束さんと会った次の日。俺はいつものように、クローゼットの中で目覚めた。多分いい朝。
昨日一夏に頼まれて一緒にアリーナに行ったが、ダメだと見事に断られた。その理由は、俺達二人に見られているのが恥ずかしいからとさ。まぁ、俺達が絶対に見ないからと言ってその通りに実行しても、男二人という存在だけで気になってしまうんだろう。これは気持ちの問題だから、無理矢理押し通せる事じゃない。
断られた一夏は肩を落とし、俺は一夏の肩を軽く叩く。俺は乗り気じゃなかったからといって、別に嬉しくは無かった。これはこれで残念だったし。慰めの意味を込めて、俺は一夏に昼食を奢った。高いのをな。金はあるんだ、あまり使わないから。
いつものようにクローゼットで服を着替える。そしてクローゼットを慎重に開けた。問題無し。二人はまだお休み中だ。
俺は室内を静かに歩いて、自販機に飲み物を買いに行く。バンシィは相変わらず浮いている。
すっぽりハマってマッカンを飲んでいると、廊下を通り過ぎていく生徒に挨拶をされる。まぁ、今ではちょっとした名物だから、ビビられる事はほぼなくなった。しかし、パジャマやTシャツとショーパンの薄着だったりと、服装がかなり無防備だ。大学行ったら危ないんじゃない? わからんけど。
マッカン飲み終えて部屋に戻ると、ベッドの上で二人は起きていた。楯無さんは水色のパジャマで、鈴がタンクトップとショーパンの部屋着。肌見せんな。最近鈴がだらしなくなってきた。夫婦かよォ!
「おはよう。夕君」
「おはようございます。楯無さん」
「おはよ」
「おう。おはよう」
二人にそれぞれ挨拶して、俺はテーブルの前に座った。そしてテーブルの上に置いてある教科書を読む。日課なんだ。
「今日は私とデートね!」
ガバーっと背中に乗っかられた。やっぱり鈴は軽い。かわいい。後、服を着ろ。髪の毛も痛い。
「っと、わかってますよ」
「やっぱり、お姉さんも行きたいなぁ」
「会長はダメ! また今度!」
鈴が強く拒否する。ま、俺と鈴の約束だから。悪いね。
おい、こら、俺の頭を抱くんじゃない。最近鈴が大胆になってきた。
「知ってた」
ケロッとしてますよ、この方。けろけろけろっぴかよォ!
「ねーねー! 今日はどこ行く?」
頭に乗っかる鈴が俺に問う。ふむ、どうするか。ショッピング? 映画館? 遊園地? 水族館? 動物園?
「遊園地ならフルで遊べる。ショッピングか動物園か水族館か映画館なら一定時間だけ。そうなると昼はカフェか喫茶店になるかな。何がしたい?」
ちょっとした情報を鈴に渡す。一人だけで決めちゃいけないからな。
「うーん……」
悩みながら鈴が前後に動くから、俺の頭も連動してぐらんぐらんしている。落ち着きたまへ。
「映画館?」
鈴もはっきりしないようだ。ま、悩むよな。ここって寮であって家じゃないし。うん……? 家……?
「映画館か。悪くない。後浮かんだ物が一つある」
「どこ?」
「俺の家」
「ガタッ!?」
楯無さんが家という単語に反応した。口じゃなく机か何かを揺らすべき。
「あー……いいかもね。全然行ってなかったし」
「じゃ、映画館の後にカフェなどで昼食か、家で昼食。どうする?」
「映画館の次に家!」
「わかった。それで行こう」
「うん!」
デート場所を決定。ちらっと楯無さんを見ると、意外な事に笑顔だった。
「次は私が行くね」
「はい」
楯無さんとの次回のデート場所も、ついでに決まったらしい。
朝食は三人で食べて、俺と鈴は部屋を出て、寮の廊下を腕を組んで歩く。
「皆の視線を感じる!」
鈴が嬉しそうに、俺を見上げながら話す。当たり前でしょ。IS学園に二人しかいない男子の内の一人が、こうして女の子と一緒に歩いているんだから。しかもかなり親しげ……というよりカップルな雰囲気。これで見ない方が難しい。
あ、今更気付いたんだが、楯無さんと鈴の二人と一緒にいる俺って、結構ヤバくね? 俺の悪評が飛び交ってそう。ま、仕方無いね。
鈴と一緒に外出申請をしてから、学園外へと踏み出す。
「制服なのが残念。おしゃれしたかったのに……」
歩きながら、俺の腕に抱きつく鈴が不満を漏らす。
「制服デートも悪くないと思うぞ? 学生の内にしか出来ない事だし」
大学生になったら、制服なんて着たくても着れないからな。大学生で制服って、コスプレになってしまう。自宅でたまに着るのはOK。
「わかってはいるんだけど……でもなぁ……」
「ま、制服以外の服をいつか着れるでしょ。いつかというか……夏休み?」
そこまでガッチガチとは思えない。実際どうなのか知らんけどさ。
「夏休み! じゃあ、その時はたくさん服着るね!」
鈴の頭がぐりぐりと腕に擦り付けられる。
「はいはい。動きにくっ……いからっ……やめまっ……しょうっ……ねぇーっ!」
くそ! 鈴の頭を離そうと押すが、なかなか離れようとしない!
