浴室の入り口で、ダメ男は壁にもたれて座っていました。
「ファル様はあんな酷いことを、ずっと強要されていたのでしょうか?」
「そんなこと、オレに聞くなよ。知るわけないだろ」
少し呆れていました。
「ファル様のことを耳にされたら、ヴィク様はもっと心労を重ねてしまいます。普段も心配されているというのに、心臓を締め付けるようなお気持ちでしょう」
「どこまで考えてるのかによるな」
「え?」
「……例えば今回の件をヴィクに伝えたとして、おそらくヴィクは直訴しにいく。でもきっと“また”何も言えなくなると思うよ」
「? どういう意味ですか?」
ダメ男の言っていることが、よく理解できませんでした。
「人道的に正しいことを言ってるけど、中身が全く無いヴィクと、非人道的だけど正論で意志のあるリーグ。この二人の決定的な違いは“覚悟”があるかどうかだ。命の保証のある場所でお茶会してる役人くらいの価値でしかないんだよ」
「では、ヴィク様はその覚悟がないために、躊躇いもなく罵倒されているということですか? こちらにはとてもそうは見えませんよ?」
浴室から大きい水音が聞こえました。
ダメ男は立ち上がりました。
「肚を決めてるのか、それとも曖昧にして先延ばしにするのか。現段階だとどっちがいいかは分かんない。けど、決め時なのは確かだ。だから一人になったんだろうな。……フーはそれを分かってて言ったんじゃなかったんか」
「いえ。ただ、ダメ男がうざいので一人になりたいのかと思いました」
「あぁ~なるほどね。もしそうなら傷つくわ~」
浴室のドアをノックしました。大丈夫です、と返事がして、中に入りました。
脱衣所はもくもくと湯気が立ち込めていました。左手に洗面台が三つ並び、右手にロッカーが三つ並んでいます。真ん中は堅い木材で編んだ長椅子が設置されています。奥に浴槽へのドアがありました。すりガラスになっていて中が見えないようになっています。
ファルは長い髪をまとめ上げ、長椅子の縁に座っていました。ほかほかと湯気が立ち上っています。
「どう? ゆったりできたか?」
「はい。……私ごときのために、お気を遣わせてしまって申し訳ありません」
全くサイズが合っていない黒い長袖シャツを着ていました。
「自分の部屋に替えはあるんだろ? そこまではオレの貸してやる。あと服は処分しとけ。女の子があのまま使い回すのは精神衛生上よろしくない」
「……分かりました。ダメ男様が入浴されている間に、私の着替えを持ってきます。衣服をお預かりして洗濯いたします。翌日にはお返しできますのでご安心ください」
業務用の会話なのか、人間味を感じられませんでした。
「あのさ、その、今さらそこまでかしこまらなくても、」
「浴槽はすみずみまで掃除して綺麗にし、お湯を張り替えておきました。ごゆっくり
「……」
自分を汚物か何かに見なしているかのような口調です。
ダメ男は再び溜め息をつきます。
「分かったよ」
ファルの後ろを通り過ぎ、ダメ男は脱衣していきます。
「?」
ぽふ、とファルに何かが掛かりました。黒いセーターです。
脱いだ物を丁寧に折りたたみ、その上にフーを乗せました。
入浴セットを持って行き、カラカラとドアを開けました。
「湯上がり直後は冷える。念のためそれ着ていけな」
ピシャ、と叩きつけるように閉められました。
ファルはセーターを触ってみます。触り心地がとても滑らかで、なのに弾力がありました。厚みもあって、ずっと触りたくなるような柔らかさでした。もふもふにぎにぎが止まりません。
「ファル様、すみません。こちらがいながらも、粗相をしてしまって申し訳ありません」
「いえ、お気になさらずに」
「でも、どうか自暴自棄にならないでください」
「?」
「今までファル様がどのような事を強制されていたか、お察しします。“それ”を私たちに見られたくなかったことも、です。ですが、自分を粗末にすることは、自分が奴隷であることを認めてしまうことになると思うのです」
「……」
白々しいと言いたげに、フーを見下ろします。
「……施し、のつもりですか……?」
「え?」
ギッ、と歯軋り。ファルは
「強い人はいつも弱い人に施したくなるんですか?」
「? どういう意味ですか?」
ぽろりと一粒落としてしまいます。ぴちっ、と床に落ちたのを、まるで汚れを落とすように丹念に拭き取っていきました。
「…………ごめんなさい。忘れてください……」
ファルがダメ男の服を洗濯しようと持ち出す、
「逃げないでください」
のを、フーが拒みました。
「ファル様、恐縮ですが、自分の発言を無責任に吐き散らかさないでください。何かあるのなら、はっきりと仰ってください」
「っ……」
ファルが鋭く睨みます。
フーの言うことを完全に無視し、セーターから無理矢理引っ張り出しました。それは、仕込み式のナイフでした。頭が良いのか、すぐに構造を把握し、刃を出しました。
フーはその間、無言でしたが、
「こちらの言うことが
「うるさい! 地位が上のくせに、気安く敬語で話しかけやがって……っ!」
終始落ち着いていました。
みしみし、とナイフが軋みを訴えます。
「! まずい」
フーは何かに気付きました。奥から聞こえる大きい水音。
「ふぅ……ふぅ……」
ファルは血が上りすぎて気付いていませんでした。目が充血するほど、苛立ち怒り狂っています。
「ダメ男! こちらに来てはいけませんっ!」
「なーにー?」
ガラッと、ドアが開いてしまいました。
「……」
「ふぅ……ふぅ、…………え?」
ファルも何が起こったのか、ようやく理解できました。しかし一切取り乱さず、ダメ男に相対します。ふるふると手元が震えていました。
ダメ男も何が起こっていたのか把握しました。自分の持ち物のはずのナイフを、着替えを取りに行ったはずのファルが持っていることを。
ぽたぽたと水滴が滴っていきます。
「!」
そしてファルは気が付きました。
「な、なっに……そのからだ……」
ダメ男の体幹はまるで隙間を埋めるかのように、傷が走っていました。クレーターのように小さく陥没していたり、抉れてしまっていたり、痣になっていたり。あるいは縫合した痕や四角く膨れ上がった部分もあります。それらは銃創、切創、
「中々かっこいいだろ?」
