鋭く尖った耳と鼻。
大きく裂けた口。
そして何より、全身を覆う
黄土色に近いその肌の色は、僕の知る人類のものではないように思える。
「……」
だが、人類でないとすれば…一体、何だと言うのだろう。
二足歩行で地面に立ち、衣服を身に
更に、弓や棍棒といった道具まで使いこなせるとなれば、
他の生物に該当するものが見当たらないのも現状である。
「お前…人間か?」
グルグル渦巻く思考の中、『彼』の声がはっきりと耳に届く。
どうやら、言葉を話せるらしい。 …というか、日本語?
その様相からして、まさか日本語を話せるとは、予想もしていなかった。
「人間が、この山に何の用ダ」
「……」
なんだか、妙な感じを覚える。
その口振りからすると、『彼』はまるで、自分のことを人間ではないと
認識しているかのように思えたからだ。
「おい、聞いテんのか?」
「あっ…はい」
『彼』の静かに詰め寄るような態度に、僕はようやく第一声を発した。
何にせよ、こうして会話のキャッチボールは可能なわけだ。
とりあえず、話し合いを進めてみるべきだろう。
「僕は、
「…ギッ?」
彼は一瞬、何を言ってるのか分からないといったような
素振りを見せたが、すぐに気を取り直したような表情に戻る。
腰にぶら下げた袋に、持っていた棍棒を仕舞い込むと、再び口を開いた。
「俺は、ベント」
「ベントさん…? ですか」
他人のことは言えないが、あまり聞き慣れない名前だ。
恐らくは、漢字で表記するような名前ではないのだろう。
いや…まさか、『弁当』と書いて『ベント』と読むのだろうか…?
最近は変わった名前の人も増えてきたことだし、有り得ない話ではない。
「…デ、何をしに来タんダ? お前」
「……」
何をしに来たと問われても、どう答えればよいものか。
僕だって、好きでこんな場所にやって来たわけではないのだ。
だが、果たしてどこからどう説明すればよいものか…。
「ドうにも、訳ありな様子ダな」
「……」
黙り込んだ僕に対し、彼は目踏みするような視線を這わせた後、
僅かに首を捻りながら言葉を紡いだ。
荷物の1つも無しにこんな山の中をうろついているとなれば、
確かに、何か訳があると察してくれても不思議ではない。
「ま…こんな所デ立チ話もなんダ。 おい、チょットツいテ来い。」
「えっ?」
そう言うや否や、彼はクルリと体の向きを変えた。
ついて来いと言われても、果たして何処へ連れて行く気なのか。
そして、その意図は…?
ここまでの印象からすると、そう乱暴な扱いをされる雰囲気でもないが。
「ギッ…。 ツいデに、こいツを運ぶ手伝いもしテもらうか」
「えっ?」
ベントさんの視線の先には、さっき彼が倒した角猪が横たわっている。
まだ息はあるものの、ほとんど虫の息といった様相だ。
しかし、こいつを運ぶとは…? つまりは、そういう意味なのだろうか。
彼…ベントさんの誘導の元、しばらく山中を歩いていくと、やがて
古びた木製の小屋がある場所へと辿り着く。
手作り感漂う、年季の入った高床式の建造物。
どうやら、ここが彼の住居ということらしい。
「よし、ここデ下ろすぞ」
「…了解です」
小屋の側の平地にて、運んで来た角猪を地面に下ろす。
その付近には、ナイフや鍋…それに焚き火をしたと思われるような跡。
恐らく、調理場として使われている箇所なのだろう。
それなりの距離を歩いたせいか、既に猪の身体はぐったりとしていて
ピクリとも動く気配は無い。
致命傷となったのは、あの最後の一撃か、それとも…。
「こいツの世話は、まタ後にしテやる」
そう言うとベントさんは、慣れた様子で階段を上り、玄関のドアを開ける。
僕もその後に続き、彼の背後から小屋の内部に視線をやった。
「狭い所ダが、ま…ゆッくりしテいけ」
「はい」
確かに、失礼かもしれないが、家と呼ぶにはちょっと
とはいえ、僕と彼の体のサイズは、ざっと見ても倍ぐらいの差がある。
これぐらいの生活スペースでも、彼には何の問題もないのかもしれない。
「…ふむ」
「……」
小屋の中に案内された僕は、早速、今の状況について説明し始めた。
勿論、僕の分かる範囲内でのことだ。
とりあえず、僕がどんな場所に住み、どんな生活を送っていたか…
などといった、プライベートな部分も含めての話をしてはみたのだが。
「訳の分からん話ダな」
その反応は、ある程度は覚悟していたものであった。
彼の
世界にいることは明白だったからである。
「ま、冗談言ッテるわけじゃねぇにしテも…。 お前の言う
『ニッポン』なんテ国は、悪いが、聞いタこともねぇぞ?」
