「……」
ドノブイの呼吸は、先程よりも荒々しい。
精神的に興奮状態にあるせいかもしれないが、そうでないとすれば…
体力を
封魔の矢の効果が、ようやく現れ始めたのかもしれない。
……
いきり立つ巨獣が、ジウさんの方へ向けて突っ込んできた。
一瞬だけ表情を強張らせる彼女であったが、冷静な動きでその突進を回避する。
巨獣はグルリと首を回し、後方を振り返る。
「あっ…」
ドノブイの次なる挙動に神経を集中させる中、視界の隅に映ったもの。
それは観客席から
彼が地面に降り立った瞬間、ドノブイは唸り声と共に駆け出す。
「――
詠唱を終えたリベリオさんが持つ杖の先から、
それらがバシバシと左前脚に当たると、ドノブイの視線は彼の方へ。
だが、間を置かずして、団長さんが首の付け根辺りへと剣を突き刺した。
……
首を振り、その長い牙によって団長さんを弾き飛ばすドノブイ。
しかし今度は、僕の番だ。
怒りの眼を僕に向ける魔獣に、続けざまにジウさんとケヴィンさんが追撃を加える。
敵に息吐く暇を与えない、見事な連係プレイだ。
ダメージは微々たるものであっても、相手の注意を一点に向けさせないことは
被害を最小限に抑えるため、重要な過程である。
「…忘れ物ダぜ」
そして、行き着く先に導いた結果は…。
地面に落ちた残る1本の封魔の矢をセットし、弓を引き絞るベントさんの姿。
あの距離、あの体勢では、ドノブイにそれを避ける手立ては無いだろう。
……
放たれた矢が、ドノブイの右前脚へと確実に突き刺さる。
その瞬間、巨獣はまるで事態の深刻さに気付いたかのように、体を硬直させた。
「――全員、離れろ! 後は、魔力が尽きるのを待ツダけダ」
ベントさんの言葉に従い、僕たちは一斉にドノブイから距離を取る。
巨獣は僕たちそれぞれ、あちこちに視線を
どうするべきかに迷っているような様子が
……
やがてドノブイは、1人の人物に向けてその鋭い眼光を突き刺す。
それは…やはりと言うべきか、僕であった。
何となくだが、そう来るだろうという予感はしていた。
「――ッ」
猛然と迫り来る巨体を前にし、僕は息を呑んでその場に立ち尽くした。
もはや眼前の巨獣に、冷静な判断力は無いだろう。
僕は密かに考えていた、『その手』を使うことにする。
……
「お…おいッ!」
「スギヤマさん、何を…!?」
遠方から聞こえるケヴィンさんとリベリオさんの驚きの様相を隠せない声を尻目に、
僕は真正面から怪物の顔面へと突っ込んでいく。
うん。 やはり、結末に自信はあっても…スリルは満点。
心身に冷静さを巡り巡らせる。
そして、丁度良い間合いと判断した時――
……
『ズガンッ』と派手な粉砕音が背後から聞こえ、僕は後方を振り返る。
そこには、首から上の部分を完全に壁にめり込ませた、あの巨獣の姿があった。
全身をピクピクと微かに震わすその様子からして、相応のダメージはあったらしい。
「……」
「スギヤマくん!」
尚もドノブイの様子に気を配る僕に向け、メンバー達が次々に駆け寄ってくる。
真っ先に駆け付けたジウさんはジイ~ッとドノブイの方を見つめた後、
少し気の緩んだ顔で僕の方に視線を移す。
大勢は決したであろうことを、彼女も認識しているのだろう。
「今の、えっと…何がどうなったの?」
「見えませんでした?」
「…うん。 全く」
今のは別に、そんな凄いことをしたわけじゃない。
単に奴の2本の前脚の間を、スライディングで
体の大きな生き物ほど、足元は不注意になりがちなもの…。
ゴールキーパーを務める際にも、股抜きシュートには充分な警戒が必要なのだ。
「まぁ、こんなもんだろうね」
ドノブイは壁に頭を突っ込んだ状態のまま、やがて動かなくなった。
それを見届け、しばし勝利の
上空から聞き慣れぬ女性の声がしたため、僕はハッとして観客席の一点を見上げる。
緑色の肌。 紫色の、逆立った髪。
黒いマントを身に
彼女が普通の人間でないことは、明らかと言えよう。
「
何やら呪文の詠唱らしきものを行った彼女の全身から、薄いピンク色の
オーラのようなものが放たれると、それは一瞬にして僕の横を通り過ぎる。
そしてあっという間に、気絶したドノブイの体の中心部へと吸い込まれていった。
「なッ…!」
「き…消えたッ!?」
すると、どうしたことか――あのアフリカ象の何倍もあろうという巨体をした魔獣が、
次の瞬間には消失していたのである。
