火と鋼の道で   作:ナナヒカリ

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プロローグ、前日譚です。本来の第一話から読むもこちらから読むもお好きな方を。







プロローグ「すべてはそこから」

 

 

 

 

「…………誰?」

 暗い部屋──部屋の光源は鎧窓から入る細い光だけだった。ランプも何もない。その部屋の主が部屋を使うときに持って入る蝋燭が女にとって唯一の光だった──その部屋に女の声がこだました。声には怯えと怒り、不安と諦めが籠っていた。

 扉の前に立つのは一人の男。男はここが何のための部屋なのかを知らなかった。

「ここは……?」

 女は上体を起こした。足首に繋がれた太い鎖がジャラリと音をたてた。女は全裸だった。体から異臭がする。それが部屋に入った時の違和感の正体だと男は知った。

「あんた……あの男じゃないね。召使いにも見えないし。悪いことは言わないよ。さっさと出てお行き」

 男はベッドの側に無造作に置かれた桶に目をやった。桶からは人糞の臭いがした。

「ここは……何の……?」

 女は答えなかった。

「聞こえなかったのかい。早く出て行きな。あの男に見つかったら半殺しだよ」

 男は女に詰め寄ると、肩を掴んだ。垢で手が滑った。女が呻き声をあげた。昨日はさんざん痛めつけられたのだ。きっと体中が青あざだらけだろう。もっとも腐りかけている足の傷に比べたら大したことはなかった。薬も治療も施されず、眠るのが毛布もシーツもない粗末な寝台では治る傷も治せなかった。男は手を離し女に顔を寄せると聞いた。

「ここから……逃げたいか?」

 女は驚いて男の顔を見つめた。ここに来て初めてそんな言葉を聞いた。自分を意志のある人間だとそう認める人間を初めて見た。唇を噛んだ。もし、これが悪質な罠で、それを肯定したらあの太った豚が笑いながら部屋に入ってくるようなら、思いっきりシグマー神を罵ってやる。

 女は涙を堪え、頷いた。

「逃げたい……ッ」

 男は頷き返すとぎゅっと女の手を握った。

「分かった。俺がなんとかしよう」

 

 

 

 男は「助けるため」にその道を選んだ。これは勇者の物語。巷に溢れる騎士道物語でもなく、誇大に吹聴される英雄譚でもない。各々が各々のためにその道を選んだ、その旅路の物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 そのドワーフは今まで「自分のため」に旅をしてきた。

 

 

「代官様、残っている肉が腐りかけなんじゃが」

 ああ、と生返事をした目の前の太った男はぐちゃぐちゃと口の中の肉を咀嚼しながら、答えた。

「わしの肉がいいもんなら、構わねえぞ。召使いどもには腐った肉でも食わせとけ。使い切るまで新しい肉は買うなよ。金が勿体ないからな!」

 ドワーフは一礼すると部屋を出た。背後から、お前の料理は最近味が濃いぞ!という怒鳴り声が響いたがそれは無視した。

 

 厨房に戻るとドワーフは包みを空け、()()()()()()を取り出すとそれを手際よく包丁で捌きだした。二階の女の食事は代官の命令で一日一度になっている。ドワーフは気をきかせて昼と夕方の間に持って行くようにしていた。わざと少し量を多くして、調理したその料理をもって彼は厨房を出た。代官に知られれば、肉なんぞ勿体ないと言うだろう。秘密を知る召使いを少なくしたいのと、ドワーフなら人間の女に同情しないだろうという打算から、そのドワーフに食事を運ばせている代官が激昂する顔が目に浮かぶ。ドワーフは女を憐れに思ってはいたが、助けようとまでは考えなかった。それをするには女のことを知らなすぎたし──ドワーフはその女と口を利いたこともなかった──人間の愚行に口を出して職を失うのも馬鹿馬鹿しかった。結局彼に出来ることは食事の量を少し増やして、腐った肉を代官に回すことぐらいなのだ。

 階段で駆け下りてきた男とぶつかりそうになった。男は始めこちらを無視しようとしたみたいだったが、やがて耐えかねたように掴みかかってきた。

「お前……あれは何だ!」

 ドワーフは男の言うものに心当たりがあった。ドワーフの当て勘は所詮当て勘だったが、結果的にそれが事態の収拾に繋がった。ドワーフは男の気を落ち着かせるためにある一言を放ったのだ。

