辺りは紅葉一色だった。山なりに盛り上がる紅葉があるところまで伸びている。そこからはなだらかに平らになっていった。
反対に空は真っ青一色。アクセントに太陽なんかも昇ったりして、黄白色に照らし出す。その光はとても温かいが、どことなく肌寒さを感じる気候だった。
そのなだらかになっているところ、つまり山の
荷物として、大きめのリュックサックにショルダーバッグ、右腰に小さいポーチを付けている。
両方の御足にはガンベルトが巻かれ、自動式の銀銃を収納できるホルスターが装着されている。左腰には小さめのハンドナイフが二本携えられている。今は訳あってどちらも片方が抜かれていた。
ゆさゆさと荷物と柔らかい髪が上下する。旅人は走っていた。おでこから顔から、おそらく身体中から玉粒が出るほどに汗をかいている。
突如、一本の木に穴が空いた。衝突音とその部分が炸裂し、掌形の紅い葉が振るい落とされる。まるで木に積もった雪が払われるように。その木は旅人が縫って入った一本だった。
林立している木々の一本に隠れた旅人。肩で大きく呼吸し、無理矢理息を整える。
「はぁ……はぁ……ふぅ……」
ぴしゅん、とその木にも衝撃が伝わった。びくりと震えると、またすぐに走りだした。
旅人のセーターの左ポケットからひょこっと顔を出した。
〔ハイル嬢、このままではジリ貧でございまする〕
それこそが私“クーロ”である。私はご主人様であられる旅人“ハイル嬢”の
ハイル嬢は現在、危機的状況に陥ってしまわれている。それはある国に訪れられたからだった。
その国はこの紅葉の中にひっそりと
城壁はぼろぼろに崩れ落ち、
辛うじて、城門の周りはまだ保っていた。かつて大国の面影がちらつく巨大な木門。家一つ分はあろうかという大きさだ。とても古いが決して割れたり裂けたりしていない。
ハイル嬢は荷物を下ろされ、見上げられた。はぁ、と圧巻のものに、息を吐かれる。
コートを脱がれ、門の前でばさばさと扇がれた。道中森を抜けてきたので埃がすごかったのだ。召されているこげ茶色のセーターにも葉っぱやら木くずやらが付いていた。それをぱんぱん、と軽く叩いて落とされる。
肝心の門番がいなかった。この様子では、国民すらいないのではと勘繰ってしまう。
ハイル嬢はコートを召されながら、門の脇にある連絡用の綱を引かれた。
「……」
しばらく待っても応答がない。
仕方なく、城壁を左手側に伝って歩かれた。これだけ崩落しているなら、どこか通り抜けられるところがある、と考えられてのことだ。
ぼろぼろぼろ、と城壁が崩れる中、案の定、
「あった」
人一人分通れる穴を発見された。
「入ろっか」
ハイル嬢が入国されようとした時、
〔待って!〕
空から何かがハイル嬢の肩に止まった。
「?」
肩に止まったのは鷹の“ピーコ”だ。こやつもハイル嬢の僕で、主に空からの監視役を担っておる。
〔どうした?〕
〔中に入っちゃまずいわ!〕
〔なぜだ?〕
ピーコは慌ただしかった。
〔中で敵が待ち構えてる!〕
〔どういうことだ?〕
〔分からない。ただ、重装備でこの入口を狙ってるのは確か! 蜂の巣にされちゃうわっ!〕
「……」
ハイル嬢もしっかりとお聞きになっている。ハイル嬢には見えている者触れている者の心の動きや意志を読むお力が備わっている。どういう風なのかは分からないが、我らの会話が頭や心に入っていくのだという。そのおかげで、我らとの連携を緻密に図ることが可能なのだ。
ハイル嬢は少し考えられた後、
「……あっちで音がしたね。もう一回門のところに行ってみよっか」
ごく自然に罠の入口からそっと離れられた。無論、それは嘘で、忍び足で紅葉の森へと潜められていく。
十分離れられたところで、ひゅうっ、とハイル嬢が合図を出された。ピーコが空へ飛び立った。これはもう一度空から警戒網を張ってくれ、という合図。もし、賊が追跡しているようなら、ピーコから連絡が入ってくる。
敵が重装備をしているということもあって、ハイル嬢はかなり慎重であられた。おそらく数キロは離れているはずだが、何があるか分からない。しかも、この紅葉の季節で視界も良くはない。さらに、落葉で足音も殺しにくい。追われている立場からすれば悪条件でしかない。
そこからさらに数十分歩き続けられた。
「……ふぅ。ここまでくれば大丈夫だよね」
〔はい。ピーコからも連絡はありませぬ。間一髪でしたね〕
「うん」
一応念の為に、夕方いっぱいまで歩き詰めになられた。ハイル嬢の危険察知はお鋭い。それはつまり、追いつかれたり捕まったりすれば……確実に終わるということ。私はそうなるのが恐ろしく怖かった。
夜。鳥の鳴き声が響く森の中。ハイル嬢は明かりになるものを一切使われなかった。焚き火も起こさず、月明かりの当たらない木陰の重なったところに、野営される。
もう夕食を済まされ、寝袋にてご就寝されていた。
夜では、鳥目のピーコは監視できない。なので、私と周辺にいる同胞たちとで見張りに当たる。今回は、
〔俺の“シマ”に一体何の用があるってんだ〕
リスの“キッド”殿だった。黒の毛並みにリーゼントのような毛の塊が頭に付いている。彼は夜更かしが大好きなリスで、他の者と“シマ”の取り合いをしているそうだ。縄張り意識の薄いこの種にしては、珍しい性格だった。
ハイル嬢の近辺は我ら二人で、その周囲はキッド殿の子分たちが見張ってくれた。
〔すまぬ。目的があってここに訪れたわけではないのだ〕
〔んあ? そうなのか。てっきりまた荒らしまわってんのかと思ったぜ〕
〔? 荒らし回る?〕
〔なんだなんだ。そんな様子じゃ、あいつらの仲間じゃねえのか〕
〔すまぬ。順序立てて説明してくれ〕
〔おうよ〕
キッド殿はこの森のことを詳しく教えてくれた。
〔この森の先にボロボロの国があったろう?〕
〔あぁ。見つけた〕
〔あそこの国は昔はこの森を観光にしてた国なのよ。そりゃあもう栄えに栄えまくったんだ。俺らも相当アピールしたもんだ〕
〔そんな国が一体なぜあのようなことに?〕
〔おかしくなっちまったのは連中が現れてからだ〕
