辿り着いたリシャーナと呼ばれるその地域は、近隣のウエルホやレノン…
ガライブなどの村と比べると、かなり近代的な町並みをしている。
「は…早く逃げろぉッ!」
「待ってよ、お父さ~ん!」
「すみません、押さないでください!」
「おいッ、まだ怪我人はいるのか!?」
しかし、その近代的な町は今、完全なパニックに
町を駆け回る人、逃げ惑う人、
1人1人の心に芽生える
1つの大きな混乱という形になっているようだ。
……
混乱を
前に聞いたドドマのそれとよく似てはいるが、その音量と迫力は、
比較の対象にすらならないだろう。
野生の世界では、その鳴き声によって相手の存在は勿論、
種別や大きさ、危険性なども瞬時に把握されるのが常識だ。
今聞こえた、謎の獣の咆哮から把握出来るもの。 それは――『そいつ』が、
これまで僕が目にしてきた如何なる生き物とも違い…
そして、如何なる生き物よりも脅威であるということであった。
「うッ…ぐッ」
「おい、大丈夫か!?」
先程の咆哮と、絶え間なく続く破壊の音を頼りに
その発生源の元へと向かう中、1人の負傷者と出くわす。
肩と脚…そして頭からも多量の出血が見られる。
「しっかりしろ!」
「い…いいから、お前達も早く逃げろ。 あいつは…正に化け物だ」
呼びかけるケヴィンさんに対し、
よく見れば、左腕には僕らと同じ、十字架の腕章が確認出来る。
どうやら彼は、この町の自警団の一員らしい。
……
再度鳴り響いた獣の咆哮。
それと共に、誰かの悲鳴と
現場は、建物を挟んだ向こう側――すぐ近くにあるようだ。
そこは恐らく、町の広場と思われる場所であった。
デザインチックに設置された
中央には何かの銅像があったようだが、それは今、
台座を残して地面へと横たわっている。
……
横たわったその銅像を踏み付け、粉砕する者がいた。
それは、2本の牙と1本の角…ドドマと類似した特徴を持ち――
されどその巨大さと、全身を覆う紫色の被毛は、僕がかつて出会った
あのドドマとは、明らかに一線を画している。
「こいつが…ドノブイ」
眼前に立つその生物の姿は、正に圧巻。
レノン村自警団のメンバーは揃って息を呑み、あの沈着冷静な団長さんでさえ
「――
その生物と向き合う3人の男女の中の1人、杖を持った若い男が
何やら呪文の詠唱らしきものを行う。
すると、男の周囲に4つの大きな火球が出現し、それらは立ちはだかる
敵へ向けて、微かにオレンジ色の軌跡を残しながら飛んでいく。
……
「ぬォおォッ!」
4つの火球は全てドノブイの体に命中し、それぞれの被弾箇所で
『ボンッ』と破裂しては、爆炎と共に消滅した。
すると、年老いた男が両手でしっかりと剣の柄を握り、雄叫びを上げながら
その怪物へと突っ込んでいく。
更に、もう1人の剣を持った若い女性がその後を追う。
……
しかし、首を振り回したドノブイのその2本の長い牙に薙ぎ払われ、
2人は共に数メートル先まで吹き飛ばされる。
その刹那――怪物のその不気味な輝きを放つ黒い瞳が、僕らの方を捉えた。
「――散れッ! 固まっていては、共倒れになる!」
団長さんの怒号が飛び、僕らは弾かれたように、散り散りに駆け出す。
僕とジウさんが獣の右側面。 ケヴィンさんが左側面。
そして団長さんが、正面から獣を見据える形となった。
「こんなのと…どう戦えばいいの?」
弱気な発言をするジウさんを横目に、僕は改めて怪物の姿に目を凝らす。
現在、地球上でもっとも大きな陸上動物は、アフリカ象だ。
しかし、今目の前にいる、その巨大な
その3、4倍はあろうかというスケールの身体をしている。
その巨大さ故に、地上最強の動物とも噂されるアフリカ象。
そう。 巨大であるということは…それだけで、1つの強さのバロメーターとなる。
僕もまた、その一例に含まれているのかもしれないが。
「下がってください! ここは、我々が食い止めますから…
あなた達は、早急に避難を!」
杖を持った魔道士を思わせる格好の男性が、僕らにそう叫ぶ。
