今年もまた拙作にお付き合い頂ければ幸いです。
「"蝕"にお気をつけ下さい」
「"蝕"?」
ヴォルフラムは聞き返した。彼とロベルトはアヴァーヘイムの城壁からさほど離れていない郊外の丘の内の一つに立っている。周囲は暗闇、灯りは彼らが灯した『白熱光』の呪文によるものだけだ。紅い光と蒼い光が闇の中に浮かんでいる。生き物は彼らの他には、たまにカラスが旋回してくるだけである。星がとてもくっきりと見える晴れた夜だ。ロベルトにとっては星は美的な関心の対象ではなく、研究材料なのではあるが。
「"蝕"です。詳しいことは分かりませんが、星を読む限り、それが近くあなたの側で起こることは確かでしょう。是非重々お気をつけを」
「何が起こるか分からんものに、気をつけろと言われてもなあ」
その時、翠色の光が丘の向こうで小さく光った。ロベルトは訝しげに尋ねた。
「……今のは?」
「来たんだろうさ。『緑色』が」
翠色の光は次第に近づいてきた。ロベルトはあることに気がつく。
「妙に……速い?」
丘には春蒔きの大麦が一面に生い茂っている。脚をとられ、跡をつけずに歩くのは随分苦慮するはずだ。それにしてはその光は、まるでなにも障害の無い街路を歩くように迫ってきていた。
「
ロベルトは、どんどん近づいてくる翠色の光の中に人影を認めた。そして、光は2人の前で止まった。
「どうも。『緑色』のドロテーアよ。お久し振り、ヴォルフラム。こちらは?」
それは案に相違して女性であった。ロベルトは少し苦々しく思った。
確かに翡翠の学府には女性が多い。学府の象徴たる現
だが、そうした思惑を顔には出さず、表面上彼は礼儀正しく挨拶した。見れば中々見目麗しい女性だ。なにやら植物のような摩訶不思議な衣装を身に纏っている。脚が露出され過ぎているような気もするが、そういうものなのだろう。とにかく、無礼であってはならないと彼は思った。
「ロベルト=カタストローフェと申します。ドロテーアさん。以後お見知り置きを」
相手の手をとり、指に接吻をする。彼はそうした儀礼に関しては、かなりの自信があった。
ドロテーアはカラカラと笑った。
「アハハ。そんなおためごかしはいらないわよ。それより、中々可愛い顔立ちじゃない。今晩お暇?」
ロベルトは顔面の筋肉が固まるのを感じた。何を言っているのだ、この女は。会って早々、夜の誘いをするなど、破廉恥にもほどがある。
「アハハハ。なに固まってんのよ。あなた、もしかして童貞?」
「なっ、馬鹿なっ。そんな、会っていきなりそんなことを言うなんて」
「アラ、図星? いいじゃない。わたしが筆下ろししてあげるわよ?」
ロベルトは顔が熱くなるのを感じた。目の前の女の常識を信じるのを止め、同行者に助けを求めた。
「ヴ、ヴォルフラムさん! この人は一体なんなんですか!?」
「ドロテーアだよ。
ロベルトはその言葉に引っ掛かりを覚えた。
「"グリュンフェルト"……?」
「アラ、知ってるの坊や? まぁ有名だものね。姓じゃご飯も食べれないけどさ」
「そういうことだ。力量は"保証済み"ってわけだよ」
「と、とにかく、僕は女性とそういう破廉恥なことをするわけには……」
ドロテーアは口に手を当てた。
「固ぁい。流石は学問第一の
ロベルトは既に抑えきれない軽蔑を隠そうとせずに言った。
「あなたは違うのですか?」
「なに言ってるのよ。変化成長の"グューランの風"を操るわたしたち
この女とは性格……いや、本質的な人間の性質そのものが合わない。ロベルトはそう思った。別に常識はずれが悪いとも思わないが──ロベルトやヴォルフラムも世間の"常識"から見れば充分異質だろう。そもそも魔術師が"常識"に反しているのだから──一応同志なのだ。マトモな人物が他にいるといいのだが。
「じゃあ、ヴォルフラムでもいいわ。どう久しぶりにわたしと今夜」
「折角の申し出だが、今夜の集会はかなーり長くなると見たよ、俺は」
ロベルトは、既に誘う相手を変えているドロテーアから目をそらした。イライラして体重をのせる脚を頻繁に組み換える。
「あら、あれ。見てよ」
ドロテーアが声をあげた。癪に障るが仕方なしにそちらを見ると丘の麓で金色の光が一つ大きく輝いていた。
