第11話 ロシアンブルーな夜
「……」
目を覚ましたのは、白い病室だった。
これまでの記憶がバッと頭に
あの戦いの感覚――緊張感は、嫌というほど頭にこびり付いている。
「…んっ」
その時の一瞬一瞬の判断が、勝利と敗北…そして、己の生死に関わる。
理屈じゃ分かってるつもりでも、やっぱり、あれが戦場ってものなんだよね。
改めて、凄い世界だなぁって思う。
「あっ、お目覚めになりましたか?」
「…はい」
まだ眠気が体を包む中、かけられた声に反射的に返事をした。
声のした方角を見れば、そこにはミューレさんの姿がある。
「おはようございます」
「はい。 おはようございます」
これまた反射的に挨拶をしてみれば、彼女はにっこり笑って挨拶を返す。
僕は意識を
ふと、窓際から聞こえる妙な音に気付いた。
「……」
風に吹かれ、カラカラと音を立てるその物体には見覚えがあった。
その形状からして、
「あぁ。 それは、ガラナのお見舞い品です」
「ガラナさんの…?」
4枚の羽根は、青と白が交互に2枚ずつという色合い。
風が吹いて回ると、清々しい水色が目に飛び込んでくる。
「あの娘、風車集めるのが趣味なんですよ。 で、そのコレクションの中から
ハルナさんに似合う物を選んだって話です」
「…なるほど」
つまり僕は、彼女からして、水色のイメージに捉えてられていたというわけか。
まぁ…うん。 とりあえず、喜んでいいんだよね。
あんまり、嫌いな人を連想させる色じゃなさそうだし。
「ところで、身体の調子はいかがですか?」
「あぁ…はい。 特に問題ないです」
まだ腹の傷は痛んでいるが、気になって眠れないという程でもあるまい。
他の部分は、至って健康そのものって感じだし。
「今から仕事に戻っても、全然、大丈夫ですよ」
「駄目ですよ。 ちゃんと、安静にしていて下さい」
たしなめる様に彼女に言われ、僕は仕方なくベッドに体重を掛け直す。
僕は割と、ジッとしているのも嫌いじゃない方だが…。
こんな気持ちの良い天気の日には、やっぱり少しばかりはしゃぎたい
気持ちが沸き出てくるのが、人の
「それにしても…凄いですね、ハルナさん。 もうすっかり、村の英雄です」
緩やかな静寂が流れ去った後、ミューレさんが再び口を開いた。
窓の外からは、楽しそうな子供たちの声が聞こえてくる。
「今は安静にということで、病室に入ることは遠慮してもらってますが…
退院したら、きっと凄いことになりますよ」
「…そうですか」
英雄なんて柄じゃないけど、やはり人気者になるということは、
素直に嬉しいものである。
僕も幼い頃は、アイドルとかプロレスラーに憧れていた時期があったものだ。
「あの
「ジャフォンデ様…ですか?」
ミューレさんから聞き慣れない言葉が飛び出し、僕は自然と首を傾げる。
もっとも、この世界に来てからは、初めてのことだらけなのだが。
「あっ、ご存知ありませんでしたか? ジャフォンデというのは、
2代目の魔王を倒した勇者たちと共に旅をした、巨人の名前です」
「へぇ…」
「魔界の海を越える際、海の魔王と称される怪物――カリブディスから
勇者たちが乗る船を守り、命を落としたと伝えられています」
…ふ~む。
勇者たちと共に旅をした巨人、か。
なんだか、何処かで聞いたような話だ。
「それじゃあ僕も、これから勇者たちと旅をすることがあるのかもしれませんね」
「フフッ…そうですね」
僕が冗談交じりに言った台詞に、ミューレさんは手を口にやって笑う。
冗談交じり…。 確かに、その筈なんだけど。
言った後に、なんだか凄い変な気分になってしまった。
僕はそれを誤魔化すように、チラリと視線をあの風車に移した。
その仕草を感じ取ったかのように、風車はカラカラと回りだす。
そんな何気ない偶然に、ちょっと微笑ましい気持ちが芽生えた。
「気持ちの良い天気ですね」
「…だな」
僕とケヴィンさんは、
走り回る子供たちに、談笑するおばあさんたち…。
そして、シーツなどの洗濯物を干している看護士さんたちの姿も見える。