見ればその男性を含め、さっきの老人と女性も皆、腕に腕章を付けている。
「すまんが、我々もあんたらと同業でな…。 こういう時は、身を
民衆の安全を確保するのが責務だ」
怪物のその巨大な眼と真正面に向き合いながら、団長さんが言葉を紡ぐ。
その言葉に、僕は小さく頷くことで同意を示した。
狼狽えた表情だったジウさんの顔にも、キリリと引き締まったものが宿る。
「――行くよ!」
一触即発の空気の中、沈黙がしばらく続いていた。
それを切り裂き、迷い無い足取りで巨獣へと突撃を開始したのは、ジウさんであった。
僕も急いで、その後を追う。
……
彼女の剣が一閃し、怪物のその後ろ脚に、一筋の赤い線が付けられる。
更にその刹那、僕の放った斬り下ろしが、同じく怪物の後ろ脚を捉える。
2つの傷は縦と横に重なり合い、十字型の
正面を向いていた怪物が、ゆっくりと首を回し、こちらに目をやった。
強烈な威圧感に、不覚にも体が硬直してしまう。
「――むんッ!」
その隙を見計らい、団長さんが怪物の首元へ、斬り上げの斬撃をお見舞いする。
そして、怪物の体を挟んだ向こう側にいるケヴィンさんが駆け出す様子も見られた。
「…
またもや何かの詠唱を行う、魔道士の男性。
詠唱を終えた途端、彼が持つ杖の先から、冷気を帯びた風と
幾つもの氷の塊と思われるものが放たれ、怪物へと向かっていく。
その魔法に僅かに怯んだ様子のドノブイへ向け、僕とジウさん、
そしてケヴィンさんの3人が、同時に巨獣の肢体へと剣を突き刺す。
中々に頑強な手応えの皮膚であったが、剣で貫けぬ程ではない。
……
しかし相手は、何と言っても地上最大スケールの生き物である。
これしきの傷、人間でいえば裁縫の針で突き刺された程度に過ぎないだろう。
気が立った様子の怪物は、無造作に左右へブルンブルンと首を振った。
「…わわッ!」
長い牙を装着した怪物のその動作は、それだけで充分な脅威である。
だがとりあえず、戦闘に参加中のメンバー全員が回避に成功したようだ。
……
『ブルォオッ』と低い唸り声を上げるその怪物の動きが、より活発なものへと
変化しているように感じる。
どうやら僕たちを、少なからず手強い相手と認識したようだ。
いきり立つ獣が、団長さんの方へと足を踏み出した。
その巨体に似合わず、スピードは見る見る内に上昇し、標的へ向けて
着実にその距離を縮めていく。
「――くッ!」
団長さんは寸での所でその突進をかわそうとしたが、左の前脚が
彼の肉体を
目標地点を通り過ぎたドノブイは急ブレーキを掛けたように停止し、
倒れた団長さんの方へその真っ黒な目を向けた。
僕は瞬時に彼の元へと駆け寄り、再び突進を開始したその怪物と
真正面から対峙する状態となった。
全身にかつて経験したこともないような
足の先まで、
……
スピードと進行方向をどうにか読み切った僕は、ギリギリまで
敵を引き付けてから、団長さんを抱えて横へと跳ぶ。
更にその際、奴の鼻へと斬撃を加えてやった。
被毛に覆われていないその部分への攻撃は、先程よりも確かな手応えを感じる。
見た目にも、その傷の深さは相応のものかと思われる。
――だがそれは、奴の怒りを更に増大させるものでもあったようだ。
「スギヤマくん!」
「…ッ!」
突進を止め、体勢を立て直したドノブイは、2本の前脚を高く持ち上げ、
まるで後ろ脚だけで直立するかのような姿勢となる。
そして、2本の巨大な前脚は、容赦なく僕へと振り下ろされた。
……
僕は団長さんを抱えたまま、どうにかその攻撃の回避に成功する。
『バゴッ』と鈍い粉砕音がし、その位置にあった石畳が呆気なく破壊された。
この破壊力…普通の人が受ければ、それこそ全身の骨を
バラバラにされる危険性すらあるだろう。
「団長さん…」
「心配いらん。 散るぞ」
体調を気遣う僕に対し、断固たる態度で指令を出す団長さん。
僕はやや不安を残しながらも、指示通り、その場から離れる。
……
