フーと散歩   作:水霧

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第七話:わすれられたとこ・a

「……すぅ……すぅ……」

「失礼する」

「すぅ……すぅ……」

「先生。具合はどうなんだ?」

「そう慌てるな。まだ手術したばかりだ。ふむ……かなり高熱だな。四十度近くはありそうだ」

「よ、四十度っ? じ、じじゃあ冷やしたり何か、」

「無意味だよ。術後はどうしたってこうなるものだ。あと三日四日はこのまま熱が出るだろう。そのために、お前に頼みたいことがある」

「な、なんだ?」

「まず抗生物質は二週間、解熱剤は熱が出ている間、これをきっちり守らせてもらいたい。高熱が出ている間は意識が朦朧(もうろう)としているだろうが、食事も少なくてもいいから取らせてくれ」

「あ、あぁ。分かった」

「それと、左肩を固定するために“型”を取っておいた。これを左腕にはめて、首から下げるように布を巻いておいてくれ」

「あぁ……」

「あと、この管は肩に入った血液を抜くためのものだ。寝返り等で絶対に左肩を圧迫させないように尽力してほしい。そうなった瞬間、再手術だ」

「……分かった」

「さらに、右へ寝返りした時はこの枕を左腕に乗せるように置いてくれ。彼の体幹の幅と同じくらいのものを用意した。左肩が下がらないようにするためのものだ」

「……あぁ」

「もう一つあるんだが、もし彼が、」

「先生、私はどこまで覚えたらいいのだ? できれば紙か何かでまとめてほしかったんだが」

「そんなヒマがない。それにこれで最後だ。……で、もし彼が用を足したくなったら、この尿瓶(しびん)でするように促してくれ」

「な……! そんなこと、私ができるわけがないだろう!」

「なあに、これは高熱が出ている間だけだ」

「それでも嫌だ! 赤ん坊じゃないんだから、自分でできるだろう!」

「……よく考えてもみろ。そんな覚束ない状態で出歩かせたらどうなる?」

「……」

「転んだり体勢を崩したりするだけだったらまだいい。だが左腕が負担になったり衝突したりするようなことがあれば、再手術どころかもはや治療不可能だ。精密義手を用意することになる。ただでさえ馬鹿高い治療費をさらにせびられて女王陛下に迷惑をかけるのと、お前が三日間だけ我慢するのと、どっちがいい?」

「……」

「それに私は他の患者で手一杯なんだ。彼を看られるのはお前だけなんだぞ?」

「……分かった」

「よし。それでこそ、この国の誇り高き騎士だ。なあに、モノなんて数回で見慣れるよ。老若男女の裸を診てきた私が言うんだ」

「先生は目的が違う」

「彼を治療するという観点は同じだ」

「……」

「じゃあ、早速取り掛かってくれ」

「……了解」

「ああ! それと、身体の清拭も頼むぞ。じゃあな」

「……出て行く間際で言うなんて卑怯だぞ」

「すぅ……すぅ……」

「……ち。なぜ私がこんなことをせねば……」

 

 

「ん……んぅ……」

「しっかり食え。……こら! 吐き出すんじゃない!」

「ぐはっ……はっぁつ……」

「! 熱いのか。少し水を足すか。……ほら」

「ん……んく……ふぅ……ん」

「よし、いいぞ」

「っう! はぁ……はぁ……」

「あ、あわわ……どうした? 苦しいのか?」

「う、うぅ……」

「え、えっと、どうしたらいいのだ……? 用足しか? 食事か? どこか痛むのか?」

「っうっぅう……つう……」

「……! ひ、ひどい熱だ……。昨日よりも悪化している……げ、解熱剤だ! あ、抗生物質も、……! おい! そっちへ寝転がるんじゃない! 布も取れそうだぞ!」

「ぅ……は……ぐぅ……」

「全く……ほら、これを飲め」

「んく……んく……く……ふは……」

「これで少しは和らぐはず。まだ食えるか?」

「……」

「……よし。もう休め」

「……」

 

 

「う……用足しか?」

「……」

「……仕方ない。ほら、支えてやるから」

「……ん、んぅ……」

「おい、角度を変えるんじゃない! こぼれるこぼれる!」

「んふ……く……」

「……ふぅ。毎度ながら慣れんな……。ついでに身体も拭こう。服を脱げ」

「……さむ……」

「我慢しろ。……しかしすごい傷だ。他の騎士たちでも、ここまでは……。それに、やはり男の身体だ。私がどんなに鍛え上げても、こうはならない……」

「……ふぅ……ふぅ……」

「……羨ましい……。と、前も終わったようだな。ゆっくり寝かせるぞっと」

「……」

「ふぅ……」

「……ふぅ…………ふぅ…………」

「? なんだ?」

「……ふぅ……ふぅ……」

「息が荒いのとは少し違うな」

「……ふー……ふー……」

「! 誰かを呼んでいる……?」

「ふー…………ふぅ…………」

 

 

「……ん……」

 暗闇に差し込む光。それが瞬時に広がり、目の前の光景を映し出した。乳白色の天井に所々茶色のくすみがある。よく見ると、長方形に切り取るように線が入っていた。

 眩しい。ふと左側を見ると、木製の十字棒を敷いたガラス窓があった。光がそこから燦々と入り込んでいるようだ。

 その視界にちらつく管。眠っていた所は真っ白なベッドで、その管は左の柵へと繋がっている。元は左肩に伸びていたが、綺麗な包帯が上から巻かれていて中は見えない。ただ、その管は赤黒い。

「つ……!」

 神経を突くような鋭い痛み。その痛みは全身へ伝わり、妙な脱力感を覚える。左肩を擦る右手が震えている。

 それでも何とか上体だけでも起こした。管は十分な長さをもって、

「いっだ!」

 いたが、今度は神経を引き千切られるような、直接脳に訴える激痛が走る。横になるしかなかった。

 横になりながらも周囲を見てみた。ベッド以外には本棚と机、机の脇には銀色の甲冑が立て掛けてあった。ベッドに対するように机があり、その左側にドア、その先に本棚が置かれている。中はぎっしりだ。

 甲冑はところどころ剥げているが、まだまだ使えそうだ。その甲冑に寄り添うように、両刃剣が掛けてある。幅や厚さは切れ味を追求して薄いが、長さがその甲冑ほどある。

 足音が外から聞こえる。

「失礼する」

 ノックなしに、突然入ってきた。

「……」

 金色の長髪。顔付きから雰囲気からも感じ取れる凛々しさ。それなのに、ごく普通の長袖シャツとパンツの女だった。見た目からして二十代……以上は見極めつかなかった。

 目付きをきりりとさせて、ベッドの方を見る。

「! 具合はどうだ」

 一瞬ぱちくりするが、すぐに戻る女。

「……」

「ああ良い。そのまま動くな。貴様の左肩は重傷だ。十時間にも及ぶ大手術だったそうだ」

 女の手には水の入った桶とタオルがあった。

「その肩の管は抜くな。肩に溜まった血を抜き取るためのものだ。……起きるか?」

 こくり、と力なく頷いた。

 女は器用な手つきで腕に硬い何かをはめ込み、その上から、首に下げられるように布を巻く。そして、ゆっくりと上体を起こしてあげた。管は柵からするすると伸び、引っかかることがない。

