作:島ハブ

4 / 21


 

 

 

 

 それなりに立派な屋敷だった。大体の構造を目に焼き付けてから、延広はその場を後にした。

 もうそろそろ昼になろうかというところで、人通りの数はだんだんと増えている。平日だった。威勢のいい客引きに手を振って延広は歩きだした。

 精々肴を作る程度のことしかやらないので食材を買い込むような真似はしたことがない。客引きの売り文句も右から左だ。ただ、延広の住む長屋の小さな冷暗所にはそれなりの食材が常備されている。全て、文が持ち込んだものだった。ただの友人のような気がするときもあれば、いかにも色っぽい恋人という風なときもある。料理を作るときはそのどちらでもなく、良妻といった感じだった。そのどれもがしっくりきていて、しかしどこかずれているような気もした。

 少し辺りを見回してから、また歩きだした。しばらく歩くと喫茶店があった。ある程度空いているのを確認してから入店し、通りに面した窓際の席についた。メニューには小洒落た名前が並んでいて、一見しただけではどれがどうとかはわからない。アイスコーヒーを頼み、四半刻ほどかけて飲んだ。

 その間、一度も通りから目を離さなかった。人が行き交うのが見える。髷を結っている和服の男が通れば、外の世界にもいそうな膝丈スカートにブラウスの女などもいて、日本人顔だらけなのにどこかエキゾチックでもあった。

 延広は息をついた。厄介なことになり始めている。依頼の色というものが、危険色へと変わりつつあった。憂鬱さの中にいくらか沸き立つものがある。そういった心の浮き足を吐き出すような息になった。

 手を借りる必要があった。喫茶店を出てから、手近な店に入り、グラスをひとつ選んだ。

 支払いを終えた延広は、足を人里の外れに向けた。今日は、その時ではない。頭というより躰が、そう感じていた。

 

「どうした、まだ昼前だぜ」

 

「別に飲みにきたわけじゃないさ」

 

「それじゃますますわからねえな。いったいなんの用だ」

 

「グラスだよ、グラス」

 

 そう言って、延広は右手の箱を見せるように持ち上げた。買い物袋なんてものはないから、仕方なく箱に包んでもらったのだ。

 居酒屋だった。大将はBARと言い張るが、ここに来るといつも居酒屋に来たという気分にしかならない。

 

「グラス?」

 

「この前、ひとつやっちまったろう。弁償だよ。世話にもなるしな」

 

「気味が悪いな。蛇にものを勧められてる気分だ」

 

「ひどい言い草じゃないか。俺だって、殊勝なときもある」

 

「だからさ」

 

「それに言ったろう、世話にもなるしなって」

 

 不意に、大将の目が細まった。筋者の凄味が一瞬だけ漏れでる。それは本当に一瞬で、気付いたらもうただの酒場のオヤジに戻っていた。

 

「そうかよ、まあ入んな。酒って訳にゃいかねえが、茶ぐらいは出してやるよ」

 

「そうしたいとこだが、今はいろいろと忙しい。どうにも、やらなきゃいかんことが多くなりそうでね」

 

「客かい?」

 

「多分な。少し遅れて来そうだ」

 

「わかった。どうする?」

 

「夜かな。いつもの席を取っといてくれ」

 

「あいよ。グラスの感想はその時だな」

 

「頼む」

 

 話終えると、グラスの入った箱を渡してから来た道とは別のルートを使い人里の中へと戻った。

 いつの間にか飯時も過ぎていて、大通りはいよいよ混雑も極まったところだった。東から西へしばらく歩いてから、細い路地へ一気に飛び込んだ。

 二つの大きな通りの間にある路地で、ひとつ入ると民家や店の裏口が並んでいた。特に考えずに、同じ道を二度通らないことだけ注意しながら右へ左へ走る。また大通りへ出たとき、延広の躰には薄く汗が浮かんでいた。周りを窺って、それから長屋への道をゆっくりと歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 居酒屋は、いつも通りといったところだった。延広以外に、二組の客がいる。基本的に安い店なのだが意外に客層がよく、酔って大暴れということは少なかった。ただ、どこか染み込むような飲み方になってしまう輩は多い。

