作:島ハブ

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生への傷 4

 

 

 

 

 

 

 

 風が躰を打った。汗はずいぶん前から滝のようになっている。まだ街道と言える場所だった。森に入れば、いつまで走り続けられるのか検討もつかない。

 それでも、走るしかなかった。

 一度口を割ると霧雨は饒舌で、しかも的確だった。魔法の森にあるという隠れ家の存在、おおよその位置、味方であることを知らせる笛の吹き方。そういったことを淀みなく説明した。

 時間が。霧雨がそう呟いた時、見張りの二人が飛び込んで来て気弾が上がったことを知らせた。虹を先導するかのように尾を曳きながら昇る気弾。美鈴からの、合図だった。

 既に半刻は駈けている。人狼共は延広よりも速く長く駈けることができるに違いなかった。連中が大将を見つけて動き出したのなら、どう考えても時間が足りない。

 景色の全てが、後方へ流れていった。踏み潰された雑草、葉を落としきって空のひび割れのようになった木々、腰を曲げた老婆。色すら、着いていないような気がした。砂が崩れるように、形を失いながら視界の後ろへ消えていく。

 足元の感触が変わった。道ではある。しかし、まだ整備の進んでいない道だった。踵と爪先、両方を万全には使えなくなった。地面の凹凸が力を削ぐ。

 蹴った。地面が敵、そう思い定めることだ。母指球で踵で、時には足刀部だけで地面を蹴る。それで、体勢を崩すことはなくなる。小岩。小さく跳躍し、かわした。一瞬、息が詰まった。浮き上がりそうな躰を抑え込んだ。呼吸が苦しい。苦しいうちは、まだ走れる。苦しいから、まだ走れる。

 道がだんだんと細くなり、木々の中へ入り込み始めた。緑が深くなっていく。森に入っていた。

 包まれている感じがした。まず白い靄が漂い、いつからか瘴気が混じりだした。呼吸をさらに細くした。魔法の森。清めの道具を準備する暇など、欠片もなかったのだ。

 自分がどこを走っているのかだけを考え続けた。樹に生い茂った葉が頭上を覆い、太陽の位置も定かではなくなっている。自分の足だけを信じた。

 不意に、なにかを感じた。躰が硬直しかけ、しかし振り切るように前に出た。闘争の気配。息を殺し、躰を低くして進んだ。背負い袋の紐を解き、棒を取り出した。

 樹の根本に毒々しい赤黒の物体が見えた。顔つきや体毛は狼のようだが、鼠径部が極端に丸く膨らんでいる。屍体だった。人狼というやつだろう。後ろを取れれば。まず思ったのはそれだった。脚の構造を見て、前傾気味の二足歩行と読んだのだ。後ろに対して瞬間で取れる動きは、少ないはずだ。そこまで考えて、延広は視線を切った。

 渾身の力で、駈けた。気配は少しずつ移動している。それほど速い動きではなかった。朽ちた倒木を二つかわした頃、気配のすぐ近くまで迫っていた。追いつく。そう思った時、なにかが弾け、闘争の気配が熄んだ。考える前に、延広は飛び込んでいた。

 人狼が五人見えたが、二人は息絶えていた。その奥に、ヤクザ者の男。いや、男であったもの。そう表現するしかなかった。躰中が血に塗れ、左腕は二の腕付近からなくなり、首が半分、噛みちぎられている。

 死んだか。音もなく呟いた。先の屍体と合わせ、六人。たった一人で、首を噛みちぎられるまで闘い抜いたか。

 憤怒とも違う、ただ激しさだけの情動に任せ、延広は跳躍した。降り立った時、一人の頭蓋を砕きもう一人の足を払っていた。

 

「新手だ」

 

 倒れかけた人狼が叫んだ。残った一人が、すさまじい勢いで突っ込んできた。倒れるようにかわし、下から突き上げた。浅い。互いに転がり、距離を空けた。足を払った人狼が、唸りながら飛びかかってきた。延広はもう一度転がり、起きざまに棒を跳ね上げた。正面への突進が尋常ではない。まともに向き合っている限り、倒れながらかわすしかなかった。

 二人は交互に突進する構えを崩さなかった。五回、浅傷を受けながらきわどくかわし、六回目を待たずに延広は後ろへ飛んだ。小さな倒木を挟んでの対峙になった。突進が、初めて止んだ。

 

「お前ら、命のいらん方はどちらだ」

 

「なに?」

 

