かつん……。
「ひぃっ」
かつん……。
「ば、ばか! 押すんじゃねえよ!」
ひた……。
「ひっひっふぅー……ひっひっふー!」
ひた……。
「だ、だから押すなって!」
暗い暗い、長い長い廊下。足元に点滅する赤ランプ。左手には窓があるが、墨で塗ったように真っ暗だ。右手にはところどころにドアがある。
ここは廃病院。経済的、信用的、そして霊的な理由で潰れてしまった病院。そんなとても怖くてとても不気味なところに、
「な、なんでこんな目に……」
男が四人いた。三人はそれぞれラフな私服で楽しんでいる。だが、残りの一人は涙目だった。黒いセーターに黒いジーンズ、新調した黒いスニーカーという服装だ。荷物はどこかに預けたようで持っていなかったが、ウェストポーチ二つだけは腰につけている。必要最低限、といったところか。そして首飾りを下げていた。水色とエメラルドグリーンを混ぜたような色合いの物体だ。しかしこの暗さのために黒みが強い。
黒い男はびくびくしていた。
「“ダメ男”、どんだけ怖がりなのですか? さすがはダメ男です」
男たちとは全く違う性質の“声”がした。妙齢の女の声で、冷淡で尖った語調をしている。
そちらの方が明らかに不気味なのに、
「だ、だってよ……」
平然と話す黒い男“ダメ男”。
「ひーっひっひっひっひ」
「うわぁぁっぁあぁっ!」
今度は魔女のような怪しい笑い声。ダメ男はビビりすぎて尻餅をついてしまった。
「面白いですね」
「こんどや、やったらブン殴っかんなっ! フー!」
「ふふふふ」
今にも泣き出しそうな表情。“声”の“フー”はとても面白そうに笑う。
「だから肝試しはやめようと言ったのです」
「あんな風に言われたらやるしっ、しかないじゃんっ!」
それはとある街に入った時だった。近代的な街に入ったダメ男はある噂を耳にした。
「最近幽霊見かけるよね」
「うんうん。以前にも増して見る見る」
「やっぱあそこなのかな……」
と、どこに行ってもその話で持ちきりだった。
完全スルーのダメ男は足早に宿に泊まり、足早に出立するつもりだったのだが、
「お願いです。何とか原因を突き止めていただけませんか?」
「い、いや、でもでもうーん……」
散策していたところを呼び止められ、依頼されてしまった。
「町長さんに頼んで報酬も弾むようにしますからっ」
「いやぁ報酬はいらないんだけどねっ、その何て言うか、」
「悪さをする幽霊みたいなんです。体調を崩したり、重病にかかったり、私のお父さんも不治の病で……うぅ……っ!」
「ダメ男はこんな
「今すぐ病院連れてけっ!」
「もう……お父さんは、お父さんは……うわぁぁぁぁんっ! しんじゃいやあぁぁっ!」
「ダメ男っ! お父さんが亡くなってもいいのですかっ!」
「いやだからそれはオレの管轄外だろっ! 医者にたのめっ、」
「うわぁぁぁんっ! いやぁぁぁっ!」
「ああああぁぁっ! 分かったよ! 行けばいいんだろ行けばっ!」
ピタッ、と泣き止んだ。
「ありがとうございますっ。屈強な男性もお供につけますのでよろしくっ!」
「……」
「かんっぜんに騙されたよな……」
「いいではないですか。それに本当に困っていたみたいですし」
「……はぁっ……」
ため息をつく。
ここの廃病院は街から離れた山中にある。昔、あらゆる患者を受け入れていたのだが、院内感染が発生。その責任と賠償から廃業になってしまったらしい。付近の住民も利用していたのだが、近年、幽霊の目撃情報が寄せられ、次々と不幸な事故が相次ぐようになった。
その調査と原因排除がダメ男たちに課された依頼だ。
「そんなの無理に決まってるよなぁ……。幽霊と戦えとか、逆立ちで世界一周しろっていうのと同じだからな、オレにとって」
「なら余裕ですね」
「いつからそんなに
「逆に言えば、幽霊に勝てば逆立ちで世界一周できるということです」
「だから無理だって言ってんだろうがっ」
周知の事実だが、ダメ男は幽霊が苦手である。
「ダメ男、今日はこれくらいにしよう」
「ま、まじっ? 急いで家に帰ろうっ!」
「何言ってんだ。ここで一泊するんだよ」
「なんでだよっ! こんな場所で休んだら呪われるわっ!」
「俺らが原因を追求するんだろっ? ……それともビビってんのか? 男のくせに?」
「あぁ、ビビってるよ!」
「正直だなおいっ」
「とにかく、元を突きとめないと、街の皆も困ったままだ。それは俺らも嫌だしダメ男も嫌だろ?」
「……そうだけど……」
「大丈夫だよ。死んだりしないさ」
「……うん」
とても気弱なダメ男。
「なんだかかわいいですね」
フーはニヤニヤしているところだろう。
