「そうなんだけどさ……」
汗かきながら、岩石砂漠の中で愚痴を零す男に呆れる“声”。とある洞穴に隠れながら、双眼鏡で覗いた先には……。秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)な“声”と天真爛漫な男が世界を旅する短編物語。八話+おまけ収録(仮)。原作:時雨沢恵一様・著作『キノの旅 ―the Beautiful World―』
はじめ:ふりかえってみる
緩やかな勾配のついた平原に大きい岩石が転がっていた。人間ほどのサイズで、押してもビクともしないくらい重い。地平線近くで勾配は消え、背の低い草原が広がっている。
空にはその岩石ほどのサイズの満月が浮かんでいた。太陽の光を陰から受けて、地上へと送り込む。しかし温かみは全くない。それ以上に地上が冷えていた。
とある岩石の陰に四人いた。三人は甲冑を着ており、背中に胴ほどの長さの両刃剣がある。女騎士たちのようで、臨戦態勢の気構えで休んでいた。
残りの一人は私服でいた。黒のレギンスに丈の長い長袖シャツを着ている。月光を受けて、金色の長い髪がゆらめく。
私服の一人が陰から出てきて、月を仰ぐ。
「ん~ふあぁ」
「お休みになられないのですか?」
「ん?」
背後から女の声がした。先ほどの三人のいずれかだ。
「私は疲れてはいない。お前たちが休め」
「で、ですが、さすがにあの後ではお疲れかと」
「たったの三十二人斬り殺したにすぎん。まぁ、この私の首を狙う者が“まだ”いたことに笑ってしまうがな」
「……申し訳ありません。護衛を任されていたのに……」
「気にするな。そもそも女王陛下は護衛なんて思っていないよ」
「え?」
女騎士の頭を撫でた。
「お前たちはまだ新人だ。私の戦いぶりを見せておきたいがために、わざわざ同行させていたのだよ」
「そ、そうだたったんですか……」
「本当は“あっち”の方が良かったのだが、遠い所で戦争している今、新人を行かせるわけにはいかない」
「……あの、その、どうして私たちをスカウトしたのです?」
「何の事はない。ただ誘っただけ。仕事を紹介するようなものだよ。その基準として一定のつよ、……!」
イリスが思わず月よりやや東側を見る。ふわっと微風が透き通っていく。
「……“ナノハ”!」
はい、ともう一人の女騎士が呼ばれて来た。見た格好は全く同じなので、どちらがどちらか一目分からない。
「どうされましたか、“イリス”様?」
“イリス”と呼ばれた女は元居た女騎士から両刃剣を借りる。
「新人二人を連れて、ここから離れよ」
「追っ手ですか?」
「そうではないみたいだが、凄まじい殺気を感じる。お前たちでは敵わぬだろう」
「分かりました。何かあれば追撃の命をください」
「……行け」
お互いにこくりと頷き、ナノハは二人を連れて離れていった。
「……」
少しすると、黒い影がぬるりと現れる。イリスがその陰を見下ろしている。
「!」
それには見覚えがあった。
「み、ミオスか……?」
夜闇に溶け込むような黒いセーターを身に纏っていた。しかし、イリスは呟く。
「……いや、違う。奴よりも背が低いし歩き方も違う」
「……」
黒い人間は何も言わずにイリスの前に立ちはだかった。フードを深く被っており、顔が知れない。
「何者だ? 名乗れ」
「……」
何も言わずに左手をイリスにかざし、震える右腕でだぼだぼの袖を捲った。
「!」
手には黒いナイフが握られていた。柵状に拵えた柄に透明な膜が貼り合わさっている。そこから拳三つ分ほどの長さの刃が出ていた。仕込み式のナイフだ。
「なぜそれを持っているっ!」
敵と判断したイリスは背にある両刃剣を抜きながら振り下ろした。
平原を漂う草と一緒に、空を切る。
皮一枚の際どさで身を躱されている。
この所作で力量を全て悟り、イリスはすぐに距離を取った。
「私を殺せる程に力があるのに、なぜ今の一瞬で殺さぬ?」
色の違う瞳がぎらりと睨む。
「……ぉ……」
「?」
