ゴーストワールド   作:まや子

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16. アミバラズテント(1)

 がたがた震えがおさまらないわたしをベアクローはしらけた目で見ていた。

「いったいどうしたんだ?」

 わたしはベアクローを睨んだ。わたしのまわりには子どもに対する思いやりを欠いている大人が多すぎる。けれどわたしにぬいぐるみを取ってくれたベアクローは、これでまだましなほうなのだ。みんなイーランを見習うべきだと思った。

 わたしは海を見た。右手のほうに広がる海。日没にあわせてエメラルドから紺青へと刻々と色を変えていて、息をのむほどきれい。カーステレオからはノリのいい曲が流れている。でも到底ドライブを楽しめる気分じゃなかった。

 ベアクローは曲に合わせて口笛を吹きだした。

(くっそ、こいつ、クロロにあっさり殺されたくせに)

 何余裕ぶっこいてるんだ、とかっかしていたけれど、だんだん落ち着いてくればそれが合理的な態度のように思えた。

(ベアクローは2000年まで幻影旅団には遭わず生きていた。ならベアクローと一緒にいるあいだはかなりの確率で大丈夫……?)

 こうなったら現金なもので、ベアクローがわたしの命の保証のように思えてくるのだった。

 

 わたしはベアクローの袖をつんつんと引っぱった。

「うちには泊まらないって言ってたけど、どこかに当てがあったのよね?」

「いいや?」

 やっぱこいつ使えないじゃないの、とわたしが一足とびに結論を出そうとしていたとき、ベアクローは軽く言った。

「家にいられないならホテル使ったら? 偽名で部屋取ればいいじゃん」

「冗談でしょ。ホテルなんて真っ先に調べられるし、女の子と中年男のふたり組みなんてすぐ――」

 天啓が下ったようにある考えがひらめいたのはこのときだった。

「この車、レンタカーよね?」

「そう。目立つかもな。どうする?」

「乗り捨てるに決まってるじゃないの」

 ベアクローは後部座席とキャリアーに積まれた大量の荷物をちらと見遣った。

「あれどうすんの?」

「心配ご無用だわ」

 わたしは先のレストランに車を入れるように指示した。

 

 時刻はちょうど夕食時で、そろそろレストランは混みあうかというころだった。徐行で進む車のなかから、立ち働いている赤いブレザーのガレージ係のうちからひとりを呼びとめた。

「ねえ、あなた」

「はい」

「車を預かっててほしいの」

「かしこまりました。では――」

「レストランで食事をしているあいだだけじゃなくって」

「――おそれいりますが……」

「またあなたがここで働いてるときに取りに来るわ。ね? 置いとくだけだし、面倒をみる車が一台多くなるくらい構わないでしょう?」

 わたしはにっこりした。

「チップもはずむわ」

 

 わたしたちはレストランの前に横付けされていたタクシーに乗り込んだ。

「アミバラズテントに行ってちょうだい」

 ベアクローは横でわたしをうさんくさそうに見ていた。

「クローディア、あんた、なかに小さい大人が入ってんじゃないかと疑っちゃうんだけど」

「よく言われるわ」

 わたしは涼しい顔だった。

「なかなかとっさには思い浮かばないぜ、ああいうのは。」

「わたし、レストランには詳しいのよ。シャルにグルメガイドとして当てにされるくらいにはね」

「シャル?」

 誰だよ、と興味もなさそうに呟いたベアクローは、わたしのひざに載っている大ぶりのバッグに目を止めた。

「ほかの荷物はよかったのか?」

「うん。べつに必要ってわけじゃなかったの。ただ、もうお金じゃ買えないものなのよ。だからわがまま言って持って来ちゃったの、ごめんなさい。でもあれでよかったのかどうかはわからないわ。わたしがあのガレージ係ならそのまま車を運転して持ち去るわね。換金すればチップどころの金額じゃなくなるんだから」

