フーと散歩   作:水霧

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第五話:かになとこ

 真っ黒な雲が空を覆い、土砂降りの雨が(ほとばし)る。昼間のはずが雨や雲のせいで薄暗く見えた。おまけに猛風が吹き荒れており、草原があれば根こそぎ巻き上げようかという勢いだ。しかしここはそういう優雅なものはなかった。荒地が広がり土地は凸凹、雑草やら野草やらが無駄に生い茂っている。そやつらのせいで泥池ができてしまい、地面はぬちゃぬちゃ、泥で飛沫(しぶき)を上げる始末。

 そんな悪地に辛うじて道があった。砂利と泥が混じった道で、そこだけは何とか歩くことができる。小さい水溜りが薄く広く形成されている。

 びちゃっびちゃっ、と泥水を含ませた足音。こんなところに旅人がいた。

「……ついてない」

 茶髪のパーマで幼い目つきの女の子だった。透明のレインコートを着込んでいる。縦筋の入ったこげ茶のセーターの上に枯れ草色のコートが見えていた。綺麗だった茶色のブーツはびしょびしょで泥まみれ。荷物は軍隊用のリュックサックに小さめのショルダーバッグ、そして左腰にポーチをレインコートの下で提げている。両脚の太ももにはホルスターがそれぞれ付いており、銀色の自動式拳銃を見せ付ける。

 顔にびちびちと雨粒を叩きつけられる。

 ついでに、

「寒いね。大丈夫?」

 セーターの胸ポケットにもそもそと動いている“もの”。

〔むしろ、そちらの方が心配でなりませぬ〕

 ひょっこりと顔を出した。短めのヒゲに愛苦しい瞳。もふもふした灰色の毛並み。

 これはハムスター。……そう、私のことだ。名前は“クーロ”。ペットである。

「だいじょうぶだよ。大きめのカサ買っといてよかったぁ」

 女の子の頭上では透明な傘が咲いている。

 この女の子こそが我が主、“ハイル嬢”である。訳あって旅に出ることになったのだが、それは別の話。語るに尽くせなくなるのでやめておきたい。

「旅ってタイヘンなんだね」

〔そろそろ国が見えると思われますが……〕

「うん。せめて雨宿りしたいなぁ」

 にこりと優しく笑む。柔らかい。そして明るい。こんな悪天候でも元気いっぱいなのがハイル嬢の良いところである。

 ぐしょぐしょと健気に歩いていくと、

「!」

 人が倒れていた。両手を前方に放り出すように、前のめりに倒れている。泥水の中に飛び込んだように見えるが、顔を横にして何とか溺死を避けていた。こんな浅い水溜りで溺死というのも複雑な気分である。

「転んだようじゃないね」

 傘を首と肩で挟み、仰向けにさせる。

「お、おもい……大丈夫?」

 すぐに容態を診られる。出血や外傷といった大きい怪我は見当たらないが、やけに小さい傷が目立つ。特に顔や手に擦り傷や切り傷があった。

 見たところ、三十代後半の男のようだ。青のオーバーオールに赤黒のストライプの上着を着ている。しかし雨と泥水のせいで変色していた。

「……ぁ……」

 意識はあるようだ。

「どうしたの?」

「う……ぁ、へった……」

「へった? 何が?」

「……は、ら……」

「……えっと、お腹がへったってこと?」

「あぁ……」

 男はがくりと頷いた。そのまま戻ることはなかった。

「え? 死んじゃったっ? うわぁっ、どうしよう! あぁっ!」

〔落ち着きなされ! まずは安静なところに、〕

「ど、どこかないっ? うーん、仕方ない! おじさん! もうちょっと歩けるっ? ここじゃ休めないから、もう少し頑張って歩くよっ!」

「……」

 ぴくりと指が反応した。そしてハイル嬢の肩に腕をかけ、ぐっと立ち上がった。

 ハイル嬢も気は抜けない。男の状態を診ることもそうだが、演技しているとも考えうる。つまり盗人ということだ。隙あらばハイル嬢の銀銃を奪い、恐喝するともある。

 嵐の中、男に肩を貸しながら歩くこと半時、道から外れた荒地に木々が群生しているのを発見した。椰子(やし)の木のようだ。雨風を凌ぐには不都合だが、そこで休ませることにされた。

 男を木に持たれかけさせ、雨に当たらぬように傘で防ぐ。

 荷物から携帯食料を取り出し、二つほど施された。ゼリー状の銀包みで、吸収が早いものだ。本来ならばハイル嬢の昼食なのだが、致し方ない。それで何とか処置を済ませることに。

「……うぅ、とにかく、たすけないと……」

 男は余程空腹だったのか、あっという間に吸い上げる。好みの味だったのも幸いしたようだ。

「んっはぁ!」

「だいじょうぶ?」

「……あっありがとうよ、旅人さん……」

「うぅん。ヘビの生き血でもって思ったんだけど、ちょっと手持ちが少なくてケチっちゃった」

「そいつには及ばねえよ……へっへ」

 苦笑いなのか失笑なのか。ともかく元気を取り戻したようだ。

 私もほっとした。

「ん?」

 ざらざらと打ち付けていた雨が弱まってきた。猛風は止まずとも、(おお)いに助かる。

「運がいいね。……さて、もう少し休む?」

「あぁ」

「うんうん、ムリしない方がいいよね。……休むついでに聞きたいんだけど、おじさんどうしたの?」

「……ちょうどな、荷物を届けた帰りだったんだ。でもこの天気で馬車が壊れちまってなあ……。馬は逃げるわ食料は風で吹っ飛ばされるわで死にそうだった……」

「すごい災難……ってことは村が近くにあるんだね?」

「そりゃあな。馬車ならあと三十分くらいで着くと思うんだが……」

「はぁ~、やっと見つかるよぉ……」

 三つの意味で安堵の表情を見せられる。それは私もだ。ようやっと街にありつけるのだから。愚痴を言いたいが、ハイル嬢に悟られるとまず、

「……」

 ……ともかく、見つかってよかった。

「……旅は辛いだろうな」

「もうさ~、一ヶ月も見当たらなくてっさ」

「俺より災難じゃねえかっ!」

 

 

