火と鋼の道で   作:ナナヒカリ

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聖夜に相応しい話を。

と思いましたが、イブは昨日でした。




第四話・3「後夜、隠り世の神の祠で」

「なあ。俺たち、仲間だよな?」

 

 ベルトルドの問いかけに答える者はいない。

 窓が東向きのため、室内はもう夕闇のように暗い。それでも、ベルトルドが青ざめているのは分かった。

 

「ああ。そうだ」

 アルブレヒトが答えた。戸惑いは見られるが、迷いはない。ルディガーとて同じ気持ちだ。たとえ旅した時間は短くとも、仲間であることに変わりはない。

 

「本当に、だな?」

 ベルトルドが念を押した。その口調からは普段の軽快な調子は影をひそめていた。

「当然よ!」

 イムラクが大声で肯定した。

 ベルトルドは、ほうと息を吐いた。心なしか安堵したようでもある。

「分かった。慌てずによく聞いてくれ」

 ベルトルドは目を閉じた。ぎゅっと目をつぶったまま、重々しく声を出した。

 

「俺の、足を見てくれ」

 

 ルディガーは目を下にやった。薄暗い室内の影のせいで、注意して見なければ判然としない。

 そして彼はそれ(・・)を見た。

 

 青白い「手」がベルトルドの足首をしっかと握りしめていた。

 

 ルディガーはぞっとした。その「手」はこれ以上ないというほど"ダハール"によって汚染されていたから。どうして気づかなかったのか。部屋の暗さはただ、日当たりだけの問題ではなかったのだ。

 アルブレヒトが立ち上がった。続いてイムラクが。両者の顔は青ざめている。怯えているのは明らかだ。

 しかし、仲間を見捨てて逃げようなどという顔ではなかった。

 アルブレヒトは立て掛けていた自分の剣をゆっくりと引き抜いた。イムラクは懐から愛用の肉切り包丁を取り出す。ベルトルドは目を開けた。

 ルディガーも、杖を構えすっくと立った。全員目線を合わせる。ベルトルドが頷いた。他の3人は得物を握る手に力を籠める。

 ベルトルドが動いた。

 

 ──ガッ!

 

 足首の「手」を両手で掴み、力任せに引き剥がそうとする。ベルトルドの指は、血色の悪い「手」に触れた。ルディガーの脳裡に疑問符が浮かんだ。あの「手」、実体なのか(・・・・・)

 両手の力に片「手」では敵わなかったのか、足首を握りしめて離さなかった「手」は引き剥がされ、床に落ちた。

 その「手」に腕はついていなかった。床の上を5本の指を使って這い回る。まるで昆虫かなにかのように。「手」は指を折り曲げ、伸ばした反動を利用して跳んだ。狙いは、ルディガー。

 

「ハッッー!」

 アルブレヒトが叫んだ。下向きに構えた剣を、「手」に向かって降り下ろす。

 

 ──ザクッ。

 

 剣は、「手」の甲を串刺し、そのまま床に突き立った。「手」はしばし指をグロテスクに蠢かせていたものの、やがてその肉から垂れ流すテラテラと輝く血が止まる頃には動かなくなった。

 誰もなにも言えなかった。ルディガーでさえ、なにが起こったのか分かってはいなかった。目の前の「手」がなんなのかさえ。

 

 しかし分かっていることもあった。一つ目には、目の前の「手」が幽体でないということ。幽霊(ゴースト)とはエーテルの世界──"魔力の風"の吹く世界の住人となって死を免れている存在。つまり、定命の存在や現実の物体では触れることすらできないのだ。しかし、この「手」は違う。ベルトルドはこれを引き剥がし、アルブレヒトは剣によって仕留めた。したがってこの「手」はあの幽霊(ゴースト)の一部ではないと考えねばならない。

 そして、もう一つ。より重大な点は、目の前の「手」が"ダハール"にまみれているということだ。それは即ち目の前の怪異が、混沌と直結しているということを示している。

 なら、どういうことだ?

 

 分からない。なにも。

 

 ルディガーは立ち上がった。いずれまた考えなければならないだろうが、今はその時ではない。

 

「どこ行くんだ?」

 ベルトルドが声をかけた。

「……『書類』を探しに行くだ」

「なにが起こってるんだ?」

「……まだ分からないだ」

『手』(これ)は、なんだ?」

「……分からないだ」

 ベルトルドはルディガーの胸ぐらを掴んだ。顔を引き寄せた。荒い吐息がルディガーの頬にかかった。

「なあ、俺たち仲間だよな?」

 ルディガーはベルトルドの瞳を見た。彼が自分を心配してくれているのは分かった。仲間全体のために、知りうることは全て話すべきだと思っていることも。彼が自分を仲間だと思っていることも。魔術師に手を触れることが、民衆にとってどれだけ恐ろしいことか、ルディガーだってそれくらいは分かっている。

