なぜこの話を東方でやったのか、コレガワカラナイ
敷地は、大人の胸ほどの高さの柵に囲まれていた。庭の真ん中辺りに、慧音が下を向いて立っているのが見える。延広は正門に回り、中に入った。振り返った慧音と目が合う。露骨に嫌そうな顔を、慧音はした。
「どうも、上白沢先生」
「君か」
背の低い雑草と一本の木。丸い踏み石が、寺子屋から慧音の方へ曲がりながら続いている。外からは見えなかったが、慧音の足元には池があった。
「池を見られていたんですか?」
「なにもいない池でね。この池に、なにか放せないか、と考えていた」
「私の母校では、アメンボとメダカがいましたよ。別の学校には亀なんてのもいたな」
「なるほど。この程度の大きさの池でも、そういう生き物は大丈夫なのかな?」
「さて。私は、飼育係なんてものはやりませんでしたから。生きる時は勝手に生きるし、死ぬ時は勝手に死ぬだろう、という考えを捨てきれませんで」
「君らしいな。それも、考え方のひとつだろう、と思う」
「あまり、お気に召さないようですが」
「理解はするが、子ども達に見せたくはない。それが正直なところだな。これでも、教育者の端くれさ。生き物と触れあって、
「正しいことだろう、とは思います」
慧音が歩きだした。寺子屋は名前の通り古い寺のような建物で、幅の広い平屋造りだ。慧音が縁側に腰かけ、延広はその近くに立った。
「こういう建物で学ぶというのは、面白そうですが少し怖いですね、安全を考えると。もっと、お金が入ればいいのですが」
「本題に入ってくれよ。君との化かし合いは好きじゃないんだ。解答欄が一問ずれていたような、途方もない徒労感に襲われるからな」
「夜雀の屋台。あそこに反発してる連中と、そこと繋がっている組織を教えて欲しいんですが」
慧音が、考え込むような仕草をした。それは一瞬で、すぐに言葉が出てくる。妖怪と人間の関係について、最も神経を尖らせているのが慧音だ。
「里の西部を中心とした連中だな。ミスティアの屋台は人妖を問わないうえに、永遠亭への途中にある。危険だ、というのが主張さ」
「それだけですか?」
「反妖怪の表層にいる過激派だよ。反妖怪勢力の実態というのは、とてもじゃないが探りきれない。根が深いんでね。連中は、枝の先といったところかな」
「そこをひっくり返そうという訳じゃないんですよ。その表層の連中は、建前を並べるだけでしょう。もっと別の、実力部隊として使われてる奴等がいる筈だ」
「なんだ、知りたいのはそっちか。ヤクザだよ。といっても、チンピラといって問題ないような小者だ。精々が、嫌がらせだな。使われて、日当として小金を稼いでるだけさ」
「なるほどね」
それならば、ヤクザだけを叩いてもほとんど意味はないだろう。後ろにいる連中に、僅かなりでも打撃を与えるのがよさそうだ。そのためにするべきことを考える。そうしている時は、報酬のことなど忘れられた。一文にもならないのだ。意識すると、一気に気力が折れていく。
「もっと深いところは、大きな組とも繋がっているようだがね。ただ、私はあまり詳しくない。そちらを知りたいのなら、君の行きつけの大将が適任だ。昔は、大侠客として鳴らした男だよ」
「いえ。調べてるのは、そのチンピラどものことでして」
「なるほど、君の抱えてるものが少し見えてきたぞ。つまり、ミスティアの屋台を守るのが依頼か」
「ええ、まあ。ヤクザを追っ払う、という話だったんですが、もう一手間必要そうですね」
正式な依頼ではない、ということは言わなかった。慧音からは何度か依頼を受け、その度にきっちり報酬を受け取っている。
「あの屋台に、ヤクザを使ったのか。それで君を呼び寄せるとは、正に本末転倒だな」
「上白沢先生は、いつも私を過大評価する。ありがたいですが、こそばゆいですね」
「そうかな」
「そうですよ。いつも、恥じ入るような気持ちです」
慧音が、高い声で笑った。ツボに入ったようだ。笑い声を聞いてるうちに延広も、おかしなことを言ったんじゃないか、という気になってきた。確かに、謙虚な物言いが自分に似合うとは思えない。
「君は優秀さ。なんせ、私は君のことが大嫌いだからな」
慧音が、またおかしそうに笑った。
◇
茂みの中に身を潜め、息を殺した。
待った。いつ来るのか、わからないのだ。中天にあった日が傾き、沈みかけになった。