 十分に休憩を取られた後、我々は街を目指した。馬車で三十分だから、目的地までは一時間強はかかるだろう。

 時間としてはまだ夕刻ではないはず。この天候と体調で時間感覚が相当鈍っているのだ。最近は少食気味で無茶なさっており、今日は食事すら取られていない。余計な体力を使わないために、黙々と歩き続けるしかない。

 雨は弱まるものの、降り続けている。随所で見られる泥溜まりに波紋を作る暇もなく、降りしきる。

 口調や表情はいつも通りだが、私としては些か余裕が無いように感じてしまう。本当に大丈夫なのだろうか……。

「ふぅ……ん? どうしたのクーロ?」

 ハイル嬢の表情を確認していた私を気遣われる。

「心配しないで。あとちょっとだよ、ほら」

 男を誘導しながら、そして道案内をしてもらいながら進むと、関所が見えてきた。丸太を突き立てたバリケードに木製の扉がつけられているだけのものだ。横にも同じように伸びている。扉の前には二人の男が立ちはだかっていた。上半身裸に穴だらけの黒パンツという謎の格好で、レインコートすら着ていなかった。ただ、色黒で逞しい肉体をしている。手には木製の槍を持っている。

「何者だ?」

 左側の門番がこちらへ向かってくる。

「あ、いや、あやしいものじゃ、」

「おっお前は! 大丈夫かっ! ケガはっ?」

 ハイル嬢の背後にいた男を見るやいなや、駆け寄った。

「ないぜ。こちらの旅人さんが助けてくれたんだ」

「それはなんと……! 失礼した!」

 ハイル嬢へ一礼した。

 いやぁ、と照れながら、

「いやいや、そんな大きいことしてないし……」

 俯かれるハイル嬢。

「この男は村の重要人物でね。死んでいたら村の存続が危ぶまれるところだったのだ」

「そんなに大切な人だったんだね。ちょっとうさん臭い感じがしてたんだけど」

「無理もないな、はっはっは」

「ちっ、二人して笑いやがって」

 男は二人を置いて歩くと、

「俺はもう行くぞ」

「ああ。しっかり休んでな」

 じゃあな、と言い残し、村の中へ入っていった。

「さて旅人さん。あなたにお礼をしないと。何かしてほしいことはあるか? そこまで大層なことはできないが……」

「いやいや、すっごく助かる。何日か骨休みさせてほしいんだけど」

「そんなことでいいなら。……その前に一度、村長と顔を合わせた方がいいだろう。付いてきてくれ」

 木の軋む音と共に扉が開いた。こくりと固唾を呑み込む音が聞こえた。

 村は広大だが、土を押し固めたような大地にポツポツと丸太小屋を立てているような、簡素なものだった。自然物はほぼ存在しない。あるといえば、外で見かけた雑草やら野草やらが申し訳なくある程度。また、凹凸も激しいためにそこら中で水溜りができていた。私が思うに、道のど真ん中に急遽作られた村ではないだろうか。つまり、開拓された土地ということだ。

 雨ということもあるのか、閑散としている。一応、人はいる。彼らは小屋の中から我々を窺っているのだ。裸同然のボロ布を身にまとい、虚ろな瞳や虎のような瞳を向けてくる。一言で言えば怖れている、とでも言うだろうか。

 そんな殺伐とした雰囲気の中、

「今日は寒いねー」

「そうだな。雨は夜通し降るそうだから、風邪をひかんようにしないと」

「うんうん。でも、ここじゃ火は()けないね。すぐ火事になっちゃう」

「あはは。そうだな」

「村人さんはみんなで集まって暮らしてるの?」

「ああ。なるべく資材を無駄にしないように、とのことだ」

「みんなで集まって暮らしてるのって、少しうらやましいな」

「できればでっかい城にでも住みたいさ」

「ふふ、そうなのかな」

 ハイル嬢は相変わらず暢気でおられる。いい意味で(?)空気が読めない……のか。

 十数分付いて行くと、

「……?」

 女の子が歩いてきた。まともな服がないようで、全身ずぶ濡れであられもない姿だった。それによたよたと足取りも危うい。

 ハイル嬢は少女を呼び寄せられ、傘の中に(かくま)われた。

「だいじょうぶ?」

「……」

 虚ろな瞳を伏せている。

 よく見れば、骨と皮しかないほどに細身だった。骨が浮き出て筋張っている。ご自身の親指と人差し指で輪っかを作り、彼女の手首に通された。指がくっつくどころか、親指が人差し指の第一関節に届いているではないか。

 ハイル嬢の目付きが一瞬険しくなられた。

「ねぇ門番さん。タオルとか食べ物とか持ってない?」

「すまない。持ってない」

「そっか。じゃあわた、じゃなくて、ぼくの貸してあげる。カサ持っててね」

 少女に傘を渡すと、リュックから綺麗なタオルとシャツを取り出し、少女を(ぬぐ)われた。タオルに水分と汚れがついていく。そしてシャツを着せてあげた。食料はさすがに譲られなかった。こちらも厳しいためだ。

「……」

 言葉に発しないが、とても嬉しそうだった。

「旅人さんは優しいんだな」

「ぼくが優しいんじゃないよ」

「?」

「この村がおかしいんだよ。女の子がこんなカッコで歩いてるのに、どうして何もしてあげられないの?」

「……」

 門番は言い返さなかった。

「……ごめん」

 ハイル嬢もそれ以上は追及なさらなかった。この村の光景を見れば、簡単な問題でないのが容易に想像できるためだ。

 少女と手を繋いで歩いていく。同じような小屋が並び、一番奥の小屋に案内された。村の端っこにあるようで、小屋の背には丸太のバリケードが広がっている。ここが村長の家らしい。他の家よりも広く、ある程度は頑丈そうだ。それでも押せば倒れる代物だが。

「ここだ」

「はいさ」

 着用されていたレインコートをバサバサと扇ぎ、水滴を飛ばされる。少なくなったのを確かめて、レインコートを入れる透明の袋に、そしてショルダーバッグに突っ込まれる。

 木のドアを開け、中に入られると、

「お、おおお……これはこれは可愛らしい旅人さんだ」

 村長と思しき老婆が座っていた。白髪の老婆だった。緑のTシャツに白のパンツというラフな服装だ。肌黒く、しかしどことなく気品があり、無意にかしこまってしまう。この老婆が村長様に違いない。