「…そうですか」
聞いたこともないとは、また寂しい話である。
確かに小さな島国ではあるが、それなりに知名度はある…
と自負していた自分が恥ずかしい。
「デ、お前…これから、ドうする気ダ?」
「……」
ベントさんに尋ねられ、僕は
シンプルだが、非常に難しい問題だ。
この急激な環境の変化に、
無論のこと、最優先事項としては、まず自分の家に辿り着くこと。
血を分けた妹を始め、家族と呼べる人達はきっと、
僕の帰りを待ってくれていることだろう。
だが、そのためにはまず、そこへ辿り着くまでの道筋が分からないと…。
「…ひトまず、俺に何か話を訊いテみタらドうダ? お前、ドうやら
この辺りのこトにツいテ、まるデ知らねぇようダしな」
「……」
その通りだ。
何はともあれ、今の自分が置かれている状況を
出来るだけ詳しく把握しなければ。
気持ちを切り替えた途端、頭の中にドッと好奇心が溢れ出すのを感じた。
彼の話は、実に興味深いものであった。
それもその筈。
語られる内容のそのほとんどが、僕にとって初めて聞くことばかりなのだ。
否が応でも、聞き入ってしまう。
まず、ここは『オルワディス』と呼ばれる世界らしい。
彼の言う『ここ』がどの程度を指し示す言葉なのかは、ひとまず保留。
そしてこの山は、『フォーマス』という国にある
『テドラ山』と呼ばれる場所であるとのこと。
すぐ隣には、『スサンボ山』と呼ばれる似たような山もあるらしい。
山越えをする者は主にそちらの山を通るらしいのだが、最近は山賊が
出没することもあり、人通りは減ってきているんだとか。
その山賊の一味は、全て『ゴブリン』によって結成されているらしい。
ゴブリンとは亜人族の一種であり、世界中に広く分布する種族。
驚くべきことに、ベントさんもそのゴブリンの1人なのだという。
そして、あの角猪の正体だが…あれは『ドドマ』と呼ばれる生き物らしい。
『魔の
『魔物』の一種だというのだ。
猪という概念もちゃんとあることが、忘れてはいけないポイント。
魔の瘴気とは、『魔界』から漏れ出している異質な空気のこと。
この空気に触れてしまったものは、思いも寄らぬ力を身に付けたり、
肉体や精神に異常な変化が生じることがあるのだという。
ちなみに、何らかの方法によって魔界から直接この世界へ
やって来たものは、『
そして、その暗黒獣がなんと、この山にも生息しているらしい。
『ドノブイ』と呼ばれるその暗黒獣は、『ドドマ』が巨大化したような
姿をした魔物であり、恐るべき力を持っているんだとか。
ここ数年はまるで音沙汰が無いものの、人々はそいつを恐れており、
この山へ入る者は滅多にいないのだという。
「……」
…ふ~む。
この辺りを行き来するためには、2つの山の内のどちらかを
越えて行かねばならない。
しかし、こちらには暗黒獣…あちらには山賊が出没する。
どちらを選ぶのがより良い選択か、判断に悩む所である。
――と、そんな問題については後回しだ。
ここまでの話を聞いていて、1つだけ分かったことがある。
それは、自分がとんでもない場所へ来てしまったということだ。
「……」
見知らぬ地名、国名…。
山賊、ゴブリン、魔物に暗黒獣…。
冗談抜きで、凄まじい世界観。
「う~ん…」
彼の話を全て真実として受け入れるには、まだ早い。
だが、現実にあの奇妙な力を持った角猪と対峙したのは、
ほんの
百聞を信ずるに値する程の一見が、そこにはあった。
「……」
しばらく思考を巡らした後、僕はスクッと椅子から立ち上がった。
玄関に向かい、ドアを開く。
そこにはナイフを使って猪を
『ご馳走を作ッテやる』と言って彼が小屋の外に出ていったのは、
僕の話を聞き終えた、すぐ後のことである。
「…おう、スギヤマか」
僕の気配に気付き、彼がこちらを振り返る。
見れば猪の体は既に半分程が解体されており、毛皮に肉…
内臓などに分割されている様子だった。
血みどろでグロテスクなその光景は、中々に壮観なものである。
「ドうしタ?」
「いえ。 何か、お手伝いでもしようかな…と思いまして」
その言葉に、ベントさんはちょっと意外そうな表情を見せる。
そして僕の顔をジッと見つめた後、何か思いついたように口を開いた。
「そんなら、水デも汲んデきテもらうか…。 ほら、そこに
そう言って彼は、小屋の日陰部分に置いてある、それらしき物体を見る。
あまり見かける機会は少ないものの、恐らく桶と呼んでいい代物だろう。
「小屋の裏手のすぐの所に、川がある。 そッから汲んデきテくれ」
「…承知しました」