〔連中? もしや、あの国に武装している奴らか?〕
〔そうだ〕
キッド殿は一息入れた。
〔奴ら、この観光を餌にして、観光客を脅しやがったのさ〕
〔何と卑劣な……〕
〔そのせいで国も衰えて、もう滅亡寸前って時に、奴らは国を乗っ取りやがった〕
〔! なるほど。強盗はあくまでも撒き餌。本命は侵略だったのか〕
〔そうしたらもうやりたい放題好き放題だ。今じゃもう誰も寄り付かなくなっちまった。いや、その事情を知らない観光目当ての旅人がいるか……〕
〔……〕
そんなことが起こっていたのか……。
しかし、事情の知らない旅人がやって来たらどうなってしまうのか。想像に難くない。おそらく、嬲り殺しにされてしまう……。
危なかった。ピーコが気を利かせていなければ、ほぼ間違いなくそのような結末になっていただろう。心の底からピーコのことを感謝せねばならないな。
〔奴らは馬鹿じゃない。この森を餌にするために、丁寧に管理してるのさ。そして、ここを狩り場にして、他の旅人をなぶってやがる。……俺の“シマ”をめちゃくちゃにしてるってのはそういうこった……〕
キッド殿の横顔がもの寂しい。こんな口調と性格だが、きっと心は熱いのだろう。他の者にとっては良い兄貴分かもしれない。
〔まあ、そうなる前に何とか旅人を追っ払ってんだけどよ。森の獣たちが凶暴化したってんで、ここは悪名高くなってる。……へっ、誰も来なきゃ、ここは俺の“シマ”なんだからよ〕
〔……キッド殿は良いやつだ〕
〔あ? なんだって? 俺がいいやつ? んなこと言ってっとぶっとば、〕
〔失礼しやす、アニキ〕
ふと、物陰から、キッド殿の子分がやって来た。
〔どうしたカズ〕
〔ジローから連絡が。怪しいやつらがこちらにやってくるでやす〕
〔誰だ?〕
〔分からんでやす。ただ、国から連中がいなくなったのを、サブが確認してやす。おそらくは連中が……〕
〔そうか〕
キッド殿が立ち上がった。
〔早くハイルを叩き起こしな。思い出話はここまでだ〕
〔……分かった〕
俊敏な動きで、キッド殿は木を登っていった。私も準備に取り掛からなければ。
ハイル嬢はぐっすりと眠っておられる。この寝顔を崩すのは心が痛むが、仕方がない。ちょうど身体を横にして眠っておられるので、そっと唇の方へ寄った。とても優しく、かり、と噛んだ。
「ん、……んぅ」
僅かな刺激なのに、ハイル嬢はすぐに起床された。そのまますぐに荷物を片付けられ、あっという間に出発の支度を整えられた。ここまで滑らかに事を進められるのも、寝る前に取り決めたためなのだ。
月明かりを利用して、ざっと銀銃のチェックをされた。特に問題はないようだ。
ハイル嬢はハンドナイフも取り出され、銀銃の柄と一緒に握り込まれた。その隙に、ささっと胸ポケットに入る。
そして、木陰に身を隠すように、蛇行しながら離れられていく。おそらく、連中が暗視眼鏡を持っていることを想定されているのだろう。しかし、足音までは完全に殺しきれない。それはお互いに言えることだった。
遠くの方で、枯れ葉を踏む音がする。それも複数。出処とリズムから考えて、五人以上はいる。両側に複数人とハイル嬢を追うように複数人。やはり、暗闇対策をしているようだ。
ふと、全く外れの方で、同じような音が聞こえた。
「!」
ハイル嬢もそれに気付かれている。
息と足音を殺しながら行動されているので、体力消耗が激しい。大量の汗が衣服に染みていた。それも冷たい。私は水風呂に入っているかのように覚えてしまう。
左手側にいる足音が、遠のいていく。何か気に取られて、ルートを変更したのか……? そう思っていると、
「……!」
突如上から何かが降ってきた!
「っと」
足音に紛らすように、声が出る。思わぬ状況にハイル嬢は冷静に声を処理された。
ハイル嬢に抱きとめられたのは、キッド殿だった。くしくしと頭をかくと、ハイル嬢の右肩によじ登った。私はそのままポケットから顔を出す。
〔驚かすでない! 危うく撃ち殺すところだったぞ!〕
〔わりいわりい、ちょっくら
〔? 撹乱? どういうことだ?〕
〔ざっと見て、連中は十五人ってとこだ〕
〔そんなにもいるのかっ?〕
十五人……重装備の連中がそのくらいいるとなると、絶望感が……。
〔だから、子分たちにハイルから遠ざけるように音を立ててこいって命じたんだ〕
〔なんと!〕
この機転の良さに統率の取れた連携。さすがこの“シマ”を仕切っているだけのことはある。
〔だがそれも夜の内だけだぜ。仕留めるなら今しかねえ!〕
「……」
ハイル嬢は再び、木陰に隠れられた。意を決せられたようだ。
「クー」
銃口でくいくい、と右側を差された。
〔約十メートルほどでございまする〕
無言で頷かれた。はぁ……ふぅ、と深呼吸。
…………ずり、と“標的”方向から足音が聞こえた。その瞬間、ハイル嬢はそちらの方向へ駆け出された。
「っ!」
かちゃん、とおもちゃのような音が連続する。直後、銃撃音が連続して炸裂した。しかし、そこは木。ハイル嬢は木陰に隠れては走って、を連続的に行なって急接近される。
びっ! とハイル嬢の左肩が弾かれた。さすがに腕は達者だ。あっという間に適応された。しかし、それは逆に言えば、自分の居場所を明確に教えているということ。
「ふぅ……ふぅ……」
標的の足音が遠ざかっていく。ハイル嬢と一定距離を保ちたい行動だ。それをハイル嬢は逃さなかった。
「ふ」
素早く身を乗り出し、射撃。こちらは消音器を付けていないため、射撃音がもろに森に響き渡る。しかし、遠くで二回、重いものが叩きつけられる音がした。
全速力で駆けつけられる。
〔お前らもやるじゃねえか〕
男二人が地面に転がっていた。一人は右肩の関節、もう一人は左肺を撃ち抜かれている。ハイル嬢はそれを確認なさると、有無を言わさず、
「う」
「べ」
男たちの首を掻っ捌かれた。さらに、暗視眼鏡を二つ剥ぎ取り、すぐに離れられていった。
これであとは約十三人。だが、安心するのは早すぎた。
暗視眼鏡を装着しようとした時、
「ぐあっ」
ハイル嬢が呻いた!