 以前、自分のことを恐れていたベルトルドが今は仲間と認めてくれていることが、ルディガーには堪らなく嬉しかった。

「ああ。仲間だよ」

「だったら、教えてくれよ。今、なにが起こってるってのかをさ」

 

 ルディガーは考えた。そして言った。

「今は、おらも分からないことだらけだ。でも、これだけは分かるだ。混沌がこの村の中に潜んでいるってことだ」

 ベルトルドは手を放した。ルディガーは部屋を出た。背後で、圧し殺したベルトルドの声がした。

「どうしても、俺たちがやらなきゃいけないことなのか? この村のことは、俺たちには関係ないことじゃないか。なんで、好き好んで混沌に首を突っ込まなきゃいけないんだ?」

「……ベルトルドは自分が『選ばれた』って感じるときはあるだか?」

「……そんなこと、ないけど」

「おらはあるだよ。この眼を持って生まれてきたってことは、神様に選ばれたってことなんだって、思うだよ。だから、混沌と対決することはおらの──おらたち『魔女の眼』を持つ者の──使命なんだって、そう思うだ」

 

 ルディガーは扉を閉めようとした。アルブレヒトがそれを押さえた。

「俺も、手伝おう。頭数は多い方がいいだろう?」

 イムラクが胸を張った。

「ドワーフの智恵なら、いつでも貸してしんぜようぞ」

 そして、振り向いて続けた。

「ベルトルド。おぬしは行かんのか?」

「い、行くよ。行くに決まってんだろ」

 ルディガーは気づかれないように微笑んだ。いい仲間を持ったものだ。

 

「さて、どこから探す?」

 アルブレヒトの問いに、ルディガーは考えていた案を話した。

「この宿からだ。駄目なら、村の人に訊くしかないだよ」

「そうだな」

 ルディガーは手始めに隣の部屋の扉を開けた。なにもない、ルディガーたちの部屋とほとんど変わらない空間が目の前に口を開けた。幾分、"ダハール"が濃い気もするが、それだけだ。先程の『手』はどうやってあそこまで来たのだろう? ふとそんな疑問が頭をもたげた。

「まあ、ここではないよな」

 アルブレヒトは部屋の中を見渡してそう言った。

「おらも、そう思うだ」

「おおい、こっちじゃ!」

 部屋の外から、イムラクの声がした。急いで廊下に出てみても、彼の姿はない。

「こっちじゃ、こっちじゃ」

 廊下の隅、暗く澱んだ一角から声がした。そっちへ向かった。廊下の奥に近づくと、狭い曲がり道があるのに気づいた。どうやら、声はその向こうからしているようだ。

 角を曲がると、狭い廊下から急な階段が上に延びていた。その最上段にイムラクが腰かけている。

「鍵じゃ、鍵じゃ」

「落ち着いて話せ」

 急いてせかすイムラクに、アルブレヒトが呆れたように言った。

「どうやら、屋根裏があるみたいなんだ。鍵が掛かってるみたいなんだけど、ルディガー、さっきの鍵貸してくれないか」

 イムラクより一段下にしゃがんでいるベルトルドがそう補足した。ルディガーは慌てて懐の財布を開いて──彼は貴重品はまとめて財布に入れておく癖があった──鍵を取り出すと、段を登り、ベルトルドに手渡した。ベルトルドがそれをイムラクに渡す。イムラクは、階段の行く手を塞いでいる厚い木の扉の前に屈んだ。ガチャガチャと鍵が鍵穴に入る音がした。

 ──カチリ。

「開いたぞい」

 イムラクが扉を押し開けた。

 

 

 

 屋根裏は二階以上に埃が積もっていた。ところどころに点々とついている足跡は鼠のものだろう。何重にも重なった蜘蛛の巣を手で払いのけながら、ルディガーは目の前の惨状を見つめた。

 一言で言えば、ゴミの山、というところだ。一応物置なのだろうが、古道具屋にでも叩き売れば、それなりの額にはなるだろうという量のがらくたの山が、彼の前一面に広がっている。

 さきほど訪ねた雑貨屋の十倍は汚く、二十倍は雑然としている。『書類』とやらを探そうにも、彼はどうしたらよいのか分からなかった。

 とりあえず、手近にあったカビでぐずぐずになった、シーツであっただろうと推測される一山のゴミを手で押しやる。肺に入れば、なんらかの病を引き起こしそうな空気を出来るだけ吸わないようにするため、服で口元を覆った。

