「もし仮に、最善の選択肢というものがあったとして。全ての選択肢を正しく選べたとすれば、その人生は最大の幸福であると思うかな?」
「思わないですね。じゃんけんで勝ち続けることが幸福とイコールでないように。選挙に勝ち続けた大統領が暗殺されてしまうように」
「大統領の例で言えば、仮に暗殺から逃れ続けることができるとしたら?」
「命を狙われ続ける人生が幸福だと思いますか?」
「あはは。その通りだね。同意見だよ」
「まぁでも、僕の言えることじゃないですけどね。選択肢を間違えた、いえ。選択できなかったがために、僕はこの街でツケを支払っているんですから」
「そうなのかい?こんな街に来るってことは、キミも訳ありなんだろうね。でも、安心するといいよ。最善の選択は最大の幸福ではないかもしれないけれど、最善の選択は最大の幸福へと収斂するはずだと、やはり僕は信じている。この街に来た選択もね、レオナルド・ウォッチくん」
「そうなればいいですね、ジェスト・アーバンクルスさん」
かつて『紐育(ニューヨーク)』と呼ばれた街は、たった一晩で消失した――
一夜にして構築された霧烟る都市『ヘルサレムズ・ロット』
空想上の産物と描かれていた異世界を現実に繋げている街。人では起こしえない奇跡を実現するこの地は、今後千年の覇権を握る場所とも例えられ、様々な思惑を持つ者たちが跳梁跋扈する。
人界と異界の境界面。異常と喧騒のど真ん中。そんな雑多な多種多様の入り混じる大通りに、その店はあった。親子で経営しているジャンクフードショップ。値段の割に味も良く、それなりに清潔で、店員の娘もそれなりに良し。人類(ヒューマー)であるジェストの常連の店であった。カウンターで隣の席に座るレオナルドにとっても。
「さぁて、レオナルドくん。本日のごはんの時間だよ」
「わーい。ありがとうございまーす」
上下を純白のジャージを纏った金髪の青年、ジェストはオーバーな笑顔を張り付けて、隣に首を向けた。子供に言い聞かせるように、ゆっくりと発音してみせる。同じくわざとらしい棒読みで、レオナルドは両手を上げて感謝の意を表した。
「うんうん。仕事にありつけない貧乏記者クン。本来ならばキミは3食、飲み放題のコーヒーだけで生活を送るはずだったんだ。よーく味わって食べるんだよ?」
「はーい」
隣の青年は満足そうに頷き、コーヒーをすする。彼の前に、皿に乗ったハンバーガーが差し出された。
「まったく、相変わらずの茶番だね。飽きない?この2週間、毎日同じセリフ繰り返してて」
そんな2人の様子に、エプロン姿の金髪の少女、看板娘のビビアンは呆れ顔だ。
「ささやかな楽しみだよ」
「ふぅん……ってかさ、毎日ランチ奢ってやってるみたいだけど、どんな関係?」
同性愛的な?とからかうように尋ねられ、ジェストの顔が嫌そうに歪んだ。隣の男は一心不乱に飯を食っていて、まるで気にした様子はない。異様な異界の異形が蠢く街であるが、人口の6割は人類(ヒューマー)なので、男同士のカップルを見かけることもある。
「こんな細目の貧乏人に欲情しないさ。というか男に欲情なんてするか」
「だよねぇ。じゃ、どんな馴れ初めなの?」
「馴れ初めという単語を使うな」
やれやれと、彼は左右に首を振った。ずいぶんな食いつきだ。ホモの嫌いな女子はいないと、かつて訪れた日本で聞いたが、どうやら事実のようだ。看板娘の意外な趣味に泣きたくなる。
「別に大したことじゃないさ。HLの外から来て右も左も分からない自称記者さんに、飯を恵んであげただけだよ。ズルズルと関係が続いて、毎日ランチ代を出すハメになっちゃったけどね」
「へえ、優しいじゃん。意外にボランティア精神に溢れてるんだね」
「でも僕も、正直気になってたんですよねー」
他人の払いだからと大盛りで頼んだパスタセットを完食し、レオナルドは口を開いた。
「何がだい、親友?」
「いやぁ、何で僕にご飯奢ってくれるのかなって。僕の予想としては、餌付けして信用させてから、人身売買組織に突き出されるというのが一番の予想なんですけど。合ってます?」
