ゴーストワールド   作:まや子

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14. エミール会

 シャルナークは、19時をまわったころに玄関に現れた。一見して仕立てがよいとわかる服装で、爽やかで明るく澄んだ目をもつ彼が着ると、まるで本物の上流階級の子息のように見えた。

「わあ、とっても似合ってるよ、そのドレス。今日もかわいいね、クローディア」

 わたしの姿を見てシャルナークは気軽くほめてくれた。わたしはこういうときのほめ言葉に誠意やひねりを求めないたちなので、ありがたくその言葉を受けとった。

 実際、わたしはかわいいし、ドレスは素敵だった。ウエストできゅっとしぼってふんわりとふくらませたスカートがシルエットを人形のようにみせていたし、胸から腕につながる毛脚の短いファー素材が華奢な体をごまかしてくれた。すっきりと肩を出したディテールやグレーの色調、シックな柄が大人っぽい。これ一着で一般市民なら腰を抜かさんばかりの値段がする。購入代金はジュリアンの口座から落としたので、わたしは腰を抜かさずにすんだ。

 

 会場となるホテルのある地区まで車で30分。憂鬱な気分でシャルナークが運転する車の助手席に座ったわたしは、発進するや否や、見えないブレーキを探して足を床に突っ張らせることになった。

 停車線を無視するわ、『先行権に注意』の標識を無視するわ、果ては信号を無視するわ――交通法規に従うことで得られる安全性というものに、彼は無謀にもまったく関心を払うつもりがないようだった。そればかりか、まるで滑走路であるかのように飛ばすわ――後部座席が重かったら空を飛んでいたと思う――、ぎりぎりの危険を冒すわと、交通法規を無視するだけでなく、それに挑戦しているかのような態度で終始車を扱うのだった。

 

 わたしは真っ青だった。

 シャルナークが平気なのはわかる。彼がちょっと運転操作を誤ったり、彼に近づく危険性を理解できなかったぼーっとした運転手が車をぶつけてきたりしたとしても、シャルナークはあっさり逃げることができる。ヨークシン編の“ファンファンクロス”のシーンが証明している。むしろ逃げずともシャルナークならばトラックにぶつかろうがダンプカーにひかれようが事ともしないでいられるだろう。

 でもわたしはちがう。わたしも念能力者のはしくれなのでよほどの大事故でもない限り致命傷には至らないといえばその通りなのだけれど、一般人に毛が生えた程度の身体能力しかないので回避は不可能だし、怪我もする。

 今回はハンター証をもっているシャルナークが運転手なので警察に捕まる心配はない。適当な理由をつければ刑事責任は免責されるだろう。けれどそんなことは今たいした問題ではなかった。

 

 追い越し車線を走るシャルナークは法定速度の80キロで走っていた前の車にあっという間に追いつき、邪魔だと言わんばかりのパッシングライトを浴びせた。けれど前の車の運転手はあわてず動じず相変わらずの速度で左車線を走り続けている。それの意味するところはこうだ。最高80キロっていうんだから80キロで走るもんなんだよ! 後ろのお前もだよ! おっ死んじまえ、この馬鹿野郎! 幻影旅団の団員相手の態度としては豪胆極まりないけれど、なにもそこまで生き急がなくてもいいと思う。

 シャルナークは気にしたようすもなく、右側から追い越しをかけながら、ほがらかにわたしに話しかけてきた。

「途中で抜けるかもしれないけど、全部すっきり終わったら帰りもちゃんと送ってあげるからね」

 わたしはいろいろな意味で不安になるのだった。

 

「もうそろそろだよ」

 そう言うとともに、シャルナークは先の見えないカーブを前に命知らずにもアクセルを踏み込んで前の車を抜き、向かいからやってきたバイカーをはね殺しそうになり、通りにはみ出すように並べられていたカフェのテーブルをかすめてから、車は今夜の競売会の会場となるホテル――アミバラズテントの前にとまった。すぐさま車から降りたかったけれど、ドアマンが挨拶に近寄ってくるのを我慢して待った。キーがシャルナークの手からガレージ係の手に移ったときはほっとした。心臓に負担をかけっぱなしにするという不健康な体験をしたわたしは、自分の足で歩くという健康的な行為が再びできるようになったことを喜んだ。

 

 シャルナークの無謀運転によって時間を無駄に短縮することに成功して、時刻は20時過ぎ。あと1時間もすれば子どもはもう寝る時間だけれど、日が長く日中が暑すぎる夏のモーナンカスでは太陽の沈んだこれからが社交の時間なのだ。

