作:島ハブ

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大変遅れました。続きもたぶん遅れます
この話をもってとりあえず完結ということにしたいと思います
最終話には(終)ってつけるので、一気に読みたい方はそれまで気長にお待ちいただけると幸いです




生への傷 1

 

 

 暗がりを拡げ始めた人里は、いかにも乾いていた。

 タバコの先端の赤が段々とはっきりしてくるのを見ながら、延広は里の大通りを外れた。寒さが、肌を刺すような季節になっている。胸で留めていた革のブルゾンのファスナーを、首元まで上げた。寒いのはあまり得意ではない。

 左手にまばらな人里の家々を、右手に林を見ながら緑道を歩く。幻想郷での人里という言葉には二つの意味があり、狭義としては大多数の人間が住む居住区域の意、広義には人間を襲うことを禁じられたいわば人間保護区の意で、延広の歩いている道は居住区の外縁にあった。外縁部から先には、林だったり畑だったりが多く、民家や店などは少ない。例え安全だと言われても、なるべく内側に居を構えたがるのは当然と言えば当然だろう。外縁部に住んでいるのは、大抵変人か浮浪者の類いだ。居酒屋をBARと言い張るのも、変人で違いない。

 林にはいくつか道があり、延広はそれが獣の道なのか人の道なのかを多少見分けることができた。以前受けた依頼で、元猟師の老人と共に行動するうちになんとなくできるようになった。足下の草や土、行く手にある木々の枝葉。そういった風景の細に、人と獣の駈け方の違いを見つけることができるのだ。ただ、その老人は最後には獣のように駈けることができていた。そこまでいけば延広にも見分けがつかない。そういう人間がいるのを知っているということで、よしとするしかなかった。

 気付いた時には、揺曳する赤色が口元まで迫っていた。焦がすような熱気は冬の風の中で心地良いくらいで、手放すことをいくらか惜しく感じた。

 

「歩き煙草ぐらいでうるさくはしないけど、ポイ捨ては感心できないわね」

 

 少女に声をかけられたのは、踏みつけることで煙草の火を消した時だった。延広は抉るように靴を左右に動かしてから、吸殻を拾い上げた。

 

「酷い言いがかりだな。ただ、火を消してただけだっていうのに」

 

「そ。私の勘は、そうは言ってないんだけどね」

 

 右手の吸殻を、指先で弄んだ。携帯灰皿などという気の利いたものは、勿論持っていない。ポケットに入れるというのは、できれば避けたいところだ。

 少女が息を吐きながら腕を組んだ。独立したような袖が舞い、下駄が二度、地面を叩いた。

 

「まあ、いいわ。きちんと、持って、帰るなりなんなりしてくれれば」

 

 視線が吸殻から外れた。肩を竦めて、吸殻をポケットに放り込んだ。思ったよりもしつこそうだ。

 

「ところで、大橋延広さんよね?」

 

「そうだよ。博麗の巫女に知ってもらえているとは光栄だ」

 

「紫から色々と。手広くやってるそうじゃない」

 

「手広くね」

 

 霊夢の視線が、無遠慮に上下した。

 八雲紫が自分のことをどう考えているかはよくわからなかった。幻想入りしたころに数回言葉を交わした以降は、直接会ったこともない。依頼とも呼べないような依頼を、時折寄越してくるだけだった。

 その中で、延広なりに感じ取った八雲紫の姿がある。八雲紫の中にも、彼女なりの大橋延広がいるだろう。

 

「それで?」

 

「なによ」

 

「依頼があるんじゃないのか?」

 

 霊夢が鼻で笑った。

 

「まさか。依頼もないし、銭もないわ」

 

「俺に会いにきたんじゃないのか」

 

「それもまさか。この先に用事があって通りがかっただけよ」

 

 霊夢が指差したのは延広が通ってきた道だった。そちらの道は途中で二手に分かれており、一方は人里の内側へ、もう一方は外へと通じる。霊夢の指は、いくらか外側に寄っていた。

 一つ頷いて、延広は足を進めた。偶然出会い、煙草のポイ捨てを咎めた。そういうことなのだろうと思った。

 振り返ったのは、霊夢の視線が延広の背を離さなかったからだ。

 

「まだなにか?」

 

「なんとなく、あんたは止めといた方がいい気がしたのよね。まあ、これも勘だけど」

 

「悪いが、占いってのはあまり信用しないことにしてる」

 

「気が合うわね、私もよ」

 

