裏一話
俺は閉じていた瞼を開く。オレンジ色に照らされた何かの機器がある部屋だった。
意識がまだ朦朧としているが、僅かな明かりに包まれているこの部屋の内部を、把握する。
その場から一歩も動かず、首だけをゆっくり動かして、部屋を照らす天井に埋め込み形のオレンジ色のライトと、同じ色をした足元を照らす壁に埋め込んだ形のライトを発見。
次に自分の手で体のあちこちを触って確認する。肉体には何の異常もなさそうだ。でもおかしい事が一つ。現在の俺は何故か制服を着ている。いつものジャージ姿で、クローゼットの中に敷いてある布団で寝ていたのに。
少々混乱する頭を手で押さえて俯く。今更だが二人の人間が、俺の足元で仰向けで倒れているのを発見。え、気付かなかった。灯台下暗し?
一旦その二人を忘れて、色々と気になる部屋を見てみる。どうやらここは、コンクリートに囲まれたどこかの研究所らしい。 研究所と思った理由は、配線が剥き出しになった機材が所々に散見して、最後には大きなモニターが割れているのを確認したからだ。まぁ、ちょっとした情報を頼りとした浅いまとめだが。
次にやった行動は、足元で横たわる二人を起こす事。二人からちょっと離れてしゃがみ、一人の人物の肩に手を伸ばしてみる。
だが、俺のその手は何も触る事は出来なかった。え? 何これ? 人の体を通り抜けるんですけど。
『おーい。聞こえますかー?』
手を引っ込めて今度は声を出してみるが、何かおかしい。どうやら何も聞こえてなさそう。
そして俺はティンときた。こんな状況を何かで見た事がある。うん。これは多分だが、射影機で倒される側となってしまったんじゃないかと。イヤァァァァァ!
俺はそこらに転がっていた小石を手に取る。持てるのか。よくわからない。
思考を少し回して、一人の人物に小石を投げる。アンダースローで優しく投げた。
小石は人に当たり、その人の傍に落ちた。
「ん……」
小石のお陰なのか寝ている二人の内の一人が、声を出しながら目を開いた。
「ここは……?」
声を聞いてわかった。一夏じゃん。しかも私服。どうして気付かなかったんだ! もう片方の寝たままの人物に目をやるが、やっぱり誰かわからない。どういう事なのなの……?
一夏は上体を起こしてから首を左右に振って、意識を覚醒させる。
「ん? 束……さん?」
頭を掻きながら一夏は自分の隣に横たわる人物を見て、そう呟く。え? 束さん?
「束さん。起きて下さい」
座っていた姿勢の一夏が四つん這いになって、束さんに声を掛けながら、体を優しく揺する。
「……後僅か……んもぅ……」
「どんな寝言をですか。いいから起きて下さいよ」
束さんの寝言を気にせず、継続して揺らす。
「…………いっくんだぁ」
すぐに目を開いたら、一夏の顔を見て一言。束さんかわいい。
「気が付きましたか?」
「うん」
束さんが一度頷いてから立ち上がる。
よく見たら、いつもの服装じゃなかった。カーキ色で無地のベースボールキャップに、髪を縛ってポニーテール。オレンジのパーカーを羽織り、深緑のカーゴパンツで黒のスニーカー。ボーイッシュな感じで超似合う。やっぱり服装って人を変えるんだなぁ。後、その服装のままガムを噛んで膨らませたり、棒付きキャンディーとか舐めて下さい。不良少女っぽくなるから。
一夏も立ち上がった。服装はVネックの白のシャツに、灰色のジャケット。そして黒のGパンで白のカラーシューズ。一夏も超似合う。お二人さん、並んでみ。雑誌に載ってそう。
そして束さんと一夏は砂や埃を払った。俺もやらないと。
「ここってどこなんでしょうか? 何か研究所とかに見えますが」
一夏はその場で、きょろきょろと辺りを探る。
「あー……多分だけど、以前私がいたラボかな? よくわかんないけど、ここまでボロボロにした覚えは無いんだなぁ」
束さんは一夏から離れて、割れたモニターに近付いて突っついたり、機器をちょんちょんと突っつく。
「束さんのお陰で、何となくこの部屋の事はわかりました。でもどうして俺達はここに……?」
うん、俺も超気になる。一夏や束さんの前で手を振っても、何の反応も無いし。
『きっと宇宙人か何かに転送されたんだよ! わかんないけど!』
やっぱり俺の声は届かない。しかし、声を出すと変な感じがする。マイクのスイッチがオフみたいな?