 

「しかし、BARってのは種類であって名前じゃねぇよな、大将。なんか号でもつけたらどうだい」

 

「うるせえ、BARといったらBARなんだよ」

 

「そりゃBARはBARだろうが、人間が人間と名乗るのもおかしいだろうよ」

 

「いいんだよBARで」

 

 テーブル席の男との他愛ない話は、延広の耳まで届いていた。居酒屋『BAR』。頭に浮かんだ名前は以外と悪くないという気がした。BARであるという拘りは、業種というより名前にあるのかもしれない。つまりBARと冠していればいいわけで、居酒屋『BAR』なら大将も受け入れやすい。機会を見て一度だけ言ってみよう、と思った。

 話を切り上げた大将がカウンターの中に戻ってきた。ちょうど、延広の目の前でなにか肴を作り始めている。

 

「デートはどうだった?」

 

 大将が言った。

 

「デート?」

 

「昼のことだよ」

 

「女だったのか」

 

「ああ。可愛らしい顔で、まだ少女って感じだったぜ」

 

「幻想郷じゃあてにならん」

 

「まったくだ。剣術でもやってんだろうな、気配の消し方は悪くなかった。よく里の中で気付けたな」

 

「尾行に関しては素人だったよ。撒くのもそこまでの手間じゃなかったな。あっちにしたら、人混みのなかでふらっと路地に消えたってとこだろう」

 

「身なりを確認するために俺を使ったって訳だ」

 

「悪かったよ、大将。そこそこいいグラスだから、あれで勘弁してくれ」

 

「別に気にしちゃいねえよ」

 

 そう言った大将は、本当に気にしていないようだった。人に頼られると弱いところがある。厄介事は慣れっこだろう。

 

「何にする?」

 

「いや、今日はな」

 

「なんだ、話に聞く天狗の嬢ちゃんか。一度店に連れてこいって言ってるだろ」

 

 大将の言葉に曖昧な笑みで答えてから、延広は店を辞した。

 長屋には文が来ていた。夕方頃には既に部屋で寝転がっていて、次の紙面をどうするかとか、どうでもいい話を垂れ流していた。文が料理を始めたところで、延広は大将に昼の事を聞くために一旦出たのだ。

 長屋に戻ったときには料理は出来上がっていた。野菜炒めにかなりガッツリと肉が入っている。珍しいことだった。普段は、もっと質素な料理を作る。

 冷めてはいないが、出来上がってからは少し経っているようだった。文が手をつけた様子はない。夕方頃の友人然としたものとはまた違う面が顔を見せていた。

 鍋で徳利が燗してあった。かなり熱い。とびきり燗というやつで、時折延広はこれを飲む。大抵が、なにがしかの荒事の前だ。取り出してお猪口に注いでから、延広は食事に手をつけた。それを見た文も箸を取った。主人をたてる若妻といった挙措だ。

 

「複雑な顔をしてるわね」

 

「ほう。どんなだ」

 

「面倒事が、とびきり面倒だった、って感じ。だけど、それを楽しんでる部分もあるわ」

 

 およそ的を射た評価だった。結婚したら隠し事はできないな。そう考えて、苦笑した。結婚という言葉に、あまりに現実味がなかったからだ。

 

「まあ、そんなところだ」

 

「もっとよくわかるわよ」

 

「どういうことだ」

 

「面倒事で楽しめるって、つまり切った張ったでしょう?それも、それなりの相手」

 

「怖いな」

 

「なにが?」

 

「お前がさ」

 

 外に女でも作ったらすぐにばれそうだ。言いそうになったが止めた。露骨に文のことを自分の女扱いすることに忌避を覚えたのだ。思っていたより、自分は臆病な人間なのかもしれない。

