作:島ハブ

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大変遅くなってしまいましたが完成しました。四話とエピローグ的蛇足が一話です。一日置きで投稿していきます。感想等頂けた場合は完結後に返信いたします。



生への傷 5

 

 

 

 

 夕方までは、永遠亭に詰めざるを得なかった。医者としての矜持なのか、八意永琳は増血剤の効き始めを確かめるまで許可を出さなかったのだ。夕方に素手で脈を取り、ひとつ頷くとようやく延広を解放した。

 時間はあったが、考えは大して進まなかった。流石に、輝夜も二本以上は許してくれなかったのだ。粘ってみたが、呆れた視線が訝しげなものに変わってきたところでやめた。本当に中毒患者だと思われてはたまらない。

 鈴仙の先導で竹林を抜けた。夜間から早朝にのみ在宅している家庭へ薬を届けるらしい。人里から出ない限り、幻想郷において夜はそこまで危険な時間帯ではない。

 正午辺りから雨が降りだしていた。傘もいらない程度の小雨だが、空気は冷えて肌を刺すようになっている。雲は厚く、山向こうまで続いているようだ。二、三日は降るかもしれない。

 

「私はこれで」

 

 鈴仙が言った。編み笠に薄藤色の着物で、ブレザー姿よりも挙措は淑やかに見える。

 鈴仙と別れて、長屋への道を歩いた。考えがまとまっていない。可能性は千々に乱れ、核となる答えは浮かんでこなかった。数字で考えてはいない。だから、効率のいいものが一番とはならないのだ。

 まとめなくてもいい、と思い直した。決めるしかない時に、一番マシな考えを選べばいいのだ。その時まで悩み続ければいい。

 長屋には、明かりはついていなかった。服と財布だけを持って、延広は長屋を出た。

中央道から横道に二つ入ったところに銭湯があった。金を払い服を脱ぐと、躰を洗ってから肩がすっぽりと埋まるぐらいに浸かった。首にはまだ包帯が巻かれてある。長々と浸かり、出血していないことを確かめてから湯を出た。火照った躰は、冷気を浴びて一気に引き締った。もう一度首をなぞり、それから包帯を銭湯のごみ箱へ捨てた。傷跡は生々しく、左右二つずつ肉の口が開いているように見える。襟に首を埋めるようにしながら、延広は歩いた。小雨の煙る人里では、襟を立てた姿など大して目立ちもしない。

 長屋にはやはり明かりがなかった。部屋の真ん中に延広は座り込んだ。

 目の前には闇がある。左右も、後ろも、上もそうだ。そして、わずかに明かりを灯すだけで切り払えるものでもあった。だから、本当は闇などないのだ。頭から布団を被る子供のように、自分自身で闇を作り出しているにすぎない。延広はそう思っていた。ただ、行灯がどこにでもある訳ではない。人工の明かりは、ある種の超越なのだ。

 目蓋を閉じる。そこもまた、闇だった。

 延広は手探りで棒を探した。見つけると、端を握って立ち上がった。両手を使い持ち上げる。意図せずして正眼のような構えになった。

 対峙している、という格好だった。相手は壁なのか闇なのか。そんな訳はない。壁ならば壊せる。闇は、蝋燭一本でいい。もっと別種の重さが、棒の先にある。

 ゆっくりと切っ先を持ち上げ、素早く振り下ろした。掠れた高音が空間を伝播し、散った。それだけだった。再び正眼に構えた。剣のように構えるには棒は些か長い。それでもなぜか、正眼だった。

 不意に、昔のことが脳裏に湧き上がってきた。外の世界。あれは鉄パイプで、延広はやはり正眼だった。

 歓楽街で絡まれたのだと、友人は言った。外傷はひどくなかったが、財布を奪われていた。その友人は、母の形見だという小さなハンカチを常に財布に携帯していた。

 後日河川敷で財布が見つかったが、当然中身は空だった。現金はもちろん、各種カードも、そしてハンカチも。このままでは、生きていく資格がない。呟かれた言葉を、耳ではないどこかで延広は聞いた。

