フーと散歩   作:水霧

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第三話:ささえているとこ

 小雨が降っていた。さらさらと砂を落としていくような細かい音が辺りを優しく包む。雨雲が厚くないのか、曇りのように明るかった。

 そこに道があった。人二人分ほどの広さの石畳(いしだたみ)の道で、ぐにゃぐにゃとどこまでも伸びている。その両側は、

「こわ」

 (がけ)だった。誤って落ちてしまったら間違いなく即死してしまう。そのために道の両端には木で作った手摺りがあった。手摺りというより格子(こうし)に近い。

 その場所を遠くから眺めると妙な光景になる。まるで岩石の壁のような山が茶色の大地を二分し、バリケードのように立ち塞がっている。抜け道など存在せず、登ろうとしても勾配が急すぎて登れない。登るとなればロッククライミングとなるが、まるで鉄板のようにつるつるで凹凸(おうとつ)がないので現実的ではなかった。それが地平線の端から端まであった。その頂上になぜか先ほどの道ができていた。

 男がその道を歩いていた。黒いシャツに黒いジャケットを羽織り、ダークブルーのジーンズに黒いスニーカーを履いていた。黒い傘で貫かれた黒いリュックを背負い、両腰にポーチをそれぞれぶら下げている。ネックレスをかけており、胸の辺りで飾りが揺れている。水色の四角い物体だ。

 男は手摺りを両手で伝いながら歩いていた。

「なんなんだここ……。しかもここを通らないといけないなんて、どういう土地柄だ……?」

 かなりまいっていた。

「面白いですよね。このような場所もあるなんて、想像もしませんでした」

 突如“女の声”がした。淡々としていてきつい口調だ。しかし、

「オレも。バンジージャンプしたらすごそうだ」

 平然としていた。

 男は震える足を何とか前に出していく。

「さて、もっとすごい光景が見えてきましたね、ダメ男」

「もうわけわからん」

 “ダメ男”と呼ばれた男は呆れて笑ってしまった。

 目の前まで近づいてしまった。

「……」

「……」

 その人と目が合う。しかし、諦めずに姿勢を保っていた。

「フー、これ何に見える?」

 “フー”と呼ばれた女の“声”は、

「男性です」

 即答した。ダメ男も刹那(せつな)の後に頷いた。

「そりゃ分かる。……で、そこのあんたは一体何がしたいんだ?」

「……」

 男は無視してひたすら保った。

「邪魔してるのか? オレを小馬鹿にしてるのか?」

 男はひたすら無視した。

「ダメ男、この四つ()いを見てどう思いますか?」

「どうって……どうも思わないよ。ふざけてるとしか」

 男は道を塞ぐように、四つ這いになっていた。つまり、道を横切ってハイハイの姿勢を取っていた。(ひざ)と掌を地面につけ、膝を九十度の角度をつけ、肘とつま先はピンと立ち、頭を下げている。ただのハイハイなのに、そこはかとなく迫力と覇気を(かも)し出していた。たった一人で。しかもブーメランパンツ一丁で、雨で身体が湿っている。

 見事な体格だった。バレーボールでも詰めているかと思うくらいに発達した肩周り。そこから伸びる二の腕や前腕は表裏ともに筋肉の筋が明確に現れている。手の甲は太い血管と筋が交錯していた。体幹はというと、肩から首に伸びた筋肉が山のように盛り上がり、首を頑強に支えている。ぼっこりと背筋を這う背筋、溝を彫ったように鍛え込まれた脇腹、引き締まったお尻。そして大木かと思うくらいに強健に膨れた脚。男なら誰もが憧れる、理想的な肉体だった。