「束さんでも理解不能かな? 寝る場所や服装が変わってたりするのは、いくら何でも想定外だよ。日常でそんな出来事が起こると想像出来る?」
「無理ですね」
「でしょ?」
一理ある。俺も霊体みたいになってるし。
「とりあえず、現在地などを確認するため家捜ししよう。家じゃないけど、ある意味家だし」
「わかりました。俺は別の部屋を見てきます」
「うん。束さんは修理出来る物を見てみるよ。いっくんも何かあったら、情報でも物でも持ってきてね」
「はい」
一夏は束さんの言葉に返事をして、いくつか別室に続くドアを一つ選んで、別の部 屋に移動した。さて、俺も一夏と共に行動しよう。
移動する一夏の後ろに張り付く俺は、一夏の秘孔を突いたり、合体と叫びながら一夏に重なったり、オーライザードッキングモード! と、言って一夏の背中に俺の背中を合わせてから、手を広げて遊ぶ。気付かれないのでやり放題。うひょーたのしー! けど、寂しいのぅ……。寂しいのぅ……。小生悲しい……。
「どこだ?」
一夏がそう呟いたので、俺もかなり狭い部屋の内部を見てみた。
この部屋に来た時のドアと、真っ正面にドアがある。この二つだけだ。何も置いてない。
一夏はドア近付いてから開けると、オレンジの光が照らすこの部屋に、光が差し込む。
「外か」
俺も一夏と一緒にこの部屋から移動すると、最初に目に入ったのは緑の木々だった。
見上げると青い空。今日もいいお天気です。
これ以上は進まずに、一夏は部屋に引き返すので俺も一緒についていく。
一旦束さんがいる部屋まで戻り、一夏は別のドアへ入っていく。
今度は束さんの現在いる部屋よりも広いが、何も無い部屋だった。何か製作したりする場所? ISとか?
「ゴミ一つ落ちてないな」
一夏は足元や床を一瞥した。うん、確かに綺麗だ。最初の部屋とは全く違う。
一夏は僅かなオレンジの光と共に壁に手を当てながら、部屋を一周。うん、何もなさすぎでしょ。
この後も、他に確認していない部屋を覗くが、特に収穫は無し。
「いっくんの方は何かわかった?」
束さんはモニターの前で、しゃがみながら何かの配線を繋いでいる。
「物は何も落ちてなかったです。部屋はシャワーやトイレ、寝室に台所などの生活空間が少し。後は広い部屋が複数あり、最後に外へ行ける出口くらいです」
一夏は束さんの後ろに立って、作業を見守っている。束さんのポニテがふりふりと揺れていてかわいい。後ろから抱きしめたくなりますな。結婚して!
「そっか。冷静に考えてるんだね」
「冷静に?」
「うん。思い出したんだけど、やっぱりここって私が昔住んでいたラボなんだ。でも色々と違う点があってね」
「違う点とは?」
「私はこんな壊し方はしない。いや、そもそも壊さないよ。大変だけど全ての物を運ぶから、基本何も残らない。立つ鳥跡を濁さずって事かな?」
「…………ちょっとわからないです」
一夏は頭を押さえながら考えてみたらしいが、どうやら理解不能みたいだ。俺もさっぱり。
「束さんもわかんない事だらけだよ……っと!」
作業を終了させた束さんが、手を払いながら立ち上がった。
「これで完了」
何かのスイッチを押して、束さんは割れたモニターに目を向ける。
モニターが白黒と点滅し始めて少ししたら、ブルースクリーンが映って薄暗い室内に、明るめな光源が発生した。割れてるけど、問題ないのか。
「うんうん。良い出来かな」
腕を組んで一人頷いている。
束さんは次に、置いてあったキーボードとモニターの線を繋げて、何かを入力していく。
「……!? いっくん。これ見て見て」
「はい」
背中を向けたままの束さんが横に少しズレて、一夏はモニターを覗き込む。
「え……? 日付が違う……?」
モニターを見る一夏が呟いた。
「うん。これは狂ってるんじゃなくて、戻ってる。電波時計だし」
束さんの口から衝撃的な言葉を発せられた。おい、マジかよ。
「……五月って事は夕が転入してきて、クラスリーグマッチがある時期って事ですよね?」
俺……転入! クラスリーグマッチとか懐かしいなぁ。無様な姿を披露してしまった日。俺を笑うがいい! バーカバーカ! 何だとこの野郎!
