と言っていましたよね? それは墓地だけでなく、森林一帯全てだとしたら、抜け出すのは極めて困難ですよ〉

「それだけじゃない。連中に地の利があるってことにもなる。……さっきのヤツ、生かしとけばよかった」

〈長期戦でも短期戦でも不利は確定ですね。今まで、こんな劣悪なじょうきょ、〉

 ダメ男はいきなり、

「ぐぁ!」

 (うめ)き、

〈ダメ男!〉

 バランスを崩して頭から落ちました。ばきばきと枝がダメ男を打ち付けます。メキメキと折れていきました。

「がはっぁ」

 地面に衝突する前に、何とか体勢を変え、膝を深く曲げ、前転して着地しました。

「っ……あぅ……」

〈ダメ男! しっかりしてください! ダメ男、ダメ男っ!〉

「だ、大丈夫……っ、ぅあぁっ……ぐぅ……」

 だらだらと脂汗を流します。悲痛な面持ちで、何とか身を起こし、木に寄り掛かりました。ぐはっ、と咳き込むと、血が吐き出されます。

 痛みで身を(かが)めてしまいます。

〈内臓を傷めているじゃないですかっ! 大丈夫じゃないですよ!〉

「このくらいのピンチはいつものことだろ……」

 しかし、

「!」

 ダメ男は何かを感じました。

「っ」

 すぐさまその場を立ち去ります。

〈左肩を撃たれたのですね!〉

「はぁ、はぁ、はぁっ」

 数十分走り続け、渾身の力で木を登りました。ダメ男の後を追って、足音が通り過ぎていくのがかすかに聞こえます。そして闇に消えていきました。

 

 

 かなりの大木に登ったようで、幹が太いみたいです。人一人くらいが横になれるほどです。

 ダメ男は木に感謝して、リュックを置きました。途端に、疲労感で身体が急に重く感じます。全身を伝う雨と一緒に汗が流されていきます。

 ダメ男がジャケットと防弾ベストを脱ぐと、左肩は黒に赤みが増しています。

〈防弾ベストごとダメ男の肩を貫く威力、尋常ではありませんね〉

 ウェストポーチから黒い傘とタオルを数枚、ピンセット取り出しました。傘を上にある枝に上手く引っ掛け、雨よけします。

〈ダメ男、辛抱してください〉

 フーの言葉を無視して、タオルを(くわえ)えました。静かに、ゆっくりと呼吸を整えます。

 そして、

「ん、んんんううぅぅぅぅぅっ!」

 思い切り噛みしめながら、ピンセットを傷口に差し込みます。肉を(えぐ)る感触と(おぞま)しく(あふ)れる血がダメ男の全身の神経を突き刺します。身体に染みた雨と汗で濡れています。

 ダメ男は全身で息をしながら、ピンセットを引き抜きました。その先には赤黒い弾丸が挟まれています。それを膝に乗せます。リュックからさらに包帯と薬瓶、黒い袋を追加して、止血を試みます。

〈この弾丸、タイプが古いようですね〉

「……ぐあぁ……」

〈止血はできそうですか?〉

 苦痛で(うつ)ろな表情を見せながらも、にこりと笑いました。

 手馴れた手付きで、止血と消毒を繰り返します。薬をたっぷりと傷口に塗り、包帯を軽く巻いた後に、しっかりと巻いていきました。何とか止血はできたようです。しかし、左肩から痺れるような痛みが走ります。