 最早焚き付けにするしか使い道のないほど破損した箪笥をどける。埃が舞い上がり視界を白く染めた。ガラスが全て粉々になったランタンの残骸を脇へのけた。中から数匹の鼠が飛び出した。どうやら巣にしていたらしかった。

 仲間たちも手分けして物置のあちこちに屈み込んで手分けして探している。しかし、いかんせん量が多すぎる。いつまでかかるか分からない。ルディガーはひそかにため息をついた。

 明かりとりの小窓から入ってくる光だけをたよりに、低い天井に頭をぶつけないよう気をつけながら、一同は忙しく立ち働いた。

「――――ぞ!」

 不意にゴミと埃と蜘蛛の巣の中から声が聞こえた。ルディガーはギョッとして、がらくたの山を見つめた。「魔女の眼」でも大した変化は視られないが……。

「見つけたぞ!」

「わっ」

 目の前の戸棚──虫に喰われて木の板の中はスカスカだ──を粉砕して現れたイムラクの頭に、ルディガーは仰天して叫び声をあげる。イムラク自慢の赤髭は埃で白く染め上げられていた。にも関わらず、イムラクは誇らしげにルディガーの面前に腕を突き出した。

「これじゃろ!」

 その手には羊皮紙の束。穴をあけて紐で結わえてあった。ルディガーは震える手でそれを受け取ると、紐をほどいて丸まった羊皮紙をクルクルと広げた。

 目立つ汚れを服の袖で拭うと、なんとか読めるようにはなった。埃で表面が白っぽくなっている。ところどころ鼠にかじられてはいるものの、判読しえないほどではない。

 ルディガーは一字一字丁寧に、しかし二度読み返すことはせず迅速に、文面を読み進めていった。読むにつれて、視界が拡がるような錯覚に陥った。今まで暗かった部屋の細部が、光に照らされることであらわになるような、そんな感覚に。

 

 ルディガーは読み終えた文面から顔を上げた。いつの間にか、アルブレヒトとベルトルドも集まって、彼の顔を不安げに見つめていた。

「どうだ?」

 アルブレヒトの問いに、ルディガーは頷きを返した。

「これで、あってるだよ。さあ、さっきの店に戻るだ」

 分かったことは多い。見通しも少しはたった。しかし、分からないこともある。例えば、なぜあの雑貨屋の女主人はこの物置の鍵を持っていたのだろう。なぜ自分らにそれを渡したのだろう。

 全身を埃と鼠の糞とその他様々な汚れで黒と白のまだらに染めて、4人は階段を降りた。部屋に戻ると、アルブレヒトが口を開いた。

「で、なにが分かった?」

「それは、あの雑貨屋で話すだ。今は荷物だけ持って急いで出るだよ」

 ルディガーは少し焦ってそう答えた。

「なぜだ?」

 言う通りに荷物を担ぎ上げながらも、アルブレヒトは問うた。

「混沌の気配は濃くなってるだ。手遅れにならない内に、なんとかするだよ」

 ルディガーは部屋を出ながらそう言った。時間がない。あと、どれだけあるかも分からない。遅れたとき、どうなるかも分からない。しかし、しなければならないことだけは分かる。

 

 4人が階段を降りていくと、酒場には一日の農作業を終えた農夫たちが疲れを癒す酒を浴びるために集まっていた。その中には昨晩見た顔もある。

 降りてきた一同を見て、農夫たちは声をあげた。非難や排斥というよりは、歓迎に近い。この宿屋で一夜を過ごすことで、同じ秘密を共有する者として受け入れられたということだろうか。

「おう、勇者の登場だ!」

「夕方まで残ってるなんて度胸あるねえ」

「窓から飛び出して脚の骨折ったやつもいたっけなあ」

「あの時はおれが窓を釘づけしたんだぜ」

「腕の悪い大工に仕事があるだけ感謝しなよ」

「ちげえねえ!」

 巻き起こる笑い声。亭主が彼らに近づいて話しかけた。

「……お前らすごい格好だな。ようやく出かけるのか? 次の村までは10マイルはあるぜ。まあうちに泊まるよりかは、野宿の方がマシだろうが。この辺には盗賊も出ねえし、そこは安心してもいいぜ」

 ルディガーはアルブレヒトに目配せした。アルブレヒトが亭主の手に数枚の貨幣を握らせた。

今夜も(・・・)頼むぜ」

 絶句する亭主が喉から声を絞り出した。

「お、お前ら、……怖くねえのか!?」

 ルディガーが答える。

「怖い、怖いだよ。でも、いつも恐怖に負けているわけにもいかないだ」

 

