作:島ハブ

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気紛れの

 

 

 

 煙草の火は既に消えていた。捨てようとして、少し考えてから灰を服に擦り付けた。あえて不均等になるように塗り込んでいく。襤褸が、ますますみすぼらしくなった。

 日没からかなり時間が経っていた。亥の刻をいくらか過ぎたところだろうと延広はあたりをつけた。聞いた通りであるなら、細かい時間を測る必要はない。朝方までたむろしているというのが先方の言だ。

 小川に映った自分の姿に、延広は頷いた。思ったよりも様になっている。首から下は完璧といってもいい。ただ、顔はどうしようもなかった。窪んだ目、痩けた頬、そういったものを再現しようと思えばかかる時間は格段に増える。それほどの報酬がでる訳でもないのだ。泥を付けた手で髪を掻き乱しひとまず完成と思うことにした。

 空き家をいくつか訪ねてまわった。昔大きな火災があったとか妖怪の群れに襲われたとか、とにかく棄てられた民家の多い地区だった。ぎりぎりではあるが人里の範囲に入り、おまけに雨風を凌ぐ場所には事欠かないので浮浪者の溜まり場になっている。狭く、大して使えるような土地でもないので里の上層部も現状を黙認しているという形だった。

 

「ちょっといいか?」

 

 四軒目でようやく見つけた浮浪者の男に延広は声を掛けた。中年ほどで、くたびれきった表情がこの生活の長さを伺わせた。息を潜めてこちらを伺っていた男は延広の身なりを見て、おずおずとしながらも近づいてきた。

 

「ここは俺の寝床だ。他をあたれ」

 

 声がかなり小さい。延広は一歩、男との距離を詰めた。

 

「あんた、新入りか?」

 

 男の言葉は確認に近かった。顔の見える距離になるとやはり血色の良さが隠しきれない。

 

「わかるかい」

 

「そりゃあね。しかし、それにしちゃ汚したな、あんた。ガキみたいに駆けずり回ったっておまんまにありつけるとは限らねぇぞ。頭使わなきゃな」

 

 男は、急に饒舌になった。声には明らかな興奮が乗っている。延広は苦笑いした。あまりにも下手な誘導だ。しかし、この流れはこちらも望んでいたことだった。

 

「俺も、色々知りたいと思ってたところだ」

 

「おう、知らなきゃいけねぇことはたくさんあるぞ、たくさん。逆に、知ってりゃ渡世なんて易いもんだ」

 

 そう言って向けてくる視線は、確かな期待を孕んでいた。延広は煙草を持ってこなかったことをわずかに後悔した。道中咥える分しか持たなかったのだ。この手の人間には、酒や煙草の方が安く済むことも多い。

 腰に提げた袋から、銅銭を五枚取り出した。床に置こうとした右手に、男は飛び付いた。奪うようにしてもぎ取り、ゆっくり五枚を数えて、それから帯の中に大事そうに仕舞った。

 

「これだけかい?あるならあるだけ出した方がいいぜ」

 

 男の表情に、欲が滲み出してきていた。延広は無言のまま、また一歩近づいた。大股の一歩で、お互いに手の届く距離に入っている。男が愛想笑いを浮かべて腰を引いた。

 

「冗談だ、ちゃんと教えてやるよ。だからそれ以上寄るな」

 

 後ずさるように距離を取ってから、男は喋り始めた。食料の得方、寝床の見つけ方、それから浮浪者同士でのルール。その中から必要な情報だけを頭に刻み込む。

 

「それじゃ、今日は西側か」

 

「そうさ、全く面倒なこと始めたもんだ。道楽にしちゃ質が悪い。あんたも寝床探すんなら西は止めとけ。もういくらか出すんなら、ここに泊めてもいいぞ」

 

 最後まで聞かずに、延広は背を向けた。

 西側で待つ。早ければそれで終わりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人の男が現れたのは、一刻ほどしてからだった。延広は大樹の根元に横になっていた。どちらもまだ十五、六といったところで、顔には少年という印象が強い。背後の藪にも一人分の気配がある。合わせて三人。依頼の通りだった。

 今日は様子を見ようと決めたのは、少年たちの目を見たときだった。浮浪者を痛ぶり、小金をせしめて悦に入ろうという人間の目ではない。もっと別のなにかが、彼らを動かしている。それがなんなのか見極めようという気に、延広はなり始めていた。

 

「何か用か」

 