 彼は興味を引かれたようだった。

「あのお屋敷の宝か?」

「まあ、そうね」

 わたしはお尻を前にずらして背もたれにどさっと寄り掛かった。

「あんなのほんの一部よ。家具や食器はほとんど置いてきちゃったわ。ベッドカバーや壁紙やじゅうたんを引っぺがして持ってくる暇もなかったしねえ」

 

 タクシーがアミバラズテントの正面玄関ポーチに着くと、わたしはタクシーの支払いをしてバッグをベアクローのひざにぽんと載せた。

「どうしろって?」

「お嬢様とボディーガード。これでいきましょう」

「まんまじゃん」

「しょうがないでしょ。父娘というにはあなたの服装が、ちょっとね」

「はいはい、仰せの通りに、お嬢様」

 

 わたしはこつこつと大理石の床を踏む音も高らかに、レセプションデスクには見向きもせずに通り過ぎて、アーチをくぐって宿泊用の部屋がある建物に入った。デスクにいた男はちょっと顔を上げたけれど、わたしたちが通り過ぎるのを気にしたふうもなかった。

「どの部屋にする?」

「空室は避けたほうがいいわ」

「どうやったら区別がつくんだ?」

 皮肉っぽいその言葉を無視してエレベーターに入り、最上階のボタンを押した。

 ベアクローは何かを言いたそうにしていたけれど、わたしに迷いがないのを見てとったのかため息をついてエレベーターに乗り込んできた。

 最上階はじゅうたんからして違った。少し彩度を落とされた、毛脚の長いターコイズブルーのじゅうたん。車椅子に乗っている祖母のアデールがどこかのホテルのスイートルームに泊まったらじゅうたんに車輪が埋もれて立ち往生した、という馬鹿馬鹿しい話を思い出した。それくらいふかふかだった。ここでフットボールの試合をしたって下の階のひとは気づかないと思う。

(5005……5004……5003。あった)

 わたしは部屋を指してささやいた。

「ここにしましょう」

「いいけど、なんで?」

「このあいだ、エミール会の日に、レセプションデスクのコンピューターを見たの。ここのスイートルーム、長期滞在者がいるのよ。ほとんど外出してないみたい。しかも支払いはすべてコメックスのゴールドカード。うってつけでしょ」

 いつどの情報や経験が役に立つかわからないものだ。

 わたしは得意になっていたけれど、ベアクローはつめたいものだった。あんた、ホテルに行くたびにそんなことやってんの?と言わんばかりの表情。

「いいご趣味で」

「どういたしまして。下がってて」

 ベアクローはドアの蝶番側の壁にぴたりと体を寄せた。

 軽く咳払いして、わたしはドアフォンを押した。

「あのう、すみません……どなたかいらっしゃいませんか……?」

 渾身の子どもらしい甘ったるい声。

「…………な、何?」

 しばらくして応答があった。

 20代後半の男性の声。ここで間違いない。

「ここ、オートロックでしょ? お部屋の鍵を閉じ込めちゃったんです」

「そ、そうなんだ……どうしたらいいんだろう……」

(しっかりしなさいよ、大人なんだったら)

 ついそう思ってしまうくらい頼りなさそうな調子だった。

「部屋のお電話を貸してください。スペアを持ってきてもらいますので」

「あ、そっか。いいよ、待ってて」

 何か家具を蹴り飛ばしたようなガンッという音と悪態が聞こえてきて、そのわりにドアはそっと開いた。

 その瞬間、

「邪魔するぜ」

「うわあ――」

 ベアクローが部屋に押し入ってうしろから男の口をふさぎ、彼の体を拘束した。鮮やかなお手並み。そのすきにわたしも身を滑り込ませてドアを閉め、施錠されたこと確認してチェーンをおろした。

