「――
それは彼女がまだ特訓中の、中級の神聖魔法だった。
もしも詠唱に失敗すれば、それ相応の魔力を無駄に消費することとなり、
更なる
“これはッ…!?”
ファナディンの腹部を中心に、虹色に輝く
次の瞬間、上空に閃光が走り、波打つ1本の稲妻が標的を襲った。
……
聖なる力を帯びたその稲妻は、標的の身を包む防壁を打ち破り、
その本体にまで到達する。
更に、次から次へと虚空に稲妻が発生し、彼を捉える魔法陣の中心へと
吸い込まれるように落下していく。
“ぐッ…ぐおォオッ…!”
身に
地の底から湧き出るような重低音の悲鳴が、その口から洩れる。
それでも稲妻の嵐は、止むことがなかった。
“お、おのれッ…! 神の…操り人形如きがッ…!”
「――ファナディン。
コリンのその言葉に応じるかのように、最後に一際大きな稲妻が
標的のその身に舞い降りた。
それを受けたファナディンは天を仰ぎ、全身を硬直させる。
……
やがて彼はその場に倒れ込み、微動だにしなくなった。
その身から発せられていた
周囲に漂っていた霧が次第に薄れ始めていく。
「はぁッ…はぁッ…」
ふらつきなが地面に着地すると、その場に座り込んだ。
既に物言わぬ
チリン、チリン…と。
そんな彼女の頭の中に響く、心地好い鈴の音。
それはまるで、彼女の勝利を喜び、祝福しているかのようであった。
「……」
「だ、誰や!? あんた」
僕らの前に唐突に姿を現したのは、顔の全体を覆う灰色の仮面に、
白い着物と黒い
そのモノトーンな全身像は、まるで白黒テレビの中から
飛び出してきたような印象すら受ける。
外観からして既に怪し過ぎるその存在に、一同は注目する。
「私は、
袴姿の人物は、澄んだ声で
あまり感情が含まれている感じがしない、無機質な声。
外観も含め、僕らとは根本的に何かが違う、異質な存在という気がする。
「送還…って言うと?」
「もしかして、元の世界に帰してくれるのか?」
グレゴリーさんは呆けた顔でその人物を見つめ、イシャンダさんは
割と落ち着いた様子で質問をぶつける。
質問を受けた袴姿の人物は、コクリと頷いて返事をした。
「あなた方は、肉体に魂を宿したままだ。
この空間に放り込まれた者たちであろう」
…なるほど。
やはり僕らにはまだ、肉体というものがちゃんと存在するらしい。
その辺りの見極めは、何しろ素人には分からないものだから。
「そのような者たちを地上に送り
「へぇ~…っ。 そないなことしてくれる人が、ちゃんとおるもんなんや」
袴姿の人物の説明を受け、ヤトフさんが感心したように呟く。
色々としっちゃかめっちゃかな雰囲気もあるこの世界だが、どうやら
そういったシステムがちゃんと整備されている所も、あることはあるらしい。
「だったら話は早いぜ。 さぁ、とっとと俺らを地上に戻してくれ!」
「あぁ…任してくれ」
グレゴリーさんの要求に袴姿の人物が返事をした、次の瞬間。
突如として、周囲にいる者たちの姿が闇に呑み込まれた。
いや、最初から周囲には延々と闇が広がっていたため、ある意味では
この状態こそが、道理に沿ったものと言えるかもしれない。
「お、おいッ!」
「な、何やねん!?」
「てめぇ…何企んでやがる?」
姿は見えずとも、声はしっかりと聞こえるようだ。
その距離感からしても、恐らくさっきの状態と何ら変わりはないものと思われる。
3人の声に混じり、あの『スー』という独特の鳴き声も耳に届いていた。
「何者の仕業かは判らぬが、どうやら
――ではこれより、送還の術の詠唱に入る」
……
自分の肉体以外に何も見えない暗闇の中、あの袴姿の人物が
何やら呪文のような言葉を並べ立てているのが分かる。
僕はどうすることも出来ず、ひとまずは成り行きを見守ることにした。
【清まないがこの術は、他言無用のもの。 少しの間、あなた方には眠って頂く」
「おいッ…! 何だよ、そりゃ!?」
あの人物が続けて発した言葉に、グレゴリーさんが抗議の声を上げる。
だがその刹那、頭に猛烈な眠気がやって来た。