「あーらら。ちょっと大き過ぎるんじゃなくて」
「えらく力のあるやつか。えらく見栄っ張りだね。ありゃあ」
まったく。力のある魔術師でも人目を憚って力を抑えるものだ。大体、魔術師なら誰でも使える「白熱光」ごときで力を見せつけてなんになる。
「到着したら一言言ってやるべきかね。おっと、それより先にあっちの御仁が到着しそうだぞ」
ヴォルフラムは地の一点を指して言った。ロベルトは目を細めるが、何も見えない。
「視えんか。もっとも気づかなくてもすぐに到着するが」
横でじいっと視ていたドロテーアがあっ、と言った。ロベルトも負けじと"魔女の目"に集中した。その正体は薄々察しがつく。隠蔽に優れた魔術師といえば一種類しかいないのだ。
「ああっ」
視えた。薄ぼんやりとした灰色の光が凄い速さでこちらて飛んでくるのが。光は先ほどのドロテーアを遥かに凌ぐスピードで近づき、停止した。
「遅すぎず、早すぎず、間に合ったようですな」
降り立ったのはやはり
「はははっ。久しぶりだな、ペーター」
「お久し振りですわ。お加減いかが?」
親しそうに挨拶するところから、他の2人もペーターとは顔馴染みらしい。ふと視ると、背後の闇の中に黒々とした
「おお、おお。ヴォルフラムにドロテーアか。加減は悪くないよ。君も元気そうだね」
「フフッ。師も異性との交わりを増やせば、より若返りますわよ」
「年寄りの冷や水になるのがオチだろうがね」
ペーターは、ロベルトに目を止めると、「ロベルト師ですな。その後、如何でしたか。ヴォルフラムと会ってみて」
"ヴォルフラム"? 敬称もつけずに呼ぶとは余程親しいのだろうか? ロベルトは疑問に思いながらも、それを表に出さず答えた。
「ええ。とても勉強になりました。興味深い人物ですね、彼は」
「本人の目の前でそういうふうに言うかなあ」
気がつけば、金色の光はもうすぐそこまで来ていた。
「どうも、みなさん」
声をかけてくるが、光で顔が全く見えない。
「ちょっと。光量落としてよ」
ドロテーアが目を手で覆いながら抗議した。
「あっ、すみません。今すぐ」
光が直ぐに消えた。
「消すことないだろう。顔が見えん」
ヴォルフラムが言い、相手の顔を杖の先の紅い光で照らした。ロベルトは発作的に息を飲んだ。
少女のような可憐な顔立ち、サラサラとした
「初めまして。黄金の学府のロレンツィオ=ダ=ルッシーニと申します」
目の前の少年(少女?)は管楽器を思わせる響くようなボーイ・ソプラノで言った。手に持つ杖には目盛りやらスイッチやらがくっついていた。どうやらさっきの灯りもこの杖の化学的な灯らしい。どうりで調節出来なかったわけだ。
「おいおい。坊や、聖歌隊ならここじゃないぜ。誰の紹介だ?」
「『白色』のヒエロニュムス師です。ぼくは『黄色』だそうですが」
「ちっ、あの爺さんか。なに考えてこんなガキ連れてきたんだか。それに、お前帝国人じゃないな? どこの生まれだ?」
ロレンツィオと名乗った美少年はヴォルフラムのあてこすりにも全く動じず、無表情で答えた。
「ティリア市国のルッシーニです」
ティリア市国は帝国の南部に位置する都市国家群のことだ。科学と兵学の盛んな土地だが、政争が激しく統一政権の存在しない場所でもある。ヴォルフラムは続けて追及する。
「それにしちゃ、
「18からです。それに、留学じゃありません」
18からだと!? ロベルトは目を見開いた。目の前の少年の容姿はどう見積もっても16程度にしかならない。ヴォルフラムも疑問に思ったのだろう。それを尋ねた。
「お前一体いくつだ?」
「26です。中堅魔術師になって6年です」
自分と10も違わないというのか。とてもそうは見えない。しかしそれにしてもたった7、8年の修行で、一人前と呼べるのだろうか? 1、2年で見習いを卒業できたのなら、確かに素質はありそうだが……。そうだと仮定しても始めるのが遅すぎる。ヴォルフラムは稀有な例外としても、普通は10代後半には学府に入り見習いとして勉強を始めるものだ。ロベルトは齢が10の頃から学府の中で書物に囲まれ、天体の運行を学んできたのだ。目の前の少年が、それだけの時間でここにいる面々と肩を並べることができるほどの実力を持つなら、確かに逸材と言えようが……。
