フーと散歩   作:水霧

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第七話:もりのなかで -Call-

 森の中。木々が密になって生え、光を(さえぎ)っている。そのせいで不気味な薄暗さを演出していた。

 唯一の道は草をはけただけの無造作な道。石ころや土の盛り上がり、木の根っこのせいで足場が悪い。泥沼化してないのが幸いだ。

 そこを一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が走っていた。荷台にはけっこうな量の(かばん)が積んであった。速さを抑えているのに、悪路(あくろ)のためにがたがたと揺れている。明るく照らされたライトが地面に当てられていた。

 運転手は体つきが大きい方ではなく細身だ。黒いジャケットを着て飛行帽のような帽子をかぶり、ゴーグルを付けていた。太いベルトで腰にくくり付けたポーチをいくつかぶら下げており、背中にはホルスターが装着されていて、自動作動式のパースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)が収められている。

 右の太股(ふともも)にもホルスターがあり、こちらにはリボルバータイプのパースエイダーが入っていた。

「相変わらずキノは食欲盛んだよね。二つ返事なのは予想通りだけど」

 モトラドが“キノ”と呼ぶ運転手は、

「いたよエルメス」

 一旦停車した。

 帽子を外し、ゴーグルを取った。十代半ばだろうか、若い。大きな目、精悍(せいかん)な顔つきをしていた。

 停車したところは木々が囲むようにしてできた小さな空間だった。そこにいた。

「死んでるね」

 “エルメス”と呼ばれるモトラドはぽつりと言う。

 目の前には穴ぼこだらけの死体と荷物が放置されていた。しかも野犬が食い散らかしていて“肉塊”と化している。しかし、死後硬直のためか、腕は自分の首を両手で締め上げるように固定されている。中身が露出しているがズタズタにされ、中に流れる様々な液体が混ざり合い、漏出(ろうしゅつ)する。赤みが強かった。しかも動物性油の酷い臭いをまき散らしている。

 キノは野犬をパースエイダーで追い払った。

 近付いて確認する。しかしキノは、

「でも一人しかいない」

 淡々としていた。

 周りを少しうろつくが、誰もいなかった。

「荷物もあるし、おおかた食べ物の奪い合いって感じだね」

「……あっちに行ったみたいだ」

「じゃあ行こうよ」

 キノはエルメスに乗って、走っていった。

 

 

 満点の青空に太陽が浮かんでいる。ピカピカと元気良く光を放っていた。

 森を抜けて草原に出た。辺り一面には木々はなく、背丈の低い草が風の向くままに波打っている。

 そこを二分するように真ん中を道が裂いている。コンクリートで舗装された道路で、車二台分の幅がある。完璧とは言えないが凹凸(おうとつ)が少なく、綺麗な道路だった。

「いい道だ」

「これくらいきれいなら安心だね、キノ」

「そうだね。思い切り飛ばせる」

 豪快なエンジン音を(とどろ)かせて突き進む。

「これじゃあ暴走族って言われても言い返せないよ」

「好きに言わせればいい。ボクは進んでるだけだしね」

 すると、遠くの方に何かが見えた。豆粒ほどで肉眼では正確に見えない。

 キノはまたしても停車し、双眼鏡を取り出した。

「何が見える?」

「……群集? テントがいくつかある」

「それはたぶん遊牧民だよ」

「そうなんだ。……周りを見ても見当たらないし……いるかもね」

 ポケットから何かを取り出した。コンパスと箱型の機械だった。その機械はモニターが付いており、ピコンピコンと黒い点が点滅している。コンパスと交互に見直していた。

「どう?」

「間違いない。距離的にも合ってる」

「どうするの?」

「普通に行くよ」

 キノはエルメスに(またが)り、爆音を走らせた。

 

 

 そこは遊牧民の村だった。テントが置かれ、山羊(やぎ)やら牛やらが放たれている。人々はわいわいと談笑していた。

 キノはエルメスを押してそこへ入った。すぐに人が集まった。長老らしき老人がキノに話しかける。

「こんにちは旅人さん。こんな所ですが、ごゆるりとしてください」

「ありがとうございます」

「休まれるのでしたら、あちらのテントをお使いください。空けておりますので」

「ありがとね」

 早速、そちらのテントへ向かった。中は意外に涼しく、休むには十分な広さだった。

 しかし誰もいない。

「少し散歩しようか」

「そうだね」

 エルメスを押して、村を回った。と言ってもテントがいくつかだけの、言わばスペースに過ぎないので、さほどかからなかった。

「おかしいな。ここのはずなんだけど……」

「テントの裏側は?」

「……あ、そうか」

 ということで、テントの周りも探した。すると、

「お」

 いた。

「……」

 一人の男が眠っていた。テントにもたれて胡座(あぐら)で。

「すぅ……すぅ……」

 黒いセーターにダークブルーのジーンズを着て、薄汚れた黒いスニーカーを履いている。セーターの(そで)(てのひら)を半分隠し、(すそ)はジーンズのポケットをだらりと覆う。前面にあるファスナーは胸元まで上げられ、そこに四角い物体のネックレスが見えていた。水色とエメラルドグリーンを混ぜたような色をしている。

