今までの人生を歩んできた中で、味わった事のない甘くて切ない感覚。そして初めての感触。
今、俺はなにをされた? そう脳が理解を拒んだ。俺は混乱した。衝撃で思考が働かず、体はただ硬直。辛うじて、現実から目を逸らした。
この光景は間違いと、変な夢だと、妄想だと、誰でもいいから否定してほしい。そうすれば、俺は楽になれる。何も悩まなくて済む。苦しむ事がなくて終わる。
「……んっ……」
彼女が発する小さな音と、自分の耳が拾ってしまい、意識が現実へと引き戻された。
彼女は俺の親友、彼を好きだと言って相談を持ち掛けられた。だから俺は彼女にアドバイスをした。彼はどう考えて、どう思って、どうするのか。それは客観的な視点であって、主観ではないから、正解は無理だが、近くの場所は狙える。共に長く接していて、たくさんの時間を過ごしていたから。
でも、この行為でそれらの全てが、表から裏へとひっくり返った。
俺は彼女に理由を聞きたい。どうしてなのか。どうして彼じゃなくて、俺なのか。どうして。
「……んっ」
ただ、この刹那に俺は悟った。唇には、彼女の想いが込められていると。それを言葉ではなく、振る舞いで表そうと。
「…………っはぁ」
行為を終えた彼女は、俺から少し離れる。
傍にある一つの電灯が、俺達を照らし出す。彼女の頬は、ほんのり赤味を帯びていた。
「ずっと前から好きで、ずっと前からこうしたかった」
彼女は俺を見上げながら、理由を語り始める。
「一夏が好きって事は嘘。だけど一夏本人にも、周囲の人達にも協力してもらった。長い長い時間を……」
彼女は俺から目を背けず、正面から堂々と見つめる。それと同時に、申し訳なさそうな表情をしていた。
「一夏は確かにいい奴よ。でもね――――」
俺は彼女の言葉を待った。
「――――私の一番は夕。あなた」
自分の名を告げられた。そして彼女は、力強く俺を見やる。
「あなたは優しすぎる」
それは誰かと同じで、似た言葉。
「誰かと一緒に悲しめる心。誰かを真っ直ぐ愛せる心。なにより一番は――――」
一つ一つの言葉に、彼女は意味を込める。
「――――あなたの世界を、私は知りたい」
俺の世界?
「人は中身まで見る事は難しい。だから誰もが一夏に目を向けていく。だから皆は気付かない。でも、見てる人はちゃんといる」
一夏は目立つ。他の友人達よりも。誰よりも。そんな太陽のような存在。
「あなたがいなかったら、私はきっと一夏を好きになっていた」
一夏に惚れる? それは別に変な事じゃない。普通の事だろ? 一夏はいい奴だからだ。誰かが困っていたら、必ず助けられる人。
「それでも、今ここにいる私は……あなたを選んだ。ただそれだけ」
どんな言葉を使われても、俺には何が何だか理解出来ない。
「そんな泣きそうな顔をしないの。困らせたのは私だけど……ごめんね」
鈴が泣きそうな顔をする。
いや、俺は衝撃でただ驚いて、何も言えないだけだ。別に彼女達を怒ったりしてないし、彼らが俺を裏切ったと思わない。ただただ驚愕した。たったそれだけの事。
「ま、なーんかごちゃごちゃそれっぽいというか、意味深な事を言ったけど、本当の理由は些細だったりするんだよ。恋に落ちるのはさ」
鈴が見せてくれたその笑顔は、この世で一番美しく感じた。今まで見てきた、どの笑顔よりも。
「私はあなたの、底なしの優しさが好き。それだけ」
優しさ。俺は優しいのか?
「パニクる事はあってもね」
転校初日か。
「さて。んー!」
鈴が俺から離れ、ベンチから立ち上がって伸びをした。俺の視線を背中に受けながら。
「ごめんね。長々と付き合わせちゃって。どうしても好きだって伝えにくくてさ。抱きしめられている最中、頭の中嬉し恥ずかし、ぐるんぐるんよ。好きな人に強く抱かれるのは、やっぱり温かかった」
鈴は両手を背中にやって、俺の方に振り向いた。
「あ……いや……別に……」
ダメだ。まだ混乱している。これは楯無さんの時と破壊力が全然違う。身内だと思っていた人から、頬に手を当ててからのキスとか、ギャルゲーやドラマでしか見た事ないんだけど。いや、確かに憧れなくはないシチュだが。
何だこれ。人ってここまで驚くと、何も出来なくなるんだな。初めての経験だ。キスも初めてだし。まさか、鈴からこう来るとは思わなかったなぁ。一夏が好きって言ってたから、普通に信じてたし。一夏だから納得出来ると思っていた。
なるほど。これが固定観念か。これはすごい手だ。まさに神の一手だな。今考えると、不自然な事もあったけど、それは控えめなアピールだったと思う。それとも、いつ気付くか気付かないかの駆け引き? うっわ! 女ってすごいな! 演技力とかさぁっ! 興奮してきたっ!