僕たちはベンチに座りながら、そんな光景を眺めていた。
他愛もないが、何とも穏やかな気持ちを生み出してくれる景色。
病院慣れしている僕にとっては、ちょっと懐かしい気持ちにもなる。
「……」
空を見上げれば、太陽がギラギラと光っている。
昨日と比べれば、まだ涼しげな気温だろうか。
綿菓子の様な雲は、驚異的なのんびりさで空の上を流れていく。
「そういえば、1つ気になってたんですが」
「…んっ、何だ?」
「召集令というものがあったそうですけど…何でケヴィンさんは、
警備所に残れたんですか?」
ちょっと前から気になっていた、ささやかな疑問だった。
ケヴィンさんは成人しているみたいだし、体格だって立派なものだ。
兵士を集結させるという
「その頃、俺、腕に怪我してたんだが…でも、もう充分に回復はしていた。
なのに、他の奴らが
遠い日のことを思い出し、懐かしむような眼差しと口調。
何とも寂しげな微笑みをしている。
「その頃から山賊共の騒ぎはあったし、多分あいつら…
俺にこの村のことを
「……」
「勿論、他にも腕に覚えがある奴はいたんだがな…。 あいつはまぁ、
知っての通り、精神面に色々と問題がある奴だからな」
小さく笑いながら話すケヴィンさんに、僕も心の中で微笑みを返す。
精神面に色々と問題が…。
それを否定するつもりは、僕には毛頭なかった。
「……」
太陽が沈んでいく。
何だか、あっという間の1日であった。
時間の流れは平等である筈なのに、昨日のあの
濃密に一瞬一瞬を味わっていた感覚とは、まるで違う。
平和で穏やかな時間…。
やはりこういった1日の方が、人は幸せと感じるものなのであろう。
しかし、大人になるにつれ、その幸せがちょっぴり怖い気もしていた。
「……」
人の心というのは、不思議なものだ。
多くの幸せと僅かな不幸せがある日々より、多くの不幸せと
僅かな幸せがある日々を
しかし問題は、何を幸せと呼び、何を不幸せと呼ぶかどうかである。
ある程度は客観的に選別出来るにしても、結局は本人の捉え方次第だ。
その辺りの感覚のずれがまた、人の社会を複雑なものにしていき…。
「……」
ふと感じた視線に、僕は振り返る。
僕の担当である看護士さんが、柔らかな笑みを浮かべ、こちらを見つめていた。
「…こんばんは」
「こんばんは。 お元気そうね」
彼女の名は、キャシィさん。
30代前半ぐらいと思われる、しっかり者って雰囲気の女性だ。
ちなみに、一児の母親でもあるらしい。
「なんだか、物思いに
「…え~と」
彼女に尋ねられ、僕は言葉を詰まらせる。
正直に答えたところで、実に他愛もなく…面白味もない話だ。
僕の脳内だけに留めておくのが、無難な選択であろう。
「自警団の方から、色々と話は伺ってるわ。 大変な
みたいだから…そりゃあ考えることも、沢山あるわよね」
「……」
包み込む様な視線を向けながら、キャシィさんが言葉を付け足す。
僕はどう答えていいか分からず、緊張を
「この村で生まれて、ずっとここで暮らしてる私からすると、
本当…想像も付かない話ね。 やっぱり、世界って広いのかなぁ――
なんて、今更ながら思ってみたりして」
「……」
心なしか、瞳をキラキラさせながら話を続けるキャシィさん。
我を忘れる程では無いだろうが、どうにも気持ちが
「私、小さい頃からずっと『良い子ちゃん』で通ってたのよね。
今でも、家族やご近所の方からは
「……」
「本当は人並みに――いえ、きっとそれ以上に、色んな世界を
見て廻りたいって気持ちもあったのかなぁ…って、そんな風に思うの」
舌っ足らずな口調で、彼女は喋り続ける。
僕という存在に出会い、彼女の中の何かが外れたのかもしれない。
とりあえずは、聞き役に徹することにした。
「こんなこと言ってたら、贅沢なのかもしれないけどね。
今の暮らしに大した不満がある訳でもないし…。 幸せだなって、
ちゃんと感じられる瞬間もいっぱいあるし…」
「……」
人間は、無いものねだりをする生き物だ。
この世の全てを手に入れようと、あらゆる可能性を試し終えようと…