考えることは、なにもなかった。三日間で、自分にできる限りのことはやった。来るか、来ないか。それだけが、成否の分かれ目だった。そして、延広にはどうしようもない部分でもあるのだ。
二度、無意識のうちに煙草に触れていた。もう一方の手で払う。どちらの方向にも、煙を出したくなかった。
数を数えた。一、二、三。意味のあることではなかった。ただ待つということが、どうしようもなく嫌になってきただけだ。五百いくらかまで数えたところで、木の葉が揺れるのに意識を取られた。それで、どこまで数えたのかもわからなくなった。また一からという気力はない。最初からということがではなく、数を数える行為自体を嫌いになりかけていた。
音がなく、匂いも光も出ないこと。思い付かなかった。手元に煙草があるということが、余計に延広を苛立たせている。
不意に、匂いがした。マルボロ・メンソール。遂に、狂ったか。一瞬、自嘲するような気分になったが、煙は本物だった。一気に、頭が回り始めた。目覚めたような心地だ。煙は西から流れてきている。ミスティアの屋台の方角だった。
東から、複数の足音が近づいてきた。道が曲がりくねっていて、姿は見えない。四人。気配で、辺りをつけた。
ほとんど同時に、姿が見えた。西からは少年。東からは、いかにもな風貌の男達だ。心臓が早鐘を打った。自分の危機でさえ、こんな風になりはしない。脇に置いていたカメラを、延広は手に取った。
道の真ん中で、少年が足を止めた。咥えた煙草が、小刻みに震えている。怪訝そうな表情をしながら、男達も足を止めた。
「なんだあ、小僧」
一番後ろを歩いていた男が声をあげた。歳も、男達のなかでは一番若そうだ。二十の半ばだろう。
「お願いがあって、来ました」
「ガキが。何を言ってやがんだ」
少年の声は、少しくぐもっていた。煙草を咥えながら喋ることに慣れてないのだ。足も、今にも震えだしそうにしている。ただ、眼だけが強い光を放っていた。
「お願いがあって、来ました」
「口の利き方も忘れちまったらしいな。さっさと道を空けろ」
「お願いがあって、来ました」
「このっ」
前に出ようとした男を、先頭の男が手を出して止めた。三十過ぎぐらいだろうか、最も年配に見える。にやにやと、いやらしい笑みを浮かべていた。
「いい度胸じゃねえか、小僧。言ってみな。聞くだけ聞いて、てめえの扱いはそのあとで決める」
「屋台に来るのはやめてください」
一息だった。煙草を踏みつけて消し、吸殻を拾うと懐にしまった。言うべきことを、言った。そんな顔をしている。
「驚いたね。妖怪屋台の、用心棒様というわけだ。若けえのに、大したもんだ」
男達が一斉に笑い声をあげた。延広は、躰が熱くなるのを自覚した。依頼人のどんな態度も、ここまで頭にきたことはない。気を抜けば、飛び出しそうだ。
「用心棒なんかじゃありません。争うつもりも、ありません。お願いをしに来ただけです」
「そっちはそうかもしれんがね、こちらは、はいそうですか、とはいかねえ訳よ」
「わかっていて、お願いしています」
「胆の太さだけは飛びきりだな。おい、お前ら」
後ろの三人が動いた。少年を囲む形になっている。それでも、少年は年配の男から目を逸らさなかった。
「お願いします」
「とことん、頭が悪いな。やれ」
少年の右に陣取った男が飛びかかった。拳。少年は、避けることも防ぐこともしなかった。まともに食らった。よろめいて、しかし、倒れない。
後ろの男も動いた。腰へのショルダータックル。少年は一瞬エビ反りのようになり、それから前へ傾いた。少年の右足に、力が篭った。踏ん張る。倒れない。左の男。不格好な回し蹴りだ。脇腹に入る。激しく咳き込み、それでも倒れない。
打撃の数が数えるのも億劫なほどになった。延広はシャッターを切った。文の私物で、音も光も最小限だ。気付かれる心配はない。三枚、続けて撮った。それで充分だった。反妖怪の連中とヤクザが会っているところは、文が撮った筈だ。カメラを持ち帰って、写真を文の新聞に載せる。それで終わりだろう。そう思っても、延広の足は動かなかった。先ほど感じていた怒りはもうない。ただ、胸のどこかに僅かな使命感に似たものがあった。煙草を渡し、少年がそれを喫いながら現れた。だから、見届けるのだ。ぼんやりと、そう思った。
「しつこいガキだ。イカれてんじゃないのか」
いつのまにか、年配の男も
誰かの拳が、少年の顎を掠めた。明らかに、今までと違うよろめき方をした。倒れる。延広がそう思った時、少年は年配の男の腰にしがみついた。男が躰を振っても離れない。