「ねーえ。あなた実は女の子よね?」
ドロテーアがロレンツィオにしなだれかかると囁いた。ロレンツィオの着ているのは、革で縫製された作業服とローブを合わせたような服装だ。全く女性らしくはない。 ロレンツィオは露骨に嫌悪感を見せた。
「ぼくは女性じゃないです」
「あらあら。だって殿方の匂いを感じないわ」
ロレンツィオの顔がみるみる赤黒くなった。
「……勘違いでしょう。ぼくは男です」
「いいのよ。無理しないで。わたし女の子ともイけるんだから」
まったく。ロベルトはため息をついた。この色情狂はなんとかならないのか。その時ロレンツィオが語気を荒げた。
「……それ以上、ぼくに触れるなよ、売女。ぼくが女だなんて出鱈目だ。汚らしいな、早く離れろ。鉛の彫像にされたくないならな」
高い声で早口で喚くロレンツィオは、彼自身の言とは裏腹に、出会ってから最も女性であるかのようにロベルトには見えた。
そして、ドロテーアもまた、脅しで引くような女ではなかった。声のトーンが一段階下がる。
「ヒステリーの男って、ヒステリーの女より気色悪いわよ。同性が嫌い? 自分も女の癖に」
ゆっくり離れ、ロレンツィオから一定の距離をとる。互いに"シャモンの風"と"グューランの風"を集めた。ロベルトは周囲に目をやるが、ヴォルフラムもペーターも面白そうに眺めるだけで、止める気配がない。仕方なくロベルトは口を開いた。
「やめて下さい。時間の無駄だ」
女同士の喧嘩なら尚更。その言葉は辛うじて飲み込んだ。
フン、と鼻を鳴らしてドロテーアは戦闘態勢を解いた。ロレンツィオは尚も攻撃の姿勢をとるが、やがて機を逸したと悟り、投げやりに"風"を吹き払った。
「ほう、ティリア人は怒りっぽいのか」
ヴォルフラムは面白そうに笑った。
「それとも、
ペーターがヴォルフラムの背後でクックッと笑った。
「これで、後は4人ですか」
「3人じゃよ」
突然、ロベルトの隣で光が瞬いた。白い光が場を満たす。
「『白色』のヒエロニュムス=ベギーアじゃ。"久方ぶり"の人間と初めて拝見する人間の二通りいるようじゃな」
現れたのは純白のローブを身に纏った老人。杖には宝玉が嵌めてある。彼は、その力と身分を表す物品や紋様を余すところなく身につけていた。銀製の小さな無数の鏡が、キラキラと光を反射していた。
「驚かして登場するのは悪い癖だぜ。それに、あんたの紹介の問題児、ありゃあなんだ?」
ヴォルフラムは詰問した。ヒエロニュムスは笑って答えた。
「ああ。ロレンツィオか」
そう言って本人の姿を認めると、「そやつはわしが紹介したんじゃない。自分から探し当てたんじゃよ」
「なんだと!?」
ヴォルフラムは叫んだ。それはその通りだ。ロベルトも口には出さないものの大分驚いた。高々一介の魔術師──どの程度の力かは知らないが──が探し当てられるようでは、魔狩人や聖堂騎士だって探し当てられるだろうから。本当なら余りにもお粗末な話だ。最悪、ここで一網打尽になってもおかしくない。
「聞いた話じゃが、『黒医者』というのが今南部を騒がせているようじゃな。その輩がわしら"九色"の『黒色』と同じじゃというのが、そやつの推理じゃ。そしてあるティリア人に会い、『黒医者』との関わりを掴んだ。その調査の過程で同じ推理をしていたわしとぶつかったというわけじゃよ。わしは直ぐにそやつの明晰さを見破ったわ。力も充分、現在の
まったく。この男こそ"見栄っ張り"だ。ロベルトはそう思った。相手を評価する振りをして、自分を持ち上げる。自己顕示欲の塊。
非科学的な光の学府の老いぼれか。ロベルトは心の中で悪態をついた。権威に固執し、既得権を手放そうとしない、時代に反した老人たち。それが、
「ほう。『黒医者』ね」
「なんでも、黒いマントを身に纏った医者なんだそうじゃ。訪れた村では、必ず一人以上の村人が
「まぁ、いいさ。そいつに実力があるなら問題ない」
「で、あとの3人はいつになったら来るのかしら?」