 躰を起こしながら、延広は言った。衝撃は、いきなり背中にきた。踏ん張ることもできずに吹き飛んだ。それが良かった。長方形の木材、その鋭角の部分でぶん殴られていた。下手に踏ん張れば余計に危ない。

 転がった。立ち上がるか、束の間迷った。脚。視界の隅に捉えたときには、丸くなるようにして頭を抱え込んでいた。正確に頭に飛んできた。左の二の腕で防いだ。残った一人が腹を狙ってきた。それは、どうしようもなかった。頭をやられるよりましだと思うしかない。うつ伏せになり、亀の様にして耐えた。少年たちの蹴りは執拗だった。しかし、それだけだ。人体の壊し方を知っているような蹴りではない。

 もう一度木材が来たら反撃しようとだけ決めた。それ以外はただ耐える。一発、綺麗に入った。胃液がせり上がってきた。吐き出した。跳ねた吐瀉物が顔にかかる。それも、耐えた。一度、決めてしまったのだ。それはもう、自分でもどうすることもできない、不可侵の存在になる。そう延広は思っていた。

 幸い、木材は最初の一発以降なかった。少年たちの私刑(リンチ)も思ったより速く終わった。ペースも考えずに素人が蹴り続ければ体力が持つはずもなかった。一人が蹴りを外し、釣られたように二人も動きを止めた。そこで初めて、少年たちは自分が肩で息をしていることに気付いたようだった。

 しばらく荒い息遣いだけが続いた。延広はうつ伏せのまま身じろぎしなかった。ここからの少年たちの行動を見るためだけに耐えた時間だった。

 少年たちは延広を観察するように見、それから腰の袋に手をかけた。元々、こうなることも想定していた。袋の中にあるのは、とるに足らないはした金だけだ。

 しかし少年は袋を振ると、中身も確認せずに懐に入れた。金欲しさというにはやはりどこかおかしかった。普通なら金額を見て一喜一憂するぐらいはありそうなものだ。かといって、人を痛ぶるのを楽しんでる様子もなかった。私刑の時も、ただ必死さが見えただけだ。

 少年たちが頭上で声を潜めながら話始めた。聞こえてきたいくつかの単語を、延広は頭の中に拾い上げた。それを組み立てる。見えてきたのは、いかにもありそうな、つまらない話だった。下手な魔法よりよっぽど強力な魔だ。

 しばらくして少年たちは立ち上がると足早に姿を消した。少し様子を見てから延広も躰を起こした。口から左の頬にかけて、乾いた吐瀉物がこびりついている。適当に幅の広い葉っぱをむしり、一応だけ拭き取った。残りはあの小川で洗い落とすしかないだろう。

 立ち上がり歩きだす。痛みが酷いだけで内臓や骨に異常がないのは確認した。曲がりなりにも鍛えている躰だ。

 人里で、いくらか調べなければならないだろう。それから少年たちを更正して、とりあえず元凶にも会ってみるべきか。

 割に合わない仕事になってきた。依頼主に掛け合ってみるつもりではあるが、増額の目は薄いと思わざるをえない。空に浮かぶ月が苦々しく感じられた。

 あの浮浪者の言葉が、不意に甦った。道楽にしちゃ質が悪い。その通りだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 横になって空を見上げる。場所は昨日と似た少し開けた森。時間も昨日とほぼ変わらないはずだ。ただ、延広だけが変わっていた。今日はズボンとシャツ、その上に革のジャンパーを羽織っている。全て、文の好みだった。煙草が映えるから。そう言われて、延広もなんとなく好むようになってきている。同棲している訳ではないが、週に二、三回やってきては一晩過ごし、私物を置いていったり逆に持っていったりする。

 北、西、南、東。そういう順番で連中が回ってると浮浪者の男は言っていた。本当なら、今日はこの辺りに来るはずだ。

 あまり待つこともなく、気配は近づいてきた。延広は、咥えていた煙草を飛ばした。二人と一人。こちらも紋切り型の作戦で動いているらしい。どうでもよかった。どう来ようと一度打ち倒す。それだけは決めていた。

 

「一日ぶりだな」

 

 延広の声に、あちらも一瞬戸惑ったような雰囲気をみせた。

 

「昨日は、世話になった。少し付き合えよ」

 