「ぐぐぐっ!」
「ぐぐぐじゃないっ!」
何だこのパワー!? 俺と鈴が力比べしたら負けるんじゃ……? やだ、逞しい。
「……降参だ。お好きなように」
嫌いじゃないけどね。
「勝ったー!」
先ほどより強く擦り付けてくる。痛い痛い。しかし、ツインテの片方の結び目部分痛くね? もしかして計算して角度を決めてるから痛くない? うん、そうだろうな。
映画館にやって来ました。休日だから、俺達めっさ注目されている。制服目立つし、俺自体も目立つし、鈴ちゃんも可愛いから目立つし、腕組んでいるから更に目立つ。これは凄くヘイト稼いでますな。二つの意味で。分散させるために、ポケットからバンシィぽい。
「夕は何見たい?」
鈴が俺の方を見ながら笑顔で聞いてくる。超かわいい。この人俺の幼なじみなんです。
俺は現在上映している映画のスケジュールやジャンルを眺め中。
「鈴は何が見たい?」
鈴に問い返す。俺の独断じゃ決定は無理だし。
「アクションかな?」
「なるほど。この中じゃ俺もアクションだな」
アクション、ミステリー、ホラー、恋愛、アニメ、ファンタジー、SFなどと単純にジャンル分けした。その結果、ここはアクションか。一番無難だろうし。それにストーリーが一本道で理解しやすい。ま、俺と鈴の趣味が合うのだろう。
「それとも、ここは敢えてホラーを選択してみる?」
「逆に聞くけど、夕はホラーを選んで大丈夫なの?」
「無理。超怖い。日本と外国のどちらがより恐怖するか、とか全く関係無い。うん。で、今上映中なのは邦画だ。日本のホラーは世界に通用するんだぞ? 俺が無印の最強射影機持ってても、霊にぶん投げて俺が退散だわ。塩の弾丸込めたショットガンでも無理。目の前に発生源があっても焼かずに逃走」
それでも! 一夏と一緒なら戦える! いや、俺も一夏も絶対逃げるわ。足の引っ張り合いはしないと思う。
「わかった。アクションね」
何だその優しい眼差し。お、俺を哀れむなぁっ! 実際哀れだからしょうがないね。
俺達はチケットを買ってから、ポップコーン二つとドリンク二つを購入。俺はポップコーンで、鈴がドリンク。
チケットに書かれた番号に従い、劇場内に入って決められた座席に着く。
「映画なんて結構久しぶりよ」
鈴にポップコーンを一つ渡し、俺はドリンクを受け取る。互いにポップコーンを膝に置き、ドリンクホルダーにドリンクを置いた。
「俺も久しぶりだなぁ。前回いつ来たのか覚えてないや」
映画を見た記憶はあるが、それがいつなのか曖昧だ。まぁ、気にするほどじゃない。
「中学の時じゃない?」
首だけを横に向けて、鈴と俺は喋る。
「うっそ。そんな最近だった?」
いや、そういえば弾がいたな。
「うん。私と夕と一夏と弾で。弾がポップコーンを常にむしゃむしゃしててうるさかった」
「あー、あー、思い出したわ。すげー鬱陶しかったな、あれ。一番端の俺にも聞こえてきたもん」
前とか後ろのお客さんにも、絶対に聞こえてた。きっと席を替えたかっただろうに。でも無理なんです。ごめんなさい。
「一夏は気にして無かったみたいだけど」
「え? 一夏って弾の隣だったよね? 難聴恐るべし」
「どうせ集中し過ぎて気付かなかったんでしょ?」
「だろうな」
流石に真横でむしゃる奴に気付かないとか、集中してないと絶対に無理だ。それとも周波数を意図的に変えた? やべーな。人間じゃない。
「……おお!? そういえば、俺と一夏の間に鈴は座ってたよな? あの時、もう既に?」
「正解! その通り!」
鈴が笑いながら俺の頭を撫でる。
なるほど。今考えてみると巧妙な手口だ。鈴が一夏の隣に座るけど、一夏と鈴は協力していた。もしかしたら弾も? これは凄いわ。
「女って凄いねぇ。女は誰でも女優って言われる訳だ」
これだから女は怖いんだ。俺はそういうパターンを見てきたから知っている。でも、されたのは鈴が初めてだ。こう考えると、一夏に対する箒の行動は普通な気がするな。楯無さんはどうなんだろう? 箒と一緒かな?