ファルは一見して、震えてきました。それは怒りによるものではなく、
「あ……ああ……」
別のものによるものでした。ダメ男の冗談など耳に聞こえすらしていません。震えが酷くなり、ナイフが滑るように落ち、ファルの斜め後ろで止まります。
その隙に、ささっと清拭を済ませ、服を着込みます。ついでにナイフを拾い上げました。
「なぁフー、どったの?」
何事もなかったかのように尋ねます。
「いえ。ダメ男の顔が気持ち悪すぎて、怯んでしまったのでしょう」
「オレのセクシーヌードに惚れ惚れしたのか?」
「とりあえず今すぐに浴室で滑って死んでください」
「冗談に決まってんだろ~。まったく、冗談の通じないやつだなぁ」
「粗末なものを振り回しながらなど、悪趣味の極みですね。ハゲ男」
「え? オレ……はげてきた? 入国する前に切られた髪が気になっててさぁ……。ささっと手直ししてきたんだよ。きちんと頭皮マッサージもしてるんだけどなぁ。もうちょっとヘアトニ、」
「ダメ男様」
ん? とファルを見ます。
「あなたは強者と弱者どちらなんですか? 施したいのですか? 哀れみたいのですかっ? 何がしたいんですかっ!」
「んー……」
ダメ男はちょっと考えて、
「んー」
考えて、
「うん」
言葉を見つけました。
「オレは……何とかしてあげたいかな」
翌朝。日の出を終えた頃に、
「……すぅ……すぅ、う……んぅっ」
ダメ男は起床しました。文字通り、床から起き上がり、蹴伸びをするように背中を伸ばします。
「おはようございます」
「おはようフー。今日はそこそこ良くない天気だな」
窓辺にテーブルを運び、座りました。フーも一緒です。
空は青空が二割ほど見える曇りですが、その雲がとても厚いです。雨は降りそうにありませんが、どことなく落ち着かない天気でした。その分、暖かみは増していました。
普段着をいつもは長袖の黒いシャツにしていましたが、今日は短袖のくすんだ緑のシャツにします。その上にセーターを着ました。下は黒の長いパンツにしました。
ベッド脇のウェストポーチ二つを左右の腰に付けます。
「今日はやけに気が張っていますね」
「催し物があるんだ。油断しないように、ね」
「なるほど」
ダメ男は部屋を出て、ヴィクの部屋へ向かいました。コンコン、と軽くノックをします。
返事がないので、
「開けるぞ~。着替えてたらごめ、…………え?」
そこには、
「……だ、だめお……さま?」
なぜかファルとヴィクが一緒のベッドで眠っていました。ヴィクはすやすやと眠っています。
ダメ男は頭を抱えます。
ちょいちょい、と寝起きのファルを廊下へ呼び寄せます。ファルも昨日のことがなかったかのように振る舞い、そしてだらだらと冷や汗をかいていました。
「お前……何してた?」
「いえ、あの、別に怪しいことをしてたわけでは……」
「あのさ、確かにオレに甘えていいって言ったし、ちょっとしたお願いも聞いてあげたし。けど、そういうことするためだったの?」
「いいいえっ、そんなことは滅相にもっ。そもそもその、一緒に就寝しただけですっ」
「ほんとか?」
「は、はひっ! 神に誓ってっ!」
「……」
しらーっとした目付きです。ファルはあたふたと慌てふためきました。
「ダメ男、ファル様には警護も任せたはずです。ああして健やかに就寝されていたということは、警護をきっちり果たしたことになりませんか?」
「まぁ……その通りだけど……」
「それよりも、今夜に向けて集中することが先決です。ファル様のお仕事までは、こちらも休ませてもらいませんか?」
「……」
この言い
「それもそうだなっ」
きっぱりと関心を捨てました。やはり単細胞だ……、フーはそう思いつつ安心しました。笑いを堪えつつ。
仕事までというのもほんの少しの間に過ぎませんでした。朝食を届けに来てくれたのを最後に、ファルは仕事に戻っていきました。
時間までの暇潰しに、ダメ男はヴィクと一緒に散歩に出掛けました。と言っても屋敷内ですが。
「やっぱメイドさんは肌黒の人が多いなぁ」
せっせと仕事をしているメイドさんを見かけました。歩いて行く度に、何人かが掃除をしていたり食事を運んだりしています。ちらっと尋ねてみると、既に客人が来ているそうなので、そのもてなしもしているのだとか。リーグの言う客人に違いありません。
「はい。リーグ様からすれば、ただの奴隷としてしか見なしていません……」
「……」
そう言えばさ、と話を変えます。
「ファルに、オレは強者と弱者どっちなんだ、って言われたんだ。どっちだと思う?」
「それは強者だと思います」
すっぱりと言い切ります。どうして? と聞き返しました。
「ダメ男さんは色んなことを知っているし、リーグ様と対等に立ち向かっているし。私にはとてもできないことができるからです」
「そっか。じゃあ、オレがファルに何とかしてあげたいっていうのは、彼女に施しをしてることになるのかな?」
「! ……それは……」
口を紡ぎます。
じっとヴィクを見ました。
「ま、ただの世間話だ。あんまし深く考えなくていいよ」
「……」
悲しそうに彼女らを見つめています。
昼食を取った後も特に何かするわけでもなく、ふらふらとしているだけでした。リーグの部屋に行ってみるも、留守のようで施錠されていました。
ヴィクと他愛もない話をしたり、お昼寝をしたりして時間を潰しました。
そうして省略気味に夜を迎えました。月明かりが全くなく、厚い雲が蓋をしています。本当に暗い夜でした。
昼間の暖かさが屋敷内に残り、ほんのりと火照りを感じます。今晩では肌冷えはないようです。
「ん」
ダメ男がようやく目覚めました。
「あ、起きたみたい」
「やっと起きましたか。一体この部屋で何回寝れば気が済むのですか? 何回恥を晒せば満足するのですか?」
「あはは……ごめん」
ちょっと反省しつつ、くっと背中を伸ばします。
ちらっと外を見ると、目を丸くしました。既に夜を迎えていたことが予想外だったようです。
「夕食はパーティーがあるので用意しないそうです」
「そうか。ってことはそろそろ時間か?」
「まだです。しかし身体を軽く動かした方がいいですよ。今夜は何があるか分かりません」
「そうだな」
ダメ男は一旦、セーターを脱いでからストレッチを始めました。くにゃりと曲がるのを見て、