〔ハイル嬢!〕
棒状の凶器で突き刺されたかのような衝撃。ハイル嬢の左腕が木に打ち付けられるように、弾かれた。だが、痛みに悶える暇すらくれない。離れた
恨みで撃ち抜くような大量の連射に、木が抉られすぎて倒れてしまった。幸か不幸か、そちらには誰もいないようだ。
地面を揺らす大轟音。ハイル嬢は再び足音をその轟音に溶け込ませ、すぐに身を隠された。
暗視眼鏡のおかげで視野は確保できた。それも二つ。ハイル嬢は予備として余分に剥ぎ取られたようだ。
〔ハイル嬢、お怪我はっ?〕
「……」
薄っすらと月明かりでご様子が窺えた。……私を気遣ってにこりとされるが、疲労と痛みで汗がだくだくだった。
お気に入りのコート、先ほど撃たれた左二の腕の端に穴が。しかも酷い出血……。コートには滲んではいないが、その下も大変なことになっているのは容易に想像できる。貫通というより抉られたようだ。
暗視眼鏡を奪われたことで、敵も黙視を破る。声が微かに聞こえ、しかも足音と共に離れていく。おそらく一時退却といったところだろう。その間隙を利用して、ハイル嬢はお怪我の応急処置に取り掛かれた。
ふと、空が白け始めてきている。連中はこれを期して退却したのか。つまり、ここまで手こずるのは想定外だったということ。
ずっと押し黙っていたキッド殿が空の明るみを眺めながら、
〔スリリングすぎて、声の出し方忘れてたぜ〕
安堵の声を出した。
とりあえず、あの場を離れてこちらも体勢を立て直すこととなった。
〔どうだ?〕
〔はいアニキ、周囲三十メートル確保できやした!〕
〔おう〕
愛弟子(?)の子分“カズ”殿がびしっと報告した。
今は国から遠く遠く離れたところ。それも川だ。上流の一番頂点、水が湧いて出るところにいた。紅葉に包まれているのは変わらないが、なんと小さい滝がある。だいたい五メートルほどか。その音のおかげで、こちらの音を隠すことができる。
キッド殿曰く、ここは知る人ぞ知る秘境なのだとか。
そして、我々は何をしているのかというと、最厳重警戒の任についていた。すなわち、
「きもちー!」
ハイル嬢の
以前、ハイル嬢の御身を覗こうとした不心得者がいたが、次の日には骨にしてやった。
地上はキッド殿と子分たち、空はピーコが警戒にあたっている。ほぼ間違いなく狼藉は侵入できない。いや、させない……。
〔しっかしタフだな、あんたのご主人様はよ。自分が殺されるかもって時にノンキに水浴びだもんな〕
〔気分転換されているのだろう。こういうことは珍しいことで、〕
〔どう? イイ感じかしら?〕
空からピーコが降り立った。
〔あぁ。キッド殿のおかげで、いつもよりリラックスされている〕
〔た、たか……〕
キッド殿は少し怯えていた。
〔大丈夫よ。そんなにビクつかなくても〕
そう言えば全然気にならなくなっていたが、捕食者と被食者の関係にあることを忘れていた。キッド殿はリスだが、ピーコはリスも食べるのだろうか。
〔でも、森の中にちらちらうろついてるのいたし、食べてもいいかしらね〕
〔ピーコ! それはキッド殿の子分だ!〕
〔あわ、わわわ……〕
さすがにこの“シマ”を仕切っていたとはいえ、鷹を相手にしたことはないのだろう。しかもピーコは通常の鷹よりも少し大きい。
翼を広げて威嚇した。
〔わああああああっ!〕
逃げるように、私の背後に隠れてしまった。って、私を盾にするでない!
〔あなた、中々面白いわね〕
〔ピーコもちょっかい出すでない!〕
〔ふふふ〕
全く、このいたずらっ子め。
少し話した後、ピーコは再び上空へ舞い上がっていった。
〔お前、怖くねーのかよっ〕
〔もう長年の付き合いだ。ピーコが鷹だという認識もなくなっていたよ〕
〔……お前、すげえな〕
のびのびと沐浴された後は、ここを拠点に一休みされた。朝食を取られたり、衣服の裁縫と洗濯、そして武器の点検をされたりした。セーターの左腕は血が垂れるようにじわじわと染みていた。
代わりの服として、白と淡赤色のボーダーシャツを着ることにされた。
お怪我のところは消毒をしっかり行ない、脱脂綿を包むように包帯を巻かれている。
〔さすがにお手のもんだな〕
「そう? けっこう勉強したんだ」
〔へえ〕
小さい焚き火を起こされている。そこで水を煮沸消毒して、紅茶を
私は警戒に掛かりながらも、キッド殿がここで起こったこと話しているのを聞く。ハイル嬢は睡眠中だったので、まだ事情をご存知なかったのだ。
ふうふうしながら、一杯飲まれた。
「そうなんだ。……じゃあ、あの人たちはわたしを狩ろうとしてるわけだね」
〔そういうこったな〕
「ふぅん……」
……あれだ。ハイル嬢が笑われている……。
〔楽しいのか?〕
キッド殿が尋ねた。
「え? そう見えた?」
〔だって、笑ってるじゃねえか〕
おお、キッド殿の素直な質問。正直、私も聞いてみたかったことだ。もっとも、怖くて怖くてそんな気になれなかったのだが。
「全然楽しくないよ。死んじゃうかもしれないのに」
〔じゃあどうして笑ってたんだ?〕
「う~ん……わかんない」
〔わかんないのかいっ〕
誤魔化されているようには見えない。……とても複雑に感情が動いて、いや
粗方、用事も済ませると、すぐに荷物を片付けられた。特に連絡はないが、できるだけ離れておきたいのが心情だ。
上から修復されたコートを羽織られ、リュックとハンドバッグを肩に掛けられた。
ちらちらと周りを窺い、出発された。
私はいつもの定位置で、キッド殿はハイル嬢を見守るように樹上から追っている。
「あのさ、ちょっと聞いていいかな?」
〔あ? なんだ?〕
こやつの無礼な口振りも、ようやく慣れた。
「今、あの国からどのくらい離れてるかな?」
〔具体的にはわかんねえけど、だいぶ離れたと思うぜ。なんせ連中がまだ来てねえからな〕
ん?