「このっ、糞ガキ。離せ。クソっ」
男が、肘を振り回した。少年の顔が肘に打たれる。一発、深くめり込んだ。歯が、宙を舞った。それだけだった。少年は離れなかった。つまり、倒れない。
食らいつけと言ったことを、延広は思い出した。殴られたら、殴り返せ。そういうつもりで言ったのだ。少年の実行した食らいつき方は、さらにその上だった。
遂に、少年が弾き飛ばされた。なぜ、倒れないのか。そう思うほどに、足がふらついている。それでも、近くの木まで歩き、しがみついた。男達が、うめきに似た声を漏らした。
「兄貴、一旦帰りましょう。このガキ、気味が悪いや。バケモンかなにかだ」
年配の男が、狼狽えたように頷いた。男達がまとまり、来た道を引き返していった。少年が、力尽きたように地面に腰を降ろした。
延広は茂みから飛び出し、少年のもとへ行った。少年の目線が、まず延広の足を捉え、段々と上がってきた。
「大橋さん」
延広の顔を見た少年の頬が、僅かに動いた。笑ったのだと、しばらくして気付いた。腫れあがって、表情が読みづらい。
なんと声をかけるべきか迷った。なにも考えずに飛び出したのだ。
「僕、立ってましたか?」
「立っていた。連中は、お前に根負けした。最後まで、倒せなかったんだ」
「そっか」
そう言って、少年は眠ったようだった。息はある。内臓がやられているということもなさそうだ。少年を背負い、道を西へ歩きだした。永遠亭がそちらにある。
「大橋さん」
揺れのなかで、少年が目を覚ました。
「煙草、教えてくださいよ」
「今喫うと、ぶっ倒れるぞ」
「いつかですよ、いつか」
「ないな。貧乏暇なしさ」
「親父に喫い方教えてもらうの、夢だった」
少年が母子家庭だということを、延広は思い出した。
「俺が、親父代わりか」
「躰を張れ。大橋さん、そう言った。親父だ、という気がしたな。男の生き方という奴を、教えてくれた」
「適当を言っただけさ」
「大橋さんに生き方を教えてもらって、女将さんに見ててもらう。それがいい」
「母親はいるだろう」
「血が繋がってる。それだけだと、ずっと思ってた。そう言うと、女将さんが困った顔をするんだ」
女を求めてる。そう思っていた。もっと違う、母性というやつを、少年はミスティアに求めたのだろうか。
依頼をしにきた、母親の顔。思い出せなかった。少年とあまり似ていなかった。それだけを覚えている。
なにかを言うべきだと思った。しかし、なにも言葉が浮いてこない。
「僕、何度でも躰を張りますよ。また来たら、またぼこぼこにされてやる。殴るのも嫌になるくらい、ぼこぼこに。あの人達、いずれ屋台への道も見たくなくなりますよ」
「そっちは、もういい。手は打った。少なくとも、しばらくは来れないさ」
「そっか。だったらいいんだ」
少年の声は、安心だけを固めたようなものだった。殴られたことへの恨み辛みも、どこかへ消えている。
「わからないもんだな」
「なにがです?」
「一番は、お前。それから、母親。細かいところはきりがないな」
「屋台で、話せばいいじゃないですか、いくらでも。射命丸さんも呼んで、みんなで」
「そこも、わからんところだ。なぜ、文が」
「常連さんですよ。八ツ目鰻、好きみたいだ」
「なるほど」
思えば、ミスティアの態度も最初からおかしかった。延広と文のことを知っていたのなら、その不審さも消える。最初から最後まで、文の掌だったわけだ。
「深さだと思います」
「なにがだ」
「母親ってやつ。血や、戸籍じゃなくて、情の深さ。だから、女将さんは母親なんだ。僕の知る限り、一番情が深い」
「深さか」
言うことはなかった。言葉を必要としない時。そういうものがあるのだ。少年とミスティアの間で、いずれ何かの形ができる。それが母子なら、それはそれでいい。
「ほらよ」
「なんです?」
「煙草さ。喫って、ぶっ倒れる。それも経験だ」
不意に、面映ゆい気分になった。男のやり方。しょうもないことを言った、という気がしてくる。なにより、少年のやり方は延広の想像を超えたのだ。
火を点けた。延広の背中で、少年が盛大に咳き込んだ。延広も咥えた。マルボロ・メンソール。同じ銘柄が、やはり気恥ずかしかった。
ちなみに、延広と大将以外のオリキャラは基本単発です
話題の隅ぐらいには出るかもしれませんが、まともな再登場はないです