「すごいですねっ。どうしてそこまで曲がるんですっ?」
「な、なんだろうな。オレもわかんない……」
ヴィクがきゃいきゃいしていました。
身体が十分温まった頃、
「旅人さん、出番だぜ」
兵士に呼ばれました。
「うっし、行ってくる。……そうだ」
ダメ男はヴィクに何かを渡しました。
「これって……?」
見てみると、小さいナイフでした。掌サイズの黒いナイフです。
「誰か不審者が来たら、そいつで威嚇しろ。特製の痺れ薬が塗ってあるから、かすっただけでも動けなくなる」
「へぇ……」
その刃に触れようと、
「自分で触んなしっ」
したのを、もちろん制止しました。
「でも、これは……?」
「点と点が近づくように歩いてみろ。それで全てが分かる」
「?」
ダメ男はセーターを着込むと、
「自分の気持ちを裏切るなよ、ヴィク」
「え?」
と言葉を残し、廊下へ出ました。
昼間とは雰囲気が変わり、等間隔に仄めく灯りが、優しく照らしてくれています。今日は曇っているためか、より灯りが眩しく見えています。
「客が来るから明るくしてるのか? オレの時もそうしとけよな……」
ダメ男はぶつくさ言いながら、兵士の後を付いていました。ぼんやりとした灯りのせいか、周りがよく見えていませんでした。
ここだ、の声で、兵士は止まりました。行き止まりのドアの作りはリーグの部屋とは全く異なっています。こちらの方が一回り大きく、装飾が綺麗です。
「? 何の声だ?」
「それは入ってみれば分かる」
何か、声も聞こえてきます。
兵士はそろっとドアを開けました。
「……!」
そこには……何もありませんでした。いえ、正確には違いました。
「……っ」
まずダメ男が感じたのは異臭です。汗臭さと動物臭、何かのお香のようなものが混ざったものでした。
次に音です。叫び声のような悲鳴のような声が中から漏出していました。荒い吐息と水音がリズムとして聞こえてきます。
そして温度です。まるでサウナの中にいるような猛烈な暑さが立ち込めていました。温度はそこまで高くはないかもしれませんが、湿度が恐ろしく高いようです。中に入っていないダメ男ですら、全身にじっとりと汗を感じてしまいます。
しかし目には何も写っていませんでした。入り口付近は見えていますが、それより奥は漆黒の闇に包まれています。それでも、ダメ男は人がいることを感知していました。
パッと一番奥でスポットライトが当てられます。
「ようやく来たか、旅人よ。さっさと中に入れ」
「……」
ダメ男はそそくさと黒い何かを左耳につけ、中に入りました。
ガチャリ、と重く閉じられます。そちらは見向きもしませんでした。
「ここがどういう場所なのか。分かるか?」
「……」
ダメ男は答えませんでした。
「答えられんのか?」
〈ダメ男、六時の方向四メートルに、鈍器を持った男がいます〉
左耳からフーの声が聞こえます。
「……そっか。なるほどな」
「?」
「オレがこの世で一番嫌いな場所だ」
「ほう」
ダメ男はセーターに左手を入れました。
「こんなこと、将軍に知られてもいいのか?」
「どうやっても将軍には伝わらんよ」
「?」
ぱちん、と鳴りました。すると、もう一つライトが当てられます。
「!」
〈ファル様っ?〉
「おいおい、今照らすなよ。いいとこなんだからよお」
「申し訳ありません」
リーグが丁寧に謝罪しました。丸々と肥えた醜い男は突き上げています。
〈な、なんてことを……!〉
色んな都合上、語るのは無理なため省略しますが、とても悲惨な状態であることは確かでした。声にならない声を上げ、力なくうなだれ、身体を震わせていました。痙攣しているのかというくらいです。
ダメ男はそちらには一切目を向けませんでした。すっと左手を出しますが、何も持っていませんでした。
「そうやって驚かせてから闇討ちしようなんて、古臭いな」
「!」
ダメ男はにやりと口角を上げました。とても余裕そうです。しかし、フーには分かっていました。今は抑えているだけなのだと。
「この臭い……麻薬系のものだろ。ここのメイドも使って荒稼ぎしてたってわけか」
「薄々とは知っていたのだろう?」
「まぁね。もうこの屋敷に入った時から臭くてしょうがなかった。鼻が慣れちゃったから感じなくなったけど」
ふん、と鼻で笑います。
「言っておくが、ここで一暴れしようものなら、犠牲者はお前だけではなくなるぞ?」
「? どういう意味だ?」
「ここのメイドだけじゃなく……ヴィクも危うくなるだろうな」
「! お、お前……将軍の娘を人質に……?」
これにはダメ男も我が“耳”を疑いました。
「こうでもしなければ、このパーティーは平穏に終わらないだろう? あの兵士長に勝る男だ。一溜まりもなかろうな」
「……オレたちを分断させるためか……」
「さて、お前には三つの選択肢がある。一つはここで暴れ出すか、二つはこのまま帰るか、三つは……俺の言うことを聞くかだ」
「……」
ダメ男は視線を落としました。頭の中でぐるぐると回っています。
〈ダメ男、十分に考えて、〉
「あぅっ……いやっ、うあっ…………」
「!」
「どうする?」
まるでさっさと決めろ、と言いたげでした。特に勝ち誇ったわけでもなく、氷を張ったように無表情です。
〈卑劣すぎます……〉
フーの怒りもダメ男の耳に入っていきます。
すっと目を閉じ、力強く息を吐きました。
「……分かった。お前の要求は何だ」
ダメ男は三つ目を選択しました。
どよどよ、とざわめきが聞こえます。
ふっ、と、ここでようやくリーグが笑いました。
「お前があいつの代わりに相手をしろ」
〈はっ?〉
フーの驚愕に怒りが含みます。
「あの男はこの周辺を仕切る豪族でな。話をした時からお気に召したようなのだ」
「馬鹿なことを言わないでくださいっ」
えっ? と一瞬声が揃いました。フーを知らない者たちがさらにざわめき出します。
「では、そのまま×××されているのを見てるか?」
「っ! この極悪非道!」
言葉をぶつけるように非難を浴びせます。しかし、嘲り笑われてしまいます。
「……」
「ひへえ……」
その豪族の男がファルを投げ捨てると、ダメ男の方へ近寄ってきました。真ん前まで来ると、ダメ男よりも大柄な体格でした。
「おまえ、ワシの好みだなあ……」