 後ろの気配。構わず、延広は前に跳んだ。背中を風が撫でた。正面の二人は、明らかに反応が遅れていた。左の少年に前蹴りを飛ばす。そのまま前に倒れ込むようにして、木材の二撃目をかわした。転がり、起き上がろうとしたところに残った一人が蹴りを飛ばしてきた。肩で受けて、そのまま脚を抱え込んだ。バランスを崩した少年が倒れる。素早く起き上がり、脇腹に一撃を入れたがそこまでだった。前蹴りを入れた少年が、体勢を低くして遮二無二突っ込んできた。膝を合わせようとして、止めた。突進に逆らわずに倒れ込む。頭のあった位置を、木材が横切った。倒れながら躰をひねり、首に肘を叩き込んだ。人形のように、少年が倒れた。

 もつれた躰をどかしているところに蹴りがきた。両腕を交差させて、逆らわずに受けた。転がる。追撃がきた。右、左の順に跳んだ。少年たちは追ってこれなかった。既に肩で息をしている。肩から、突っ込んだ。素手の少年を弾き飛ばした。一回転して木にぶつかり、動かなくなった。

 向き直る。木材は既に振りかぶられていた。退かずに、懐に飛び込んだ。左肩で受けた。しかし、根元だ。先端で受けるのとでは、衝撃に雲泥の差がある。右腕。相手の顎を跳ねあげた。それで、最後の一人もあっさりと落ちた。

 ひとつ息を吐いて、煙草とライターをポケットから出し火を着けた。

 躊躇のなさを除けば、どこにでもいる素人だった。多少慣れているのは、浮浪者に対する追い剥ぎの経験からだろう。格闘の経験もないような子どもに、人の頭に木材を振らせる。やはり魔としか言いようがなかった。

 一本を喫い終える頃、ようやく一人目が目を覚ました。

 

「やっと起きたか。あとの二人も叩き起こせ」

 

 少年はぼんやりとした表情のまま、のろのろと動き始めた。話が出来るようになるにはまだかかりそうだった。延広はまた一本煙草を取り出した。

 これで一先ず、依頼は完了できるだろう。だがそのためには一つ、やらなきゃならないことがある。それにかかる費用を思って、延広は憂鬱になった。

 元凶に会うことに、意味はなかった。馬鹿馬鹿しい話だ。それでも、会おうという気持ちがどこかで湧きだしている。自分が真実を知りたがっているのか、それとも文への土産話のためなのか、延広には判断がつかなかった。

 三人全員が起きたのは、三本目を喫い終わろうかというところだった。

 

「ついてきな。いい目を見させてやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 長い竹林を抜けた先に、永遠亭はあった。案内をしてくれた白髪の少女に銭を渡し、今度は永遠亭の住人であるという少女に従って進む。

 いくつもの部屋を通り過ぎて、ひとつの襖の前でようやく少女は止まった。

 

「姫様、お客様です」

 

「ありがとう、イナバ。下がっていいわ」

 

 イナバと呼ばれた少女は振り向き、延広に一礼した。不意に目が合う。勝てる相手でないというのはそれだけでわかった。少年たちとは違う、洗礼された殺気がある。気にはしなかった。戦いにきた訳ではないのだ。

 

「開けても?」

 

 声をかけて、待った。稗田家で聞けば、元は貴族だという。宮廷儀礼などには全く自信がなかった。

 

「どうぞ」

 

 帰ってきた言葉を信じて、襖を引いた。

 流石に、いい女だった。艶やかな黒髪に、シミ一つのない肌。細々の所作はいかにも貞淑な女性で、しかし目にはどこか男を誘うような光があった。そのアンバランスさには、背徳的な色気がある。

 延広も、気を抜けば前のめりになりそうな女だ。若い少年たちにはひとたまりもないだろう。

 

「なんでも屋さん、とお聞きしましたけど」

 

「ええ、まあ。なんでも屋とかよろず屋とか、そんな感じで呼ばれています」

 

 延広の言葉に、輝夜はおかしそうに笑った。笑う仕草ひとつにも、どこか色気を漂わせている。

 

「それでそのなんでも屋さんがいったいなんの御用かしら」

 

「実はこの間、ひとつ依頼を受けましてね。里の少年が悪ぶちまって、家出までして浮浪者相手に追い剥ぎの真似ごとをしてるとかで、まあ要は、ぶん殴って連れてこいっていう簡単な依頼ですよ」

 

 輝夜は湯呑みを傾けながら、目だけで続きを促してきた。

 

「それがどうも、蓋を開けてみると悪ぶってるなんて可愛げのあるもんじゃなくて、何かに憑かれてるかのような有り様でね。ほとほと手を焼かされましたよ。それでもなんとか目を醒まさせて、無事解決したんですがね」