 脇にはぶっくりと太った黒いリュックが置いてあった。なぜか黒い傘が刺さっている。

 キノは目の前にして考えていた。

「……」

 そして男に近付き、意を決する。

 右の太股に手を、

「旅人様」

「!」

 キノは咄嗟(とっさ)に離れた。既にパースエイダーは抜かれ、男に向けている。しっかりと両手で握っていた。

「申し訳ありません。驚かそうとしたわけではありませんので、どうか気を悪くしないでください」

 “女の声”がどこからか聞こえる。落ち着きのある妙齢の女の声だ。

「今、この男はようやく眠れたところなのです。もし“用事”があるのでしたら、起きてからにしていただけないでしょうか?」

「……」

 キノはパースエイダーをしまった。そして、

「あなたはいったい誰なんですか?」

 問いかけた。自然に。

「私の名前は“フー”。こちらの男は“ダメ男”です」

「フーさんにダメ男さん……でも、フーさんは一体どこに……?」

「もしかして、フーさんはぼくと同じなんじゃない?」

 エルメスが横から割って入った。

「どういうことだいエルメス?」

「そのまんまさ。モトラドがしゃべるように、ダメ男さんの、その首飾りがしゃべってるんだよ」

「……ん……」

 ぴくりと(まゆ)が動く。

「んふぅ……」

「?」

「んーぅ……!」

 “ダメ男”と呼ばれた男は両手を挙げて背筋を伸ばした。

「ふああぁ……んぅ?」

 目を覚ました。

 ダメ男はキョロキョロと見回す。

「なんかうるさいと思ったら……だれ?」

「ボクはキノ。こっちは相棒のエルメスです」

「はじめましてダメ男さん」

「……どうもこんちわ」

 ぺこりと会釈した。そして立ち上がった。キノの目線がわずかに上向く。細身ながらも筋肉質な体格だった。

 キノとエルメスに近づいた。

「これ……バイク?」

「一応モトラドってことにしといてね」

「へぇ……“オ”トラドか、初めて聞いた」

「“モ”トラド! 間違えないでよ!」

「ダメ男の知能は動物以下なので、すみません」

「ぶっとばすぞ」

「キノ様に撃ち殺されると思いますけどね」

「……ぐ……たえろ、耐えるんだ……」

「……」

 リアクションに困る。

 ダメ男がキノに向く。

「あのさ、エルメスとやらに乗ってみてもいいか?」

「え?」

 キノはきょとんとした。

「すみませんが、おことわりしま、」

「えーっと、これがアクセル? ここブレーキで……マニュアル操作なのかこれ?」

 いつの間にか乗っていた。

 しかもエンジンがかかった。

「キノっ! なにぼーっとしてんのさ! はやく助けてよ!」

「え? あ!」

 パースエイダーを抜いた時には、

「十分くらい貸してくれいっ! いやっほう!」

「うわあああああぁぁ!」

 遅かった。ダメ男はエルメスを乗り回しに行ってしまった。

 その代わりに、

「キノ様、本当に申し訳ありません。ダメ男がゴミクズなばかりに、すみません」

「! いつの間に……」

 キノの首にフーが巻かれていた。フーは黒い紐で繋がれている。

 再びパースエイダーをしまった。

「本当にごめんなさいです」

「いいですよ、もう。ああなっては仕方がない。壊されないことを祈るのみです」

「本当にごめんなさい」

「……ところで、お伺いしたいことがあります」

「何でしょう?」

 キノはフーを手にし、撫でたり(こす)ったりして調べてみた。ツルツルしていて、蝶番のように開く。中には十数個のボタンとモニターが付いていた。しかしキノがいくら操作しても作動しない。モニターも黒いままだ。

「ここに来る途中で森を抜けてきたんですが、男性の死体がありました」

「はい」

「ダメ男さんが始末したのですか?」

「違います」

 普通に答えた。

「では、誰が始末したのか分かりますか?」

「分かりませんね。こちらもあの森を抜けてきましたが、ダメ男が来たときには既に絶命していましたし」

「いつ頃で、どのように亡くなっていたか分かりますか?」

「一週間ほど前でしょうか。どのような状態かはキノ様が見たままと同じだと思いますよ」

「……そうですか」

「気になりましたか?」

「それはね。森の中で死体を見かければ、不穏なことがあったと思いますから」

「ですよね」

 キノは眺めた。暴走していたはずのダメ男が、のほほんと運転していた。心なしか操縦が上手い気がする。

「彼、上手ですね。何か乗り物で旅をしてるんですか?」

「いえ。ダメ男は徒歩ですよ」

「徒歩……ですか。疲れるし、距離も稼げないと思うんですが」

「キノ様もダメ男のあの顔を見ましたよね?」

「はい。興奮気味でしたね」

「ダメ男は乗り物、特にモトラドに乗ると暴走する“クセ”があるのです。本人の気質によるものですけど。なので乗り物を使わせず、徒歩で旅をさせているのです」

「面白い人ですね」

 

 

「けっこう乗りやすいもんだなぁ」

「まったく、びっくりしたよ! 死ぬかと思った!」

「悪い悪い。でももう慣れたから安心してくれ」

「たしかに! ダメ男さんは何か乗ってたの?」

「自転車をちょっとだけな」

「へぇー。だとしたら、キノよりも運転のセンスはあるね」

「まじか。けっこう嬉しいな。オレもモトラド買おっかなぁ」

「もしかして徒歩なの?」

「あぁ、そうだよ」

「一日中歩いて旅してるんだ。疲れない?」

「慣れると楽だよ。維持費もないし故障の心配もない」

「人体に維持費がかかるし故障の心配もあるけどね」

「まあそうだなっ」

 ダメ男は笑った。

「んで、どうしてここに来たんだ?」

「ぼくたちはいろんな国を旅してるんだ」

「ほお~。オレらと同じだな。じゃあさ、絶景とか好きか?」

「うーん、好きなほうじゃないかな」

「したらさ、逆方向なんだけど……ほら、ずっと向こう側に山が見えるじゃん」

「うん。あるね」

「そこの湖見てきたほうがいいよ。めっちゃ感動するからっ」

「どんな湖なの」

「あぁ、まるで鏡のように景色を映すんだよ」

「なにそれ!」

「そこの湖は元が塩原なんだよ。雨季になるとその塩原に雨水がたまって、湖のようなでかい水たまりができるんだ。で、今がちょうど雨季なんだ」

「へぇー! それは見てみたいね」

「行ってみたらいい。オレのオススメだ!」

 

 

 もう夕方になっていた。いや、夕方を過ぎて夜になろうとしていた。星が光りだし、冷えた風が心地良い。

 ちなみに、ダメ男の約束は何時間もオーバーしていた。

「いやーごめん! このステッカーあげるから許してくれっ」

「いらないからっ。でもたのしかったよ」

 ダメ男は無事にエルメスを返した。若干ひやひやしていたのか、キノは安堵のため息を漏らす。

「エルメス、どうだった?」

「キノより上手かったね」

「なら、ダメ男さんと一緒に旅をするかい?」

「ヤキモチかい、キノ」

「いや、別にそういうわけじゃ……」

「どっちにしても、それは遠慮するよ。いつ壊されるかたまったもんじゃない」

「そう」

 こつこつとエルメスを小突く。

「フーはどうだったよ?」

「そうですね。キノ様は素晴らしい方です」

「そうかそうか。若いねーちゃんなのに、すごいよな」

「ということでダメ男、お達者で」

「キノと一緒に行くんかいっ」

「ダメ男と一緒にいては、いつ壊されるか心配ですから」

「どんだけオレクラッシャーなの?」

「バカでアホでドジで間抜けで生ゴミで核廃棄物でクズで性格破綻者なダメ男なんかより楽しそうですしね」

 とか言いながらも、しっかりとダメ男の首にかけられるフー。

「さて、そろそろ休もうかね」

「はい。キノ様、エルメス様、ありがとうございました」

「また明日、お会いしましょう」

「おやすみ、ダメ男さんにフーさん」

 ダメ男たちはテントに戻っていった。キノたちとは違うテントだ。

 キノたちもテントに戻った。

「手強いね」

「そう? 能天気なおバカさんって感じだったけど」

 かちゃかちゃと何かの準備に取り掛かっている。

「ダメ男さんはともかく、相棒のフーさんが厄介(やっかい)だ」

「そうなの?」

「あの形状なのに視界は三百六十度。磁気探知や熱探知も可能だし暗視機能までついてるらしい」

「もはや兵器だね」

「しかも天気予報やトランシーバーの役目まであるし、娯楽もあるらしい」

「すごいね」

「……」

「キノ? どうしたの?」

「ああいうのってどこかで売ってないかな……」

 

 

 一方のダメ男はというと。

「エルメスって乗り心地よかったよ! いや~、オレもモトラドほしい~!」

「絶対に入手させませんからね」

「いいじゃんか。旅がぐっと楽になるしよ」

「利便性と同時に死のリスクがつきまとうのですよ? キノ様ほどの運転手ならいいのですが、ダメ男は早死にするタイプですから絶対に駄目です」

「なんだ? 嫉妬してるのか?」

「何を言ってるのか分かりませんが、してるわけないじゃないですかっ」

「分かってんじゃん」

「と、とにかく、ダメ男は駄目です!」

「分かったよ。……ところでフーはどうだった?」

「キノ様は(かしこ)くて素直でとても合理的で、実に素晴らしい人柄でしたよ。見ていて安心します」

「めっちゃ強そうだしな。なんだよあの拳銃、怖くてビビるわ」

「それと背後にももう一丁拳銃、つまりパースエイダーを隠していました。他にも身体の至る所に武器を隠しているようです。その量はおそらくダメ男を(はる)かに超えると推測します」