「……やつら……まだ追ってくるかな……?」

〈間違いなく追ってくると思います〉

 そして綺麗に仕上げた後、針穴の開いた黒い袋で肩全体を覆います。

 ふぅ、と溜め息をつきました。

「……だるい……血が足らないな……」

 ウェストポーチから、携帯食料を取り出しました。もそもそと一箱(たい)らげます。寒さと疲労で手が震えていました。

〈長期戦でしょうか?〉

「分からない。でも、少なくとも三十人くらいはいるからな……。しんどい」

〈まさに、“痴漢死ね”ですね〉

「……」

〈どうしました?〉

「ツッコむべきなのか……う~ん……」

〈まさか、常習犯ですか〉

「違うから……。“四面楚歌”な。最近キワドイこと連発してないか?」

〈そうですか? そうでもないと思いますが〉

「自覚しろよ……ふぅ、大分楽になった。鎮痛剤が効いてきた」

〈またダメ男は怪しいクスリに手を出して、何回言えば分かるのですか〉

「大丈夫、安全な薬だから! しかも“また”ってどういうことだし!」

〈だ、ダメ男! 静かにしないと、〉

「! やば!」

「いたぞ!」

〈ツッコミ体質が(あだ)となりましたか〉

「なさけない……!」

 木の根元に敵が一人構えていました。傘を素早く取り、銃弾を避けながら、ナイフを投げ下ろします。

「あっ!」

 ダメ男は兵士の手元を狙い、銃を手放させました。そして、

「あぼ」

 開いた口にも投げ込みました。ダメ男はすぐに迫り、首元を切り裂きます。凄まじく血を流しながら、敵は倒れました。

「!」

 そして衣服を破り取りながら、すぐに近くの木に身を隠しました。取った服の一部でナイフを拭き取ります。

「おい、そこにいるんだろう? それだけ殺意湧いてりゃ、歯軋りもするだろうに」

 ダメ男の先にある大木の陰から、兵士が二人出てきました。自分の代わりに手鏡を(のぞ)かせます。

「殺してやる」

「絶対に殺してやる……!」

〈双子みたいですね〉

 確かに顔がそっくりでした。しかも、二人ともマシンガンを持っていました。ダメ男のいる木に照準を固く合わせました。

「兄貴の仇……ここで討つ!」

「ちょっと待て。オレを殺す前に聞きたいことがある」

「……?」

 左の兵士が銃口を下げました。

「話に乗るな!」

「お前らと依頼主は同じ組織の人間か?」

「違う。オレたちはただの傭兵で、個人の依頼だ」

「つまり、関係としては深くないわけか」

「もうお前は喋るな! 早く殺すぞ!」

「まったく、やっと来てくれたか」

 ダメ男が急に姿を現して、

「!」

 その視線に、二人は振り返ってみると、そこには、

「おぼっ」

 誰もいませんでした。しかし、隣を見ると、

「!」

 死体が一つ転がっていました。喉元にナイフが深く突き刺さっています。そして、

「動くな。叫べば同じ目に遭うぞ」

 ダメ男がナイフを突きつけていました。

「ひっ……!」

「お前はまだ新米のようだな。もう一人とは違って、まるで殺意がない」

「! わ、私は、」

「とにかく、ここから離れるから付いて来い。殺しはしないつもりだ」

〈“つもり”ですか〉

 二人を殺された新米の兵士は、なぜかダメ男の指示に素直に従ったのでした。

 

 

「何? ゾウがやられただと?」

〈ゾウから応答がありません〉

「了解。ゾウの代わりにハエを増援する。作戦は続行せよ」

〈了解。作戦に戻ります〉

「幸運を祈る……」

「ふふ……。随分と手こずってるようだが、大丈夫か?」

「元々こちらとしては長期戦を狙っています。もって二日でしょう。そのためにここを選んだのですから」

「これで四部隊、つまり十二人消されている。このペースじゃあ、こちらが二日も持たないぞ」

「まさか、ここまでの手練だったとは……。情報通りの男ではないようですな」

「奴の本性なのだよ、それが」

「……実は秘策があります」

「?」

「お伝えしませんでしたが、この作戦は言わば布石なのです」

「!」

「標的は緩い人海戦術と、それに反比例した人数の多さに長期戦だと思っているでしょう。そればかりに集中させ思い込ませるのです。最終作戦はこの一帯に毒ガスをばらまき、終局を迎えます」

「そ、それは……! ……そんなことしたら、貴様の仲間まで死ぬだろう!」

「四部隊を沈めたターゲットはもはや危険であり、捕獲は極めて困難です。ならば、手段は一つしか、」

「もういい、私が指揮を取る」

「は?」

「お前は……」

「!」

 銃声は消音器と雨音でかき消されました。何発も。そして何かのスイッチを押しました。

 

 