「そっか……」
とても残念そうな顔付きをされる。
私はどこか引っ掛かっていた。何だろう、何かを忘れている。すごく重要なことを忘れている気がする。
しばらく歩いていると、
「……」
〔……〕
あの滝に到着した。
「あれ? 戻って来ちゃった」
〔……あ、あああっ〕
そ、そうだった! なんということを忘れていたのだ! ハイル嬢は……、
「あはは」
極上の笑みで誤魔化さないでいただきたい!
ハイル嬢は、究極的な方向音痴であられた! ああああ、なぜ早く気付かなんだ! 今までの逞しさっぷりから、そんなことを欠片も思い出せなかった!
〔お前、方角がわかんねえのかよ〕
「ごめん」
〔ったく、情けねえな。ほれ、ついて来い。安全ルートを案内してやっから〕
「ありがと!」
キッド殿は土地勘がある。さすが、ここを取り仕切る親分だ。
ハイル嬢はキッド殿に付いていくように歩かれた。樹上だというのに、すごく俊敏だ。
そして数十分後。
「……」
〔……〕
滝に戻ってきた。
〔あ、あれ? おかしいな。なんで戻ってきちまったんだ?〕
……まさか、連中が何か仕掛けを打って……? と思っていると、キッド殿のところへ子分が慌ててやって来た。まさか、敵襲っ?
〔アニキ! どうしてこっちへ戻って来たでやんすかっ?〕
〔あ、いや、その……〕
〔アニキは“歩きオンチ”なんすから、道案内しちゃいけないでやんすよっ〕
〔……ごめん〕
いやいやいや、“歩きオンチ”ってなんだそれ! 初めて聞いたぞ!
配下のカズ殿がこちらに来た。
〔ホントスイヤセン! アニキは一歩歩くと、もう自分がわからなくなるほどの方向オンチなんでやす〕
〔そなたどうやってここ一帯を治めたっ?〕
もはや介護ではないか!
な、何と言う奇跡。ハイル嬢ほどの方向音痴がいたとは。しかもリス……。
気を取り直して、今度はカズ殿に付いていくようにキッド殿が付いていき、それをハイル嬢が追われるように進んでいった。決して声には出さないが、何と言う間抜けな光景……。
「キッドくん、大丈夫だよ。わたしもすごく気持ち分かるから」
〔おうともよ。人間なんて大嫌いだが、お前とは仲良くなれそうだぜ〕
謎の親近感に感動する二人であった。絶対にどこにも出掛けることはできないだろう。
そう言えば、敵はまだ来ないのか。いや、来てほしいわけではないのだが、この緩みきった雰囲気をどうにかできないかと思ってしまう。
〔ハイル嬢、我々は命を狙われているのでありますぞ!〕
「って言ってもさ、キッドくんの子分ちゃんから何もないんでしょ?」
〔まぁ、確かに……〕
「ずっと張り詰めたままだと、さすがにわたしも参っちゃうよ」
確かに
〔……過ぎた言葉、どうかお許しください〕
「心配してくれてありがとね。クーはやっぱり頼りになるよ」
……勿体無きお言葉……! 私の頭をなでなでしてくださった。このなでなでのために私は生きている…………はっ、いかんいかん。私が真剣にならなければ。
そうして、
「!」
突然、背後にあった木が音を鳴らした。何……?
ハイル嬢は瞬時に全てを悟り、全力で走り出された。
馬鹿な。キッド殿たちやピーコからは何の警報もない! 一体何が起こっているのだっ?
我々は動揺を隠せなかった。
〔おい! 連絡はどうなってやがる!〕
〔分かりやせん! でも警戒に問題はありやせん!〕
〔ピーコからも警報はないっ。一体どうなっているっ?〕
「狙撃だよ」
〔!〕
ぽつり、とハイル嬢が仰られた。
「多分、子分ちゃんたちより遠くから、しかもピーコに見つからないように狙撃してる。擬態しながら、私を狙ってるんだよ」
〔バカな! 三十メートルっつっても、俺の子分はそこら中にいる! この森の中なら筒抜けなんだぜ!〕
「そう、だから森の外から狙撃してるんだ」
〔……え?〕
ハイル嬢が小指で指笛を二回鳴らされた。とても高く、森に響き渡るほどの迫力のある音。これはピーコに離脱せよ、という合図なのだ。
「わたしがピーコやキッドくんたちと連携を取ってるのがバレてるんだ。だからそれを逆手に取った。ピーコはここらへんじゃ、あまり見ない鳥みたいだね。だから、ピーコいるところにわたしがいるって目をつ、」
風切り音。ハイル嬢の首筋に赤い線が辿る。銃弾は何にも遮られず、地面を
幸い、ほんの少し掠っただけのようだ。だが、照準が合わさってきている……!
〔だからピーコを離脱させたのですねっ〕
こくりと頷かれた。
連中は昨夜の(詳しくは朝方前)の一戦で、ハイル嬢を試していたのだ。つまり、こちらの戦力を見極めに来たということ。だから深追いや派手な銃撃戦を避け、速やかに撤収したのだ。
経験の浅さ、遠距離武器の不所持、機転の良さに加えて警戒網。連中はほとんどを見極めている。
「く……!」
直線の軌道が、ハイル嬢の髪を撫でた。ばちん、と木の幹に弾け、地面に衝突した。
無我夢中で弾丸の一滴を避け続けて走っていると、二つの選択を迫られた。一つは右手方向に盛り上がる山。もう一つは逆の麓。
「はぁ……はぁ……ふぅ……」
こうして、我々は危機的状況に陥っている。
「回想長いよ」
……ぇ?
何でもない、とハイル嬢は言葉を濁された。そんなことよりも、今の状況を考えねば。
カズ殿によると、ここ一帯を抜けるのはどちらもそこまで変わらないとのこと。ならば、麓の方がいいだろう。誰が好き好んで山を登り抜けようとするのだ。
ところが、ちらっと空を見られると、ハイル嬢は、
「山に入ろう」
と、ご決断された。私も並んで空を見るが誰もいない。一体何をご確認されたのだ?
