数週間、孤児院も営んでいる教会に預けられた角沢
それは、今までに感じたことのない感覚であった。といっても、アダン自身も嘗て研究所内に収容されていた『姉』達から発せられる気配の殆どはマイナス面の感情に偏っていたため判断材料が少なく、アダンは未知の感覚に嫌悪感よりも好奇心の方が勝っていた。国立生態科学研究所に収容されていた姉達はその多くが絶望や無力感に心を殺して拷問に等しい日々をやり過ごすことが殆どで、たまに憎悪や怨嗟の感情を剥き出し、脱走を企てて怒りを撒き散らしながら高揚感に浸りながら殺処分される瞬間を所謂、刹那の時を感じたことがあったがしかし、ドナート神父の感情はそのどれとも異なる初めての感覚であった。
激しくいて、静寂に保つためにそれを無理やり押し込めたような矛盾を感じる。今まで感じた気配の中で一番近いモノだと、特定の研究員に対して殺意を持っているのにも関わらず殺すに殺せない、であるなら相手の油断を誘い最高の機会を以て挑もうとする様な……。だが、ドナート神父から伝わる気配には殺意のようなおどろおろしい物は感じられず、強いて言うなら求めている対象に対して触れたくても触れられないような自制や自縛のようなモノが一番近いのだろうか?
そんなディクロニウスと同じ気配を発するドナーと神父に興味を抱きながらアダンは、自分が脱走した時に大暴れした「
これはディクロニウスが現人類とは例外こそあれ、大凡互いに相容れない共生が不可能な関係にあることが原因だ。その一つは現人類とは異なる生殖方法でその個体数を異常な速度で増やすためだ。
ディクロニウスはベクターを媒体として自分の遺伝子情報を持つレトロウィルスを現人類に感染させてその個体が生む子供をディクロニウスにしてしまう。生まれてきたディクロニウスはオリジナルとは異なり、通常の生殖機能を持たずベクターウィルスによる接触感染の生殖にのみに限り個体を増やすことが出来るとされている。その欠陥性とも言える特異性からオリジナルと区別するために精霊と人の子という意味を表すジルペリットと呼称されていた。
だが、彼らを恐るべきはその繁殖力だけでなく本能に刻まれた現人類に対する殺人衝動だ。
個体差が大きいものの自我を持ったジルペリットの多くは本能に従い、些細な感情の昂ぶりで周りの人間をベクターを用いてその強力な腕力と切断能力で頭や手足を捥ぎ取り、切り落とし、親ですら躊躇なく殺害する……謂わば現人類を減らすために存在する殺人鬼と言っても過言ではない程の危険性を孕んでいたからだ。
ちなみに、ルーシーと同じオリジナルのディクロニウスであるアダンも、現人類を滅ぼせと囁くDNAの声は聞こえないが殺人に対する禁忌は感じない。
原作では、そのウィルス感染は「自分たちが迫害されたディクロニウスの子孫である」と自称するアダンの父である角沢一族が世界各地で培養したウィルスをばら撒いたことで全世界人口の二割が感染者となり大量のジルペリットが妊婦の胎内で成長していた。
しかし、その問題は角沢一族のバイオテロを逆に利用して偉人に匹敵し得る名声を手に入れようとワクチンの開発を行っていた研究者と角沢一族によるテロの存在に気付いた日本政府が秘密裏に手を組んだことで、先述した出産禁止特例法を実施し、ワクチンを全世界に配ることで解決される事となる―――
―――そんな大事件が起こる筈なのだが、それに類似する記事がここ半年近くの新聞を教会近くの図書館で探しても出てこない。
禁止特例法はともかく
同じ人間の進化を手繰る種族であれ、そのポテンシャルには絶対的な壁が存在する。既に
その日々が呆気なくその孤児院を営む神父によって壊されるとも知らずに。
二カ月後、アダンはいつまで経っても行われないWHOの出産禁止特例法に疑問を抱きながら、気分転換としてドナート神父から発せられる気配について観察を続けていると、ある一定の法則性があることに気が付いた。彼が孤児院の子供たちのために食事を作っている時と、誰かと食事をしている時、そして里親や養親に引き取られた子供が施設を出た日に、その気配は急激に鳴りを潜めていたのだ。
これら三つの内、二つは食に関することであるため何らかの関連性があるのだろうが、最後のとは何か関係があるとは考え難い。しかも、それとは別にドナート神父が外出してくると言って夜遅くになっても帰って来ずに次の日の昼過ぎに帰っていた時も、その気配は弱弱しいものとなっていた。
これらの共通点を見つけられないアダンは早々に気配の感情特定を諦め、「