「マジか……。感謝した顔して、そんなこと思われてたなんて、心底から驚いたよ。というか、よくも2週間、そんな極悪人とランチに付き合ってたね」
昼食代を出させられたあげくの散々な言われ様に、彼の表情が引き攣った。
「まぁ、冗談ですけどね」
「今更撤回されても、君のことをもう純朴な青年とは思えそうにないよ」
肩を落とす青年に、レオナルドは慰めるように背中をさする。ひどいマッチポンプである。客足が途絶えたタイミングだったせいで、レベッカも嬉々として会話に参加してくる。
「でも、本当のところはどうなのよ。ボランティア?それとも好みのタイプだった?」
「その発想から離れてくれ。……レオナルド、以前、君に伝えた通りの理由だよ」
そう言われたレオナルドは、顎に手を当てて記憶を思い出す。ポンと手を叩いた。
「ええと、たしか……ああ、そうだ。この街ですぐ殺されそうな弱者だから、でしたっけ」
「そうだよ。すぐ殺されそうだったからさ。キミの破滅を特等席で見たいと思ってね」
「正真正銘のクズ野郎じゃないの!」
カウンターの内から身を乗り出して、レベッカが突っ込みを入れた。あまりにも自然なやり取りだったので、一瞬だけ自分の方が間違ったかと彼女が思ったほどだった。
「アンタ、よく人のこと言えたね」
「本当ですよね。ジェストさんって、そういうところあって……」
「いや、キミもよくそんな普通の対応できるね。この街の住人らしいっちゃらしいけど」
レベッカは額に手を当てて、小さく溜息を吐いた。
「そういや、レオ。あんた、記者志望なんだって?何か面白いものは取材できた?」
レオの首に掛けられている紐の先、カメラを指さした。
「あはは。そりゃもう、と言いたいところなんですけどね」
「表に出てファインダーを覗いてみな。360度どこを撮ってもダース単位で異常が見つかるはずさ」
「いやあ、僕の調べたいものはなかなか……」
手に持ったカメラを、彼はひらひらと振って見せる。
「何を調べてんのさ」
彼女の言葉に、レオは一瞬だけ逡巡したのち、こう答えた。
――神々の義眼って知ってます?
「うーん。聞いたことないなぁ」
「やっぱりそうですか」
ビビアンの返事に落胆の顔を浮かべる。
「神々の義眼なんて、ずいぶんなモノを探してるよね。この街では神の存在も確認されているけれど、さすがに伝説級の神工品。右も左も分からない、キミみたいな記者崩れに見つけられるものじゃないさ」
「探すのを手伝ってもらうのには感謝してますけど。ジェストさんだって、普通に何も見つけてないですよね。大した情報網ないんじゃないですか?」
からかうようにレオナルドは白ジャージを指でつつく。
「まぁ、僕もこの街に来てから2か月くらいしか経ってないからね」
「えっ……ちょっと!それ僕、初耳なんですけど!よくもまあ情報通です、みたいな顔してましたね!」
「それだって先輩には違いないだろう?」
「ジェストさんも、ただの新入りだったなんて。いや、飯を奢ってもらった上に、手伝ってもらって言うセリフじゃないですけど……」
百人力だとばかり思っていたら、まさかの事態に肩を落とすレオ。悪びれもせずジェストはなくなりかけのコーヒーをすする。ゆっくりと一息吐く。
「ふぅ……そう気を落とすことはないさ。ボクの――」
言い終わらないうちに異変が起きる。声が止まり、思わず目を見開いた。目の前のレオナルドが、首から紐でかけていたカメラ。それが――
――一瞬のうちに消失したのだから
「おいコラ!猿ぅううううううううう!」
ジェストが反応を示す前に、レオは大声を上げて外へと飛び出していた。
「さ……猿…?」
あっという間に店外へ走り去ったレオの姿に、彼はポツリと一言をこぼすだけだった。同じく目を丸くするレベッカ。今の光景を見ていた異形の客達が憐みの声を漏らす。
「あ~あ、あの坊主も運がねーな。カメラをパクられるのが見えなかったってことは、音速猿の仕業だろ」