 一部屋に全ての物があった。右手の奥にキッチンが、左手の奥は寝室が。キッチン周りには小型の冷蔵庫と食器棚が、寝室にはベッドと本棚、あと机が設置されている。村長様が座られているところはおそらくは居間。小さめの丸テーブルに二つほど茣蓙(ござ)が敷かれている。

 ハイル嬢は玄関の脇に荷物を下ろされると、

「自己紹介の前に村長さん、この子……」

 少女を話題になさった。

「これはこれは、迷惑をお掛けしました。さ、こちらに来なさい」

 少女はハイル嬢にしがついて、離れようとしなかった。くすりと微笑むと、頭を撫でられた。

「……おびえてるの? 大丈夫だよ。後でまた会おっか、ね?」

 宥めるも、それでも離れない。

 それを見兼ねた門番の男が半ば無理やり引っぺがし、彼女にこそこそと話してから外に出て行った。

「……と、こんにちは村長さん。ぼくはハイル、この子はクーロだよ」

「こんにちはハイルさん。村の者を助けていただいて感謝しています」

「いやいや……なんか照れるなぁ」

 照れ屋さん。

「あの人が村にとってかけがえの無い人だと思わなかったよ」

「ええ。旅人さんが見ても分かる通り、この村はひどく貧しい。ロクに物がなかったこの村を救ってくれたのがあの方なのです」

「へぇ。具体的に何をしてくれたの?」

「えっと……例えばこの村の産業、この自然を利用して素材を売買したり家畜を飼育したりと」

「それを活かさない手はないね。たくさん国は回ってないけど、ここは自然がいっぱいで好きなところだよ」

「ありがとうございます」

 ハイル嬢、言葉遣いが……。村長様の機嫌が良いからまだしも、初対面でいきなりそれは……。

 もしかすると、村長様はハイル嬢を子供の旅人という認識でしかないのかもしれない。もちろん当たっているけれども。

 こんな調子で半時ほど雑談なさった。この村に来るまでの経緯と他の国の話を少々なさる。村長様は興味深そうな反面、若干恐怖を覚えられていた。馬車の男が襲われたために、この村が標的にされないか心配とのこと。詳しくはあの男に聞かねば分からぬが、早急に対策が必要である。

「……あ、私としたことが。旅人さんもお疲れになったでしょう? 何日くらい休まれますか?」

「うーん、ちょっとだけだけど、長居するわけにもいかないし。……二泊でいい?」

「ええ、構いませんよ。この家の隣に空き家がありますから、そちらをお使いください」

「ありがとー! 早速行ってみる!」

 はしゃいぎつつ、空き家に向かわれたのだった。

「“アレ”をご用意しなさい」

「はい……」

 

 

 六畳ほどの広さに窓一つ、床はコンクリートというすっからかんな状態だった。あるといえば用意していただいた布団のみ。この村では意外なほどに綺麗な布団だが。話によると、倉庫として使われていたものの物が無くなってしまい、今では空き家とのこと。

 なるほど。立派な家屋ではないが、寒さは完全には防げないが、一所(ひとところ)としては十分だ。床がコンクリートのために冷たさが直接伝わるものの、雨漏りもなく、布団も暖かそうである。

 ハイル嬢は抱えられていた荷物を置き、必要な物の整理を始められた。基本的にポーチとショルダーバッグに収め、街中を探検なさる。武器は街の状況によって、食料と水は必ず携帯される。今回、銀銃はバッグの中に入れることに。奪われないようにということもあるが、威圧したり脅かしたりしないようにするお心遣いだろう。

「こういう日は家でぬくぬくしてたいよねー」

〔旅をしている時のセリフではありませぬな……〕

「だって寒いじゃん。それとも放り出されたいの?」

 ハイル嬢の大きな手が私を摘み、

〔そっそんなことはありませぬっ〕

「うーん……おなかへったなぁ……」

 反対側の掌に乗せられる。

 わ、私をじっと見つめられる。何だかとても嫌な予感が……。

「……」

 ふふ、と笑みを零されると、ゆっくりと床へ下ろしてくださった。

「考えすぎだよ、クーロっ。ただヒマなだけー」

 指先でつんつん突っつかれる。くすぐったい。

「?」

 ハイル嬢は何かを感じ取られたようだ。視線は入り口の方。誰かが来たのだろう。

「だれ?」

 そろそろとバッグに手を伸ばされる。警戒なさっている。

 入ってきたのは、

「ああいや……その……」

 若い女だった。二十代前半くらいで、長い睫毛を生やしている。

 木製のトレーに食器とコップ。どうやら食事を持ってきてくれたようだ。

「こちらこそ、無用心に入ってしまってごめんなさい。“おなかへったー”って聞こえたから……」

「……あぁ……その……あはは」

 俯かれて苦笑い。顔が真っ赤になっているのは分かっていますぞ。

 さらさらと穏やかな雨音。戸を閉め、ピシャリと遮断した。

 女がそちらに気が向いている間に、私は急いでハイル嬢のお手に乗り、ポケットに入れていただいた。変な興味を持たせるといろいろと不都合が生じるためだ。

 ハイル嬢の前でしゃがみ、つつっとトレーを差し出す。

「これは……?」

 見たところ、野菜を添えたもも肉だった。それも太ましく豪快で、油が十分に乗っている。所謂(いわゆる)、こってりしていそうな一品だ。

 豚……いや牛? それにしては規格外の大きさだ。二リットル容量のボトル並みのサイズなのだ。一人の旅人にまるごと一本、しかもこんな貧困な村がこんなにも持て成すというのか。

 ハイル嬢も同じようなことを感じられているようで、開いた口を手で隠されていた。

「鶏肉かな? すごく大きいね」

「どうぞ、召し上がって」

「う、うん……」

 ナイフやフォークといった食器はない。

 ハイル嬢は野菜を半分に千切り、それを両手で挟んで持たれる。そして豪快に、

「むっぐ」

 がぶりと食いつかれた。思った以上に柔らかいようで、線維が簡単に切れていく。

「……んっ」

 喉が鳴った。

「どうです? この村自慢のお肉なんです」

「……何と言うか、独特。味わったことがないよ」

「ええ、そうでしょうに」

「?」

 一体どういう意味だ? 