ぬるりと、頬に掌が添えられ、顎をくっと持ち上げてきます。汗と何かでぬめぬめしていて、気持ち悪いです。急に興奮し出し、身体を擦り付けようとしてきます。
「! おまえ……なかなか柔い肉をしておるな。女に引けを取らぬとは……」
〈ダメ男! なぜ抵抗しないのですかっ? 聞こえているのですかっ?〉
「……」
フーの怒りようとは裏腹に、ダメ男はいたく冷静でした。じっとリーグの顔を眺めていたのです。まるで何かを探るように。そして、
「ファルに手ぇ出したら、“そいつ”を切り刻む」
何かを待つように。
「ほう……」
「あんたの相手は後でしてやる。今はリーグに用があるから待ってろ」
「ほほう……ますます気に入った。あんな××××なんぞよりも楽しめそうだ。そのすましたツラ……崩れるのをじっくり味あわせてもらおうかの……」
〈なるほど、そういうことでしたか〉
おおおおお、と周りの人間達は唸り声をあげました。蔑みというよりも驚嘆と賛美に近いものでした。
おかしなタイミングで、フーも冷静になっていきます。
豪族の男は満足気に暗闇に消えていきました。
それを見ていたファルは朧気ながらも、
「……」
呆気に取られていました。
ふぅ、と溜め息をつくダメ男。溜まっていた汗が連なり、首筋から服の中へ流れていきました。
「なぁ、オレの話を聞かないか?」
「?」
ダメ男の謎の呼びかけ。“行為中”だった者たち全員がダメ男に釘付けでした。まるでショーでも見るかのようです。
「ふっ。今さら何をぬかしている」
「オレはようやく理解できたんだ。奴隷解放のこと、戦争のこと、ここでのこと……全部……」
「だからどうなるというのだ? 下手な時間稼ぎはいら、……? ……時間稼ぎ……」
ダメ男は小さく舌打ちをしました。
〈ダメ男、間に合ったようです〉
再び、耳からフーの声がします。
「き、きさま……まさか……」
ガタガタガタ、と歯が震えていました。
「入って来い! ヴィク!」
ダメ男の呼ぶ声に応えるように、
「!」
扉が開かれました。そこには、
「! な、なに、ここ……」
ヴィクの姿がありました。そして、すぐに気が付きました。
「ファルっ!」
「ヴ……ヴィ、クさま……」
辛うじて聞こえます。
「リーグ様、これは一体どういうことですかっ! 説明してください!」
透き通る声がリーグの耳に突き刺さります。その声が漏れ出さないように、光が閉じられていきました。代わりに、パッとヴィクにライトがあてられます。
はぁ、と溜め息をつきました。
「見ての通り、接待だ」
「ここのメイドたちを使ってっ? 人道的に問題がありますっ!」
「黙れ! 安全なところから人道的などと
「っ」
今までの何倍もの威圧感。あまりの迫力に、じりっと
「奴隷解放のために、どれだけの者たちが死んでいると思っているっ? もはや奴隷の数を上回っているのだよっ! その状況を理解せず、まだ理想を求めるのかっ!」
「……」
ヴィクは“また”押し黙ってしまいました。
ダメ男はあえて、何も言いませんでした。
〈ダメ男、いいのですか?〉
「いいんだ」
ぼそっと言いました。
〈え?〉
じっとヴィクを見つめました。
「これは、あいつのためなんだ」
〈どういうことです?〉
聞かずにはいられませんでした。
ぼそぼそと話を続けます。
「……後で話してやる。だから今はヴィクを見てろ。あいつはきっと答えを出すよ」
〈え?〉
すっとヴィクに視線を移しました。それは他の者たちもです。主役が交代したためでした。
「…………」
ヴィクはこれまでのことを思い返していました。自分の昔のこと、ファルと出会った頃、そして、ダメ男たちと話した頃。これまでずっと自分の理想で、奴隷解放という理想を掲げてきた父。自分を奴隷だと蔑みながらも、必死に打ち解けようとしてくれたメイド。どこからともなくやって来た旅人。死ぬ寸前ではないのに、まるで走馬灯のように、記憶が一瞬で流れていきました。
そして目の前で起きている惨状を、焼き付けるように見ます。今は大丈夫ですが、今まで虐げられてきたファル。彼女のこれまでを想像しました。言葉に出来ないような“拷問”に身が締め付けられるようです。ただ、肌の色が違うだけなのに、どうしてだろう? しかし、ヴィクはそれ以上は考えるのを止めました。
もう一つのライトに照らされるリーグ。どうして彼は今まで自分を客人に×××させなかったのだろう? それは将軍の娘という立場であるから。その重要性と必要性は他の者たちの視線を感じれば、どれほどなのか分かります。
「何を黙っている!」
リーグが
ヴィクはふっと記憶が浮かんできます。それは、会食の時、再三怒鳴りつけていた記憶です。その記憶が頭の中で巡った時、ある重大なことに気が付きました。
「……私は…………」
自然に言葉がでてきます。
「とても弱い存在です……」
「……」
リーグが耳を澄ませています。
「将軍の娘ではありますが、身体が弱いせいでいつも引きこもりがちでした。それが
「……」
いつものように怒鳴りつけたり、催促したりしません。
「戦争が激しくなって、リーグ様に保護してもらうようになりました。そこで、ファルと出会いました。自分がひどい目に遭っているのに、ずっと私を励ましてくれました。……思ったんです。初めて友だちができたんだって」
「……その友達を、お前はどうしたい?」
とても静かに、でも優しく問いかけました。それはあのリーグの声です。
「私は弱いから……みんなを助けることはできません。でも、友だちの、ファルを助けたい……。私、恩返し……できてないんです……」
「……そうか」
リーグは嘲ったり貶したりしませんでした。
「では、その覚悟を……ここで見せられるか?」
「……はい」
〈え?〉
ヴィクはドレスを弄り、一枚落としました。可愛らしいキャミソール姿です。
おぉぉっ! と会場は一気に湧き上がりました。
「ヴ、ヴィクさま……」
朧気な表情で、必死にヴィクを見守ります。
〈ダメ男! 何をしているのですっ! はやくたすけ、〉
「静かにしてろ」
〈で、ですが、〉
「いいんだ。堪えろ」
ダメ男は一向に動こうとしませんでした。表情をじっと見ています。
ヴィクの表情には何も書いてありませんでした。ただ、その気配をダメ男はひしひしと感じ取っていました。それはリーグも同様のようです。
