作:島ハブ

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生への傷 2

 

 

 

 

 

 扉を開く。足元でわずかな埃が舞った。

 他人の気配がないかは慎重に確かめた。特に、妖怪の気配をだ。件の殺しが大将の犯行なら、人狼とやらの一族が報復を狙っている可能性は高い。人里内とはいえ、この店はあまりにも中心から離れていた。

 カウンター、スツール、テーブル。ボトルを置いた棚から、なにを勘違いしたのか笊とランプを組み合わせた手製の照明まで、四日前となにも変わっていなかった。

 焼酎の五合瓶を手に取り、直接口をつける。三十度はある芋だ。三回まで喉を鳴らして、瓶を置いた。

 美鈴とは別行動を取っていた。妖怪への伝は美鈴の方が遥かに多い。一緒に行動する意味はなかったのだ。

 レミリアへの頼みもあった。気になっていることが、ひとつある。

 もう一度焼酎を呷り、延広は店の奥へ足を進めた。

 殺風景な部屋だった。寝ること以外のほとんどを、大将は店で過ごしていたらしい。六畳に押し入れと箪笥、卓袱台。隅の方に畳んだ布団がある。小さな開き戸があり、それは建物の裏手に続いていた。戸のすぐそばに砥石と桶。砥石は乾ききっていて、触るとひんやりとした。

 箪笥の一番上の引き出しには服と、白樺でできた長方形の細長い木箱があった。中にあるのは白い布だけだ。なにが入っていた木箱なのか、よく知っていた。それがここにないことの意味。

 店内に戻り、テーブルに腰掛けた。焼酎を、今度はちゃんとグラスに注いだ。氷はない。お湯もなかった。探した自分に苦笑した。それは、寂しさというよりは、ただあるべきものがないという諦念だった。

 大将が姿を消した。木箱の中に納めてあったはずのヤッパは、当然大将が身に付けているだろう。武装をして身を隠す理由など、そうあるものではなかった。

 氷を鳴らすように、グラスを揺らした。

 ほぼ五年ほどになるのか。初めて店に来たのが五年前で、通うようになったのはそれから三ヶ月ほど後だった。ぶん殴られ、ツケの酒を飲まされた。飲んだあと、延広は強がった。弱ってた、実力じゃねえ。実力じゃねえんだ。嘘ではなかった。美鈴にぼろぼろにされたのが、その一週間前で、力むと躰のあちこちが痛むような状態だったのだ。大将は笑った。俺もだ。そう言って木箱の中からヤッパを取りだし稲妻のように振るった。当たるはずもないその斬撃に、延広は二歩飛び退いた。

 酒を呷る。目を閉じて、もう一度グラスを揺らした。音はない。

 夜まで待って店を出た。天気が曇り始めていた。湿気は少なく、雨になりそうな気配はなかった。乾いた冷気だけが、木々の隙間から漂いだしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 適当な居酒屋に入り、辛口の熱燗を頼んだ。人里へと歩いてるうちに酒は抜けていた。ちょっと考えて、徳利とお猪口を運んできた店員にもう一つお猪口を持ってきてもらった。

 正体を失うほどに飲むことはなかった。ただ、少し醒めると再び口をつけてしまう。酔いすぎないことが、かえって酒量を増やしていた。

 やたらと店員が視線を寄越してくる。つまみを頼んでいないからだ、というのはわかっていた。酔って面倒を起こさないか見張っているのだ。それが、鬱陶しかった。舌打ちをしかけたところで、待ち人が来た。二つあるお猪口を見て、美鈴はにやりとした。

 

「すみません、お待たせしました」

 

「俺も今来たところさ、そう言えばいいのかな」

 

「それも中々ですけど、延広さんなら、黙って注いでくれるだけでもいいかな」

 

「女にやるには気障なやり方だ。いかにも、って感じがする。へどが出るね」

 

「荒れてますね」

 

「そうでもないさ」

 

「じゃ、寂しがってるってことにしましょうか。そういうの、嫌いじゃないでしょう?」

 

 延広は横を向いた。嫌いかどうかなど余計な言葉だ。そこまで口にしてしまうのが、良くも悪くも美鈴という女だった。

 美鈴が串をいくつか注文した。運ばれてきた一本を手に取り、延広の方へ向けて左右させた。延広はただ首を振った。

 

「お嬢様はなんて?」

 

「それだけでいいのか、だそうですよ。紅魔館にはまだ人手があると」

 

「露骨だな」

 

「部下思いの良い上司です」

 

 今は、延広と美鈴が知人を探している、という状態だった。そこに、以前からの親交や貸しを含めてレミリアの力を借りている。あくまで、個人的な繋がりなのだ。組織としての紅魔館の力を借りるとなれば、私的な曖昧さは通じないだろう。蟻地獄の一歩手前というところか。

 

「お前が頼めば、どうなる」

 

「部下に貸しを作ってもしょうがないでしょう?」

 

「全くだな。しかし、あのお嬢様にしちゃシビアなやり方だ」

 

「ウチには魔女もいますから。それに、なにも悪いことはない気もします。お嬢様は、延広さんのことも気に入ってますよ」

 

