「……」
温かい暖色の光が目に入ってくる。空は夕焼けになりつつあった。
真珠色の綺麗な部屋。何かの石材のようだが、不思議な気分のする部屋だ。起き上がると、正面には相当量の本が並んだ棚、右には机と椅子、左には窓があった。窓からは夕陽が滲んできているのが分かる。
机の側には甲冑が夕陽に照らされていた。かつては銀一色だったはずが、使い古してくすんでいたり埃や土で傷んでいたりしている。さらに大きい剣が壁に立て掛けてあった。背丈くらいの大剣で、断頭台の刃のように太く厚い両刃になっている。斬撃というより打撃になりそうなほど、巨大だった。
「……」
コンコン、とノックがした。
「失礼するぞ」
入ってきたのは白衣を着た女とくるくる髪の女だった。白衣の女は長い黒髪を後ろで束ねており、細い棒をくわえている。くるくる髪の女は肩まで伸ばした金髪に、捻りを加えた髪型をしていた。どちらも気が強そうだ。
「……」
「ミオスが倒れたと聞いてな。どこか痛むところはないか?」
「……」
白衣の女がじっと見ると、瞼がぴくっぴくっ、と動いている。痛みに悶えるのを我慢しているように見えた。
「モモが乱暴に運んだからじゃないか?」
「ぶっブージャー先生、あたしですかっ? そんなつもりは……」
「……ふふ」
にこりとした。
「大丈夫だよ、モモお姉ちゃん」
「!」
苦痛を抑えこむような、屈託のない笑顔。くるくる髪の女“モモ”は手で口元を覆いながら俯いた。
「……ちょっと頭が痛いだけだよ」
「まあ、大事を取りなさい。……けど、どうして急に意識を失ったの?」
「……分からない。どうし、……!」
白衣の女“ブージャー”が頭をぽんぽんと撫でた。
「何はともあれ、安心したよ。……ミオスも無事なようだし、私はこれで」
「あ、はい」
「何かあったら、また呼んでくれ。……それじゃ」
ブージャーは退室した。
「……」
「……あたしはどうするかなあ」
モモは椅子に座った。
「? モモお姉ちゃんは帰らないの?」
「言っておくけど、ここはあたしの部屋だからなっ!」
「……そうなの?」
苦笑いするしかない。思わず部屋中を改めて見回してしまった。
「女っ気なくて悪かったな」
つん、としてむすっと言い放つ。
手持ち無沙汰なのが嫌なようで、モモは大剣を持ってきて手入れをし始めた。よく見ると、赤黒いものが薄く広くくっついている。それを布で拭いていた。赤い染みと欠片が布に付いていく。
「すごく大きいね」
「もっと硬くもっと大きくって替えてたらこんな剣になった」
「大きすぎだよ。それを鉄板にして料理ができそう」
「今度やってみるか」
くすっと笑う。
「……あたしはイリスお姉様のように頭も良くないし世間知らずだ。だから、これに頼るしかないの……」
「……」
どこか物悲しそうな面持ち。しかしその根底には力強さを感じる。
くすり、と微笑む。
「モモお姉ちゃんはいい人だね」
「? あなたを殺そうとしたのに?」
「……うん」
モモには不思議に思えてならなかった。
「臆病者の癖に、人が好すぎる。これから先、命がどれだけあっても足らないわ」
「……でも、モモお姉ちゃんはぼくを殺さなかった」
「道場での話ね? あれはあたしの修行不足。早とちりして、あなたを殺したと思い込んだだけにすぎない」
「……そっか」
微笑みは崩れなかった。モモの言い分を全て突っぱねるわけでもなく、聞き流すわけでもなく。モモはそれがどういうことなのか、理解できなかった。
ちらりと外を見た。空一面赤くなっている。
「ぼく、ちょっと走ってくるよ」
「……え?」
「この時間、いつも走ってるんだ。肩以外も鍛えなければ貧弱のままだぞって」
「……ふっ……お姉様らしい」
ベッドから降りると、
「行ってくるね、モモお姉ちゃん」
「!」
不意打ち。急に顔を赤くするモモ。ぶんぶん大剣を振り回した。
「危ない危ない!」
「早く行きなさい!」
「えへへ」
無邪気な笑顔。そのまま部屋を後にした。
「……お姉様が惚れ込むのも分かる気がする……」
外に出ると、回廊が左右に曲がって通っていた。自分がいた部屋側、つまり回廊の外側に窓やドアが見えている。また同じく、真珠色の内装になっていた。
夕陽が窓から差し込み、建物の内装と相まって美しく見える。真珠の中にいるような気分になる。
とりあえず、右回りに歩いて行くと、上下へ続く階段に差し掛かった。折り返すように上下へ続く階段。そこから身を乗り出すように見てみると、最下層に出口があるだけの場があり、上は夕空が見えた。なるほど、と呟く。