 ずきり、

「つっ」

 痛みで身が強張る。

「……」

「私の声が分かるか?」

「……」

 こくり。

「まだ意識ははっきりしないか?」

 ふるふる。

「そうか。……申し遅れたな。私は“イリス”。この国を守る騎士だ」

 女騎士“イリス”は目を見ながら話し掛けた。よく見ると、色が微妙に違うことに気付く。左が黒茶色に対して、右はそれに赤みを増したような色合いだ。

 もの珍しさなのか、その眼をじっと見つめている。

 イリスはそれを察すると、

「……これは生まれつきだ。気色悪いだろう?」

 ふるふる、と振る様子を見て、にこりと微笑んだ。……一枚の絵画を見ているような気分だった。

「貴様は優しいのだな。さて、名を伺おうか」

「……」

 声を出す素振りを見せるだけ。とても沈鬱そうに俯く。

「?」

 不思議がるイリス。

「……声が出せないのか?」

 こくこく、と頷く。

「……一体どんな目に遭ったんだ? それに貴様の身体も見せてもらった」

「!」

 自分の身体の異変にようやく気付いた。左肩の包帯以外、上半身が露わになっていた。ささっ、とイリスから身を遠ざける。

「今気付いたのか。鈍いな」

「……」

 きっ、と睨む。

「ああいや、勘違いするな。貴様の身体を拭くのに仕方なかったのだ。他意はない。それに、これから拭くのだ。……まあ、意識が戻った時の方が恥ずかしいかもしれぬが」

 ちょいちょい、とイリスは手招きした。……仕方なく、それに従うことに。

 タオルは温かかった。水ではなくお湯だったようだ。

「口が利けないんじゃ、何も話せぬ。が、焦らなくて良い。医者の話では一ヶ月ほど療養する必要があるそうだからな」

「……そうなんだ」

「!」

 イリスはぶったまげた。

「貴様、話せないのでは……」

「うそついてごめんなさい。おねえちゃん、こわそうだったから……」

「!」

 さらにぶったまげた。なぜなら、口調がとても幼かったからだ。

 イリスが判断するに、十代中頃から後半くらい。しかし口振りとしては十代にも満たないような感じだ。それも合わせて、身体の傷も尋常ではない。肩の怪我もそうだが、火傷や銃創、裂傷、陥没、擦過傷といったものが上半身くまなく刻まれている。長パンツを履いているため見えないが、脇腹から下に続く傷があることから、下半身も同じようなものがあると考えられる。

 あどけなさから、こんな状態だとはまるで思わない。

 震えている身体に、そっと触れる。

「良い。初対面で馴れ馴れしかった私が悪い。かれこれ貴様は三日間も(うな)されていたのだ。疑うのも無理は無い」

「……ありがと」

「!」

 緊張していた顔が解れ、全面的な笑顔。イリスはこっ恥ずかしかったのか、顔をふいっと背けた。

「とにかく、しばらくは身体を休めろ。その身体ではとても出掛けられるような状態ではないぞ、……えっと……名は何と言う? 改めて聞こう」

「? ……?」

「?」

 怪訝そうに見た。

「貴様、記憶がないのか?」

「……わかんない」

「分からない?」

「……ぼく……だれ……?」

「!」

 

 

「失礼します、女王陛下」

「どうぞ」

「……」

「どうしたのかしらぁ?」

「はい。例の男の意識が戻りました」

「おぉ! それは良かったわぁ」

「しかし、なぜあの男を助けだしたのです?」

「あなた、私の顔を見る度にそれを尋ねるわね。オウムの真似事でもしてるのかしら?」

「そ、そんな……」

「……冗談よぉ。ふふふ……」

「……お戯れもほどほどにお願い致します」

「そうねぇ。……あなたにぴったりだと思ってねぇ」

「! ま、まだお戯れを……。それにその件は常々お断りさせていただいているはずです、女王陛下。いくら女王陛下の命とはいえ、私にも都合が、」

「もう、おカタイわねぇ。年頃の女が行き遅れちゃったらもったいないわぁ」

「……そのために、私にあの男の看護を任せたのですか?」

「さっすが、我が国一番の騎士さんねぇ! 一目惚れじゃないかと思ってぇ」

「……お言葉ですが女王陛下。私はあんな軟弱な男は嫌いです」

「おやまぁ」

「あんなボロボロの身体で心も記憶も失った姿は敗北者としか言えません。とても私と決闘して勝てるとは考えられない……」

「! 何か精神攻撃でも受けた痕でもあったの?」

「はい。見た目とは裏腹に精神年齢は一桁、喋り口調も幼すぎています」

「……確か、あの子の荷物は保管しているのよね?」

「はい。女王陛下の命により……」

「もう少し、ここの暮らしに慣れてもらってから返していきましょうか。今すぐだと混乱して、最悪心の傷が開いて……一生廃人になってしまう」

「……それでもいいと思います」

「?」

「敗北者になってまで生きようとは、恥以外の何物でもありませぬ。止めを刺すにはちょうどいい……」

「あなたは無様な生き様よりも、綺麗な死を選ぶの?」

「はい。敵に囚われてまで生きようとは思いません。被害が広がる前に死を選びます」

「…………そう」

 

 

 翌日。

「……んぅ……」

 朝日が窓から入ってくる。反射してきた光が目に差し込んできた。気持よく起床することができた。

 相変わらず左肩は痛む。しかし、意識がはっきりして、熱も下がっているのが分かる。体調が戻りつつある。

 失礼する、というイリスの声。瞬く間にイリスが入ってきた。パンと牛乳を乗せたトレイを持っている。

「ふむ。熱はもう下がったようだな。顔付きで分かるぞ」

 にこりと安堵の表情。

 脇に、そのトレイを置いた。

「朝食だ。食べろ」

 こくり、と解れた顔付きで、もくもく食べ始めた。

 ここぞとばかりに、イリスは薬の説明をした。抗生物質は痛み止めはうんたらかんたら、と誰かの受け売りをそのまま話しているような、そんな話し方だった。分かったか? とイリスが尋ねると、

「こうせいぶっしつはこうでいたみどめがああで……」

 と、イリスの言ったことを、さらに分かりやすく言い直して答えた。

「……中々優秀だな。結構」

「へへ」

 てれてれ、とにこにこしてしまう。どうやら照れ屋さんのようだ。

 イリスはふいっとまた顔を背けた。

「あと、今日の午後、その管を抜きに医者がやって来るだろうから、大人しくているんだぞ」

「うん! ……あの、おねがいしていい?」

「? なんだ?」

「ひまだから、よんでいい?」

 指差す方に、本棚があった。

「貴様には難しくて分からないだろうが、いいだろう」

 イリスがそちらへ向かい、適当に端っこから五冊持ってきた。

「あ、えっと……もういっことなりもいい?」

「? なぜだ?」

「それ……もういっこでぜんぶだから……」

「!」

 イリスは慌てて本の表紙を見てみた。国特有の字が大きく書いてあるだけの素っ気ない表紙だったが、驚きがさらに増した。

「……全六巻……」

 目の前の男は一体何者だ……? イリスがそう感じざるをえないほどに、不信感と不審感が強くなった。しかし、今のところは無害な存在であるのもほぼ間違いない。それも確かなことだと思っていた。

 ささっともう一冊を手渡しする。

「ありがと、イリスおねえちゃん」

「! ……」

 表情を隠すように、手で押さえる。ふぅ、と落ち着かせるように息をつく。

「あまり変なことはするんじゃないぞ」

「うん!」

 反応がいちいち愛くるしい。それにいちいち反応するイリスもイリスであった。

 

 

 しばらくすると、イリスの言う通り、

「起きているか?」

 ドア外から声がした。別の女の声だ。

 女は返事を待たずに入室してきた。丸縁メガネの白衣を着た女だった。真っ黒の長髪をポニーテールのように結んで後ろに垂らしている。何かを気取るように、木の細い棒をくわえていた。