そしてキャミソールの肩掛けを外し、下に落としました。踏まないようにしゃがみこんで、ずらします。未発達の身体が露わになってしまいます。
室内はさらにヒートアップし、
瞬く間にダメ男が入室した状態に戻ってしまいました。それどころか、ますます熱が上がりだしています。
ヴィクは可愛らしいパンティしか身に纏っていませんでした。
「……」
ダメ男を一見しました。
……ごめんなさい……。
「!」
そう見えました。唇の動きから察して。
そこに指をかけ、
「おっくるのかっ?」
「はやくしろよおっ」
「×××××たいぜえっ!」
「……」
すっと目を閉じました。そして、下ろしました。
会場中が最高潮に沸き立ちました。もう我慢できん、と一人がヴィクに襲いかかります。一人が動き出してからは、もう止められませんでした。
「ヴィクさまあああっ!」
もうヴィクは肉の波に飲まれてしまいました。気色悪い吐息に立ち上る獣臭、心が押し潰されるような絶望感。
ただ一人スポットライトを浴びているファルは、
「うぅ……うっ……」
涙を止められませんでした。
「ごめんなさい……わたしの……せいで……」
演劇で言うなら、悲劇のヒロインのようです。
「もう……わたし……わたし……ごめんなさい、ごめんなさいっ……」
色んな物が涙に混じって床に垂れていきます。拭き取るようなこともしませんでした。
あまりの絶望感に目の前が真っ暗になります。
「ヴィクさまっ……ごめんなさい……もう、わたしは……」
きゅ、と舌を歯で挟みます。
「しんで……」
「ファルっ」
「もうしぬしか……しんでわびるしか……」
幻覚まで聞こえて、
「……?」
するりと舌がずり落ちます。
「大丈夫?」
「……え?」
ファルを包む柔らかい感触。それはかつて感じた感触でした。想像を絶する手触りと柔らかさで、ずっと触っていたくなる衝動に駆られてしまいます。もう、ふにふに、と触っています。
目の前の出来事が突然で、唐突で、急激で不意で突如たるものでした。
「ファル、泣かないで」
自分の涙を“救って”くれる人。確かにヴィクが、目の前にいました。裸体に黒いふわふわを身に纏って。
「ど、どうして……?」
頭が真っ白になってしまい、
「ぅ」
がくりと意識を失ってしまいました。
「うわっ、ファル? ファルっ!」
「大丈夫です。意識を失っただけですから」
ヴィクにはフーが掛けられていました。
「ダメ男の元へ、お願いします」
「……うん」
ぎゅっと抱き寄せたまま、そちらへ歩きました。
「……さて、どうする? あんたにも悪い話じゃ、ないと思うんだが」
ダメ男はリーグと話をしている最中でした。リーグは面食らった面持ちでダメ男を見ていました。何か衝撃的なことを言われたのでしょうか。
「……」
「“報酬”もきちんとあるしな。一応は依頼の形になってるだろ?」
「……」
押し黙っていたリーグですが、
「いいだろう」
ダメ男の“依頼”を引き受けました。
ダメ男の背後はまだ肉の海が広がっていました。リーグたちに目を向ける者は誰一人いませんでした。
「急げ! 負傷者を集めろ!」
「はっ!」
「く、ここは何としても死守しなければ……!」
「将軍、失礼致します!」
「どうした!」
「将軍に来客ですっ」
「なに? こんなところに一体誰だっ?」
「そ、それが……!」
「お父さん……初めまして……」
「び、ヴィクっ!」
「来ちゃった……あはは」
「お前、どうしてこんな所へ! ケガはないのかっ?」
「うん、大丈夫だよ」
「一体どうしたのだ? お前はリーグの所へ預けたはず……!」
「実は……話があるんだ」
「話? な、何をして……」
「お父さん、私ね……ある旅人さんたちに出会ったの」
「は、早く離しなさい! ち、血が……!」
「覚悟を決めるには気持ちじゃなくて、身体で決めなきゃいけないって。そして大きな事を成し遂げるには、犠牲を払わなきゃいけないって……っ……」
「わかった、わかったから、手を離しておくれ、ヴィクよ……」
「……お父さん、もう……戦争はやめよ?」
「!」
「確かに、奴隷解放は大切だし、お父さんの理想だよ。……でも、目の前の現実から目を逸らすだけじゃ、きっとだめなんだと思う。だからこうして、目の前の大切な命が消えても、ちっとも気付かないんだ」
「お、おまえ、……まっまさか……」
「うん。もし、それでも戦うっていうなら……私はこの剣で心臓を貫きます」
「!」
「こうでもしないと、お父さんは戦争を止めてくれない。私と奴隷解放……どっちを取る?」
「ま、待ってくれ……! その話は後にしないと、ここは死守しないとまずい場所で、」
「……うっ……い、いた……」
「! やめてくれ! ヴィク!」
「はっ……っ……お父さんの理想はっ……私の誇りっ。でも、その理想は犠牲が多すぎるよ、きっと。だって、……私……しんじゃう……から、……」
「お、おおお……やめてくれ、ヴィク……」
「……!」
「感触、する? ……う、はぁ……はぁ……」
「うおおお……うう……」
「……?」
「おい……あれって……敵の将軍の娘じゃないか……!」
「どうしてこんなところに……?」
「それより、一体どうなってるんだ……?」
「娘を刺しているのに、将軍が泣いているぞ……」
「……ど、う……するの……?」
「……う……うう……」
「……もう、……おとうさんは……だめなのかな…………」
ずぶり。
「! 分かった! 撤退する! 戦争をやめる! だからこれ以上はやめてくれ! ヴィク!」
「しょ、将軍っ?」
「全軍撤退だっ! 戦争は終結! 終結だああっ!」
「……ど、どうなっているんだ……?」
後日、戦争から撤退し来た将軍が民衆の前に現れたそうです。そしてすぐに終戦宣言が将軍の治める国と他五国に放送されました。
あの部屋にヴィクとファルがいます。一緒のベッドで手を繋ぎ、一緒に耳を傾けていました。
「つっ……」
「大丈夫ですか? やはり手を、」
「ううん、いいの。……お願い、このままで……」
「分かりました。でも、無理をしないでくださいね」
「うん」
ヴィクの両手には包帯が巻かれていました。
ヴィクは将軍の持っていた剣の刃を握り、その切っ先を胸の中心に刺してしまいました。軍医の迅速な手当により、大事には至りませんでした。しかし、手当をされる中で、こっぴどく怒られたそうです。
