ゴーストワールド   作:まや子

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好きなものを全部一緒くたに楽しもうという主に作者自身のための試みです。
美術・骨董、『可愛いイレーヌ』、『HUNTER×HUNTER』、『クローディアの秘密』、そしてこれらと出会った少女時代のよき思い出に。


1. ドリームオークション(1)

 1995年9月2日、ヨークシンシティ。

 わたしはタクシーを探して人込みを押し分けつつ駅に近づいた。世界最大の大競り市ヨークシンドリームオークションが開催される月初めからの10日間にわたって、ヴィクトリア駅前広場は様々な露店の並ぶ市場になる。値札競売市の一番大きな会場の最寄り駅だからだ。連なるテントの数々、飾り帯や幟のゆれる露店、アイスクリームや果実の濃く甘い匂いに満たされ、紙吹雪が散って歓声があふれる。大道芸、音楽、籤売りの声。広場や道を行き交う人々の波濤。

(前が……よく見えない……)

 こんなざわめきにはまったく慣れていなかった。うんざりしながら人の流れに任せて広場を抜け、大通りへ出た。そこでやっとタクシーを拾って乗り込み、ほっと息をついた。

「ホーガンズのオークションハウスへ行って」

 

 ホーガンズにはヴェルサーチ――じゃなくて、シャルルサーチの服を着てまばゆいダイヤモンドのネックレスをしたブロンドの受付係がいて、彼女に名を名乗った。すらっとした体の、モデルのような美女。天は二物も三物も……、とついひがんでしまうわたしを世の9割の人間は責めないと思う。彼女はたぐいまれな美貌のほかに、名門の家柄と相当の財産をも持っているのだから。

 彼女に限らず上流階級のご令嬢たちは誰もがヨークシンのオークションハウスで働きたがっている。ここで働いていることそのものがステータスだから。美術品のことなんて何も知らなくたって構わない、ただそこにいるだけで十分の若い女性たち。

 わたしのやや不躾な視線に美女は小首を傾げた。

「何か?」

「いえ、なんでも……」

 はにかんで微笑むと美女もにっこり微笑み返してくれた。

 わたしだって捨てたものじゃない。父譲りの上品な顔立ちと、母譲りのふわふわの赤褐色の髪と青灰色の目。まだ9歳だから将来はわからないと留保しつつ、思いきっていうけれど、わたしは美少女だった。わたしだけがそう言うんじゃない。ご近所や親せきのおばさまたちはわたしを見て、なんて可愛らしいの、と言うし、おじさまたちは、将来はすごい美人になるぞ、と言ってくれる。前世ではせいぜい、いい子ね、としか言われなかったのに。

 

 83番の札をもらってオークションルームに入り、オークションがはじまるまでの時間を、カタログを眺めてつぶす。先日のレセプションではそれぞれの美術品の最終落札者(ファイナリスト)候補の間を泳いで、あの手この手で探りを入れながら一夕を過ごした。その結果、ありがたいことに競り負けることはなさそうだとわかって安心していた。

 今年のドリームオークションには世紀の名画といわれる作品が出品されるという話題で何カ月ももちきりだった。その名画はミラーの『藁を集める少女』。この絵はその美しさと数奇な来歴で美術界のみならず一般にも広く知られるようになっていた。今年のドリームオークションの目玉として、わたしも何度もテレビや雑誌で特集を組まれているのを見た。入札する気なんてなかったけれど――だってそれ以上に落札できるお金がないから――記念に入札してみるのも馬鹿らしいし――、父について下見会にも行ったから直接目にする機会があった。彼女に初めて対面した時の感動はうまく言葉にできない。粗末な身なりが示す生活の苦しさ。対照的に愛らしい顔に浮かぶ清らかさと信仰。その姿に心が震えるような崇高さを感じた。

 絵の競売権はサザンピースが獲得した。あの素朴な少女が競売にかけられるのが今日。ということは、世界中の美術館の館長、キュレーター、富裕な個人収集家はサザンピースに集まっていて、ホーガンズには強力な競争相手となる者はほぼいないということになる。幸運に感謝だ。

 

 正午ちょうどにはじまったオークションは半ば予想されていた通りに展開していた。オークションルームは満員にはならず、席を埋める面々もみんなどこかそわそわした表情をしていた。競りは過熱せず、実際の競り落とし金額も見積もり額になんとか届くあたりで推移している。たまに跳ね上がったと思っても、せいぜい見積もり額の20から25パーセント増くらいの額に落ち着く。ミラーの少女と同日同時間帯にやるオークションはまあこうなるわよね、むしろこれなら上出来なほうよ、などとわたしはホーガンズに気楽な同情を寄せて見ていた。