「まじかよ……。やっぱ女の子だから装備も多いんだなぁ……」

「唯一の勝算は近接戦闘です。当てになりませんけど」

「ちょっと待て。なんでオレがキノと戦う前提になってるんだ?」

「キノ様はあなたを探しに来たのですよ」

「へあっ? なんで? オレ、あんな娘に復讐されるようなことは……してないわけじゃないけど……」

「ダメ男が眠っているところを襲おうとしていたからです。案の定、私の存在に気付けなかったようでした」

「えぇぇぇっ? まじか……今どきの女の子は大胆なんだな。寝込みを襲うなんて、しかも白昼堂々と……。大人しそうな顔して……」

「そうじゃなくて、あなたを殺そうとしたってことです!」

「え? あぁそういうことか」

「どこまでも能天気ですねっ! まったくっ」

「あははは……」

「それで、どうするのですか? 相手は殺す気満々ですよ。かと言って勝てる相手でもないですし」

「逃げる」

「エルメス様を相手にですか?」

「……何キロくらい出ると思う?」

「あなたが乗ったのですから、そちらの方がよく分かっているでしょうっ?」

「うーん……百キロオーバーだな」

「全く歯が立ちませんね」

「じゃあ寝るか。明日に備えて」

「本当に暢気(のんき)なものです」

 暢気に眠りに入った。

 

 

 朝。キノは目覚めるとともに訓練を始めた。右の太股に装備されたパースエイダー『カノン』と背後に隠してある『森の人』の抜き打ち練習だ。ほどほどにこなした後、入念に整備した。

 水を浸したタオルで身体を拭い、いつもの服装に着替えた。

 村人が用意してくれた栄養満点の料理をがつがつと食べる。

「おはようキノ」

「おはよう。珍しく自分で起きたねエルメス」

「たまにはね。“傘置きで三本も盗む”っていうし」

「……えっと、“早起きは三文の得”?」

「そうそれ!」

「……とにかく、食べたら出発するよ」

「いつ食べ終わるのかね」

 キノはむしゃむしゃと食べ続ける。

 

 

 朝食を終えて、早速ダメ男のいるテントへ向かった。

「!」

 しかし、

「あれ? いないね」

 ダメ男の姿がなかった。しかし、何かが落ちている。

「なんだこれ?」

「髪の毛じゃない?」

 黒い毛だった。さらさらとしていて、男にしては長い。

 すぐにテントを出て、近くにいた村人に声をかけた。

「あの、ここに泊まっていた旅人を知りませんか?」

「そこの人? ……あぁ、日が出る前に馬借りて出かけたよ」

「どちらへ行きましたか?」

「確か……ほら、あそこだよ」

 示した方向は森だった。

「分かりました。ありがとうございます」

「旅人さんも出かけるのかい?」

「そうだよ。あっちの方に絶景があるって教えてくれたんだ」

「そうかい。気を付けてね」

「お世話になりました」

 キノはエルメスに乗り、駆け抜けていった。

 

 

「バレてたんだね、きっと」

「フーさんだ。ボクがパースエイダーを抜こうとしたところを見てたんだ」

「フーさんは元々起きてたってことだね」

「あの能天気な人柄で気付けなかった……うかつだった。もっと早く気付くべきだった」

「本当にフーさんは脅威だね。逆に言えば、フーさんを仕留めればこっちのもんだ」

「フーさんを仕留めるくらいなら、ダメ男さんを直接撃つよ」

「なんで?」

「……そっちの方が早いからね」

「今の間はなに? まさか、良からぬことを考えてないだろうねキノ?」

「まさか。早く終わらせてゆっくりしたいだけだよエルメス」

「それならいいんだけど」

「嫉妬かい?」

「まさか。アレから発する電磁波が少し気持ち悪いだけだよ」

「それならいいんだけど」

 

 

 目の前に巨大な森が迫る。まるで異次元を目の前にしたかのような、薄気味悪さを(かも)しだしていた。光はほどほどに差し込んでいるものの、夜のように中が暗い。

 キノはエルメスを停めて、押して進んだ。複雑に絡まった木々の間を抜けていく。晴れているはずなのに暗い。

「どうして降りるのさ?」

「ボクから逃げられないことは分かってる。とすれば迎え撃つしかない」

「その場所はここってわけだね」

「そう。……ダメ男さん、聞こえますかっ?」

 どこかに向かって叫んだ。

「大人しく投降していただければ、ボクはあなたを殺しはしません! ですが、抵抗するようでしたら容赦しませんので、覚悟してください!」

「とか言いながら痛めつけるくせに」

 ぽつりと(つぶや)いた。

「行ってくる」

「いってらっさい」

 エルメスから離れ、一人森の中へ消えた。

「るーるーらー」

 のほほんとした鼻歌が聞こえてくる。

 

 

 軽い足取りだった。周囲をほどほどに集中し、神経を研ぎ澄ます。一瞬で仕留めるためなのか、右手が『カノン』に触れたままだ。

 足に何かが引っ掛かった。すると、目の前から巨大な丸太が押し寄せてきた。それを軽やかに避けると、今度はそちらの方から何十本ものナイフが飛んでくる。それらも傷一つつくことなく叩き落とすと、キノの目の前に四角い何かが落ちてきた。閃光弾だ。

 爆発する直前で木の陰に隠れた。隠れる動作が見えないくらいに俊敏(しゅんびん)だった。

 額が少し汗ばんでいる。

「エルメスからさほど離れてないのに、このブービートラップの量……」

 目の前にあからさまな落とし穴があった。綺麗な円で“隙間”が(ふち)どられている。足元を見つつ迂回(うかい)していくと、顔に糸が引っかかった。すぐに木の陰に隠れる。しかし何も起こらなかった。陰から顔を(のぞ)かせるが、そちらには誰もいない。

 キノが、

「っ」

 『カノン』を抜いた。しかも振り向かずに、背後に向けて。

「やりますね」

 銃口は、

「見た目以上にやり手のようですね、ダメ男さん」

 ダメ男の額にぴったりと付いていた。

「オレもパースエイダー買っとくべきだったかな」

 キノはゆっくり振り向く。ダメ男の表情を冷静な面持ちで観察した。

「でも仕切り直しだ」

 キノの首に、ダメ男のナイフが触れていた。切れてはいないが、少しでも力を入れれば輪切りになるだろう。

 ナイフを握る右手に力が入る。じっとりと手汗が()み出る。

「どっかの誰かさんがこういう展開がほしいってもんでね」

「ボクはいりませんけど」

「つれないなぁ……」

 にやりとする。しかし、顔が硬い。

「よく分かりませんけど、もう一度言います。大人しく投降してください。ダメ男さんがこのままナイフを下ろしてくれれば悪いようにはしません」

「どうすんだ?」

「あなたをこの先にある街に連れ戻すだけですよ」

「あそこがどういう街なのか、知ってんのか?」

「犯罪者は絶対に死刑になる“きびしい”国ですよね」

「ってことは、キノはそこの街で雇われた殺し屋ってわけか」

 苦い顔だった。

「殺し屋ではありません、旅人です」

「……そのままそっくり返すよ。あんたがそのままそいつを収めてくれれば、オレはこれ以上何もしない。むしろ、諦めた方がお互いに得をするんだ」

「? どういうことですか?」

「それはな、」

 セーターの中から、

「!」

 左手が飛び出してきた。キノの『カノン』を持つ右手首を(つか)む。全力で握り締めると、

「ぐ」

 『カノン』を手放してしまった。その隙にダメ男は『カノン』を蹴り飛ばし、俊足(しゅんそく)で逃げていった。

 ぱすっぱすっ。

「うお!」

 気の抜けた音。直後に弾丸が襲う。それを、木を(たて)にして難を逃れた。

「それってサプレッサーつけられんのかよっ」

「今回だけの特別仕様ですよ」

 キノの左手には『森の人』が握られていた。黒い円筒状の“消音器”が付いている。

 銃口を向けたまま、素早く『カノン』を拾いに行った。

「!」

 何かに気付き、

「やばいっ」

 キノは急いで逃げ出した。その瞬間、

「くぅ!」

 爆発した。

 耳を塞ぐにも堪えられないほどの爆音と、木々を根こそぎ吹き飛ばす爆風。爆炎が轟々と立ち上り、辺りを一瞬にして消し飛ばした。キノは爆風を受けてあおられるも、木にしがみ付きどうにか助かった。