「お主、(いか)っておるな?」

 続いてドワーフは言った。

「お主のような者が出るのを待っていた。一緒にヤツに一泡吹かせてやろうぞ!」

 

 ドワーフがその旅路へと踏み出したのは、できて間もない「友のため」だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 一人の男が街路に潜んでいた。顔立ちはまだ若く、青年というのが相応しいかもしれなかった。男は建物の角から通りを見渡して追っ手がいないかを確認していた。まだその辺にいる筈だ。できれば宿へと戻りたかったが、それが危険なのも分かっていた。師匠が負けるわけがない、そう信じていることに根拠がないことも。痺れていた左耳の痛みは段々酷くなってきていた。頬が熱い。きっと血に染まっているだろう。

 男はさっと建物の陰に隠れた。向こうからフードを目深に被った男が二人こちらへと走ってきた。思わず息を止め、建物に出来るだけ体を密着させた。男達は目の前の分かれ道で暫く逡巡していたが、やがて二手に別れると左右の道に散っていった。男は壁から身を離し、ため息をついた。あとどれくらいこのような危険をくぐり抜ければいいのか。

 しかし、諦めるわけにはいかなかった。この手紙を、ヴルトバートへと届けるまでは。絶対に。

 男は胸元をキツく握りしめた。受けた恩は返さなければ。それがたとえ命と引き換えになっても。

 男は隠れていた場所から飛び出すと、先程の二人が来た方向へと駆け出した。運が良ければそのまま逃げ切れるかもしれない。その可能性に賭けるしかなかった。

 

 

 男がその危険な旅路に出たのは本当に「恩義のため」だったか。普段男は黙して語らない。しかしときたまその瞳に決意の色が浮かぶとき、気づくこともあるだろう。この男はそういう男なのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 少女は扉がノックされているのに気がついた。どうせ相手は分かっている。ふかふかの毛布の上に寝転がり、膝に猫を抱きかかえ上半身だけ起こした体勢で言った。

「……どうぞ」

「失礼します」

 入ってきたのはやはり執事だった。長年この家に雇用されている初老の男。どんなときでも少し疲れた顔を崩さない。喜びや悲しみとは無縁の世界に住んでいるように、少女には思えた。

「本日は市の参事会が開かれますが」

「…………行きたく……ありません……」

 いつもの会話だ。執事も分かっているのだろう。頷き、「分かりました」

 去り際に執事は少し逡巡すると、振り向いた。

「あなた様は当家の第17代目の……」

「やめてッ……」

 少女は叫んだ。柔らかなクッションに顔を沈めるともう一度、やめてと言った。なりたくてなった訳でもないのに、どうして皆わたしになにかを求めるのだろう。どうしてただ放っておいてくれないのだろう。

「失礼致しました。それと、先日召使いを解雇致しましたので、残る者は私とメイドに料理人の三人となります。お心に留めておいて下さい」

 執事は一礼して出ていった。少女はクッションに顔を押しつけて少し泣いた。分かっている。分かっているのだ。このままではいけないことぐらい。

「ニャア」

 耳元で猫が鳴いた。ザラザラした舌で少女の頬を舐める。

「味方はお前だけよね」

 そう言って少女は猫を撫でた。

 

 

「変わりたい」

 そう少女が望んだのはいつのことだったのか。やがて彼女の望みは叶うことになる。様々な形で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 帝国(エンパイア)領内、人里離れたとある洞窟。

 

 ──グ、グフッ。

 ──し、師匠ッ! 大丈夫かよ。寝てないとダメだろぉぉ!

 ──わ、わしはもうダメだ。それより、さ、最後にお前に伝えておきたいことがある。

 ──なんだよ!? なんでも言ってくれよ!師匠!