誰とも出会うことなく最下層へ降り、そのまま建物から出る。とても広い平原。牧場かと思うほどで、北西方面に森が、その逆側は山が広がっている。
出口からその森へ向かうように、ぐねぐねと砂利道が伸び、左右に加工された緑がぽつぽつある。若干、坂道になっているようだ。その砂利道を走っていく。
森が目前に来た。しかしそこまで深くはない。向こう側の景色がほどほどに見えている。
「!」
声。それも女が二人、向こう側から来る。
急いで木の陰に隠れた。時間帯も味方して、
「イリス様、本当にお強いね~」
「バケモンじゃんって感じ~」
「モモ様との一戦、怖かったけど興奮したわ~」
「モモ様とどっちが強いんだろ~」
「再戦しないかな……」
「そうだね……んな……で……」
「……」
気付かれることはなかった。二人の行方を辿ると、砂利道を通って先ほどの建物へ戻ろうとしているようだ。
しっかりと見送ってから、森を通り抜けた。いきなりの建物、それも先ほどの建物と同じ作りだ。右手側は森。建物を囲むように広がっている。そちらへ行ってみるも、ぐるりと木が囲っていた。ここは裏口のようだ。
人がいないことを入念に確認して、正面へ回った。
「……」
この建物を崇めるように、城下町ができていた。この場所だけ隆起しており、坂道を下ると街へ入ることができる。遠くは凸凹した地帯の奥に森があった。ここから真っ直ぐ進むと、巨大な木の門があり、出口はそこにしかないようだ。
城下町を一望できるここから、人気を探る。夕方になり、そこまで多くなさそうだ。と、思いきや、一人の女がこちらへ来る。甲冑姿で腰に剣を携えた女だ。
「? ミオスくんじゃない。どうしたの?」
「……」
少し間を置いて、
「んっと、実は、モモお姉ちゃんからお願いがあって……」
「モモ様から?」
話し始めた。
「記憶が戻りそうだから、ぼくの荷物を返してやってって」
「はあ……。でも、君の荷物は保管庫にあって、女王陛下かイリス様、モモ様がいないと勝手に開けちゃいけないことになってるのよねえ」
「……モモお姉ちゃんは今、手が離せないって言ってたし……何とかできない? お願い!」
ぐすぐす、と泣きそうになる。
「あ、ああえっと……女王陛下は重役との会議中だしイリス様は稽古中……となると、これは例外事項ってことでいいのかな」
「ありがとう! お姉ちゃん!」
「!」
こほん、と口元を隠しながら咳き込む。
「ちょっと待ってて。鍵取ってくるから」
「うん!」
女は建物の方へ入っていった。数分後、女が鍵を持って戻って来た。
「こっちだよ」
通ってきた森を伝うように坂道を下ると、ひっそりと佇んでいる家に着いた。木造の、少し古ぼけた家だ。そこを鍵で開けると、
「……」
特に何の変哲もない、普通の家の中だった。目の前に丸テーブルと四方に椅子、奥から左手にかけてタンス、右手に台所がある。誰かが住んでいてもおかしくはなかった。
女がそのテーブルや椅子をどかすのを手伝う。そのテーブルがあったところにしゃがむと、鍵を床に挿した。
「え?」
かちん、と解錠された音。
女はさらに小型ナイフを床に刺すと、ぽこんと一部分だけ床が外れた。そこを取っ手に、ぐっと持ち上げた。
「……」
見事な隠し階段だった。
「全然気付かなかったでしょ? こんなところに保管庫があるなんて、分かるはずないもんね。って言っても、私もイリス様がやってるとこを盗み見したからなんだけど」
持ってきていた松明を勢い良く擦ると、火が灯った。これを明かり代わりに、階段を降りていく。螺旋状になっていて、人一人が通れるくらいの幅しかない。しかもかなり深いようで、二階分は下りていく。
ドアも扉もなく、そのまま地下へ降り立った。明かりが全くない。仄かな明かりで見るに、地面を掘り進んだような作りだが、壁はしっかりと固められている。ある程度の広さがあるかと思ったら、通路が少し狭まって暗闇へと続いている。その理由は進んでいくと、すぐに分かった。
「……牢獄?」
檻が向かい合っていた。しかし中には人ではなく、宝石や金銀、陶器など価値の高そうな物ばかりだ。その壁や通路もよく見てみると、
「……」
うっすらと赤い痕が付いている。
明かりがあるはずなのに、案内する女の背中が薄暗く見える。
ぴたりと女が立ち止まった。
「ここだ」
右手の檻に別の鍵を使って解錠した。
「昔は牢屋として使ってたんだけど、いらなくなっちゃってね。代わりに保管庫として使うようになったんだ」
「そ、そうなんだ」
ずり、と半々歩、退く。
「保管庫は戦争で勝ち取ったり、その報酬でもらったりした物を隠す所。大半はイリス様のご功績なんだけどね」