「たった一つの秘めたる想いだけで、女は大根役者から千両役者になったりするのよ」
千両役者って何?
「ひぇー」
「怖い?」
撫でるのを中断して、にっこりとした笑顔を俺に見せつけてくる。笑うという行為は本来攻撃的な云々。
「幽霊より生きた人間の方が怖いとよく言われるが、俺は確実に幽霊の方が怖いから大丈夫だ」
殺人鬼とかって食事と同じ行為で人を殺したり、日常となってるだけ。だから比較的単純。実際に目の前に立たれたら、普通に恐怖するけど。
「それならホラー映画でもよかったんじゃ?」
「やめてくれよ……それとこれとは話が別だ……」
「かーわいい!」
また俺の頭を撫で始めた。ちょっと周囲の人達を見なさいよ。微笑ましそうにこっち見てるじゃん。かまへんかまへん。
「ポップコーン食いましょうねー。まだ温かいから美味しいよー」
俺は自分のポップコーンを差し出して、鈴の口元に運んで食べさせる。ポップコーンを嬉しそうに頬張る鈴が、リスやハムスターみたいに見えた。超かわいい。
「さて、そろそろ始まるぞ」
劇場内が暗くなり、ブザーが鳴ってから俺はスクリーンを見る。
「覚悟はいいか? 俺はできてる」
「丸太は持った?」
丸太?
俺と鈴はスクリーンに目を向けながら、ポップコーンを静かに食べる。弾の事を思い出して、咀嚼音が聞こえないようにと。全ては無理でも、少しでも抑えたい。
現在のシーンは主人公とヒロインのキスシーンだ。おい、まだ物語は中盤で終わってないだろ。最後にしろよ、最後に。もしかして、これが最後のお別れのキスだったり? 死亡フラグか。
そんな事は無かった。まぁ、こういうアクション物でバッドエンドはあまり見掛けない。
エンディングロールが流れ、照明はまだ点かずにいる。ここで帰っちゃう人も結構多い。俺は映画館なら最後まで見るが、レンタルした映画ならエンディングを早送りにする派。
何が書かれているかわからん文字が、一定の速度で下から上へ参ります。最後まで付き合うと結構長いんだよね。映画館だから余韻に浸れるけど。
エンディングが流れ終わったら、劇場内が明るくなった。これで終了だ。
『んー』
俺と鈴は座ったまま同時に、両手を上げて体を縦に伸ばす。
「どうだった?」
鈴に感想を求めた。
「結構よかったと思う」
「ま、安定してるよな」
面白いかと聞かれたらちょっと否定するが、でもつまらなくはなかった。戦いが見たいのです。
「そうね。キスシーンも悪くない」
「あ、そう」
「あの時の事、思い出した?」
鈴が少し体を寄せてきた。肘掛け邪魔だろ。
「印象に残そうと必死ですね」
あれは衝撃的だった。時間と印象共にクリア。
「女の子は記念日として残したいのよ」
「男の子はなかなか覚えちゃいられん」
ここが男と女の違いだ。女は過去を見て、男は未来を見る。ま、記念日にしたい気持ちはわからんでもない。思い出は大事だから。
「男ってこういう時はさっぱりなのよね」
「女の子はいつまでも会話に出してくる」
「さ、行きましょう」
「うん」
鈴の性格がここに表れる。最後まで自分の言葉を押し通さず、面倒と思われない内に引く。これ、なかなかできることじゃないよ。ありがとうございます!