 ──フ。師匠……か。インド、キャセイを旅し遥かなる異国の拳法を極めた、帝国最強の拳法家の弟子が、オウガ一人とは……ゴホッ。

 ──師匠は俺に素手で勝ったたった一人の人間だもんよ。慕うのは当然だぜ。

 ──それならわしが病に倒れる前に、一つ二つ確認しておきたいことがある。……いいか「左のジャブ」の打ち方を言ってみろ。

 ──え、ええと、ええと、ええと…………ひじを左のわきの下から離さぬこころがまえで、な、な、な、な、……。

 ──……内角……。

 ──内角をえぐりこむように打つべし!

 ──よし。そんなら「右のストレート」はどうだ。

 ──えと、右こぶしに全体重をのせ、まっすぐ目標をぶち抜くように打つべし!!!

 ──お前……。好きなもんしか覚えられない性格、直した方がいいぞ。だが、それでいい。それしか教えられなかったというのは不甲斐ないが、それもどうでもいい。この世紀末……はもう終わったが、26世紀初頭の世の中、生き延びれるかは「力」にかかってる。「力」のあるやつしか生き残れない。どんなことをしても生きろ。「力のため」にだ。お前は頭は悪い。意地も汚い。腹も黒い。腹と言えばお前の食料調達に俺がどれだけ苦労したか、少しは考えろ。だが、お前には「力」がある。それを使え。「力のため」に「力」を振るえ。お前にはそういう生き方がよく似合う………………寝るな!

 ──あ、スマン。話が長くてあくびが出た。

 ──あくびっていうか鼻提灯出てたぞ今。……まあ、それはいいか。しかし、最強の拳法家のわしにも心残りが一つある。それをお前に言っておこう。

 ──え?いや、別にいいわ……。

 ──少しは興味を示せ。

 ──なんだよぉ。ヘヘ。言ってくれよ、師匠ォ!!

 ──食いつかれるとそれはそれで嫌だな。……まあ、いい。それはな、この年になるまで修業に明け暮れ、女色を知らずに生きてきたことよ。

 ──なんだよ。そんなことかよ。言ってくれたらよ……アタシならいつでも……いいんだぜ。

 ──ゲフッ!!

 ──師匠! 師匠! 師匠ォォォォ!!

 

 

 そうして一人のオウガは旅に出た。師匠の言葉を胸に抱き、「力のため」に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「へへ。兄貴どうしたんですか」

 一人の男が隣の男に話しかけた。男の返事はにべもなかった。

「ああ? なんでもいいだろうがよォッ。一々人のやることに口出してんじゃねェよ」

 もう一人が仲裁に入った。

「まあ、そう言わないでも。兄貴が酒買うなんて珍しいじゃないですか。どうして飲めないのに買うんすか?」

「あ? 飲めないのに買ったら悪いのか? 人は自分が食えるものしか買っちゃアいけねェってシグマー神が決めたのか? ああ?」

 二人の用心棒は手をあげて男の剣幕に降参の意を示した。どうやら、彼らの兄貴分は機嫌が悪いらしい。

「今日は…………俺の故郷の命日なんだよ」

 男はポツリと言った。二人は顔を見合わせた。やがて片方が、「兄貴が北生まれってのは知ってやすけど、故郷の命日って『混沌の嵐』すか?」

「そうだよ。酷いもんだ。街は焼かれ、男は殺され、女子供は片端から連れてかれた。親父もお袋も妹も弟も皆死んだ。生き残ったのは俺だけだ。南の連中は知らねェのさ。北がどんなに地獄かってことをな」

 男は自嘲するように笑った。

「そりゃ、そうっすよ。"混沌"の軍勢なんて見たこたぁ、ねえですもん。異端者が火炙りになるのたぁ訳が違いますわ」

 男はジロリと()めつけると、「なんも違わねェよ。どっちも人の形した化けモンってだけだ。知らねェのは寧ろ戦場の──いや、虐殺の空気だよ。誰がやるかなんてことじゃあねェ。人が生きながら焼かれる呻き声、女子供を馬で引き摺り回すやつの高笑い、山と積まれた生首──そんなかにダチの顔を見つけたりしてさ──そういう諸々だよ。そういうのを知らなさ過ぎんだよ。南のヤツはよ」