「女?」

「はい」

「女が依頼主かよ」

〈男女差別ですよ〉

「それより、ディンだとは思わなかったよ」

 ディンはダメ男の後ろを歩いています。時々、背後を見て、尾行されていないかを確認します。

「なぜ、オレに協力する? それに、オレはお前の兄弟を殺したんだぞ」

 ディンはくすりと笑いました。

「あれは兄弟でも何でもありませんよ」

「?」

「顔を整形したんですよ、あの二人は。私の顔に似せてね」

「……」

 ダメ男は(くちびる)をきゅっ、と噛み締めました。

「今回の作戦で部隊はメンバーの誰か一人に顔を似せてます。おかしいとは思っていましたが、やはり関係ありましたか。あなたと」

〈どういうことですか、ダメ男?〉

「さあね」

「でも、クライエントがだれか想像出来るんでしょう? いえ、“想像させた”と言うべきでしょうか?」

〈どういうことなのですか?〉

 泥沼にはまらないように、足元を確認しながら歩きます。

「……話が()れたな。なぜ協力する?」

 ディンはダメ男に何かを手渡しました。

「私たちの部隊だけに与えられた極秘作戦に、賛成できなかったからです……」

「防毒マスク?」

〈まさか、どく、〉

「ガスを使用し、味方もろとも殲滅(せんめつ)する作戦です」

「!」

 ディンはダメ男の先を歩いていきます。

 防毒マスクはなぜか捨てていきました。

「今回の任務はあなたの捕縛ですが、いくらなんでも犠牲が多すぎます。しかし、隊長は強引に極秘作戦を私たちに(たく)したんです」

「……」

「だから、あなたにこうしてほしいんです」

 ディンはダメ男にナイフを準備させ、それを自分の背中に当てがうように指示しました。

「私はあなたに脅されたかのように振る舞えば、違和感はないはず」

「……分かった。だが、万が一の時には、」

「それはあなたが一番分かっているでしょう?」

「……覚悟は受け取った」

「では、行きましょうか」

 ついっ、とダメ男は指でディンを押して、歩かせます。最初と違い、二人の距離はナイフ一本分くらいですが、ディンは再び案内役となりました。

 ぐしょぐしょになった獣道は雨で飛沫をあげ、はねています。そこを通らずに木の根を渡り歩き、暗い森の中を進んでいきました。二人の衣服は最早びっしょりで、身体をとことん冷やし、疲労感を麻痺させていました。特にダメ男は足の指先から突き上がる痛みと身体の中心から走り回る激痛に、痛み以外の感覚を失いかけていました。

〈大丈夫ですか? あの時の怪我が、〉

「心配すんな。……いつものことだろ」

 ダメ男は(ささや)きました。

「大丈夫ですか? ペースが落ちてますけど、休みます?」

 ダメ男は濡れた頭をがしゃがしゃと掻き回しました。

「心配性なやつが多いな、ったく……。ほら、早く歩かないとナイフが刺さるぞ」

「?」

〈ダメ男が強がりなのですよ〉

 そうして歩いていると、次第に、

「雨、弱くなってきましたね」

「足音を消したいこちらとしてはっ……嬉しくはないな」

「もうすぐそこですよ。日も差してきましたね」

「一日が回ったってことか?」

「そうみたいですね」

 森がぼうっと仄かに明るくなってきました。そして、見たことがある風景に差し掛かりました。

「……あれ? ここって……」

「そう、本部はここにあるんですよ」

「敵に全然遭遇しなかったな……」

「抜け道を通りましたからね」

「……それは何よりだけど、まさか、敵の巣の中で休んでいたとはな。ってか、お前がそう誘導したのか」

「あなたは用心深そうで、わりと騙されやすいみたいなようですね」

〈間抜けでお人好しだから大馬鹿で仕方ないのです〉

 二人して、くすりと笑いました。

 ダメ男とディンは警戒心を解くことなく目の前のことに集中し、とある民家に素早く侵入しました。入ると、玄関から一本道の廊下を通って、居間に達するように見えます。ダメ男はたまたま玄関にかけてあった雑巾(ぞうきん)で、靴底を()いて泥を落としました。