適当に神奈川の建造物の倒壊事件に調べる日々が過ぎ、遂に施設の子供たちがアダンと年長の子を残して全員施設を出たその日に限り、気配がより一層強くなったドナート神父に疑問を抱きながら、教会の礼拝堂に一人で来るように言付けを頼まれた年長の子――
「よく来たな空暖。さあ、扉を閉めなさい」
祭壇の後ろから、ドナート神父の声だけが明りの付いていない礼拝堂によく響かせてアダンを招き入れる。ステンドグラスから漏れる光だけが礼拝堂を照らしているため薄暗く、奥にいる神父の姿が見えないアダンは、祭壇へ近づくために奥へと進み……。そして中程まで――丁度扉と祭壇の中間地点で立ち止まった。
薄暗い室内の中でアダンは、薄らと漂うその
「どうした、早く来なさい。お前に見せたいモノがあるんだ」
祭壇の後ろにいるドナート神父が再びアダンを呼び寄せる。しかし、アダンはその場から動けずに冷や汗が止まらくなり腰を抜かしたまま手足を使い床を這いながら後退する。石造りの床が冷たく冷や汗で滑り、思うように進めない現状に余計焦り始める。声にならない泣き声が、歯の隙間を通り抜けて過呼吸に陥ったかのように空気が抜けたような音を出しながら涙を流していた。
「ああ、分かってしまったか。普通の人間だとは思っていなかったが存外、
祭壇の影にいたドナート神父は、アダンの予想通りに子供の死体を抱えながら烏骨鶏などの解体用の鉈包丁を構え立ち上がった。
アダンは研究所にいた頃、ベクターの強度を図るために射出される鉄球を限界値を大きく下回る運動量の値で敢えて受けることで自分の脅威度を研究所の局員に覚られないようにワザと鉄球を顔面で受けていた。その時顔面を標的にされていた際に受け止めた顔から流れる血の匂いは彼のトラウマの引き金になるのに十分なものとなったのだ。
しかし、アダンは本来この位のことで臆する程肝は小さくない。辛い記憶を思い出すのは確かに古傷に応えるが精々軽い立ち眩みか、憎悪からの怒りに高揚するぐらいのことだ。恐怖に駆られて見っとも無く這いずり逃げるなどあり得ない。
普通の人間なんて恐れるに足りない。不可視の腕を持つアダンの射程に入った者に勝機はない、無い筈なのだ。
ただ死体を持っているだけの男にアダンは恐れをなしたりなどしない、そんなもの見慣れている。しかし、その死体の指を噛み千切りながら近づいてくる、体験したことのない異常な状況といった耐性の無い未知故の恐怖がアダンの恐怖心を煽る。
みっともなく涙を流しながら、ゆっくり近づいてきた神父の歩調より二、三歩分早く扉にたどり着いたアダン。しかし、恐慌状態に陥った彼は内開きであるはずの扉を外へと向かって押し続け、躍起になって叩き叫ぶ。
「
「ああ、良い
ブチン、と歯で潰した
彼の睨んだ通り、アダンの味は今まで喰らってきた者たちとは、見た目通りの種を越えた珍味であったのだ。年齢、性別、体の肉付き、人種、それらの区別による差など誤差の範囲だ。明らかな味の発見、まさに未知の味覚にドナート神父は酔い痴れていた。
足を切り付けられながらも外へ出ようと腹這いになりながら再び扉へと手を伸ばすアダンにドナートは覆い被さるように彼の矮躯を跨ぎ、肩に手を置き逃がさないように押さえる。
「少々順番が狂ったが前菜と味見は十分に堪能した」
叫ぶこともできないアダンが振り返ると、神父の目元に血管が葉脈のように走り、眼球は黒く染まりその中央に収まる瞳はアダンの赤目と同じ色に染め上げられていた。
「さあ、
そして、待ちきれないと大きく振りかぶられた鉈包丁がアダンの頭蓋を割ろうと空気を裂きながら真っ直ぐに落とされ…………
ずに、アダンの左顔の教会の扉に突き刺さった。
「おや?」
その鉈の取っ手にはドナート神父の右手が握られており、自分の手を見た彼は自身の右手が手首より先より切断されていることに気付く。見える者には、アダンの背中から透明な先端が手の形をした触手のような
「ぁ………わぁぁあああああ゛!!!!」
一瞬、自分の命の危機が去ったことを理解し、緊張の糸が切れたアダンが大きく息を吸った叫び声を皮切りに、ドナート神父の横顔に大きな拳のような凹みが現れ神父はまるで透明巨人に殴られたかのように顔から祭壇の奥へと殴り飛ばされた。
首が二、三度捻られるように回りながら最後は石畳の上に崩れ落ちて動かなくなった神父のことなど目もくれずにアダンは、自分の発現させることのできる全ベクターを力任せに扉へ殴りかかった。効率も何もない当てずっぽうな透明の拳は逆に力を分散させてしまい本来二、三発で壊れる筈のところを十発近く繰り出して漸く蝶番の破壊へと至った。外へ出ようと右足、左足と二歩目歩いた途端、アダンはの足は糸の切れた人形のように崩れてしまった。
顔を足の方へ向けて見ると、ドナート神父に切られた右足首から血が溢れ出てその傷口から白い筋と骨が覗いていた。