じわじわと痛みが溢れるように広がります。しかし、それを感じる度にどことなく嬉しい気分になっていました。
「そろそろですね」
「うん」
ノイズが鈍く響いた後、あーっあーっ、とマイクテストが入ります。将軍こちらへ、うむ、と丸聞こえでした。
すぅっと将軍が息を吸います。
〈……諸君。まずはこの戦争で亡くなったものへの
黙祷、の声で、一分間の沈黙が流れます。
二人も瞳を伏せて黙祷を捧げます。
〈……さて……何と言えばいいのか、迷っているが……まずは、急な戦争終結で大変申し訳なく思っている。私は奴隷解放という大義を掲げて、これまで尽力してきたつもりだ。無論、今でもそうだ。……しかし、この戦争を止めたのは他でもない、私の娘だった……〉
ちらっとヴィクを見ます。ふふ、と小さく笑みを零していました。
〈娘はわざわざ戦地へ向かい、私に戦争を止めさせるように説得しに来たのだ。私は拒んだ。しかし、そう言うと、私の剣の刃を掴み、この私を脅してきたのだ。戦争を止めなければこの剣で心臓を貫く、と……。ぎりぎりまで私も拒んだ。ただの脅しだと思ったのだ。ところが、娘は本当に胸に突き刺したのだ。幸い深くはなかったので大事には至らなかったが、私は頭が真っ白になった。娘を助けたい一心で全軍を撤退させ、戦争を終結させたのだ……〉
「ずいぶんと無理をなさったのですね」
「……だって、父さんを止めるにはあれしかなかったんですもの」
「……痕、残らないといいですね」
「どっちでもいいかな。残らなきゃ綺麗になるし、残れば……誇りたくなるよ」
二人して笑い合いました。
〈この出来事自体、私の家庭の問題で、戦争には全く関係ない。だが、娘はこう言い放ったのだ。“理想ばかり見ていると、目の前の現実から目を逸らすことになる。そして現実で大切な命が消えていく”と……。今思えば、私はその通りだった。戦争に犠牲はつきもの、その分大義を背負い、成就させなければならない、そう思い込んでいた。しかし、それは単に理想に目が眩み、現実から目を逸らすことで、私自身が甘えていただけなのだ。……私は愚かな理想“狂”だ……〉
音響確認も済ませ、雑音が入らないようにしているのに、ざわざわと聞こえます。それほど、民衆が動揺を隠せていないのです。新聞社が揶揄した言葉を、終戦宣言で使うという皮肉を交えていました。
少し気になって、ヴィクを一見しました。とても楽しそうな表情です。あの悪口を聞いても、少しもおどおどしていませんでした。ヴィクは変わったのだと、ファルは思いました。
〈……娘は小さい頃から身体が弱く、友達がいなかった。私は戦争に行きっぱなしで、叔母がいつも面倒を見てくれていたのだ。戦争が激化し、信頼する部下のリーグに娘を預けた。それはただの缶詰に入れるのと同じだ。……しかし、そこで友達ができたのだ。たまたま現れた旅人と……黒人奴隷のメイドだ〉
急にハウリングが起こり、耳を覆いたくなるほどの高音。一旦プツッ、とマイクが切られました。そして再びプツッ、と繋がりました。先ほどのどよめきがはっきりとマイクに乗っています。恐らく、驚愕の大声が急にマイクに入ってしまったのだと思われます。それほど、驚きの発言だったのです。
〈彼女は客人の接待という
今度はファルを見ました。まるで今までのことを思い返すように、目を閉じています。時折きゅっと握っているのと、その痛みを感じます。ヴィクも握り返してあげました。
ありがとう、無意識に呟かれた一言に、どういたしまして、と呟き返します。
〈しかしリーグを責めないでくれ。彼は何も奴隷解放を真っ向から否定していたわけではない。私とは違う方法で模索していたのだ。そのためには奴隷という犠牲を払うしか無かった。犠牲を意識していたリーグとそうでない私。どちらが現実的か、比べるまでもない……〉
「! じゃああの新聞に書いてあった協力者の一人って……リーグ様?」
「わ、私には
それを肌身で感じているのはファルです。しかし、ファルは、
「そうなのかもしれないね」
「? どうしてです?」
「お父さんを疑ったり信じ過ぎたりはしてないんだけど、ダメ男さんならそう言うかなって」
「……ははっ」
複雑な表情で笑ってしまいました。
〈……彼の件と私の失態。全てをこの場で謝罪する。本当に申し訳なかった……〉
十数秒間、音声が途絶えました。二人には深く頭を下げているイメージが浮かんでいます。
〈それと、私はこの責任を取り、この身分を全て捨てることにした〉
「え、ええっ!」
「はいいっ?」
同じタイミングで驚いてしまいました。
〈これから私は一般人だ。次の将軍は皆で決めてくれ。いじょ……〉
途中で将軍の言葉がフェードアウトしてしまいました。代わりに、どよどよどよ、とマイクにざわつきが乗っています。
〈……ぁ、忘れていた〉
将軍の声が戻ってきました。
〈最後に、娘たちを支えてくれた友人に礼を言いたい。ありがとう……我が友人よ〉
「!」
ざわめきが続いた後、プツッと音声が切れてしまいました。
ふぅ、と勢い良く一息つくヴィク。
「私たちを支えてくれた友人ってダメ男さんたちのことだよね? でも、お父さんは“我が友人”って……」
「もしかすると、ダメ男様がこの国にいらしたのは偶然ではなく、将軍様の差し金だった……?」
「……ははっ」
ヴィクが急に笑い出しました。
「ダメ男さんって本当に予想を超える人だったね。戦争も終わらせちゃったし」
「はい。ですが、奴隷解放は……」
「うん。でも、私たちじゃきっと、相手にできない問題だったんだよ。だから、ダメ男さんは私たちをここに置いて行っちゃったんだ」
「足手まといってことですかね?」
「はっきり言うとそうかも。あっはは」
全く悲しい表情ではありませんでした。むしろ、険しさが取れ、一人の女の子としての表情です。それはファルもでした。
「これからはずっと一緒だよ、ファル」
「はい。私はずっと、ヴィク様に付いていきます」
「うん!」
「と、こちらを忘れては困るのですが」
テーブルの方から、フーの声がしました。
「急にラブラブになってしまって、見ているこちらが赤面してしまいますよ」
「あ、あははは……」
申し訳ない、と笑っています。