俺と鈴は立ち上がり、ゴミを持って移動。劇場を出るとゴミ箱があり、そこにゴミを捨てた。
鈴に腕を組まれて通路を歩く。俺の服で汚れを拭くんじゃないぞ。
映画館を出ると、サンシャインがシャインシャインしている。
「時間的にお昼じゃないけど、どうしよっか?」
「中途半端な時間だからなぁ」
ポップコーンで少しお腹が膨れたから、今すぐ食事をしなくてもいい。だが、その内うろうろしていると、腹が空く。そして時間は昼頃に。お店は大分混む。
「うん。俺の家に行こうか」
「わかった」
また頭を腕にぐりぐり。かわいい。これは惚れてまうかも知れへんな。好きかも……?
わお。久々の我が家だ。いつ見ても普通の一軒家と変わらない。最初から大富豪じゃなかったからね。
「あの頃に戻ったみたいで懐かしい」
鈴が体を俺に寄せて凭れる。ここでやると危ない。怪我したらどうするの?
「あの頃って……別にそんな昔じゃないから」
「うん。だけどさ、こうして夕のお家を見ていると、昔も楽しかったけど、今が一番幸せって感じるの」
ゆっくりと過去を懐かしみながら、今この瞬間も一緒に見据えている。
「家の中でやりましょうねー」
鈴をお姫様抱っこで、扉の前まで運ぶ。
「鍵ってここ?」
鈴が手を使い、俺のズボンのポケットを探り始めた。ど、どこ触ってんのよっ! 太ももちゃう! 上着や!
「そこ違う。もっと上」
「あぁ、こっちね」
俺の上着のポケットから鍵を取り出した。
「はい。お願いします」
「鍵開けるねー」
俺の代わりに鈴が鍵を開ける。そしてドアノブを掴んで、ドアを開けてくれた。鍵を掴んだまま、鈴は俺の首に両腕を回す。
『ただいまー』
「待たれよ」
やった! 本来の使い方が出来ましたよ! ザーツバルム伯爵!
「何?」
鈴の顔がこちらを向いた。近い近い。
「ここはお邪魔します、だろう?」
「え? ここはただいま、でしょ?」
「俺はな。鈴ちゃんはお邪魔します」
「わかった。お邪魔します」
「はい。どうぞー 」
玄関に入り、鈴を下ろす。
「えー……」
不満そうですね。
「後で膝枕するから」
餌を出すしかない。これで黙るから。
「うん!」
鈴が靴を脱いでから上がってスリッパを履いた。
俺は靴を脱いだらそのまま上がる。
「家の中は汚れてないね」
鈴が廊下でしゃがみ、指で床を撫でた。
「お手伝いさんが掃除してくれているのよ」
いなかったら埃が結構ありそうだ。電気代、ガス代、水道代は払ってくれているだろう。あまり帰る事が無いとは言え、一応家なんだから当然よ。いや、料金は親か?