「……」

 重い表情で本を読んでいる。

「……私の名前は“ブージャー”。お前の担当医だ。これから一ヶ月はその左肩の怪我を含めて治療していくから、よろしく」

「……」

 白衣の女“ブージャー”に見向きもしない。しかし微動だにしないわけではなく、片手で本を持って、器用にページを進めている。

 はぁ……、とブージャーは大袈裟にため息をついた。

「あっ……」

 ぱっと読んでいる本を取り上げた。

「イリスから聞いた話じゃ、年の割に可愛げのあるやつと聞いたんだがなあ。別の患者か?」

「……」

「まあ初対面だし、ゆっくりと信用してもらえるように頑張るか」

 ブージャーはカラカラと笑った。その笑顔にも釣られない。

 さて、とブージャーはきりっと気持ちを引き締める。

「これから左肩に挿している管を抜く」

「……」

 ぴく、と一瞬だけ眉を(しか)めるのが見えた。ゆっくりと仰向けになる。

 ブージャーはベッド左側の空いたところを歩いてきた。血を貯める容器と一緒にベッド柵を取り外し、脇に丁寧に置く。

「……?」

 (まぶた)を思い切り瞑って、微かに震えていた。ブージャーはようやく理解できた。

「なるほど。怖いんだな」

 不意に頭に手が伸び、

「!」

 よしよし、と優しく撫でてあげた。

「心配するな」

 肩に巻いている包帯を外していく。手術した痕と見られる部位にびっしりがっちりと大きい絆創膏が貼られている。肩の丸みの部分がほとんどそうなっており、肩のやや後ろ部分に管が付いた針が刺さっている。

 包帯も容器の側に置くと、再び頭を撫でる。

「抜く時に痛みはあるが一瞬だ。我慢してこその男だぞ?」

「……うん、いぃった!」

 ブージャーが安心して、顔が綻ぶ。

 いつの間にか持っていたガーゼを針に包み、そのまま容器の側に置いておいた。男のひだり、

「いっ、あ!」

 肩に注射器を突き刺した。ちゅうっ、と吸い出しては容器だけを交換して、を何回か繰り返した後、

「いだだだだだだあっああいだいいだい!」

 きゅきゅきゅきゅっ、と絞り、肩の中に残っている血を溢れさせた。これもガーゼを何枚も使って拭き取った。

「うぅ……うっう……うええええ……!」

 あまりの痛さに、泣き出してしまった。

「いたいよぉ! うわあぁあぁぁん!」

「……泣くな、って言ってもムリだろうな……」

 最後に、針の刺さっていたところに小さい絆創膏を貼って、終わりとなった。しかし、泣く声は終わらなかった。

 五分ほどして、ようやく何とか泣き止んだ。ぐすぐす、と顔がぐしゃぐしゃだ。

 そうして、ブージャーは男と話し始めた。

「では改めて自己紹介しよう。私は君の担当医であるブージャーだ。君の名前は?」

「……わからない……」

「そうか。……じゃあ、一番昔のことで、覚えていることはあるかな?」

「え? ………………」

 力なく、顔を横に振る。

「ふむ。では、これは何か分かるか?」

 と取り出したのは、枕元に置いてあった本だった。

「…………ほん」

 ぽつりと自信なさげに答える。そうだ、とブージャーは深く頷いた。

「なるほど。君は単純に記憶を失っているだけだね。物の名前や使い方は理解できていそうだ」

「……ぼく……ごめんなさい……」

「? どうして謝る? 何か悪いことでもしたのか?」

「わからない。でも、ごめんなさいっておもう」

「……」

 ブージャーは改めて、顔付きを観察した。年齢はイリスが感じた通り十代中頃くらい。しかし精神的にはもっと幼くなっている。何よりも、瞳に注目した。

「どうしてごめんなさいって思う?」

 話は続ける。

 瞳はきらきらしているのに、目が死んでいる。周りの景色はしっかりと見えているが、どこか焦点が合っていないような、眼が虚ろだった。それなのに、とても活き活きとしている。

「……イリスおねえちゃんとかにじゃましてる」

「……あぁ、迷惑かけてるってことか」

「……」

 ふふ、とブージャーは微笑した。

「迷惑かけてる時は目一杯迷惑になってやるのさ」

「?」

「そうしてから、たっぷりお礼をしてやればいい。そうすればイリスも私も皆喜ぶだろう」

「……」

 鳩が豆鉄砲を食ったように、ブージャーを見つめる。

「そのためには、早く元気にならないとな」

 にこりと満面の笑みでもう一度、頭を撫でてあげた。

「うん!」

 男も死んだ眼で精一杯笑った。

 

 

 翌日。

 肩の痛みで無理矢理起こされた。ブージャーから処方された薬を飲んではいるが、痛みはまだまだ消えてくれない。

 イリスが入室すると、いつものように朝食を持ってきてくれた。いつものように完食すると、

「今日から、訓練をするように医者に言われている。左肩に布あてを付けて、ついて来い」

 きりりとして、説明された。力強く頷く。

 いつものように左肩を布で固定して、ベッドから立ち上がった。久しぶりからか、少し足取りが怪しい。

「仕方ない。貴様の調子に合わせるから、焦らずに歩け」

「うん」

 さすがに表情も硬い。

 初めて、部屋の外に出た。壁や床も乳白色で、やはり茶色のくすみがあった。最初にいた部屋と同じ作りだった。両側に通路があり、曲がっている。その外縁は一定間隔で窓があり、陽気を中へ取り込んでいた。

 覚束ない足取りで、案内される。右手側を歩いて行くと反対側と合流するように階段が中心へ向かっている。この階段は折り返しとなっていて、一階降りる度に、フロアができていた。最初の部屋は五階になるようだ。途中、誰とも会わなかった。

 地上へ降り立つ二人。ここは目の前に出入口があるだけのフロアだ。

「そうだ、忘れていた。貴様の名前は“ミオス”とする」

「? みおす?」

「名前も思い出せず、かと言ってそのままでは不便だ。便宜上、そう名付けることにする。分かったか、ミオス?」

「う、うん。でもどうしてミオスなの?」

「ふふ……忘れん坊にはぴったりの名だ」

「?」

 “ミオス”にはよく分からなかった。

 外に出ると、

「うわあ……」

 ミオスは感動した。

 綺麗に区切られた砂道が真ん中を曲がりくねって走り、両脇は緑の地面が広がっている。そこにはぽつぽつと生垣が散らばっていて、どことなく芸術的に感じる。

 空は薄い雲がたなびいており、優しい陽気でぽかぽかしていた。しかし、どこから吹く風か、ひんやりしている。

「どうした? 来い」

「うん」

 二人はその道を歩いて行くが、ミオスは景色を楽しんでいる。

 西側から向かっている北側にかけて、森が広がっている。イリスの話では、その森を抜けると街へ着くのだという。

「え? じゃあここは……?」

「ここは城の敷地の一部だ」

「え? うそ? だってあれだっておおきいよ?」

「良い反応だ」

 とても上機嫌なイリス。

「私達がいた城は、実は騎士の住まう所なのだ。本城はその陰にひっそりと(たたず)んでいる。女王陛下はそちらでお休みになられているのだ」

「どうして?」

「この国は領土面積があまりにも広いのだ。しかしここを建物で埋め尽くすと、狼藉に侵入されやすくなってしまう。そこで、女王陛下が必要な分の大きさの城を構えられることにされた。そうすれば、狼藉の足取りはこちらから一目瞭然。必然的に迎え撃ちが容易となるわけだ」

「? ……?」

 ミオスには難しい話だったようだ。

「難解だったか。だが残念なことに、実際にその眼で見ることは未来永劫ないだろうからな。いつかきちんと話してやろう」

 ふっと振り返るミオス。騎士の城も面白い形をしていた。八角形の太い柱が八角形を象るように配置され、その間を通路が通っている。上から見るとまさにその形になっており、その南側にちょこんと一軒家が建っていた。使われている素材は同じようだが、独特な構図になっている。