 

 アミバラズテントは外国の貴族によって建てられた豪奢な別荘を改築したホテルだった。アミバラとは中東の君主を意味する語であり、砂漠のオアシスに設けられた彼の艶麗なテントがイメージモチーフとなっている。西洋貴族のアラビアンナイト的オリエンタリズムへのあこがれが形となった代物だ。シンボルである異国情緒を醸しだすミナレットがライトで照らされて美しい。

 この建物は、一度は主を失ってさびれたものの、すぐに目先の利く実業家があらわれて買い取られ、相当な金をかけて改築された。そして贅を尽くしたホテルに生まれ変わったという経緯があるらしい。シャルナーク情報だ。

 今夜はここにモーナンカス中の富豪が集まるにちがいなかった。

 

 わたしたちはポーターに招待状を見せ、アーチをくぐって中央の中庭に入っていった。一歩足を踏み入れた途端、通りの喧騒は、水のせせらぎと葉ずれの音、さざめくような談笑の声でかき消された。中央には大理石の噴水があり、そこから流れ出た水が睡蓮を浮かべ、鯉のいる池へと注ぎこんでいる。いろいろなテイストが混ざっている気はしたけれど、オリエンタルな雰囲気は伝わってきた。

 すでにレセプションは終わっていて、数十名の男女がシャンパンを片手にその広い庭やテラスに出ておしゃべりを楽しんでいる。わたしたちと同じようにかったるいパーティーは飛ばしてオークションから参加する何人かがアーチから合流してくる。それらの顔ぶれを観察しながら、わたしたちは今夜ここから無事に帰れるのだろうかと考えた。

 

 わたしとシャルナークは庭の端でエミール会の開始を待っていた。

「あそこにいるのが市長よ」

「ひげのほう?」

「そう。彼と話してるのがイエリ海運の社長」

 シャルナークの、知ってる顔を教えて、というお願いを――わたしが素直に聞き入れることを期待している声で発せられたお願いを――受けて、わたしは頭のなかの人物録を検索しながらシャルナークの前に次々と顔を並べた。シャルナークもおそらく頭のなかの名簿と示される顔を照らし合わせているのだろう。

「ブーゲンビリアの下にいる女の人――ああ、やっぱりきれいね。女優のエンリ=ルクローサよ。パートナーは夫かしらね」

「ふーん、知らないな。おばさんだね」

 おおよそ遠慮のない感想だ。

「今アーチから入ってきたのが、……あら、有名なギャングスターよ。ヴィネッタファミリーの支部長マンタル=デルベ。やっぱり現れたのね。彼ってマフィア映画に出演したこともあるのよ、知ってる? タイトルはたしか『男たちの挽歌』。あそこのファミリーは今調子いいのよね」

「知らないよ。おもしろくなさそう」

(まあそうなんだけど……)

「……あとは、そうね――まあ」

「何、どうかした?」

「ええ、あそこ」

 わたしはグラスをちょっと傾けてテラスの奥を指した。

(どうして気付かなかったんだろう)

「今夜一番の人気でしょうね。デューラーさんがいらっしゃるわ」

 ちらりと見えたのは、ヨークシン社交界の中心、ガレード=デューラー。今、世界の文壇を若手の筆頭に立って牽引している、もっとも才能ある作家だった。彼の処女作は累計350万部の大ベストセラーになった。純文学でこの数字は驚異的だ。2作目もそこそこの評価を得ている。近いうちに3作目が出版されるらしいことは、最近テレビのインタビューを見て知った。

 彼は私生活も華やかだった。才能だけではなくて、すてきな容姿をも持っているせいだと思う。有名な女優や上流階級の令嬢たちを、舞台の初日へ、派手なチャリティーパーティーへ、違法薬物の所持および使用の公判へとエスコートし、毎週毎週何らかのゴシップ欄やタブロイド紙をにぎわわせていた。

(彼が来ているということは、当然パパラッチもそのへんにいるわよね……)

 そうそうたる面々を見ていると、どうするんだろう、とわたしは次第にはらはらしてきた。ヨークシン編のアウトローな人たちとはちがって、今夜集まっているのはほとんどが本物のセレブリティーだ。彼らにわざと危害を加えるような馬鹿なまねはしないとは思うけれど、混乱の中でうっかりということはありうる。旅団の脳筋メンバーは何も考えていないかもしれない。もし彼らセレブリティーが巻き込まれるようなことがあれば、大変なニュースになって全世界を駆け巡る。エミール会にも、その出席者にも徹底した捜査の手が入りかねない。