心の芯まで満足しきることは、きっと有り得ないことなのだろう。
――ある意味、それこそが人間たる証なのかもしれないが。
今日もまた、世界が
窓の外から夜空を見上げると、月が大きく輝いていた。
もう少しで満月…といった満ち欠け具合だ。
「……」
相室となってるケヴィンさんの方へと目をやれば、いびきを掻きながら
気持ち良さそうに眠っている様子が窺える。
あの調子なら、明日から仕事復帰しても問題無さそうだ。
……
さて、僕の方はというと…。
傷の痛みは
でも何故か、全然眠る気になれないのだ。
昔から、夜眠れないということは、よくあることだった。
そんな時は、ベッドから這い出て、ちょっと時間を潰すこともあるが…
こんな風に、ひたすらベッドの上で考え事をする時間も、嫌いではない。
「……」
でも、なんか…。
歳を取るにつれて、こういう時にネガティブな思考をすることも多くなってきた。
このままでは、その内考え事をする時間そのものすら怖くなってしまうのでは…。
そんな風にも感じる、今日この頃だ。
何か凄い嫌なこととか、厄介事を抱え込んでしまった大人が、お酒を飲んで
忘れようとするなんて話は、どうにも馬鹿げた発想だと思っていたが…。
今なら少し、そんな気持ちにも共感出来そうな気分だ。
「……」
それから、どれくらい時間が経ったことだろう。
僕は眠ってたのか眠れなかったのか、微妙な
耳に流れる心地好い
「……」
ギターみたいな、弦楽器を連想させる音。
どうやら、外から聞こえてくる様だが…。
こんな村で、こんな時間帯に流れる音としては、随分と違和感がある。
……
不思議なメロディだった。
緩やかで、心地好いものであると同時に、心の中にある何かを
しばらく聴いていると、それはまるで、僕のために
奏でられている音の様な気がしてきた。
僕は自然と窓から身を乗り出し、音の発生源を探ろうとする。
「……」
耳を澄ましてみると、妙な感覚がした。
その不思議なメロディ以外、まるで何も音がしないのだ。
確かに、こんなのどかそうな村では、夜になれば辺りが静寂に
包まれるという状況も、想像に難しくはない。
だが…あまりにも静か過ぎる。
静寂を好むという人は少なくないが、全く音がしないという環境は、
そんな人からしても極めて異質な感覚を呼び起こすものである。
「……」
こめかみに指を当て、思考を巡らす。
この事態を解明するために、いま僕が出来ること。
それが分かった次の瞬間、僕の身体は建物の外へと飛び出していた。
静まり返った闇の中を疾走する。
まるで、時が止まった世界の中を駆け抜けている様な気分だった。
異世界の中でまた味わう、異次元な感覚。
世の中、上には上がある…ということか。
「……」
ビクリと何かの気配を感じ取った僕は、急ブレーキを掛けて足を止める。
視線の先には、風も無いのに不自然に揺れている樹木の群生。
その生い茂った枝葉の中から、何かが出現した。
それは、実に奇妙な物体であった。
ローブを
その全身が半透明となっており、はっきりと視認出来ないのだ。
「……」
『それ』はローブの
こちらへと接近してきた。
どうやら、両手で何かの柄を握っているように見える。
目を凝らしてみると、その先端にあるのは――なんと、巨大な鎌の刃だ。
どうやらその刃で、僕を斬り捨てようといった雰囲気。
鎌を振り上げ、『それ』は攻撃の構えを取った。
しかし僕は、それを避けることも、防ぐこともしなかった。
殺意や敵意…そして臨場感といったものが、まるで皆無であったからだ。
……
案の定、刃は僕を傷付けることもなく、その身をスルリと通り過ぎていった。
間もなくして、鎌とそれを持った何者かの姿が、煙の様に消失する。
再び、何者かの気配。
今度は真正面から、こちらに向かってくるようだ。
先程の気配とはまた異なる、
「……」
現れたのは、四本足で立つ巨大な獣らしきもの。
さっきの鎌を持った者と同様、半透明な身体をしている。
2本の牙と、額から生えた角。 ――ドドマ?