女は次々に手渡ししてくれた。大きいリュックに二つのポーチ、衣類、何かの道具袋、黒い傘と。
「……これで全部かな」
にこりと笑いかける。
「そ、それはわかんないよぅ」
「あ、ごめんごめん。まだ記憶が戻ってないんだもんね」
帰ろう、と女が先導してくれた。
「実は君に内緒で中身を見させてもらったんだけど、よく分かんないのばかりだったなあ」
「え? あ、そうなの」
女の背中が詰まってくる。
「もし記憶が戻ったら、いろいろ教えてくれない?」
「え? うん、いいよ」
女が遅くなっているわけではなく、歩くのが早くなっている。
「旅人さんだから、珍しいものいっぱい持ってるんだね。たとえひゃあっ!」
両首筋にひと……と何かが触れる。びっくりして飛び跳ねた。……両手だった。
「なになにっ? これな、」
「動かないで! 虫がついてる!」
「む、むしっ?」
はわはわ、と女は慌てふためく。
「私、虫苦手なの! 何とかして!」
「そのままじっとして! 捕まえてるから!」
「はやく! はやく、気持ち悪い! きもちわ、……る…………」
「……っと」
すとーん、と目の前が一気に暗くなった女。倒れそうになるのを受け留め、近くの壁にもたれさせてあげた。意識を失っている。
ごめん、と小さい声で謝った。
受け取った衣類に着替える。黒いジャケットに黒いパンツ、履き汚したスニーカーという服装に戻した。念の為に荷物を確認する“黒い男”。
「……全部あるか? ……でも、見たことのない物もあるな」
荷物から一本のナイフを取り出した。全長は拳二つ分ほどで、柄が竹の節のような形をした黒いナイフだった。柄は鎖でぐるぐる巻になっていて、グリップ力を上げている。そして“鍔”のようなガードが付いていなかった。
その刃を小さい鞘に差し込み、懐へしまった。
「……恥ずかしかったな……」
黒い男は保管庫から脱出した。
西空の方に赤みが集中し、反対側から暗青色が迫ってくる。もう、陰に入れば、隠れずとも見分けがつきにくいくらい、外が暗くなっている。しかし、街中には街灯らしき燭台があるのを見つける。
黒い男は保管庫の家から出る前に、丹念に周りを見ていた。暗くなってきたとはいえ、人がまだいる。あまり遭遇したくないようだ。
空の半分以上が暗青色になったところで、
「……よし」
黒い男は、そこから出た。もう人はいないと言ってもいいくらい、人気が薄い。
忍び足で門へ向か、
「……」
「!」
ふっと、家の陰から女が表れた。
「……ミオス……」
ぼう、と明かりが揺れる。
「オレのことが……好き?」
「……」
苦しそうに俯いている。
「……記憶が戻ったのだな。話し口調が以前と全く違う」
「あぁ。だからあんたが今まで見てきたオレじゃないんだ」
「……その記憶はあるのだな?」
「!」
ぴくり、と黒い男は反応した。
「……あれは、小さい頃のオレだ。弱虫の泣き虫で、甘えん坊でどうしようもなく情けなくって……」
「だが、今のお前は違いそうだ。身体に刻まれた傷に相応しい逞しさを感じる」
「……! 見たのか……」
「左肩を手術して少しの間、私がお前のことを看病していた」
「そっか。……あんまり自慢できる身体つきじゃないから、見られたくないんだけどさ」
「そっちか」
頬をカリカリ掻く。
「えっと、オレの昔話はもういいよ。時間稼ぎして応援でも来られたら厄介だからね。ここの女騎士さんたちはエラく強いんだろ?」
「……そうもいかん。私は今のお前と話がしたい」
「どうして?」
黒い男は荷物を家に立て掛けて置いた。並々ならぬ意志の堅さが黒い男を通さないためだ。
「初めてなんだ。男なんか大嫌いなのに、こんなにお前のことしか考えられないなんて。それも最強と謳われる騎士イリスがお前のような弱者に……」
「……」
ちゃき……、と女は長剣を構え直した。
「なぜ私がお前に引き込まれるのか、確かめさせてくれ」
きゅっ、と長剣に無意識に力が込もる。
黒い男はちらりと後方を一瞥した。
「確かめさせてくれ、か。なるほど」
黒い男が見た方には、保管庫を案内してくれた女が来ていた。最初から仕組まれていたのか、黒い男はそう察したようだ。
「それに、この想い通じぬなら……死するしかない……」
「……!」
表情が険しくなる黒い男。
「バカ! そんなこと言うなよ!」
「分かっている」
「……え?」
「お前はとても優しい男だ。幼少からもその気質が芯にあるようだ。我が同胞を殺さなかったことが、それを証明している」
「……!」
黒い男は懐から竹節のナイフを取り出した。苦渋の面持ちになっている。