「冗談じゃないね」

 

「上司ってのもいいものなんですけどね」

 

 美鈴の言葉はいくらか的を外していた。それを修正する気が、延広にはなかった。

 徳利が空いた。店員を呼び、もう一本を頼んだ。レミリアのことで更に言い募ろうとした美鈴を、片手で遮った。

 

「もういい。お嬢様が頼んだことをしてくれた、それだけで充分だ。次は、お前の話さ」

 

 美鈴が姿勢を正した。会社勤めの律儀さで、それが延広にはたまに窮屈だった。

 

「警戒しています」

 

「気付かれたか?」

 

「私をというよりは、周りの全てをって感じです。一族の仲間が殺されたんだから、当然ではあるんですけど」

 

「探れないか」

 

「群れの大まかなところはなんとか。ただ、気配を消して出入りされると難しいですね。一刻ごとの出入りがあるのはわかるんですが、そこからは追いきれません」

 

「人狼は鼻が利くんだったな」

 

「気付かれていいのであれば、追えますよ」

 

「群れはどれくらいだ」

 

「二十人程度じゃないかと。一度に動いてるのは三人です」

 

「よし、五人以上動いたら追ってくれ。小規模の群れで既に一人やられてる。連中も慎重になる筈だ」

 

「三人で大将を狙うのはありませんか」

 

「三人に殺られるようならどのみち守りきれん、そう思うしかないな。まあ、それも人狼どもが敵討ちを考えている前提の話だ」

 

「十中八九、狙っているでしょうね。守りの斥候じゃないですよあれは」

 

 狙っているだろう、と延広も思っていた。それは、仲間を殺された群れの情念とはそういうものだろうという漠然とした考えだったが、直に探った美鈴にはそれ以上の確信があるようだ。

 

「延広さんの方は?」

 

「もぬけの殻さ、わかっちゃいたことだが。しばらくは通ってみるつもりだ」

 

「情報屋なんかは?」

 

「外までは動きたがらん。もともと、人里の中を主にして仕事を働いてるんだ」

 

 飲食店のウェイトレスなんかに手駒がいる、というスタイルの情報屋が多かった。だから、里の外での網は持っていない。情報屋も人間なのだ。

 

「分水嶺を弁えてる連中だよ。そうでない奴らはみんな早死にする」

 

 言ってから、自分の言葉がかすかに延広の気持ちを締め付けた。分水嶺はどこにあるのか。美鈴が、窺うように延広を見つめた。

 それから他愛のない話をいくつかして、美鈴と別れた。多少雲が晴れて、星が見えるようになっている。酔いの火照りで、寒さの変化はいまいちわからない。長屋へ、ゆっくりと歩を進める。

 路地から、男が出てきた。足取りは緩やかで、ふらりと通りがかった、という感じだ。

 こちらを向いた顔に、見覚えがあった。

 

「旦那」

 

 月明かりが男の目元まで照らした。まだ若く、どこか凡庸さを浮かべた目。以前、霧雨から依頼を受けた時にやりあったヤクザ者だった。

 

「お願いがあってきやした。旦那、あっしを使っちゃもらえませんか?」

 

「どこから尾行(つけ)てた」

 

二裂(ふたさき)親分(おやじ)さんの店から。申し訳ないと思いましたが、待たせて頂きやした」

 

 

 二裂の親分というのが大将のことだと理解するのに、少し掛かった。侠客の二つ名のようなものなのだろう。

 

「大将の店からか。気付かなかったな、警戒はしていたんだが」

 

「恐れ入りやす」

 

「使えっていうのはどういう意味だ」

 

「旦那方が今やってることにですよ。伝はありやせんが、あっしなら外でもまあ動ける。親分さん探しに使い潰してくれりゃいい。人手は欲しいんでやしょう?」

 

 煙草を咥えた。疑うべきことはあるはずだ。しかし、人手が欲しいのも確かだった。

 

「わからんな。お前のとこの親分とは関係ないだろう」

 

「冗談いけませんや。いや、それとも本気なのかな。旦那、幻想郷の筋者で二裂の親分さんの世話になってない奴なんかいやせん。そりゃ、大小はあるでしょうが」

 

「なら組で動くんだな」

 

「知ってらっしゃるでしょう?そんな極道はいないんですよ。ヤクザ者ばっかりでね」

 

「お前が、極道だと?」

 

「あっしみたいな半端者はね、真似事しかできないんですよ。だから、旦那に使ってもらいてえ。そうすりゃちっとは様になるってもんだ」

 

「人狼だ。一匹二匹じゃないぞ」

 

「やめてくださいよ、旦那」

 

 男の目に、気が籠った。問答など、必要とはしていない。そういう目だ。

 

「北、それから東へ行け。足を使え。明日の夜、さっきの居酒屋へ来い。一人、紹介する」

 

「さっきまで飲んでらした姐さんですね」

 

「気配察知に長けてる。お前の気を見せとこう。それで、なにかあればあいつの方から見つけてくれる」

 