 男は墓場──モール神の庭園の前に立つと、門柱に彫られているモールの像に酒をかけた。とくとくと流れる酒は像の上を流れ落ち、やがて石畳の隙間へと消えていった。

「これでいいだろ。……親父は酒好きだったけど、お袋が敬虔なシャリア様の信徒でよォ、酒は体によくねェなんて言ってよく喧嘩してたぜ。弟や妹には早ェけどな。モールの庭でもどこでもいいが、とにかく"向こう"で飲んでくれりゃ嬉しいぜ」

 後ろの二人は神妙な顔で控えている。要らんことを言って殴られるのは勘弁だ。

「だからよ、俺は生きなきゃなんねェのさ。『生きるため』ならなんでもやるぜ。盗みでも脅しでもそれこそ殺しでもなァ。……『生き』なきゃなんねェ……」

 

「おっ、おめえ探してたぜ」

 通りの向こうから知った顔が走ってきた。

「仕事だ。久しぶりの上玉だぜ。一人頭金貨10枚だ。大盤振る舞いだろ、どうよ?」

 酒を残らず流した男はペッと唾を吐いて、「手練れか? "本職"相手は御免だぜ」

 相手はニッと笑い、黄ばんだ歯を見せつけて、「素人だ。なんでも"大事な人"を逃がしちまったとかで、生かしたまま連れてこれるヤツを探してる。生かしたままなら後は構わねぇそうだ」

 男は嗜虐心も顕にヘッヘッと笑った。

「どうだ、やるか?」

 振りかぶり、地面に叩きつけた酒瓶が粉々になった。

 

「おめェら。……仕事だ!」

 

 

 男は「生きるため」に旅に出た。これが彼が思うほど簡単ではない、ということを彼が知るのはもう少し先の話になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 木々。

 葉のさざめき。

 森の音。

 木々。

 

 その隙間を縫う一人の男。白い馬が華麗に、土の上に飛び出た根や鋭い枝、邪魔な幹を避けていく。

「行くのか」

 いつの間にか男の隣には同じく馬に乗り駆ける男。長く伸びた耳が特徴的だ。男と同じくエルフである。そして、男は彼のことをよく知っていた。

「ああ」

 短く答えた。故郷への未練が募るといけないから。

「どうしても、考え直してくれないのか」

 それが出来ないということを双方が分かった上での発言。立場もある。当然だ。お互いの気持ちを理解し、その上で言わなければならないこともある。

「ああ」

 これもそうだ。今出ていかねば、ズルズルと故郷に居続けることになる。それはどうしても避けなければならなかった。たとえ50年の長きにわたって過ごした故郷といえども。

「今しかないんだ。俺は"外の世界"に行く。森に囚われた中の連中には分からないだろうがな、この世界はあいつらが思ってるよりよっぽど広い」

 対する男の口調は懐疑的だった。

「広い? 広さが大事な要素なのか? 逃げて、逃げて、お前はどこに行く積もりだ?」

 疑問を持たず言い切った。

「逃げ切れるところまで」

 男はため息をついて、「なら、行くがいい。それがお前の望みならば」

「ありがとう、友よ」

 

 次第に、木々に隠されたエルフの王国から人間の領域へと近づいていた。追ってきた男はまだ戻ろうとはしない。

「一つだけ……聞かせてくれ」

「なんだ?」

 男は分かっていた。「その質問」がくることを。そして恐れてもいた。あまりに答えが大きすぎ、分かりきっていたから。

 

「本当に"アイツ"を娶ってくれないのか?」

「何度言ったら分かる。俺は嫌だ」

 どちらも多少ムキになっていた。だからこそこの話題は避けたかったのに。

「いや、兄として謂わせてもらうが、アイツは嫁としては完璧だぞ。顔もいい。弓も馬も同じ年のやつでアイツに敵う者はいない。料理も上手いぞ。草花にも優しい。どこに不満がある!?」