 

「依頼の下見に行ったら、帰りに尾行()けられてな。尾行は拙かったが、かなり遣えそうだ。やり合えば一筋縄ではいかんだろうな」

 

「そういうことは、もっと苦々しそうにいうもんよ」

 

「苦いさ。それが一周して、旨そうに思えてきたところだ」

 

「まあ、いいわ。どうせ止めても聞かないだろうし」

 

「やけに、聞き分けがいいな。いつもはもっと食い下がるじゃないか」

 

「聞き分けのいい女は嫌?」

 

「嫌いじゃない。が、良い女かと言われると悩むな」

 

「私も、一周してきたってとこよ。あんたのそういうどうしようもないところが、ちょっと好きになってきたわ」

 

 文が笑った。女房然としたなかで、不意にみせた友達の笑顔だった。うっすらと情欲が湧いてくるのを、延広は気付かない振りをした。

 

「しかし、どういう話なのよ、今回のは」

 

「よくわからん」

 

「依頼でしょう?」

 

「流れはわかるさ。(やっこ)さんが用心棒を雇うってのも別に不自然じゃない。つまり、後ろ暗い人間ってことだな。ただ、その用心棒の方はどうもそんな奴に付きそうな人物じゃなさそうなんだ」

 

「ふーん」

 

 訊いてきたくせに、文は対して興味もなさそうだった。

 背景について、なにか知っていることがあるのかもしれない。そしてそれは、記事にできないようなことなのだ。記者という仕事に関して文が抱いてるのは、子どものような憧れと好奇心だった。それが発揮できないとき、文は途端に興味をなくす。

 延広も特に訊こうとは思わなかった。依頼されたことをただこなす。報酬に関わりそうな気配がしたら、少し探ってみればいい。

 

「棒は持っていくの?」

 

 壁際に立て掛けてある布の包みを見ながら、文が言った。

 

「大小を差してたらしい。素手じゃ敵わんよ」

 

 棒というのは包みの中身のことだった。黒塗りの、一見普通の木製の棒だが、なにかの術が掛かっているらしく竈に突っ込んでも燃えはしない。なにより、攻撃力が違った。下手な下級妖怪なら一撃で仕留めることもできる。並みの人間で霊力も扱えない延広の、対妖怪の切り札だった。逸品であるというのは一目でわかったが、銘などは見当たらなかったためただ棒と呼んでいる。

 食事を終えた文が、お猪口を差し出してきた。なにも言わずに注ぐ。既に冷め始めていて、精々ぬる燗といったところだ。

 

「命は当然として、腕と足もちゃんと持って帰ってきなさいよ」

 

「それは、相手次第かな」

 

「あんたの手足がなくなったら、誰が私を抱くのよ」

 

 笑いながら、文がお猪口を煽った。喉の動きが艶かしい。再び湧いてきた情欲を、今度は抑えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 足もとの草が鬱陶しい。布に包まれた棒で、自分の周りの雑草を払った。

 屋敷の裏手にある林の中だった。前に二百歩ほどで、屋敷の裏門につく。背後は山が広がっているだけだ。少し前に昼八つが鳴ったから、今は未の刻の半ば過ぎといったところだろう。射し込む木漏れ日が強い。延広は、襟を緩めた。

 建物の建っている土地より少し高い場所で、屋敷の全体がよく見えた。延広から見て左に、おそらく使用人たちのための寮、中央に和風とも洋風ともとれない大きな二階建ての建物、右奥に池などがあり、右手前に倉庫だった。正面の奥には、横開きの西洋門が見える。

 いける。その思いは、ほぼ確信といっていいほどだった。ここまで、気配を消しながらゆっくりと近づいた。早朝に長屋を出て、わざわざ山を越えることまでした。もし件の用心棒が美鈴並みであれば、山を越えるぐらいのことはしなければ屋敷に近づくことすらできなかったはずだ。