僕であれば、対抗することは不可能なものでもなかっただろうが…
今はとりあえず、その眠気を受け入れることにした。
まどろんだ意識が徐々に
ぼんやりと視界に映るは、誰かの顔…姿。
「――おっ、やっと目ぇ覚めたか」
「……」
一番近くで、しゃがみ込んで僕と目線を合わせているのはヤトフさんだった。
その後ろには、イシェンダさんとグレゴリーさん。 ――と、もう1人。
何だか、凄い人がいる。
「心配したよ。 なかなか起きてくれないもんだからさ」
「ま…これでとりあえず、全員無事に生還ってわけだ」
2人の言葉に耳を傾けつつも、僕はその人物から目が離せない。
130cm前後の背に、
そして何より見過ごせないのが、背中に生えた2枚の翼である。
「あの…」
「…あぁ、あの子のこと? 感謝しときや。 何でもあの子が、
あの薄気味悪い奴を倒してくれたらしいで」
そう言ってヤトフさんが視線を向けた先には、藍色のローブを纏った
あのミイラが地面に突っ伏している姿があった。
『そこ』からはもう、あの得体の知れない気配は
「何でもあいつ、天界からやって来た天使様らしいぜ。
全く…これぞ、神の救いの手ってやつだな」
グレゴリーさんが
天使様…か。
僕は改めて、彼女の姿を凝視する。
そして、両腕に何かを抱えていることに気付く。
あれは…あの変な石から生まれた、謎の白い龍。
腕の中で大人しくしているその姿は、まるでよく出来たフィギュアのようにも見える。
「冗談みたいな話だけどさ、まぁ実際に翼も生えてるみたいだし…。
とりあえず、あんたもお礼の1つぐらい言っといたら?」
イシェンダさんの言葉を受け、僕はその場から立ち上がる。
そして、視線の先にいる彼女の元へと歩み寄っていく。
……
「僕は、杉山榛名と申します。 あの…この度は、ありがとうございました」
何だかやたらと緊張している様子の彼女に、僕は誠意を込めて礼を言う。
――ちょっと、頭に違和感を覚えた。
彼女とはどうも、初対面じゃないような気がする。
「ど、どういたしまして。 あ、あたし…コリンっていいます。
い…以後、お見知り置きを」
しかし、こんな翼の生えた女の子と顔を合わせた機会など、
深く記憶を辿ることもなく、無かったと断言出来る。
恐らく、いつものデジャヴなのであろう。
「何をそないにビビっとんのや。 ウチらと話してた時は、
全然もっと、普通に喋れとったやないか」
「い、いや…。 まぁ、そうなんですけど…」
ヤトフさん達とは普通に接していたというのに、僕とだとこの有り様。
考えられる理由は、ある程度予想が付いた。
「安心しなよ。 こいつ、デカくて
「…はい」
イシェンダさんからフォローの言葉が飛び出すが、コリンと名乗った
その少女は、まだ恐縮した様子でこちらを見ている。
ちなみに僕は、無愛想ではなく、無表情なだけだ。
「そ、それじゃあ、あたし…そろそろ帰ります。 皆さん、ご無事で何よりでした!」
コリンさんはそう告げると、翼を広げてその場に浮上する。
彼女にとっては当たり前のことなのかもしれないが、人の姿をした者が
いとも容易くそんなことを成し遂げる光景に、僕は結構な衝撃を覚えた。
「あ、それと…この龍、連れて帰ってもいいですか?
何だか、懐かれちゃったみたいで」
そう言って頭を撫でるコリンさんに対し、龍は『スー!』と嬉しそうに鳴く。
双方に
「おい、ちょっと待て! そいつは元々、俺が持ってたタルティト・スト-ンから
出てきた奴だろ? だったら、俺様に所有権がある筈だぜ!」
しかし彼女の提案に、真っ向から反対する者がいた。
グレゴリーさんの主張は、まぁ確かに…分からなくもない話だが。
「ケチ臭いこと言うんじゃないよ。 あんたみたいな奴に、
生き物が育てられるかっつうの」
「それにその子、ウチらの命の恩人様やないか。
お礼にそんくらいのこと、許したってもえぇんとちゃう?」
……
「チッ…ったく、分かったよ! そんな龍の1匹や2匹、幾らでもくれてやらぁ!