ふらっと崩れ、
「だ、……めお……」
「……っ?」
黒い人間が倒れてしまった。
「な、に?」
すぐに駆けつけ、フードを取る。
「女の子?」
ふわふわとした茶髪に柔らかい顔付きをした女の子だった。しかし顔は擦り傷だらけで、セーターを脱がすと、
「!」
腕や首筋が異様に細かった。しかもぼそぼそと
「……話を聞く必要があるな……」
すっと女の子を抱きかかえる。軽すぎる、と焦燥感にも似た悲痛な呟き。
「イリス様」
後ろから新人の女騎士がやって来た。
「なぜ勝手に来た?」
「戦いの音が聞こえなかったので、何かあったのかと心配になりまして……」
「次からは迂闊に近寄ってくるなよ? それより、人命救助だ。この娘の荷物を持ってくれ」
「はいっ」
投げ出されたショルダーバッグと、大容量の登山用リュックを背負った。
「……うっ……」
女の子が起き上がる。そこはどこかの宿の一室だった。
「はわっ!」
どてん、と誰かがひっくり返った。
「いたたた……」
急に起き上がったので、驚いて椅子ごと倒れたようだ。
「ごめんなさい。だいじょうぶ?」
「ええ、なんとか。びっくりさせないでよ」
「ごめんなさい」
ちくりと痛みを覚え、女の子は自分の腕を見た。点滴中で、器具がベッド脇に置かれていた。
椅子に座っていた女は女騎士の一人だ。黒のショートヘアだが、前髪を左右に流した、いわゆるデコ出しヘアをしていた。
「ここは……」
「近くにあった国の宿だよ。あなたは私たちが帰る途中にやって来て、行き倒れしかけたの。何とかここまで運んでこれたけど……むしろあなたこそ大丈夫? 身体中傷だらけだったし、餓死寸前だったし、右肩は撃たれた痕があったし」
「……! そうだ、のんびりしてられない! はやく、いっだたた……!」
女の子が立ち上がろうとも、ズキズキと右肩が痛み出す。神経に突き刺さるような痛みだ。
女騎士が女の子のおデコに指を突き出して、
「何があったのか分からないけど、とりあえず今は休んだ方がいいで、しょ」
押し倒した。いたっ、と反射的に声が出る。
「でも大丈夫そうで良かった。あなた、名前は?」
「わ、……ぼくは“ハイル”。助けてくれてありがとう」
「ああ、いいのいいの。お礼はイリス様にしてあげて。あなたを助けたのはイリス様だし」
「“いりす”様?」
きい、と木の軋む音と共にドアが開く。イリスだ。
女騎士は締まった表情で、報告する。
「イリス様、旅人がたったいま目を覚ましました。名をハイルと言うそうです。記憶喪失はありません」
「それは幸いだ。ご苦労」
「は、ありがとうございます」
すっとイリスにその場を預ける。なぜかクスリと笑っていた。
「私がイリスだ。そちらの娘は“ナノハ”。お前に付きっきり看病をしていたのだ。感謝するんだな」
「よろしくね」
「あ、ありがとう」
うん、とにこやかに握手を交わした。
「くれぐれも無理をするなよ。生半可に動いたせいで傷が開いてしまっていたぞ。無理をすればそこから先が使い物にならなくなる」
「……」
痛みに悶えているのか悩んで悶えているのか。
「それに持っていた荷物はどうした?」
「……それはその……」
「セーターやナイフ、リュック、あれは私の知る旅人が持っていた物だ。場合によってはハイルを拘そく、」
「“ダメ男”を知ってるのっ?」
身を乗り出して、いたたたと戻った。
「“ダメ男”?」
「あ、えっと……本当の名前は言っちゃだめなんだけど、耳貸してっ」
「ん」
ごにょごにょ、と何かを伝えると、イリスが見開く。
「やはり“ミオス”の物か」
「“ミオス”って名乗ってたの?」
「いや、訳あって記憶喪失していてな。我々が仮に名付けた名前だ」
「そっか。……」
難しい表情を見せる。
「話せ。あの旅人のこととなると、私もまるっきり無関係ではない。その後も気になるしな」
「うん、分かったよ。ダメ男とはここからもっと離れた国で偶然出会って……」
過去は刻む。背中に残るあなたの歴史を……。