「その肉はヒトの肉ですもの」

「……え?」

 

 

 雨は相変わらず降っている。夜通しというのは本当のようだ。ついてない。

 冷気が地を這うように漏れ出している。昼間はそこまで気にならなかったものの、こうして落ち着いてみると、冷え込んでいたことをしみじみ感じる。セーターだったから良かったが、他の服装だったならば体調を崩してしまうところだろう。

 ハイル嬢は布団に潜りつつも、私とお戯れをされている。眠る前はこうしてリラックスなさるのだ。逆に私は疲れてしまってどうしようもない。そのせいか、昼夜逆転生活に陥ってしまっている。夜に一人でうろうろしていても面白くもないし、ハイル嬢に迷惑をかけてしまうだけなのだが。

「クー」

〔何でしょう?〕

「……食べちゃったね」

〔何と言いましょうか、不可抗力だと思います〕

 大きい指で顎下をくすぐられる。ふふ。

「ここの人たちはあれが美味しいんだね」

〔文化の違いでしょうなぁ〕

「うーん……まさにカルチャーショックだ」

 意外に食べてしまったことに悲観されているわけではないご様子。むしろ初体験で大きい衝撃を受けられたようだ。

「……ん、じゃあそろそろ寝ようかな。おやすみクーロ」

〔はい、お休みなさいませ〕

 ハイル嬢はふっと目を閉じ、そのまま床に就かれた。

 

 

「……お……」

 (まぶた)に浸透する日差し。黒い景色に橙色が差し込み、私は目が覚めた。

 少し離れたところには毛布に包まっておられるハイル嬢が。こうしておかないと、寝返りで押し潰されてしまう。

 私の何十倍も大きい窓を眺めると、そこには白い雲と青々しい空が広がっていた。昨夜の寒さも嘘のように消え、ぽかぽかと身体が温まる。文句のつけようがないほどの晴れだ。

「んふぁ……いまいまい……」

 ごろりと寝返りをうちながら、謎の言葉が漏れる。

「……まだ眠ってらっしゃるか」

 静かな寝息を立ててらっしゃる。

 疲労も相当溜め込んでいらしたはず。ここはゆっくり休んでいただこう。

 と思ったのだが、

「んぅ……? べぎゃまっ!」

 いつものだ。直後、すくりと起き上がられた。

「……んあ、おはようクーロ」

 理由は分からないが、ハイル嬢は起きる直前に謎の台詞を出すクセをお持ちなのだ。そして、寝ぐせも酷い。柔らかそうだったパーマがまるでヘビが絡みついたように、そして無重力を受けているように爆発していた。

 お目覚めになったハイル嬢はクシで髪をとかされる。いつもよりも時間がかかり、ため息一つ。昨日の雨が(たた)っている。

 朝食は例の食事だったが、お断りなさった。水だけを飲まれ、手持ちの携帯食料でおしまいにされた。私はキャベツをいただいた。

 食休み。

「今日はどうしよっか? なんか引きこもりたい気分なんだよね~」

〔それはいけませぬ。気分転換に散歩でもいかがでしょう?〕

「うーん、それもそっか。厄介になってるし、手伝えることがあったら手伝おうかな」

 過去の衝動に駆られたのだろうか。

 ともかく、その後は気軽に散歩することになさった。準備されていたショルダーバッグを肩に掛け、外に出られた。

 窓に縁取られていた青空が丸みを帯びて広がっていた。冷たい大気の底流に温かい日差しが入り込み、とても澄んだ気持ちになる。吸息が冷たく、水の中にいるような心地がした。

 大地には昨日の雨でところどころに泥濘と水溜りを作っている。そこで子供たちが遊んでいた。朝早くなのに。笑い声も聞こえる。

 それを見つめられるハイル嬢はうってかわって険しい面持ちである。やはり気分的にそぐわないのだろうか。

「あ、違うよクーロ」

〔?〕

 私の思いを見透かしたように、おっしゃった。

「ちょっと考えごと」

 楽天的なこの方が考え事……。正直、良い予感はしない。

 ハイル嬢は村中を探索なさった。といっても、丸太小屋と木製のバリケードしかないこの光景では、目を見張るものはそこまでないだろう。主に村人と話されたり子供たちと遊ばれたりされた。昨夜の夕食の衝撃がまるでなかったのように、お互いにとても穏やかだった。

 ある一軒家にお邪魔している時だった。四十代くらいの女が住んでいる。

「あのさ、他の人たちは?」

「みんな畑仕事さあ」

「行ってもいいかな?」

「え? うーん……私には分からないねえ」

「?」

「ああ、畑荒らしとかたまにいるだろう? だからはっきりとは言えないんだ」

「ぼく、そんなに怪しいかな?」

「ぜんぜん。でも、旦那に聞かないと」

「そうだね。あまり迷惑かけちゃいけないし」

 何気ない話だが、ハイル嬢は気になっておられるようだった。

「ところでお昼はどうすんだい?」

「もうちょっと歩いてるよ。ありがとね」

 笑いかけられると、逃げるように家を出られた。

 さすがに勝手に村を出て畑を探し回るのは失礼だろう。すると思いもよらぬ行動を取られた。

「こんにちは!」

「? おお、ハイルちゃんじゃないか」

 門の方へ向かい、門番と話し始めたのだ。

「昨日のおじさんってどこにいるの?」

「ああ、タミールさんのことか? 何かあったのか?」

「ちょっと話があるって言うから探してるんだけど、どこにもいないんだ」

「あの人は多忙だからな。多分畑か農場にいるんだろう。反対側の門を出ると林に入るんだ。途中で何も書かれてない立て札があるから、そこを右手に曲がっていけば農場があるよ」

「そうなんだ。ありがとー」

 こうしてとても自然に場所を聞き出されたのだった。

 

 

 私は大変な間違い、いや大変なことを忘れていたのだ。見事な手口だったので、

「まいごになった……」

 忘れていた。極度の方向音痴であることを。

 林の中を歩き回ってはや数時間。一向に立て札を見つけられずにいた。

 中はそこまで荒れてはいない。光が差し込むくらいに茂っている雑草や葉っぱ。ところどころ湿った地面、まばらに生えた木々。昨日の嵐のために落ち葉が多く、林中はさらに明るく見える。

 これだけ見晴らしがいいのに、なぜ迷子になられるのか……。おかげで私も分からなくなってしまった。そこまで方向音痴ではないのだが、ハイル嬢があまりに予想外すぎるので、訳が分からなくなってしまうのだ。