「……なんか通りづらいな」

「通ってもいいのではありませんか? 上を通った瞬間に、いきなり立ち上がって下に落とされると予測したのですね」

「いや、そうじゃなくてさ。最初はバカにしたけど、なんか、なんか……」

「なんか、何です?」

「オレが通るには早い気がするんだ」

「は?」

 思わず声が出た。

「どういうことですか?」

「そのまんまだよ。この人はなにか、使命感のようなものを持ってる気がするんだ」

「使命感ですか?」

「あぁ。他の人からしたらバカっぽいんだけど、本人にしてみたら本気なんだよ。命をかけてまでもやらなければならない、そんな覚悟を感じるんだ」

「この四つ這いに、ですか?」

「うん。だって見ろよ、この表情……」

 男はすっと目を閉じ、まるで精神を研ぎ澄ませているかのようだった。悟っているようにも見える。

「こんな危なっかしい場所で四つ這いに挑むことにプライドを感じる」

「へぇ」

「もしかしたらこの場所はこの人のためのものかもしれない。己の限界に挑戦する姿はまさに(おとこ)だ……」

「へぇ」

 興味無さ気に言う。

「ではどうするのですか?」

「オレは……あえて挑戦する」

「え? 何にですか?」

「この人の上を通る!」

 男の(まゆ)がぴくりと反応した。

「さっき“オレには早い”とか言いませんでした?」

「だからあえて挑戦するのだ。いや、挑戦しなければならないのかもしれぬ。未熟者のオレでもここを通れるのか試されておる。それは漢として逃げるわけにはいかぬのだ!」

「キャラが変わっていますよ」

 さらっと言う。

 ダメ男は足を持ち上げ、真剣な面持ちで動かしていく。男もさらに険しい表情でダメ男の足の運びを感じていた。まず背中を通過し、向こう側の地に足をつける。そちらに体重を移動しながら後の足を浮かせ、ゆっくりと持ち上げていく。当たらないように、触れないように、慎重に足を運ぶ。そして、

「よし!」

 ダメ男は見事、男を通過した。

「うおおおぉぉ! なんだこの達成感は! まるで偉大な山を制覇したかのようなこの充実感! なんと素晴らしいのだ……」

傍目(はため)から見たら、ただ(また)いだだけなのですけどね」

 ダメ男の興奮とは真逆に冷静なフー。ダメ男は男に一礼をして、先へ進んでいった。

 

 

「む?」

「また何ですか?」

 フーが呆れて言った先には男“たち”がいた。先ほどと同じような姿勢だが、三人の男がピラミッドを作っていた。下二人の背中に一人が乗っかっているような状態だ。

「なるほど。読めたぞ」

「どんどん増えていき、難易度が上がっていくのですね」

「そういうことだ」

「ですが、これを越えるには相当の覚悟がなければなりませんね。というか、これできるのかどうか疑問です」

「絶対に負けられない試合がそこにある」

「黙ってくださいバカ男。いちいち腹が立つのです。それに寒いですし」

 ダメ男は立ち止まるしかなかった。

「簡単です。全員突き落とせばいいのです」

「な、なにぃっ?」

 男たちは驚いた顔を一斉にダメ男に向けた。耳を疑った。

「お主はほんっとに何も分かっておらぬ……」

「何がですか?」

「そんな裏技使って何が面白い? 成長できるのか? できるはずがないだろう?」

「いや、別にレベルアップとかの問題ではなく、」

「だからダメなのだ……。それは一対一の勝負で素手相手にガトリングガンぶちかますくらいの所業。むしろ卑怯(ひきょう)だ」

「は、はぁ」

 男たちはなぜか納得するように頷いている。

「卑怯も戦術の内だが、TPOなのだ。これは漢のプライドを刀の鍔迫(つばぜ)り合いの如く、ぶつけ合い(しの)ぎ合う勝負。卑怯な戦術は己の刀にヒビが入るのだ」

「分かりました。こちらが悪かったですっ。もう好きにしてくださいっ、ばからしい」

 ふっ、とダメ男が笑った。なんか鼻につくようでムカツク。

 ダメ男は土台の男の背中に足をかけて登り、上に乗っている男に手をかける。完全に乗ったところでゆっくりと跨り、徐々に降りていった。

「よっしゃあぁぁぁぁっ!」

「先ほどより早くありませんかっ? さらっと突破しましたよっ?」

「それほど上達したってことだ」

「あれで何の経験が積めたのか謎ですね」

 そして進んでいくほどに人数が増え、巨大なピラミッドが立ちはだかる。しかし、次々とピラミッドを突破していくダメ男。いつになく、どことなく(たくま)しく情熱的で勇敢なような気がした。

 そしてまた次の関門に差し掛かる。

「! なんだと?」

「なんですかこれ!」

 男たちが立ち上がって、鉄板を持ち上げていた。その鉄板は奥まで伸びている。つまり、とてつもない長さの鉄板一枚を男たちが持ち上げていた。手前では男数人が四つ這いになり、階段を作っている。