「ダーツはあるだか?」

「あ、ああ……。ダーツ遊びをやるやつのために置いてあるが……」

「貰えるだか?」

 亭主は箱を取って渡した。顔には疑問の表情が浮かんでいる。

「なんに使うんだ?」

「少し……幽霊退治にだよ」

 驚きに声も出ない酒場の客たちの間を通り抜け、出口に手をかける。

「この宿に幽霊(ゴースト)が出たのは、もう昨晩で終わりだよ。じゃあ、ヴィクトルさん、夕食の用意頼んだだよ」

 ルディガーは亭主の名前を呼ぶと、後ろ手に扉を閉めた。ここからは、ルディガーたち(・・)の領分だ。

 

 村は夕暮れの光に包まれていた。4人は村を急ぎ足で駆け抜け、「タールの胃袋」へと向かった。

 

 雑貨屋の女主人は昼と同じ場所に、同じ姿勢で座っていた。

「言っとくけど、返品ならお断りだよ」

「そうじゃないだよ。見つけただよ。『遺書』を」

 女主人の眼が開かれた。

「……やけに早いね」

「それは、このイムラクのお手柄だっただ」

「わしに片せん場所などあるわけないわ!」

 イムラクが埃まみれの姿でふんぞりかえった。ルディガーは懐から再度丸めた羊皮紙を取り出すと、相手の机の上に置いた。

「言っていたのは、これでいいだか?」

 女はそっぽを向いた。

「フン。わたしは字が読めないんでね。書面だけ見せられても判断なんかつかないよ。あんたが読みな。合ってたらそう言ってやるよ」

 ルディガーは羊皮紙を取って、一つ咳払いをすると、声高く書面を音読した。

 

「遺言による財産譲渡証書

 

私、アイニング村のカールはその死後、財産を二人の息子ヴィクトルとフィリップに譲渡することを天主シグマーの御名において誓う。この際、『麦と羊亭』以外の財産においては兄弟で均等に分割すること。ただし、『麦と羊亭』においては一階の酒場をヴィクトルに、二階の宿屋をフィリップに譲渡し、兄弟の共同経営とすること。兄弟どちらかが他方に経営権を譲渡しない限り、収益も兄弟で均等に分割すること。これらのことを私、アイニング村のカールは天主シグマーの御名において、二人の息子に厳命するものである。

 

帝国暦2510年神秘前月17日

 

代筆者、シグマー教司祭ヘルマン=シュヴァイツァー」

 

 ルディガーは読み終わった。顔を上げると、女は指を目頭に当てて涙を堪えていた。女が言った書類がそれで合っていたかどうかは、それだけで充分だった。

「これが、あの幽霊(ゴースト)の正体なんだな」

 ルディガーの問いに女は答えない。代わりにベルトルドが疑問を発した。

「どういうこと?」

「あの幽霊(ゴースト)は恐らく、ここに書いてあるフィリップって人だと思うだ。宿の亭主がヴィクトルって人らしいから。あの亭主は宿と酒場、両方経営してただな? それがこのフィリップって人には気に食わないだよ。多分なにかの理由で死んでからも、兄のヴィクトルが宿を経営することが心残りでああやって現れては、自分の経営権を主張してるんだと思うだ」

「"心残り"なんてもんじゃないさ」

 女が口を挟んだ。

「あの兄弟の互いへの憎しみは相当だったからね。フィリップが幽霊(ゴースト)として現れたって聞いたときも誰も驚かなかったよ」

 ルディガーは女に顔を向けた。

「あんたさんのことも聞きたいだ。どうして、あの鍵を持ってただ?」

 女は組んだ手に顎を乗せた。

「全部、話してやるさ。長くなるけどね。覚悟しなよ」

 イムラクがランタンに灯りを灯した。暗い室内がポッと明るくなった。その光に照らされながら、女は昔語りを始めた。

 

 

 

 ──あたしの名前はイルザ。このしがない店を随分長いこと切り盛りして、その日暮らしをしている女さ。それでも、昔は多少容姿に自信もあってね、いい仲になった男もいたし……結局結婚しなかったけどね。なんだろねえ、運なのかね、そういうのってのはさ。

 フィリップもその一人だったよ。フィリップとの間が一番長く続いたかな。この人となら、結婚できるって思えたのは後にも先にもフィリップだけだったよ。他は皆、若い頃によくある遊びみたいなもんだったからね。

 フィリップは並外れて格好が良かったわけじゃないけど、変に出っ張ったところもなかった。妙に大きな鼻とか、垂れた顎とかさ。ブロンドの少し縮れた髪に、蒼い瞳、背もさほど低くはなかったし、力もあった。

 兄弟仲は……当時から良くはなかったね。しょっちゅう喧嘩ばっかりしてたよ。フィリップとヴィクトルは。兄のヴィクトルは、弟への嫉妬もあったんだろうね、ことあるごとに弟にちょっかいをかけてた。フィリップも弟だからってんで遠慮するようなタチじゃなかったから、余計悪かったのかもしれないけど。兎に角、弟が兄の挑発に一々乗っかって喧嘩してたわけさ。