死を言い放ったイリスの決意に揺るぎはない。握りしめた長剣を黒い男の頭の軌道上に、据えている。
黒い男は困惑していた。好き嫌いということではあまり動揺はない。それよりも命の恩人を殺してしまわないか、あるいはその逆か……。どうにかそうならないような道を探していた。
不運にも、イリスにその動揺を見抜かれている。
「!」
イリスは既に戦いの気概。猛獣が獲物を睨むように、黒い男を中心に円を描くように歩み動く。正眼に構え、イリスから見て右肩下がりに斜に傾ける。一方の黒い男は、
「……」
まだ表情が曇っていた。
一応は身構えるが、浮き足立っている。左腕は使えないために折り畳んで腹のあたりに置いている。右手にナイフを握りしめ、イリスの動きをじっくりと見ていた。
イリスの長剣は全体として五尺五寸(約百六十五センチ)、刃が四尺五寸ほど。対する黒い男が持つナイフは全長が拳二つ分。間合いと攻撃範囲は歴然だった。
しかしイリスには油断や過信、
「ひゅ」
手首を狙った素早い縦振り。剣の軌道上、右手首へ。
「っ」
キン、と金属音。手首を外へ返すだけで、弾くように防ぐ。
その後も手首を狙う細かい振りを四、五、六と続けた。火花が散るほどの速さ。しかし、これらも同様に弾いてはいなし、受け止める。
「っ」
最後の強めの一振りをさらに強く弾き、さっと一歩引いた。息をつくことも許されない。黒い男は呼吸音を悟られないように小さく深呼吸をした。左こめかみから一粒滴る。
これだけでイリスは現状の七割を理解した。
「だいぶ動揺しているようだな」
「……」
さらに揺さぶる。
「お前がここにいてくれれば、その左腕など、簡単に斬り落とせる」
「! ……」
呼応するかのように主張する痛み。表情が優れないのは、怪我のこともあるようだった。
しかし、その割にイリスはとても慎重だ。
「もっと速くするぞ」
蹴り足とキレのある小振りを使ったフェイントを混ぜつつ、機を窺う。ぴくっぴくっ、と反応する黒い男。
「しゅ」
半身に構えながらの鋭い突き。イリスが
「!」
今度は黒い男がその突きを連射してきた。剣先で交わっていたのが、だんだんと中心へ寄っていく。黒い男がにじり寄り、強引に自分の間合いへ引きこもうとしていた。
ひゅっと風を切る突き。迫力のある鋭い攻撃で身を引いた、
「!」
のは、黒い男の方だった。
自分の喉仏に触れそうな切っ先。イリスは強い一撃を選び、相打ちを狙っていた。しかし、黒い男の方は全く届いていない。そして、突如迫る激しい剣撃。
「んぐっ」
右肩と二の腕に命中した。斬られて……はいないが、打撃のような衝撃を受ける。
「っ!」
眼前。またも突き。運良く届かなかったが、また体幹へ攻撃が移る。腕や身体に意識が向くと、ところかまわず急所を狙ってくる。黒い男は防戦一方を
「く!」
「……」
苦悶の黒い男に素知らぬ様子で猛攻するイリス。戦いというにはあまりに圧倒的だ。
「……」
案内した女はつまらなそうに眺めていた。
「?」
女の肩に手が触れる。
「も、モモ様」
巨剣を背負ったモモがやって来た。
「どう?」
にこりと微笑む。
「はい。もはや虐待に近いほどの形勢です」
「……」
ちらりと二人の方へ視線を移す。
飛ぶように後退する黒い男と執拗に迫るイリス。ふっと剣筋が黒い男の左肩へ、それをナイフで逸らそうとするも、消えた。一瞬後、右腕に貫く激痛。
「あっぐっ」
腕が折れそうになる打撲に、ついに、
「はぁ……はぁ……」
イリスの前に崩れ座る。震える左手で右腕を
「……」
しかし、
「ぶ」
顔面へ容赦無い蹴り。ピンボールのように、地面へ打ち付けられた。
「……」
「かつてのお姉様に戻りつつあるわ。相手が負けを認めるまで手を休めることはない。そのまま殺してしまうこともざら。でも、ここまで」
「……もう終わりか?」
「……」
「お姉様、虐待はもう終わりです。
「……まだだ」
「え?」
「意識が戻るまで待つ」
「! な、何をお考えにっ?」
「まだ何かある。私がこの弱者に惚れた理由がまだ見付からぬ」
「そ、それは……後でいくらでも……」
「分かっている。モモの言い分は真っ当だ。だが……すまないが付き合ってくれ」
「……分かりました。ミオスが死ななければいいのですが……」
「私の剣は丹念に刃引きを施しているから、そう簡単に死にはしないだろう。もっとも、打ち所が悪ければ即死は免れないがな」
数分後、
「ん、……んく……ぅ……」
意識を取り戻した。と、同時に、
「? いっでぇ……!」