 

 一瞬輝夜の目が細まったのを、延広は見逃さなかった。だからといってなにがどうなる訳でもなかった。ただ、確信を得たというだけのことだ。

 言葉の通り、依頼は解決していた。三人を正気に戻し、それぞれの親から報酬も貰っている。今しているのは、完全な興味本意の行動だった。それも、自分の興味からなのかもはっきりとしないような行動だ。

 

「大橋さん、奥さんはいらっしゃるかしら?それとも、恋人さんは?」

 

 気付くと、輝夜が身を乗り出してきていた。あるかないかほどの甘い香りが延広を包んだ。これが化粧品ではなく輝夜自身の体臭であるというのなら、この女は魔性になるべくして生まれたと思わざるをえなかった。

 

「生憎、独身でしてね。結婚というのは中々難しいもんです」

 

「それじゃあ、恋人さんはいらっしゃるのね」

 

 延広は、軽く頭を掻いた。

 文との関係を恋人といっていいのか、延広自身にもわからなかった。親しい異性の友人と、何かの弾みで躰を重ねてしまった。それで、友人でも恋人でもない、なにか不思議な関係を作ってしまった、というところがある。

 決めてしまえば、突っ走れる。だが、決まらないのだ。そしてこの決まらない関係を楽しんでるような自分を見付けて、驚いたりもしている。文にも、おそらく同じようなところがあるはずだ。

 男と女に答を出すことは、延広にとって難問であった。答らしいことはいくらでも言える。いくらでも言えてしまうからこそ、ひとつの答を見つけきれないともいえた。

 煙草を喫いたいと思った。思考が袋小路に行き詰まったような、反対に道もなにもない平原に放り出されたようななんともいえない感じになっている。こういうときは、煙で全てを流してしまうことだ。

 

「脱線しましたがね、ええと、そうそう。依頼は解決したんですが、少年たちを誑かした魔性がどこかにいないかと聞いて回っている訳ですよ」

 

 白々しい台詞だった。少年たちが家出する前日に、彼らの溜まり場付近で輝夜を見たという証言は上がっていた。望む望まざるに関わらず、蓬莱山輝夜の容姿は人目を引く。

 輝夜は心底おかしそうに笑って、言った。

 

「さあ、心当たりはございません。でも、そうね。きっと、永遠の時の中でそういう気紛れもあったのでしょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、いったいどうしてきたんです?」

 

 ペンと手帳を手に、文が尋ねてきた。取材の時、文は例えどんな相手であっても敬語を崩さない。それは記者という職業に対して文が持つ美学だった。

 

「どうにも。ただ、聞いてきたってだけだ」

 

「どうにもって、黒幕だった訳でしょう、彼女は」

 

「やったことは、木っ端妖怪以下さ」

 

「気紛れの度合いによっては、里が滅んでいましたよ」

 

「滅ばなかった。起こったのは、浮浪者が小銭を取られたってだけの小さな事件だ」

 

「えらく彼女を庇いますね」

 

 いかにも、嫉妬した女の言いそうなことだった。それがポーズであることを、延広はよく知っていた。言葉というものを信用してない癖に、言葉を使いたがるというところが文にはあった。場に似合う言葉を出そうとする。それにどんな意味があるのかは延広にはわからない。きっと、文以外の誰にもそれはわからないだろう。

 

「それじゃ、どうやって少年たちの魅了を解いたのか教えてください」

 

「企業秘密だ、悪いがな」

 

 女郎屋に連れていき、女を抱かせた。言える訳もなかった。

 そもそも、魔術的な意味での魅了にかかったわけではないのだ。女に耐性のないところを、輝夜の妖艶さにあてられた。結果として、普段なら信じられないことを平然とやってしまった。厳密に言えば、今でも輝夜に想いを寄せているはずだ。女を知ったことで、その想いが理性を飛ばすことがなくなった。それだけのことだ。

 文が、ため息を吐いてペンと手帳を投げ出した。大した記事にならないことはわかったらしい。

 延広も似たような心境だった。元々家出少年を連れ帰るだけの仕事で、報酬額も相応でしかなかった。その上で三人の遊び代として身銭まで切ったのだ。手元に残った報酬は、正しく雀の涙だった。

 

「結局これ何だったの、ノブ?」

 

 文が先程までメモをとっていたページを見せながらいった。

 気紛れの男遊びの裏で小銭拾いをした。言ってしまえば、そういうことだろう。

 

 

 

 

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