 わたしはシャルナークを盗み見た。そうだろうなとは思っていたけれど、彼に恐れ入ったようすはみじんもない。むしろその淡く青い目は冷ややかですらあった。

 

 開場となり、わたしたちはホールへ誘導された。そこで改めて顔ぶれを見回すと、何割か毛色のちがう人間がいて一群をつくっていた。おそらく組合の美術商だろう。セレブリティーたちと顔をつなぐこの機会を無駄にしまいと鳶のように会場をぐるぐるしている者も多い。

 オークショニアの挨拶ののちに21時にはじまった競りは、ホールに熱気を生んでいた。書画や彫刻が持ちこまれては、競られ、持ち去られた。シャルナークはまだわたしの隣から動かない。彼の仕事はまだ終わっていないということだ。彼は新たな品がもちこまれるたびに、さっと“凝”をして値踏みしていた。

 わたしは番号札をもてあそびながら、今夜の幻影旅団の獲物は何だろうと考えていた。

 

 ――交換会や競売会がなぜ金融機能をもつにいたったのか。それは、当初の美術商の多くが零細業者で、したがって自己資金が少なく、銀行からの資金調達が困難だったという点に事の起こりがある。そこで同業者が集まり、出資金を出して、協同組合をつくり、協同組合の信用で銀行と取引するようになったのだ。

 ゆえに協同組合は、本質的にその組合員が平均的、同質的であることが望ましい。したがってここで扱われる美術品も比較的同じ傾向をもっている。

 そして、なぜこの地の富豪たちは審査を受け、年会費を払ってまでエミール会の会員となっているのか。これは奇妙に思える。彼らほどの財産があるなら、呼べば画商は喜んでどこへでも参ずるだろうに。    

 わたしが見るに、3カ月に一度催されるこのエミール会が社交の場になっているということがひとつの理由だ。何人かはホールにすら入らなかった。競売自体に興味がないのだろうと思う。

 でも一番の理由は、エミール会がオークションよりはずっと閉鎖されていて、ここでしか出回らないような品も多いからなのだ。

 

 高まる熱気の中で、オークショニアが声を張った。

「さあ、次はロット番号58、ミハイル・イワノヴィチ=レーピンの『反物市』。1884年の画。アーゼル王国の前国王、アルバイネン2世の蒐集品でしたが、国王が替わり、売りに出されたものであります。5千万ジェニーから!」

 

(――盗品だ)

 わたしは直感した。

 美術品の流通に関わる者としての知識はこの世界で何年も勉強していれば身についた。そのひとつがこれ。アーゼル王国はヨルビアン大陸の中央よりやや北寄りにある、内戦状態にあってかなり治安の悪い国だ。数年前にクーデターにより軍部が政権を奪取した以前も以後も変わらぬ貧しさ。そんなアーゼル王国のテロリストたちの主たる資金源は麻薬の密造および密売、そしてもうひとつ、美術品犯罪なのだ。彼らは前国王が蒐集した美術品や国宝を盗み、あるいは偽造し、たたき売ることで破壊活動の資金を調達している。内紛もあり政情不安で汚職の激しいアーゼルなら難しいことではないはずだ。おそらくモーナンカスにいたるまでにマフィアが間に入って出所をたどれないように何度も転売されている。そういうものを売るには、売り手も買い手も閉鎖的なエミール会はまさにうってつけというわけだ。

 今夜の客もそのことには気づいている。気づいていない人もいるかもしれないけれど。違法な金や物の流れに甘く、マフィアと上流社会とのつながりが深いこの国らしいと言えなくもない。

 

 とにかく、幻影旅団がどういったものを狙ってモーナンカスにあらわれ、なぜエミール会に来たがったのかはこれで説明がついた。おそらくこの答えで正解だろう。

 

 23時を回ったころ、わたしが手洗いに立ったときにシャルナークも電話をかけると言って席を立ち、バルコニーのほうへ歩いていった。

 わたしはトイレに行くふりをして別のアーチをくぐり、ラウンジへ出た。真夜中ということもあってか光度が落とされ、間接照明のやわらかいオレンジの明かりが落ち着いた雰囲気を醸しだしている。その中で何人もの男女がめいめいソファに腰掛け、ゆったりと歓談している。突き当たりにはレセプションデスクがあり、金髪をオールバックにしてホテルのイニシャルが入った黒いブレザーを着た男が控えていた。

