コマ札=カジノでいうチップ、パチンコでいう玉です
中盆=賭場を仕切ってる人です
ツボ振り=名前のまんまです
丁半。全く時代遅れだが、悪いものではなかった。
通りから外れたところにある宿屋の裏手の戸が、鉄火場の入り口だった。幻想郷に法などはないが、あまり大っぴらにやることではない、という認識は持たれているらしい。
大々的にやっている訳ではないが、別に違法という訳でもないので、少し訊くだけで辿り着くことはできた。しかし、目的地としてここが適当だったのかはまだわからない。ドロップアウトの出だしとしては比較的ありがちな選択肢だろう、と思っただけだ。
客足はそこそこといったところだろう。まだ日が沈むか沈まないかといった時間なのだ。いるのもいかにもな連中ではなく、息抜きにきたのであろう平凡そうな男たちだった。その方が、不慣れな人間にとっては入りやすいに違いない。
延広は賭けには参加せず、隅で煙草を喫っていた。手持ちの半分をコマ札に替えていたので、貸元や中盆も文句を言ってきたりはしない。張る前に一服しながら様子見というのは、さほど不自然ではないはずだ。
「ツボ、入ります」
ツボ振りが声を挙げた。そのまま流れるようにツボにサイコロを入れ、盆ギレの上に伏せて前後させた。
延広は音を聴いていた。昔見た時代劇にそういうシーンがあったからだ。盲目の剣客。なんでもないことのようにとんでもない賭けをするその時代劇の主人公が、なんとなく好きだった。
「丁」
「こっちも丁」
「丁だ」
ツボを見ていた博徒たちが、一斉にコマを動かし始めた。
「半方。半方ないか、半方」
「丁」
「俺は半だ」
半。心の中で賭けた。音でなにかがわかった訳ではない。丁が多いから、半。それだけだった。
「丁半、コマ出揃いました」
煙草の背を人差し指で叩く。灰が崩れるように落ちた。
「勝負」
中盆の声。猫背気味の男たちが一斉に前のめりになった。煙の筋がかすかに揺れた。
「ニロクの丁」
男たちの多くが安堵したように背を反らした。二人ほど、肩を落としているのも見える。その二人の前に置かれたコマ札を、中盆が回収した。
ちょっと鼻白んだ気分になった。敗けだった。なにも取られてはいない。どこか言い聞かせるようにして、煙草を潰した。
「兄さん、やっと賭ける気になったかい?」
端に腰を降ろした時、隣から声を掛けられた。負けていたうちの一人だ。兄さんなどと言われたが、男の方が延広より十は上に見えた。
「まあね。少し見てて、大体流れがわかった」
「流れ。へえ、流れかい」
「なにかおかしいかな」
「おかしくはねえさ。ただ、賭博で流れっていうと奥義みたいなもんだから」
「俺が言ってるのは」
「わかってるよ、進行手順のことだろう?わかった上で、言葉の掛かりが面白かったんだ」
内側の卑しさを隠そうともせずに、男が笑った。常連に鴨にされるルーキー。そんなところだろうか。言い回しすらわからない素人から毟り取った経験というのが、それなりにあるのだろう。
男は着物の襟を大きく開けていて、それがどこか崩れた印象を与えてきたが、顔立ちそのものはよくいる四十代といった感じだった。悪ぶった親父というのは、どこでも一定数いるものだ。
「兄さん、名前は?」
「勝」
少し考えて、思い付いた名を延広は答えた。こういった場では、個人情報を明かさない。そんなこともわからない男だと思わせた方が、色々と捗りそうだ。
「勝か、そりゃいい。もってそうな名前だ」
「もってる?」
「運があるってことさ。なんだ、それも知らずに来たのか」
男が上半身だけをこちらに寄せた。
「勝。いいね、あやかりたいもんだ」
「あんた、ここは慣れてるのか?」
「まあまあってとこだ。カミさんがうるさくてな。赤か黒かなら黒だってのに、はやく止めろってね」
「黒か」
「ちゃんとしてりゃ黒になんのさ。いいもんだぜ、金があるのは。旨いもんも食えるし、女遊びもできらあ」
延広も少し周りを見回してから身体を寄せた。いかにも内緒話という風だ。他の男たちも、合間の小休止という感じで時間はありそうだった。
「女だって?そりゃ吹かしすぎだろう。
「まともに買えば、そうなるに決まってるさ。声掛けるんだよ。地味で、なのに夜中にふらふらしてるような女だ」
「どういうことだ?」