 霊夢の茫洋とした瞳が束の間、延広を鋭く射抜いた。瞳を見つめ返す。霊夢は逸らさなかった。それどころか、圧倒してくるような色を放ち始めている。不意に、少女の形をした、まるで別のなにかと向かい合っているような気分が延広を襲った。薄闇の膜の中を、霊夢の視線だけが鋭利な刃のように貫いている。

 

「今度から、携帯灰皿でも持ち歩くことにしよう」

 

 目を逸らしながら言った。微かな自己嫌悪が、延広を包んだ。

 霊夢の瞳はいつのまにか茫洋さを取り戻し、闇の中に紛れていた。思い出したかのように、林から生き物の出すざわめきが聞こえ始めた。このざわめきが、自分の息遣いも掻き消すだろうと延広は思った。

 

「そうしなさいな。あんた、捨てるのが下手そうだわ」

 

 言葉が終わる前に、霊夢はこちらに背を向けていた。遠ざかっていく。その後ろ姿が闇に覆われる前に、延広は視線を切った。

 林のざわめきは目に見えず、しかし常に傍らにいた。それを避けるように、両の手のひらを息で暖めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつものように、カウンター席の一番端のスツールに腰を降ろした。入口から最も遠い席で、先客でもいない限り延広は必ずそこに座る。この店でBARらしい物といえば、いくつかの洋酒とこのスツールだけだ。一度ソルティドッグを頼んでみたが、スミノフらしきウォッカに塩と果汁をぶち込んだだけの物を出されて閉口したことがある。

 肘をつきながら、カウンター内の棚に目をやった。色形様々な瓶が並んでいる。それらは、ラベルを剥がされて銘柄のわからないようになっていた。代わりに、名前の書かれた紙が貼りつけてある。いくつかは瓶の形状から銘柄を察することができたが、それも外の世界で見た経験があるからだ。幻想郷生まれにはわからないだろう。延広もあえて銘柄では頼まず、ただ品種で注文するようにしている。日本酒、焼酎、ウイスキー、ブランデー、ウォッカ。そんなものだ。

 美鈴のコニャックは右下の方にあった。レミー・マルタンのお高いやつで、紅魔館の蔵にあったものを美鈴の口利きで仕入れたらしい。常連がカウンターをピアノのように鳴らしながらブランデーと言えば出てくるという。馬鹿げた遊びだった。

 ボトルで頼むことは滅多にしないので、延広の名前は棚のどこにもない。私のボトルはご自由に、と美鈴には言われていたが、無論開ける気はなかった。

 奥で物音がした。延広は立ち上がり、カウンター内にある未開封のブランデーとグラスを掴んで元のスツールに戻った。それぐらいの権利は、今の自分にはあるはずだ。

 

「なんだよ、もう来てやがったのか。勝手に空けんじゃねえよ」

 

「随分な言い種じゃないか。酒に誘われて来てみりゃ店主不在の四半刻。今まで空けなかったのを褒めてもらいたいね」

 

「だからって、店のもんに手ぇつける奴があるか、ばかたれ」

 

 口ではそう言いながら、大将は特に気にした風ではなかった。自分も棚から無造作に瓶を取り、椀に注いだ。どうやら日本酒らしい。銘柄は思い出せない。辛口の酒だったという気はする。

 

「おい、たまには乾杯なんてどうだ?」

 

「よせよ。今さら、そんな柄でもないだろう」

 

「お前と飲んだことは数あるが、乾杯ってのをしたことがねえ。なんとなく、そう思ってな」

 

「騒ぎたいだけの若者同士か、男と女がやる儀式さ、そいつは」

 

「ちょうどいいな。俺は今、騒ぎてぇ気分だ」

 

「酔ってるのかよ?」

 

「まさか」

 

 大将が身を乗りだし、椀とグラスを微かに触れあわせた。音すら立たない程度で、ただ擦り合わせたといった方が適しているような乾杯だった。小さく頷き、大将が椀の中身を一気に呷った。

 

「乾杯すりゃあ飲み干す。そういうもんだろが」

 

「ブランデーを放り込むにはいささか歳さ」

 

「ぬかせ」

 

 延広もグラスを傾けた。空になったグラスの中で、氷がからんと音を立てた。大将が満足げな顔をして、また小さく頷いた。

 

「やってみるもんだ。悪くねえ」

 

「本当にどうしたんだよ?らしくないことばっかり言うじゃないか」

 

「らしいもくそもねえよ。やりてぇと思えばやる、それだけさ」

 

「乾杯なんてのはな」

 