 置いて行くぞ。ミオスは自分の調子で進んでいく。

 

 

 森の中にも砂道が続いている。そこまで深くはなかった。森というより林に近く、十分もせず抜けられた。

 抜けてすぐに、騎士の城と同じような建物が立ちはだかった。中から気合の入った声が聞こえてくる。

 地面だったのも、コンクリート製の道となって広がっている。ここは“城下町”の端っこのようだ。

 イリスと一緒に建物を回り込むと、街が広がっていた。

「わあ……」

 ここも絶景だった。

 騎士の城と同じ作りの建物に平伏すように、街が整列するように広がっている。この建物周辺だけ隆起しており、位の高さを見せつけているように見えた。ど真ん中に道が作られ、両端に家が建ち並んでいた。道の先には巨大な木門があり、頑強な城壁が左右へ伸びている。主に石造りの家が目立つが、中には木製だったりコンクリート製であったりと、統一感には(こだわ)っていないようだ。

 遠くでは凸凹の平原とぽつぽつ形成する森林が見られ、地平線間際では森林が広がっている。

 住民も活気があった。多くは剣を携えた騎士だったが、商人や一般市民もいる。彼女らは談笑していたり、買い物をしに来ていたりと、普通の生活を送っているようだ。

 しかし、ミオスは戸惑っていた。

「え? ……あれ?」

「ふふ。気が付いたか」

 したり顔のイリス。

「驚くのも無理はなかろう。この国はな、女しかいないのだ」

「えええええっ」

 ミオスの驚きように、ますます上機嫌のイリス。

「男子禁制のこの国に入国できたのも、女王陛下の計らいがあってこそ。心の底から感謝することだな」

「……」

 ミオスの視界には男が一人もいない。老若女しかいない。

 とある二人の女騎士が坂を登って、こちらにやって来た。

「おはようございます、イリス様」

「ふむ」

「いつもより遅れられていますが、何かあったのですか? 確か稽古の日では……?」

「あぁ、こいつをちょっと、……あれ?」

 辺りを見回してもいない。と思いきや、

「……」

 イリスの背後に隠れていた。

「隠れる奴がいるか! ミオス!」

 ずいっと無理矢理前に押し出す。ふるふる、と震えながら俯いている。

「男っ?」

「や、やああぁぁっ」

 片方の女騎士がミオスに剣を差し向ける。ミオスはイリスに全力でしがみついていた。ふるふるがぶるぶるになって、涙目で怯えている。

「止さぬかっ!」

「し、しかし! そいつは下賎な男でしょうっ? このゲス! 離れなさいっ!」

 引剥(ひっぺ)がそうとしても、全力で抵抗する。ぽろぽろと無言で泣き出していた。

 ところが、

「……」

「!」

 女騎士はすぐにミオスから離れた。一瞬で頭から大量の汗をかき出している。ミオスは、

「?」

 何が起こっているのか分からなかった。いや、一瞬後思い知る。

「……この私が“止さぬか”と言ったのに……」

 今度は女騎士たちの震えが止まらなくなっていた。

「も、申しわっわけ、ありませんっ……! し、しかし、」

「まぁ、きちんと話さなかった私にも落ち度はある。今回は不問とする」

「は、はひっ。でっ出過ぎたことをおるるしいただき、ありがとうご、ごじゃいますっ」

 あまりの緊張感と恐怖感で口が回らなくなっている。

 もう一人が恐る恐る尋ねた。

「恐縮ながら、最近イリス様をお見掛けしなかったのは、その男を看取っていたからでしょうか?」

「そうだ。緊急事態だったのでな。それにこの任は女王陛下のご命令でもある」

「! 女王陛下お直々にですかっ……?」

「ふむ。私にも女王陛下のご意思は読み取れぬが、何かお考えあってのことだ。つまり、ミオスに何かあれば、それは私の首に繋がる。無論、ミオスを手に掛けた者も同罪だ」

「……」

「私もそなたらと同じ、男は嫌いだ。しかし女王陛下のご命令とあらば、身を挺してでも守らねばならぬ。そのために我々は鍛えているのであろう?」

「はい……仰る通りです……」

「それにな、こいつは一般的な男とはまるでかけ離れている。見た目からして臆病だろう?」

「……まあ……」

 じろり、と一人が睨みつけると、すぐにイリスの後ろに隠れた。ちら、と片目だけ出しておどおどしている。

「心配するな。左肩に大怪我を負っているし、この様だ。こいつが我々を裏切るようなことはせんよ」

「……イリス様がそう仰るなら……」

 じろっ、とまたも睨む。ひぃっ、と情けない声で涙目になっていた。

「ちょっとおもしろいかも」

「あまりちょっかいを出すんじゃないぞ」

 

 

 二人の女騎士はイリスたちとお供することになった。それはイリスの言っていた“稽古”に用があったからだ。

 最初に目にした建物に入ることに。騎士の城とは違い、そこには木門が設けられ、声と衝撃で振動を感じる。

 一人の女騎士が先に木門を開けた。ありがとう、とイリスが礼を言うと、頬を赤らめた。

 ばしん! と開門一番に聞こえてきた。木の板を敷き詰めた床に土の壁、そこに汗する女たち。木刀とは少し違う何かを持って、訓練をしていた。イリス曰く、“道場”。

 彼女らはイリスを見掛けると、すぐに寄ってきた。それもびしっと整列し、びたっと止まって。

「ご苦労」

 ちらりと付いて来た女騎士二人に目配せをするイリス。二人とも頭を下げて、速やかにどこかに行ってしまった。

「訓練ご苦労。ようやく私も時間が取れたので、稽古を付ける」

「はいっ!」

 びりびりびり、と道場が一声で響く。

「だがその前に話がある。お前たちが噂していた男を連れてきた」

 急にざわつき始めた。これに関して、イリスは咎めなかった。

「今から紹介させよう。おい、いつまで隠れているつもりだ。早く出てこんか!」

 ミオスは中にすら入っていなかった。少し待っても一向に来る気配すらなかったので、イリスが左肩を掴んで、

「いたいいたい! いく! いくからっ!」

 強引に引っ張ってきた。涙が溢れる寸前の泣き顔だった。

「……」

 嗚咽を漏らすだけで、俯いている。しびれを切らしたイリスはため息を吐いた。

「すまぬ。こいつはミオス。女王陛下のご指示で、国で面倒を見ることとなった。どこかで記憶を失い、心を患ってしまったようだ。我々が憎む男ではあるが、見た目からしても人畜無害なことは分かるだろう」

 ぐすっぐすっ、とまだ泣いている。

「男だから仲良くしろとまでは言わぬが、弱者かつ負傷者でもある。それなりに(いたわ)ってやってほしい」

「はい!」

 室内が響いた。それだけで、ミオスはびくびくしている。

「さて、紹介はこの辺でいいだろう。……先生はいるか?」

 ふと、目が合った女騎士に問いかけた。

「はい、奥の休憩室でまったりされています」

「まったりしているのか」

「はい」

 ふふ、と思わず笑う。

「ミオス」

「な、なあに?」

「お前はここで先生に預ける手筈(てはず)になっている。おそらく、左肩の“慣らし”をさせるのだろう。さっき言っていたように、奥にある休憩室に行ってきてくれ」

「うん。わかったよ、イリスおねえちゃん」

「!」

 鼻がぴくぴくしていた。女騎士たちに面子を崩さないように、必死で堪えている。

 何も知らないミオスはトテトテトテ、と女騎士たちの間を割って、奥のドアへ向かった。

「……」

 くすくす、と笑いが漏れていた。

 

 