〔まじかよ! こっから山登んのはきつすぎだろっ!〕
キッド殿の意見は真っ当だ。しかし、敵がその猶予を与えてくれなかった。間一髪のところで狙撃が逸れた。というより、ハイル嬢が避けている。
ともかく、銃撃の軌道から、狙撃点は大方把握した。敵が動きながらでもさして変わらない。結局はハイル嬢を標的にしているためだ。
ハイル嬢もそれを重々理解されているようで、わざとそちらの方へ数発射撃された。無論、届きはしない威嚇射撃だが、撃つと狙撃が止んだ。これはメッセージなのだ。お前たちの居場所は手に取るように分かるぞ、という。
その狙撃が止んだ隙に、ハイル嬢は一気に山の方へ走りだされた。時折、威嚇射撃をして反撃される。
何とか、攻撃を受けずに山へ入り込むことができた。そこで私はハイル嬢がこちらを選んだ理由を思い知らされることとなる。
出迎えてくれたのは、
〔遅いわよ、ハイルちゃん〕
ピーコだった。
〔ピーコ! なぜお前がここに?〕
〔ハイルちゃんならこっち来ると思ってね。ここらへんには敵はいないわよ〕
ピーコは左肩に止まり、我々と合流した。
「仕事が早いね」
私には一体何のことか分からなかった。そして、ちょっぴり妬いた。
〔ぐだぐだ言う前に早く行こうぜ!〕
〔待って!〕
目の先に太い木が株立状に三本並んでいる。ハイル嬢はひとまずその木の陰に隠れられた。上手い具合に、敵から隠れられる形状だ。
〔反対側に行けば蜂の巣にされてたわ。でも、こっちはやつらのボスがいるの〕
〔では、ハイル嬢はこちらにボスがいるとご存知で……?〕
「ううん。こっちの方に太陽があったから……」
なるほど。狙撃者の目を
〔いよいよ最終決戦か。嫌いじゃないぜ、そういうの〕
〔いえ、どうもそういうわけじゃないのよ〕
〔? どういうことだ、ピーコ〕
〔分からない。遠目から見ても何をしているのかが……〕
何か不可思議な行動を取っているということか。それはそれでまずい。精神的にかなり“キテ”いる輩では……?
ハイル嬢はうん、と頷かれた。
「どっちにしても、行かないと殺される。……行こう」
ご自身の命を覚悟された。これまでふんわりされていたのに、どこか逞しく感じる。
ハイル嬢は使っていた銀銃を予備の方と取り替えられた。一緒にナイフを握り込み、すぐに射撃ができる体勢を作り、
「っ」
駆け出された。またあの攻撃が……!
「……」
と、思いきや、
「……?」
一発も来ない。しかし疑問に感じれば足が止まりそうになる。ハイル嬢はそれでも走られた。先ほどの太陽作戦が成功しているのか……?
〔ここから二百メートルほど先にいるわ。少し拓けたところで、切り株に座ってた〕
まさに、本丸というわけか。しかも遠距離射撃が仇となったか、すぐにはこちらには来られまい。
ハイル嬢は先に、ピーコに離脱するように命令された。せっかくここまで来たのに、足取りをできるだけ悟られないようにするためだ。ピーコは撹乱してくる、と言い残して飛び立っていった。
そうして、それらしきところの数歩手前まで辿り着けた。いつものように、木陰に隠れられると、私を地面へ下ろしてくださった。これもいつものこと。決して顔を覗かず、私が先に偵察するのだ。
枯葉の上を歩く。むむ、ここらへんは雑草が伸びているな。
ピーコの言う拓けた場所に到着した。ここだけ木が少なく、空の割合が多い。そのためか、雑草が元気に伸びていた。そして、
「……」
おそらく、この黒い奴が連中の頭……。男はこちらに背を向けて切り株に座っており、項垂れていた。……確かに、これでは何をしているのかは分からない。……仕方ない。もう少し回り込んで見てみるか。
黒いコートに黒いパンツを着ている。下は何か文字の入った白地のシャツだ。表情を隠すように、白髪交じりの長髪を前へ垂らしていた。ん? やけに髭が伸びているな。……武器はと……自動式拳銃一丁のみのようだ。
これ以上は意味なしと考え、慎重にハイル嬢の所へ戻った。
ハイル嬢のいる木陰に入り、拾い上げていただく。
〔敵はこちらを背にしています。黒服の白髪の男です。歳はかなり取っているかと。武器は自動式拳銃一丁だけ。切り株に座って、項垂れていました〕
「……」
ハイル嬢はそれを聞かれ、キッド殿を下ろされた。樹上へ、という指差しの合図で、キッド殿は素早く静かに駆け上がった。
そして、ゆっくりと出られた。
銀銃を握る両腕は下ろし、完全に息を止められている。足音も最大限殺している。微風でも吹いてくれれば、耳元の風で誤魔化せるくらいに静かだ。
あと五メートル。私がいるポケットからでも、ハイル嬢の鼓動を感じ取れる。敵の後ろを取るというのは、これほど恐ろしく重圧感を受けるのか……。私は最大限、周囲を警戒していた。おそらく、ハイル嬢は男以外に集中しておらず、男以外の敵の声すらも聞こえないだろうから。
あと三メートル……。ここで、ハイル嬢はようやく銀銃を男へ向けられた。それも頭ではなく、肩甲骨の中心辺り。ここまでは何とかせいこ、
「気分はどうだい?」
「……!」
ばくばくばくばく、とハイル嬢の心臓が暴れ出す。息が続かず、しかも男からの思わぬ牽制に、呼吸が乱れてしまった。
「は、ぁはぁっ……! あはぁっはっはっ……!」
〔ハイル嬢! だいじょ、〕
しかし、
「ふぅ、動かっないで。そのまま銃をこっちに投げて」
銃口は乱さない……!
すぐに平静を取り戻された。
男は振り返らず、ハイル嬢の言う通り銃をこちらへ投げ渡した。銃口はそのままに、左手だけで拾われる。片手で弾倉を抜き、できるだけバラした後は、重要部分だけをポーチへしまわれた。
「そのまま手を上げてて」
ハイル嬢はさらに、嫌々ながらも、男を立たせて身体検査をされた。
「武器は渡したのだけだ」
とても低い声。男に動揺は見られない。
「途中までは完璧だった。この私ですら、殺気も音も感じられなかった。だが、銃を上げただろう?」
「!」
「あれがいけなかった。銃というのは意外と音が鳴るものでね。例えば弾倉。使い回している物だと、接触不良でカタつくことがある。あるいは薬室。これは弾を完全に固定しているわけではない。ただ、薬室へと送り込んでいるだけ。つまり、ある程度隙間があるのだ」
「……」
「自然には存在し得ないそのわずかな異物音。それを察知できるかどうかで自分の人生が左右される。この私のようにね」
「……でも、この状況は変わらない。ぼくがあなたを制してる」
「いや、変わらんな」
「?」
「お前は私に銃を向けている。傍から見れば殺す寸前、確かに私が不利だ。しかし、不利だからといって負けたわけではない。勝敗の優劣なだけであって、その結果ではないのだ」
「え? ……え?」
「例えば、私の銃を分解したからといって、なぜ自分が殺されないと確信できる? お前の向けているものはなんだ?」
「!」
思わず、もう一歩後退された。
「今、退いたな? 無意識的に奪われることを恐れたのだろう。だが考えてもみたまえ。現状況で、私がお前から銃を奪うには振り向いて、追い掛けて、腕を叩くなり何なりして銃を落とさせなければならない。どう考えても不可能だ。まさか、それをぼんやりと見過ごす性格ではあるまい……くくくく……」
「……っ!」
この男……この話しぶりで煙に巻こうという魂胆だろうが、何と言う重圧感。ハイル嬢が感じられていたのは、こちらだったのか。
しかし、こういう時こそがハイル嬢の真骨頂。貴様の考えなどお見通しだ。
「……」
ところが、ハイル嬢お顔は一向に優れない。一体どうされた?