「このフーもお二人に仕えて、とても楽しかったです。久しぶりの長期滞在も悪くはありませんでした」
「私も」
「私もです」
「これからは、末永くお幸せに。ダメ男はいませんが、ダメ男の分も添えて祝福いたします」
「ってまだ早いよフーさん」
「あぁ、こんなに可愛らしいお二人がラブラブウッフッフ状態になるとは、一部の方々に大受けしそうな展開になりそうですねぇ」
「私、思うのですが、フー様って中身はおじさんでしょうか?」
「無生物にオスもメスもありませんよっ。ある意味、性別というものを超越した存在とも言えます。ですが、女の子の味方であることは間違いありません。あんなケダモノを見るだけでもぞわぞわしてあぁぁきもちわるいっ!」
「あの、そう言えばダメ男さんはどちらに?」
「分かりませんが、警護終了日には戻ってくるとしか分かりませんね。まぁ、障壁もなくなったでしょうし、変なトラブルにはなっていないとは思いますけど」
「そういえば、フー様は将軍様に会ったのですか? ダメ男様と一緒なら、ご存知だと思いますが」
「こちらも初めて知りました。その時、電池が切れてしまっていたものですから」
「?」
「簡単に言えば、認知していないということです」
「そーなんだ。よく分からないな、二人の関係って」
「別に深くも広くもない腐れ縁ですよ」
「ねえ、二人の馴れ初めを聞きたいなあ」
「へっ? なっなれそめ……ですか? 意味を分かってて言っています?」
「“ガールズトーク”というものです、フー様」
「あぁーそれはですねー。そう言われると断りきれないと言いますか何と言いますか」
「はやくはやくっ」
「……絶対に内緒ですよ?」
「もちろんですとも」
「……あれは紀元前千二百年のことでした。空から降り注いだメテオが地表に衝突したときに、」
「絶対違うと思うけど、すごく壮大な出会いになりそうだねっ!」
「どうだ? 中々順調にいくもんだろ?」
「しかし、どうしてここまで上手くいくんだ?」
「勢いってやつだよ。いつまでも同じ所に立ってる奴よりも、動いてる奴の方が役に立つってこと。あそこで将軍が言ってくれてなかったら、状況は厳しかっただろうな。何せ、他の四人は将軍の協力をしてなかったって公言してるようなもんだし」
「……驚かないのか? 俺がそんなことをしているなんて……」
「ちっとも」
「……なぜだ?」
「あんたには重要な秘密があるからさ」
「な、なに?」
「メイドたちは“接待”をさせられてた。けど、その割にきちんと仕事をしてて、きちんと生活できていた。口で言う割に、そこそこの環境を与えられてたんだ」
「……」
「それは何か、特別な感情が働いているからだと、オレは思ったんだ」
「それはなんだ?」
「フーたちを連れて来なくてよかったって思ってる。こんな理由、過激すぎて聞かせられない」
「?」
「あんたはいや、あんた“方”には男色家がいるんだろ?」
「!」
「よく考えてみれば最初からおかしかった。特にあんたは、怪しい旅人に融通利かせたり、失礼なことを言っても強く叱らなかったりと、戦争中にしては甘すぎる。そして、あの兵士長がわざと手抜きしたのも、オレをじっと見てたのも、“そういう目”で見てたからだよな? あんたがメイドたちを冷たく接し、接待させていたのは、それがバレるのを恐れたからなんだろ?」
「……」
「最初はもちろんまさか、って思ってたんだ。けど、あんたがあのパーティーに参加してなかったのを見て、確信したんだ。今回はそれを大きく利用させてもらっただけだ」
「……それが、どういう意味なのか理解しているのか?」
「だから依頼の“報酬”も豪華にしただろ? あんたの将軍確定権だけじゃなかったんだし」
「あの時は頭が真っ白になったものだ。何せ、重役たちに勘付かれたかと思ったからな。俺自身、意味を飲み込めずに、流れで引き受けてしまった」
「……」
「それがお前の“覚悟”なんだな?」
「……あぁ。それとヴィクを助けた罰、兵士二人にケガをさせた罪も含めてるよ」
「ふっ。もともと助けるつもりだったんだろうが」
「あぁ。ヴィクの覚悟を見せてもらうつもりだったからな。本当は“その先”まで、と思ったんだけど、さすがにそれは可哀想って思って……」
「お前も甘いやつだ。そのせいで自分の身を危険に
「ぐひひ……その年でこのワシをも利用するとは、大物に違いないぞな……」
「よう旅人さん。まさか、自分から言ってくれるなんて思ってもみなかったよお」
「あの時はよくも押し倒してくれたな? たっぷりと礼はしてやるよ……」
「この目の“代償”は高く付くぞ、坊や」
「うちらはどっちも“いける”んすよ」
「お手柔らかに……」
「その前に、一つ確認したいことがある」
「なんだ?」
「お前がどうして奴隷解放にこだわるのか、少し考えてみた」
「へぇ。で、分かったの?」
「だから、それを確かめたいのだよ」
「どうやって?」
「……服を脱げ。それで全てが分かる」
「! ……」
「リーグよ、そんなもの後にせい。味見してからでも遅くはなかろう。どれだけ焦らすつもりなのだ」
「そうですよ~リーグ様。そんなの最後でも、」
「待っていただきたい。これは俺との契約に含まれていること。確認できたら、朝まで好きにしていただきたい」
「……よかろう」
「領主様がそう言うんなら、従うしかねーな」
「そっすね」
「……分かった。ただし、絶対厳守してもらう。オレは別にバラされてもいいけど、あんたらは困りそうだしな」
「よかろう。もともと口外するつもりはない。個人的な興味だ」
「………………」
「うひー、うひ~」
「なかなかじらすなあ」
「……ほらよ」
「!」
「っ!」
「な、なんだそりゃっ……」
「……これでいいのか?」
「そうか。なるほどな」
「これはこれは、玩具にするにはもったいないほどの肉体美……」
「? リーグ様、どういうことです?」
「銃痕や刺傷、痣が目立っているがわざと隠している痕がある」
「?」
「火傷だよ。それを埋めようと、わざと傷跡をつけているんだよ。ちょうど……胸の中心だ」
「……確かにそう見えなくもないですけど……」
「火傷なら他にもありますし。でも、そうだとしても、何か関係あるのですか?」
「……分からんか? こいつは……元奴隷だ」
「!」
「も、元っ?」
「……ほう」