 男は相手にも分かるように端的に言った。

「性格だ」

「何故だ!? 優しいいい子だぞ!」

「性格の不一致だ! よくある話だ!」

「百年も一緒にいれば慣れる!」

「何百年いようと無理だ!」

「だからといって『"嫁"が気にくわないから』出奔なんて、一族の恥だぞ!?」

「それでアイツが諦めるのなら万々歳だ」

 議論の応酬には果てがない。理屈ではないのだ。無理なものは天地がひっくり返ろうと無理である。

 男は急に不安に駆られて「お前……もしかしてアイツを起こしてきたのか……?」

「いや、既に起きていた」

「なん……だと?」

 焦る男の前に一筋の黒い影。一瞬何が起こったか分からず呆気にとられ、我に返れば目の前にはエルフの女が一人。馬の上に男と差し向かいの形で乗っている。前も見えていない筈なのに全く怯まない。

「わたしを置いて"外"に行くなんて連れない人ですねえ」

「わっ、ちょっ、お前! どこから湧いて出た!?」

「えー。普通に木の上を伝ってえ、通りかかるのを待ってましたけどお」

 女はあっけらかんと言った。

「おかしいだろう! 俺の方が早く出たのにどうして待っていられるんだ」

 女はポンと手を叩いて、「あ、鷹さんに連れてきてもらいました」

 男は戦慄した。なぜこの女はウォーホークを軽々と扱え、しかもそれを大したこととも思っていないのか。やはりこの女はどこかがおかしい。

「じゃあ戻りましょうねえ。二人の結婚式の準備をしなくちゃ」

「い、嫌だ。なにが嬉しくてお花畑でレースふりふりの結婚式を挙げなきゃいけないんだ。そういうのは俺の趣味じゃないんだ。俺はもっと簡素に生きていたいんだ。カワイイとかが生活に入り込むのは嫌なんだあ!!」

 男は問答無用と、力ずくで女を馬から振り落とした。もっとも死ぬはずが無いことは分かっている。この程度でくたばる女なら逃げるのに苦労はない。

「ああ。仕方ないわ。これも二人の運命なのね。いいわ。運命が二人を分けても、きっとわたしはあなたの元へと辿り着いてみせる。そして二人は夕日をバックにキスを……キャー、ステキー」

 な、なんということだ。まさか振り落とされる瞬間に()()()()()()()()()()()()()だと……。規格外とはまさにこの女のことではないのか。あと、やはりこの女とは絶対に趣味が合わないと再確認した。

「兄さん、一旦帰りましょう。わたしたちの結婚式は"外の世界"で挙げることにするわ」

 女の呪詛を聞きながら、男は馬を走らせた。

 

 それから40年。実は、男はまだ逃げ続けていた。

 

 

 しかし、彼はまだ気づいていなかった。「逃げるため」には戦わねばならないことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 血だまりの中を歩くブーツの足音を聞いた。

 

 そこら中で阿鼻叫喚の叫び声、呻き声、命乞い、断末魔。その中でなぜそのブーツの足音だけがやけに響くのか。わたしは、きっとその時わたしが床に寝転んでいたからだと思う。想像を絶する痛み、苦しみ──それはわたしの許容限度を遥かに越えていて、わたしはなにも感じず、なにも思わず、ただ横たわっていた。わたしの姉さんや母さんと違ったのはただ、()()()()()()()()()というただそれだけ。それさえ、心臓の鼓動さえわたしには煩く聞こえて、止めれるものなら止めてしまいたかった。

 まだ痛みが続いていた。左目。何をされたか、自分では見えないけど、分かる。おぞましさに吐き気がした。勿論純粋な痛みもあったけれど、それは副産物に過ぎない。本当の苦しみはわたしが今まで純朴に信じこんでいた世界の、悪意を目にしたこと。そう、この世界は残酷だった。わたしが思っていたより、ずっと、ずっと。

 始まりは、わたしが道で取れ立ての作物を売っていたことじゃなかったか。たった昨日のことなのに、十年前のことみたいに思えた。あの時、声をかけられた時、相手を少しでも疑っていたら。姉さんや母さんを呼んでこなかったなら。ああだったら、こうだったら。()()はずっと思っていたそんなことも、その時は頭にも浮かばず、わたしはただ、虚ろな瞳で床の血を眺めていた。

 実際はその時既に建物に踏み込んだ魔狩人たちによって"混沌"の邪教徒たちは殲滅されていたのだけれど、麻痺したわたしの脳ではそんなことも考えられず、というか体力の消耗が激しすぎて、ただ人形のように横たわっていた。体力。そうわたしはシグマーに感謝しなければいけなかった。生まれた時に授かった男顔負けの体力のお蔭で生き延びられたのだから。でも本当は大声で罵りたかった。どうしてわたしを生かしたの。どうして一緒に殺してくれなかったの、と。