「そうだね。これはちょっと調査しないと。束さんの頭がそう告げる。はよやれと」
束さんがモニターから離れる。どうやら外に行くらしい。
「いっくんはここでちょっと待っててね。もしかしたら、今はIS学園に通っている時間帯だろうから、いっくんが出るのは不味いんだ。ごめんね」
「いえ、謝らないで下さい。俺も事態を把握してきました。もしかしたら、これかって感じですけど」
俺も何となく把握。そんなのある訳無いじゃない! 今こうして体験してるんですよ! 幽霊学習?
「ありがとう」
「いえいえ」
「じゃあ、ちょっと出掛けるね。ISは起動しないように」
「わかりました。いってらっしゃい」
一夏は束さんに手を振る。
「いってきまーす」
束さんも手を振って外に向かった。今回は束さんについていこう。さらばだ一夏! また会おう! 俺が何の誘惑に負けなければの話だがな!
「いやぁ、懐かしい場所だなぁ」
森の中に足を踏み入れた束さんは、独り言を呟いた。
「これは動きやすい格好でよかったよ。それに札束も携帯もポケットに入ってたし」
札束なのか。財布下さい。
「さぁ! 楽しくなって参りました!」
俺もちょっとだけ楽しくなってきた。
「きゃっほー!」
束さんは不安定な足場を全速力で駆けていく。ちょ、岩とか木の根があるのに、どんどん背中が見えなくなっていった。俺も行かないと!
俺も束さんのルートを真似て走り出す。今更だけど地面には足がつくみたい。
束さんの背に追いついた時、既に街中だった。束さんのルートは滅茶苦茶走りにくい。それなのに何で自動車レベルのスピードを、維持出来るんだろうか。忍者か何かかな?
帽子を目深に被り、猫背気味で両手をパーカーのポケットに入れながら、束さんは街を歩く。その姿はマジで不良少女にしか見えない。正直普段の格好よりかわいい。結婚しよ。
人通りの多い中、束さんは泳ぐように人を避けていく。じゃないと、他の人にぶつかるもんね。
束さんが最初に向かったのは俺の会社だった。正確には親の会社な。
腕を組んでドヤァ。でも誰も見てない。つまらんなぁ……。
『会社無いじゃん』
俺は愕然としなかった。何となくそんな予感はしていた気がするから。
「あらら。やっぱ夕君の会社無いじゃん」
ビルではないスーパーの建物を見上げる束さん。その他周囲の建物もちょっと変化していた。会社ないとこんな風になるのか。
「次に行こう」
束さんは歩き出して次に向かったのは、ファーストフード店だった。混雑してない店内でセットを頼むと、注文したメニューが素早くトレーに乗せられ、料金を払ってからトレーを席まで運ぶ。小銭ジャラジャラしませんか?
そして正面がガラス張りで、空いていた席に座る。束さんはポケットから携帯を取り出した。食事をしながら情報収集をするらしい。
俺も束さんの横から覗く。どうやら一夏に続く男性のIS操縦者をネットで検索しているみたいだ。覗いてすいません。俺も知りたいんです。
「うーん……これで確定だね」
色んな所に侵入して確認。もし俺が存在するなら、一つぐらい情報が転がっているはずだと、判断したらしい。俺自体の情報が皆無という事は、二人目の操縦者としての俺は、この世界には存在しない。あ、もしかしたら普通の学生生活を堪能しているかも知れない。青春をじっくり謳歌しようぜ! いなかったら知らない。
俺は束さんから離れている。
束さんは更に色々と調べながら、おかわりした分も食べ終わった。そしてさっきから束さんの背後を見守る。身辺警護と称してストーカーする人かな?