 木々で埋め尽くされた空間は炎が走り、煙が巻き上がる。地面に大きなクレーターができていた。

「ダイナマイトか……?」

 キノはゴーグルを着け、ゆっくりと歩き出した。直後、

「!」

 ゴーグルにカキンと何かがぶつかった。急いで拾い上げると、

「……毒?」

 手投げナイフだった。ちょうど掌に収まるくらいのサイズで、心なしか刃が照っている。

「……あの左腕といい巧妙な罠といい……厄介だな……」

 一旦、その場を離れた。

 

 

「おっ。お帰り」

 エルメスの元へキノが戻ってきた。

「ずいぶんとお疲れだね、キノ」

「これほどの相手とはね……」

 荷物からタオルと水を取り出し、休憩した。

「さっきの爆発はなに?」

「ダメ男さんが爆薬を使ったんだ」

「自爆ってこと?」

「いや、生きてるよ。ほらこれ」

 エルメスに手投げナイフを見せた。

「爆発の直後に投げてきたんだ」

「なるほどね」

「普段の性格とギャップがあるようだ。恐ろしく戦術的だよ。並大抵の知識じゃないね」

「えらくベタ褒めだね。でも、そんなダメ男さんを相手にのんきに休んでて大丈夫なの、キノ?」

「大丈夫。ダメ男さんも自分の場所に戻って休んでるよ。急所を外したのが心残りだけど」

「“市場(いちば)独占”だね」

「……“一時休戦”?」

「あ、それそれ」

「……それでさっき、ダメ男さんがボクに言ってきたんだ」

「なんて?」

「“諦めた方がお互いに得をする”って」

「実力がおんなじくらいだと、消耗戦になるから得にならないってことかな?」

「さあね」

 キノはストレッチした。

「かつてのベトナム戦争みたいだね」

「? なんだいそれ?」

「圧倒的軍事力を持ってしても攻略しきれなかった戦争だよ」

「……ボクはどっちになるんだろう」

「バッチリアメリカ」

「えっとつまり攻める側?」

「うん」

「そうならないように気を付けるよ」

「がんばってー」

 また森の中へ消えていった。

「るーるーるーん?」

 

 

 左耳には黒いコードが伸びていた。

 ダメ男は、

「……いってぇ……ホントになにもんだよ、あの娘……」

〈あれが“本物”ですよ、ダメ男〉

 木の上で休んでいた。疲労で汗をかきまくっている。タオルで顔を拭いていた。リュックは持っていない。

 むしゃむしゃとブロック状の食べ物を食べて、ボトルの水をごくごく飲む。ふぅ、と一息ついた。

「普通だったらあの爆発で死んでるっつーの……」

〈いわゆる“補正”ですね。疲労はしているでしょうけど、実質的なダメージはゼロでしょう〉

「相当やり慣れてるんだろうな……。まるで精密機械のようなツラだったぜ。……っつ……ただ、“眼”だけは誤魔化(ごまか)せなかったようだ」

〈何を感じましたか?〉

「半端なく強い使命感と殺意」

〈そうでしたか〉

「エルメスを人質にとろっかね……」

〈おそらくそれは無意味でしょう。その左腕が証明しています〉

 ダメ男の左腕には黒い穴が二つ付いていた。

〈想像通り、射撃の腕もピカ一ですね〉

「また弾の取り出しかよ……」

 袖を(まく)ると、血がどくどくと(あふ)れて腕が真っ赤だった。

 ダメ男はタオルを()んで、脇にボトルを挟み込む。力強く。すると、血が止まった。その間にピンセットで腕に食い込んだ弾丸を、

「ふぅ……ふぅぅっ、ううぅ……!」

 取り出した。タオルを思い切り噛んでいた。幸いにも深くはなかったようだ。

 身体中から尋常じゃないほどの汗が出る。

「はぁ……はぁ……」

 その後、消毒液と包帯で応急処置を済ませた。

 袖を戻す。(えぐ)るような激痛に顔が張り詰める。

「気付いて欲しかったんだけどな……」

〈そこら辺はまだ少女なのでしょう〉

「あぁ。人のこと言えないけど」

〈そうですね。ただ、ダメ男は年齢の割に考え方が()けていますが〉

 セーターの中からナイフを取り出した。黒い骨組みに透明な膜を貼り付けた()の中に、刃が収納されていた。長さは拳三つほどか。仕込み式で、柄の先にあるポッチを押すと勢いよく刃が飛び出す仕組みだ。

「……老獪(ろうかい)な戦術を味あわせてや、……!」

 ダメ男はすぐに木から下りた。ダメ男がいたところの背後、つまり木には穴が一つ。ちょうど頭の位置だった。

〈ダメ男を追いこんでいますね。弾道から位置を把握しましたね?〉

 フーを一回小突く。

〈了解しました。熱探知を開始します。残電量は五パーセントです。……ぴぴぴぴ、ぴぴぴぴ〉

 ダメ男は走った。肩で息をしながら、ジグザグに、緩急(かんきゅう)をつけて。

「あいつ、こっちの居場所知ってんのか? この暗さなのにピンポイントだぞっ」

〈熱探知完了。熱探知できる大型の生物はダメ男から南南西に八百メートル。人型です〉

「そんなとこからっ? スナイパーかよっ」

〈しかもこの視界の悪さで正確に狙撃ができるとは、夜目(よめ)()くというだけでは説明しきれません。もしかして、何か仕込んでいるのではないでしょうか?〉

「何かって何よっ?」

〈例えば発信機です。ダメ男の衣服や荷物に忍ばせておけば、容易に把握できます〉

「そんなもんいつから、……!」

 頭をさっと下げた。ピシュン、と頭上を何かが通った。奥の木に鋭い音が突き刺さる。

「ここで裸になりゃあ勝てっかなっ?」

〈“男の弱点”が消し飛びますよ〉

「そうだ、いっづ!」

 一瞬、右(ほほ)(かす)る。一直線に赤いラインができた。

〈合ってきていますね〉

「くそっ」

 ダメ男は木の陰に身を(ひそ)めた。汗を流し、口で息をしている。

 木にもたれかかる。

〈追い詰められていますね〉

「わざと狙ってないようにも感じる」

〈どういうことです?〉

「あのヤロー……オレを試してるんかもな」

〈なるほど。先輩に死のご指導を(たまわ)っているわけですか〉

 隠れている隙にポーチから四角い物体を取り出し、フーのと交換した。

「どんだけ余裕あんだよ……! こっちは逃げるだけで精一杯だっつーの、にぃっ!」

 ぐるりと前転した。ダメ男の座っていた地面に穴が一つ空く。木の枝に乗っているキノが頭上から撃っていた。

 別の木の陰に隠れる間際(まぎわ)に二つナイフを投げ付けた。顔と腹。しかし、半身引いて、あっさりとかわされる。しかし、キノは急いで木から飛び降りた。もう一つ、いつの間にか木の枝に刺さっていたからだ。仕込み式ナイフだった。

