ゴーストワールド   作:まや子

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12. 昼下がり(2)

 食事の間、パクノダは何度も親しげに話しかけてきた。わたしはそのたびに失礼にならない程度のそっけなさであしらった。低調な会話にパクノダもいささか困り顔。わたしの心を溶かすためのありふれた世間話も、わたしの気のない返事が続くにつれ、しだいに立ち消えになった。

 しばらくは会話への意欲も失われていたようだけれど、デザートのジャムオムレツが来たのを期に彼女は気を取り直してわたしに微笑みかけ、わたしの手をとろうとした。

「ねえ、わたし、実は手相を見るのが得意なの。ちょっと見せてくれない?」

 わたしは失笑をもらしそうになった。

(そんな、手相だなんて。キャバクラじゃあるまいし)

 でも悪い手でもないのかもしれないと思いなおした。もしバーでいい雰囲気になったときにパクノダにこんなことを言われたら、断れる男はいないだろう。

 だがわたしは断固とした態度で拒否した。

「触らないで」

「何を……――」

 パクノダは息を飲んだ。

「――何を警戒しているのかしら」

 威圧的な低い声。

 全員の視線がこちらに向いた。

 緊張をはらんだ沈黙がびりびりと肌を刺す雷雲のようにその場に垂れこめた。

「そんなことが訊きたいの?」

 気押されてわたしはようよう言った。

 おそらくパクノダの能力は幻影旅団の切り札だ。高性能かつ便利なその能力は旅団の情報収集や情報操作に多大な貢献をしているはず。勝手に情報を引き出せ、消して、相手にそのことを気づかせすらしない。わたしみたいな一般人の地道な情報活動が本気で馬鹿らしくなるほど。ゆえにその能力の存在を知られたら重大な支障をきたす。不審を抱かれないで情報を引き出すという大きな利点が損なわれるからだ。知られてしまえば、無理やりおさえこまない限り、わたしがしているように接触を避け続けられてしまう。隠してこそもっとも使える札なのだ。

 彼らはそれをもう知られているのではないかと危惧している。

 わたしは声を張った。

「なら教えてさしあげるわ。わたしがあなたたちをこれほど警戒する理由はいとも簡単よ。そこの――あなたたちの団長様に折られた肋骨がまだ痛むからよ。信用できないのは当たり前じゃないの。クロロが散歩の途中にわたしの肋骨を折ってみようと思い立ったように、次は誰がわたしをいきなり痛めつけようとするかなんてわかったものじゃないんだから」

 パクノダがちらりとクロロを横目で見ると、クロロは肩をすくめた。

「もし、もし故買商に労働組合があったなら、わたしはあなたたちとの食事会に特別手当を設定するようにかけあうわね」

 わたしは声を落とし、強気かつ陰険な目つきでひとにらみした。

 フェイタンはせせら笑った。

 シャルナークは茶々をいれた。

「直接ボスにかけあえばよくない? パパなんだろ?」

「いい? とにかくわたしに触らないで。不自然な動きも控えることね」

 わたしはごまかしきった。

 

「おもしれぇもんを見せてやろうか?」

 唐突にフランクリンは言った。

 わたしは小首を傾げた。彼はおもしろいことをするようなタイプには見えなかった。ワインと同じくらいによく冷えてしまった空気を気にしたのだろうか。でも、なにも『おもしろいことをする』と宣言してわざわざハードルを上げることはないだろうに。

 わたしの困惑をよそに、フランクリンは水のグラスに花瓶の花から失敬した花びらを一枚浮かべた。

(まさか――)

 心の中で呟きつつ、わたしは彼のすることを黙って見ていた。そんなはずはない、と自分に言い聞かせながら。

 さっとほかの顔をうかがった。クロロ、シャルナーク、パクノダ、フェイタン。彼らは傍観の体勢だった。

 わたしはわたしの早とちりであることを期待した。

(そうよ。するわけがないじゃないの。ほかの面々が制するそぶりさえないんだから。それにフランクリンは意外と思慮深いキャラクターだったはず。だからこんなところで――念を知らないだろう一般人の目の前で――するわけがないわよ、――水見式なんて!)