 ダメ男がディンに合図して先に歩かせますが、特にないようで、すたすたと歩いて行きました。しかも、勝手に奥まで入ってしまいました。

「たいちょおおぉぉっ!」

「……」

 どさりと、ディンは尻餅(しりもち)をついていました。その顔から良からぬ雰囲気しか感じられませんでした。ところが、ダメ男は驚く素振りも全く見せずに、廊下に入った瞬間、ナイフを、

「!」

 ゆっくり下から振り上げました。

〈これはまたなんとも〉

「やっぱりな……」

 その手は急に止まりました。いや、止められました。高さはダメ男の(すね)の半分くらいです。

 ダメ男はポーチからタオルを取り出して頭を(ぬぐ)いました。それを丸めて廊下の方へ、高さは同じくくらいで投げると、

〈あらあらあらあらあら〉

 通過するごとにすぱすぱと、何等分かに切断されていきました。

「古典的だな……」

 ダメ男は急ぎながらも廊下に張られた“鋼鉄線”を切っていきます。ディンはくすり、とまた笑いました。

「オレが引っ掛かると思った、……!」

 すると、死体が一つ転がっていました。

「こっちはマジかよっ!」

「!」

 頭と(おぼ)しき部位がぐちゃぐちゃに散乱しています。中身が露にされ、硬質の白い物体とゼリー状の白い物体が破損しています。そこから血が(おびただ)しく溢れ返っています。近くにあるテーブルの脚を赤く染色していました。

 全く動いていませんでした。

〈その死体は男です! 女がいません!〉

「! “女”ってのはどこっ、」

「後ですよ」

 そこで、ダメ男の意識がなくなりました。

 

 

「ご苦労様。死体は放置して」

「残りの部隊はどうしました?」

「起爆して始末した」

「なんとまぁ惨い」

 ディンがダメ男の耳からイヤホンと首飾りを外し、女に渡しました。その後、身体を抱えて隣の部屋に運びます。

「あなたが“フー”だな?」

 女が呼びかける対象物は、首飾りの水色の四角い物体でした。

「はい」

 “声”は素直に答えました。これが“フー”のようです。

「あなた、いい声を持っているな。私のように野太いものではない。年齢的には、」

「それ以上は言わないでください。詮索(せんさく)されたくありません」

「……」

 女はテーブルにフーを乗せ、自分も座りました。

「……十五歳くらいとみた」

「っ」

 にこりと女は微笑みました、一方のフーは珍しく舌打ちをします。

「こんなお嬢さんがどういう経緯であのような男と知り合えたか分からんが……、」

 女は椅子を蹴り飛ばしました。無表情です。

「あなたは(やつ)(だま)されている。今すぐ縁を切るべきだ」

「それはこちらが決めることです。それよりも、あなたはなぜダメ男を狙うのです?」

「……」

 女は腰にかけているホルスターから、銃を抜き取りました。

「あの男は……私の弟たちを殺した……! その復讐を果たすために、私の心臓は動いているのだ……」

 フーは言い返せませんでした。何も言えなくなって、話題を逸らしにかかります。

「ダメ男をどうするつもりですか?」

「もちろん殺す。だが、ただじゃ殺さない……! 嬲り殺しにしてやる!」

 女はフーを鷲掴(わしづか)みにして、隣の部屋に向かいました。そこには、椅子に座っているディンと、ベッドに縛り付けられたダメ男がいます。ダメ男はまだ意識が戻っていません。

「毒ガスもセットしましたよ」

「恩に着る」

「! まさか、一連の企てはあなた方がっ?」

「そう。私が仕掛けたものだ。あの軟弱部隊に私の部下を紛れ込ませ、最終的に全てを毒殺する。何も残さないように……」

「私は彼女の部下にすぎません。極秘作戦も彼女からですし、隊長に提案したのも私です」

「で、では全てが、」

「そう、ダメ男さんをハメるための芝居(しばい)と裏工作でした」

 女はダメ男に銃を突きつけました。

「もう起きているんだろう?」

「……」

 銃口を左肩に押し付け、引き金を、

「ぐああぁぁぁぁ!」

 引きました。ぱしゅっ、と気の抜けた音しかしません。しかし、撃ち抜いたところから、じわじわと血が滲んできています。白かったシーツが赤く広がっています。

 女はディンに銃を渡し、そして別の銃を受け取りました。その銃は、円筒状の黒いバレルが二つくっついていて、銃口が普通の銃より大きいです。ひらがなの“し”のような形をしていました。グリップには黒い毛玉と貝殻のキーホルダーが付いています。