 下りた地点の目の前でダメ男が迫っていた。キノは分かっていたようで、空中でパースエイダーをしまっている。否応なしに肉弾戦に突入した。

 着地した瞬間に狙いをつけた水面蹴り。左脚に直撃するのを、キノはわざと喰らい、膝を曲げて衝撃を殺した。体勢が悪いうちに素早くカノンを抜こうとする。しかしナイフがそれを(はば)んだ。

 使わせまい、と距離を詰めるダメ男。がすがすと拳で攻め腕で守り足で蹴り、相手を掴んでは引き寄せ、倒れては足を引っ掛ける。瞬きが許されないほどに速かった。だが、ダメ男の左腕を、

「ぐぅ!」

 集中的に攻めるキノ。その度に表情が(ゆが)む。左腕に鈍い痛みと電撃痛が走り抜ける。

「さすがに力がありますね」

「そんあ涼しい顔で言わりぇ、うおぅ! てもな! 説得力ねぇ!」

「でも、こういう展開に持っていったのはダメ男さんでしょう? あのナイフはフェイクだったんですから。ボクも少し焦りました」

「うほう! オレはキノにあきらめてもらうほうが良かったんだけどなっ」

 ぐらりとキノがふらつく。強引な攻め合いで力負けしたようで、半歩退く。そこを右ストレート、

「それは無理な話です」

「!」

 ごすっ、とダメ男の顔に拳が飛ぶ。ダメ男の右にキノの左が重なっていた。いわゆるクロスカウンター。

 嫌な音と衝撃で()()るが、すぐに詰めて構えた。ちょうど一歩でキノの目前に達する間合いだ。ジジジとファスナーを上げ、構え直す。

 キノは少しだけ息を切らしていた。口で軽く息を吸っている。

「やば……やば……」

 驚きを隠せないダメ男。女の子に圧倒されているということもあるが、大振りを誘われていたことに動揺する。

 じっ、とキノが詰め寄る。その詰め方が実にいやらしく、ダメ男は退くしかなかった。

「……報酬はなんなんだ?」

 そのために、ダメ男は気を逸らしにかかる。

「ダメ男さんには関係のない話です」

冥土(めいど)の土産ってヤツだ。まぁオレのことなんだけど」

「ずいぶんと自虐的ですね。でも、関係ないことを話すほどボクにも余裕はありませんから」

「ウソツキ」

「……分かりました。そこまで言うならお話します。あなたともう一人を捕獲すると、旅に必要な道具以外に豪華な食事と部屋を三日分用意してくれるんです」

「……なんだそれ。くだらない」

「個人的には魅力的に思えたので引き受けたんです」

「タダ飯とキレイな部屋とオレらの命は同価値ってことか」

「かもしれませんね」

 くすりと微笑む。

 

 

 ダメ男はだくだくと汗をかいていた。肩や腹で大きく呼吸し、表情が重い。

 ダメ男の思惑は見切っている。わざと話させながら、顔に注意を向けさせながら、ゆっくりと右太股に持っていく。右手を気取られないように。その手は震えていなかった。全く。

「それはそうと、ダメ男さんはさすがですね」

「なにが?」

「数々のトラップ、戦術、心理戦、接近戦と幅広く対応してます。ボクも翻弄(ほんろう)されっぱなしです」

「……あんた意外にタヌキなんだな」

「?」

「わざとはまってるんだろ? ったく、どこまでもナメたガキだ」

「不謹慎ですけど、勝負は楽しむものですから」

「そいつは絶対的強者の言うセリフだ。やられる方からしたらたまったもんじゃない」

「ですが、ダメ男さんはまだ勝算があるのでしょう? じゃなかったら、わざわざボクと間合いを取りませんし」

「ぶん(なぐ)っといて言うことかいっ」

「……そうですね」

 にこりと笑う。

「さて、お話はこれくらいにしますが、もう一度だけ言います。大人しく降伏しませんか? 再三言いましたけど、これが最後の譲歩です。あなたほどの人ならもう一度脱獄できると思いますよ。それにその左腕……早く治療しないと大惨事になりますよ」

 ダメ男の左手の甲から、血が流れている。

「ちなみに同じ手は二度通用しません。あの左腕までフェイクだったのは想定しきれなくて焦りましたけど」

 少しでも不審な行動をとったなら、迷わず撃ち抜く。キノはその気概(きがい)で、無表情でダメ男の全身を観察した。

 しかしダメ男は、

「エルメス……どうなってんだろうな」

 空気を読まずに話し続けた。

「お話はこれくらいにと、……?」

 ダメ男が取り出したのは、

「これなーんだ?」

 ブレーキの金具だった。

「それは……エルメスの……!」

「オレがこの森に誘い込んだのは何でかってよく考えなかったか? もちろんパースエイダーで狙い撃ちされるからってのもあるんだけど、一番の目的は仲間がいることを(さと)られないためだ」

 ダメ男は視線を()らした。キノの背後を見る。

「来てくれたかっ!」

「嘘ですね」

「!」

 ところが、キノは、

「あなたに仲間はいません。なぜなら、あなたの足跡以外は見つかりませんでしたから」

「……」

 ダメ男が呼びかける方に見向きもしなかった。全く揺れていない。

 ぴくりと目が動く。

「それに、エルメスが壊されたとしても状況は変わりません。ここであなたを仕留めれば全て済む話ですから」

「……」

 にやり。

「やっぱダメか」

 ダメ男は観念したかのように肩を落とした。しかし、

「ちなみに教えてくれ」

「何ですか?」

「それってどういう“パースエイダー”?」

「リボルバータイプのものです。ボクは『カノン』と呼んでいます」

「そうか。いい名前だ」

 ぎらりと睨み付けている。

「おい、助けに来たぞっ」

「!」

 背後から誰かの“声”。キノは抜く手も見せぬ早さで『森の人』を向けた。顔もそちらに向く。しかし、誰もいなかった。

(おとり)か……!」

 ダメ男が肉薄してくる。その想像通り、ダメ男はナイフで狙っていた。

 振り返らず『カノン』のトリガーを引いた。

 

 

 キノがエルメスの元へ戻ってきた。

「おつかれさま、キノ」

「あぁ」

 疲れきった面持ちで持ってきたケースを二つ持っていった。

「あら、どうしたんだろ?」

 しばらくして、また戻ってきた。

「けっこうかかったね。夕方だよ」

「ダメ男さんは強かった。でも、“依頼は終わった”」

 キノは大事そうにケースを抱えている。

「それは?」

「見るかい?」

 エルメスの目の前でかぱりと開けた。

「おお。どぎついね。真っ赤なスープと具材だね」

「これを持ってかないと信じてもらえなさそうだからね」

「たしかに」

「さて、行こうか」

 荷台にしっかりと縛り付けた後、エルメスに乗って爆走していった。

 

 

「失礼します」

「おぉ! 旅人さん! お待ちしておりました! して、結果はっ?」

「二人とも仕留めました」

「……その二つの箱は?」

「その前に順に報告します。一人目は森の中で見つけました。でも既に息絶えていました。刃物でめった刺しにしていましたが、おそらく毒物で殺めたのだと考えました」

「? なぜです?」

「死体は自分の首を押さえるようにしていたからです。毒物による呼吸困難ではないかと。それを隠蔽するためにめった刺しにしたんだと思います。ですが、野犬が食い荒らしていて、顔面がえぐられていました」