頭から足の指先にまで突き抜ける電撃痛。何をもらったのか理解できず、ただもだえ苦しむ。無意識に身体が縮こまってしまう。
イリスは容赦しない。
「がっ」
左脇腹を思い切り蹴り上げる。一瞬、呼吸ができなくなった。
「がはっ……げほっ……!」
「……」
全くの無表情。まるで
咳き込みながら蠢くように這いずり逃げようとする黒い男。その背中を思い切り踏みつける。
「うっ……ぼ……」
「逃げるな」
ぐんと体重をかける。身体の中心に嫌な感触を覚えるが、一切気にも留めない。
ふっと、軽くなった。黒い男は力を振り絞って立ち上がる。
「天晴れだな」
「……ふぅ……ふぅ……」
イリスは賞賛した。
「わずかずつだが急所をずらし、威力を殺している。お前がそうやって立てるのも、その少しのおかげか」
「……」
黒い男は意識が朦朧としている。眼の焦点が完全に合っておらず、瞳が泳いでいた。立てたのは本能的に倒れるのを拒否しただけ。
「……ふぅ……はぁ……」
よたっ、一歩出す。
「……!」
イリスが半歩だけ退いた。
「? お姉様……?」
モモがすぐに異変を察知した。
「ふぅ……ふぅ……」
もう一歩。ふらふらと。
「……」
イリスは黒い男を改めて全身的に見た。指一本で押すだけでも倒れそうなくらい瀕死の状態。平衡感覚が鈍り、ぐらんぐらん揺れている。なのに、
「……くっ……」
何かが前進を妨げる。
「え?」
薄い汗。それも氷のように冷たく、顔全体に薄く滲み出す。そしてようやく気付いた。
「……」
眼が生きている。
「こいつ……」
ずり、その間合いの寄せ方が間の悪さを感じさせる。イリスはまたもじりっと後退するしかなかった。
「ミオスの闘志が全く萎えてない……」
「?」
すぅっとぼやけていた瞳が、
「……!」
戻った。
「……あれ……?」
ずきずきと頭が痛み、ろくに身体も動かせず、意識が完全になくなっていた。絶好の機会のはずなのに、目の前を見てみると、イリスが静観しているように見える。いや、前より表情が険しい。黒い男はすぐに察した。
「……」
ここしかない。
重い身体でリズムを取り始めた。左手は邪魔にならないように腹の位置に。右手にナイフを持って軽く伸ばし、ゆらめく。身体は右半身を軽く突き出すように斜に構え、つられるように右脚も半歩前に出している。きゅ、きゅ、と前後の足に滑らかに体重移動する。
「それは……」
一目したイリスは構えを解いた。
「それは誰に習った……?」
「? どうして?」
「似ているのだ」
「……誰に?」
「私が幼い頃の、若き日の女王陛下によく似ている」
「!」
口角が少し下がる。
「まるで相手を惑わすような動きに、目の配りと足の配置を巧みに利用し、空転させる。その大振りや隙、勇み足を突いて相手を倒していく……。異国の格闘術とナイフ術を組み合わせた異型の戦術なのだ」
「? ……?」
「つまり、女王陛下独自の戦術なのだよ。それをお前が使っているとすれば、記憶を失くす前に何らかの関わりがあったはずなのだ」
「……見間違いじゃない?」
「絶対に間違いはない。かつて私が憧れた戦術だからな……。私の場合、体格と性格が合わなかったために諦めざるをえなかった」
「……」
にやりと笑う。そして、どっしりと構えた。
「運命を感じる。そうでなければ一体誰の意図だろう。……私は、このために生まれてきたのだ」
「イリス……」
「ますますお前を見逃したくなくなった」
イリスが
先に仕掛けたのは黒い男だった。
「し」
まるで鞭のように
「!」
一瞬で懐に潜り込む。
速い! モモがそう思う頃には、
「ちいっ」
後ろに飛びながら引き面。そこへ、黒い物が顔面へ。唐突な攻撃に身体ごと回避しかないイリス。しかし迎え撃つような、
「っ?」
足払い。イリスは簡単に転んでしまった。リーチ差をものともしない早技。
応戦しようと尻もちの体勢で連撃を放つ。顔、胸、腕、腹、股間、素早い突きを何度も。しかし、黒い男の身体を逸れるように、ナイフが弾いてくる。
「どうして突きしか……?」
「お姉様の強力な攻めを見抜いている」
「え?」
「普通、いくら刃引きをしたとしても、あのような細く軽い剣では意識を失くすほどの打撃はない。お姉様の攻めは鍛え込んだ腰と下半身の捻りで威力を生むのだ。つまり、地面に着いたあの体勢では薙ぎや振りは力が入らない」
「!」
「それにミオスのナイフの方が回転が早く、素早く対応するには細かい突きと軽い振りしかない。ミオスはわざとお姉様の最大威力を受けて、こんな強引な戦いに引き込んだのね」
ひゅっ、と顔面へ切っ先が飛んでくる。それを、