 男が頭を下げた。もう一言、なにか言うべきかと思ったが、見つからなかった。男が、闇の中へと消えていった。

 煙草の灰を一度落として、延広もまた長屋へ歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 停滞していた。それでも、他にやることも思いつかない。続けるしかなかった。

 二日経っている。その間、延広は大将の店に行き、夜に美鈴たちと打ち合わせることを繰り返していた。

 

「大丈夫なんですね?」

 

 ヤクザ者の男と美鈴を引き合わせた日、男が去ってから美鈴はそれだけを訊いた。延広はただ頷いた。

 活発に動き回る男は、人狼たちの目を引くだろう。美鈴の問いはつまり、男を囮役に使っていいのか、ということだった。

 使い潰せ、と男が言った。拘りを忘れきれなかった男。だから、死なせてもいい。美鈴にはそう伝えた。自分に言い聞かせたのかもしれない、とも思った。

 大将の店に、男の弟分どもが様子を見に来るようになった。延広の周りで変わったのは、その程度のことだ。

 情報屋にも一応は金を撒いている。めぼしい情報は、今のところ入っていない。

 長屋に、明かりが点いていた。文が来ているのだ。夕方頃に、ノックもせずに上がり込んできた。それから延広は居酒屋へ行き、互いに報告をして帰ってきた。今は、亥の刻に入ったぐらいか。

 

「おかえり」

 

 こちらも見ずに、文が言った。文机に向かいペンを走らせている。延広は、卓袱台の横に片膝を立てて座った。

 ペンの音だけが、部屋に響いた。時折間延びし、また時折、思案するように途切れる。間延びするのは、もしかしたらちょっとした挿し絵でも描いているのかもしれない。文の新聞は、とにかくインパクトを重視していた。誤解されかねない表現を平気で使う。信憑性の薄い話でも、断言する形を避けられるならとにかく載せる。

 言葉というものを信用してないのだ、と延広は思っていた。その不信感を、八つ当たりのように書き散らしている。

 

「お酒、飲むの?」

 

 文が振り返り言った。今日の作業は区切りがついたらしい。

 

「熱燗でいい」

 

「野菜の煮物があるわよ。大根と小松菜と人参と。少し冷めてるけど」

 

「構わないさ。そいつもくれ」

 

 文が、燠火を使い素早く鍋に湯を沸かした。徳利を入れ、燗をつけている間に煮物も温め始める。延広は、後ろからそれを眺めていた。

 幸せな生活だろうと思う。食事を作ってくれる女がいる。多少選り好みしても暮らせる程度には、仕事もある。今冬は仕事をせずとも越えられる貯金まである。五年で、そんな環境が作れた。

 価値はあるはずだ。しかし、惜しいと思わせるなにかが、どこにもない。

 

「はい」

 

 卓袱台に熱燗と煮物が置かれた。お猪口は二つ。延広が飲む時は、大抵文も酒を口にする。

 野菜を食い、酒を流し込んだ。煮物には味が染み込んでいた。温め直しは二度目らしい。それを言わないのは、一般的には健気なことだろう。

 

「うまいな」

 

「味付けを濃い目にしてみた。それが良かったのかもね」

 

「なるほど」

 

「あんたが、好きそうだから」

 

「酒飲みはみんなそうだ」

 

「そう。ま、確かにそうね」

 

「不満か?」

 

「いいのよ。どうせあんた、わかってるんだから」

 

 男の好みに合わせる。それを喜んでやれば、いい旦那というやつだろう。理解されるだけで満足してしまうのは、精々いい愛人だろうか。お互いに、夫婦らしくなるのを避けているのかもしれない。延広が避けて、文が合わせている、とも考えられた。

 

「寒いわね」

 

「もうすぐ、いや、もう冬といっていい時期だ」

 

「あんた、寒いの得意じゃなかったでしょう」

 

「冷えるね、全く」

 

「それでも、動き回るのね」

 

「知ってるだろう?なんだかんだ世話になってる相手だ。寒いから見物、なんてのはできん」

 

「知ってるわ。一度も紹介してくれなかった大将さん」

 

 かすかに皮肉気だった。確かに、あの店に文を連れていったことは一度もない。

 

「今回のことが片付けば紹介してやるよ。あそこじゃ、俺は小僧扱いでね」

 

「危険なんでしょ?」

 

「下手を打っても大将が死ぬだけさ。退こうと思えば、いつでも退ける」

 

「退く気があるのね」

 

「人狼どもに喰われたくはないよ」

 

 白々しくなってきた。延広は苦笑した。言葉なんて。そんな台詞が頭に浮かんできたのだ。文の影響を、知らず知らずに受けている。美鈴がいる以上、人狼に喰われることなどないだろう。だから、なんとでも言える。

 

「キスしてもいい?」

 

 唐突に文が言った。なんとなく、延広は頷いた。

 文の顔が近づいてきた。日本酒の、果物のような香り。紅もつけていない唇。

 一瞬だけ触れあった。唇を離しながら、文が目を細めた。

 

「女の匂い」

 

 先ほどまで美鈴と居酒屋にいたのだ。文はやはり、嫉妬した女の言いそうなことを言った。

 

 

 

 

 

 

 







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