 相手は族のリーダー格で、持ち主不明の小綺麗な廃屋を溜まり場にしていた。友人と二人で面体を隠し、鉄パイプを握りしめて乗り込んだ。

 十一人いた。誤算だったのは、五人の暴力団員とトランクケースだった。末端の売人と暴力団の下っ端とを地元の族が繋いでいるというのはありそうな話で、そこに覆面二人が殴り込みをかけた形である。リーダー格だけを叩いて素早く逃げる、という当初の計画は到底不可能だった。

 咄嗟に正眼に構えた。剣をやったことはなかった。知人から、正眼と手の内の絞りを教えられたことがあるだけだ。

 友人が鉄パイプを振りながら駆けまわった。延広は暴力団の中の三人と向かい合っていた。その三人が明らかに危険な気配を放っていたのだ。仕掛ける度に、狙った一人が大きく間合いを外し、残りの二人に浅く斬られた。折り畳み式のナイフ。あっという間に延広の躰は血塗れになった。それでも連中から仕掛けてくることはなかった。ただ安全策を取っているのではない。相討ちも見据えていることが、連中の殺気に現れていた。ただ、無謀に死ぬつもりはなさそうだ。失血死を待っているのは、痛いほどにわかった。視界の端で友人が足をもつれさせたのが見えた。転げまわりながら、振り下ろされてくる鈍器を必死に避けていた。

 もういい、という気持ちに延広はなった。諦めた訳でも、死を受け入れた訳でもない。ただ、死を厭う気持ちがどこからか欠落した。日々欠け落ちていたものが、一気に霧散した。

 大きく踏み込んだ。追いすがった一人に深々と背中を斬られたが、横薙ぎで別の一人を昏倒させた。友人が縋りつくようにして一人を転倒させていた。リーダー格の男だ。延広は跳び、一人を強かに打ったが、肩を突かれた。あと一人。向き直ったが、目が霞んで像を結ばなかった。血を流しすぎていた。鉄パイプを振り上げた。あとは振り下ろすだけ。そう思ったが、世界が明滅し、暗転した。

 目覚めた時、延広は森の中で横になっていて、目の前には八雲紫がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開いた。闇が晴れ、そしてまた闇だった。長く閉じた目は、闇の中でも棒を微かに捉えた。結局、こんなものだ。実際にはなにがしかの光が差し込んでいて、慣れさえすれば目は闇を闇でなくしてしまう。ただ暗いというだけの話だ。

 あの後、八雲紫は説明と謝罪をし、詫びとして棒を渡してきた。自殺志願者と勘違いしたというのが謝罪の理由だったが、奪ってはならないものを奪ってしまった、とも言っていた。鉄パイプを振り下ろすことはできなかったのだろう、と延広は思った。最後までともに戦い、傷だらけのけもののように血の海に横たわる。あの時ありえたかもしれない未来は、まるで安い占いのように実感から遠ざかっている。

 振り上げ、振り下ろした。暴力団の男をイメージした筈だったが、浮かんだのは紅白の巫女だった。そして、ひらりと躱された。頭上には木々がある。でなければ、地上での戦いにはならない。

 躰を押し出すようにして突いた。霊力の結界は棒が無効化する。しかし、当たらない。博麗の巫女の戦いを延広は見たことがなかった。天賦とは聞いている。イメージできるのは自分の打ち込みだけで、それも悉く躱された。小手先で体勢を崩すことを狙う。無意味だった。いざとなれば、相手は浮ける。