 振り返って、混乱と恐怖が前面に押し出された男の目をみつめる。念能力者じゃない。一般人だ。

「大きな声を出さないで。ごめんなさい、あなたを傷つけるつもりはないの、言うとおりにしてくれたらね。ちょっとここにいさせてほしいのよ」

 わたしは男の目に理解が浮かぶのを待った。首をかしげると彼は何度かうなずき、ようやくベアクローは男を放した。

「――な、なんなんだよ、あんたら!」

「ごめんなさいったら。ね?」

「ね?じゃないよ。て、て、ていうか、あんた、こんな小さい子に何やらせてんだよ!」

 ベアクローは、惜しいね、とにやついた。

「このお嬢ちゃんが主犯だ」

「あら、ご冗談を。わたしが何をしたっていうの?」

「じゅ、じゅ、充分やっただろ、脅迫とか」

「ベアクロー、怖がらせようが足りなかったんじゃない?」

 男はベアクローが、そう?とナイフを取り出したのを見て急に黙った。

 

 部屋はカキン料理の匂いがした。居間のテーブルには炒飯やナッツと鶏肉らしきものを炒めたものやトマトとエビを煮込んだものが半分ほど手をつけられて置かれていた。

「夕食中だったのね。続けててもいいわよ」

「……それどころじゃないだろ」

 わたしはぐるりと部屋を見回した。

「あなたひとり?」

「悪いかよ」

「いいえ。でも、それならなぜ寝室がふたつも必要だったの?」

 男を見る。この国ではちょっと珍しい黒い癖毛、鳶色の虹彩、一重の目。

「ねえ、ユタカ=キヌカワさん?」

 

 突然男はわたしに飛びかかってきた。一瞬何が何だかわからなかった。でも何が何だかわからないなりにわたしの体は動いていた。わたしにつかみかかってきていた男の右腕をつかみながら引っぱって男の体勢を崩した。そのころにはわたしの右足は男の後頭部めがけて全速力で進んでいた。

 このときまでわたしは自分が何をしているかよくわかっていなかった。途中で、あれ、これまずくない?と気づけたのは幸運だった。オーラをまとって攻撃力を高めた足で頭を蹴飛ばせば、頭はスイカみたいに弾けるだろうことはなんとなく想像がついた。そこまでいかなくても延髄を損傷させて障害を残すくらいはしてしまうだろう。だいたいわたしは素人で力加減がわからないのだ。

 そこでわたしは右足に泣きつき、拝み倒して、なんとか軌道を上方に修正してもらった。右足は髪の毛をかすめて空を蹴った。

 わたしにとられた右腕を残して、男の残りの四肢は床についた。その無防備な横っ腹にベアクローが足をめり込ませた。

 

「う、げえぇ、けほっ」

 もだえ、げえげえ嘔吐している男の頭をベアクローのブーツが床に押し付けている。男の髪や顔が吐き戻したもので汚れて、すっぱい匂いも漂いだした。わたしはそれを見てほっとした。

(あーよかった。生きてる。吐血も喀血もしてないみたい)

「ありがとう、ベアクロー」

 今度からベアクローの前に『頼れる男』とつけて呼んでもいいような気分だった。

 ベアクローはわたしの感謝の言葉を正確に受け取った。

「いや、いいさ。殺したくなかったんだろ?」

「うん」

 ほっとした。勝手に巻きこんだ関係ない人を殺さずにすんで。とはいってもわたし自身がそのことを気にしているわけじゃあんまりない。怖いと言いたいところだけれど、実際はそうじゃない。とってもスリリングだった。興味深いとも思う。そう、気にするのはわたしじゃなくて、わたしの良心なのだ。わたしが薄情で残酷なところがある人間なのは仕方がない。だからわたしは、わたしの良心を『クローディア』にアウトソーシングしているのだ。わたしがいなかったら、自分の人生を自分のものとして生きられたかもしれない、可愛いクローディアに。

 

 わたしは男に近寄って彼の体を足でつんつんした。

「ねえ、なんでいきなりわたしを襲ったの?」

「――何が目的なんだよ」

 わたしは目をぱちくりさせた。それから男が襲ってくる直前の会話を思い出す。

(……寝室!)