『ブゴォオォッ』とドノブイが一際大きな唸り声を上げた。
その視線が真っ直ぐ向けられた先は――僕だ。
やがて巨大な脚が駆動し、怪物はまっしぐらにこちらへと突進してくる。
「……」
限られたタイムリミットの中で何とか呼吸を整え、対応を思索する。
回避が一番妥当な案だとは思いつつも、それは所詮、一時凌ぎにしかならない。
少々危険だが…この手でいくか。
「――スギヤマくん!?」
「馬鹿ッ! さっさと避けろ!」
目前まで巨獣が迫りつつも、まるで動こうとしない僕に対し、
ジウさんとケヴィンさんから怒号が飛ぶ。
僕はその声をスウッと意識の隅の方へと流し込んだ後、行動を開始した。
ドノブイから、動揺した様子が見られる。
その眼は、自身に生えた巨大な牙にしがみ付く僕の姿を捉えていた。
己の顔面にここまで肉薄した人間は、恐らくそうはいないだろう。
「――ッ」
僅かな沈黙の後、ドノブイは凄まじい勢いで首を振り回し始めた。
無論、牙に張り付く邪魔な存在を振り払うためであろう。
だが…ここで振り落とされるわけにはいかない。
僕は懸命に牙にしがみ付き、そのチャンスが訪れる時を待つ。
……
完全に僕に気を取られていた巨獣に、自警団のメンバー達が一斉に攻撃を加える。
いずれも決定打とは言い難いものばかりであったが、
ドノブイの気を
僕は腕と全身に力を込め、動きの緩んだドノブイの牙の上へと足を乗せる。
流れるような動作で、自然と腕が剣を引き抜いた。
この場所、この状況であれば…狙うポイントは1つしかない。
僕は切っ先を奴の右眼に向け、素早く剣を突き出した。
「……」
――つもりであったのだが。
剣の切っ先は、その黒い眼に触れる寸前で止まっている。
それは僕の意識がやったことか、それとも無意識がやったことなのか。
確かなことは、1つ。
僕がその怪物の眼の奥に、何か深い哀しみのようなものを感じたということだ。
……
同情という名の感情がもたらした、ほんの数秒の時間。
それが過ぎ去った瞬間、僕の肉体は怪物の元を離れていった。
自らに危害を加えようとしたものを、己の身から引き剥がす。
至ってシンプルで、当然の行動である。
「…ッ」
振り払われ、地面に叩き付けられた僕に巨獣は歩み寄る。
これまでの暴れっぷりからすれば、不自然な程に落ち着いた態度。
だが――発しているものは、鋭く研ぎ澄まされたような殺気。
奴の額に生えたその巨大な角が、青白く光り始めた。
かつて体験した出来事がフラッシュバックし、それが何を意味するかを悟る。
迫り来るその脅威を前にし、思うように体が動かない。
……
ジリジリとにじり寄る肢体と共に、その角の輝きは次第に強まっていく。
ドノブイを囲む他のメンバー達も、その脅威を察してか、身動きが取れない様子。
ここは、自分自身で何とかしなくては。
「ガ…ァッ!」
喉の奥の方から、獣じみた叫びが飛び出した。
体全体を駆け巡る血流が一様に加速し、
これが僕の――本当の戦闘
頭の片隅でそんな疑問の声を上げたのは、果たして誰であったか…。
矢の様に巨獣へと向かっていく自分のその様子を、もう1人の僕は
何処か他人事を見るような目で
やがて『僕』は空高く舞い上がり、奴の顔へ向けて滑空していく。
……
『ズドンッ』と鈍い衝撃が、飛び蹴りを放った左脚から全身に響き渡った。
ドノブイはその予期せぬ打撃に首の向きを変え、ぐらついた身体を
反射的に立て直すような仕草を見せる。
その眼に宿った微かな戸惑いが、
ついにその時は訪れた。
角から発せられる青白い光がバッと閃光のように輝いたかと思えば、
僕の全身に形容し難い程の衝撃が襲いかかったのである。
「スギヤマく…!」
目を見開き、僕の名前を叫んだと思われるジウさんの姿。
それが瞬く間に遠ざかり、ピントを合わす時間を失くした視界から
破壊された町並みの景色が、残像のように次々となだれ込む。
やがて、何かに背中と後頭部を打ち付ける感覚がし…僕の意識はそこで途絶えた。