自分の痛覚が鈍っていたために気付くのに遅れたと、アダンは複数伸ばしたベクターの内の一本を使って傷口を押えながら応急処置の止血を施し、一刻も早くこの教会から逃げ出そうと残りのベクターを伸ばして、さながら幽霊のように体を浮かせて、足の長い蜘蛛のように歩きだし、外に出ると人目を避けるために一気に教会の屋根へとベクターを伸ばして最後はその腕力から生まれる跳躍を活かして敷地の裏に広がる藪の中へと姿を消したのだった。
養父であるドナート神父に言付けを頼まれて伝えた後自分の部屋に籠って今まで施設を出た兄弟たちの写真を整理して時間を潰していた亜門鋼太郎は、夕食間際になっても戻って来ない二人を心配し始め、来るなと言われていた言いつけを守れずに礼拝堂へ行くことを決心する。
外へ出た鋼太郎は礼拝堂の半開きな扉を見て妙な違和感を覚え始めた。そして近くまで見てその違和感の正体がわかった。この扉は内開きになっており外へと出る作りになっていない筈なのに今この扉は外へと開いているのだ。
何かがあった。それだけが鋼太郎に分かったことの全てであった。ここで大人しく礼拝堂の中へと張らずに外で父と弟の二人が出てくるのを待っていれば彼は、神父の秘密を知らずに済み、そして何も知らずにいつか喰い殺されていただろう。
しかし、扉の向こうにある礼拝堂から聞こえてくる肉を捏ねるような水音と時折聞こえてくる切断音に鋼太郎は意を決して壊れかけた扉をくぐり、礼拝堂奥の祭壇に無造作に置かれている子供の死体と鉈を持って口元を血に染めている父の姿を見た。
獲物を喰らい損ねて逆にアダンの常人であれば顔が吹き飛んで挽肉に成る筈であった程のベクターの
薄暗い礼拝堂内を見渡し、アダンが逃げたことを確認して自分の右手が転がっている扉の辺りに立ち竦み右手の再生を待っていると、途轍もない空腹感が彼を襲った。
神父は堪らず、床に放置した子供の死体を切り分けもせずに喰らい尽くした後も扉に刺さったままの鉈を握り祭壇下に残していた子供の死体を拾い上げて丹田の中央へと振り降ろし血に溢れる死肉を貪り始めた。
扉が開く物音に振り返ると、外の光を背景に自分の養子である鋼太郎が信じられないものを見る目で驚愕していた。
「入って来るなと言いつけた筈だが、鋼太郎?」
「父……さん、どうしてカズキがそこにいるの?」
その異常な光景の中でもいつも通りの口調でいる養父。だからこそその養父こそ異常であることに鋼太郎は質問を止められない。違うと言って欲しい、何か理由があってそうなったのだと嘘でも言い訳をして欲しかった。
「アキエもユウスケもトモオも……皆、里親のが見つかって施設を出たって……」
そう語る目と口調に、ドナート神父は口元から垂れる血を拭うこともせずに、鋼太郎の傍まで寄り添うと鋼太郎の肩に手を置いて血に染まった口を歪めながら、耳元でささやくようにだがはっきりと―――
「やれやれ、家族ごっこもこれで終わりだな」
希望に縋り、目の前の光景と向き合わない鋼太郎を残酷な現実へと叩き落とした。
「…………ア、ダンは……空暖はどこに行ったの?」
「さぁてな」
右手首を左手で撫でながら自嘲気味に笑うその姿に鋼太郎は、ドナート神父が死体となっている子たちと同じようにアダンを腹に納めてしまったものであると見間違い膝から崩れ、血臭が漂う石床に拳を叩き付けながら静かに泣き続けた。
鋼太郎の頭は色々な感情と理性がごちゃ混ぜになっていた。
自分が今まで見送っていた弟妹たちとの別れが今生の別れになっていたこと。
さっきまで、自分と言葉を交わしていた末弟を死地へと追いやった自分に後悔し。
鋼太郎は信じたくなかった。良き養父と慕っていた男が人食いの
彼は、どうして自分だけが生き残ってしまったのか自責の念に押し潰されていた。
喰種レートSS 『神父』は、その後喰種対策局に捕えられ
彼は子供が大好きだ。その容姿もさることながら、彼にとって多くの人間の子供は彼の食欲を満たす捕食対象でしかない。ついこの間手に入った変わった色合いの子供に彼は魅入られた。日本に移り移り住むようになってから食さなくなった白人の如き白さを持った肌も、鮮血に似た鮮やかな赤い瞳は、彼の種族を彷彿させる瞳を模した色合いをしており、同じ色の髪に覗く突起のような白い角がいいアクセントとなっている。
人の子以外の生物に『美味』と感じられたあの味は衝撃的な発見であり、その肉を実食しようとした時に起こった不可解な現象に首を捻りながら、その謎を解けない現状に歯に肉の筋を挟んだような感覚を感じながら
本当に、喰い損ねたことを彼は心から後悔した。