「私のせいにするんだ」

〔あぁいえ、そういうわけでは……〕

「おかしいなぁ。まっすぐ歩いたはずなんだけど……まぁいっか」

 気になるものを見つけてはそちらへ向かい、また見つけては、を繰り返されているのだ。おまけに方向音痴も相まって元の場所に帰れないとくる。私が口を挟もうとすると、

「あ、あっちに何かあるっ」

〔は、ハイル嬢、我々は今迷子で、〕

「歯向かうの?」

〔……〕

 こうなってしまっては何も言えぬ。神と天運に祈るしかない。

 立て札を見つけられないままさらに一時間経過した。そろそろ日が沈む頃だろう。このまま夜を迎えるのは非常にまずい。周りの者に聞いてでも道を知らねば、

〔?〕

「!」

 何かが聞こえる。音の波がだんだん押し寄せてくるような、そんな気配がした。

 ハイル嬢も感じ取られたようで、すぐに木の陰に潜むことに。

「……馬車……?」

 遠くから馬が駆け出してくるのが見える。その操縦席に男が一人。そして車を引いている。車は白い布で覆い隠され、中身は見えない。

 悪路のためにがたがたと揺れ、馬の駆け出し音と共に乾いた騒音を奏でる。

 馬車はハイル嬢の潜まれる木を通り過ぎ、異変なく走り去っていった。二本の(わだち)を残して。

 その轍を確認なさるハイル嬢。

「“渡りに舟”ってやつだね、クーロ」

 伸びていく轍に沿って、進まれた。

 

 

「草原だ」

 林の端に行けたご様子。その奥で広がっていたのは草原だった。瑞々しく綺麗である。そして、

〔何の建物でしょうか?〕

 建造物が(そび)え立っている。

「きっと農場だね」

 おしゃれだった。木の板や丸太を使ってところは村の住居と変わらぬが、三角の屋根は灰色に、側面は明るい茶色に統一されている。それが二つ並んでいた。建造物は真ん中が両開きの扉になっており、左脇に金属製のドアがある。ここが入り口であろう。その上部には窓が左右に二つ付けられていた。特に、その左の建造物には木製の柵で囲んだ空間があり、おそらくは牧場が備えられている。

 建造物の周りは我々が通ってきた林と同じように、緑が広がっている。

 美しい緑に包まれ育まれる動物たち。まさに最高の環境だ。

 ハイル嬢は右の建造物に足を運び、訪ねられた。

「ごめんくださーい」

 呼び鈴はない。コツコツとノックされる。すると、

「あいよ」

 ドアの奥で声がした。鍵を外す音が聞こえ、開かれる。そこにいたのは、

「あれ? 旅人さんじゃないか」

 助けた男がいた。おそらくは“タミール”殿だ。オーバーオールでなく、灰色の作業着を着ていた。

「よくここまで来れたなあ。それにこんな時間にどうしたんだい? 夕食はどうする?」

「え、えっと……」

「ああ、ごめんごめん。話は中でしようか。今から村に戻ると夕方過ぎになってしまうから、今日はここに泊まってくれ」

「でっでも、荷物……大半があっちに置きっぱなしなんだ」

「それなら心配ない。俺が重々言っておいた」

「……分かったよ。嘘でも今からじゃ間に合わないし」

 半ば諦めておられるようだ。予定以上に時間が過ぎてしまったことが最大の原因なのだが、あまり触れないでおこう。

 中はわりと小綺麗だった。木目の美しい床に壁、テーブルや椅子といった家具などが統一されている。それとは別に淡緑色のソファにガラス張りのテーブルもあった。食事用と休憩用といったところか。また、電気が通っているのか、電化製品やキッチンもあった。

 広さは十畳くらいだろうか。出口以外のドアが一つしかないため、部屋数はそんなにないと思われる。おそらくは隣の畜舎に繋がっているのだろう。

 ハイル嬢はソファに腰掛けられると、荷物をその脇に置かれた。そして私を掌に乗せてくださる。

「うん? ペットかい?」

「うん。……そういえば自己紹介がまだだったね。ぼくはハイルで、この子がクーロ。よろしくねタミールさん」

「俺を知ってるなら名乗らなくてもいいな。まあ色んな事業や商売を生業(なりわい)にしてるのは何となく察してるだろう。ほら、こんくらいしかできないけど食べてくれ」

 差し出したのは焼きたてのパン三枚とサラダ、目玉焼きだった。

 ハイル嬢は疑問の声を上げられる。

「お肉は? 村の名産って聞いたんだけど……」

「まさか客が来るとは思わなくってな。準備が不十分なようだ」

「そうなんだ」

 私をテーブルに下ろされると、召し上がった。まるで最後の晩餐(ばんさん)のように、よく味わっていらっしゃる。かく言う私も少し頂いているのだが。

 それを見ていたタミール殿が気遣ってくれたのか、焼き魚やご飯といったものまで振舞ってくれた。このお方は本当に良い人だ。

 ちなみに、キッチン脇にある控えめサイズの冷蔵庫……私は馬鹿にしていたようだ。一瞬だけ見えたのだが、ぎっしり詰まっていた。従業員たちもここで一緒に英気を養うのだろう。

「で、ハイルちゃんは何をしにここへ?」

「ただの散歩だよ。そしたら迷っちゃってさー」

「また一ヶ月彷徨うことになるぞっ。気をつけてくれよ。食われかけのシーンとか見たくないからな」

「うん。がんばるよ」

 空返事にしか聞こえないのは気のせいにしたい。

 今度はハイル嬢が尋ねられた。

「タミールさんはここで何してるの?」

「ここがどこか分かるだろ? 家畜を育ててるのさ」

「何を育ててるの?」

「ウシやブタに決まってるだろう? あ、そっちを食べたかったか?」

「うぅん。でも、村で食事をもらった時、村人が“人間の肉”だって……」

「! なっはっはっはっはっ!」

 一瞬目を見張ると、大きく口を開けて笑い出した。

「え、え?」

 ハイル嬢共々、私もよく分からない。

「全く、またからかったのか」

「?」

「ここって貧しい村だろ? それで人の肉を食べてるって言っても……まあ理解はできなくはないだろ?」

「うっうん……まぁ……少しは……」

「だから旅人を驚かして話のネタにしてんのよ。裏ではクスクス笑ってるだろうよ」

「えぇっ! そうなのっ?」

「自分らでも食わないものを、ましてや旅人さんに出すかよっ」

「なんだっ。ぼく、すっかり騙されてたのかっ」

「もしかして、それが気になってここまで来たのか?」

「……うん」

「そんなこったろうと思ったぜ。心配すんな。人肉作んならブタとかウシを育てるわな。圧倒的に楽だしよ」

「それもそうかぁ。勘違いだったのかぁ」

「さ、疑問も解けたことだし、じゃんじゃん食べてくれ。美味いだろ?」

「正直美味しくないよー。変な味するし、これパスねっ」

「ハイルちゃんはグルメだなっ、あっはっはっは!」

 