「こんにちはー」

 ドアを勢い良く開ける。休憩室も作りは変わらなかったが、荷物を置く棚や木製の長椅子があった。

 その長椅子に、ブージャーが横になっている。

「ん?」

 ブージャーがミオスの声に気付いた。

「ふああ……来たか。これからリハビリするぞ」

「? りはびり?」

「まあ何て言うか、準備運動だ。お前の左肩はずっと使ってなかったせいで、硬くなって動かしづらくなっている。それをゆっくり柔らかくしてあげようってことだ」

「へえ~」

「じゃあ、この長椅子で横になれ。左肩を上にして、横向きにな」

「うん」

 トタトタとミオスは横になった。三角巾を丁寧に取ると、

「!」

「な? 私の言った意味が分かったか?」

 肘や肩が硬くなっていた。曲げ伸ばしどころか、動かすのもしんどそうだ。

「筋肉が硬くなっているんだ。これは毎日準備運動すればだんだん良くなるが、肩の怪我は一生もの。だから肩に負担をかけないように、その布を使わせたんだ」

「なんかすごーい」

 ブージャーが手慣れた様子で、ゆっくりと動かしていく。

「これから毎日、ここに来なさい。君は若いから、すぐに柔らかくなるだろう」

「うん!」

 

 

 そうやって過ごすこと丸二ね……二週間ほど。リハビリを終えて街中へ遊びに行ったり、部屋で本を読んでいたり……の生活を過ごしていた。ブージャーの言う通り、ミオスは順調に肩を回復させていく。日々の鍛錬の成果か、ほとんど動かせなかった左腕も物を持つくらいに戻していく。それだけではなく、気持ちも落ち着いたようだ。臆病な性格は直らないものの。

 イリスの言うように、女騎士たちはそこまで仲良くはなれていない。しかし邪険に扱うわけでもなかった。女王陛下の口添えが利いているからか、不本意ながらも客人扱いをしているようだった。ただ、

「ほれ」

「うわぁっ! う……うぅ……」

「おもしろーい」

 珍獣扱いしている騎士も少なくなかった。男のクセに、臆病者で泣き虫だったからだ。

 ある日、道場の休憩所でいつものようにブージャーとリハビリをしていると、

「?」

 普段であれば、騎士たちの気合が響いてくるのに、急に稽古場がざわつき始めた。

「何かあったか? ……どれ、私が見て来よう。軽く十分ほど休んだ後、少しきつ目の訓練をしよう。左肩以外の柔軟をしておいてくれ」

「うん」

 ブージャーは出て行った。

 言い付け通り、ミオスは柔軟を始める。ぺたんと座り、ぐいっと百八十度開脚する。そして、べたんと身体を床へ折り曲げた。リハビリ中とあって身体は十分に温まっているようだ。

 そうして色々な柔軟をやっていくこと十分。しかし中のざわつきは止まなかった。それからもう十分待っても、変わる様子はない。

 さすがに気になり出したミオスは、ちょっとだけドアを開けて覗いてみることに、

「……」

 向こうから勝手に開いた。

 金髪だが、肩までで短い。その左右の髪の一部をくるくるカールさせていた。瞳はイリスと同じ、左右それぞれ色が違っていた。イリスに似ている。

「イリスおねえちゃん、かみかえて、」

「ミオス! 離れろぉっ!」

 向こう側でイリスが叫んでいる。その瞬間、

「!」

 ミオスは退いた。

「ちっ」

 刀の切っ先のように鋭い目つき。その女の腹あたりには、ナイフがあった。

「だ、だれ……?」

「貴様に名乗る名はない。ここで死ぬのだから」

 ナイフを腰にしまう女。すると、背中へ手を伸ばした。

「……え……?」

 しゃりしゃりしゃり、と金属音が煌めいて奏でられる。女は剣を引き抜いた。部屋で見かけた細く薄く長い剣ではない。幅、厚さ、長さ、どれもド級という表現がぴったりで、尋常ではない。身長大で、鉄板のような幅に本のような厚さ。まるで金属の塊をそのまま剣状にしただけのような、そんな剣だった。

 その豪快な見た目からして重いはずなのに、女は涼しい顔で両手に構えている。

「あ……あ……」

 女の禍々しい雰囲気とその視線からか、ミオスはへたり込み、ほろほろと涙を落としてしまう。蛇に睨まれた蛙の状態だ。

「男の癖に泣くとは、醜い」

 ぎろり、と標的に狙いをつける。がたがたと震えが激しくなる。

「死ね」

 巨大な剣が太い線のように一瞬で流れる。ミオスの首と身体を二分するようになぞった。

「……ふん」

 倒れる音。結果を見るまでもなく、女は部屋を、

「……!」

 出られなかった。

「はぁ……はぁ……はぁ……!」

 仕留めたはずの男が、目の前を通って逃げていく。

 振り返ると、

「……」

 特に何もない。

「仕方ない」

 女も走り出した。

 

 

 人集りを押し寄せて、中に入った。

「イリスおねえちゃん! だいじょうぶっ?」

 そこに、ボロボロのイリスが倒れていた。

「わ、私は大丈夫だ……」

「あのひとだれなのっ? どうしてぼくをころそうとしてるのっ?」

「奴は“モモ”。……私の妹だ」

「……え?」

「とにかく逃げろ! 私が時間を稼ぐ!」

「うっうん!」

 ミオスは道場を後にした。

「……」

 イリスは何とか立ち上がり、

「皆の者、退いていろ」

 出口の前に立ちはだかる。

「……」

 ロール髪の女“モモ”はイリスの前で止まった。

「またあたしと戦うのですか、お姉様」

「あぁ」

「先ほどお話したはずです。お姉様の牙は完全に抜け落ちていると。そして、」

 モモは自分の剣を床に突き刺すと、道場の端っこから、剣の形をした木を拾った。さっきまで使っていた代物のようだ。イリスも同じ物を持っている。

「かつての狂気は消え失せていると」

 先に仕掛けたのは、イリスだった。

 捻りのない真っ直ぐな振り下ろし。左肩を掠めるように避けるモモ。返しに、

「せいっ!」

 木剣を叩きつける一打。木剣を持つ両腕から全身へ痺れが伝わる。のを、振り払い、切り上げ。モモの顎へ向かうが、

「……!」

 (すんで)のところで、

「遅い」

 真剣白刃取り。それも親指と人差し指で摘むように、木剣を優しく掴んでいる。

「っ?」

 イリスの顎先に何かが擦れた。

「はあぁっ!」

 意に介さず、モモの首のど真ん中へ。……しかし、

「……?」

 脚が勝手に曲がり、床へ倒れこんでしまった。

「……え? ……?」

 何が起こったのか、イリスでさえ分からなかった。それよりも、イリスは無理矢理にでも立ち上がろうと、

「ぐっぅ……」

 膝に手を起き、伸ば、

「く!」

 せない。またも倒れてしまった。その様は生まれたての動物のようだった。

 それを冷たい目で蔑むように見るモモ。

「以前の、少なくとも二ヶ月前のお姉様なら、こんな子供騙しも通用しなかった……。動揺されて当然でしょう。今まで一撃も攻撃を受けたことすらないのですから。これならまだ、先日の戦争の方がやりごたえがあったかも」