〔どうされましたか?〕
「…………」
動揺されている。
「お前も頭がキレる方だが、それは一つ一つの状況に対応するだけだ。物事はもっと包括的に解釈せねばいかん」
〔一体どういうことだ……?〕
「単刀直入に聞こう。私を殺害もしくは拘束した後はどうする気だ?」
〔そんなこと、貴様を拘束して人質にするのだ。そうすれば、〕
「おそらく、私を拘束し、人質にでも仕立てるつもりなのだろう」
……こやつ……まるで私の考えを……。
「だが、仮に成功したとして、奴らがお前を殺さないという確証はあるのか?」
〔……!〕
「口約束など、ケツを拭く紙にすらならん。ならば、姿を現し敵に包囲されるという最悪な状況しか生まん。つまり……お前は目標達成の条件を見誤っているのだ。私を拘束して自分の命を保証させることは手段の一つであって目標ではない」
「……」
ハイル嬢は苦虫を噛みつぶしたような表情をされている。……図星だったのだ。
「いいか? このような場合、窮地を脱する方法は二つある。一つは自分を脅かす敵を
「……! に……二百……?」
に、にひゃく……さんじゅう……。
「……はぁ……はぁ……」
は、ハイル嬢の呼吸が荒い。現在の戦力と状況を考えれば、今の発言は死刑宣告に近い……。
〔は、ハイル嬢……〕
それを察されたようで、力なく銃を下ろされた。
「……わたし……死んじゃうの……?」
「ああ。おそらくな。少なくとも奴らの慰み者にされてさんざん××された後に、拷問されるだろう。お前の身体から吹き出る××を楽しみながら、ゆっくりといたぶり痛めつけ、最後は家畜以下の扱いを受けることになるだろう」
「……はぁ……はぁ……はふっ……」
いかん、これこそ奴の術中だ。
〔ハイル嬢! お気を確かに!〕
「……く、クー……?」
〔この男は法螺を吹いておりまする! 仮にそうでなくとも、そんな下郎、我らが一瞬で
ハイル嬢がここまで困惑されているのは、何かの理由でこの男の心が読めないためだ。間違いない。男は困惑された様子を知り、時間を稼いでいるのだ。このペテン師の話を黙って聞いていたら、あっという間に数時間は過ぎてしまう。
「……うん」
顔色は冴えられないが、力の込もった行動だった。再び奴に銃口を向けられる。
「まあ待て。それはあくまでも、敵を殲滅する行動に出たらだ。結末は十中八九、今話したことになるだ、」
「もうしゃべらないで! あなたを拘束して、拉致します! わた、ぼくの指示に従って!」
「やはり、お前は女だったか」
「っ!」
たじろぎつつも、荷物から手錠を取り出され、男に投げ付けられた。
「両手を後ろにして、それを付けて」
「……仕方ない」
男はじろりと手錠を見つめると、あっさりと要求を受け入れ、後ろではめた。
「さて、どうするかが見ものだな。愚かな少女よ」
「うるさい! 早く歩いて!」
「くっくっく……若い……」
薄気味悪い笑みを漏らしながら、歩いて行く、と思いきや、
「……? どうしたの? 早くしてよ!」
「ふん」
……え?
「……」
お、男の……右手が……抜けた……?
男はまたも気合の声を上げ、左手も手錠から抜け出した。
「ほれ、返すぞ」
投げ返されても、受け取ることができないハイル嬢。
わ、私ですら動揺を隠せなかった。手錠は手首にきっちりとはめられていたはずなのに……! い、一体何者なのだ、この男は……!
「このような拘束具は末端部の血を抜くことで脱することができる。抜くと言っても出血させるのではない。血は心臓から動脈に流れ、各部で静脈へと流れる。ここで酸素を送るわけだが、動脈を止めると、そこから先に残った血は静脈から心臓へ送り出されていくしかない。つまり、血が抜けて
「……」
「さて、話を続けよう。もう一つの窮地を脱する方法を……」
な、なぜだ……なぜ我々が追い詰められている……? 拘束もして、銃を向けていつでも殺せる用意もしたはず、なのにどうしてこの男は、それを突破してくる……。
あまりの絶望に、ハイル嬢が崩れられた。頼りだったはずの銀銃を落としても、拾おうともされない。ただ、打ちひしがられた。
男が近づいてくる。……くっ!
「?」
〔ピーコ! 来い!〕
私はキーキー鳴いた。すると、上空から突風のごとく、ピーコが舞い降りてきた。ハイル嬢をお守りせねば!
〔周りはいたかっ?〕
〔いえ! まだ誰も来てなかった!〕
何とかハイル嬢を立ち直さなければ……しかし……、
「……」
薄っすらと涙を浮かべ、震えられている。……くそっ!
「お前は動物を操るのか。なるほど、だからあいつらの包囲網を突破できたわけだ」
私は全力で睨み付けた。
「……」
男の足を何とか留めようと。……ただの時間稼ぎにすぎない、か……。
「いいだろう。そのまま聞け」
「……」
せいぜい無駄口を叩いていろ。ハイル嬢に立ち直っていただいたら、その時は貴様らが喰われる番だ……!
〔ハイル嬢、こうなれば“あれ”のご許可を!〕
「一つは敵の殲滅。もう一つは……重要人物に恩に着させることだ」
〔あの“号令”をおかけくだされ! さすれば我らが、〕
「え?」
涙顔を男に向けられた。
〔ハイル嬢! 奴の
「クーロ黙って!」
ふぇっ? な、なぜ私が……? ……うぅ……。
「おじさん、もしかして……」
「ああ、そのまさかさ」
え? なに? 一体何が起ころうというのだ……?