 

 私も考えすぎだった。そんな物騒な話がこんなところであるわけもないか。タミール殿曰く、仮に人肉を扱うとしたら、コストが圧倒的にかかるのだそうだ。理由は二つ。一つに、人間は究極的な雑食であること。肉や魚はもちろん、野菜や果物、さらには添加物、つまり化学薬品といったものまで食べている。他の動物は偏食でも自分の身体で栄養を作れるが、人間は多くの栄養を食物で補わなくてはならない。よって肉として考えた時、様々な物質を含むこととなり、味としては良くないのだそうだ。二つに数の問題。一度の出産で何匹も産まれる他の動物と比べ、人間は一人か二人、稀に五人ということもあるが、数が少ない。よって親以上の数でないと、世代ごとに減少してしまうのだ。

 おそらく商人としての立場から説明してくれたのだろうが、そもそもやろうとは思わないだろう。あまりにも外道で鬼畜、もはや人外の行為だ。誰も得にならない。

 夜を迎えた。自然に囲まれているからなのか、鳥や虫の鳴き声がよく聞こえる。それが止むと、どことなく孤独を覚えてしまう。もの静けさと寒さを感じていた。

 しばらくはタミール殿と駄弁っておられた。主にハイル嬢の旅のお話しだ。すると、

「あいよ」

 別の男が入ってきた。何かを持っている。

「これはぼくの……?」

「タミールさんに頼まれてな。手え付けちゃいないから安心しな、旅人さん」

「ありがとう!」

 ハイル嬢のお荷物だった。わざわざこちらまで届けに来てくれたのだ。念のため確認されるが、確かに変わったところはない。タミール殿はさすがに気が回る男である。

 風船から空気が抜けていくように、ある種の緊張感が抜けていくと、

「そろそろ寝ようかな……ふぅあ……」

 疲労がどっと押し寄せてくる。ハイル嬢もさすがにお疲れのようだ。布団はないらしいので、ソファで横になることに。

「タミールさんは?」

「女の子と一緒じゃまずいだろ? もう一つのところで寝るさ」

「……ふふ」

 笑われた。というより嬉しそうだった。面白い話である。

 そうしてご就寝されたのだった。

 

 

「ん……といれ……くー……といれどこ……?」

 ……んぅ? わたしになにかあた、……!

「クーロ、といれ……」

 あっ、ハイルじょうがわたしに……。もう、眠っていたのに……!

「今、イラッとしたよね……?」

〔あぁいえいえ、そんなことは……。しかしさすがに私も存じませぬ。タミール殿に聞かれてはどうでしょう?〕

「だってタミールさん起こすの悪いし……」

〔ふむ……では探すしかありませぬな〕

「めんどいなぁ……」

 面倒くさくても行っていただかなければ困る。

 銀銃二丁とナイフを手持ちに、ふらふらと外へ出歩かれた。私はいつも通り胸ポケットに。

 月がなかった。そのために周りが少し暗く見える。代わりに風が吹いている。ふわりと柔らかいが冷える。夜風に(あた)らなければいいのだが。

 農場の回りをぐるりと歩いても見当たらなかった。かと言って中を探し回るのも失礼に思えてしまう。外で……というのもあまりに不憫(ふびん)である。

「中を隅々まで探すよ」

〔……それしかありませぬ〕

 失礼を承知でいくしかあるまい。緊急事態である。

 休憩所に入り、奥にあるドアを、

「何だか冒険してるみたい」

 開けられた。まさにその最中なわけですけれ、……!

「なにここ……」

 き、きつい……。というのも、凄まじい悪臭が漂っているのだ。何と言うか、動物臭を極限まで濃縮させた後に酸味を加えたような、生々しい臭いだ。は、鼻が一回転してねじ切れそうだ……。

 明かりはない。夜目が効くハイル嬢でも真っ暗な中では無理だ。まるで洞窟の中を歩くように、手で伝いながら進むしかない。

「いくよ……」

 意を決された。

 ずりずりとすり足ながらゆっくりと進まれる。気を失いそうな悪臭を何とか耐える。私としてはそれよりも気にあることがあった。それを(しら)せたく、ポケットの中でぐるぐる回った。

「どうしたの……?」

 ぽつりと囁かれる。

 この暗闇の中で私の意思が伝わるかどうか……。

〔何か気配を感じるのです。分かりますか、ハイル嬢?〕

「……ライト持ってくればよかったなぁ。ちょっと分からないや」

 やはり伝わっていない。見えていないものから気持ちを理解するのは不可能なのだろう。しかし、気掛かりがあることは伝わったはず。慎重に、

「ん?」

 カクンと急降下した! うぅっ、き、きもちわるっ、

「あ」

 プチッ、と何かが切れる音がした。嫌な予感が、

「何事だあっ!」

「誰かが侵入したぞっ!」

 うわあっ……! 何か罠にかかってしまったのか! まだ気持ち悪いのが抜けていないというのに……!

「にげないと、」

 ハイル嬢がその場から離れようとした瞬間、

「うっ」

 強烈な閃光が目を(くら)ませた。痛みが走ったかのように鋭い。

 周りを見ることができたのは私が先だった。ポケットの中にいたためだ。

〔!〕

 な、なんだここは……!