「……」

「お姉様はそこで這いつくばっていてください。あたしがお姉様を解放してあげます。醜い男の呪縛から……!」

 モモは猛烈な速さで、あっという間に出てい、

「待て……!」

 くのを、イリスが掴んで引き留めた。

「しつこいですね。以前のあたしを見ているようです……」

 気合でイリスは立ち上がった。脚が震えている。

「だが、それでもミオスは殺させん……!」

 ぎゅっと木剣を握りしめ、

「はぁっ!」

 突進した。

「!」

 驚愕の表情。まさか走ってこられるとは思っていなかったようで、

「くうっ!」

「はあっ!」

 かこん! と、木の乾いた衝突音。鍔迫り合い。モモは受け止めるしかなかった。ぎりぎりと握りしめている。

 木剣を押し付け合う二人を中心に吸い寄せられそうなくらいに、雰囲気が重かった。それを取り囲む他の騎士たちは、

「……んっ……」

 その光景に固唾を呑んでいた。

 モモが強引に押し退けた。と同時に突き。一線かと見間違うほどの速さがイリスの横で空を切る。

「!」

 今度はモモが足を崩す。イリスの足払い、そして返しに腹へ。これを木剣で微妙に逸らす。そのまま、ずりずりとイリスの顔面へ。

「っ」

 打撲音。イリスは左腕で受ける他なかった。苦肉の窮余の一策。

「!」

「ぐほあっ!」

 ほぼ同タイミングでモモの腹に蹴りが突き刺さる。

 どうにか間を空けることができ、二人は構え直した。

「はぁ……はぁ……」

「つ……ふうっく……」

 物が潰れるような嫌な音と感触。イリスとモモ双方とも感じていた。

 じんじんと左腕に鈍い痛みを覚えるイリスと、嘔吐しそうになるモモ。イリスはその痛みで木剣をロクに握りしめることができない。一方のモモは喉に突っ掛かった感触で、息がしづらくなっている。

 激しい動きと痛みで、二人は滝のように汗を流していた。木の床に雫が滴るほどだ。

「油断しました。まだこれほど動けるなんて……」

「……強くなったな、モモ……」

「……?」

 ふる、とモモの木剣が揺れた。

「お前は私が弱くなったと思っているのだろう? だが、私は日々の鍛錬を怠っていないのだ。つまり私が弱くなったのではない。……モモ、お前が強くなったのだ」

「……!」

「木剣とはいえ、この私に一太刀入れたのだ。こちらに来なさい。褒めて遣わす」

「お、お姉様……?」

 こちらに来い、と言いつつ、イリスが近づいて来る。その異様な気配にモモは異常に警戒した。ところが、

「……お姉ちゃん……」

 考えとは裏腹に、モモはイリスへ寄っていた。泣きながら。

「お姉ちゃん!」

 モモはイリスへ飛び付いた。

「よしよし……」

「うぅ……うっ……お姉ちゃん……」

「お前は私に甘えたかっただけなんだろう? 長い間、ここから離れたから」

「うん……うん……」

「……!」

 身体を突き抜ける衝撃。イリスの瞼が一瞬で閉じた。

「……」

 イリスを担ぐと、丁寧に横にするモモ。

「……モモ様……」

「あたしがずるいと思う?」

「……いえ……」

「でも、お姉様が言ってたのは本当。あたしのお姉様だもの、否定出来ない。……だからこそ、あの男は殺さなければならない。お姉ちゃんがされたことが、起こらないように……!」

 モモは忘れていた巨剣を背負った。

「お姉様をブージャー先生の所へお願い」

 俊足で道場を後にした。

 一人の騎士が意識を失っているブージャーの隣に、イリスを寝かせた。

 

 

「はあっ! はぁっ! はあっ!」

 ミオスは全力で走っていた。隆起の激しい地帯を抜けて、散らばった森を通り抜けるように駆けている。逃げ出した時は昼過ぎだったが、辺りは暗くなり始めている。しかし、空が晴れているため、月明かりは明るそうだ。

 森に陰が強まっていく。見慣れない景色と土地勘、暗さで半ば迷子になっていた。だが、ミオスはそれでも駆け出している。

「……ふぅ……!」

 ペースを落としながら、やがて歩き出した。肩で大きく息を繰り返し、汗が止めどなく流れていく。

 ふらふらと歩いて行くミオス。もう夜になってしまい、太陽はいなくなってしまった。代わりに月明かりが照らしてくれる。しかしそれは明かりが当たっている所だけで、陰は真っ暗でとても見えない。

 最悪なことに、散在していた森がいつの間にか寄せ集まってきている。広大な緑として広がっていた。もはや、途方もなくうろついているだけだ。

「……はぁ……はあ……」

 日が落ちてきたために、空気がだんだんと冷えていた。汗が冷えて、さらに寒く感じている。

 ふとして、

「?」

 とある場所が目に付いた。

「……」

 そこは村……というより集落に近い場所。そこだけは星空が見えており、月明かりが地上へ差し込んでいる。周りは木々が寄り合い、一部分だけは通れるように開いていた。その光景はとても幻想的で、明暗が溶け込んでいるような錯覚を覚える。

 ミオスは吸い込まれるように、そこへ入っていった。

「……」

 何軒か家が建っている。木造の家だが、荒らされた痕がある。一部の壁が破壊されていたり、銃痕があったりと、良い予感のしないものばかりだ。しかし、ミオスはそんなことを気にも留めない。それくらい、幽玄な場所だった。

「……ここ……しってる……」

 月明かりを浴びて何かに目覚めたのか、周りをきょろきょろと見回し始めた。

 さらに目に付いたのは、とある一軒家だった。その一軒だけ綺麗だった。

「……」

 そこへ入ることにした。

 ドアを開けると玄関に真っ直ぐの通路が見える。靴棚はあるが、それ以外は何もない。しかし、

「!」

 足跡がある。それも複数人で多様だ。多くの人間がここを出入りしていた形跡が窺えた。

 それにならって、ミオスも土足で上がることにした。

 通路の突き当りのドアを、そっと開けた。

「……え?」

 ミオスは呆然と眺めていた。木製のテーブルと椅子、それにベッドしかない簡素な部屋。だが、物々しい雰囲気であったことが見受けられる。

 ベッドに二ヶ所、穴が空いていた。それは建物を突き抜け、地面まで穿(うが)っている。それに酷い臭い。何かが腐ったような臭いが抜け切れていなかった。

「…………」

 

 

「なぜ殺した! なぜ弟を殺した!」

「こ、ころせよ」

「なに?」

「っ」

「き、きさまあぁぁぁぁぁ! ………………はぁ、はぁ、ど、どうだ……!」

「……」

「×、×××? ×××……! ×××っ!」

「黙れ。不覚にも、息の根を止めてしまった。……どちらにしても殺すつもりだっ、……ん?」

「たのむ……ふぅには……ふぅにはみせないでくれ……しぬと、こ……ふぅには……みせっないで……」

「! …………せめてもの情けだ。彼女は私の復讐の対象外だからな……」

「やめてください! ×××! いや、いやだ×××、×××、いや、いやっいやっ! 電源オフを拒否しますっ! ボタン操作をロックしましたっ! ×××! やめてください! ……! ま、まさか電池パックを、だめ、だめですっ! やめてください! だめっだめえぇぇぇぇ、」

「……弟を殺したことを悔いろ」

 

 