 そしてついにわたしのお目当ての作品の番になった。

「ロット番号112番は12世紀後期の馬と戦士のヴール塑像です。入札は200万ジェニーから開始し、10万ジェニー刻みで値を競り上げていきます。それでは競りをはじめます」

 オークショニアは静かに宣言した。すぐさま何枚か札が掲げられるけれど、2分もすると中年の夫婦と代理人っぽい男だけが残った。しばらく二者が競り合うに任せ、割って入るタイミングをうかがった。早すぎてはいけない、値段が高騰してしまうから。価格は320万ジェニーにまで上がっていた。

 像は良い出来で、破損は少なくほぼ完全な形をしていた。なんでもパドキア国立美術館の『新規購入のための売却(ディアセッショニング)』で放出されたものをディーラーが買い取って持ち込んだものらしい。

 パドキア国立美術館のオールドマスターズのコレクションはなかなかのものだけれど、ヨルビアン大陸のほどではない。彼らが持つほんとうの至宝とはヴール山脈やデントラ地方に住んでいた民族の美術品と工芸品だというのがわたしの意見だ。特にヴール山脈で見つかった墳墓は凍結により中身が完全な形で保存されていた。この彫刻はそうした墳墓のひとつから発見されたものということだった。そうしたもののなかには紀元前のものすらある。でも残念、これは12世紀のものらしかった。

 わたしは頭の中のそろばんを素早くはじいていた。ヴール美術は市場でそんなに人気がない。遺憾ながら、プリミティヴな美術ってそういうことが多い。美術館よりも博物館に似つかわしいと思う人がたくさんいるのだ。売るときには最高でも5割増し、場合によっては3割増しの値段しかつかないだろう。これが400万で落ちたとしたら、ホーガンズが20パーセントの手数料をつけ、それにディーラーの50パーセントの利幅と税金が上乗せされる。とすると実際に払うのは700万ジェニーくらい。ならばそろそろ上限だろう、と見た。もう十分値段は上がった。これ以上は高すぎる。

 このくらいの計算は誰にでもできるから、案の定値段はそこで上げ止まった。二者とも獲得にそこまで熱意があるわけではないらしい。

 中年夫婦の320万ジェニーに対抗して、わたしは悠然と札を上げた。

 オークショニアはわたしを見て不安そうな顔をした。わたしが子どもだから、ちゃんとわかって入札したのかどうなのか疑っているのだろう。

「……83番のお嬢様に330万ジェニー」

 そして彼は救いを求めるように中年夫婦に視線を向けた。夫婦は札を逆さまにして首を振った。

「最終です。ロット番号112、12世紀後期の馬と戦士のヴール塑像に330万ジェニーがつきました。ほかに入札する方は?」

 オークショニアの目が最後にもう一度中年夫婦と代理人の男に向けられた。反応なし。

「終了です。札番号83番の方に」

 帳簿にわたしの番号を書きとめたオークショニアに、わたしは番号札を揺らしてにっこり微笑んだ。もちろんわたしは自分のしていることをしっかりわかっているし、支払能力もちゃんとある。

 

 翌日、わたしは昨日よりもずっとラフな格好で、さっそく手に入れた彫刻を抱えて値札競売市に出かけた。そして掘り出し物はないか店先の品々を物色しながらぶらぶら歩いた。ドリームオークションの値札競売市も週末のガレージセールと似たようなもので、並ぶ品々の大半がガラクタだけれど、たまに本物の骨董品がある。野の山に入って美しい花を探したり、たくさんの砂粒の中から砂金を見つけだしたりするのと一緒。大変だけれど、それを見つけたときの喜びは大きい。宝探しゲームみたいな気分でついつい熱中してしまう。

 寒い日で、空は銀色をしていた。南半球にあるヨークシンは初春のころ。はじめ原作を読んだときはそうとは考えもしなくて、幻影旅団の団長が出てくるたびに、真夏にファーコートはないんじゃないの、と思っていたけれど、今になればおかしかったのはタンクトップを着ていたキルアだったとわかる。まあキルアを前にそんなことに突っ込むのは、ちょっと突っ込みどころを間違えている感じだけれど。

 