「恐らくどこかの国で捕まり、捕虜として働かされていたのだろうが、……その痕、俺はよく知っている」
「! ……っ…………」
「だ、大丈夫か?」
「あせ、ひどいぞ……」
「リーグよ、お前の言うことが本当なら、こいつは、」
「はい。脱走した者だと……」
「っほ! あそこから抜け出す者がいるとはっ。久々に血が騒ぐ!」
「……お前は元奴隷として、あのメイドを気にかけたのだろう」
「……はっ……はぁっ……そ、それはどうかな……」
「繕うな。そのナリを見れば全てが分かる。トラウマが蘇って身体が拒絶しているぞ」
「っ……」
「そうか。……さて、そろそろ始めるとするか。奴隷の経験があったんだ、多少は強引でも構わんな?」
「……できれば……やめていただきたいけどな……」
「ぐっひっひ。心配するでない。リーグに依頼したことは全力で協力しよう。たっぷりと“報酬”はもらうがな」
「うへへ、俺は手荒なことは好きじゃねえから大丈夫さあ」
「俺らはそういうわけにはいかねえ。たっぷり利子も含めて払ってもらうぜ」
「壊れない程度にしとくっすよ、センパイ」
「……ふん。ま、適当に遊んでやろう」
「……っ……うぅ……」
ヴィクの警護最終日の翌朝。つまり、ダメ男が出発する朝です。
「お帰りなさい、ダメ男」
「あ、おう」
ダメ男は自室に戻ってきました。何時ぶりかの朝帰りです。
「どうでした?」
「うーん、まだかかるけど、オレがいなくても大丈夫みたい」
「そうですか」
ダメ男は最後の荷物確認を行いました。ナイフやジャケット、タオル、携帯食料等、忘れ物はありません。念のためウェストポーチも見ますが、同様でした。
「そう言えば二人は?」
「一緒の部屋で眠っています。どうやら“夕べはお楽しみだった”ようです」
「なんだその古い表現は。まぁ、でもそっちの問題も片付いて良かったな」
ダメ男はウェストポーチを両腰に提げ、リュックを背負いました。ずしりと重量感を覚えます。
「まだ寝てるみたいだから、そのまま行くか」
「二人の絡みは最高でしたよ。もうお互い愛し尽くして尽くされ、」
「朝から濃厚なお話どうも」
振り払うように、そっと部屋を出ました。まだ朝早いからか、人気は全くありませんでした。
そのまま中央部へ行き、そのまま階段を降りていきます。のしのしと重みのある足音がします。
中央部の一階はテーブルとソファのみの応接室でした。ここには、
「おはようございます」
ファルとは違う、肌黒のメイドさんがお仕事をしていました。
ダメ男も挨拶を交わします。
「もう出発なさるのですか? 朝食はそろそろなのですが」
「あぁ……もしパンだったら、それだけもらえる?」
「分かりました。少々お待ちください」
メイドは早足でどこかに行ってしまいました。
ダメ男はソファに腰掛けることにしました。リュックを脇に置き、ぼーっと待ちます。
ふとして、正面を見ました。ここにも鍵穴をモチーフにした装飾が施されています。ダメ男はふと思い出しました。
「これ、あの門の入り口と同じ……」
そして、何かを閃きました。いやっでもな、と再び考え出します。
そうしているうちに、メイドがパンを持ってきてくれました。大きいバケットにふっくらとした食パンが入っています。どうやらバケットごとくれるようです。半分だけ食べるつもりでしたが、ご好意を無駄にしてしまうと考え、全ていただくことにしました。
その半分をもくもくと食べながら、ダメ男はメイドに尋ねました。
「あのさ、この形って鍵穴だよね? 誰が考えたんかな?」
「これは有名な彫刻家の方が考案されたものですよ。確か何かメッセージを込めていたとかいなかったとか……かぎがどうたらこうたらで……えっと……」
くすりと笑います。
「ああ、思い出しました! “鍵を差し込む勇気”でしたっ。将軍様の依頼したものが、そのまま幹部の皆様に伝わったとお聞きしました」
「! ……そうなんだ」
一瞬、さり気なくメイドを見ますが、すぐに鍵穴に目を向けます。
「……」
とても感慨深そうに見つめていました。
食パンを食べた後、ダメ男はバケットを持ったまま屋敷を出て行きました。みんなによろしくな、とメイドに言い残して。
眩しいくらいの日差し……かと思いましたが、今日も生憎の曇りです。ほんの少しだけ青空が見えています。しかし、雲の隙間には光が差し込み、一本の線として魅せていました。それが何本も地上へ降り注いでいます。
曇りのおかげか、気温は低くありませんでした。軽く走ると汗をかくくらいに暖かく、出発するには適した気候でした。
屋敷の玄関から真っ直ぐ伸びた綺麗な道を歩いていきます。半分までは煉瓦が広がり、そこからは芝生が広がっています。
屋敷の門前には“あの”兵士と兵士長の二人がいました。
「もう出発するのか?」
「もう少しここにいればいいじゃねえか」
「ここにいると身体が
「そうですね。あっという間でした」
フーはどこかにある眼で屋敷を眺めました。曇りで屋敷は映えませんが、きっと綺麗なのだとフーは思います。
兵士二人は門を開けてくれました。
「昨日は楽しかったぜ」
「またいつかな」
「?」
「これからは二人に手を出すなよ? 依頼を破ったら、ただじゃ、」
「大丈夫だ。ギブアンドテイクはすましたしな。はっはっは」
ドンロ兵士長は豪快に笑いながら、ダメ男の出発を見送ってくれました。
ダメ男は初めて街中を観光しました。
他には観光というものはなく、同じような景色が見えるだけです。お店もあるようですが、特に代わり映えのするものはありませんでした。
「もしかすると、何もないからリーグ様はさっさと屋敷に向かわれたのではないですか?」
「これを見る限り、そうかもしれないな。あの時の楽しい気分は何だったんだ……」
「“禁断の味”ということですね」
「……そうだな」
住民も一人もいません。全員が家の中に引きこもっているのか、人気がありません。
ダメ男の観光は一時間足らずで終わってしまいました。
「行こうか」
「はい」
ダメ男は門へと向かいました。例によって兵士が立っています。
「出国されますか?」
「あぁ」
では、と名簿に適当にサインをします。その兵士の合図で開門しました。
「では、さようなら、旅人さん」
「ああ」
ダメ男は今、箱庭から飛び立ちました。