 闇だった。しかし、本当に闇なのか。光の筋がどこかにあり、それを手繰ればただ暗いだけにはならないのか。

 棒を壁に掛け、横たわった。光はその場で見つけるしかない。そもそも、博麗の巫女と戦わずに済ませる道こそが光かもしれないのだ。

 眠った。なにか夢を見たが、記憶には残らなかった。

 目覚めると、井戸で水を被った。大した寝汗でもなかったから、悪い夢ではなかったのだろう。

 水を払い、煙草を咥えた。二度灰を落とした程度で揉み消し、それから文が普段使っている低い机に向かった。取材内容をまとめるのに使うだけの机だから道具が充実しているわけではないが、ちょっとした手紙を書くには充分だ。紙と封筒を二組、引き出しから取り出した。失敬した、という言葉が浮かびなんとなく笑った。元々延広が買ったもので、持ち腐れにしていたところを文が勝手に使っていただけなのだ。

 時間は掛からなかった。認めた文章を一度見返し、封筒に入れた。二度以上見返すと、無意味な添削がしたくなる。

 長屋を出た。小雨はやはり降り続けている。封筒を持った左手をブルゾンの内側に突っ込んだ。

 江戸時代のようなおおらかさを幻想郷は残している。良く言えばおおらかということで、雨の日なんかだとそれは怠惰に近い印象になる。要は、仕事をしない、という店が増えるのだ。少ない駄賃で届け物をやるような人間も、雨の日にはなかなか見つからない。

 結局、霧雨店まで来ることになった。幻想郷が誇る大店は、流石に雨など苦にしない。

 延広の姿を認めた手代が腰を上げそうになるのを、片手で制した。

 

「大した用事じゃなくてね。旦那さんを呼ぶまでもないよ」

 

「せめて、番頭さんに。あたしにはとても勤まりません」

 

 ほとんど泣き顔で手代が言った。苦笑して延広は頷いた。

 やってきた番頭に促されるまま延広は屋敷に上がった。といっても入り口のすぐ近くで、衝立が辛うじて空間を分けている程度だ。

 

「挨拶なんざ勘弁してくれ。ほんとに大した用事じゃないんだ」

 

「それではお言葉に甘えまして。早速ですが、手前どもに用事というのはいかなるお話でしょう?」

 

「人を走らせてほしいのさ。大事な恋文でね」

 

「二通あるようにお見受けしますが」

 

「宛先は別々だ」

 

「それはまた、結構なことにございます」

 

「当然、秘密厳守だ。わかってもらえるかね」

 

「口の堅いのをご用意しましょう。しかし、私の口はあるところでとても軟らかくなるわけですが」

 

「霧雨の旦那には、よろしく伝えてくれ」

 

「恐れ入ります」

 

 片方の宛先は、咲夜にしてあった。紅魔館への届き物は門番である美鈴が受け取るのだ。宛先が咲夜でもレミリアでも、差出人の延広の名を見ればそれが自分へ宛てたものであることに気付くだろう。延広の無事と大将に心構えをさせておけという指示を書いた内容だが、美鈴と大将の名は出さずそれぞれ咲夜とレミリアに置き換えている。博麗霊夢の勘というのがどこまで効くのか、まだ把握しかねているのだ。霧雨の店まで来るのもできれば避けようと思っていた。ちょっとした手紙なら駄賃目当ての少年でも使うほうが、今の幻想郷では自然である。紅魔館宛てなら美鈴に稽古を請う武辺者でもいい。

 大通りを西へ歩いた。

 途中に路地の入り口が見えた。そこをしばらく行くとひとつ向こうの大通りに繋がる道があり、ぽっかりと取り残されたような小さな広場がある。そこの木の下で、橙と短い会話を交わしたのはいつ頃だったか。

 貸しがあるとするなら、それぐらいだろう。動かないとしても不思議はなかった。冬の季節。寒さが、忌々しくなってきた。

 ひとつの賭け。普段なら、どうということもない、と思うだけだろう。自分以外も乗せたサイコロは、あまりに重すぎる。

 無人販売所で傘を買った。内職かなにかの作品らしく、職人の細やかさはない。真竹が骨太で、全体としてどこか愚直なのだ。だからある意味、素材と技術で荒々しい調和は取れていた。