 

 親父さんのカールもそのことには随分悩まされたみたいで、宿屋をどっちに相続させても角が立つからってことで「共同経営」を考えたみたい。兄弟で協力し合うことで、喧嘩しなくなると思ってね。

 でもあの兄弟にとって、それはむしろ逆だった。それぞれ宿屋の一階と二階を相続したけれど、あがる収益は分割せよって書いてあるでしょ? ヴィクトルにとってみれば、それは我慢ならないことだった。自分は毎日村の連中に酒を出して働いているのに、たまに来る旅人を泊めるだけの弟と利益を折半するなんてとんでもないってね。

 ヴィクトルもフィリップも互いに歩み寄ろうという気配は微塵もなかった。あたしゃ苦労したよ。随分兄弟の間柄を取り持ってやったしさ。

 

 でも業を煮やしたヴィクトルは最後の手段に出た。自分のとこの常連客の村の連中を使って、フィリップの宿屋に客が泊まらないようにしだしたのさ。その頃は同じ家に住んでるってのに、あの兄弟はずっと互いに喋りもせずに対立してたよ。嫌がらせをして、ヴィクトルはフィリップに宿屋を譲らせる積もりだったのさ。フィリップを食いつめさせて困らせるぐらいに考えてたのかもしれない。殺す気はなかったのは確かだけどね。

 フィリップが死んだのは、親父さんのカールが死んでからちょうど初めての冬の頃だった。ある日、モール神の(ほこら)の中で首を吊ってるのを見つかったよ。

 自殺した理由は、兄のせいもあったけどそれだけじゃなかった。半分はあたしのせいさ。

 あの頃はあたしもいつまでも兄弟喧嘩に夢中になるフィリップに少し愛想が尽きてた。そういうときってのは、対立してる人間が魅力的に思えるもんだろ? どんな冗談にもムキになるフィリップに替わってヴィクトルに惹かれた。そうなりゃ、後は早いよ。唯一の誤算は、密会の現場をフィリップに見られたことだったけどね。

 次の日、フィリップは死んだ。あたしは自分のしたことを悔やんで、ヴィクトルとも別れた。これで全て終わりかと思いきや、フィリップの憎しみはもっと深かった。要するに、そういうことさ。

 

 それで充分だろ? 遺言書は元々二部あったものの内フィリップのを、あたしがヴィクトルに渡したもんさ。フィリップが探してるのは……彼の心残りはその『書類』だ。無くすんじゃないよ。

 その鍵はやるよ。フィリップの宿屋で働いてたときに預かったまんま返すのを忘れてた品だからね。今のあたしには不要だし、なによりあんたがそれを"買った"んだから。

 どこに行くんだい? モール神の祠? それを訊ねてなにしようってんだい? いいさ。訊かないよ。この村の北の端さ。畑の間の空き地に突っ立ってるから、すぐそれと分かるよ。

 今でも幽霊(フィリップ)を愛しているかって? 馬鹿言わないどくれ。過去を愛する女がどこにいるんだい?

 じゃあね。まあ、頑張るんだね。少しは期待しててやるからさ。

 

 

 ルディガーが、雑貨屋の外に出ると、周囲は既に暗くなっていた。イムラクのランタンの灯りが頼りだ。雑貨屋の中でイルザがランタンに火を灯したらしく、灯りが外まで漏れ出た。見れば、村のそこかしこで灯りがついていた。一際大きな灯りは酒場のものか。今も彼らは酒を飲み、大声で騒いでいるのだろうか。

 

 彼らは教えられたモール神の祠へと急ぐ。先頭はルディガー。今とっている行動の意味を、真に理解しているのもルディガーだけだ。

 幽霊(ゴースト)は、基本的に死んだ場所を離れられない。唯一の例外は、生前の思いと強く結びついた場所である。それは幽霊(ゴースト)が、本来死すれば天上のモール神の御元へと帰るべき魂が、何らかの魔術的な理由や強すぎる思念のために、現世と繋がったままである存在だということに基因している。また"風"が溜まりやすい場であることも重要だ。神々の祠など、うってつけの場所ではないか。

 しかし、なににもまして重要なのは死者の思念だ。ルディガーの聞いた幽霊(フィリップ)の言葉、「──ここは、俺のものだ!」には彼の強すぎる思いがこもっていたのだ。彼からしてみれば、宿屋に泊まる客は全て自分を通すべきであり、(ヴィクトル)に金を払って泊まる客など無法者以外の何者でもないのだろう。

 