「察しが悪いな。小金欲しさや、遊びでやってる女ってのがいんのさ。賭けなんてやってて金もってる男は、あっちから見ても上物なんだ」
「そうなのか」
「ここに来ることもあるぜ。最近見るようになったのもいる」
「美人かい?」
「黒髪で、鼻筋がいい。不馴れみてえで身持ちが固いが、それを解すのも、なんだ、男の楽しみってやつだ」
黒髪。目的の女とは違う容姿だ。ただ、髪色など外の世界でも簡単に変えることができる。まして、変化の術すら存在する幻想郷だ。夜遊びの時だけ外見を変えるのは、ありそうな話だった。しかも、保護者が神で本人は巫女ときている。
「どうすりゃいいんだい?」
「賭けに勝つことさ。金がねえと始まらない」
「だから、賭けに勝つためにはだよ」
男の笑みが深まった。
「流れってやつを掴むことさ」
「茶化すなよ」
「本当さ。流れをうまく引っ張るんだ、自分の方へ。そのためにはちまちま賭けたって駄目だ。度胸のねえ奴やすぐ止めちまう奴には流れはこないんだぜ」
「なるほど」
男の言っていることは間違いではなかった。ただ、ちまちま賭けて損の少ないうちに撤退する、そんなことをされては儲けがないではないか、という内心があまりに透け過ぎてもいる。
タイミング良く、中盆が男たちに声を掛け始めた。グルというほど悪どくはないが、利を考えて連携するぐらいのことはやるらしい。
ツボ振りがツボを伏せた。縦長の円を描くように、ツボが前後に振られる。
手掛かりを得るという目的は達成していた。他所にも人をやっているので、情報を纏めればある程度の形にはなるだろう。
「半だ」
「半」
「丁」
「次こそ半だ」
ほどほどに賭けて帰るだけで良いのは、わかっていた。しかし、既に一度敗けていた。それも、自分の心の中でだけの、敗けだった。賭けていなかったから、何も取られずに済んだ。それが小骨のように引っ掛かる。
「勝さんよ、賭けねえのか?」
「丁」
答えながら、躰が無意識に動いた。男が、飛び退くのを寸でのところで堪えたようにして、後ろにのけ反った。
コマ札をすべて押し出していた。中盆が身動ぎした。音を聴くのを忘れた、と思った。
別に構わなかった。元々、賭けさせるなにかを持っているような耳ではない。もっと別のところで勝負すべきなのだ。
「ようござんすね?」
中盆が言った。頷いたが、どうでもよかった。
いったい、自分のなにを賭けたのか。それだけを、考えていた。
◇
「気に入ってるの?そこ」
頭の上から声がした。どうやら、考えるうちに俯いていたようだ。今まで気にならなかった、タレの焼ける匂いや木々の戦ぎが、意識のなかにするりと入り込んできた。
「なにか言ったか」
「だから、気に入ってるのって。大橋さん、前に来たときも端に座ってたから」
「まだ、二回目だぜ」
「だからだよ。二回目なのに、端に座る仕草がびっくりするほど自然だったもの」
「なんとなく、収まりがいいんだな」
ミスティアの顔が薄く綻んだ。ちょっと動いて、やはり収まらず、端に座り直した。
「しかし、よく覚えてるもんだ。客商売、向いてるんじゃないか」
「画家に向かって、画家にでもなれば、って言うようなもんだね、それ」
「そりゃ悪かったさ」
八ツ目鰻と熱燗が一緒に出てきた。注ごうとした延広の手を抑えて、ミスティアが酌をした。
風が緩やかで、気温も素面だと少し寒い程度だった。屋台で飲むにはちょうどいい日和だろう。
月が出ている。半月は越えているが、満ちるにはいくらか足りないそれをなんと呼ぶのか、延広にはわからなかった。
「あの坊主、今日は来ないのか」
一瞬呆けて、それからミスティアは大笑いした。上から吊るされたランプと、下の焼き台の明かりに挟まれて、ミスティアの表情が鮮やかに夜に浮かんだ。陰影が、はっとするほどのなまめかしさを放っている。
「さっきのは無しだ。客を笑うのは、あんまり褒められんぜ」
「怒らないでよ。だって、しょうがないでしょう?」
「客を笑って、しょうがない、ときたか」
「以前口説いてきたお客さんが、夜の屋台で二人っきりだっていうのに、居もしない子の話を始めるんだもの。可笑しくもなっちゃうよ」
「なるほど。しょうがない、か」
「しょうがないって言葉、嫌い?」
「人間のしょうがない部分で食ってるんだぜ、俺は」
「それじゃ、しょうがない様々だな。おかげで八ツ目鰻が売れてる訳だし」
「今日の金は、別口で稼いだ分さ」