勝手にしやがれってんだ!」
しばらく渋い顔をしていたグレゴリーさんであったが、やがて開き直ったように
そう告げると、大股でその場から歩き出した。
どうやら、もうこれ以上、僕らと関わる気はないって心境らしい。
「…あの、ありがとうございました」
「てめぇなんぞに礼を言われる筋合いは無い! あばよ!」
僕が投げかけた感謝の言葉を
良い人なのか悪い人なのか、いまいちよく分からない人である。
まぁでも…機会があれば、また話してみるのもいいかもしれない。
「――とりあえず、これで一件落着ってわけだな」
コリンさんと別れ、帰路へ着こうと歩き始めるなり、
イシェンダさんは大きな溜め息と共に呟いた。
霧が晴れて見通しのよくなった森の様相は、さっきまでとうって変わったように
明るく、和やかな印象を僕に与えてくれる。
「にしても…じいちゃんのあの話にも、やっぱりアイツが関わっとったんやろか?」
「どうだかな…。 でもあれって、もう数百年も前の話なんだろ?
何で最近になって、また急に、こんなことになるもんかね」
コリンさんが教えてくれた。
奈落を
『獄卒』と呼ばれるそんな者たちの1人が、あのミイラなのだという。
「それはやっぱり、魔の
「あぁ…厄介なもんだな」
天界に、奈落。
言うなれば、天国に地獄。
その存在をこんな形で突き付けられることになるとは、夢にも思わなかった。
オルワディス…か。
つくづく、とんでもない世界だと再認識させられる。
元の世界に戻るまでには、まだまだ手間と時間を要しそうだ。
「そういや結局、例の『ニッポン』から来たっていう男はどうなっちまったんだ?」
「あ…そやな。 そのこと、すっかり忘れとったわ」
2人の会話を耳に入れ、僕も忘れかけていたその事象を思い出す。
本当に、どうなってしまったというのだろうか。
既にこの森にはいないのか…? それとも――
「――ッ」
遠くに見える、その後ろ姿。
それだけで充分だった。
僕は弾かれたように駆け出し、その背中を追う。
……
僕は追い付く。
彼が振り返る。
その顔は間違いなく、僕が探し求めていたものの1つであった。
「あの、僕…杉山榛名といいます」
高鳴る
名前を…。 早く名前を、聞かせてほしい。
「あ、あぁ…。 僕は、
彼はいきなり現れ、名を名乗る僕に多少困惑した様子でありながらも、
自分のその名前を教えてくれた。
都築直哉。 その名前を、頭の大事な部分にしっかりと記憶させておく。
「僕は、あの…日本という国に住んでいた者です。 けれど、何故だかある日、
こんな世界に来てしまいまして…」
「へぇ…! 君もそうなのかい?」
簡単に事情説明をすると、困惑していた彼の顔つきがパッと変わる。
その反応から察すると、どうやら彼も、似たような
話す前からなんとなく、そんな気はしていたのだけれど。
「僕もそうなんだよ。 仕事で疲れてて、家に着くなり眠っちゃってさ。
それで、起きたらなんと…自分がだだっ広い荒れ地の上にいるんだよ」
彼にとっても、自分と同じ境遇に置かれた人間とは初めて会うのか、
かなり興奮した様子で言葉を紡いでいる。
僕は改めて、彼の姿をよく観察してみた。
年齢は、20代後半…もしくは、30代前半というところか。
身長は、180cmを軽く超えているだろう。
白いシャツに青いジャンパー。 カジュアル系の服装。
「そこからはもう、あれやこれやと
いや~もう正直、君みたいな人とは出会えないと思っていたけどね」
「…お察しします」
精神的にも、どうやら僕と同じような状態に
あのどうにも形容し難い孤独感というか…
「この森には、どうして…?」
「ん~、何かありそうな予感がしたから、入ってみたんだよ。
そしたら、霧は濃くなってくるわ、変なミイラが出てくるわで…」
変なミイラー。
恐らくは、あの『ファナディン』とかいう奴のことだろう。
「逃げてる途中、眠ってる2人の男の子がいてね。
その子らを腕に抱えて、もう無我夢中で走ったね」
「……」
「森を出た所でその子らを降ろしたんだけど、まだ変なミイラが
ついて来る気配がしたもんでね。 森の中に引き返して、そいつからまた
逃げ回ってて…気付いた時にはもう、完全に迷子になっててさ」
笑顔を見せ、落ち着きを取り戻した口調で彼は語る。
なるほど…。
これまでに集まっている情報と照らし合わせても、
そして、現在に至る――というわけか。
「お~い、ハルナ! 誰と話しとんのや?」
「1人で勝手に動くんじゃないよ…ったく」
頭の中がある程度スッキリしたところで、後方にいた2人が
僕らの元へと駆け付けてくる。
何はともあれ、これで一件落着…。
そして、一歩前進というところだろう。