「もうやる事なす事めちゃくちゃです。何の目的があって行っているのか理解不能です」

「ここを渡って行けというのか……?」

 男たちは頷いた。

「そうするしかないじゃないですかバカ」

「ならば、オレも己の限界に挑戦しよう!」

「ただ登って歩くだけでしょう大バカ」

 ダメ男は男の階段を駆け上がり、鉄板に乗った。支えている男は辛いのか、手がグラグラと揺れる。

「うわっ」

「意外に危ないですね。というか、最初から色んな意味で危ないですが」

 ダメ男は重い足取りで歩いていった。

「ダメ男」

「なんだ?」

「怖くありません? けっこうぐらついていますよ?」

「こんな揺れ、己の限界に挑戦することを考えればスパイスにもならん」

「まじですか」

「それよりも、足が疲れて歩けなくなる方が怖いくらいだ」

「色々とおかしいですが、揺れが怖くないのであればいいです」

 しかし、思った以上の揺れで平衡感覚を研ぎ澄まさなければならない。それをコントロールする筋肉を微調整しなければならなかった。しかも雨で鉄板が滑り、足に必要以上の力が入る。これが、

「はぁ……はぁ……」

 疲れる。ダメ男の表情に余裕がなくなってきた。

「ダメ男?」

「な、なんのこれしき……」

「疲れたら休んでくださいね」

「それはオレに負けを認めろと言うのか?」

「分かりました。ずっと歩いていてください究極バカ」

 

 

 そしてついに、

「おぉ!」

 切れ端が見えてきた。

「やっとですか」

「どのくらい歩いた……?」

「あれから二時間十一分です。無駄に長いですね」

「あと少しだ!」

 残り一歩。

「うおっしゃあぁぁぁっ!」

 ダメ男は飛び降りて、見事に着地した。

「まるでフルマラソンを走り終えたかのような達成感! ……やった、やったぞ……!」

「よかったですね。それで、今までの“アレ”は何の目的で行っていたのですか?」

 フーが最後尾の男に尋ねた。

「私たちは誰かを支えることを生きがいとしている。それが物理的であっても精神的であってもだ。君のように著しい成長を遂げる男を見るのが嬉しいんだ。人間として漢として、な」

「かっかっこいい……」

「よく分からない方々ですね。こんなバカなことをしているのでしたら、この山に通り道の一つや二つ開通してくれればよかったのに。それにあなた方がいなければ、通行人はもっと楽に通ることができるのに。そちらの方が多くの人々を助けることになり、支えていることにも繋がると思いますがね」

「……」

「……たしかに」

 男たちは力強く頷いた。

 

 

 ダメ男は山の頂上の道をまだ歩いていた。雨は止み、曇りになっていた。

「いやぁ、面白かったな」

「よく分からない方々でしたけどね。それに、ダメ男のキャラの変貌(へんぼう)ぶりが異常に気持ち悪かったです」

「男としてさ、やっぱ燃えるときがあるんだよ、うん」

「特にダメ男は単純明快ですからね。そういう影響をモロに受けますし」

「うん」

「少しはこちらの身にもなってくださいよ。落ちるのではないかとひやひやしました」

「ごめん」

「いえ、結果良ければ全て良しです」

 ダメ男は荷物を下ろして、一休みした。

「いいのですか? 休んだら負けになるのでしょう?」

「もう勝負は終わったからいいの」

「良かったです。いつものダメ男です」

「そんなにキャラ変わってたか?」

「はい。白から黒に変わるほどに、変化していました」

「まじか」

「まじです」

 フーはくすくす笑う。

「なんだよ」

「今思い出すとおかしいですね。ふふふ」

「なにがおかしいんだ?」

「ダメ男が男らしいことを言うと、想像を絶するほどの吐き気と悪寒がしたものですから」

「オレは男だ!」

「いえ、そういうことではないのです。ダメ男はダメ男なのだなと痛感しただけですから。ふふふふふ」

「それ、()め言葉じゃないだろ? よくわかんないけどさ」

「ふふふ」

「もう笑うな! あぁもう!」

「いやいや、ダメ男は本当に面白いですね」

「別に笑わそうとしたわけじゃないのに……」

 リュックを背負い、また歩き始めた。

「まったく、目が離せない男です」

 

 

 

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