仕事内容を説明された僕は、桶の元へと駆け寄る。
力仕事はお手のものなので、早速お役に立ってみせることにしよう。
彼の言っていた通り、小屋の裏手のすぐの場所に緩やかな流れの川があった。
水はガラスの様に綺麗に透き通っており、飲み水としても
特に問題は無さそうに見える。
「……」
適当な場所を見付けると、川に桶を浸し、ガバッとすくい上げる。
適度に水深もあったため、桶は一気に水で満たされた。
「…ふぅ」
順風に仕事も終え、退散しようと思ったその時。
何か水底でキラリと光るものが見えた。
「…んっ?」
僕は目を凝らし、その物体の正体を突き止めようとする。
よく見えないけど、何かが石の合間に引っ掛かっている感じだ。
僕は生まれつき、こういったものを無視出来ない性分だ。
好奇心は時に身を滅ぼす、という現実も充分に承知しているつもりだが…
それでも、抑えきれないものは抑えきれないもの。
「……」
靴を脱ぎ、ズボンの裾を上げると、僕は川の中へ足を踏み入れる。
丁度、膝まで浸かるぐらいの水深だ。
パシャパシャと水音を立てながら、僕はその物体の元へと駆け寄った。
「…よいしょ」
邪魔な石をどかし、僕は水の中へ手を突っ込む。
標的をガッチリ掴まえると、それを陽の光の下へと
……
さて、その正体は…と言うと。
輪っかになった鎖の先端に、何か飾りのような物が付けられている。
いわゆる、ペンダントと呼ばれるものだろう。
「……」
飾りは、分かりやすい典型的な星の形。
真ん中部分がくり抜いてある、クッキーの型みたいな作りだ。
星はキラキラと淡い黄色の光を放っており、僕の目を釘付けにする。
「……」
まるで、中に蛍光ランプでも入っていそうな光り方だが…。
一見した所、そのような構造が組み込まれているとは思えない。
しかし、まぁ…魔物やらゴブリンやらまでが存在している世界だ。
この程度で驚いていては、先が思いやられるというものだろう。
「ン…なんダ? その首飾りは」
水汲みを終えて帰還した僕に、ベントさんからの疑問の声が上がる。
猪の解体作業は順調に進められている様子で、あとはほとんど
頭部のみを残す姿となっている。
どこまでを食用にするつもりかは知らないが、まぁ彼に任せる他ないだろう。
「川底で、石に引っ掛かっていたんですよ。 もしかして、
ベントさんの持ち物ですか?」
「いや…知らねぇぞ、俺は」
僕の質問に、小さく首を横に振って答えるベントさん。
確かに、彼の風貌と生活観からみて、どうにも不釣り合いな物ではある。
しかし、だとすれば…これの持ち主は一体?
「これ…どうします?」
「お前が見付けタもんダ。 お前の好きにすりゃいい」
彼の返事を聞き、僕はその『星』を手に取って考える。
――いや、考えるまでもなかった。
これは、僕が持っていなくちゃいけない物。
何故かは知らないけど、そんな確信にも似た想いがあった。
グツグツと煮えたぎる鍋。
中には赤いスープと、様々な野菜類…そして、あの猪の肉が入れてある。
既に太陽は沈みかけており、空はオレンジ色に染まりつつあった。
「…頃合いダな」
彼はボソリと呟くと、手にした木の器にその料理をよそっていく。
まず
確かめるように器に入れていく。
どうやら、器の中身をちゃんと調節してくれているらしい。
猪の捌き方や、その他諸々のことといい、案外、
「ほれ、お前の分ダ」
「…どうも」
彼から器を受け取り、その中を覗き込む。
辛味がありそうな赤いスープから、もうもうと湯気が立ち込めていた。
僕はとりあえず、ベントさんが自分の分をよそうまで待つ。
「…じゃ、頂くトするか」
「はい」
ベントさんが箸を付けるのと同時に、僕も料理を口に運ぶ。
まずは、気になる例の猪肉から。
「……」
人生初の猪肉であったが、かなり美味しい。
特有の臭みは多少感じられるものの、この心地好い弾力の身と
とろけるような油が堪らない。
辛味の利いたこのスープとも、よく合っている。
「美味しいです」
「…そいツは何よりダ」
ベントさんはこちらに目もくれず、素っ気無い様子で答える。
ちょっと照れているのかもしれない。
次第に闇に呑まれつつある世界の中、鈴虫の鳴き声が聞こえる。
ユラユラ揺れる焚き火の炎に目をやれば、幻想的な雰囲気に胸が高鳴る。
「……」
この先、どんな困難が待ち構えているのか…それはまだ、よく分からないが。
今はなんだか、その困難ですらを待ち遠しく感じられる自分がいる。
この気持ち…。 この感じを、大切にしていこう。
そうすればきっと、悪くない未来を迎えられる筈だ。