だが、あの時に遭遇したものとは、まるでサイズが違っていた。
巨大な獣が、突進を開始する。
だが、これもまた、避ける必要のない攻撃であった。
理由は、前回と同様である。
……
一直線に僕をすり抜け、駆け抜けてゆく獣。
僕が振り返った時、既にその姿は闇へと溶け込んでいた。
草むらの中、ギターの様な楽器を抱える何者かの姿があった。
メロディの発生源は、あそこで間違い無さそうだ。
僕は一歩一歩と踏みしめながら、その人物に近寄る。
……
奇妙な
この村の雰囲気には似つかわしくない、カラフルで
色合いと装飾が施された服装。
何処となく、中世の貴族を思わせる。
しかし、それ以上に奇妙なことがあった。
それは、彼の人相…そして、露出した肌の部分。
「……」
灰色の毛に覆われ、地肌がまるで見えていない。
そして、何といってもその顔…。
どっからどう見ても、猫としか言いようのない顔つきをしている。
猫っぽい顔の人や、猫っぽい仕草や言動をする人は、確かに存在する。
だが、あれはどう考えても、そんなレベルのものではない。
二足歩行をする猫…。 言うなれば、猫人間とでもしか言いようがない。
「初めまして、杉山榛名くん」
猫人間は演奏をピタリと止めると、こちらに流し目をしながら語り掛けた。
言葉を喋れることに驚き、続いて僕の名前を知っていることに驚く。
「こちらの世界には、もう慣れましたか?」
「……」
ようやく思い出した。
あの顔つきと灰色の被毛は…確か、ロシアンブルーと呼ばれる種類の猫だ。
まりやさんの友達の家で見かけたことがある。
「間もなくあなたは、1人目の勇者と出会うことでしょう」
「……」
「今はまだ、彼もまた、異界の迷い子にしか過ぎません。
しかし、時を経る内に、その秘めたる力を開花してゆくことでしょう」
猫人間は微笑みを浮かべながら、
とても澄んでいて、何だか現実離れした声だ。
まぁ見た目からして、既に現実を
「その輝きが尽きることのないよう、あなたにも出来得る限りの
助力をして頂きたいのです」
「……」
話の内容をしっかりと頭に叩き込んでゆくが、その意味を
まぁ、後でゆっくりと考えればいいことだろう。
「――では、良い旅路を」
彼は最後にそう告げると、マントで自分の身を覆う様な仕草を見せる。
すると彼の体は、パッとその場から、マントと共に消え失せてしまった。
まるでマジックのようだが…普通こういった場合、マントまで消滅はしない筈。
何にせよ、只者でないことは確かなようだ。
「……」
月を見上げ、今夜の出来事を振り返る。
相も変わらず、幻想的で…実に
まだまだこの先、騒々しい未来が待っていそうであった。