「ッ!」
無理矢理下へ撃ち落とし、全力で踏んだ。
「く」
太くきらびやかな折れる音。それに構っている暇はなく、イリスは両手をバツに組むように、
「グッ!」
ミオスの蹴りを防御した。ごろごろ、と後ろに蹴り飛ばされ、その勢いで立ち上がった。とっとっ、と勢いが良すぎて何歩か歩いてしまう。
「……ふぅ……ふぅ……」
黒い男は大きく息をしていた。激しい攻防でだらだらと流れ落ちていく。にやり、と笑みを浮かべたのは、
「なるほど」
イリスだった。防いだ両腕がまだびりびり痺れている。そして真っ二つに折られた剣とその先。それらを十分に感じ、見た。
「お前は強い」
「お、お姉様……?」
「確かに経験や技術は若く、才能は平凡より少しだけ上か。それらを一生鍛え込んでも私やモモには到底敵わないだろう。だが、生き残ることへの執念、意志……勝利への無執心。人間として太い生命力は私を遥かに凌駕している。だからこそ、無数の傷を刻まれても生き延びてきた」
「はぁ……はぁ……」
「だが、ここは旅の最中の出来事ではない。どちらかが勝たねば終わらぬ決闘。不運にも、左肩の怪我と長期間の休養がお前の体力を著しく減らした」
「……ばれた……」
苦笑い。
「これからは血みどろの戦い、そして言葉でなく剣で語らう戦い。……覚悟しろ」
切っ先が急に伸びたかと錯覚する一閃。黒い男が軽々と首を傾げて避け、
「!」
避けた側に向かっていた拳を、
「っ」
右手で受け止めて鷲掴みにした。そのまま勢いを殺さず、受け流すように、
「!」
イリスを地面へ引っ張りだす。勢い良すぎたために、地面に手をついて体勢をとと、
「つ」
顔面への容赦無い蹴り。蹴り上げるような軌道だが、イリスの剣が間に挟まり、衝撃を殺す。それでも、すぐに間を詰める。
先ほどと同じ展開。黒い男が果敢に攻める。しかし、
「っ」
イリスは左手でナイフを握りしめた。
「え?」
じわじわと刃が手に食い込み、血が地面へ滴っていく。イリスの表情が……冷たい。
反射的にその左手に被せるような蹴り。
「!」
今度は黒い男がこかされてしまった。軸の左脚を狙われた。衝撃でナイフを離してしまい、イリスに遠く投げられてしまった。
急いで立とうとする黒い男だが、今度はイリスに逆のことをされてしまう。モモの言う頑強な足腰のおかげなのか、太刀筋が消える。黒い男はなぜかそれを皮一枚で避け、身体への振りや薙ぎは足で防ぎ、白刃取りし、イリスの脚を狙った。
「!」
刃物が飛んできた。何とか右手指で挟む。黒い男のナイフだった。とおもい、
「ぎゅあっ」
右腕に何かが刺さる。確かめる間すらなく、顔面を殴られた。
イリスが猛然と迫ってくる。黒い男が刺さった何かを抜き、放った。何事もなく“二回”払い落とすイリス。そのわずかな隙に、何とか立ち上がれた。
足元には掌サイズの小さなナイフと血まみれの折れた剣先が転がっている。
「……っ……」
ぐらりと足が揺れる。つぅっと鼻血が二筋垂れてきた。ぬるりと指で払う。右腕と鼻から出血するはずなのに、それ以上は流れてこなかった。黒い男の集中力が極度に高まっている瞬間だ。
「……」
黒い男のリズムが速くなる。激しいせめぎ合いを狙う。
イリスの渾身の振り下ろし。もはや振る腕すらも消える。しかし、
「!」
瞬時、軌道上にナイフが阻む。何度も食らったことでタイミングと起こりが盗まれている。
右肩から
「ぃっ……!」
右肩が外れそうになるくらいの衝撃と激痛。これも歯を食いしばって耐え、今度こそ脇で挟み込んだ。
「!」
イリスが手を離し、腰にすぐに手を伸ばす。携えていたナイフを手にし、
「はあああああっ!」
突っ込んできた。
私の全力を受け流したことは褒め称えよう。しかし、その右腕も左腕も、そして両脚も使い物にならん。ここまで来てしまえば仕方ない。このナイフでお前の左腕をもらう。たとえ
言葉のような何かがイリスの眼から聞こえてくる。真っ直ぐ黒い男を見るもナイフは目的の場所へ。勝負あった。見ていたモモや女、そして本人さえも思い込んでいる。
「……!」
不意にイリスは別のことに気を取られた。自分を見ている黒い男の瞳……。死ぬことを断固拒否し、生き延びようという強い眼。ふと出会った当初のことが脳裏を突き抜けて消える。その時とダブって見えていた。
「そうか。私は……」
どす。
「…………」
「……ふっぅっ……」
ぴと。
「……ミオス……私はお前を……」
ぴと、ぴと、地面に一滴一滴と垂れていく。やがて、たたっと流れ落ちていく。
黒い男はイリスに身体を預けた。
「……オレは……」
にやりとするイリス。