「! こっここなにっ?」

 少ししてからハイル嬢も気付かれた。

 まるで檻のような狭さと鉄柵。それがズラリと両側に伸びていた。多分、片側で二十くらいはあるだろう。それだけではない。二階にも同じ物があった。これではまるで監獄だ。中に入っているのは、

「うー……」

「あー」

「あ、あふへへ……」

 人間だ。それも大半が女子供。おまけに衣服というものを身に着けていない。素肌は傷や(あざ)だらけ、髪は脂ぎっており、とてもじゃないがまともな扱いを受けていない。いや、こんな監獄のようなところを見るだけでも尋常でないのだが。

 我々は一瞬で理解した。タミール殿は嘘をついていたと。というより、予感というか何と言うか、そういうものは感じてはいたが、杞憂だと思い込んでいた。

 異物。その異物の後ろに作業員たちが武器を持って集まっていた。三つほど並んだ金属製の台所に長方形の太い刃物。明かりで銀色に反射するはずなのに、別の色が混じっていた。“それ”は台所から側面、脚、床へと広がり、何かの破片まで散らかっている。

「……」

 ハイル嬢は男たちよりもそちらの方で顔を(しか)めておられるようだ。

 血だ。それだけでここで何が起こっているのかが容易に想像できる。説明するまでもなく。

「ハイルちゃん、どうしてここに入った?」

 集団の中にタミール殿がいた。手には長い銃を持っている。マシンガンか?

「ぼく、トイレに行きたかったんだけど、見当たらなくって……」

「まいったな。ここにはトイレがないんだよ。女の子に外でしろていうのは酷なんだが」

「……で、これからどうなっちゃうのかな?」

「うーん、実はここ自体極秘でな。ハイルちゃんは命の恩人だから休憩所で泊まるくらいなら穏便に済ませようかと思ったんだが……」

「……!」

 ハイル嬢?

「ここを見られちゃそうもいかないな」

「ふっ……うぅ……」

 身体を(たわ)ませ、息を荒げておられる。顔……だけでない。全身から汗をかかれ、熱がこもっている。ハイル嬢のご様子がおかしい。……まさか。

「もられ……ちゃったかな……?」

 吐息まで熱い。タミール殿め、毒薬を盛ったかっ! ……って薬を盛ったということは、最初からハイル嬢を狙っていたのか!

「こりゃあ高値で売れますぜ、タミールさん」

「また下品なマネをしやがって……」

 周りが騒がしい。全員で鉄柵を叩いているようだ。しかしそれはあっという間にかき消される。

「……!」

 一発の銃声で。

「……きゃあああぁぁっ!」

 今度は悲鳴に変わった。不協和音が中で響き渡る。

「黙らないともう一発」

〔……!〕

 ……止んだ?

 不協和音の余韻が残っている。それが消えていくと、外からの鳴き声が和音となって伝わってきた。女子供たちが必死で口を押さえているのが見える。……なるほど。

 一部屋、このフロア右側の中央にある部屋からつぅっと血が流れてきた。淀みのある血は、床が少し坂になっているためにフロア中心の方へ流れていた。そこはちょうどあの台所があるところ。よく見れば排水口が付いている。

「どうして俺がハイルちゃんをさっさと捕らえないか分かるか?」

「……さぁ?」

「俺は他人が悶え苦しむ様を見るのが好きでなあ……。それだけで××てきちまうのさあ。今みたいに一瞬で殺すのはつまらん。肉になるだけだからな。やはりじわじわ見せてもらうに限る……」

「……いい趣味、してるね……」

 地震が起こったように震えておられる。痙攣(けいれん)……? 死んでしまう……?

「大丈夫だ、殺しはしない。こちらも商売なんでな……」

 この野郎……噛み殺してやろ、

「だいじょぶ、クー……」

〔し、しかし……〕

「いいから」

〔……!〕

 背筋を伝う寒気。氷を一直線に滑らせたように、は、はっきりと感じた……。

 わ、笑っておられる……。普通の笑みではない。瞳孔が開ききったかのような真っ黒な瞳、口元だけ緩んだ笑み、それ以外の部位は全く動いていない。作り笑顔とはまるで違う。怒ってもおられるわけでもない。ある意味中立的な気構えであられる。

 こういう時、私は平穏になるように必死に祈る。必ず凄惨な結末になるからだ。

「どうしたの……? 早く来なよ……?」

「……」

「まだぼくの苦しむサマを見たいの……?」

「くっ……」

「分かってるんだよ……? 実はぼくをこわがってるってこと……」

〔……え?〕

「タミールさん……タミールさんがそういう趣味をしてるのは楽しみたいからじゃないよね……? 自分が勝てるくらいまで弱らせないと、勝負しないヘタレだからだよね?」

「……黙れ!」

「ところが、あなたはぼくがどのくらい弱っているのか、読めてないんでしょ?」

「……」

「だってこれ、演技なんだもん」

「えっ?」

〔えっ?〕

 い、一体どういうことなのだ……? 置いてけぼり感を否めない……。

「引っかかるかと思ってけどさすがだね、タミールさん。死線を何度も越えてるだけあるね」

「……」

 ま、まさか、不用意に近づくのを狙っておられたのか!

「ここからテーブルまで約五メートル。その銃で撃つのにコンマ一秒もないだろうね。でも、あくまでもそれはただ撃つだけ。ぼくの身体を狙うとしたら百倍はかかっちゃうんじゃない?」

「何を言いやがる! 今ここで、……!」

 ぱんっ。また銃声が聞こえた。しかし小さい。まるでおもちゃの銃のような、簡素な音のように聞こえた。先ほどの身体を振動させるような重低音ではない。

「……! てめぇっ!」

「よせっ!」

 タミール殿が他の仲間を静止する。

「今の一発、分からなかったでしょ?」

 銀銃をくるくると回される。

「みんな意識がぼく“だけ”に向いてたからね。ぼくの右にある部屋……鉄柵を一本壊したよ」

 思わずそちらを見ると、ゆっくりと柵が倒れて、

 ぱんぱんぱんぱんぱんぱんぱんっ。

「!」

「結構素直なんだね。これで全員が戦闘不能かな?」

 敵七人ほどが床にうち伏せられた。ある者は右腕、ある者は左脚と、きちんと処置をすれば致命傷にはならないものばかりだ。激痛で武器など持っていられない。ましてや正確な射撃はもっての(ほか)だ。

「さて、一対一だね。どうする?」

「く……!」

 マシンガンをハイル嬢に、

「動くなっ!」

 ドスの利いた声がタミール殿の方へ強襲した。引き金に触れていた指が止まる。

「銃を置いて。さもないと、痛い目に遭うよ?」

「……」

 だが下げようとはしない。ここで下げたら、何を仕出かすか分からない。私も同じ立場ならそうする。ところが、

「仕方ない。そこの子、出ておいで」

 思いもよらぬことになった。

 先ほどの部屋からひょっこりと子供が出てきたのだ。幼い女の子。十代にも満たないだろう。サイズの合わない服はビリビリに破かれており、露出した部位は傷が。あられもない姿で酷いことをされていただろう。しかし、その歩く姿はとてもしっかりしていた。それもそのはず、その女の子は、

「……また会ったね」

「うん……」

 ハイル嬢が匿われた女の子だった。あの服はハイル嬢があげたものだ……!