 気ままに歩き回り、疲れてきたところであったかいカフェラテを買って公園のベンチに座った。

 わたしは像を膝に乗せ、あらためてまじまじと眺めた。馬とその馬にかけられた馬勒と轡をもつ男の姿がかたどられている。荒削りだった。でも空港で売っているようなわざとらしい感じはまったくない。どこかしら気品があった。

 

「嬢ちゃん」

 わたしははっとして顔を上げた。すぐそばから若い男の声がした。

 顔を向けると、筆で描いたような眉毛が特徴的な男がわたしを見下ろしていた。

「嬢ちゃん、ひとりか? パパとママは?」

 男はいかにも怪しげな風体だった。よれたシャツにぞんざいな口調。街のチンピラといった感じ。

 わたしは像を胸元にぎゅっと引き寄せて、目を合わせないように顔をそむけた。

「お、おい。いや……オレはゼパイルっていうんだ。怪しい者じゃねえ。ちょっとその像を見せてほしいんだよ」

 わたしは彼のほうへ顔を戻した。彼の大きくて迫力のある三白眼をみつめる。

 ゼパイル。

 わたしはとなりの空いたところを示した。

「座ったら?」

 

 ゼパイルはわたしの横で落ちつかなげに足を揺すった。

「それで像なんだが……」

「やめて」

「あ?」

「足を揺するの」

「ああ……」

 像を渡すと、ゼパイルは食い入るような目つきで像を調べだした。指で輪郭をなぞったり、光に透かしてみたり、コンコンと叩いて音や感触を確かめてみたりしている彼を放っといて、わたしは温くなってしまったカフェラテをちびちび飲んだ。

 一通り確認し終わって、ゼパイルはわたしに向きなおった。像を渡しながら言う。

「思ったよりいいものじゃなかったな。お前のか?」

「やっぱり? そうよ。わたしのお小遣いで買ったの」

「へー。まあ大した価値はねェが、インテリアとしてなら、うーん、アリかもな」

「インテリアねえ。わたしの家には合わなそうだわ」

「ふーん。なら、オレにその像を売らねーか?」

 わたしの肋骨の内側で心臓が跳ねた。

「え?」

「いや、オレそういう像をちょうど探してたんだよ。イメージ通りなんだ。その像ならオレの部屋にピッタリ合うと思ってさ」

「……悪いけど……」

 わたしは警戒もあらわに体をずらして距離を取った。

「ダメか?」

「うん……わたしもう行くね」

「待ってくれ!」

 腰を浮かせたわたしの腕をゼパイルの大きな手がつかんで強く引いた。彼はわたしが大声を出す前にはっとした様子でその手を放した。そしてもごもごと謝罪の言葉をつぶやいてから、今度は嘆願を始めた。

「その像を売ってほしいんだ!」

「無理よ」

「この通り! 頼む!」

 ゼパイルはバッと頭を下げた。

 わたしは困惑して眉を寄せた。

(この人、こんなに交渉が下手だった? 原作ではもっと……)

 こんなに一生懸命お願いするなんて、足元を見てくださいと言っているようなものだ。原作登場時より5歳も若いせいだろうか? それともわたしが舐められているのだろうか? ゼパイルを見ていると、自分がしようとしていることに急に自信がなくなってきた。

「……ねえ、さっき言った理由、嘘よね。どうしてこれがそんなに欲しいの?」

 わたしは手元の像をぺちぺちと叩いた。

「それは……」

 彼の迷いが目に見えるようだった。贋作だからと言えば、なぜそんなものを欲しがるのかと訝しがられる。ほんとうは本物なのに、騙し取ろうとしてそう言っていると疑われる。価値あるものだからと言えば、わたしが手放さない。何と言って説明しようか困っている。というより、どう上手いことを言って目の前のガキから像を取り上げようかをまだ考えているのかもしれない。

 やがてゼパイルは言いづらそうに口を開いた。

「……実は、その像、贋作なんだよ。贋作ってわかるか? 偽物って意味だ。オレが作ったもんなんだよ。その時代の材料を使って古色をつけてそれっぽく見えるようにしてるが、実際のところ価値なんてねェんだ。信じられねーならちゃんと鑑定してもらってから決めていい」

 彼は再び頭を下げた。

「だから頼むよ。お前みてえなガキを騙したくねェし、そんなもんを出回らせときたくねェんだ!」

(……さっきわたしを騙そうとしたわよね、こいつ。なんか、オレの部屋に合うとか言って……)

 わたしはしばらく冷めた目でゼパイルを見ていたけれど、女の子に必死に頭を下げてお願いする男という図に周囲の人々の好奇の視線が集まりだしたのを感じて言った。

「やめて。頭を上げて」

 そう言って、わたしは彼の伏せられた目が上がったのを見た。鋭くて、理知的な目。

(あ、これ茶番だったんだ)