 もう山を降りてしばらく経つ。屋敷まで二百歩の距離にも難なく近づけた。その用心棒が、少なくとも番人としての能力については美鈴よりも劣っているというのは間違いない、というのが延広の結論だった。

 このままなら、誰にも気付かれずに忍び込める。目当ての物を見つけるのもそこまでの苦労ではないはずだ。

 延広は、気を発した。包みの紐をほどき、棒を取り出すと二度、虚空に向けて振り下ろした。風が凄まじい音をたて、木の枝が揺れた。葉っぱがいくらか落ち、そこから新しく木漏れ日が射し込んでくる。

 真っ平だった。人を尾行()け回し、その泥に触れて金を貰う。卑怯ものと呼ばれそうなことでも、平気な顔でやる。思うところがない訳ではないが、それが自分の仕事だったし、それを辞めるつもりもない。ただ、今だけは真っ平だ、という気持ちを抑えられなかった。尾行も、盗みも、真っ平御免だ。

 三十秒も待たなかった。女が一人、凄まじい速さで駆けてきた。魂魄妖夢。先日、延広を尾行()けてきた女だ。

 素性は、すぐにわかった。廃刀令などないから、刀を差した人間はそれなりにいる。そのなかでも、妖夢は浮いていた。外見もそうだし、技量もそうだ。わざわざ訊いて回らずとも、大将の居酒屋の客に知っている人間がいた。そこでいくらか話を聞いただけだ。

 

「魂魄妖夢か」

 

 声は出さず、目だけで妖夢は頷いた。恥じているような雰囲気がある。知らぬうちに近づかれ、あまつさえ延広は自ら気を発し妖夢を誘った。それは、彼女のプライドを痛く傷付けたのだろう。延広の知ったことではなかった。

 妖夢に背を向け、延広は歩きだした。何を思っているかはわからないが、とりあえず大人しく着いて来るようだ。

 林を抜けて野原にでると、延広は立ち止まり振り返った。妖夢も足を止めた。二十歩。妖夢との距離はそのくらいだ。

 

「なんでも屋さんですね」

 

 答えず、煙草を取り出した。吸いたいと思った訳ではないが、そういうポーズを取る癖が躰に染みついている。

 

「白玉楼の庭師と聞いたがね。用心棒稼業をやっているとは知らなかったな。そんなに苦しいのかい?」

 

「白玉楼の財政状態についてでしたら、否、と言っておきます。食費は、ちょっと高いですけどね」

 

「なら、そんな真似はやめてもらいたいもんだ。おたくのお陰で、こっちの見積りはパアだよ」

 

「そういう訳には参りません」

 

 煙を吐く。妖夢と、目があった。鋭い光。その光を消す方法は、延広にはちょっと思い付かなかった。

 

「ご主人さんが絡んでるのかな。つまり、引けないわけだ」

 

「どう思おうとそちらの勝手です。ただ、あの屋敷に近づくことはできません。私が、させません」

 

 妖夢が気を発した。それと同時に、片足を引き鯉口を切った。これ以上話すことはないということだろう。それは、延広も同じだ。煙草を吹き捨てた。

 構えて、気を発した。気がぶつかり合う。抜き打ちの構えだった妖夢が、静かに鞘を払った。抜き打ちでは斬れないと思ったのだろう。下段に構え直した。延広も下段だ。

 地摺で、妖夢が詰めてきた。慎重に、延広は一歩だけ下がった。大きく追ってはこない。また少し、詰めてきただけだ。

 妖夢が足を止めた。それ以上詰めてくるならば、ぶつかるしかない。延広がそう考えた間合いの僅か一歩外側だった。汗が吹き出してきた。見切られているのか。それとも、偶然そこで止まったのか。判断がつかない。

 考えることをやめた。潮合を測る。満ちたとき、飛び込むだけだ。そう決めると、視界からものが消えていった。妖夢と、その刀。それだけが残っている。

 妖夢の肩が、一度上下した。延広もゆっくりと息を吐き、また吸った。時間の間隔が曖昧だ。長いこと、こうして向き合っているような気がする。音も、聞こえはするが意識には入ってこない。