病院の一室で泊まることになった四人。だが、熟睡するのはまずいということで、仮眠を取り合うことにした。ちょうど四人なので、部屋の四隅にそれぞれ配置し、一人が監視役になると決めた。監視といっても部屋の中は既に調べてあるので、不穏な音や人を確認するだけ。それに視界はとても暗くて、人影すら見えない。とすれば、必然的に耳に頼る他ない。
「よし最初は俺が起きてるから、皆寝てくれ」
ジャンケンの結果、ダメ男が起こすのは最後、つまり四番目となった。監視は十分なので、ダメ男の番になるまでに三十分の仮眠が取れる。
「フー、念の為にお前も起きてて」
「怖いのですか?」
「お願いだから起きててよ……」
「こうなっては仕方ありませんね。ふふふ……」
完全に楽しんでいるフー。
三十分後、
「ダメ男、お前の番だぞ」
「……んに?」
仲間の男に起こされた。
「……そういえば、十分の監視ってどこでするの……?」
「あぁ、俺は仲間と駄弁ってたよ。監視っていっても、むしろ暴漢から守るためのもんだよ。俺らみたいな探索隊を襲う輩がいるんだ。まさか、本当に幽霊がいるって思ったのか?」
「……そう、だよな。そうだよな、うん」
なんだか励まされたような気がしたダメ男。
緊張の糸が急に切れたからなのか、ダメ男は起こしてくれた男と談笑した。他愛のない、くだらない話題だが、それだけでもダメ男は安心できた。よく考えれば、皆同じ状況下にあるんだ。一人で怖がる必要もない。ダメ男はそう思った。
夢中で談笑していたのか、あっという間に十分過ぎてしまった。
「あ、次の人起こしに行かなきゃ」
「あぁそうか。じゃ、またな」
「うん」
ダメ男は壁伝いに歩いていく。意外に距離が短いようで、あっという間に着いた。
「おーい、起きてー」
膝を抱えて眠っている。ダメ男が声をかけると、むくりと起き、そそくさと歩いていった。
「さて、また頼むぞフー」
そうやって何回も繰り返し、一夜を過ごしたのだった。
「特に何もなかったよ」
「そ、そうですか。ありがとうございました!」
「お父さんはどう?」
「不幸中の幸いで命だけは何とか……」
「良かったな。原因は分からなかったけど、それは後の人に託すよ。旅してる間に幽霊関係に詳しい人を見かけたら、ここに来るように頼んでみるよ」
「ありがとうございますっ」
翌日、瞬足で廃病院を出たダメ男は依頼主である女に報告した。特に違和感はない。そう伝えると、宿泊先を用意してくれていたようで、
「お礼ですけど、一泊ほど宿を準備しておきました。どうぞそちらで泊まってください」
「……じゃあお言葉に甘えて……」
ダメ男は報酬を受け取ることにした。
宿は高級旅館を想像させるかのように、とても優雅で気品があった。部屋はもう、一室の広さではない。一家庭が住み込んでも何ら不自由ない設備と広さだった。
「……なんだこれ」
「すごいですね」
「昨日の今日でさらに豪華に見えるよ……」
「貧相な面構えもマシになるというものです」
「……今回だけは無礼講だ」
「あらら、珍しいです」
早速荷物をベッドに投げ込み、ごろごろと寝転がった。ふわふわの絨毯で、そのままベッドに敷いても気持ちいいくらいだ。
「あぁ……贅沢ってのはいいもんだなぁ……」
「ご褒美ですね」
「幽霊もいなかったし、よく考えれば病院で一夜過ごすだけだったし、それでこの宿は破格すぎるっ」
「えぇ、そうですね」
「?」
フーのとっかかりが気にかかった。
「何かあったのか?」
「何もありませんでしたよ」
「……」
首飾りである四角い物体を外す。それにしらーっと視線を送る。
「何もありませんって」
“それ”からフーの声がしていた。
「あからさますぎるぞっ。正直に話してくれ」
「いっいいのですか?」
「……幽霊系?」
「はい」
即答だった。
「では言いますね」
ごくり。
「前夜、あの部屋では不可解なことが起こっていました」
「不可解なこと?」
「よく思い出してください。人数はダメ男を含めて四人、その四人が部屋の四隅にいたのです。そして十分間監視したら次の人を起こしに行くというルールだったのです」
「……それが?」
「分かりませんか? では全員をそれぞれ1、2、3、4さんと仮定して話をします」
「なるべく簡単に頼む」
「何か置くものを用意した方がいいでしょう」
「うーん……ナイフでいい?」
ダメ男はポーチから掌サイズのナイフを四つ取り出した。部屋にあった紙とテープで1から4を書き、ナイフに貼り付けていく。フーの指示でそれらを四角の頂点に置いた。分かりづらい方は実演してみましょう。
「まず1さんが十分間監視しています。次の人を起こしに行ってください」
「ん」
“1”を一つ、次のところへ動かした。“1”と“2”が同じ場所にある。
「それで?」