「……!」

 ミオスはその場で力が抜けるように座ってしまう。何ともないはずなのに、身体が震え、涙が止まらない。じゅくじゅくじゅく、と肉を抉りだすような激痛に、汗も止まらない。

「……はあ……ふぅ……」

 一瞬だけ(よぎ)った何か。黒塗りの人間と三人の声。まるでノイズが掛かったように見えて聞こえた。そして、

「……“ふぅ”……?」

 それを見聞きしているのは間違いなく自分。全身から全て漏れ出してしまうような、そんな無気力感と脱力感……。

「……ここは……」

「よお」

「……!」

 突如、ミオスの背後から声がした。

「動くなよ」

「……おじさんたちは?」

 そのまま振り向くと、男女二人組がいた。ドア側から銃口をこちらに向けている。

「まあ、なんつーか……遠くで戦争があってな。その生き残りさ」

 男の腕にはごついマシンガンがあった。男は女を一瞥すると、女は黙って頷き、どこかに行ってしまった。

 ふと、視線が窓に移る。幻想的な光に、いくつか人影が混じっている。

「なあ、剣を持った女たちを見掛けなかったか?」

「……」

 ミオスは横に振った。

「そうか。……だが、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」

「……だいじょうぶ……」

「そんなわけあるか」

 男は武器をしまい、ミオスの方へ寄る。

「酷い汗だ。誰かに追われてるんじゃないのか?」

「……わからない……わからないよ……」

 かたかた、と小さく震えている。

「?」

 男は怪訝そうにミオスを見る。

「記憶がないのか?」

「……うん」

「……どっちにしても早くここから離れた方がいい。女連中に(さら)われたら大変だぜ?」

「? どうして?」

「ここの近くに女たちだけが暮らしてる国があってな。奴ら、男にフラれたからって、男を目の敵にしてる連中なのさ。とっ捕まった男は拷問を受けるらしい。俺の仲間がそうだったんだ。次の日、首だけになって帰ってきてな……」

「! そう、なんだ……」

 暗い表情のミオス。

「場所的に女の国から逃げてきたようだな。……どうだい? 俺らと一緒に来ねえか? 何なら、俺らが面倒見てもいい。このまま隠れても、奴らに見付けられるぞ……!」

「それより……どうして“せんそう”になったの?」

「分からねえ。俺らはただ普通に暮らしてただけなんだ。なのに、急に奴らが襲ってきて、あっという間に滅ぼしやがったんだ。こっちは銃火器使ってんのに、相手は剣一本でよ。悪魔じみた強さだ……」

「……」

「俺らの国を、平和を乱した奴らが許せねえ……」

 マシンガンがごりごりごり、と握りしめられる。いかに根に持っているのか、ミオスでも感じ取れた。

 さらにミオスが尋ねる。

「このいえ……なにがあったかしってる?」

「さあな。俺らも今ここに来たばっかだ。その途中で兄さんを見かけてな。悪いが尾行させてもらった」

 ふるふる、と顔を横に振る。

「まあ、良くないことが起こったのは間違いないだろうな。寝込みを襲われたか、脅されて殺されたか……」

「リーダー!」

 ドアから別の男が入ってきた。

「連絡係から、奴らがこの森に潜んでるらしい!」

「! そうか、分かった! ……悪いな兄さん。どうやら奴らの国が近いようだ。俺らは行くぜ。……どうする?」

「……ぼくは、もうすこしここにいるよ」

「そうか。……ここでお別れだ。じゃあな、兄さん」

「うん。さよなら……」

 ミオスは二人を見送った。窓からも見送って、

「うわああああっ!」

「ばっ!」

 死んだ。

 突然、二人の顔が真っ二つになった。中身を曝け出しながら、月明かりに照らされる。どす黒いはずの液体が光できらきらと輝き、地面の緑を汚した。びくんびくん痙攣し、やがて完全に止まった。

 遠くで銃声。それも連続している。しかし、その音が一つ……また一つと消えていく。放射音。銃声を何重と重ねたような、耳に刺さるように太く甲高い音。

「!」

 びくん、とミオスは震え出した。

 最後は悲鳴と一緒に、ざくざくざくざく、と斬り刻む音が聞こえた。

「? ……?」

 逃げなきゃ、と立ち上がろうとしても身体に力が入らない。でもここから離れたい。水から上げられた魚がもぞもぞ暴れるように、上手く身体を動かせない。ミオスは一種の錯乱状態に陥っていた。

「!」

 とた……とた……、と足音が聞こえる。極力足音を殺そうという意図が、ミオスをさらに怯えさせる。

 出て来たのは、

「やはり、ここにいたのね」

 モモだった。

「すごい所に身を隠したものね。よく考えたわ。外まで悪臭を放つ所に、入るのは躊躇うもの」

「あ、あぁ……」

 苦い顔をしている。

「観念したかしら? 男風情がお姉様に近づくなんて、国に入るなんて……このあたしの視界に入ることすら、死罪に値する」

「…………」

 ぽろぽろと涙をこぼしている。

「死んで詫びろ。……そして悔いろ」

 モモが巨剣を振り、

「……?」

 下ろした。そこは、床だった。木を拉げる破壊音。しかし、

「?」

 モモは異変に気付く。この恐怖感を煽る雰囲気や音を間近にしても、目の前の男は自分に怯えていないことを。そして、

「……」

 声を潜めるように涙を落とし、左肩を(さす)っている。息を乱しているというより、呼吸ができていない。その呼吸音も、

「ひゅぅ……ひゅ……く、ひゅぅ……」

 肺に穴が空いているような、不安なものだ。

 その姿はモモの目には……。

「……」

 ひとまず、モモは巨剣を背中にしまう。そして、手を差し伸べた。

「立てる?」

「……」

 耳にすら入っていないのか、全くの無反応だ。ぎゅっ、と身体を縮こませている。

「仕方ない」

「!」

 がばっと、ミオスをお姫様抱っこした。

「本来は逆だけど。……別のとこに行くわ」

 

 

 比較的綺麗な家に入り、ベッドにミオスを下ろした。モモは近くにあった椅子に座り、壁に巨剣を傾けた。

「簡単に自己紹介するわ。あたしはモモ。イリスお姉様の妹よ。特攻隊長でもあるけどね。……あなたは?」

「……」

 目を伏せて、泣いている。

「ふ~ん。噂では聞いていたけど、記憶喪失なのは本当か」

「……」

「左肩はどうした? 布当てをしてるようだけど」

「わかんない……」

「……一応聞くけど、あなた男よね?」

「……うん」

「どうしてそこまでなよなよしてるというか、臆病というか……。お姉様が、どうしてこんな男を守ろうというのか……あたしには分からないわ。……でも……あたしの振りを避けたのよねえ……」

 怪訝そうにミオスを見る。

「よし……あなた、服脱ぎなさい」

「え?」

「記憶がないなら、見てくれで判断するしかないでしょう? 荷物は多分、国の保管庫にあるだろうし。とりあえず上だけでいいわ」

「……」

 肩の布あてを外し、上着を脱いだ。

「……!」

 モモの表情が一変する。

「……」

 ミオスはモモに背を向けて脱いでいるが、背中から脇腹、両腕とも、ほぼ隙間なく傷跡が詰まっている。服を着ていた時は細身のように見えていたが、背筋の筋がきっちりと見え、腕にも筋肉が凝縮されている。見た目の年齢とは大きくかけ離れた肉体だった。

 左肩は包帯で巻かれていた。

「もういい。着なさい」

「ふぇ……は、はい……」

 いそいそと再び服を着た。

「……あたしの考えだけど、いい?」

「う、うん」

「おそらく、あなたの記憶喪失の切欠は、その左肩の大怪我によるショックだと思うけど、ここで怪我を負ったようね」

「?」

「道場にいた時と、あの家にいた時と怯え方が違った。どちらも袋小路だけど、最初のあなたは逃げる気力があった。どうやって分からないけど、あたしの攻めを避けたくらいだし。でも、今は怯えているというより、身体が拒絶しているように見えるわ。つまり、あなたの心自体にトラウマがあるってこと」

「……」

「戦争から帰ってきた騎士にもたまにあるんだけど、心に深い傷を負って、精神が壊れてしまうことがあるのよ。人間や剣、血、色、音……そういうのに過敏になってトラウマを呼び起こし、身体を硬直させてしまう。まさに、今のあなたみたいな症状ね」