後には、壁に刻み込まれた壮大な破壊の
「あの様子だと、もう手遅れかもしれないけどね。 ま…それならそれで、
別の使い道もあることだし」
クスリと小さな笑みを
チラッと他のメンバー達の様子に目を配れば、みんな、事態の
追い付いていないって感じの顔つきをしていた。
「…どちら様ですか?」
僕も勿論、その中の1人であったが…こう見えても、気持ちの切り替えが
早い方だとは自負している。
この場は率先して、謎の女性の正体を探ろうと
「魔王軍、
瞳に妖しい光を宿しながら、彼女はそう答えた。
魔王軍…。
冗談だとしても聞き逃せない単語だが、恐らく冗談でもないのだろう。
彼女の容姿と、そこから漂う雰囲気が、それが事実であることを物語っている。
そう感じ取ったのは僕だけでもないようで、闘技場に集った他のメンバー達も
次々に険しい表情をしては、それぞれ武器を構えたりしている。
僕はひとまず剣を鞘に収めた状態のまま、成り行きを見守ることにした。
「案ずることないわ。 あなた達には、見応えのあるショーを観せてもらったことだしね。
この場で
これが人と、人であらざる者の違いというものだろうか…。
恐怖と嫌悪――それに、ほんの少しの好奇心。
そんなものが入り混ざった初めての感覚に、ちょっと戸惑う僕がいる。
「ただ…今頃、フォーマス王都はどうなってることかしら」
「――どういう意味だ!?」
続けて発せられた言葉に、悪い予感を断ち切ろうとするかのように
大声で言葉を返す団長さん。
気持ちは分かるが、根拠の無い憶測ほど無意味なものはない。
「一応、今回は
指揮を
後の報告が楽しみね」
そこで言葉を終えると、何の前触れもなく、彼女の体が宙に浮かび上がった。
だが、もうそのぐらいことで驚いてはあげない。
……
そんな僕の小さな決心に気付いた様子もなく、彼女はまるでラジコンヘリの如く
空中を
これで、この地に残ったのは…僕たちだけということになる。
「団長…」
「ひとまずは、リシャーナの町に帰還だ」
不安げに視線を送るケヴィンさんに、断固とした口調での指示。
さすがは団長さんなだけのことはあり、もう冷静さを取り戻しつつあるようだ。
うん…。 今はやるべきことをやりつつ、後々の構想を練っていく他ない。
町に帰り着いた僕たちの元に、気になっていた例の事に関する情報が
早くも伝達されることとなった。
互いの報告を伝え終えた僕らは、どちらとも
「そうか…王都は無事か」
「ふぅ~、一安心だね」
王都付近に突如として出現した、魔物を率いる謎の集団。
それを察知した国王は、
ジュニエスの部隊と謎の集団は、接触するとすぐに
結果的に、向こうの集団が
集団を率いていたリーダー格らしき者は、自らを魔王軍の
『
そして、魔王の地上界への進出と侵略を宣言…。
ここまでが、伝令によって届けられた報告の内容である。
「そちらの方も、無事に片付いたようで…何よりです」
「すいません。 私たちは、何も力になれなくて」
リシャーナ自警団員の2人は、微笑みながらも申し訳なさそうな顔。
僕は軽く首を横に振って、『気にすることはありません』と無言の返事をした。
困った時は、お互い様というものである。
「では、我々は一旦、レノンの村に戻ります。 事態の収拾が付いたことと…
新たに
「そうですか…」
「
団長さんが団長さんらしく、ピシャリと話を
確かに、レノンやガライブの人たちは、事の真相と成り行きに関する報告を
心待ちにしている筈である。
そういえば、ヤトフさんや都築さんは、ドノブイ出現の
王都に伝えに行ってたんだっけ。
王都にはまた折り返し、事態収拾の報告を伝えないといけない。
う~ん…電話の無い世界って、その辺りが色々と不便。
「あの、お世話になりました。 道中、お気を付けて」
「おう。 あんたも、元気でな」
リベリオさんがペコリと頭を下げると、レノン自警団を代表してケヴィンさんが
軽く手を上げて、別れの挨拶を済ませる。
さて…それでは懐かしの、第二の故郷に帰ることにしようか。
テドラ山の中腹、古びた小屋の前へとやって来た。
言わずもがな、ベントさんの住まいである。
「あんたのお陰で、あの怪物を食い止めることが出来た。 改めて、礼を言っておく」
「…フン。 別に、お前達の為にやッタわけデもねぇ」
団長さんの言葉にぶっきらぼうに返事をし、小屋の方へと歩いていく。
彼の
快適な暮らしをしていくといった選択をしても、特に支障は無いと思われるが…。