 フーはそれを見て、戦慄(せんりつ)が走りました。

「止めてください!」

「フーさん、黙らないと壊しますよ?」

「っ」

 ディンはにこにこして、大工が使いそうなトンカチを振り上げています。

「やってみればいいです。絶対に壊れませんからっ」

「? では気兼ねなく」

 トンカチを振り下ろし、

「やめろ」

 女が止めました。

「彼女は関係ない。危害を加えるな」

「……了解です」

 なぜか素直に従います。そしてにやにやしています。

「……っ、はぁ……うぅあ……」

 ダメ男は起こされました。血と一緒にべたつく汗も流しながら、朧気(おぼろげ)な目付きで女を見ました。

「あ、あんたは……」

「ほぉ、覚えていたか。まぁたとえ、お前が忘れていても、私は絶対に忘れない!」

 女は二十代後半くらいで黒い長髪を後ろで結んでいます。左目尻に泣き黒子があり、縁が太くて黒いメガネをかけていました。雰囲気がキツく厳格そうな感じの色白なお姉さんでした。似合わないごつい軍服を着ています。

 ダメ男を思い切り(なぐ)りました。砕いたような鈍い音、ダメ男は咳こみました。どろりとした吐血です。(うっす)らと涙を浮かべています。

 次に銃口をダメ男の左肩にぐりぐりと押し付けます。歯を食い縛って脂汗を垂れ流しています。苦悶の表情と、恐怖による身体の震えが止まりません。

(あね)さん、暇なんですけど?」

「外で……見張っててくれ」

「分かりました。……あぁ、それと、彼……身体傷めているみたいですよ」

 ディンはその場からささっと出て行きました。

「よくも私の弟を殺したな……」

「もう止めてください、お願いします、お願いしますから、」

「私の弟も殺される直前は、きっとそう命乞いをしていただろう。でも、この男は無慈悲にも身体を引き裂き、頭を撃ち抜いて殺したのだ! 許すものか、容赦するものかぁぁっ!」

 女はダメ男の左肩を何発も撃ちました。恐ろしいほどの重低音とフーの悲痛な叫び声、そして、

「あああぁぁっぐあぁぁぁっ、ヴぁ! あぁぁああっ!」

 何かを引きちぎられるように泣き叫ぶダメ男の声。森中に伝播(でんぱ)していきました。

 ジャケット、シャツ、防弾ベスト、応急処置の包帯、そしてダメ男の左肩。血や肉片が飛び散り()ぜています。肩甲骨や鎖骨、腕の骨が砕け散って、血管や神経、筋肉がぐちゃぐちゃに引きちぎれられていました。撃ち抜いたのではなく、消し飛ばしました。

 どす黒い銃痕と溢れ出す血液。銃撃で焼けたのか、異様な臭いも立ち込めています。火薬と肉の中身の臭い。

 左肩から電撃が体中に走るような激痛に(おそ)われました。そのせいで全身から脂汗がさらに溢れ、身体に溜まっていた体液や排泄物全てが出されてしまいました。最後には声が(かす)れすぎて空気が通り抜ける音しか出ません。