「……」

「ついさっき、あたしは戦争の生き残りを殺してた。銃声、こっちまで聞こえてたでしょ?」

「……! ……」

 思い出したように、ミオスが震え出した。

「これではっきりした。あなたはあの家の中で左肩を撃たれて、死の淵を彷徨った。だけどそれだけじゃここまでにはならない。あそこで嗅いだ酷い臭いと合わせると、拷問も受けたと考える方が自然ね」

「……」

 モモはにこりと綻ぶ。

「……帰りましょうか」

「……え?」

「あなたに聞くより、お姉様方に聞いた方が話が早そうだからね。記憶を取り戻した時に、殺してあげるわ。どうせ殺すなら、万全の状態の方がやりごたえがあるし」

「……」

 複雑な表情で二人は村を後にした。ただし、

「……ったく、どうしてこのあたしがここまでしなきゃ……」

 気が抜けたことで、ミオスは気を失っていた。

 

 

「……ん……」

 翌朝。

「……あれ……」

 ミオスはベッドで眠っていた。モモと帰る頃から、鮮明に覚えていない。

 今日は不思議と、肩の痛みは控えめだった。

 コンコン、とノックがして、入ってきたのは、

「ミオス、大丈夫か?」

 イリスだった。とても不安気な表情だ。

「おはよ、イリスおねえちゃん」

「あ、ああ……おはよう」

 ぷいっと目を逸らしていた。ミオスは健気に笑いかけた。

 いつものように朝食を持ってきてくれている。

「朝食を終えたら、女王陛下の所へ行くぞ」

「?」

「モモから報告があってな。ミオスの記憶に関して重要な事が分かったらしい」

「う、うん。わかったよ」

 急いで朝食を食べ終えた。

 イリスが行くのを付いていくミオス。騎士の城を出てすぐ後ろに、女王陛下のいる建物がある。

「……」

 乳白色の石材を積んでできた家。しかし、王族や貴族のような身分が住まう所とは思えなかった。騎士の城よりも圧倒的に小さく、一人暮らしの人間が住んでいるような所だ。

 中に入ると、

「ようこそ我が国へ。と言っても、自分の意志で入国したわけじゃないのよねぇ」

 高齢でおそらくは六十代くらいの女王がいた。高貴そうなドレスと淑女な雰囲気を身に纏っている。

 脇にはモモがいた。特にミオスを気にする素振りはなく、平然と立ち誇っている。

 中はとても一国の主が住まうような所ではなかった。作りが騎士の城の一部屋と何ら変わりなかったからだ。ただ、書物が多かったり、机の上に溢れんばかりの手紙や封書が置いてあったりするだけ。

「まずは、怪我の方はどうかしらぁ?」

「けっけっこううごくようになっなりましたです」

「ふふ。そんなにカチンカチンにならなくてもいいわよぉ? あなたを取って食おうってわけじゃないんだからぁ」

「は、はい……」

 と言っても、相手は一国の主。ミオスも幼ながら理解しているようで、無意識に緊張してしまう。

「えっえっと、ぼくをたすけてくれてありがとうです。その、すごくかんしゃしてますです」

「ふふふ……無理してかしこまらなくていいわぁ。イリスたちに話すようにしてくれればいいのよぉ」

「は、はい」

 見た目と心の“ズレ”で、女王は可笑しくて顔が綻んでしまう。

「そうそう。ブージャー医師から順調すぎるくらいに回復してるって聞いたわぁ。やっぱり若さっていいものよねぇ」

 ゆっくりと左肩を動かすミオス。肘を曲げ伸ばししたり捻ってみたり、順調に回復していることを見せた。

「ブージャー医師の腕もさすがだけど、あなたの身体は頑丈なのねぇ」

「ほんとにありがとうです……あっ」

「ふふふ……」

 ミオスがちまちまして、面白く見えているようだ。

「さて、本題に入ろうかしらぁ。……モモから話を聞いたわ」

「!」

 ほんわかな口調が、ぴりりと締まる。

「う、うん」

 女王は体調が悪くなったら、遠慮なく申し出るように釘を刺しておいた。

 モモに目配せをすると、机に置いてあった一枚の紙を持ってきた。手元に置いてあった老眼鏡をかける。

「……うちの隠れ家で一悶着あったみたいね」

「い、いそぎんちゃく?」

「……! ふふふふ……」

 不意に、可笑しくて笑ってしまった。

「“ひともんちゃく”ねぇ。まあ、何か良くないことがあったってこと。確かに、最初にあなたを見付けたのは隠れ家だったわ。モモの言うように、拷問された後のようにも見えた。それも一日二日経ってたわけじゃない。数時間ってとこかしら」

「……」

「ここからは、私の想像なんだけど……いい?」

 こくりと頷いた。

「あなたにもう一人、連れがいるんじゃないかって思ったの」

「?」

「これはイリスが言っていたことなんだけど。夜なべ、あなたが魘されているのを聞いたことがあるみたいなの。その時あなたは、“ふぅ”と呼んでいたそうよ」

「……“ふぅ”?」

「掠れていたから明白ではないが、誰かに助けてほしいような、そういう口調だった」

 イリスが口添えした。

「お母様、その連れはミオスを置いて逃げてったってこと?」

 ずいっとモモが身を乗り出してくる。

「何らかの事情で助けられなかったんじゃないかしら。例えば、ミオスだけ誘拐拉致されたとか」

「それで、ミオスを見つけようとした矢先、お母様方が先に助けちゃったってことか……」

「つまり、狙ってくる輩がいるということですね?」

「もしかして……昨日あたしが殺した連中に……?」

「……!」

 モモが気落ちする。

「ちがうとおもう」

 ぽつりとミオスが口を開いた。

「え?」

「あのおじさんたちは、ここにふくしゅうするっていってた」

「!」

「まえに、おねえちゃんたちにくにをほろぼされて、そのふくしゅうをするんだって」

「……どうりで似たような武器を……」

 モモにも疑念があったようだ。

「こうもいってた。おとこにふられたから、やつあたりでひとをころしてるんだって……」

「!」

 三人して思わずミオスを見た。

「それってほんとうなの……?」

「……」

 押し黙るしかなかった。

「ほんとうなら、ぼくもいつか……」

「それはない!」

「!」

 イリスが叫んだ。

「正直に言う。確かにお前を殺したいと思っていた」

「え?」

「男なんて汚らわしいし、何より姉を奪った奴らだ。絶対に許せない……」

「? ……?」

 何の事か、分からないミオス。

「だが今は違う。記憶なんてどうでもいいし、お前が誰だったかなんて興味はない。私にとって一番重要なことは、ミオスがミオスであることなのだ」

「……イリスおねえちゃん……」

 ぽんと左肩に優しく手を乗せた。

「昔のことなんて忘れてしまえ。追及しようとするから、あれこれ余計な事を考えてしまう。だから心の傷をほじくり抉りだすようなことになってしまう。結果、お前は震え(おのの)き、心が壊れそうになってしまうのだ」

 きゅっと後ろから抱き寄せた。

「この私が認める。お前は……この国に住め」

「! お、お姉様! それはいくらなんでもっ、」

 ばっと制止する女王。

「お母様……」

「……」

 その様子を静かに見ていた。

「心配するな。もう、戦場や紛争地、狩場に行くことはない。行かせない。……お前は必ず私が守る。だから、この国で心を休めろ。……もう、騎士にも傭兵にも旅人にもならなくていいんだ」

「……」

 ずきり……、側頭が痛む。

「……たび……びと……?」

「? どうした?」

「ぼくは……たびびと……?」

「そうねぇ。多分旅人だったかもしれ、」

「たびびと……旅……人……」

「……! お、おい!」

「……」

「ミオス! どうしたっ? おい、おい!」

「お姉様! ブージャー先生を呼んできますわ!」

「あらあら……これは引き金を引いちゃったみたいね……」

 

 

 

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