「ほら、帰るよ。伝説って?」
もたもたしていた俺を、鈴は俺の手を優しく取り引っ張る。
「ああ!」
返事をして、俺は手を繋がれたまま、鈴と一緒に寮に戻った。
そういえば、付き合ってほしいとは言ってなかったが、どうするんだろ? 返事する暇がなかったけど、今のままなら楯無さんと同様断る。
寮の廊下を、俺は鈴に手を握られたまま、鈴に連れられ歩いてく。そして俺を引っ張っていく鈴は、片手で携帯を操作していた。なにやってるのかな?
「これからある事を発表するね」
俺と楯無さんの部屋に、俺と一夏と鈴と楯無さんの四人がいる。楯無さんは自分のベッドに座り、一夏は俺のベッドに座っている。その二人の視線を中心に受けとれる場所。鈴はテーブル付近で堂々と立っている。俺は台所に避難して体育座り。
「まず、一夏!」
腕組みしているであろう鈴から、名前を呼ばれた一夏は無言で言葉を待つ。鈴の格好は位置的に見えないから多分だが。
「私はついに言ったよ!」
一言を一夏に告げた。あ、そういう事ですね。理解しました。俺、台所にいてよかった。いや、別にそっちにいても問題ないけど、いいポジションがないからさ。座る所ない。このタイミングで、鈴か一夏の隣に座れと?
「ついに言えたのか! やったな!」
鈴の短い言葉だけで、一夏は思い至った。わかるのか。
楯無さんはどういう事なのか、理解不能らしい。多分。
「ここにバッチリね」
どの部分を触っているのか、わかってしまう。
「おおお! すごいぞ! そこまでやるとは!」
一夏が興奮して叫ぶ。楯無さんはきっと、唖然としているはず。
「ふふーん! でしょ?」
誇らしく胸を張っている鈴の姿が、簡単に想像出来る。わかりやすいな。いや、言葉だけのイメージだから、どれも間違ってるかもだが。
「そういう事ね。わかった」
あ、楯無さんが口を挟んできた。これってもしかしてバレてる? 俺はここにいるし、鈴の様子から察せたのかも。楯無さんも……ねぇ?
「つまり、お姉さんと勝負がしたいの?」
「そうだよ。私は生徒会長、更識楯無に勝負を申し込む」
うわ、なんか面白そう。俺は当事者だけどな。
「勝負の内容はもちろん」
「うん」
凄いな。これが一つの戦い。
『どっちに振り向かせるか勝負!』
いや、マジで凄いぞ。
話に耳を傾けていて、ふとした瞬間首を横に向けると、一夏は俺と同じ体育座りで俺の隣にいた。退避してきたのかな。
(騙してごめん……)
一夏は視線を下に向け、床を見つめてから一言謝った。すっげーへこんでる。
(気にするな。それも一つの選択肢だ)
普通ならかなりの博打になるけど、賭けに勝ったなら結果オーライ。
(確かに褒められる事じゃないが、俺は本当に気にしない)
これは本心だ。そして正攻法が全てじゃないし、奇策もありだ。
(ま、そう言っても一夏は気にしちゃうだろうから、一つお願いだ)
俺は一夏の頭に手を置く。絶対気に病んでいるからな。逆に俺がやったら、現在の一夏みたいになりそうだ。
(今日の晩ご飯を奢ってくれ)
(え……? それだけか……?)
落としていた視線を上げて、一夏は俺の方を向いた。かわいい。
(いいんだよ。人の金で食う飯は美味い)
気分的に自分で金を払うのと、また違ったよさがある。人の不幸で飯が美味い的な?
(奢らないなら絶縁な。二度と俺に話しかけるんじゃあないよ)
脅して逃げ道を塞ぐ。長年付き合ってきたんだ。これはかなり堪えるんじゃないかな? 俺は絶好したら死ぬ。
(わ、わかったっ! 好きなもの全部頼めよっ!)
そんなに食える訳ないだろ! 俺の胃袋破裂させる気か! 増えるワカメを乾燥状態で食って水を飲んだり、メントス食ってからコーラとか危険なので、絶対にやっちゃいけない。確か死人出たんだっけ?
(そんな訳で指切りしましょ)
一夏の頭に置いてあった手を使い、一夏の前に小指を差し出す。
(おう!)
そして俺達は指切りして、約束をした。ちなみに指切りは昔、花魁とかであったらしい。自分の小指を切って相手に渡し、また来てもらうための約束。衛生面を考えて、ある時から作り物の小指を渡したとかなんとか。
この後、俺を含めた四人は食堂に向かった。勝負は明日からだって。楯無さんフライングしてるんじゃない? いや、鈴もか?