御猪口を傾けた。アルコールが喉を滑った。
足りない、という気がした。度数が、辛さが、熱さが足りない。しかし、本当に足りていないのか。満ちないものを探して、深酔いしようとしてるだけではないのか。
捨てるように、頭を振った。やはり、似合わない依頼だった。子どもを見つけて連れ戻す。男ならぶちのめせばいいが、女だとそうもいかなくなる。力ではないものを用いなければならなかった。それが億劫で、考えが奇妙な飛躍をするのだ。
ミスティアの視線が、遠くを向いた。男が一人歩いてくる。腹と頬に蓄えた脂肪以外、これといって特徴のない男だった。呆れるほどに、呑気な足取りだ。
「いらっしゃい。何になさいます?」
ミスティアの問いには答えず、男がこちらを見た。延広が頷くと、男は延広の隣に腰かけた。察したのか、ミスティアももう注文を取ろうとはしなかった。
台を滑らせるようにして、メモを渡された。簡潔なメモだ。いくつかの名前が二重線で消してある。斜め線で消されたのが三つ。
「それで?」
「脈なしが十二、微力な手掛かりが三つというところですかな」
「手掛かりというのは?」
「身元のはっきりしない新顔の女。まあ、そんなとこです」
「身元だと」
メモにある名前は、いわゆるグレーの業種の店というやつだった。斜め線は二つが鉄火場、一つは外の世界でいうところのホストクラブだ。当然、身元などはっきりしない人間の方が多い。
「ま、色々と道はあるってことで勘弁してください。女は黒髪、百六十そこそこ、歳の頃は十の後半ですかね。化粧次第なもので、そこはなんとも」
「鼻は?」
「なにか?」
「鼻の形が良い、なんて話はなかったか?」
「まさしく」
延広の行った鉄火場まで合わせれば四つ。ほぼ決まりだろうと思えた。思えたが、どうすればいいのかはまだ見えてこない。黒髪の女が東風谷早苗だとして、だからどうした、という話である。法にも人道にも、反しているところはないのだ。化生の類いに惹かれている訳でもない。
法や人道に反する前に連れ戻す。合理的だが、難しいことでもあった。他人である延広には特にだ。かといって、神の二柱が夜の町を歩き回る訳にはいかないのも、また確かだろう。
「そういえば、面白い話もありましたな。素人の博徒が、むちゃくちゃな賭け方で大勝ちしたとか」
「関係のある話か、それは?」
「肴にでもとね。毟り取ろうとして失敗した連中の顔を想像すると、実に胸のすくような話です。しかし、あまりやり過ぎると大変でしょうな。目を付けられてしまう」
「追加はできんぞ」
「もちろんです」
善意の忠告らしい。男はそれ以上話題にはせず、当たり障りのないことを話し出した。
最初に敗けた。賭けてはいなかったので厳密には敗けていないが、それは慰めにもならないことだ。その敗けが、心をさざめかせた。
次で、大勝した。これで雪いだと思った。実際に、敗けの屈辱は消えたが、どこかにまだしこりが残っている。
賭博は向いていないのかもしれない、と思った。
男が立ち上がり、小さく頭を下げて背を向けた。やはり、足取りは穏やかだ。その姿が見えなくなる前に、延広は視線を切った。
ミスティアが身を乗り出してきた。
「すごいね。物語の一幕って感じ。見てて息が詰まっちゃったもの」
思わず、苦笑した。ドラマの撮影に偶然居合わせた女学生、といったところか。隔離した世界でも、感性はそうそう変わらないようだ。
「大橋さんがお金を滑らせて渡せば完璧だったのに」
「前払いさ」
前払いでしか、お受けできません。最初にそう言われた。その一瞬にだけ、あの男の姿を見た、という気がする。それ以外は全く凡庸で、人混みに入ればすぐに見えなくなりそうな男だった。
「それで、どういう話なの?また依頼?」
また、という言葉に微妙な力があった。
以前、ある依頼の関係でミスティアに無作法をしたことがあった。解決してからもそれが依頼であったことを延広は言わなかったが、どうやら誰かから聞いたらしい。あの時の子どもか、それとも文か。依頼について知っているのはそんなところだが、どちらもミスティアと親交がある。そう考えてみれば、知っていてもおかしくはなかった。
ミスティアが延広を覗き込んできた。言えないと答えようとして、とめた。非行に走る少女。延広よりもよっぽどマシな考えを、ミスティアなら出してきそうだ。