 この業界の人間なら、ゼパイルの言い分は通じない。誰も信じない。でも一般人ならどうだろう。それも子どもなら。ごく普通の人は美術品の鑑定なんてできない。本物と言われても確信なんか持てないし、偽物と言われたら疑念は大きくなる。鑑定できないということは価値がわからないということ。彼の話を信じないまでも、提示してくる金額次第では譲ってもいいと考えるかもしれない。それにさっきゼパイルは気軽に鑑定家に見せてからでもいいと言ったけれど、鑑定料だって馬鹿にならないし、ガラクタ市とも言われるこの値札競売市で手に入れたものをわざわざ鑑定家に見せるやつなんていないに等しい。そもそもゼパイルは鑑定家に見せようが見せまいがどうでもいいのだ。どちらにせよ彼は贋作としての値段で買うだけだ。

(とんでもないわよね! わたしはブライスの『美術史入門』、それも1902年の本人の手書き献辞入り初版本!も、緑茶を飲むための1880年代ジャポンの野葡萄柄湯呑も、自室に貼りかえるつもりだった藤と白い蝶のアンティークの壁紙も、このために全部涙をのんで諦めたっていうのに!)

 そして彼はわたしがさっさと折れるように公衆の面前で大げさに頭を下げたのだろう。

(やっぱりこの人、それなりに頭が回るんだ)

 わたしはおもしろいような、おもしろくないような気分で言った。

「買うって、ほんとうに?」

「ああ」

 ふうん、とわたしは首をかしげた。

「払えるの? 700万ジェニーなんだけど」

 ゼパイルの目が点になった。

「……は?」

 彼は半笑いを口元に浮かべて、馬鹿馬鹿しい、と首を振った。

「おいおい、ふっかけてきたな。これにそんな価値あるわけねえだろ? 贋作なんだからよ」

「せいぜい数千ジェニー。それですむ。そう思ってた?」

 わたしはつめたく微笑んだ。

「この塑像、わたしが昨日ホーガンズで手に入れたの。端数はまけてあげる。700万ジェニーよ」

 ゼパイルの顔からどんどん血の気がなくなっていって、青白く見えた。

「嘘だろ……」

「払えないなら、警察へ行くわ」

「はあ!?」

 わたしは、当然でしょ、と肩をすくめた。

「ディーラーとつるんで贋作をつくり、それを売った。そういうことよね。きっとあなたは話に乗っただけだろうけど」

 ゼパイルは無言で、少しも動けないでいた。体は強張って、かすかに震えていた。

 少しこけた頬、くたびれたシャツとズボン、ジャケットひとつも羽織っていない寒そうな装い――あるいは装いの欠如。彼の格好はどう見てもお金がありそうではなかった。ディーラーに搾取されていたのだろうと思う。

「否定したって信じないし、これ一回きりだって言われても信じない。

 この像ね、パドキア国立美術館のディアセッショニングで放出されたものよ。つまり、何年も前にあなたはこれを作り、美術館の汚職キュレーターに見せ、買い取らせた。検査があっても結果を捏造した。ばれないうちに放出され、昨日、ホーガンズでオークションにかけられたのよ。少なくとも共犯は2人。ディーラーとキュレーターね。あなたはたぶん、こういう流れには関わってないんでしょう。でもあなたがしたことは美術品詐欺よ。まあ刑務所に2、3年ってところかしら」

 彼はやっと事態が呑みこめたらしい。見開かれていた目が細くなって、鋭くわたしを睨みつけた。わたしは少しもたじろがなかった。そういった目つきには見覚えがあった。それどころか、前世を含めて何度も見て、見慣れてさえいた。困惑と怒りが入り混じった、弱い人間だけが持っているあの独特な目の光。

「……何が言いたいんだ?」

「簡単な話よ。あなたは、美術品詐欺で逮捕されてこの業界での信用をすべて失うか、わたしの頼みごとを聞いてその報酬とこの像を得るか、どちらかを選べるの」

 彼は長いことわたしを睨みつけたまま黙っていた。

 待ちくたびれたわたしはスプリングコートのポケットから携帯電話を取り出して911をプッシュした。スピーカーから緊急通報の情報センターの応答が聞こえてくる。ゼパイルにはそれで十分だった。

 ゼパイルはわたしを睨みつけたまま吐き捨てた。

「くそったれ」


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