 不意に、潮合が満ちた。跳んでいた。ぶつかる。下から上へ、凄まじい斬り上げがきた。延広も、棒を振っていた。馳せ違う。振り返ろうとして、延広は膝をついた。左の腿と頬。斬られていた。頬は薄皮一枚だが、腿はかなり深い。思い出したように、血が吹き出てきた。ジーンズがどす黒く染まった。

 妖夢を見た。目立った外傷はないが、右肩が下がっていた。馳せ違った瞬間に、強かに打ったはずだ。骨を砕けたとは思えないが、今は力が入らないだろう。

 お互いに、追撃をかける余裕がなかった。荒く息を吐きながら見合った。延広が構え直せた時、妖夢もしっかりと刀を握っていた。握力もいくらか戻ってきたようだ。固着した。どちらも、動けない。

 視界が一瞬白くなった。すぐに景色が戻ってくる。血を流しすぎていた。

 相討ちと、思い定めるしかないか。気のやり合いをしながら思った。何度か潮合が満ちかけたが、その度にどちらともなく外していた。斬り上げに合わせて踏み込む。そこで初めて棒を振るう。それで、妖夢の頭蓋を砕けそうだった。代わりに、こちらの首も落とされる。あとは、思い定めることができるかだ。

 気が高まる。潮合。満ちるかと思ったが、妖夢が外した。それどころか、距離を取って刀を納め始めた。

 

「ここまでです」

 

「そいつはどういうことだ」

 

 刀を納めた妖夢は、手拭いで汗を拭っていた。延広も構えを解いた。

 

「屋敷でもなんでも、お好きなところへどうぞ、ってことです。その前に、止血をした方がいいと思いますが」

 

「そりゃありがたい話だがね。いいのかい、主人の命だろう?」

 

「命懸けなんてお断りです。まして、相討ちなんて馬鹿らしいにも程がある。私が命を懸けるのは、幽々子さまにそうしろと言われた時だけです」

 

 幽々子というのは、白玉楼の主だったはずだ。つまり妖夢の主人ということになる。

 

「命懸けになりそうなら、退け。つまり、そういう命令だったって訳か。あの屋敷にあるのは、おたくの主人からしたらその程度のものってことかな」

 

「解釈はお任せします。とにかく、私たちは手を引く、ということだけ理解していただければ」

 

 それでは、と言って妖夢は林のなかへと姿を消した。延広は内ポケットから布を取りだし、傷口を縛った。剣士とやり合う以上それなりの準備はしている。出血死は、最初に考慮することだった。

 煙草を取り出し、火を点けた。吸い込むと僅かに視界が白黒した。昂りが段々と治まってくる。

 一本丸々吸ってから腰を上げた。林に向かって歩き出す。屋敷は、二百歩先だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 女は先に来ていた。カウンターの真ん中で、肴をかじっている。大将にお湯割りを頼み、女の隣に座った。

 

「どうも」

 

「遅かったな」

 

 依頼人、上白沢慧音はそう言った。

 

(ブツ)は?」

 

「これでしょう?」

 

 延広は懐から封筒を取り出し、カウンターの上に置いた。慧音が封筒を手に取り、読み込んでる間に大将がお湯割りを運んできた。お湯割りを延広に渡すと、何も言わずに帰っていく。場を見る力のある男だった。

 

「ふむ、どうやら揃っているようだ。助かったよ」

 

 封筒をしまった慧音が、別の茶封筒を取り出しカウンターに置いた。開いて、中を確認する。

 

「足りませんね、これじゃ」

 

「最初に決めた額の通りだ。不足はないはずだが」

 

「斬り合いとは、聞いていませんでしたよ」

 

 慧音が、小さく息を飲んだ。

 