 

 フランクリンはグラスがよく見えるように空になった皿をテーブルの端へ押しやり、おもむろにわたしに尋ねた。

「オレがこのグラスにオーラをこめると、ある変化が起きる。どんな変化だと思う?」

 何かを言わなければ、と恟々として頭を巡らし、頬を持ち上げて半笑いの表情をつくった。心臓がドキドキ鳴った。

「オーラをこめる、ねえ。手品ってわけ? そうね、グラスがなくなるんじゃないかしら」

 フランクリンは首を振った。

「ハズレだ。何が起こるか、よーく見てろ」

 そう言ってグラスに手をかざす。フランクリンはにやりとした。そして彼はよどみない“纏”からオーラを一気に増やし、“練”をした。

 

 あっと思う間もなく、グラスに劇的な変化が起きた。なかに入っていた水が、ほんのり色づきはじめ、またたく間に赤ワインのような渋みのある濃い赤へと変わったのだ。

 わたしは言葉もなく見つめていた。

(こんなに早くはっきり変化するなんて、なんて完成された“練”なの。これが幻影旅団の水準なのね)

 あまりにも自分の念とは違いすぎた。自分のやっていることは念能力者ごっこにすぎないと感じた。クロロの念の使い方も間近で見たことがあったけれど、あのときはそれどころじゃなかったから、今日、改めてショックを受けていた。わたしの才能のなさにも。

 同時に、彼らをそらおそろしく感じた。

(ほんとうにやりやがった、それも平然と――)

 わたしの心は驚きと動揺に震えていた。

(こいつら、頭がどうかしているわよ)

 

 反応を求める沈黙に、わたしはどうにか声を絞り出した。

「……そういうことね」

 わたしはフランクリンをみつめた。

 フランクリンはわたしをみつめた。

 ほかの4人はそれぞれの顔でわたしの次の言葉を待っていた。

 わたしは忙しく頭を働かせた。何と言ってごまかそうか必死に考えた。最近こんなことばっかりな気がしたけれど、そのことについて考えるのはよした。

「わかったわ、見破ったわよ。……古典的なトリックだわ。そのグラスに入っていたのは水だけじゃなかった。おそらく10パーセント程度の硫酸をこっそり入れていたのね。そうでしょ。だってフランクリン、あなた、ワインしか飲んでいないわ。……そしてオーラを送るなどと言って手をかざしつつ、わたしから見えないように過マンガン酸カリウムをひとつまみグラスに入れたのよ。そうしたら、アーラ不思議、グラスの中の液体が赤く染まったというわけ!」

 テーブルに奇妙な沈黙が落ちた。

 

 最初にその沈黙を破ったのはシャルナークだった。ぷっと吹き出して身を震わせたのだ。

「クローディアってほんとうに頭がいいよねー」

 その言い方に頬が熱くなった。

「な、なによ。そりゃ手品の種明かしをするなんて無粋だったかもしれないけど……!」

 シャルナークは容赦なく笑い声を上げた。フランクリンも笑いだした。なんとなく傷ついてパクノダを見ると、目があったパクノダは下唇をかみしめた。とても強く。フェイタンはうすら笑いを浮かべていた。助けを求めてクロロを見ると、彼も忍び笑いをもらしていた。

 思っていた感じとは違った。こんなふうに笑われるとは予想していなかった。こんな、わたしが何か馬鹿げたことを言ったみたいに。

(わたしだって、わたしだって……!)

 

 笑いをおさめたシャルナークは、実はさ、と快活に話しだした。

「オレたち、借家に住んでるんだよね。でもまともな料理つくれるのってオレかクロロくらいでさー、レパートリーもそんなにあるわけじゃないし。外食するにも店や料理に詳しくないし。その点、クローディアがいると解決だろ?」

 わたしはこいつのグルメガイドじゃない。

 苛ついたけれど顔に出さず、にっこりしてつめたく返した。

「地元の女の子でもひっかけたら? いい店につれてってくれるわよ」

「それは別のお楽しみだよ。こういうランチとは別のね」

 顔のいい男は言うことが違う。わたしはますます苛ついた。パクノダはちょっとつめたい目でシャルナークを見た。フェイタンが鼻を鳴らしたから、ついフェイタンに好意を持ちそうになった。ほかの男たちももっとシャルナークに苛ついてもいいと思う。

 それに、借家暮らしとは、少々がっかりさせられた。やっぱり彼らには廃墟を活動の拠点にしてほしかった。モーナンカスに幻影旅団のアジトにふさわしい廃墟があるかどうかは疑わしいし、借家は快適で干渉のない、長期滞在に向いた良い選択だとは思うけれど。

 シャルナークは輝く青い目を笑みの形にし、気取りなく言った。

「オレたち、ここでクローディアに会えてよかったって思ってるんだ」

 怒りが顔に出そうになって、それを隠そうとうつむいた。

「……それは、どうも」

 そういう余裕ぶった言葉がおもしろかろうはずがなかった。言ってろ、とわたしは心の中で吐き捨てた。

 彼らにとってわたしとの出会いはまさに天恵だっただろう。わたしを手札に加え、エミール会に参加でき、わたしに一撃を入れて骨折させることで凶暴性を満たし、良いレストランと料理を知ることができた。