「早速俺の部屋にでも行くかい?」
「行く!」
鈴がダッシュで階段を上がって、俺の部屋へと向かった。スカート危ないスカート危ない。
俺は一階のリビングから台所に向かい、冷蔵庫や棚の中を探る。冷蔵庫の中は飲み物食べ物が全く無い。戸棚には緑茶や紅茶があった。期限も切れていないし、保存状態もよさそう。
やかんを一回水で濯いで、その後水を適量流し込む。そして火にかけた。
お盆に緑茶を淹れたマグカップが二つあり、自分の部屋まで運ぶ。
「お茶入りまーす」
片手で自室のドアを開けた。
「……何やってんの?」
鈴が俺のベッドの上で、掛け布団にくるまって寝袋にしていた。まるで蓑虫みたいだ。蓑虫かわいい。
「懐かしい布団だなーって」
「はいはい。お茶よ」
部屋の中央のテーブルに、マグカップを二つ置いてお盆はテーブルの下に。
「ん」
布団から脱出して、鈴はテーブルの前にクッションを置いて座った。
「これも懐かしい味」
マグカップを両手で持って息を吹きかけ、冷ましながらゆっくりお茶を飲んでいる。
「それは古臭いとでも?」
昔からよく買ってきていたお茶なだけだ。
「確かに昔から飲んでるけど、そこまでは言ってない。少し高級感があるし。高いんだっけ?」
「値段は知らんけどきっといいやつ」
昔は普通のお茶を飲んでいた。親の仕事が忙しくなってから、買い始めた物だ。
「今市販のお茶出されても、わからないかも知れない。気分的な意味で」
それお茶ならどれでも構わない発言じゃん。
「これは酷い」
「夕と一緒にいるから、気分が高揚しているのよ。どう? いい言葉でしょ?」
「ごまかしてるだけでしょ? お茶飲みながらお茶を濁すんじゃない」
「うっわ。幾年の恋が一気に冷めた」
「俺もお茶が冷めたわ」
俺達は笑い合った。やっぱり自宅はいいもんだ。
今、俺と鈴は一緒に料理中。お茶を飲んだ後に、近くのスーパーで買い物をした。久々にご近所さんに会って挨拶したりと。
「こうしていると、まるで新婚さんみたいね」
俺と鈴はエプロンをして、役割を分担している。
「ごめんよ、鈴。また面接落ちちゃった……」
俺は作業の手を止めた。
「いいから仕事しなさい」
「だから面接してんだろっ!」
「違う、そうじゃなくて。手を動かせって事」
「んだよ……こんな幸福な時間はどうせ最初だけさ。料理を一緒にやるなんて……」
「一々現実感を持ち込まないで」
「じゃあ、今日も画面の向こう側にいる嫁達に会いに行けなかったよ……」
「誰が夢を見ろと言った。全く……設定が極端ね」
「楽しいだろ?」
「うん!」
昼食を済ませ、リビングのソファーで寛ぐ。
「こんなに幸福感に包まれた時間を過ごすなんて初めて」
鈴が俺の膝に頭を乗っけて俺を見上げ、俺は鈴を見下ろす。
「そうだなぁ。学園じゃ、どうしてもここまでゆっくり出来ないからね。慣れはしたんだけど」
「そうじゃない。私は夕と一緒にいられるのが嬉しいって事。告白をしてね」
そういう事ですか。ですが、いきなり空気を換気するのはやめていただきたい。
「前も取り繕うのが大変だった訳じゃないけど、やっぱり今と比べたら段違いになるよ」
笑顔の鈴が俺の頬に手を当てる。おい、ここから首を掴んで引き寄せるんじゃないぞ。絶対だぞ。
「今があるから過去があって、過去があるから未来がある。うん。今の私は夕の傍にいられて、凄く幸せよ」
柔らかな笑みを浮かべながら、鈴は一つ一つの言葉を綴っていく。
「それで……今の私は会長に勝ってる?」
「……何て事を聞くんだ。胸に秘めときなさい」
この状況だと非常に答えにくい。鈴が流れを掴んでいる。僕はお手玉ちゃう。
「……夕が私と会長のどちらか片方を選んでも、あなたの選択を私は受け入れる。その代わり、想い出をたくさん残してからね。そうすればきっと……悔いは無い」
おい、穏やかな表情で不意打ちはやめろ。唐突だろうとそんな切ない事を言われてしまったら、涙腺が緩んじゃうだろ。
「また泣きそうになってる。あ、これは本心だからね。演技じゃないよ」
だから胸が締め付けられるんだ。嘘偽り無い本心を、俺は理解してしまっているから。こんなに効くもんなんだな。俺、選択出来るか不安になってきた。自分も悲しいが、相手も悲しませるという事が辛い。今日明日という選択じゃないだけまだ救われる。だが、これは先延ばしとも言えるかも知れない。
「うん。これから二つ目の想い出を貰うね」
頬に触れていた手を俺の項に手を回し、鈴が引き寄せてからキスをした。
俺と鈴の二回目のキスは、苦しくて苦い想い出として、記憶と心に刻まれた。