「里の役員が一部の商人と癒着している。忍び込んで、その証拠となる証文を盗んでくる。それだけでしたね、話は?」

 

「ああ」

 

「ちょっとした用心棒ぐらいは、私も想定してましたよ。しかし、あそこまでの手練れを持ってくるとは。それも西行寺の手の者とくれば、何も訊かずにとはいきませんね」

 

 しばらく虚空を睨んだ慧音は、諦めたように話始めた。

 

「彼は、八雲と繋がっていてね」

 

「八雲って、八雲紫ですか」

 

「そうだ。八雲も、基本は里の自主性に任せているんだが、備えって奴は必要らしくてね。人里があまり望まぬ方向へいかないように、何人か手の者を送り込んでくるんだ、役員にね。いざという時はそういった人間を通して軌道修正を図ろうって訳さ」

 

「あの屋敷の男が、その一人だと?」

 

「その通りだ」

 

「それじゃますます収まらないな。こういった事態は予想できてた訳だ、上白沢先生は」

 

「言い訳になるが、彼はほとんど見限られていた。八雲紫は、あんな小物に騙されるほど甘くはない。癒着は、とっくの昔に八雲紫の知るところとなっていたはずだ」

 

「しかし、手駒を出してきましたよ」

 

「本気ではなかっただろう?西行寺というと、魂魄妖夢か。本気の彼女と斬り合った割には、怪我は少なそうだ」

 

「命は懸けない。そう言ってましたよ。ただ、隙あらば斬る気ではいたな、あれは」

 

 慧音がグラスを傾けた。ウイスキー。なにか、意外だ、という気がする。日本酒でも飲んでいそうなイメージだ。

 

「大体、君なら彼女をすり抜けていくこともできただろう。それをせずに斬り合いをやって、危険手当てをくれ、とはいささか都合が良すぎないか?」

 

「買い被りですよ」

 

「正当な評価のつもりだが」

 

 お湯割りを口に運んだ。話が途切れたのを察した大将が肴を訊いてきたが、それは断った。今日は長居をするつもりはない。貰えるものを貰えば、長屋には文が待っている。

 荒事の依頼の後は、大抵長屋に文がやってくる。最初はいじらしい気で見ていたが、どうやらそういう訳ではなさそうだった。傷を負った男。そういうものに、どうやらどうしようもなく惹かれてしまうらしかった。傷と男、どちらを見ているのかは延広にもよくわからない。

 

「今日は、酒が旨いな。口も軽くなりそうだ」

 

 慧音が眉を顰めた。

 

「依頼内容を、バラすということか?」

 

「まさか。それをやったら、仁義が通りませんよ」

 

「じゃあ、どういうことだ」

 

「噂ですよ、噂」

 

「噂?」

 

 延広は頷いた。

 

「あの屋敷の男、少し調べましたよ。どうも、寺子屋への支援について色々突っついてたらしいじゃないですか。ちょっと大袈裟ですが、上白沢先生とは政敵ってことになるのかな」

 

 慧音が、がっくりと肩を落とした。それから、大将にウイスキーのお代わりを頼んでいる。

 

「一割だ」

 

「合わないな、それは。四割」

 

「わかったわかった、私の負けだ。結果が見えているのにつまらない化かし合いをする気はない。二割、上乗せする。それでいいだろう」

 

「これからもご贔屓に」

 

 席を立った。慧音が出されたウイスキーを一気に飲み干し、またお代わりを注文した。今日はヤケ酒のようだ。

 

「後日、取りに伺いますよ」

 

「斬り合いを楽しんだ上に、お金まで手に入る。君は笑いが止まらないだろうな」

 

 慧音の恨み言を背中に受けながら、延広は店を出た。長屋への道を歩く。どんな風に傷を見せようか。そんなことだけを、頭のなかで考えていた。

 

 

 

 

 





今まで格下としか闘わなかったので、同格との闘いをやってみたかった
つまり、戦闘描写がやりたかっただけです
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。