 意識を繋ぎ留めるだけで精一杯でした。

「……ぁ……ぁ……」

「ふんっ。痛みで小便糞便垂らしても、意識はぎりぎりあるようだな」

「はぁ……はっああぁ……!」

「臭いものだな……ヒトの汚物というのは……」

「……」

「貴様のイチモツもショットガンで吹き飛ばしてやろうか? うん?」

 女はダメ男のものに銃口を向けました。ふるふるからガタガタと身震いが激しくなります。ダメ男は、

「え、ぅえぇ! おふっ!」

 嘔吐(おうと)して、左側に胃の内容物を吐き出しました。胃液に血が混じっていて、ベッドのシーツを淡い橙色で汚しました。

「あっはっはっはっは! 口からも臭いものを出すか。怖いのか? 使い道などないだろう? ククク……」

「……ぅぇ……」

 女はダメ男の胸を足で踏んづけました。

「っふ! ……」

 枝が(きし)むような感触がして、ダメ男は口から血を流しました。

「なぜ殺した! なぜ弟を殺した!」

 ダメ男の眼からみるみる生気が薄れていきます。顔に血の気がありません。いや、まるでもう死んでいるようです。

 風が抜けるような呼吸。もう長くありません。

「こ、ころせよ」

「なに?」

「っ」

 ぷっ、とダメ男は赤い(つば)を女に吐き捨てました。頬に付いて、どろりと伝います。

「き、きさまあぁぁぁぁぁ!」

 女はさらにダメ男を殴りました。その度に吐血し、折れた歯を吐き出し、骨を砕かれ、意識を何回も分断されます。そして、

「はぁ、はぁ、ど、どうだ……!」

「……」

 動かなくなりました。

「だ、ダメ男? ダメ男……! だめおっ!」

「黙れ。不覚にも、息の根を止めてしまった。……どちらにしても殺すつもりだっ、……ん?」

 ぼそぼそと何か呻いています。口元に耳を寄ります。

「たのむ……ふぅには……ふぅにはみせないでくれ……しぬと、こ……ふぅには……みせっないで……」

「!」

 意識がありませんでした。しかし意思表示はしっかりと残されています。

「…………せめてもの情けだ。彼女は私の復讐の対象外だからな……」

 テーブルにあるフーを持ってきます。右手に置かれ、震える手付きでフーを操作し始めます。

「やめてください! ダメ男!」

 かぱっ、と開き、手元のボタンを押し続けます。

「いや、いやだダメ男、×××、いや、いやっいやっ! 電源オフを拒否しますっ! ボタン操作をロックしましたっ! ダメ男! やめてください!」

 すると、フーを閉じてベッドに置きました。背面にあるフタを、ベッドに押し付けるようにスライドします。

「ま、まさか電池パックを、だめ、だめですっ!」

 ぱかっ、と中身を(さら)け出します。薄い紐が付いた四角い電池が収納されていました。その紐を引っ張ります。

「やめてください! だめっだめえぇぇぇぇ、」

 ぷつっ、とフーの声が遮断されました。

 それを外したところで、ぐったりと動かなくなりました。

 一方、その脇で弾を装填している女。先ほどのショットガンです。

「弟を殺したことを悔いろ」

 ダメ男の眼前に暗い穴が二つ。すぅっと意識が遠のいていき、真っ暗になった瞬間、鈍く軽い銃声が二つ。

 

 

 女は外に出ました。止んでいた雨が自然の屋根を伝い、集落の外へ逃げていきます。ぽつぽつと逃げ切れなかった分が優しく降っています。ふとして見上げると、ぴしりと額に落ちました。額からその横へ流れ、いつの間にか(ほほ)に付いていた数滴の返り血を通ります。

 それを無視して歩いていくと、ディンが立っていました。女は毒ガスの入ったポッドを手渡しました。

「決着、つけました?」

「……」

 ディンは女の頬についた血を拭き取ります。ありがとう、と呟きました。

(こぶし)……折れていますね」

「別に問題は無い」

「嘘つかないでくださいよ。あんなド派手な音だったのに、何もないわけないじゃないですか。ほら、見せてください」

 ディンは無理やり女の両手を掴みました。手の甲が真っ赤に()れあがっています。持っていた女のバッグからアイスを取り出し、手の甲を冷やします。

 女は震えていました。

「あの男が真実を語り、そして姐さんが“平和的”に終決する。これが私の望みでしたが、ただの理想幻想にすぎないようですねぇ」

「……何だか(むな)しいな」

「結局、姐さんがしたことは、大切な人を奪われた人間を生み出しただけです。かつての姐さんのように……」

「!」

 ディンはぐっと女を抱き寄せました。

「今度は姐さんに憎しみが向けられることになるんですよ? かつての姐さんのように……」

「私はもう、この世に未練はない……」

「そうして、姐さんを殺したやつを、今度は私が殺す。もう、憎しみの連鎖が完成してしまったんです」

「……それでも構わない。私の生きる糧はないのだから」

 女はすぅっ、と涙を一粒流しました。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。