しかし、東風谷早苗に繋がるような情報を漏らすなと、八坂神奈子に厳命されている。さっきの情報屋の男も、探しているのが東風谷早苗だとは知らない。最近現れた女はいないか、と訊いただけだ。
悩んだ。しかし、悩むこと自体にも、うんざりしてきていた。
「女が夜遊びしたくなるってのは、いったいどういう時だ?」
「なにそれ、謎掛け?」
「つまらない雑談。そういうことにしてくれ」
わざと思わせ振りな言い回しをした。案の定、ミスティアは喜色を浮かべた。
「いいね、そういうの。夜遊びって、どの程度の話?」
「酒を飲み、博打を打ち、ちょっと男遊びもする。そんな程度さ」
「抱かれるの?」
ミスティアが、いきなり露骨な言い方をした。不意を衝かれた気分で、延広は一瞬言葉に詰まった。
「変な顔。夜の屋台の女将だよ、私は。猥談ぐらいできるよ」
「そりゃ、そうか。いや、抱かれてはいないみたいだ。男性従業員が気持ちよく飲ませてくれる、そんな店さ」
「ホストか」
周りの少女たちが、自分よりずっと年上だということを、たまに思い知らされることがある。それは、卓越した知識なんかよりは、こういう日常会話のなかに顔を覗かせるのだった。
「難しいな。生きてると、色々あるもんね。ふっと飛び降りたくなるようなことがさ」
「十代の子どもだ」
「大橋さん、そういう言い方もするんだ。子どもだろうと、男。そんな感じなのに」
「男はそうさ。ガキでも、男を持ってる。いや、ガキのまんま大人になっちまう」
「女もそうだよ。子どものまま大人にというよりは、子どもの頃から大人な部分を持っている、って感じだけど」
「そんなものか」
「型にはめて考えるのも悪くないけど、型が古いかな」
「なに?」
「危険に身を晒したくなることが、女にもあるんだよ。大橋さんみたいにね」
「文とお前は、よく話すのか?」
「さあ」
婉然とした笑み。追及する気を、それで無くした。
「母親のよう。そう聞いたんだがな」
「父親になったら、男じゃない?」
「わかったよ。俺が悪かった」
「火を見たくなるんだよね。自分の内側か外側か、それはわからないけれど、女を賭けて火を見たくなる時がある。あくまで、火だけどね」
炎を見せてやれ。そう言っているのかもしれない。
「参考になったよ、ミスティア」
「女将って呼んでよ」
「名前呼びは嫌いか?」
「名前を呼ぶのは、誘う時だけ。素敵じゃない?」
「どういう意味だ?」
「私の屋台、ちょっと問題を抱えてたんだけど、この前解決しちゃったんだ」
ミスティアの流し目が、延広の右肩から首をなぞり、しかし顔には向かないまま、胸元へ落ちた。
「そりゃ良かった。それじゃ会計お願いするよ、女将さん」
台に小銭を置き、立った。
延広の背を、ミスティアの鼻唄が追ってきた。外の世界のフォークソングだ。
飲みすぎた訳ではない。そう思った。
◇
二日張り込んで、見つけた。合計すると一週間ほどの家出になると考えると、なかなか根性の据わった話だ。
黒髪の東風谷早苗は、少しこなれてきていて、不要な脇見をほとんどしなかった。しかし、明確な目的地があって歩いてる訳ではなさそうだ。いや、歩くことそのものが目的なのか。
繁華街の通りを、北から南へと下っていく。もう少しで満ちそうな月が、空に浮かんでいた。
男が二人、正面から歩いてきた。どちらも三十ほどで、ニッカポッカかといいたくなるようなズボンを腰穿きにしている。柄も悪く、ただのチンピラにしか見えなかったが、早苗にはそれがワイルドに見えたようだった。わずかに、男たちの方へ寄った。しかし、男たちは早苗には気付かずに通りすぎて行った。酒の匂いが強い。
どうするかだけは、決めていた。火遊びに対し、炎を見せる。しかし、女を賭ける危険が火だとしたら、炎とはなんなのか。
道の向こう側に、見覚えのある男が見えた。早苗の歩みは遅く、時間はある。これしかないだろう、と思った。思い付けば、あとは決めるだけだ。下手をするとゴミのように死ぬかもしれない。そう思うと、心が沸き立った。賭博は、やはり向いている。
「ちょっと待ってくれ。そこのお嬢さん、あんただよ」
早苗が振り返った。片手を肩に、もう一方を腰に回した。質の悪い酔っぱらいの絡み方だが、ここでは誰も気にしない。
「ちょっと、なんですかいきなり」