「同じく十分間の監視です。次へ動かしてください」
今度は“2”を動かす。次のところで“3”合流した。
「で?」
「またです。同じようにしてください」
同様に“3”次へ移す。
「……!」
「気付きましたか?」
ダメ男は“4”を持ち、次の場所へ……。
「……誰も……いない……」
次の場所、つまり部屋の隅には……誰もいない。
「な、なんで? え?え……?」
「少し前に調べたのですが、これは“スクエア”といって、このルールだと五人いないと成立しない話なのです」
「でも……普通にできてたじゃん……」
「だから、そういうことなのです」
「……! ま、まさか……」
「ゆぅれぇいぃがいたぁんですよぉ」
女の低い呻き声。もちろんフーの作り声なのだが、
「うわぁぁぁっ! やぁぁっ!」
ダメ男には効果バツグンだった。
全速力でベッドに駆け込み、キルトに
「そぉいぅことぉでぇすよぉ」
「やめろよフーっ!」
しっかりとフーを握っていた。
「さらにですね、順番で考えると、幽霊を起こしに行ったのはダメ男なのです」
「え……?」
「だって、ダメ男は四番目、つまり“4”さんだったのですから」
「……」
「やっとぉあえぇたぁ~」
フーを思い切り叩きつけた。
「いだっ!」
そして深くベッドにうずくまる。
「ダメ男、なんてこと……ダメ男?」
ぶるぶると震えている。
「……うぅ……ずっ、うっぅ……」
「ダメ男、情けないですね。泣いたのですか?」
「うぅ……っ、う……」
「本気泣きですね。困りましたねー困りました、ふふっ」
困ったように聞こえない。むしろ笑みが零れている。
「話を聞いてください」
「……もうや……」
「大丈夫です。怖い話ではありませんから」
「……」
それでも出てこなかった。
仕方なく、フーはそのまま話すことにした。
「実は内緒で熱探知をしていました」
「!」
びくり。
「ダメ男が起こしたのは幽霊ではありませんよ。実体のある人間です」
「ど、どうして……?」
「先ほどの話はあくまでも一つずつ移動した場合です。4さん、つまりダメ男が1さんを起こしに行く時に、誰もいないから怖い話になるのです」
「……?」
「分かりませんか? では、こちらに来てください。実際にやった方がいいでしょう?」
「……」
ぐしぐし、と顔を拭いて、フーを拾いに行く。
「つまりこういうことです。一回りすると最初の位置から一つずつずれます。この“ズレ”が怖い話のネタになるわけです。よって1さんは2さんがいた場所に、2さんは3さんがいた場所、ということになります。ここまではいいですか?」
「うん」
「それで本題のダメ男ですが、ダメ男に起こされるのは本来は存在しない5さんです。そこで1さんが2さんのいた場所から、1さんが最初にいた場所に戻ったのです」
フーの言う通りに、“1”を空いた所に戻した。
「……あぁっ! じゃあなにか、オレが起こしたのは1のヤローってわけっ?」
「そうです」
“4”は“1”と合流できた。
「つまり、“1”さんが行き戻りを繰り返していただけなのです。ダメ男が話し終えたと同時に戻っていくのを、熱探知でも確認できました」
「話し終え……おい、まさか……」
「あの“四”人はグルだったのですよ」
「……あっぁぁぁぁっ! なんだそういうことかっ! でもなんか騙されたっ! ムカツク! 腹立たしいっ!」
「ははは。でも良かったですね」
「むかつくむかつく! とても許すまじっ!」
「ほんとにかわいい人です。ほんとに素直で単純で馬鹿正直ですね……ふぅ」
「見事に成功だな」
「あそこまで分かりやすいと、仕掛ける方にも
「素直な旅人だったからな」
「今頃、宿で安心してるだろうよ、わっはっは」
「むしろムカついてると思う」
「でも高い宿取ったんだ。それで相殺してもらおうぜ」
「だな」
「……」
「どうした?」
「聞いてくれ」
「なんだ?」
「……お前が起こしたのって……誰だ?」
「はぁ?」
「最初の俺が旅人に起こされる時は場所を一つ戻すって約束だろ」
「だから、俺もちゃんと戻ったよ。現に俺は……って分かりづらいから番号な。“1”のお前に“2”の俺は起こされたぜ」
「問題は“3”のお前だ。お前は誰を起こした?」
「そりゃたびび、……!」
「どうしたんだよ? お前はそのまま旅人を起こしに行ったんだろ?」
「……俺、一つしか移動してないんだ……」
「えっ? じゃあ“3”が行ったところは……誰もいない……?」
「嘘ついてんなよ! 俺らまで驚かそうってのかっ?」
「ち、ちげーよっ! マジだってっ! だって旅人は俺らがグルだってこと知らないんだぜっ? ってことはヤツが一旦戻るなんてことしないだろっ」
「……」
「……」
「幽霊……?」
「……なのか?」