「ねえ、あなたも大変ね。夜勤なんでしょ?」

 わたしは近づいて話しかけた。

「何かご用でしょうか、お嬢様」

「わたし、もううんざりしてるの。わかるでしょ。こんなにつまらないとは思わなかったわよ。でもパートナーがまだ帰るって言わないの。何て言えば帰る気になってくれるかしら?」

 男は暇を持て余した子どもが話し相手を欲しがっていると受け取ったようだった。

「あと1時間ほどで終わるはずですよ。……何かジュースをもって来させましょうか? こちらでお待ちになられてはどうでしょう?」

「それで、またわたしに黙って座っていろというわけね? 結構よ」

「では庭を散歩されては? 当ホテル自慢の庭です」

「それは始まるのを待ってるあいだに散々したわよ。それに生憎、散歩を楽しいと思えるほど年をとってないの」

「甘いものはいかがですか? 厨房にパティスリーが余っていないか確かめてまいりましょう」

 彼の口調に捨て鉢なところはみじんもなかった。わたしは感銘を受けた。

「いいの、いらないわ。少しの間お話し相手になってほしかっただけよ。迷惑かしら?」

「いえ、お嬢様、喜んで」

 彼の口調に歓迎しているようすはそれほどなかった。わたしは全然気にしなかった。

「ねえ、今晩は宿泊客っているの? こんなににぎやかなんじゃ眠れないんじゃない?」

「いらっしゃいますよ。……ただ、そのお客さまも、今夜はホールのほうへいらっしゃいますが」

「あら! じゃあその人、はじめから帰る気がなかったというわけね。遊び人か横着者かのどちらかよね。ねえ、じゃあ一般の客はいないのね?」

「はい。今夜はさすがにみなさまをお迎えするだけで精一杯です」

「長期滞在客はいるんでしょ?」

「ええ、数名」

 宿泊客として旅団が入り込んでいるということはないだろうか。

(なんとかして確かめたいわ)

「明日はどうなの? 美術品の搬出があるんじゃないの? 忙しくない?」

「たしかに忙しいです。でも搬出にはお客様とは別の出入り口を使いますし、業者の方がやりますから大丈夫ですよ」

 業者を装うという可能性はあるだろうか?

 わたしは適当に会話を切り上げ、ホールに戻るそぶりをみせた。同時にデスクの下でわたしの指が素早く動いて携帯電話の試験鳴動ボタンをはじいた。人をぎょっとさせる音をしばらくさせたあと、わたしは音を止めて電話に出るふりをした。

「はい? ……え、嘘、ほんとに? ……うん……かわいそう。待ってて、すぐにホテルの人にお願いするわ」

 独り言を終えたわたしは、何事かと心配げな顔をしているホテルマンに向きなおった。

「ねえ、大変なの。わたしのパートナーが――シャルナークって名前よ――、酔って東階段から滑り落ちたらしいのよ。本人はたいしたことないって言ってるわ。でも、悪いんだけど、ちょっと行って手を貸してあげてくれないかしら」

 ホテルマンは顔色を変えて、ただいま、と飛んで行った。職業意識に付け込んで無駄足を踏ませて、なんだかとっても悪い気がしたし、良心が痛んだ。プロハンターが酔って階段から転げ落ちただなんて不名誉な嘘もついてしまったけれど、不思議なことにこれにはちっとも罪悪感を覚えなかった。良心も沈黙していた。

 わたしはデスクにこっそり入りこみ、コンピューターをいじって宿泊者に関する記録を盗み見た。

(……ふーん……)

 旅団メンバーの名前はなし。偽名を使っているかもしれないと思いついたけれど、わたしには確かめようがなかった。それより監視カメラで見られているかもしれない。勝手にいじったのがばれないうちにさっさと逃げたほうがよさそうだった。

 

 ホールに戻ると、シャルナークはすでに電話を終えていたらしく、わたしにひらひら手を振った。ぎくっとしたけれど平然を装って彼の隣に腰を下ろした。

 シャルナークがわたしに声をかけた。

「遅かったね」

 これだけ。

 案に相違して、その夜、アミバラズテントで酔っ払いの小突きあい以上の騒ぎが起こることはなかった。

 


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