「……」
「……×××だ」
右腕でイリスの腰を引き寄せる黒い男。
「……よ、良い名だ……」
がくりと膝が崩れ落ち、黒い男が抱き留めた。腹のあたり、甲冑の隙間に黒いナイフが余りをもって突き刺さっていた。それを持つのは……黒い男の左手だった。イリスの刃はわずかに届いていない……。
「……ごほっ……ふ、不覚……」
黒い男は慎重にイリスを下ろし、横にした。
「すぐにブージャー先生を!」
「はい!」
モモが命じ、女が急いで走っていった。
すぐに駆けつけ、甲冑を外していく。ナイフの刺さった所が真っ赤になり、染みだして血溜まりが大きくなっていく。黒い男はモモに荷物を持って来させ、手持ちの物で出血を抑える。
「……べ、べつのナイフを持っていたとはな……それも左手で……」
「お姉様! ご無理をしてはっ!」
「よい……もう……ながくない……」
「正攻法で勝てるって思わなかった。だからイリスが突っ込んでくるのを待つしかなかったんだ。それがなかったら、立場が逆になってた。……紙一重だよ……」
「ふ……」
こほ、と口から血が……。
「わ、わたしが……しょっうがい初めて……はぁ……はぁ、ほれた男、さっさいごに……」
こくりと頷く黒い男。
咳き込み血を吐くイリスの上体を少し起こし、
「……っ」
「ん」
口を重ねた。
ゆっくりと離れる。つぅっと赤い糸が紡がれ、断たれる。
「……ありがとう……」
涙が溢れている。
「……おまえっにほれた、理由がわかったきが………………」
「お姉様? ……おねえさまっ、お姉様! おねええさまああああっ!」
「行っちゃうのかしら?」
「あぁ。どっちみち、オレがこの国に留まるのは許されないでしょ? イリスを……殺したんだし……」
「あの娘はあの程度じゃ死なないわ」
「?」
「あなたと同じように、死線を越えてきたんですもの」
「……そっか」
「残念ね。どうせなら記憶が戻らない方が良かったかも」
「いつか思い出すよ。それが早かっただけ」
「そう……」
「……それじゃ」
「待って」
「?」
「
「……義手?」
「肩の傷は全然回復してないから、これで敵の目を欺けって」
「うん。ありがとう」
「もう一つは女王陛下自ら贈るわ」
「これって……?」
「“
「どうしてこれを?」
「……イリスの愛した男だもの。母親として、ね」
「……大事にするよ」
「最後に一つ、いいかしら?」
「なに?」
「もし、記憶が戻らなかったら、この国に住んでいたと思う?」
「…………」
「答えづらい?」
「……お世話になったお礼代わり……とまではいかないけど。……多分変わらなかったと思う。小さい頃から旅人になりたいって思ってたし」
「それはどうして?」
「……憧れの人がいたからかな」
「一体誰なのかしら?」
「質問は一つだけでしょ? もう二個も答えちゃったよ」
「おまけじゃダメ?」
「……命の恩人にそう言われるとなぁ。ずるいよ。憧れの人ってのは……」
深夜。前日のように、月明かりが照っている。かすかに見える森の中を歩いていた。寒くなっているため、息を吐くと白い霧が出る。
黒い旅人はある所へ向かっていた。
「……ここらへんかな」
見覚えのある所に着いた。そこはかつて迷い込んだ小さな集落。木々に囲まれた集落に月明かりが仄かに差し込む。今にも何かが舞い降りてきそうな雰囲気がする。
「……きれい……」
その月明かりに引き込まれるように、中へ入った。
よく見ると血の跡が残っている。
そしてあの一軒家へ入り、
「……」
眺めた。居間はそこまで変わっていない。ベッドに穴が二つ空いているだけ。
近くの椅子に座り、荷物を置いた。着ているジャケットの中から、
「これは……」
黒いナイフを取り出す。柄が黒い骨組みで作られ、その隙間には薄い膜のようなものが貼られている。中には刃が入っており、柄の先端にある突起を押すことで、刃を突出させることができる。柄は拳三つ分ほどの長さ。仕込み式ナイフだ。
それを触ったり眺めたり、ちょっと舐めたりする。
「……思い出せない」
次に自分の荷物を確認し始めた。
「食料に着替え……なんだろう、このアタッシュケース……。暗証番号が分からないや。……薬? 軟膏っぽいけど……」
記憶全てが戻っているわけではなさそうだった。所々、記憶に無い素振りを見せている。記憶のつかみすら取れないほど、意味不明なものばかりだった。
「……おっきいな、これ……」
黒のふわふわしたセーターだった。試しに着てみると、
「あったかいなあ……」