 振った。低く、重い音。達人ならともかく、延広が使うぶんには痣を創るのが精々だろう。お遊びという言い分は立つ。

 人里を抜けていた。雨が、動物の息遣いのように辺りを取り巻いていた。

 一度ぐらいは手並みを見ておくべきだろう。小さな賭け。こちらは、気楽なものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 石段は大して苦にならなかった。それよりも、左右の雑草が面倒だった。伸び放題になっていて、途中までは一々払いながら進んだが、最後は傘を前に向けて無理矢理通った。そんな道筋だから参拝客はもちろん、人とすれ違うことさえなかった。

 博麗霊夢は何をするでもなく、本殿の縁側で空を見ていた。瞳は相変わらず茫洋としている。庇が短いのか、足袋がいくらか濡れてしまっているようだった。

 霊夢を無視して、延広は賽銭箱の前に立った。鈴は普段出していないらしい。延広は少しほっとした。あの響きの中には自分のような俗にそぐわないなにかがある。言葉にすれば神聖さということになるのだろうが、本質はもっと不明ななにかだ。

 小銭を投げ込み柏手と礼をする。なんの神を祀っているのかさえ知らないのだから、当然祈りもない。客としての礼儀を果たしているだけだ。

 煙草を点けてみた。霊夢は茫洋としたままだ。もしかすると、今踏み込めば。思考が浮かんだのと、霊夢がこちらを向くのは同時だった。馬鹿馬鹿しくなるほどの、勘の鋭さだ。

 

「禁煙だったかな」

 

「煙草って美味しいの?」

 

「悪くはないってやつさ」

 

「大橋さんはなんでもそう言いそうね。悪くはない、嫌いじゃない」

 

「鋭いね」

 

「煙草の煙に巻かれない程度には、ね」

 

 灰が落ちる。

 

「いいわよ、別に。賽銭を入れて手を合わせられたんだから、お客様ってやつだし」

 

「この前はかなり厳しそうに見えたがね。あんた呼ばわりは中々だぜ」

 

「面倒そうだったから。面倒を持ってくる人はあんたで十分なのよ」

 

「賽銭を持ってくるならさん付けって訳だ」

 

「面倒を持ってきてるのは別の人って気がしただけよ。大橋さんは、面倒そのものに近いわね」

 

「勘という名の、超能力だな」

 

「お茶でも淹れましょうか」

 

 霊夢が立ち上がり、本殿の中へ入っていった。後ろ姿は隙だらけとしか思えなかった。本当の隙などないことは、さっき確かめたばかりだ。それが積み重ねの結晶ではなく勘だけで為されているのだから、天賦というのは伊達ではない。

 湯呑を二つ乗せた盆を持って戻ってきた霊夢が、元の位置に座った。その正面に立って、延広は傘を構えた。正眼。気は内側に籠める。間合いにはまだ遠い。

 

「一手、願えないかね」

 

「やっとうを遣るとは聞かなかったわね」

 

「棒術も空手もボクシングもやる。コマンドサンボや詠春拳もやるかもしれんな」

 

「なにひとつ、遣らないってわけか」

 

「闘い以外は」

 

「拳法なら門番、やっとうなら庭師を勧めたけど、ただ闘いじゃあね。寺は?」

 

「神前がいいね」

 

「賽銭箱、蓋しておけば良かったわ」

 

 立ち上がった霊夢が、無造作に距離を詰めてきた。いつの間にか、右手には祓い棒が握られている。間合い。堪えた。ただの距離とは違う、本当の間合いがどこかにある。それが見えれば。

 不意に霊夢の前進が止まった。気づいた時、延広は突き出していた。間合いではない。渾身の力で突きを止める。傘を開いた。塞がった視界の中に、霊夢の足は見えなかった。裏回り。咄嗟に判断して、前に跳んだ。唐紙をなにかが突き破った。祓い棒。延広の咽喉に突き刺さる寸前で、祓い棒は引かれていった。ふわりと浮いた霊夢の姿。

 天を仰いだ。

 

「地上の駆け引きに精通してるのはわかるけどね。足を見て挙動を読むのは悪手なんじゃない?」

 