食事を終えた束さんは、ゴミを捨てて素早く店を出た。食事中の携帯は一般的に行儀悪いですよー。いや、まぁ、ファーストフードだし許されるか。サンドイッチとかそこから生まれたもんな。
今度はIS学園の前に到着。ゑ? 今から何するの? しっかりコノメニウーして立ち去るんだよね? もしかして今から潜入するの? いくら何でもバレるでしょ。監視カメラをハッキングして、ダミーの映像を流したりとか?
束さんは携帯で何かを確認して、何かを長々と操作してからポケットに携帯を入れた。
そして何の躊躇も無く学園の敷地を跨いだ。
体勢を低くしながら走り、建物内に侵入。超大胆ですね。そんな束さんを、俺は愛してるぅ!
どうやら今は授業中のようで、廊下には誰もいない。それはいいんだけど、せめて別の衣装を着ましょう。オレンジとか目立ち過ぎィ!
窓側の壁に寄り、束さんはしゃがんで走る。足がちょこちょこと動いててかわいい。
着いたのは職員室。は? ここに入るの?
ちょうど手が通るぐらいの大きさでドアを開いて、携帯のカメラ機能を使って職員室内部の人や物の配置を探る。現在の束さんの格好も相俟って超かっけぇ! 束さん大好き!
先ほどよりドアを大きく開け、自分が通れる分の隙間を作り、くぐり抜けるとすぐさまドアを閉めた。
どうやら束さんが向かうのは、千冬さんの席らしい。いや、わからんけど。何となくそんな気がした。やる事ってそれぐらいじゃね?
束さんから少しだけ目を離したら、いつの間にかボールペンと小さい髪を入手しており、誰かの机の下に潜ってメモに何かを書いていく。
『少し違うちーちゃんへ。
伝えたい事があります。
お時間があったら、屋上に来て下さい。
お昼までお待ちしております。
少し違う束さんより』
束さんが書いていく文字を、俺は口に出す。こういう謎がある文章大好きだわ。
書き終わった束さんは、ボールペンのクリップに二つ折りした紙を挟む。
そのボールペンを何かの下敷きにした。常に束さんの近くにいると、変な感じがするから離れた位置に俺は現在立っている。楯無さんを笑えんな。俺、笑ったっけ?
ミッションを完了してから満足顔の束さんは、職員室を出て屋上に向かった。
屋上に到着した束さんは、外から死角になる位置に移動してから、仰向けで横になった。なるほど。こうすれば更に見にくくなるな。
俺は近くの柵に両手を乗っけて、学園全体を見渡した。俺が誰にも知られてないから出来る事だ。誰だ貴様!?
俺達二人はしばらく動かなかったが、束さんは暇なのか携帯を弄る。俺は髪の毛をくるくると人差し指に巻きつけて時間を過ごす。
屋上の扉が開く音を聞いた。
「………………」
おお、千冬さんだ。だが、凄く怖い表情をしておられる。驚いてすみません。
「束」
千冬さんは束さんの名を小さく呼ぶ。俺の位置からだと、二人は視界内に入る。
束さんは千冬さんの声を聞いて、頭側に両手を置いてから逆立ち。そこから腕のバネを利用して前方に飛び、足をから華麗に着地。かこいい! 束さんって身体能力高いんだな。貧弱とか勝手に思い込んでごめんなさい。
「ごめんね、ちーちゃん。忙しいのに呼び出して」
千冬さんの前に姿を現した束さんは、申し訳なさそうな表情をして、開口一番に謝罪の言葉を言った。
「!?」
千冬さんの表情が驚愕に染まった。謝罪した事に対してなのか、それとも服装に反応したのかどちらだろう? 両方の可能性もあるが、きっと謝った事の方が大きいかな?
「今日はちょっと伝え――――」
「――――何故お前がここにいる? 今まで何をしていた?」
千冬さんは束さんの言葉を遮った。ま、ま、待って! 落ち着いて下さい!