着心地は抜群に良かった。まるで羽毛に包まれたかのような触り心地。しかし、そのわりには採寸が合っていなかった。袖は掌半分まで覆うし、裾も太もも半分まで伸びている。とても自分にあったものとは思えなかった。
「ここに入ってたんだよな。これが」
昔を思い出すように、仕込み式ナイフをセーターの右内ポケットに入れた。
ふと、ベッドの方に目がいった。
「……“ふぅ”……?」
徐ろに、荷物から探し始めた。
「……ない」
ぽんぽん、と身体を触ると、妙に硬い感触がした。取り出してみると、紐が通された謎の物体。四角くて開閉ができた。それはまるで蝶番のようで、かちかちと音がなる。開けば、黒い面とぴっしり詰まった何個ものボタン。押しても特に何も起こらなかった。
裏面を見てみると、横一線の溝がある。そこを滑らせるように動かすと、ぱかりと取れた。穴が空いている。
「ここに何かはまるんだ……」
ガサゴソとまた探すと、それらしきものがあった。形も一回りくらい小さいだけでぴったりだ。
「……」
意を決してかこん、とはめ込んだ。
「オートリカバリーモード、シドウシマス」
「!」
わっ、とびっくりして投げ捨ててしまった。
それもそのはず、その首飾りから“声”がしたのだ。それもそれも、妙齢の女の声で、艶やかできりりとした口調だ。
「……カンリョウシマシタ。……酷いですね! 急になげるなん……って、え? えぇっ?」
“声”も困惑していた。
「い、生きていたのですねっ? 怪我はっ? 容態はっ? 熱とか吐き気とかありませんかっ? というより、今までどこでなにをどうやってどんなふうに、ってここはあの家ではないですかっ!」
「……はわ……はわわわわ……」
ぱくぱくと金魚が水を含むように驚く。
「まさか、ショックでただでさえ少ない脳味噌が空っぽになったわけではないでしょうね、“ダメ男”?」
「……!」
猛烈な勢いで走馬灯が駆け巡る。映像を百倍速で逆再生するように、またある時からそれが順再生で起こるように、と繰り返す。そして、自分のしにぎ、
「……はぁ……はぁ……」
……は、左肩に電撃痛が走り抜けていく。脳が拒否をするように、心臓が臨戦態勢を整えるために、心拍が急激に進む。寒さとは別に、何かに震え出す。
「大丈夫、ではないですよね。とにかく、ダメ男が生きていたことだけを嬉しく思います」
「…………ありがとう、“フー”」
“ダメ男”は急に汗が湧き出る。はは、と苦笑いしていた。
「いいえ。いつものことです。とりあえず疑問はまた後ほど聞きます。今は安静にすることを推奨します」
「そうだな。肩の傷もまだ癒えないし」
「察するに、どこかの国で治療してもらって抜け出してきた、というところでしょうか」
「なんで分かるの?」
「一体どのくらい一緒に旅をしてきたと思っているのですか? 消えそうな脳細胞を総動員して計算してください」
「……」
「? どうしましたか?」
“声”の“フー”がどこかにある眼でダメ男を見つめる。
ダメ男は綻んでいた。
「何でもない」
「蔑まれて喜ぶなど、さすが変態思考の男です。見ない間に不貞行為をしていないか心配です」
「そ、そんなことしてませんよ、えぇっ!」
「うわ、もうこの世から消えてください。細胞一つ残らず死滅してください。そしてダメ男の成分が含まれた物質ごと宇宙に飛ばされて気体となっ、」
「ながいながいっ」
長くなりそうなので、強引に割愛された。
「さて、これからどうしますか?」
「ちょっと寄りたい所があるんだけど、いいかな?」
「こちらの許可を取るまでもありません。ですが、どこですか?」
「そこまで遠くないよ。もうちょっと時間をおいてから行きたいから、それからにしよう」
「からからうるさいですね」
「ひどい」
「知っています」
ダメ男はポケットから取り出した。
「勿忘草ですか? それも小さい花冠で素敵ですね」
掌に乗るくらいの大きさで、丁寧に茎を編みこんでいた。青い花が間隔を空けて並んでいる。
「今のダメ男にはぴったりのお花ですね」
「! どうして?」
思いがけず、フーを見た。
「勿忘草の花言葉は“私を忘れないで”です。渡した人がその意図があるか分かりませんが、とても綺麗な花ですよね。誰からもらったのですか?」
「……忘れた」
「さすが鳥頭ですね」
左肩をさすさすする。
「……できれば、別の形で会いたかったな……どれもこれも……」
「え? それってどうい、……」
フーは言いかけて、別の言葉を探した。
「……ダメ男、泣かないでください」
ダメ男はそれ以降何も話さず、ずっと花冠を眺めていた。フーもそれ以上は何も話し掛けなかった。溢れた涙が頬から落ちても。