「全くだ。二つ訊こうか。なぜ足で読みあいをすると思ったのか、突きの後なぜその場に留まったのか」

 

「なんとなくよ」

 

 何事もなかったかのように、霊夢は縁側に腰かけ茶を啜った。その隣に延広も座った。新しい煙草に火を点ける。

 

「それで?」

 

「闇だね。真っ暗だよ」

 

「自分で留まってるだけじゃない」

 

「鎖みたいなもんかな」

 

 茶を啜った。甘く、渋みはない。コクが少々物足りなかった。らしいといえばらしい茶だ。

 

「捨てちゃえばいいのよ」

 

 霊夢が言った。瞳は変わらず、空を見上げている。時間の移りを置き去りにしていた。

 

「傷ついて苦しんで、流した血と一緒に、捨ててしまえばいい」

 

「いいお茶だね。嫌いじゃない」

 

「持ち続ければ苦しむことも、捨てれば楽なこともわかっているのにね」

 

「もう少し渋くてもいいな。甘さが際立つ」

 

「大橋さんはそう思ったことがないの?」

 

「わからんよ。君が誰のことを言っているのか」

 

「大橋さんのことだと思っていいわよ」

 

 八雲紫。勘を効かせるほどでもなかった。

 

「血は血だろう」

 

「命でしょう」

 

「死は、死だよ」

 

「わからないわね。ひとつもわからない」

 

「死はいずれ来るさ。早いことも遅いこともある。情念に、早い遅いはない」

 

「死んでも?」

 

「傷痕が残るさ。生々しく口を開けていることもあれば、薄く皮膚で被っているものもある。しかし、傷だね」

 

「流した血よりも、意味がある訳?」

 

「血が抜けた隙間に」

 

「意味ができる。それが、傷って訳ね」

 

 意味ではない。しかし、言葉にできるものでもないだろう。傷としかいえなかった。

 

「楽には生きられないってことね、大橋さんもあいつも。だから、楽には死ねない」

 

 延広は笑った。失笑程度のつもりが、声をあげていた。博麗霊夢の言葉。とすると、文の勘も捨てたものではない。

 間合いも、微かに見えた。霊夢は、今回の騒動を八雲紫の試金石にしようとしている。ならば、勝負は最後の肚で決まる筈だ。

 

「もう少しはやく知り合えば、違う関係を築けたかもね」

 

「俺は嫌いじゃないがな」

 

「私もよ。でも、殺すと思う」

 

「勘かね?」

 

「いや。考えて言ったわ」

 

「わかった」

 

 湯呑を傾け、最後の一滴まで飲み干す。幻想郷でついた、数少ない癖の一つだ。

 鳥居を潜っても、霊夢は微動だにしていなかった。最後の最後に、交錯する。それまでは、互いに様子見だろう。その時間は長くない。

 

「捨てるのが、下手くそなのよ」

 

 声が、風に乗って聞こえた。煙草を踏み消し、少し悩んでポケットに突っ込んだ。

 小さな賭けには勝った。のみならず、博麗霊夢の一端に触れた。駆け引きは、最後まで五分だ。

 最後を決める権利は霊夢が握っている。そして、霊夢が人間的であるならば、文字通りの最後まで、決められはしない。

 長屋に着いた頃、日は沈みかけていた。

 大家が出てきた。不在の場合、事前に希望すれば大家が郵便物を預かってくれる。ちょっと頭を下げて、受け取った。

 一通目は美鈴からだった。咲夜とレミリアが健勝であることと、宴会の誘いという体で延広の予定を訪ねる内容が、簡素かつ流暢に書かれている。あれでなかなか、筆まめなところもあるのだ。差出人は当然咲夜の名前になっている。魔法使いがなにか動いているらしいことが、何気なく添えられていた。

 二通目。宛先だけの封筒。開いた。戌の刻に。明らかに橙ではない文字だ。

 大きな賭け。気が重いのは、背負う命からか、八雲紫だからか。

 自分の中にすら、答えはなかった。

 

 

 

 

 

 

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