 答えず、右手で上段に構え、左腕を前に突きだした。片腕を捨てる構えである。人狼たちが目配せを交わした瞬間、延広は倒木を越え踏み込んでいた。先手を譲り合ったのが、はっきりとわかったからだ。右の人狼の喉を突き、そのまま左へ薙いだ。頭を不自然な形に歪ませ、しばらくして二人が倒れた。

 膝をついた。荒い呼吸を繰り返し、それから棒を杖にして立ち上がった。傷は深くはなく、ほとんど血は止まりかけている。水が欲しかったが、得られそうもなかった。

 男の屍体に目をやった。束の間悩み、結局目だけを閉じさせて、延広は駈けだした。弔いなど後でいい。男が稼いだ時間。命の残り香だ、と延広は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 進むほどに、森が深まっていった。葉の層が厚いのか、ほとんど夜のような暗さだ。見えないほどではないが、僅かな光源がどこにあるのかまったくわからない。

 立会っているのは、ずいぶん前からわかっていた。直接向けられている訳でもないのに、立ち竦みそうになるほどの気だ。

 拓けた場所に出た。美鈴。惚れ惚れするような立ち姿だった。相対している人狼たちは、動きもできないようだ。ただ、美鈴も動けない。

 

「延広さんですか」

 

 顔も向けずに、美鈴が言った。人狼が一人、動く素振りを見せた。次の瞬間には、美鈴はその人狼を睨んでいた。

 

「動けんか」

 

「すみません。動くと、一匹二匹は逃がしそうです」

 

「いいさ」

 

「あの男の人は?」

 

「死んだ」

 

 美鈴の気は、欠片も揺れなかったように思えた。思っただけだ。他人に、気の乱れを悟らせるような女ではない。そして、味方の死をなんとも思わない女でもなかった。

 

「私はね、守るってことをやってみたかったんですよ」

 

「よせ、美鈴」

 

「紅魔館と、いくらかの人達」

 

「やめろと言っている」

 

「そうですね。ほんと、そうだ。亡くなった人に、なにを言ってもしょうがないですもんね」

 

 いつも、喋りすぎる。自傷のような言葉まで言ってしまうのが、美鈴だった。なぜ、とは思わなかった。悲しみを抱え込むような人妖が、幻想郷(ここ)にはよく集まるのだろう。喋らないことで抱え込む女も、知っている。

 かすかに、首を振った。

 

「三匹、逃しました。追いたかったんですけど、どうにも動けなくて」

 

「三匹か。大将を追ったのは、三匹だけだな」

 

「間違いなく」

 

「わかった。しばらく耐えてくれ」

 

 言って、延広は駈けだした。美鈴が昂っているのもわかっている。この前とは違い、畜生にでもするように人狼を数えたのだ。激しくはなく、しかし凄惨な殺し方をしそうだった。見られたくはないだろう。

 走り辛くなってきた。頭上の葉は青々としているのに、足元には枯れ落ち葉が積もっているのだ。地面を見て、などということはできなくなっている。

 もう気にしなかった。苦しさだけを意識の端で掴まえていた。

 陽光が差し込んだ気がした。森の瘴気がなぜか薄まった。光の中。大将。見えていた。腹巻きが濡れたようになっている。血が、落ち葉を染めていた。低くヤッパを構えて、三人の人狼と向き合っている。

 裂帛の気合とともに、大将の右腕がブレた。延広は右の人狼に打ち込んだ。人狼が退がった。追おうとして、全身に粟がたった。どうかわそうとしたのか、自分でもわからなかった。呼吸が止まった。咳。血。かわせていなかった。衝撃を殺し切れずに、木に叩きつけられたようだった。真ん中にいた人狼だ。気付いた時には目の前で、次の瞬間には吹き飛ばされた。

 液体の落ちる音がした。人狼が一人、首から血を吹き出しながら崩折れた。その横で大将が片膝をついている。ヤッパの切っ先だけは、人狼へ向けられたままだ。

 睨み合った。

 

「そいつとまともにやりあうな、延」

 

 大将が言った。嗄れて、咳き込むような声だった。

 群れにはリーダーがいる。そしてそれは、大抵の場合一番強い奴だ。真ん中の人狼が、それなのだろう。

 右の人狼が邪魔だった。やつさえ倒せれば、あとは相討ちでもいい。

 一歩踏み出した。真ん中の人狼がかすかに引いた。位置取りまで考えて闘っている。

 大将を見た。頷いたように、延広は思った。充分だ。

 延広は無造作に歩きだした。三歩、それから地を蹴った。白い光が走った。擦り上げ、振り降ろした。右の人狼の脇腹から左肩、そして首を打った。蚯蚓でも這ったような跡を躰に刻み、人狼が倒れた。