 少し時系列がごっちゃになったかもしれない。勿論その時はそんなこと考えもしなかった。その少し後だ。そう思ったのは。

 とにかく、わたしは精も根も尽き果てただ無防備に横たわっていた人形だった。ふと、わたしの目の前で頭巾を被った虫の息の男──一番わたしを手酷く折檻した男だ──の首と肩が斧で切り離された。ごろごろと転がる首はわたしの足元に当たり、わたし自身は何とも思わずに顔に男の血飛沫を浴びていた。周囲の血の臭い、またわたしの体に染みついた糞尿、胃液、精液、涙、そういった人間のありとあらゆる液の臭いもその時のわたしは感じずに、ただ床を──否、虚空を見つめていた。

「――――――です」

 ふと、わたしの耳に声が飛び込んできた。目は虚ろなまま。でも床の血だまりに反射して、その男の姿は目に入った。その男はブーツを履いて、血と肉と脂肪を踏みつけつつ真っ直ぐわたしに向かって歩いてきた。

「こいつらか」

 男の傍らの人物が、「ええ。残念でしたねえ。いい女どもなのに、皆死んじまって」

 男はフフと笑った。

「"皆"じゃねえようだぜ」

 そう言ってわたしの足と手に結びつけられた鎖を切るよう指示を出した。バチンという鋭い音とともにわたしの四肢の自由を奪っていた冷たい鎖を切られ、しかし立ち上がる力もないわたしを見下ろし男は言った。

「生きられるが、虫の息ってところか。酷なことは言いたくねえ。"剣"か"安らぎ"か選べ。"安らぎ"を選べばお前の首を一刀で落として苦しまずに送ってやる。"剣"は苦難の道だ。苦しく、つらい。痛みも伴う。だが、お前とお前の家族をこうした邪教徒どもに復讐できる。答えろ。"剣"か"安らぎ"か!」

 なぜわたしがそちらを選んだのか、それから何年も過ぎた後でも分からなかった。その時のわたしに聞いても、分からないと答えると思う。もしかしたら、理由なんてなかったのかもしれない。選ぶほどの余裕はなかったから、取り敢えずどっちか適当に言ってみただけなのかも。

 とにかく、わたしはどこにそんな力があったのか、腕を地面に突き立て、膝立ちでその男の足元にすがった。男の周囲の人間は呻き、一歩遠のいた。しかし男だけは動かず、凍てつく視線でわたしを見つめていた。わたしは喉の奥から潰れた声を絞り出した。

「"剣"を……"剣"を!」

「いいだろう」

 そう言って男は、(くずおれ)そうになったわたしを抱えあげた。血に染まる大広間の虐殺の跡が見えた。死体が丸太のように積み上がっていた。その中には何人か、わたしの見知った顔──笑顔と愛想の下に帝国(エンパイア)に対する紛れもない害意を隠し持っていた連中もいた。

「お前はこれからこいつらを狩る、狩人(かりうど)だ。慈悲を捨てろ、迷いを捨てろ、情けも逡巡も捨てろ。弱さを捨てろ。人としての生活を捨てろ。復讐に生きろ。……お前は今日から魔狩人(まかりうど)だ」

 

 

 こうしてわたしは「復讐のため」魔狩人になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 「助けるため」、「友のため」、「恩義のため」、「変わるため」、「力のため」、「生きるため」、「逃げるため」、「復讐のため」……。

 

 それぞれの理由のために彼らは旅に出る。しかし、まだあと一人……。

 

 

 「なにがなんだかよく分からない内に成り行きで」旅に出る男は、今はまだ春の日の光を浴びてまどろんでいる。

 

 今は……まだ…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




オウガにシリアスは似合わねえ。
エルフはまあ……分かって……ごめん……エルフ好きな人ごめん。

本編はギャグ少なめかも。期待している人がもしかしたら素粒子レベルで存在してるかもしれないから、先に言っておきます。





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