食堂の席で、俺は鈴と楯無さんの間に挟まれて、食事しながら思考を開始。一夏は別の席でセシリアさんと箒と一緒だ。お互い頑張ろうぜ!
両親公認、同部屋、実力、家系というステータスは楯無さんで、俺の好感度は低め。
一緒に過ごした思い出、クラスでの存在、俺の性格などを把握し、友人達が応援している鈴で、俺の好感度は高め。
外堀埋まってるね。これはいずれ時が来ますな。二人まとめて愛す? この選択肢を選ぶなら、俺はどちらも選ばない。いや、もし社長になったりしたらありか? いやいや、俺がシャッチョサンとか無理。頭使うの苦手だもん。でも、なるしかなさそうなんだよなぁ。ま、現時点で除外だ。
色々考えながら一夏に奢ってもらった高い肉料理を口に運ぶ。
最高や! 噛めば噛むほど、口の中に溢れる肉汁! そして柔らかくて食べやすい! やっぱり高いお肉は凄いな! ま、俺はスーパーの三百円辺りの肉で十分だけどね。あれも美味しいから。大体の物を美味く感じる安い舌でよかった。
ふと首を動かして両隣を見たら、二人は口を開けている。やらんぞ。自分で頼め。これは俺の肉やねん。絶対に渡さんぞぉ!
食事を終えて部屋に戻る。今日は一夏が部屋に来なかった。が、今は代わりに鈴がいる。
「何故あなたがここにいるの?」
「私は友人の近くにいるだけよ」
俺はベッドに座って教科書を読んでいると、テーブルの方で座りながら、鈴と楯無さんが睨み合っていた。いいぞぉ!
そんな二人の事をお構いなしに、教科書のページを進めていると、急にテレビから音が鳴る。
二人を一瞥すると、背中を俺に見せてゲームやってる……。なんだよ、仲良く出来るじゃねぇか。対戦しているが。
いやぁ、しかし……全体的に勉強が難しいなぁ。頭がフットーしそうだよおっっ!
ISも勉強も両立させる事が可能な進研ゼミとかないかな? あの漫画好き。
時計を見ると二十時。二人はまだゲームをしていた。風呂入ってこいよ。大浴場閉まっちゃうんじゃないの? 知らんけど。
「お二人さん。お風呂はどうするんですか?」
一応声を掛けておく。画面に食い付いて忘れていた、とかあるかも知れないからね。
『後で入る』
二人揃ってお断り。面倒な勉強や風呂を後回しにする子供か。ま、ゲームはセーブしてからやめないとね。
「そうですか」
一言頷く。
さて、俺はどうしようか? 勉強は一旦中断しとく。これ以上は記憶が上書きされちゃう。若しくは押し出される、天突きかロケットペンシル?
「俺はシャワー浴びてきますね」
俺は座って行く気がないまま、二人に声を掛けた。
ガタッと楯無さんが立ち上がり、鈴は反応しなかった。ゲームやろう。
「嘘です!」
まだ入るべきではないと、伝えておかないと。
しかしやべぇな。楯無さんがちょっとだけ、危険な領域に踏み込んでいる。鈴ちゃんは普通。何という健全……ではないかな。チッスされてたわ。言葉でよかったじゃん。俺が悪いの?
「勝ったー!」
鈴が腰を上げて、コントローラーと一緒に万歳しながら勝利宣言。かわいい。
「嘘でしょ……」
楯無さんは愕然としながら呟いた。
そりゃ、俺の言葉に気を取られたからだよ。しかも普通の発言。
「あー、そうだ。明日買い物しに行きましょう。冷蔵庫の食べ物を勝手に使っちゃったんで」
そういえば、と思い出した。今朝に結構と使ったなと。
「デート!?」
バッと勢いよく、楯無さんがコントローラーを握りながら、俺の方に振り向いた。変換凄いな。
「構いません。ついでに、服でも見に行きましょうか」
「うん! 行く行く!」
ズサーと膝立ちでスライドしながら、楯無さんは俺の太ももに腕を乗せた。
アクティブですね。というか、色々と危ないのでやめて下さい。
「私は!?」
鈴が俺の肩に飛び付いてきた。地味に痛い。
「一緒に行こうか」
置いてく選択肢は端から俺にはなかった。ここで弾くとか鬼畜の所行だ。俺の楯無さんへの振る舞いは、ただ返しただけ。
「じゃ、明日は皆で行きましょうか」
ここで一夏を呼ぶ選択はしない。一夏が嫌とかでは、一応デートだからね。普通なら一人多いけど。
『うん!』
二人共いい返事だ。
「一夏君は呼ばないでね」
「一夏を呼ぶのは無しで」
はいはい、二人同時に言わなくてもわかってますよ。一夏君可哀想。