 リーダーである人狼の左足に、ヤッパが刺さっているのが見えた。突進が来た。かろうじてかわした。かわせるレベルまで、勢いが落ちている。

 上段に構えた。小細工など、もうなにもなかった。相討ち。腹を据えただけだ。一度決めてしまえば、それは不可侵のものにするべきだろう。少なくとも、延広にとってはそうだった。

 自然に躰が動いた。突進。避けなかった。牙が食い込んできた。腕が、不思議な動きをした。風景が回転した。空と地面がめまぐるしく入れ替わり、空の番で止まった。ちょっと違う空な気がする。仰向けに倒れているようだ。

 

「起きたか」

 

 声。頭の上からだが、ひどく遠い。

 

「喋れるだろう、え?できねえとは言わせねえ」

 

「どうなったんだ?」

 

「まったく大したタマさ。首を噛まれたのが見えた時、死んだ、と思ったぜ」

 

 大将の声。低く小さいが、先よりも明瞭になった。

 

「気を失ってたのか、俺は?」

 

「止血だけは済ませたぜ」

 

「自分の傷はどうした」

 

「お先にやらせてもらったよ。血を失って死ぬことにはならずに済みそうだ」

 

 目線を上げた。それだけでも、ひどく億劫な気分になった。淀んだ水の中にいるような気だるさだ。

 青い顔をした大将が見えた。腹巻き。渇いた血の跡だけだ。肩の辺りに新しく晒が当てられている。そちらの方も、血は止まっているようだった。

 

「相討ちだと、思ってた」

 

 喋るだけでも息が切れた。

 

「振り降ろしたらそうなったろうな。勘、いや、本能みてえなもんか。お前は咄嗟に石突を遣いやがった。眉間に突き立ててよ、狙ったってああ上手くは入らねえもんだが」

 

 目蓋が重くなってきた。眠いというより、目を開けているのが耐え難いような感覚だ。抗う意思も湧いてこない。

 

「美鈴が、来てるはずだ」

 

「安全に、確実に殺ってるよ。細かいことは、お前にゃ知ってほしくないだろう」

 

「いいよ。言わないでくれ」

 

 それだけを口にして、延広は目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病院ではない、と思った。竿縁の天井が見えたのだ。白い無機質なコンクリートではない。

 自分が寝かされているのが布団なのもわかった。掛け布団と毛布の間に薄いタオルケットが挟まれていて、ちょっと汗が滲むほどだ。横を向くと畳を二畳ほど挟み、襖だった。陽が差し込んでいる。夕陽の鮮やかさではない。朝の、生命があり溢れた光だ。

 眠った。襖の外に気配を感じ、延広は目を開けた。襖が開き、女と、その奥に竹林が見えた。

 

「目は覚めたのね」

 

「永遠亭か。考えてみれば、当たり前だな」

 

「いい腕だ、って永琳が言ってたわよ。止血が完璧だったから、消毒して安静にさせるだけでいいって。増血剤は、飲んでもらうけど」

 

 止血。大将。急速に頭が回り始めた。

 

「おい」

 

「昨日の夜よ。紅魔館の、なんとかいう門番が背負ってきて、傷を診てくれって。首の傷なんかちょっとズレたら死んでたらしいけど、ここに来た時には止まってたわ」

 

「大将は?」

 

「無事だって伝えてくれって、門番が言ってた」

 

「そうか、無事か」

 

 訊いた訳ではなかったが、輝夜は頷いた。

 解決したことは、あまりにも小さかった。復讐に駆られた人狼。そんなもの、ちょっとした小波のようなものだ。そして、小波で死に掛けたのが今の自分だった。

 大将が、人里の中で人狼を殺した。掟を犯したというのが、どれほどのことなのか延広にははっきりとしなかった。博麗という名が幻想郷では一つの秩序で、それを敵にまわすぐらいのことではあるのだろう。何故殺ったのかは最初から考えていない。してやれることをする。それだけだ。それだけでいいと思えるくらいには、友達だった。

 小波は退けた。しかし、秩序という津波がやってくる。博麗霊夢を殺したところで、どうにかなるものでもないだろう。次の巫女が生まれ、闘いになる。幻想郷が滅びるまでそれが続く。秩序と向かい合うとは、つまりそういうことだった。