「いくらこの街でも、アレを捕まえられる奴なんかいやしねえさ。ってか、そもそも見つけらんねーしな」
彼らの会話で、ジェストにも何が起きたのか理解できた。視界の端にすら捉えられなかった埒外の速度。あんな生物に盗まれては、無事に返ってくることなどないだろう。大事なモノらしいが、この街では人間の常識外など日常のように起こる。良い教訓になっただろう。彼は残りの食事を終えて店を出た。
「あれ?でもレオ、猿って叫んでたよね。何でわかったんだろう」
帰る間際の彼女のつぶやきが、耳に残っていた。
昼下がりの大通りをジェストは歩く。右を見れば異形、左を見ても異形、さらに言えば上を見ても異形の怪物のオンパレード。ビルをも超える、HLイチの巨大生物のお出掛けだ。影の大きさもハンパではない。分厚い雲に遮られた梅雨時のような薄暗さ。そんな巨大生物の移動に伴い、建物がザクザクと踏みつぶされていく。
「見物してる場合じゃないか」
天から降る巨大な足により、一歩ごとに数人が巻き込まれてぐちゃぐちゃのミンチにされる。危険範囲から逃れながら騒ぐ住人達。ただの人間など、この街では弱者中の弱者。破滅に最も近い生物であろう。これがHLの何の変哲もない日常である。
そんな日常にスパイスを加える男がひとり。
HLに存在する全てのモニターが、一斉に切り替わる。電波ジャック、のみならず魔術的、超自然的な映像までも。ジェストの周りのテレビ画面にひとりの男の顔が映し出される。
「ごきげんよう、ヘルサレムズ・ロットの諸君。私だよ。堕落王フェムトだ」
騒々しい声で囀る目隠しをした男。両手を広げて楽しげに歌い上げる。人間のように見えるが、実態はまるで違う。異常極まる超越者。あらゆる魔法を極め尽くした人外のモノ。
――十三人の王のひとりである。
「どうだい?諸君、最近は。僕は全く退屈しているよ」
劇場の俳優のごとく、オーバーに頭を抱える仕草を見せる。そして、楽しげな声音で、不吉に口元を吊り上げた。
「だからね。だから僕は遊ぶことにしてしまったんだ。ごめんね」
同時に僕は気付く。通りの向こうに巨大な怪物、いや神性存在が現出した。一目で理解させられる。強烈な存在感と肌を刺す威圧感。ジェストの本能が全力で危険信号を発している。身体を脳天から真っ二つに両断されたかのような、右半分だけの人型の神。周囲の者たちも、気付く。逃げ惑う人々――
――は直後、全員が両断された。
刹那の間に、その超常存在は手にした剣を横に振ったのだ。遅れて衝撃波が50メートルほど離れたジェストの元に届く。吹き飛ばされそうになる身体を押し留め、流れる映像に意識を戻した。
「さて、今回のゲームのルールを説明しよう。君達が見ているその邪神は、僕の精巧な術式をもって、半分に割ったまま生かしてあるものだ。まあ、半分でもご覧のとおり」
堕落王フェムトの演説の最中も、巨大な神は近くの建物を豆腐でも斬るように破壊し続けている。半身でこれなら、万全の状態ならばどれほどの神性であったのか。そして、それをいとも容易く半分に割ってのけた堕落王フェムト。血界の種族(ブラッドブリード)の噂も信憑性を帯びてくる。
「で、気になるのは残りの半分だが。当然、今この街で絶賛召喚中だ。こいつがもう半身を得て合体したら……おお、恐ろしい。失われる命は千万単位だろうね」
心底から愉しげに、堕落王フェムトは笑う。
「そうなる前にゲートを発見し、破壊したまえ。制限時間は117分だ」
残りの半身の居場所を示す号砲が、HL全域に鳴らされる。
――巨大ビルの一棟が、斜めにぶった斬られた。
「さあ、人類の代表諸君!全力を尽くしたまえ!」
プツリと、映像は途切れた。
ジェストは辺りを軽く見回してみる。邪神から逃げる者、興味本位で観戦する者、邪神を倒すために向かっていく者。そして――残りのゲートを探す者。
「死者は千万単位か……」
耳の痛くなるほどの騒ぎの中、彼は被害のあったビルの方向へ踏み出した。
ここはヘルサレムズ・ロット。世界で最も破滅に近い街。