 ルディガーは淀みなく歩く。その手がかりは教えられた大まかな位置だけではない。"ダハール"の穢れた流れが、糸のように進むべき道を指しているのだ。それに従って、彼は村の中を歩んでいた。

 またも彼の脳裡に浮かぶ言葉──

 

 ──帝国魔術規約

第15条

いかなる魔導師も、前述のごとき破壊的かつ反帝国的な策謀、行為、人民、生き物(クリーチャー)のうち、民政当局やシグマー教聖堂騎士団が独力では立ち向かえない上に、悪魔神に仕えていたり、なんらかの妖術的ないし極悪非道な手段を用いて帝国市民を腐敗させようとしたりするものに対しては、みずからも策を練り、対抗活動に参加することが求められる。上記は、魔法諸学府、およびその魔法学府や魔導師にとって筆頭の関心事でなければならない。その義務を履行しないことは、本法律のあらゆる条文を空しくするがごとき行為であり、すみやかに、秘術の技を実践する許可を彼らから取り上げることに直結するものである。

 

 魔術師が混沌と闘わねばならないことを定めた条文。それを見たが最後、魔術師にとって知らないふりはできない。禍つ神々(ルイナスパワーズ)の策略には対抗せねばならないのだ。例え、それが以前は帝国の一市民であった存在といえど。

 フィリップはモール神の祠にいるだろう。それはほとんど確かだった。彼が移動できるのは、そこと、「麦と羊亭」の二階だけに限られているはずだから。そうでなければ、あれほど恐れていたヴィクトルが未だに酒場を続けられているわけがない。

 そう、フィリップは屋根裏にも行くことはできないのだ。既にエーテルの存在となっている彼には、鍵をかけた扉も全てが無意味だが、それ以上の制約がある。それが恐らく、あの遺言書(・・・・・)だ。フィリップが宿屋の二階に出現できるのは、あの遺言書によってその所有権が彼の元にある──少なくとも彼自身はそのことを信じている──からに過ぎない。

 そして、フィリップが求めているのは、この遺言書だ。彼が死んだ後も現世をさ迷っているのは、自分が宿屋の経営権を持っているという確信、そしてそれを揺るがす兄への憎しみゆえに他ならない。その確信を揺るがす出来事、イルザは簡単に語っていたが、フィリップにしてみれば、遺言書が紛失したというのは相当な衝撃だっただろう。ゆえにこれがあれば、彼を誘き出すことができる。

 

 もしかしたら、魔術でフィリップを消滅させねばならないかもしれない。ルディガーは最悪の事態も覚悟していた。どんな異変か知らないが、"ダハール"とフィリップは最終的には繋がっているのだ。どんなわけがあったにせよ、それを看過するわけにはいかない。

 

 ──帝国魔術規約

第6条

いかなる魔導師も、戦場を例外として、公衆の目に触れるところで呪文を発動することは、帝国皇帝、天主シグマー神聖帝国の選帝侯、ないし本法律の条文で規定される合法的な雇用主による要求があった場合を除き、認められない。そうした許可なく呪文を発動することは、実証可能な正当な理由がない限りは不可とする。

 

 ルディガーは今回、この村の人間に魔術が見られる心配があまりないのを喜ばしく思った。魔術師が世間で活動する場合には、常にこの制約が付いて回る。下手に振る舞って火刑台送りになるのは御免だ。

 ルディガーは基本的に、仲間以外の人間たちの前でそれと分かるように魔術を使う気はなかった。ムールフェルトでは混沌に侵された魔術師を倒すため、ヴュッペルタルでは混戦のさ中に咄嗟の必要で、魔術を使ったが、それぞれ仕方のないことではあったし、気づかれないように細心の注意を払ってもいた。攻撃魔法は尚更だ。混沌や危険な生物(クリーチャー)以外に攻撃呪文を唱えることは、ルディガーはする気はなかった。武装解除の「落とせ(ドロップ)」などの呪文で充分だ。

 今回はどうだろうか? 危険があるだろうか? 仲間をそれに巻き込まなくてはいけないのだろうか?