「うーん……さぁ? 束さんにはわかんないや」
ちょっと困った笑顔で、束さんはわからないと答えた。
「ふざけているのか?」
「違う違う。本当に知らないんだよ」
両手を振って否定する。
「答える気が無いならいい。用件を言え」
「クラスリーグマッチって今月だよね?」
両手を後ろで組む束さん。似合ってる!
「その通りだが、それがどうした?」
千冬さんピリピリしてるなぁ。
「まさかお前、何かするつもりなのか!?」
何かに気付いた千冬さんが、掴み掛かる勢いで声を荒げた。
「束さんは何もしないよ。実際はするけど、いっくん達の邪魔だけはしないよ?」
「回りくどく言うな。わかるように話せ」
「クラスリーグマッチには気を付けて」
束さんの声が冷たくなり、その眼差しは鋭くなった。こんな束さんも、俺は愛せるぞ!
「篠ノ之束は絶対に邪魔をしてくる」
「だからどういう意味だ?」
これは情報を小出しにする束さんが確実に悪い。俺も他人にやる。
「遊びか試練か……はたまた別の意図があるかも知れない」
へぇ。
「自分の事でも、人読みは難しいね」
「いいから早く話せ。全部まとめてだ」
千冬さんは束さんに催促した。
「……クラスリーグマッチ当日。いっくんの試合中に、きっと何かが送り込まれてくる。その時私は篠ノ之束の妨害を行う。篠ノ之束は多分、引っ掻き回すのが楽しいと思っている。実は束さんも皆の反応が楽しみなんだよね。だからついでに邪魔をしようかと。篠ノ之束が相手だし」
部分部分は伏せてあるが、一応何かがあると警告。
「だから警戒しておいて。この学園の生徒さんに怪我が無いように」
「………………」
千冬さんは目を閉じ腕を組んで黙った。
「…………私の知る篠ノ之束は、私達身内以外は一切興味が無い。お前は誰だ?」
目を開いて正体を問う。
「私は私。篠ノ之束は篠ノ之束。そういう事だよ」
多分だが、今この場にいる篠ノ之束は本物で、もう一人のどこかにいる篠ノ之束も本物。つまり二人いますよ的な? いや、それとも私と篠ノ之束は別人ですよ? これじゃ、あまり違いがわからないな。
「……私の頭ではお前の思考は読めん。だが、お前が目の前に現れて警戒しろと、言葉を寄越すという事は、何かをやるつもりなんだろ?」
「…………」
千冬さんに睨まれている束さんは、言葉を返さず笑顔を返した。素敵です束さん!
「騙すような真似をしてごめんね。後、そんな顔はちーちゃんには似合わないよ? 生徒さん達が怖がっちゃうから。いや、私の知ってるちーちゃんを、押し付けちゃダメだよね。うん、かっこいい表情もちーちゃんの良さだったね」
「…………」
千冬さんは黙って束さんの言葉に耳を傾ける。
「そろそろタイムリミットかな?」
携帯で何かを確認した。
「うん、突然ごめんね。また会えたら会おう。バイバイちーちゃん」
束さんは千冬さんとは反対方向に走り出して、屋上から飛び降りていった。ゑ!? 生身だよね!?
「おい! 束!」
片足を一歩前に出し、束さんに手を伸ばすが、千冬さんの手は何も掴む事は無かった。
俺も千冬さんに頭を下げてから、束さんと同様に屋上から飛んだ。
普通に何の苦痛も無く着地出来た。痛みが無くてもこわすぎる。もう絶対にやらん。
俺は束さんに何とか追いついて肩を並べた。
「あーあ……私もやっぱり篠ノ之束なんだなぁ。でも、いっくん達の大事な大事な試合を邪魔しちゃダメだよね」
学園から離れた束さんは、帽子のつばで目を隠しながらゆっくりと道を歩く。
「こんな時、夕君だったらどうするんだろうか?」
帽子を取って空を見上げる。束さんのその横顔はどこか楽しそうで、どこか悲しそうだった。
『颯爽登場! とか言って皆の前に現れます』
俺は束さんの言葉に返事をした。聞こえないけどね。
「うん。投げた賽はお賽銭箱にぽい! よーし! いっくんに計画を伝えよー!」
帽子を被り直して束さんは走り始める。先ほどの表情とは変わり、今度は混じり気の無い綺麗な笑顔だった。