 わたしはぱっと走り出した。男は大声を出したけれど、ベアクローが何かしたのか途中からもごもごになった。

 手近なドアを開けるとバスルーム。その隣は普通の寝室。衣服や小物が散乱していて、使っている人のずぼらさは疑いようがない。居間を横切って反対側のドアを開けると、そこもやっぱり寝室だった――少なくとも過去形ではそう言えるし、今だってまったくそういう用途で使えないわけじゃない。その部屋には寝室にはそぐわない紙や書籍が雑然と積まれていた。でも最初に目についたのはかなりの数と大きさの、コンピューターとかそういう機器類だった。

 

「え、なにこれ?」

「勝手に触るなよ!」

 噛みつくような男の声。

「ねえ、これどういうこと、キヌカワさん?」

 わたしは振り向いて床に寝ている男に尋ねた。答えようか答えまいか迷っているような沈黙。あんまり賢くない沈黙。案の定ベアクローに、早く答えろよ、と顔を反吐のなかで転がされる。

「アマチュアのハッカーハンターなんだよ!」

 自棄気味に吐き捨てた。

「アマチュアなのは見たらわかるけど……」

「馬鹿にしてんのかよ!」

 つい余計なことを言ったわたしに噛みついた男は、またベアクローに、叫ぶなよ、と顔を反吐に押し付けられた。

 

 わたしはなんだか男に興味が湧いていた。1メートルくらいの距離まで近づいて言った。

「ベアクロー、放してあげて」

「また暴れるかもしれないよ?」

「うん。でも、この人、寝っ転がってわたしのスカートのなかをのぞくの」

 ベアクローは軽蔑しきった目で男の顔を反吐に押し付け、ブーツでぐりぐり念入りに踏みにじった。

 起きた男の頭は汚物のかたまりみたいだった。

「ユタカ=キヌカワは本名?」

「……そうだよ」

「ユタカって呼んでもいい?」

「……好きにすれば」

 敵意むき出しでとげとげしい調子。

「ジャポン人よね?」

 男は苦々しそうな顔になった。

「……ああ」

 

 わたしはユタカをお風呂に入らせてあげることにした。反吐まみれの彼は同じ部屋に一緒にいるにはすごく不愉快な人物だったから。

 ベアクローがバスルームの電話の子機を壊してユタカをお風呂に蹴り入れた。それからわたしとベアクローはユタカが変なことをしないように、洗面台に寄り掛かってスモークガラスの向こうの動きを見張っていた。そこの仕切りも開けて監視しようと言ったのに、ユタカもベアクローも反対したのだ。わたしは痴女だと思われたくないからそれ以上強く言わなかった。

 ベアクローは腕組みしてわたしを見下ろした。

「あんた、さっきイーランとかいう男みたいだったぜ。なんであいつがジャポン人だとわかったんだ?」

「外見も名前もジャポン人だったから。それにジャポン語の本があったの。漢字、片仮名、平仮名に、アルファベットやハンター文字も交じることがあるあの言語で専門書を読める外国人は、あんまり多くないわ」

「じゃあ名前まで知ってたのはなんで? あれでぶちギレたんだと思うけど」

「あら、ベアクローには言ったでしょ。レセプションデスクのコンピューターを見たって」

 ベアクローは頭をそらして呆れ交じりのため息をついた。

 

 わたしたちはすごく親密な友だちみたいに身を寄せ合って小さな声で話していたから、ユタカのほうに声が届くころにはシャワーの音が会話をかき消していた。

 ベアクローはわたしを小突いた。

「で、いいかげん、説明してくれるんだよな?」

「ん?」

「オレを呼んだ理由だよ。やばいことに関わってるみたいじゃん。なんであんなにあわてて震えながら家を出なくちゃいけなかったんだ?」

 わたしは何を訊かれたのかとっさにわからなかった。

「あれ、わたし何も言ってなかった?」

「言ってない」

 思っていたよりもわたしの混乱と取り乱しようはひどかったようだ。

 わたしはベアクローをまじまじと見た。

「あなた、事情もわからずよくわたしについてこれたわねえ」

「ボディーガードだからな」

 ベアクローはウィンクした。ウィンクらしいウィンク。わたしは思わず笑顔になった。

 

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