ドロテーアは退屈したように言った。この程度の我慢もきかない人間に、学問などできるのだろうか? 彼はうんざりして空を見上げた。ペーターがドロテーアに答えた。
「1人はもう来ておるようだね。それに後の1人も……ほら」
丘を上ってくる紫の陰鬱な光。顔を隠したローブの男が1人。滑るように丘を上ってきていた。やがて、一同の注視する中、輪に加わった。手には肉がついておらず、異様にこけている。肌の白さも相まって、まるで白骨のようだ。
「……ダーヴィト=トートタンツェン。『紫色』……」
それだけ言うと、後は黙って立っている。杖を下に向け、その先の灯りも小さいので、顔は見えない。ヴォルフラムとペーターが率先して話しかけていた。
「よお、ダーヴィト。久しぶりだな。最近どうだい」
「……まずまず。悪くない……」
「おお、おお。元気にしていたかね。久方ぶりに友の顔を見た感想はあるかね」
「……子細ない。……感想というほどのことはない。強いて言えば、老化……」
「わしがかね。それとも君が?」
「全員。……わたしの記憶の中の皆……死に向かって歩んでいる……」
ほう。これが
「……知らない人物が2人……誰だ?」
ダーヴィトはロベルトとロレンツィオを見て尋ねた。ロレンツィオが美声を聞かせる。
「ロレンツィオ=ダ=ルッシーニ。ティリアと
「……美声……あと30年でしわがれる。……せいぜい学ぶことだ。……声も黄金に変えられるようにな……」
ロレンツィオは苦い顔をした。それは当然だ。初対面の人間に言うことじゃない。しかし、ロレンツィオはすぐに笑い顔をつくり、言い返した。
「ええ。きっとそうしてみせますとも」
さて、自分の番だ。ロベルトは息を吸った。自分を知らない者もいる。印象づけねば始まらない。
「初めまして。そうでない方もおりますが。天空の学府のロベルト=カタストローフェです。シュライヒャー師の推薦で"九色"の末席に加えて頂きました。お見知り置きを。『塔』のドロテーアさま。『恋人』のロレンツィオさま。『太陽』のヒエロニュムスさま。『禍つ神々』のダーヴィトさま。……そして、頭上にいらっしゃる『モール』のカードを持つ方」
「アハハッ。ペータート、ヴォルフラムイガイニモ、バレテタンダネ」
一羽のカラスが低空に舞い降りた。翼をバタバタとはためかせながら甲高くワメく。
「先程から
「タダシイナマエデ、ヨンデホシイナ。コヒャクメイユウカイ、アア、イイヅライナ……琥珀盟友会、そう呼んで頂こう」
目の前に降り立ったカラスは一瞬で人の姿をとった。全身に入れ墨をし、毛皮を着た男がすっと立ち上がった。引き締まった肉体。スラリとした顔は、野性味に多少溢れすぎてはいるものの、美男子の部類に入るだろう。
「琥珀盟友会の一員、ベロニカ。ベロニカ=クリムゾンネイル。この名はエルフに貰った名だ。"緋爪の"ベロニカ。そう覚えて頂こう」
ベロニカと名乗った男は炎のような入れ墨で縁取られた目で、一同を見渡した。
「さて。ついさっき、面白いことを言ったな、貴様。わたしが『モール』だと。"九色"とタロットと何の関係がある?」
「それは──」
「その前に、僕の担当するカードを教えてよ」
「……!」
「……ッ」
「……一体どこからッ!?」
まばたきをするほどの一瞬の間に8人の中に現れた者──全裸で恥部を隠しもせずに立ち、それを恥じる様子もない──は、両腕を広げ、さも楽しげに周囲を見渡した。ウンウンと頷くと、長い耳をピクピクと震わせる。手を胸の前に持ってくると、一礼した。そのまま、固まっている一同を見上げると可笑しそうにクスクスと笑った。
「『黒色』のミカエル=ブラックアート。そっちの彼と違って本物のエルフだよ。よろしく、僕が考えた"九色"のみんな」
ロベルトはほぼ反射的に、その刹那に得た直観を叫んだ。彼には、視えたのだ。目の前の人物の真の姿が。真の威容が。恐ろしいまでの真の力が。
「『世界』だッ! あなたこそが『世界』のカードを持つ者だ!」
影の学府の最上位の魔術師の一人、ペーター=シュライヒャーがひざまずいて恭しく述べた。
「
それを聞き、その二つ名のように黒い肌のエルフは腕を広げ、満天下の星に宣言した。
「さあ! 悪だくみを始めようじゃないか!!」