「うっ、なっなるほど……」

「そしてもう一人は近くにあった遊牧民の集落で見つけました。かなりやり手で、勘の鋭い男でした。そのために逃げられてしまいました」

「なにぃ?」

「ですが、先ほど言った森の中で戦闘となり、仕留めました」

「そうかそうか! ではそれは……!」

「仕留めた証拠品です。どうぞ」

「……? これは何ですか?」

「二人の毛髪です」

「これでは生きているかもしれないじゃないかっ」

「よく見てください」

「……! これは……!」

「皮膚と血液です。そう言われると思い、入れておきました。隊長さんの部下から毛髪だけでも“DNA鑑定”ができると伺い、手持ちと手間を考慮した結果です。これくらいあればほぼ間違いなくできると思いました」

「せ、せめて袋に入れるとかして、」

「すみません。手持ちと時間がなかったもので……。ボクが仕留めた男は手強い相手で、三日三晩戦うはめになりました。なので相手の顔面や身体に気を使うことができず、ぐちゃぐちゃにしてしまいました。そこで、せめて毛髪などを採取してきたのです」

「うむぅ……」

「そこまで疑うのでしたら、森の中へ案内いたしましょうか? 森の中で(とむら)いましたが、野犬が生息しているので、顔がわからないほどぐっちゃぐちゃのめっちゃめちゃになってい、」

「いやいい。私が悪かった……」

「そうですか」

「三日間の激闘、()(たた)えると同時に報酬をお支払いしよう。大臣に言えば、部屋を案内してくれるだろう。三日間、満喫(まんきつ)してくだされ」

「ありがとうございます」

「ご苦労であった。……おぅっぷ……」

「隊長さんおだいじにー」

 

 

 スポーツができるほどの広い部屋、ふっかふかのベッド、豪華な浴室、もふもふのカーペット。豪華な部屋にキノとエルメスがいた。

「気持ちい……」

「大げさだなぁ、キノ」

「ねむい」

「眠るかい?」

「まだ夕食食べてないよ」

「でも、そろそろだって言われて一時間になるよ?」

「手の込んだ最高級の料理を準備してるに違いない」

「そうだといいけどねー」

 数十分後、とてつもない広さの大食堂に案内された。目の前にはとてつもない広さのテーブルがあり、そこを敷き詰めるように多くの料理が置かれていた。

 ちょこんと端っこに座っているキノ。

「これ……全部ですか?」

「もちろん! 本気で作ったから遠慮なく食べてねっ」

「これ食べきれるの、キノ?」

「残さずいただきます」

「キノの胃袋より明らかに多いよ!」

「それでも食べる」

「歩けなくなっても知らないからね」

 数時間後、

「……ぅっぷぅ……もうたべきれない……」

 夕食を食べ終えたキノはベッドで(もだ)えていた。

「まさか、お手伝いさんに運んでもらうほど食べるなんて」

「おいしすぎてたべすぎた……」

「これがあと二日も続くの?」

「たぶんね」

「迷惑きわまりないなぁ」

「ボクは依頼をこなして報酬をもらってる。ただそれだけさ……ふぅ……」

「説得力のカケラもないよ」

「あぁ……ボクはなんて幸せなんだろう。天使の羽のようなベッド、広々とした部屋とお風ろ、おいしくていっぱいあるたべ……」

「おおげさだなー」

 そのままうとうとし始め、ついに眠ってしまった。

「ブタになっちゃうよー」

 それでも目を覚まさなかった。

 

 

 究極のくっちゃねくっちゃね生活の最後の日、つまり出発の日の朝となった。

 キノは荷物をまとめてエルメスを、

「ほら起きて」

 がつんがつん叩いて起こす。

「おはようキノ。相変わらず乱暴な起こし方だね」

「おはよう。そうされたくなかったら自分で起きるようになろうね、エルメス」

 押して、部屋を出た。

 そして最後の朝食を、

「いただきます」

「今度こそ食べ過ぎたらあぶないよ」

「わかってる」

 がっつりいただいた。

 食休みをした後、

「ありがとうございました。おいしい料理を堪能しました」

「そうですかそうですか。それではお気を付けていってらっしゃいませ」

「はい。どうもお世話になりました」

「それじゃねー」

 キノはエルメスを走らせて、国を去っていった。

「何ということだ……国の四分の一ほどの食料をたいらげるとは……。それほどの激戦だったのか、ただの大食らいなのか……」

 

 

 木々が折り重なるようにして形成された森。薄暗く悪路なために、ライトを付けて速度を落として走っていた。

「ねえキノ」

「なんだい?」

「本当によかったの?」

「なにが?」

 急にきゅきゅきゅとブレーキをかけて停車した。そこは木々が囲んでできた空間だが、二つの盛り上がりがあった。十字架も立てられている。

「しかたないさ。でもエルメスも良かったろう?」

「そりゃあ、そのおかげでぼくの燃料もキノの胃袋も満タンになったからいいんだけど」

「だけど?」

「なんか申し訳ないよね」

「それを言ってたら何もできないよ、エルメス」

「たしかにそうなんだけどさ」

 それらをちらりと見て、またエルメスを走らせる。

 

 

 雲一つない青空の下、草原が海のように波打っている。太陽が草原を照らし、光を受けて輝いていた。

 そこを二分するように道が通っている。完璧に綺麗に舗装された道路だった。

 しかし、道をどこまでも辿っていっても、何も走っていなかった。代わりに脇に村があった。村といっても遊牧民の集落で、テントがいくつかあるだけだ。前日よりも遠くに移動していた。その村に、

「キノ、ここでもお世話になるわけ?」

「うん、そのつもりだけど」

「昨日まであんなにたらふく食べたのに?」

「正確には今朝までだけどね」

「どっちでも変わらないよ! キノの胃袋は一体どうなってるのさ?」

「未知の領域ってことで」

 キノたちがいた。テントをまた貸してもらい、少し休んでいた。

 一旦外に出て、エルメスを押して歩き回った。さほど広くないので、あっという間に歩ききってしまう。

 足を止めた。

「あらら?」

 エルメスが驚いた。

「こんにちはキノ様、エルメス様」

「久しぶりですね、フーさん」

「な、なんで? どういうこと?」

 テントの裏側で、

「ダメ男はつい先ほど眠りについたので、用事があるのでしたら起きた後にしてください」

 ダメ男が眠っていた。テントにもたれ、気持ちよさそうに。

 右頬にキズ止めのテープが貼ってあった。

「すぅ……すぅ……」

「キノ、ダメ男さん生きてるよ?」

「そうだね」

「いや、そうだねじゃなくて、ぼくに“依頼は終わった”って言ったじゃないか」

「確かに言ったね」

「で、これは一体どういうことなのさ?」

「エルメス様、それはこちらが説明します」

 

 