 無意識に手元を探った。

 

「煙草は預からせてもらってるわよ。一応、病室だしね」

 

「死ぬ訳じゃないだろう。別に部屋で喫うとは言わんさ」

 

「禁煙が流行ってるのよ。世の中の潮流ってやつ」

 

「もうちょっと俗なところに住んでから言うんだな、そういうことは」

 

「私は、俗ですけれどね」

 

 口に手をあてて、輝夜が笑った。

 他人の欲望を駆り立てすぎる。俗な場所に住めば、厄介事の温床だろう。

 煙草は、諦めた。

 

「増血剤とやらを貰えんかな。抱えてる案件が急ぎでね」

 

「午後までは動かせないらしいわ。あれで頑固だから、変なことを言うと問答無用で眠らされるわよ」

 

「年寄りは狷介でいかんな、全く」

 

「冗談でも本人の前ではやめて頂戴ね。火葬場まで担ぐのは、イナバも気が滅入るだろうし」

 

 目を閉じた。どうせ、考える時間は必要だ。煙草を喫えないというのが、いくらかもどかしいだけだった。煙を通してなにかを見ようとするところが、自分にはある。

 時間はどれぐらいあるのか。やはり、そこからだ。博麗霊夢が大将へ辿り着くまでの時間。

 本来はない筈だった。それをレミリアに頼んで作らせたのは、延広だった。運命を操るというのがどういうことか、具体的にはわからない。美鈴に会ったついでに口にした。その程度の期待だったが、しばらくなら誤魔化せる、という返事がきた。それだけでいいのか、という一言まで付けてだ。大将に対して勘が働かない運命。奇妙な字面だが、言葉にするとそういうことらしい。

 人狼を殺しただけなら、レミリアにこんなことは頼まなかっただろう。人里から姿を隠したことが、延広のどこかに引っ掛かった。結果として、その引っ掛かりに助けられている。

 あとどれくらい誤魔化せるのか。長い分には構わない。最悪の数字の方で、見通しをたてておくべきだ。糸口。どこかに、ある筈だ。

 

「ニコチン中毒じゃないでしょうね、大橋さん。難しい顔ばかりされてるけど」

 

「実は、そうなんだ。一本根本まで喫えりゃ、それですっきりって寸法でね」

 

「嘘ね。渡せないわ」

 

「ひどいな。本当ならどうしてくれるんだ?」

 

「嘘でも本当でも、喫わずに済ませて悪いことはないでしょう」

 

「意外だな」

 

「なにが?」

 

「まともなことを言うもんだ」

 

 また、輝夜が上品に笑った。あまりに仕草が流麗過ぎて、逆に笑ってないように感じる。社交界にでも転がっていそうな笑顔だ。

 

「お茶でも淹れましょうか」

 

「コーヒー。キリマンジャロだ」

 

「無理難題なんて、言うものじゃないわよ」

 

「友達は?蓬莱山」

 

「ここのみんな。それから、竹林にいる変なの」

 

 わざとらしく、輝夜があっと声をあげた。

 

「なんでも屋の友達というのも、悪くはないわね」

 

「大いに悪いぜ。やめときな」

 

 延広は輝夜を見た。艶やかな黒髪。たまに覗く、はっとするほど白いうなじ。月を夜空が包んでいる。そう思ったのは、昔話を知ってるからか。

 

「お前、なぜここにいる?」

 

「なんて口を利くのよ」

 

「悪い意味には取らないでくれ。月から迎えとか、そんな話だったと思ってな」

 

「逃げた。正確には逃がしてくれた、ね」

 

「先生かね?」

 

「そうよ。なぜ、そんなに気にするの?」

 

「ちょっと、逃げようかと思っててね」

 

「竹林で死ぬのはやめてくださいね。なんなら、変なの呼んでいいから」

 

「案内人ってのは確かに必要だ」

 

 笑った。輝夜も笑い返してきた。友達の話をする時は、なかなかマシな笑顔になる。黒髪に、もう一度目をやった。

 

「また、違う女を見てるでしょう。失礼な人」

 

「正直に言うと、そうだ。悪いとは思うがね」

 

「索漠としてるのね。その(ひと)が清涼剤なんだわ」

 

「もう一つあるんだが、止められちまってる」

 

 輝夜が肩を竦め、小さな箱を投げて寄越した。

 マルボロ・メンソールを一本、延広はそこから抜きだした。

 

 

 

 

 

 

 







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