「ぼくの頼み、聞いてくれる?」

「うん」

「タミールさんと他の人の銃を持ってきて。大丈夫。君が死んでもぼくが迎えに行くから」

「……うん」

 初めて見せた少女らしい笑顔。弱々しく、でも優しい笑顔だった。

 それを青ざめた表情で見るタミール殿。

「あ、あたま……イカれてやがる……!」

 意図せず武器を落としてしまった。それが終わりの合図だった。

 

 

「さてっと、これからどうしようかな」

 畜舎の一室に放り込まれたタミール殿、いやタミールたち。その後ろには白骨化したものがいくつも転がっていた。

 ハイル嬢は監禁されていた女子供たちを助け出した。彼女らは背後で彼らを睨みつけていた。

「せっかく助けたのに、その恩がこれっていうのはひどいよね」

「一宿一飯の恩義だろうが! そういう契約だったろっ」

「……確かにっ」

 変に納得されても困りまする……。

「でもまさか、本当にヒトを食用にしてるなんて……」

「何言ってやがる。こいつらは奴隷用だ。言っただろ? 人肉なんて誰が得するんだって」

「え? それじゃあ、」

「え、えっと、こいつらどうするんだい? 殺すんかい?」

 一人の女が尋ねた。

「うーん、殺さなきゃ気がすまないでしょ?」

「そりゃそうだけど」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺が死ぬとこの村は滅ぶんだぜ? ここは俺が存続させてる村だ。色んな商売のパイプは俺が握ってるのよ。つまり、パイプ役の俺が死ねば、村人総員で路頭に迷うってわけだ」

 こ、この馬鹿……。私はもう……知らぬ……。

「そうなんだ。じゃあまずは取引しよ? ここから出してあげるから、そのパイプとやらを全て教えて? そうしないとここの人たちの餌にしちゃうよ?」

 墓穴を掘ってしまった。黙っていればまだ助かる方法があったのに……。これは間違いなく悲劇になる展開になるだろう。

 結局、一字一句逃さずに全てを吐き出させたハイル嬢。それを誰かにメモさせ、パイプを全て掴んだのだった。ハイル嬢の脅しは恐ろしい。そのためには躊躇いなく引き金を抜くのだから。怖くて失禁しても……あれ?

〔あの、ハイル嬢? お手洗いの方は……?〕

「……あっ、そうだった! ごめん、ぼくちょっとトイレ!」

「ここにトイレないよ」

「ホントに無いのっ? 冗談かデタラメだと思ってたのにっ! そもそもみんなどう処理してたのさっ!」

 

 

 何とか処理されたハイル嬢は、

「あー、色んな意味で後味悪い村だったね、まったくっ!」

 怒っていらした。

 トイレに行くと女の子に伝えた後、逃げるようにあの場を立ち去られた。一件落着ではあるが、苦い味を残したようだ。

 しかしそのおかげか、見事な晴天を拝むことができた。あの嵐の日とはうってかわって清々しい晴天だ。心地よい風も味方してくれて、火照った身体を癒してくれる。もしこれが土砂降りの雨だったならば、間違いなく私に八つ当たりをされただろう。

 ところで、

「また迷子だよ~」

 林の中、また行く道を見失われていた。いい加減、見立てを立ててから出発していただきたいのだが……。

「何か言った?」

〔いぃえ、何も……〕

 ただでさえ機嫌が悪いこの状況では諌めるなど……首を吊るに等しい行為だ。気の(おもむ)くままにされる方が良い。

 地面はもう乾いていた。日が差し込み風通しも良いので、早く乾いたのだろう。

〔ところで、帰り際に渡されていたのは何だったのですか? 私にはよく見えなかったのですが……〕

「あぁ、ぼくからのプレゼントだよ」

〔プレゼント……?〕

「そ」

 何かを思い出されたのか、機嫌が少しだけ良くなられた。

「じゃあ、次の国に行こっか」

〔はい〕

 見渡す限り広がる林の中、我々は迷走し続けていくのだった。

「“食べ物の恨み”って怖いよね」

〔そうですね〕

 

 

「? それは何だい?」

「……くれたの」

「あの子が?」

「うん」

「……フォーク? どういうことだろう?」

「手紙も一緒にもらった」

「って言っても現地語じゃないからわから、……! これって……?」

「おい! てめえら、何を企んでやがる!」

「黙ってろ! ………………」

「なんて書いてあるの?」

「なるほど。勘のいい旅人さんだこと」

「?」

「“いつも通り”ってことよ」

「あぁ、なんだ」

「何をこそこそと……!」

「こいつを出して」

「? な、何しやがる!」

「ちょうどいいところに台所があるよ」

「た、頼む! 殺さないでくれ!」

「大丈夫、殺しはしないさ」

「奇しくも私たちの餌を捌いた台所……美味しそうだ」

「……え? びゃご、ぎゃぁぁっ! いだっ! やめ、やめでぐれぇぇぇっ! ぎゃあぁぁあああぁっ!」

「……う、うそ……」

「まじかよ……こいつら……」

「それじゃあいただきまーす」

「いただきまーす」

「うっうえぇっ」

「てめえ、吐くんじゃね……うええっ!」

「は、ハイルちゃんが言ってたのは……これかっ」

「どういうことだよタミールさんっ?」

「こいつら、マジで人を喰うって話だよっ。ハイルちゃんが夕食に出された料理の中に人肉があったって言ってたが、ありゃ本当だったのかよっ」

「……」

「……ふぅ、やっぱ踊り食いが一番ね。肉の収縮がよく分かって感触がいいわ」

「死ぬと途端にまずくなるからねえ」

「こいつの内臓、腐ってたから臭かったわ。まずいし」

「それなら、質の良い餌をたっぷりやらないとな。もっと美味しくしなきゃねえ」

「そうよね、ふふふふ……」

「えへへ……おいしかったよ、おじちゃん……」

「や、やややっやああァァァっ!!」

 

 

 

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