〔な、なにが起こってるのだ……?〕
「まずいな……お頭がいねえ……」
「あの旅人に拉致られちまったのかっ?」
「ありえるぜ。ヘタしたらお頭を人質に、強引な要求を……」
「……くそ……なんでこんなことに……!」
「どうする? もう一回手分けして捜すか?」
「いや駄目だ。あの旅人は腕が立つ。こっちの人数を見てもちっともビビらなかった! ってことは、あいつは相当な熟練者……! これ以上犠牲者を出すわけには……」
「でも若旦那! このままじゃ、お頭の命が……!」
「わかってる! だからこうして集まって話し合ってんじゃねえか! 何か思いつく奴はいるかっ?」
「……」
「…………」
「ムリもねえか。仕方ねえ、もう一回捜す、……?」
「どうした?」
「遠くから声がする……」
「……ぃ……」
「!」
「……ぉ……い……」
「あ、あれは……!」
「……おーい……いるか~……」
「お、お頭!」
「そ、それにあの旅人がいる!」
「全員構えろ!」
「待て待て待て、急に撃ち殺そうとする奴がいるか。よく状況を読めと言っているだろう」
「? どういうことです?」
「この旅人は私の恩人だ」
「へ?」
「はいっ?」
「い、意味がわかんねんすけど……」
「皆、勘違いしている。旅人もお前たちも。全く争う必要のない戦いだったのだ」
「? 一から説明してくだせえ! カシラ!」
「つまりだな、私は旅人に襲われても拉致されてもいないのだ」
「? じゃあ、一体……」
「……まあ……その……」
「?」
「どうしたんです? 早く言ってくだせえ」
「えっと…………迷子になったのだ…………」
「……」
「…………」
〔…………〕
つまり、こういうことだ。
数日前からこの国のお頭殿が行方不明になっていた。こやつらはてんやわんやで捜すも見つけられなかった。そうして誰かに闇討ちなり襲撃なりを受けて、拉致されたと思い込んでしまった。
一方の我らは不幸にも、お頭殿が行方不明に遭っていた森の中から出てきてしまった。国を見つけて中に入ろうとするも、既に殺気立っていたこやつらが不審人物と勘違い。結局我々は襲撃されることとなった。
ちなみに、どうしてハイル嬢の動きが分かったのかというと、城壁を触っていたからだという。城壁のあの崩れ具合だ。ハイル嬢の触れるわずかな衝撃も受け、中からさらさら、と砂が落ちるのがはっきり見えたのだという。
それだけで勘違いされても困ってしまうが、それほどこやつらが疑心暗鬼に囚われていたのだろう。あるいは、お頭殿を捜し出す情報を少しでも手に入れたかったのかもしれない。
実際は、ただお頭殿は森の中で迷子になってしまっただけ。しかも奇妙なことに、
「お頭! だから一人で行かないでって言ってんのに!」
「すまん。この景色は何度見ても最高なのでな」
「ほんと、ただの取り越し苦労に無駄骨の折損だぜ」
「でも無事でよかったじゃないっすか」
お頭殿“も”、極度の方向音痴らしかった。
「うん。お頭さんの気持ち、よく分かるなぁ。ぼくも興味がある方にすぐ行っちゃうんだ」
〔分かるぜハイル。何かが俺を呼んでる感じがするんだよな〕
「うんうん。お頭さん、この子もお頭さんの気持ち分かるって」
「はっはっは。では今度、とっておきの場所を紹介しよう。景色も物音までも気持ちいい場所だ」
「ホント?」
〔もしかしてあそこか? 滝のことかもな〕
「あんたら一生さまよってろ!」
本当に、全くもって同感だ。
ハイル嬢がお頭殿のことが分かったのは、自分と同じ“匂い”を嗅ぎ取られたからなのか。つまり、お頭殿は、あそこで誰かが捜しに来てくれるのを待っていたのだ。ハイル嬢も迷子になられると、よく立ち止まって暢気にされている。……なるほど、本当の本当に手間のかかる……。まぁ、そのおかげで、こうしてハイル嬢は生き残ることができたから良いものの……。
さて、我々は最初に訪れた国に入国していた。
あの穴から入ると、真っ直ぐの道と途中に左に曲がる道が見える。右はあの門だ。つまり、門から入れば前左右の道が展開されるわけだ。
「観光の国って感じだね。作りも単純だから、覚えやすそう」
「ほう。旅人さんは観察力が優秀だな」
頭殿の右肩には、キッド殿がいた。言葉は交わせずとも意気投合したらしい。
「この血気盛んな単細胞たちにも教えてやりたいくらいだ」
〔全くだぜ〕
「……う……」
そなたら、自分の立場をよく
若旦那殿たちはしゅん、と落ち込んでいた。
「でもどうしてこんなことに?」
「……ふ……」
頭殿が先導してくれた。我々もそれに付いていく。なるほど、かつて栄えていた片鱗を見受けられる。建ち並ぶ商店にレストランと、観光客を楽しませるために特化したと言える街並みだ。しかしそれが今や、全てシャッターが閉じられ、ぼろぼろになっている。
頭殿はそれを懐かしむように、見つめていた。
「こんな国、滅んでしまってよかった」
「……え?」
「あの森は私が小さい頃からあったんだ。とても美しいところでね」
「うん。ゆっくりは見れなかったのは残念だったけど、きれいだったよ」
「そうだろう。……だが、ここの国長は何を考えたのか、森を観光名所にしようと決めた」
「……それって、悪いことなの?」
「いや、そうでもないと思う。私も最初は賛成だったよ。世界中の人間に見てほしかったからな」
頭殿はとある店のシャッターに触れる。かりかり、と引っかくと、ぼろぼろと崩れていく。
「ところが、一年ほど経った時、ある一画で木が枯れてしまった」
「……え?」
「原因は客が捨てていったゴミや火の元だった。多分、自然発火してすぐに鎮火したのだろう。だが、その時私は思ったのだ。このままではこの森が殺されてしまう、と。しかし、既に国の開発が進み、引くに引けない状況になってしまったのだ。結局、森はそういう客のせいで瀕死に追いやられてしまった」
「……」
再び歩き出した。ハイル嬢は少し早めに歩かれ、頭殿の隣に並ばれる。
「動物を愛する旅人さんなら分かるだろう? それがどんなに悍ましく恐ろしいことか」
「うん。……生態系が全部変わっちゃう。動物がいなくなったら、土が死んで……誰も寄り付かなくなっちゃう……」