 

 考えている内に、ランタンで照らされた光の輪の外周に目指す祠がぼんやりと浮かび上がった。屋根の尖った白木で作られた小屋のような建物である。ルディガーは止まった。合図をすると、続く3人も立ち止まる。

 "ダハール"の糸が絡み付き、混ざりあい、餌に群がる蛇のように祠へと続いていた。ルディガーは自身の息が荒くなるのを感じた。叫んだ。

「ここに『遺言書』があるだぞ! 出てくるだ、フィリップ!」

 そして、それ(・・)は現れた。

 

 背後でアルブレヒトたちの息を飲む音がした。それも仕方ないだろう。ルディガーと違い彼らは始めてそれ(・・)を見るのだから。ましてや、二度目のルディガーでさえ怖気を振るうそれを。

 全身が紫色に変色し、頭が膨れ上がったそれ(・・)は、ランタンの弱い光にぼんやりと照らされながら、ふわふわと漂っていた。それは死んだ直後の姿なのだろう。正視に耐えない。ルディガーの心が萎えなかったのは、ただその使命への志のためだった。

 他の仲間たちは駄目かもしれない。しかし、ルディガーにそれを恨む心は無かった。

「!」

 彼の目の前に人影が3つ。長身の影が前を見つめたまま言った。

「お前が(かなめ)だ。俺たちが守る。頼んだぞ! ルディガー」

 ルディガーは目を強くつぶり、涙を堪えた。手にした杖をギュッと握りしめ答える。

「ああ、任せるだ!」

 

 初見では気づかなかったが、"ダハール"はどうやら、幽霊(フィリップ)に流れ込んでいるようだ。ルディガーの頭にある単語が浮かんだ。

 ──亡霊(スペクター)

 幽霊(ゴースト)より一段階危険な存在。もはや行動できる範囲に制限はなく、幽霊(ゴースト)には辛うじて存在する自我もない、ただ生きとし生ける全ての存在への憎しみだけで運動する狂える悪意の塊。一旦そうなってしまえば、もう取り返しはつかない。あとは、シグマーの司祭によって浄化・消滅される運命が待つのみだ。

 幽霊(フィリップ)がスウッと透き通り消えた。勿論、逃げたわけではないのだろう。全員に緊張が走る。ルディガーは自身の杖に"グューランの風"を集めた。幸いこの辺りは畑だ。"グューランの風"には事欠かない。

 左手で懐からダーツの入った箱を取り出す。蓋を開け、中から一本のダーツを取り出した。呪文詠唱を始める。

 イムラク、ベルトルド、アルブレヒトの3人はそれぞれの得物を構え、ルディガーを守るために立ちはだかっている。ルディガーはそれを心強く感じた。

 

 呪文詠唱が終わる。ルディガーは懐の『遺書』を掲げた。

「お前が欲しいのはこれだか!? おらが持ってるだぞ!」

 

 アルブレヒトたちの目前2ヤードに、フィリップが浮き出るように現れた。ルディガーはその眼を、狂気と憎しみに燃える眼を見た。幽霊は歯を剥き出しにし、人ならざる声で叫んだ。

 

 ──それを……寄越せ!

 

「それは、できないだ」

 魔力の解放。

 翠に輝く"風"に包まれたダーツの矢が翔ぶ。「魔法の矢(マジックダーツ)」の呪文、それは最も弱い攻撃呪文。しかしそれもまた恐ろしい力を放つ"魔術"の一つなのだ。

 魔術の"ダーツ"は幽霊(フィリップ)の右膝付近を貫き、エーテルの存在である脚を粉砕した。右脚を失った幽霊(フィリップ)の叫びが轟く。

 

 ──アアアAAAAAA!!

 

 叫び続けるまま、凄まじい勢いでルディガーへと翔ぶ。顔の肉が剥がれ落ち、黒く澱んだ幽鬼(スペクター)へと変貌していく。既に手遅れだったのか。

 

 ──それをォォ寄越せェェEEEE!

 

 アルブレヒトが立ち塞がるが、幽体である相手を止めることはできない。するりと避けられ、渦巻き、"ダハール"を巻き込む竜巻となりながら、幽鬼(フィリップ)はルディガーへと迫る。

 

 二射目。ルディガーのダーツは今度は幽鬼(フィリップ)の左脚を消し飛ばした。ルディガーは落ち着いて、次なる呪文詠唱を開始する。

 

 ──ニクイニクイニクイィィiiii、ソレヲォォOOOOO、ヨコセェェェEEEEEEE!!!

 

 幽鬼(フィリップ)は次に前に出たイムラクをも避ける。その眼には既にルディガーしかいない。顔の様相は既に人間から段々と個性のない、憎しみを抽象化したような黒々とした眼と口だけの亡霊(スペクター)そのものへと変わっていく。憎しみの永久機関。

 ──ここでそれを絶つ。

 

 幽鬼(フィリップ)は遂にルディガーの眼前へと舞い降りる。憎しみが膨れ上がり、その体は人間の倍以上に膨張していた。

 

 ──OOOEEEEEEEE!!!