 時を戻し……。

 振り返らず『カノン』のトリガーを引いた。

「!」

 しかし、

「おらぁ!」

 キノは殴られた。

「っつぅ!」

 『カノン』を握る手を。

 ダメ男は落ちる『カノン』をすかさず蹴り上げて、手元に引き寄せキャッチし、

「……」

 キノの顔に向けた。しかしキノは『森の人』をダメ男の鼻に突き付けていた。

「なぜ顔を狙わなかったんですか?」

「別にフェミニストってわけじゃないけど、こっちのほうがいいと思ってな」

「なるほど。……しかし、ボクとしたことが気付きませんでした」

「オレも()けみたいなもんだったから気にすんなよ」

 ぐっと『カノン』を握りしめた。

「まさか、“安全装置”が掛けられてたとは思いもしませんでした。いつですか?」

「最初の、キノの『カノン』を蹴った時だよ」

「……あの時ですか」

「絶対バレると思ってやったから、まさかここで()きるとは思わなんだか」

「あれは地雷におびき寄せると同時に、『カノン』の安全装置を掛けるためだったんですね。油断しました」

「……で、この膠着(こうちゃく)状態をどうするよ?」

 もちろん、ダメ男は安全装置を既に外している。

「ボクはそれを避ける自信があります。なぜならボクの『カノン』ですから」

「たしかに、オレは射撃がへたっぴなんだ。この至近距離でも当てる“自信”はないよ」

「そうですか」

「でも、“意地”がある」

「……」

 二人は(にら)み合う。指先や表情、目付きをつぶさに見て、機先(きせん)を制そうとする。

「……」

「……」

 そして、

「!」

 先に動いたのは、

「っ!」

 ダメ男だった。

「……」

「……」

「……え?」

 かちんっ。

「……? どういうこと?」

 かちかちかちかちかちんっ……。

「……」

「……ましゃか?」

「そういうことです」

 さり気なく『カノン』を取り返すキノ。そのままシリンダーを開ける。薬莢(やっきょう)を取り出し、弾頭を外し、逆さまにすると、

「『カノン』に装填されている弾丸はただの空薬莢だったんです」

 何も出てこなかった。

「火薬がない……。じゃあ今までの攻撃は……」

「全て『森の人』で撃っていました」

「……まじかよおぉぉぉっ!」

「ダメ男さんは今まで出会った中でも強い方でした。トラップや心理戦、人体の構造を把握していて、自身で完璧な処置も施すこともできる。あらゆる状況の対応力も素晴らしかったです。しかし何よりも恐ろしかったのは、野性の“勘”です。ボクが気配を殺して狙撃をしたのに、撃つ瞬間のわずかな殺気を感じて回避していました。現にボクの撃ち気を完全に(とら)え、より速く撃ちました。もし、『カノン』に弾丸を込めていたら、ボクの完敗でした。唯一残念だったのは、注意力不足ですね」

「どこの通信簿だよ……。そうなるように誘導したクセに……」

「もう、従ってくれますね?」

「……ちくしょう……」

 ダメ男はすんなりと手錠をはめてくれた。キノはダメ男の拘束に成功した。

「その前に、フーとナイフを取ってきたい」

「やはり、あの声はフーさんでしたか。格闘の最中にフーさんが見当たらなかったのでおかしいとは思っていたんですが」

「ましゃか、セーターの隙間から?」

「はい。その後にダメ男さんがファスナーをさり気なく上げたので確信しました」

「完璧に見破られてたんだな……」

 まずナイフを取りに行くキノ。ダメ男は大人しく待機していた。終始『森の人』が向いていたからだ。

「いいナイフですね」

「借り物でね。失くすわけにはいかないんだ」

 キノはナイフを隅々まで調べる。何かを取り外した。

「もう分かっているとは思いますが、発信機はここに付けられていたんです」

「どうりで。たしかにそれは肌身離さず持ってるからな。……ったく、荷物を大切に保管してたのはそのためか」

「?」

「あぁ、こっちの話だ」

 今度はダメ男を連れていく。示す方に行くと、

「さすがはキノ様ですね。あと一歩、いや五歩くらいでしたか」

「いえ、ボクは勝てたとは思えません。ラッキーでした」

「そんなご謙遜(けんそん)を。接近戦を見ていましたが、終始ダメ男が攻められていましたよ。よほどの訓練を積まれたのでしょうね。凄かったです。勉強になりました」

「お前らどこの主婦だよ」

 フーがいた。そこはダメ男が狙撃された時に、咄嗟に身を潜めた木の陰だった。その木の枝にフーが引っ掛けられている。フーを取ってダメ男の首にかけてあげた。

「それで、ダメ男さんには良い案があるんですよね?」

「!」

「一応聞いてみたいと思います。あまり良くないようでしたら、そのまま連行しますけど」

「その前に聞くけど、依頼っていうのはオレを殺すことか?」

「正確には、脱走者であるダメ男さんともう一人の男を生死問わずに連行することです。方法はボクに任せられています」

「よかった。……そこら辺の説明はフーに任せるよ。オレは口下手だからな」

「分かりました。説明します」

 とりあえず、キノはダメ男の左腕の処置に当たった。

「まず、ケースがあれば、各々の人物の皮膚片と毛髪、血液をたっぷりと入れてください。依頼主には“証拠品”として“二人の毛髪”を提示します」

「それをするなら、二人の首を提示した方が説得力はありますけど……」

「確かにその通りです。しかし、それを見て相手はどう考えるでしょうか?」

「どうって……仕留めたんだな、としか……」

「そうです。しかしこうも思いませんか? 現段階で依頼を成功したら、この依頼を特に問題なく淡々と、しかも早い時間でこなしてきたのだな、と」

「まぁ……そうですね」

「すると、次はどう考えるか? おそらく報酬の値切りを始めるでしょう」

「? どうして?」

「簡単に依頼をこなしてしまうと、大した労力を使わずに成功させたと思われてしまうからです。つまり、そんなに簡単だったのなら値切ってもいいだろう、と考えてしまうわけです」

「なるほど」

「そこであえて時間を稼ぎ、フルに戦ってきたと思わせるのです。そのために必要なことはダメ男の“毛髪”だったのです」

「……!」

 口元に手を当てて、考える。

「そうです。実はキノ様は既に“ダメ男の毛髪”を入手していました。あとはダメ男に協力してもらって血液と皮膚を収集すれば、依頼は簡単に成功したのです。そのメッセージでもあったのですが、気付いていただけなかったようですね」

「……」

「ちなみに、あの国では“DNA鑑定”という個人情報特定の技術が進歩していて、毛髪だけでも個人を特定することができるのです。ダメ男ともう一人を爆殺した、原形を留めないほどにメッタメタにした、など激戦の理由を添えて証拠品を提示すれば、首を取って来いなどの無理な要求はまずされないでしょう」

「……」

「とにかく、お互いに得をする手段をしませんか? このままキノ様がダメ男の首を持っていっても、確実に報酬は値切られてしまいます。三日間の贅沢(ぜいたく)が二十四時間になるかもしれませんよ?」

「……」

 少しして、小さく(うなず)いた。

「どうする?」

「……分かりました。全力で協力します」

「ありがとうございます。では、すぐに入れ物を持ってきていただけますか? ダメ男は自分で治療できますから安心してください。それと逃げようとも思いませんから」

「分かりました。急いでエルメスの元に戻ります」

 キノは走り去っていった。

 

 