まぁでも、そういうのはやっぱり、彼の性に合わないんだろう。
……
「――まダ何か、言いタそうな顔ダな」
小屋の方へゆっくりと歩みを進めるベントさんが不意に立ち止まり、振り返る。
僕は反射的に、団長さんの顔を見た。
なるほど…。 確かにそんな感じの顔に、見えなくもない。
「訊きタいこトは、大体分かる。 俺ト、あいツらトの関係性…ッテトこダろう?」
「…あぁ。 まぁ、そんなところだ」
『あいつら』とは言わずもがな、あのモンリー山賊団の面々を指しているのだろう。
それに関しては、僕も薄々気にはなっていたのだが…。
まさかベントさんの方からその話題を持ち出してくるとは、ちょっと想定外である。
「昔、同じ村に住んデいタこトがある。 大しタ交流は無かッタがな」
「……」
「ある時、村に事件が起こッタ。 そこデ、あいツらは変わり…俺は変わらなかッタ。
言えるのは、それダけのこトダ」
ベントさんは凄まじく
しかし、彼の表情を見ていると…『変わらなかった』の中に『変われなかった』
という思いが、少なからず含まれているようにも感じた。
だからと言って、何がどうというわけでもないのだが。
……
「団長さん、もういいと思いますよ。 この人は、罪と呼ばれるような行いは
していないし…これからもきっと、することはないでしょう」
微妙な沈黙の空気が漂う中、僕はきっぱりとそう言い放った。
団長さんは僕を見やると、少し困り顔で『フウ~ッ』と深い溜め息を吐いた後、
ベントさんの方に視線を戻した。
「――だそうだ。
「…フン。 俺も、買い被られタもんダ」
何だかよく分からないが、2人共納得したような顔をしている。
これでこの件についても、一応の決着が付いたと思っていいのだろう。
さて…後は、帰路に着くだけだ。
レノン村に戻り、隣のガライブ村も含めて、事後のあれやこれやを報告。
それが終わって夕焼けが世界を包み始めた頃、彼女らはようやく戻ってきた。
僕とミューレさんで、それを出迎えに行く。
「お帰りなさい、皆さん」
「ただいま~。 …ってもう、何なんや一体? あの怪物騒ぎ、
もう解決してもうたっちゅう話やないか」
到着した馬車から真っ先に降り立ったヤトフさんが、何とも言えない表情で呟いた。
僕はどう答えるべきかに少し迷い、ミューレさんと顔を合わせる。
「まぁ、いいじゃないか。 取り越し苦労で済んで、何よりだよ」
続いて姿を現したイシェンダさんが、穏やかな笑みを浮かべながら言葉を発す。
さて、その後に馬車から出て来た人物は…。
淡いクリーム色のローブに身を包んだ、壮年の女性。
初めて見る顔である。
「あっ…こちらは、ロザリー・ハーモンさん。 ガライブ村の、自警団長です」
僕が口元に手をやり、念のために記憶の糸を辿っていると、
ミューレさんから簡単な紹介をされてしまう。
ガライブ村の、自警団長…か。 それなら、初対面となる筈だ。
以前に村を訪れた際は、何だかんだで顔を会わせる機会がなかった。
「あなたは、スギヤマ・ハルナさんですね? 噂には聞き及んでいますよ」
「…どうも」
握手を求められたので応じてみると、ちょっとガサッとした
年季の入った手の平の感触が伝わる。
見たところ、普通のおばさんという雰囲気しか感じられない…
というのが、正直な第一印象である。
……
その違和感に気付いたのは、それから間もなくのことである。
馬車から顔を出してくれるであろう、とある人物の姿が見当たらない。
中にも外にも、その周囲にも――『彼』らしき人の気配がしない。
「…どないしたんや? スギヤマくん」
「あっ、いえ…」
言い知れぬ不安が僕の頭にべっとりと張り付き、声が震えるのを自覚する。
――何を不安に思うことがある。
目の前にいる彼女に尋ねてみれば、すぐに分かることである。
「あの…都築さんは、何処に?」
「へっ?」
彼女のキョトンとした表情を見た時、薄い霧のように頭を覆っていた不安が、
途端に色濃くなり始めるのを感じた。
その場から逃げ出してしまいたくなるような、得体の知れない
全身の神経を駆け巡っている。
「誰や…? そのツヅキさんって」
――彼女が返事を紡いだその唇の動きは、まるでスローモーションのように見えた。
その映像と音声が脳内でもう一度再生された時、実感せざるを得なかった。
『そこ』にある、確かな隔たりを。
……
僕は――何処にいる?