「もういい。ぐだぐだ言わず黙って飲めよ、それが」

 

 大将が言葉を途切れさせた。言いかけてしまった、そんな表情だ。

 そこで初めて、延広は大将の雰囲気を察そうとした。袖を通さず肩に引っ掻けている継ぎはぎの多い半纏、ねじりハチマキのようにして頭で結んだタオル、白い綿のシャツ。

 

「腹巻きとは珍しいじゃないか。あんたがしてるの、初めて見たぜ」

 

 延広が言うと、大将が口許だけで小さく笑った。固い笑みだった。

 

「俺も歳さ、いささかな」

 

「老いぼれるにはまだはやいだろう」

 

「わからねえさ、おめぇには」

 

 なにかに傷付いている。なんとなく、それはわかった。そこには触れずに、延広は日本酒の瓶を掴んで大将の椀に注いだ。酔っちまえよ。言葉にはせずに、伝えたつもりだった。

 お互いに杯を重ねた。静かな酒だった。騒ぎたいというのは、やはり口実だったのだ。

 

「なんだ、おめぇも人間らしい気遣いができるようになったもんだ。あの頃なら考えられねぇな」

 

「動物かよ、俺は」

 

「獣でも、もうちょっとマシな気をしてる。よくそう思ったもんさ」

 

 友達(ダチ)だろうが。大将の言いかけた言葉はそれだろうと、延広は思っていた。

 

「BARっての、どうだい?」

 

「なんの話だよ?」

 

「名前さ。BARっていうには、ここはあんまりだ。居酒屋『BAR』。それじゃだめか?ちょっとばかし、間抜けになっちまうかもしれんが」

 

 大将が目を閉じて、ゆっくり口を動かした。居酒屋『BAR』。確かめるように三回、大将はその名前を繰り返した。

 

「悪くは、ねぇな」

 

「だろう?」

 

 友達だとは、言えなかった。傷をなぞるようなそれが優しさになるのか、延広にはよくわからなかった。

 ブランデーを放り込む。日本酒を注ぐ。言葉はなく、アルコールだけがその場で揺らめいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目覚めは、元々あまり良くない。仕事がない日は特にそうだ。

 最後に仕事をしたのは四日前で、大将の居酒屋で飲んだ日だった。それ以来、大将の居酒屋へは行っていない。

 長屋の共用井戸で井戸水を使い顔を洗う。上着を脱ぎ、上半身の寝汗も流す。冬に入って水は冷たく、濡れた躰が風を受け震えた。それでもすぐにはタオルを使わず、寒風に身を晒す。鼻先が乾き始めた頃にタオルで躰を拭い、それから煙草を一本喫った。

 意味のあることではなかった。少なくとも、意味を持たせようとしたことはない。なにかにぶっつけてみたかった。そう思って始め、今はただ冬の惰性になっている。

 予定を思い浮かべた。仕事はない。珍しいことではなかった。毎日定期的な作業があるわけではないのだ。開店休業が長く続くと、延広は文のヒモに近い状態になることもある。

 煙草を喫い終えると、延広は動きやすい服に着替えた。こういう日、午前中はトレーニングに充てる。走り、自重を使った筋トレをやり、たまにシャドーの真似事もする。それから汗を流して、長屋を出た。

 喫茶店をいくつか回った。安いコーヒーを頼み、冷ましながら少しずつ飲む。その間にマスターが出てくれば、仕事にありつけたということになる。

 つまり、斡旋業者の真似事と喫茶店のマスターを兼任しているというわけだ。最初の頃は酒場関係の連中からのみ仕事を受けていたが、延広の飯の種になるような、人間関係のいざこざを抱えた奥様方というのはむしろこういった店で愚痴をこぼすのだということにある日気付いた。それからいくつか当たりをつけ、マスターと交渉をした。彼らは悩みを抱えた人間に大橋延広の名を紹介し、渡りをつける。延広は彼らに紹介料を払う仕組みだ。

 四件目でマスターが出てきた。

 

「どうかな、マスター」

 

「なんにもです。やっぱり冬になるとみなさん億劫なようで。問題処理なんて春先でいいだろう、って気になるんでしょう」

 

 肩を竦めながら、マスターが言った。どうやら、雑談に出てきただけらしい。延広としても苦笑するしかなかった。

 

「これは、商売あがったりだね」

 

「冬は越えられそうですか?」

 

「少し前に大店から依頼を受けたからね。ま、今年は懐も暖かい方だ」

 

「羨ましい話だ、まったく」

 