 

 ルディガーの呪文詠唱が終わる。向けた杖の先には、必殺の"(ダーツ)"が。ルディガーは、正面から幽鬼(フィリップ)を睨み返し、魔力を、解き放った。

 

 夜の暗闇を、"矢"が吹き払う。

 

 幽鬼(フィリップ)の胴体に風穴が開いた。

 周囲に吹きだまっていた"ダハール"も四散し、ただの"風"へと戻っていく。

 

 ルディガーは目の前の存在を見た。注ぎ込んでいた"ダハール"が取り払われてみれば、今の彼──フィリップは無力な思念の残骸に過ぎない。力もない。放っておいても、いずれ消え去るだけだろう。ならば、いっそ──

 

 ──兄さん、助けて。

 

 ルディガーの手元に集めかけていた"風"が四散した。

 目の前の、既に上半身しか残っていない哀れな男の魂はすすり泣きながら、生前憎しみ続けた兄に助けを乞うていた。

 

 ──兄さん、苦しい、痛いよ。助けて。助けて。

 

 あと一撃決めさえすれば、全ての決着がつく。しかし、ルディガーにはその一撃が放てなかった。

 再び集めた"風"も"矢"を形成しかけ、流れ去った。

 

 ──ごめんよ、兄さん。ごめんよ、兄さん。助けて。助けてくれ。

 

 魔術において重要なのは、呪文詠唱と具材の暗記だけではない。なにより肝要なのは強靭な意志だ。強い心を持たない者に、"風"は操れない。

 

 ルディガーの形成したあまりに弱い"矢"は、フィリップの頭に当たると砕け散った。

 

 ──助けてよ、兄さん。ここは寒いんだ。冷たくて、暗いんだ。ごめんよ、兄さん。

 

 ルディガーはいつの間にか、自身の両目から涙が流れているのに気がついた。無意識に彼は泣き、心の中でフィリップに謝罪していた。

 またも、"矢"はフィリップの左腕に当たり、砕けた。

 

 ──ごめん、ごめんよ、ごめん。

 

 ルディガーは泣きながら、杖をフィリップの胸に当てた。心の中で謝りながら、"グューラン"の風を紡ぎ、撃った。

 一陣の旋風と一瞬の光、それで終わりだった。かつて一人の男として生きた存在の意識は、それで永久に現世(うつしよ)から消え去った。

 

 

 

 慟哭するルディガーに、アルブレヒトが歩み寄った。

「仕方なかった。そうだろ?」

 ルディガーはキッと睨んだ。

「そんな言葉で……諦められねえだ!」

「人の生き死にを操ることは俺たちにはできない。俺たちに出来るのは祈ることだけだ。あれみたいにな」

 アルブレヒトは死者の神、モールの祠を指した。

「人の生き死にを弄ぼうとするのは傲慢だ。全ては運命だ。俺たちにはどうしようもない」

 

「ただ、泣きたいときは泣くがいいさ。それが死者への弔いになる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、いいのかい?」

「うん。心配かけただな」

 恐縮そうに縮こまるルディガーに、ベルトルドは笑って、「いいってことよ。相手だって自分のために悲しんでくれるやつがいるなんて、嬉しいと思ってるさ」

 ──嬉しいと思ってる、か。死者の思いを推し量るという生者のエゴ。しかし、それを今一番必要としているのは、他ならぬ自分だ。

 

 宿屋へと戻る道のり。今は一刻も早く寝台に倒れ込みたかった。

 

「しっかし、あの『手』はなんだったんだろうねぇ」

 

 ベルトルドの呟きに、ルディガーはハッとしてその顔を見た。

 

 闇はなお、深まるばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ようやく終わり。なんとか三話で〆た。

>敵データ

フィリップ(幽霊)
┏━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┓
┃武┃射┃筋┃頑┃敏┃知┃志┃協┃
┃25┃0┃30┃30┃42┃31┃18┃30┃
┣━╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋━┫
┃攻┃耐┃+┃+┃移┃魔┃狂┃運┃
┃1┃15┃3┃3┃6┃0┃0┃0┃
┗━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┛
技能:《言語:ライクシュピール》《察知》+20《姿隠し》+20《世間話》
異能:《アンデッド》《エーテル状態》《恐怖誘発》《夜目》


┏━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┓
┃武┃射┃筋┃頑┃敏┃知┃志┃協┃
┃12┃0┃14┃20┃15┃0┃0┃0┃
┣━╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋━┫
┃攻┃耐┃+┃+┃移┃魔┃狂┃運┃
┃1┃3┃1┃2┃1┃0┃0┃0┃
┗━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┛
技能:〈察知〉
異能:《恐怖誘発》《精神不具有》

「手」のデータとしてどうぞ。この「手」がなんだったのかはいずれ明らかになるでしょう。

>経験点と成長
各自100xpを獲得
アルブレヒト:【攻】+1
イムラク:異能《反射神経》を獲得
ルディガー:異能《呪文動作迅速》を獲得
ベルトルド:【志】+5%



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