 一方のわたしはといえば、今のところ前回と今回の都合2度食事をおごってもらえたというくらい。マイナスのほうは挙げればきりがない。

 わたしはコーヒーカップを乾してソーサーにカチャンと置いた。胸には決意が燃えていた。

(見てなさいよ、なんとしても収支を合わせてやるわ)

 

 食事を終えたわたしたちは前回と同じように散歩をしようということになった。木陰から日向に足を踏み出すと、日光の強さについひるんだ。

(このクソ暑いのに)

 それでも浜辺をそぞろ歩くと楽しいような気がした。

 何人かが水を掛け合ってふざけるのを、服がぬれるじゃない、とパクノダがぶつぶつ言って距離を取った。いつのまにかフェイタンとシャルナークが浅瀬に足を突っこんで水しぶきを派手に散らせながら組み手をしていて、まったく目で追えないそれを、わたしはかき氷を食べながらぼんやり観戦した。

「楽しいか?」

 となりで本を読んでいたクロロが尋ねた。そんなに真剣に見入っているように見えたのだろうか。

「目の前で何が起きてるのかもわからないのに?」

 クロロから暴れているふたりに目を向けた。3人になっていた。フランクリンもいつの間にか加わっている。やっぱり動きがすごすぎてわたしの目にはよく捉えられない。

「そうね。楽しいのかしらね」

 よく考えたら、わたしはこの人生でまともに誰かと遊んだことがなかった。それも当然の話で、わたしには友だちがいなかった。周囲に同年代の子は少なくなかったけれど、精神年齢が違いすぎておままごとにつきあわされているような気がしたし、あちらも雰囲気を察してわたしには近づいてこなかった。今までそれに問題を感じていなかったけれど、はたと気がついた。

(この幼少時代は、黒歴史になる……?)

 すかして、まともに友だちもできず、大人には神童と持ち上げられ、いい気になって、大人になって知能がほかの子に追いつかれると、早熟だっただけで天才気取りと笑われる、そんな予感。

(やばい……!)

 これからはもっと頻繁に、もっと快活に、同年代の子と遊ぼうと固く心に誓っていたそのとき、バシャンと水が跳ねる音がしてわたしは頭から水をかぶった。

 わたしは塩水に浸食されたかき氷を見てしばし呆然とした。

(わたしの……ブルーハワイ……)

 だんだん涙と怒りが込み上げてきた。

(なんてことを……!)

「なんてことをしてくれたんだ……!」

「え?」

 ぱっと横を見た。鬼がいた。違った。鬼の形相のクロロがいた。

 クロロは額の包帯をとり、びしょぬれの髪をかきあげてオールバックにした。

「オレの本に水をかけるとは……きつい仕置きが必要らしいな」

 クロロはゆらりと立ち上がってばさっと本を砂に落とした。ぱっと見にも本はスープのなかのクルトンみたいにぐしょぐしょだった。ちょっと手にとって見ると、完全に文字がにじんでいるのがわかった。全体的にべこべこにたわんでいるし、海水でページ同士がくっついていた。専門家でも完全に修復することは不可能に思われた。

「あーあ、これはだめだわ」

 ため息とともに所見を述べると、クロロの怒りのオーラが爆発的に膨れ上がった。シャルナークとフェイタンとフランクリンは青い顔をさらに青ざめさせてわたしにモールス信号ばりの目配せをしてきた。火に油を注ぐようなことを言ってんじゃねーよ、その本なんとかできないの、なんとかしろよ、クロロを抑えてよ、といったところだろうか。

「残念ながら、手の施しようがないわ」

 わたしはつらい事実を打ち明けるしかなかった。3人の顔が絶望に染まった。

 クロロは足を一歩二歩と進めた。

「もう覚悟はできたか?」

 顔は見えなかったけれど、声は穏やかで、優しげにすら聞こえた。なのに3人は震えだした。

 これが団長モードか、団長モードになるとほんとうに口調も雰囲気も変わるんだなあとわたしが胸を高鳴らせていると、スカートの端っこをちょんちょんと誰かに引っ張られた。パクノダだった。パクノダはひざを折ってわたしと目線の高さを合わせた。

「シャワールームへ行きましょう。あなたがシャワーを浴びているあいだに着替えとタオルを買ってきてあげるわ」

(よく気がつくいい女じゃないの)

 感心した。つんけんした態度は少し改めようと思った。

 わたしたちは、はた迷惑な叫び声と天地創造第一日目とでもいったような大土木工事並みの音を背中に、少し離れ気味にふたり並んで砂浜をゆっくり歩いた。

 


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