「……」
にこりと頭殿は微笑んだ。
「だから、いっそこの国を滅ぼそうと考えたのだ」
「……そっか」
〔何がです?〕
ハイル嬢が何かを思い付かれた。
「敵を殲滅するか、恩を着させるか……。お頭さんは殲滅する方を選んだ……」
〔!〕
「そうだ。だが、それはあまりにも簡単だった」
「?」
「要はこの森の評判を下げれば良い。だから、そこら辺でうろついてた山賊たちと手を結び、観光客を片っ端から襲った。あまりにも酷い客は手にかけることも躊躇わない。そうやって、ここは危険だと思わせ、どんどん落ちぶれさせた。……最終的には観光業は全滅、それを主軸に経済を回していた国は滅亡した。意外にも半年ほどで事が済んだ」
「……」
ハイル嬢は目を伏せられた。
「その人たちは……?」
「もうとっくにどこかへ行ってしまったよ。今では私らしかおらん」
「……」
何とも言えない表情をされていた。
「……もう、この森を殺す輩もいなかろう。……ありがとう、山賊たちよ」
「……え?」
「旅人さんに連れて来てもらったのは、最後に礼を言い忘れたからなのだ」
「お、お頭……? 何を言ってるんですっ?」
若旦那たちが頭殿を取り囲む。
ハイル嬢はその様子を見守られている。
「……ここでお別れだ。お前たちとの生活も楽しかった」
「悪い冗談はよしてくれ! 頭!」
「俺らはあんたの人柄に惚れて付いてきたんだ! 今さら抜けるなんてやめてくれ!」
「すまない。だが、もう決めていた。……私はもう長くないのだ」
「そ、そんな……!」
山賊たちをかき分けて、頭殿がこちらへ来た。
「お頭さんは心が読めないね。病気でもなんでもないのに」
「心が読めるのか。……なら、これも覚えておくといい」
「!」
眼前に突風。頭殿の拳が迫っていた。
「人は訓練すると、あるいは心を患うと思考が分裂することがある。そんな心や思考を読むと、嵐が吹き荒れていたり、ブラインドがかかったりしているようだろう?」
「うん」
「それは読もうとしているから分からないのだ。それほど人は広く深い」
「……」
拳を下げた。ハイル嬢の表情が固い。ぽとりと汗が一筋、伝ってくる。
「もし、この違いが分かるようになれば、今の私の心を感じることができるだろう。そして、私を引き留める言葉も、自ずと思いつく」
「……」
ハイル嬢は綻ばれ、
「ありがと。いろいろ教えてくれて」
お礼を告げられた。
頭殿はハイル嬢の頭を撫でられた。
「……!」
ハイル嬢はびっくりされていた。
……今回は不問にするしかない。殺されずに済んだのは頭殿のおかげだからだ。それに、頭殿は
「年を取ると、若い人間につい世話を焼きたくなってしまう」
ふっと手を離した。
〔俺はあんたと一緒に行くぜ。敵と思い込んでた俺の罪滅ぼしだ〕
「……いいのか?」
ハイル嬢がキッド殿の言葉を通訳される。
〔どうせ道が分からねえんだろ? 俺が案内してやる〕
「……頼む。私はこの森で迷い続けたいのだ……」
お頭殿がふらりと歩いて行く。我々は見送るしかなかった。ところが、
「……」
ハイル嬢の面持ちは、なぜか不機嫌そうであられた。
「……頭……抜けちまったな……」
「ああ……」
「よく考えると、俺らってカシラの言うことに従ってただけなんだよな」
「そうだな」
「もう人も来ないんじゃ、山賊もおしめえだ」
「……なんかよ、今まで人ぶっ殺してなんぼだったけど、頭と会ってからはめっきり減ったよな」
「じゃあ誰か殺してくっか!」
「おいおい、相手がいねえじゃねえか……」
「あ……そうだった」
「そもそも、それも何かつまんねえ。むなしいっつーかなんつーか……」
「いつの間にか毒気抜かれちまってたんだな」
「今日も山菜取りにいってくっか」
「じじいかよっ」
「でも、なんか気楽だ」
「ああ」
「……頭……戻ってきてくんねえかな……」
「何言ってんだよ。もう三ヶ月は帰ってきてねえんだぞ。今頃、どっか森ん中でくたばってるだろうよ」
「そうだよな。あの人、方向音痴だし」
「ずっと愛してきた森でくたばるのも本望なんだろ。自分の命を懸けてまで守った森だ……」
「お前が言うと気持ちわりいな」
「何だと! マジメな話だろっ!」
「うわ、お前の口からそんな言葉が出てくんなんて!」
「あっはははは」
「うるせえ! 早く山菜採り行って来いじじいども!」
「へーい」
「……ったく……」
「でも若旦那が一番可愛がってもらったっすよね」
「……へっ。俺が一番出来損ないだったからな……」
「でもなんだかんだで俺ら、まとまってるっすよ。やっぱ若旦那は頭に一目置かれてたんすよ」
「ただの世話焼きだろ、あのじじい」
「誰がじじいだって?」
「! うわっ!」
「ひょえっ!」
「あ、あんた……なんで戻ってきたんだよ! 仙人になったんじゃ、」
「復帰だ」
「……え?」
「聞こえなかったか? 復帰すると言ってるんだ」
「え、ええええっ?」
「なんでまたっ?」
「勘違いするなよ。……上手い話があるのさ。それもまた、国を一つ潰すって話だ」
「……」
「……」
「目の色が変わったな。やはり、私が見込んだ通りだ」
「?」
「お前らは山賊なんてしょぼい人生に満足できんのさ。……もっとでかい話、つまりテロリストに向いている。……散るなら、地の底よりももっと深い所まで行こうじゃないか」
「か、頭……」
「私はもうそこへ片足を突っ込んでいる。だが引き上げてもらおうなどと思わん。どうせ落ちぶれるなら、地獄の底まで堕ちよう。……お前たちも来るか?」
「……付き合うぜ、お頭」
「うっす!」
「まずは殉職した仲間に別れをしなければな。どこに供養した?」
「ああ、お頭が出てった後に、滝の側に……」
「よく私のとっておきの場所を見つけたな」
「だってここから真っ直ぐ東にあるじゃないっすか!」
「え? そうなのか?」
「もう片足どころか頭まではまってるじゃねえか!」
「ふふふふ……。では案内してくれ」
「アイサー!」
「……そう言えば、なんで復帰しようなんて考えたんだ?」
「……“信ずれば虚もまた真実”ってやつだ」
「?」
「この“嘘つき悪党め”、だとさ」