 延広は窓の外を見た。行き交う人々はまるで亀のように、首周りを少しでも服に埋めようと縮こまっていた。

 

「ところで」

 

 マスターが周りを窺い、他に客のいない店内に口元を引きつらせてから言った。

 

「あの話、聞きましたか?」

 

「なんだいそりゃ?」

 

「死体ですよ。上の方で妖怪が死んでたって」

 

「中か?」

 

「いや、外です」

 

「なら大した話じゃないな。人里から出れば無法地帯だろう、幻想郷(ここ)は」

 

「そうなんですがね。どうも、かなり人里に近いところで死んでたみたいですよ。紅魔館の、何でしたっけね門番は?」

 

「紅美鈴か」

 

「そうそう。その人に稽古つけてもらいに行こうとしたっていう武芸者が、鍛練代わりに林を通ったところで見つけておったまげたとかで」

 

 喋ってるうちに興奮してきたのか、口調が喫茶店のマスターらしからぬものになってきた。延広はコーヒーに口をつけた。まだ温い。コーヒーはアイスの方が好きだった。ホットを頼んだのは、冷めるまでの時間がマスターを待つ目安にちょうどいいからだ。

 

「そりゃあ凄惨な死体だったそうですよ。見てきた連中がボロが二つでは足りない、ボロ四つだ、なんて言ってね」

 

「少なくとも、喫茶店で聞きたい類いの話じゃないね」

 

 延広が言うと、マスターも閉口した。流石に、自分でも思うところはあったらしい。頭を掻く仕草をした。

 

「これは、失礼しました。寒くなるとお客様があまりいらっしゃらないもので」

 

「まあ、そういうことならいいか。殺しってことかい、その死体は?」

 

 マスターの頬が上がり、堪えるようにゆっくりと話始めた。

 

「どうも、そうらしいですね。色々あったそうですが、首への一撃が決め手のようだとか」

 

「下手人は?」

 

「そこなんですよ、話の肝は」

 

 マスターが顔を寄せた。

 

「どうも、人間じゃないかって噂です」

 

「退治屋か?」

 

「人狼の亜種の連中とかで、素行は悪いですが退治されるほどの理由はありませんね。やられた本人にもそこまでの悪行は特に」

 

「それじゃ、通りがかりの武芸者にでも斬って捨てられた訳だ」

 

「そこまでの腕利きなら、里でも名の通った武芸者でしょうがねぇ」

 

 多少面倒な気分になってきた。このマスターは気を持たせすぎるのだ。喫茶店で時間を潰そうという人間にはそれでいいかもしれないが、延広は正確には客ではない。

 マスターにもそれが伝わったのか、慌て気味に口を開いた。

 

「ヤッパです、ヤッパ」

 

 ヤッパ。マスターの言葉が、なぜか延広の心をかき乱した。

 

「傷口から見て、こりゃヤッパじゃねえかってなったそうで。ヤクザ者の仕業かもしれねえと」

 

 興が乗ったようにマスターが喋り続ける。自分の内側に湧いた疑問を、延広は探していた。

 

「大橋さんがご存知かはわかりませんが、ヤッパで腕利きのヤクザっていうと一人いましてね。まだ若いんですがかなりやるそうで。そいつじゃないかって話だったんですが、一昨日ピンピンしてたっていうし」

 

「一昨日ピンピンしてると、なぜ下手人じゃないんだ?」

 

「その妖怪は返り血も結構浴びてたそうですから。それに、死んでから五日は経ってるとか」

 

 ベルの音がした。マスターが立ち上がり、延広に一礼してからカウンターの方へ歩いていく。さっきの音はドアベルで、つまり客が来たのだろう。

 延広は考え込んでいた。コーヒーはもう冷めきっている。

 五日前の殺し。ヤッパ。弱っていた大将の姿。着けたことなどなかったはずの腹巻き。飲み交わしたのは、殺しの次の日だ。

 形がうっすらと出来上がっていく。しかし、形だけだ。形だけが、勝手に積み上がっているに過ぎない。

 

「延広さん」

 

 女の声だった。柔らかさのなかに、どこか通ったものがある。知った声だった。大将と三人で、酒を飲んだこともある。

 

「美鈴」

 

 いつの間にか、美鈴が延広のすぐ横に立っていた。厳しい表情を、美鈴は浮かべていた。

 

「探すのを手伝ってください。大将さんが、どこにもいません」

 

 

 

 

 

 





予定では全4話、3万文字前後のつもりです
ただし予定(未定)です


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