「ってことは、だましたってこと?」

「そういうことになりますね」

「なーんだー。でも、教えてくれたっていいじゃないか!」

「エルメスはおしゃべりだからね。聞かれたらまずいと思って言わなかったんだ」

「でも、二人とも生きててよかったよ」

「キノ様、エルメス様、本当にありがとうございました。ダメ男が死んだらどうしようって思っていました」

「仲良しなんだね」

「仲良しというか、腐れ縁です」

「そうなんだ。でもさ、フーさんってダメ、」

「ん……?」

 ぴくぴくと目が動く。

「なんだ? また誰かいんのかフー……?」

 腕を上げて、背筋を伸ばした。きゅうっと伸びて気持ちいい。

「命の恩人ですよ」

 ちらっと目を開けた。

「……おぉ! 久しぶりだな! キノに“メ”ルメス!」

「どうも」「“エ”ルメス!」

 ぐっと立ち上がった。ぱんぱんとお尻を軽く(はた)く。

「その様子だと満喫できたようだな」

「おかげさまで。しかも、あそこの警備隊隊長は本当に値切るつもりでした。部下にちらちら聞いたら、けっこうなドケチと噂になっていたようですし」

「金持ちってのはケチが多いからな。まぁ、お望み通りになってよかったよかった」

 ダメ男は笑った。

「ダメ男とフーはすごいね。軍師に向いてるよ!」

「全然向いていませんよ」

「? なんで?」

「ダメ男は超絶な単純馬鹿でお人好しなので、どんなに劣勢でも困った人を助けてしまうのです。旅人としては致命的な弱点です」

「うっせー」

 頬を()く。

 キノはくすっと笑った。

「たしかに。でも、今の今まで生きてますから」

「確かに。ですが、たまに度を過ぎていまして困っているのです」

「ダメ男さんの性分では無理だと思いますよ」

「できればキノ様のようになってほしかったのですが」

「人それぞれですし、悪くないですよ」

「え?」

「あ」

 ダメ男はまた、

「え?」

 エルメスに跨り、

「キノ! またぼーっとして! はやくたす、」

 爆走した。

「うわああああぁぁぁっ!」

「あっはははは! また借りるぞっ!」

「そしてまた貸されます」

 轟々と走っていった。

 その場に取り残されるキノとフー。

「助けてくれてありがとうです」

「いや、こちらこそ……」

「×××は死ぬかと思ったって(なげ)いていましたよ」

「×××?」

「はい。ダメ男の本当の名前です。キノ様には教えるつもりでした」

「……いい名前ですね」

「本人にしてみると、あまり良くないみたいですよ」

「? “ダメ男”よりも?」

「はい」

「どうして?」

「一文字抜かすと悪口になるのです。幼い頃、それでよく(いじ)められていたそうです」

「なるほど。どこかの人と似ている気がします」

「そういうお知り合いがいるのですか?」

「まぁ、知り合い……なのかな」

「ところで、お二人はどのような経緯でお知り合いになったのですか?」

「うーん……よく覚えてないですね。ずいぶん昔のことですし」

「そうですか。でも、ひょんなことから出会ったのかもしれませんね」

「かもしれませんね。あなた方が出会ったように」

「ですね」

 キノは微笑みながら、ダメ男とエルメスを見ていた。

「もっと落ち着いて運転してよぉ!」

「いやっほうぅ! オレは風になるぜぇ! どこまでも駆け抜ける風によぉ! いえぇああぁぁぁぁっ!」

「助けてよキノぉ!」

 

 

 キノたちは道路にいた。エルメスをそこに停め、ダメ男たちが脇にいる。

「もう行くのか?」

「はい。ダメ男さんの容態を見に来ただけですので」

「あと、たらふく料理を、」

 がつん、とエルメスを叩いた。いたっ、と呟く。

「?」

「なんでもありません」

 うん、と頷く。それ以上は聞かないことにした。

「ではまた次に会うまで」

「あぁ。できればこんな形じゃなくてな」

「そうですね」「まったくだよ」

「エルメスも達者でな」

「そのままそっくり返すよ! ちゃんと運転できるようになってよね」

「頑張るよ」「させません」

「キノ様、エルメス様、本当にありがとうございました。無事に旅が続けられることをお祈りします」

「ありがとうございます」「あんがと」

 キノはエルメスに跨った。蹴ると、エンジンの音が鳴る。

「それでは」

「あぁ」

 そしてアクセルを全開にして、あっという間に走り去ってしまった。少ししたら、もう見えなくなっていた。

 ダメ男たちは感慨深そうにずっと見送っていた。

「……んっし、オレらも行くか」

「はい」

 

 

 完璧に舗装された道路。それが大草原の中を突っ走る。青空に太陽が浮かび、大地を温めていた。

 道路にはモトラドが一台走っていた。

「さて、次はどんな国があるかな」

「この分だと、まだまだたどり着けなさそうだけどね」

「そうだね。できれば気持ちいいベッドと美味しい料理がたくさんあるところがいい」

「またそれぇ? どんだけ食べれば気がすむんだよっ」

「あの三日間は最高だったよ。どうせなら一週間にしてもらえばよかったかな」

「それじゃあホントのブタになっちゃうよ、キノ!」

「それはさすがにまずいか」

「まずいよ!」

「……」

 急に、

「うわ」

 キキキッ、とスピードを(ゆる)め、止まった。

「どうしたのさ、キノ?」

「ブタにならないように、」

 キノはエルメスを押し始めた。

「少し歩こうかなって」

「おお! それはいい考えだね」

 ずっと歩いていくキノ。しかし、すぐにエルメスに乗って走った。

「もうおわり?」

「少し歩いたよ」

「“くつかホース”だねっ」

「……ちょっと難しいな」

「え?」

「あ、分かった。“三日坊主”だ」

「せいかい!」

「……まぁ、ボクはボクなりに旅を続けるよ」

「無理をしないことが一番だね」

「うん」

 さらに速度を上げて、地平線へ消えていく。

 

 

 完璧に舗装された道路。それが大草原の中を突っ走る。青空に太陽が浮かび、大地を温めていた。

 道路には一人の男が歩いていた。

「いやぁ、いい天気だなぁ」

「今日は快晴、温度は二十六度、湿度は四十三パーセント、東に微風です」

「うんうん。だと思った」

「相変わらず能天気ですねダメ男」

「いつまでもキリキリしてたんじゃ身がもたんよ」

「ダメ男の頭はキリギリス並みでしょうけど」

「……ぶん投げるぞ」

「まぁこの先、キノ様のような強い旅人に八つ裂きにされたいならどうぞ」

「……く……誰かなぐらせてくれないかな……」

「道路を殴ればいいです」

「オレの手がぶっ壊れるわ」

「骨の中身はすっかすかですからね。ダメ男の頭もですが」

「……あぁ風になりたいな……ぐすん」

 ぐちぐち言いながら、ダメ男はポケットからある物を取り出した。

「それは確か、」

「そう、“あれ”」

 それはブレーキの金具だった。

「にしてもキノ様は強かったですね」

「ありゃバケモンだわ、うん。キノのやつ、完璧にオレを(もてあそ)んでたよ」

「そう表現してもおかしくないくらいに強かったですからね」

「いったいどんな練習すれば、あんだけ強くなるんだ? 師匠に会ってみたいもんだ」

「ダメ男はほぼ我流ですものね。そこら辺を考えても、勝算は限りなく薄かったのですね」

「こいつも見抜かれてたとしか思えないわ」

 ぽいっとどこかに投げ捨てた。

「自転車のブレーキじゃあ(だま)せないよな」

「そうですね」

 ダメ男は立ち止まった。

「今回の出来事はまさに“運転で辟易(へきえき)”でしたね」

「うまい! 座布団二枚!」

 ちなみに“青天の霹靂(へきれき)”である。

 青い空を眺める。澄みきっていてとても気持ちいい。すうっと息を吸って、吐く。どことなく気持ちが晴れるようだ。

 そして、大地を踏みしめて進んでいった。

 

 

 

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