抗議しながら、早苗が手を剥がすような動きをした。ただ、力は籠っていない。
「美人さんだ。ちょっと付き合ってくれよ」
「もう。そんな誘い方されても、困りますよ」
「つれないじゃないか。即決も、良い女の条件だぜ」
「良い女って、高いですよ?」
「ほう。金なら、まあまああるぜ」
「お金だけって、嫌だな。男らしい人がいいです」
つい、笑った。ミスティアや輝夜と比べると、微笑ましいぐらいの妖しさだ。人外どもの妖しさは、外見年齢とのギャップと合わさりとんでもないことになっている。文や美鈴にしても、本音の隠し方が巧妙で、何気ない会話ですら駆け引きのようになってしまう。早苗の言葉は、文字通りではない、という程度だ。
「男らしいっていうと、なにがあるかな。酒は、結構強い。喧嘩もぼちぼちいけるぜ」
「勇気っていうか、度胸っていうのかな。怖じ気付かない人。そういう人がいいです」
「俺が度胸を示したら、朝までお相手願えると思っていいのかな」
早苗が意味深に笑った。その笑みだけは、なかなか様になっている。
危険を顧みずに、自分を求めてくれる。さぞかし刺激的な体験だろう。それに迷うのも、若さといえば若さだ。女という性を若者らしく使っている。ある意味、健全なのかもしれない。輝夜ほどの歳でそれをやれば、性悪か傾国としか言えなくなる。
さっき見付けた男が近付いてきた。早苗に一度目配せして、延広は男の前に出た。
足を止めた。思考が、澄んでいく。丁か半か。ただ、それだけなのだ。
「よう。久しぶりじゃないか」
「誰だ。いや、思い出した。勝、勝とかいったなお前」
「そうさ。あんたのお陰で稼がせてもらった、勝だよ」
「なんの用だ、てめえ」
「暗いな。女は連れてないのか」
「一度のまぐれ当たりででけぇツラしてんのか、お前」
「そりゃあ、俺は勝った」
「ずっと勝者だと思ってんのか。次やれば、俺が勝つ」
「ほう、本当か?」
「当たり前だ」
「それじゃ、もう一度打とう。賭け金は、命」
何でもないことのように、延広は言った。男が笑った。
「いきがったことを。命だと」
男が更に笑い声を挙げた。早苗も呆れているようだ。延広は表情を動かさなかった。男の笑いが次第に小さくなり、消えた。それでも、延広は動かなかった。男の顔色が、青ざめ始めた。
「おい、誰かサイコロを持ってないか。ツボは要らん。投げるだけでいい」
「待て、勝。自分がなにを言っているのかわかってるのか」
「勝てば、勝ちだ。それがまぐれなどと言われ、次は勝つとも言われた。命を賭ければ、次はない」
「ふざけるな、おい。こんな、ふざけるな」
通行人が騒ぎ始めた。延広と男を囲むように、円もできていた。サイコロ持ってこい。そんな声が飛んでいる。
「お兄さん、なにをしてるんです」
早苗が腕を掴んできた。狼狽を、隠せなくなっている。
「ちょっとした、度胸試しさ」
「なにも命なんて」
「夜の町で、度胸と言ったんだ。命しかない。それが、この世界だろう」
なにか言おうとして、早苗が唇を動かした。しかし、声は出なかった。そのまま、早苗がゆっくりと通行人の円のなかに消えていく。
仕事は終わった。あれならもう、生半可な気持ちでは出てこないだろう。遊びではなく、夜に生きる覚悟が必要になる。仕事は、終わったのだ。
「丁だ」
言っていた。通行人の熱気が、一段と強くなった。サイコロだ、あったぞ。どこからか、声が聞こえた。男が腰砕けになり、それでも這うようにして距離を取ろうとしていた。その姿を最後に、男を視界から外した。
右手側。月のなかを走るように、二つの影が空を舞った。
地に落ち、三回跳ねた。静寂、そして歓声。それも、意味はないものだった。すぐに延広は背を向けた。命を賭けた勝負。敵すら、必要はなかった。勝負は、最後には自分とのものになるのだ。
丁だったのだ。そう思った。俺の命が、丁だった。だから、丁に賭けた。男も、早苗さえも関係なくなった。
自分が、この話をするところを思い浮かべた。命を賭けたのだ。文だけが、素知らぬ顔で話を聞いていた。へえ、丁だったの。それで、勝ったの。それが、唯一欲した言葉でもあった。
当初はかなすわ様→ミスティア→早苗だったんですが、書いてみて違和感が凄かったので消してみるとなぜかミスティアさんが主役みたいになってました。
八ツ目鰻って凄い。改めてそう思った。
あ、メリークリスマスです。