ゴーストワールド   作:まや子

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17. アミバラズテント(2)

 ベアクローはお風呂から出てきたばかりのユタカの両手両足をわたしのシルクのスカーフで縛り、床に転がした。シルクは湿気があると織りかたのせいでじきに縮む。まだ水気が完全に飛ばないユタカを拘束するのにこれほどうってつけの素材もない。

 続いて入念な所持品検査が行われた。ベアクローは、財布、携帯電話、車のキーをテーブルに投げていった。それからふたつの寝室に姿を消すと、拳銃を2丁と弾倉と手榴弾、あと何か黒いものを手に帰ってきて、それもテーブルの上に置いた。

「何なの、これ?」

 わたしが尋ねると、ベアクローは頭をひねった。

「爆弾じゃないの?」

 わたしはさっと身を引いた。

 ベアクローは没収した銃をひとつずつ手にとり、弾倉を外し、薬室から弾を抜いていった。弾をポケットから取り出した袋に入れ、拳銃はテーブルに置いた。今度は携帯電話を手にとって、バッテリーを抜いてそれも袋に入れると、またテーブルに戻した。わたしはそのあいだにカキン料理の皿をワゴンに入れて廊下に出しておいた。

 ベアクローはユタカをあごでしゃくって指した。

「目と口と耳を塞いどく? オレの荷物のなかにダクトテープ入ってるけど」

 なんでそんなものを持ち歩いているのだろう? わたしは首を横に振った。

「いいわ。それより協力してもらいましょう。ハッカーハンターらしいし」

「えー。すぐ侵入されて捕まっちゃうようなやつだぜ? 使えるか?」

 ユタカはベアクローをすごく睨んだ。

 ベアクローの疑問ももっともだと思う。こいつ大丈夫か?とはわたしも思っている。それにちゃんと協力してもらおうというのなら脅すべきじゃなかった。本気でやってくれるはずがない。

「えーと、でも、そんなこと言ってる場合じゃなくなりそうなの」

 うろうろしていてもしょうがないから窓寄りにあるソファに座って、ベアクローにも手振りで着席を促した。ベアクローは床に寝ているユタカを蹴って転がしてソファの近くに持って行き、向かいのソファにどさりと座った。

 わたしはどう言って彼らを利用しようかちょっと悩んだ。ユタカはまあ見た感じ流されやすそうだから、案外利用しやすいのかもしれないと思う。問題はベアクローだ。

 考え考え口を開いた。

「たぶん今夜、すごく大騒ぎになる――人がいっぱい死んじゃうようなね」

 

「ヴィネッタファミリーは知ってるわね?」

 とわたしは切り出した。ユタカに目を向けると、ユタカはおずおずとうなずいた。

「……ちょっとは。最近勢いのあるマフィアだろ?」

「ええそうよ。カキン系マフィアが勢力を伸ばす昨今にあって、例外的にヴィネッタファミリーは伸びてるわね。なぜなら、その彼らがこの国での美術品の流通を抑えてきてるからなの」

 こうやって話し合いに参加させて協力に誘導する。基本技術だ。

「芸術作品の盗み、偽造、詐欺は昔から組織犯罪の主たるビジネスのひとつなの。平均すると、どこの国でも毎日10分おきに美術品が闇に消えている計算になるらしいわ。ヨルビアン大陸を横切る盗難ルートにそって運ばれる本物のアンティークやとくに名画は、1点につき10点以上の贋作が存在すると言われてるの」

 このあたりの事情は前世の世界とそう変わりない。

 ここでまたユタカに目を向ける。

「ひどいね」

 ユタカの合いの手にうなずいた。

「そうなのよ。で、それら盗難美術品の集積地のひとつがここモーナンカスなの」

 わたしはちょこんと首を傾げた。

「エミール会っていう独特の競売会があるのは知ってるかしら?」

 ベアクローは首を横に振り、ユタカは、あるってことだけ知ってる、と言った。まあ一般的な認知度なんてこんなものだ。

「要するにエミールアートコーポレイティヴっていう協同組合が主催する、組合員の画商や富豪たちだけが参加できるオークションみたいなものなんだけど、ここで競られる美術品の多くがこうした犯罪にあった美術品なの。もちろんこのエミール会の裏にはヴィネッタファミリーがいるわ」

「な、なんでそんなこと知ってるんだよ?」

 わたしは肩をすくめた。

「もともとそういう噂はあったの。それに、ここはマフィアとのつながりの深いモーナンカスよ? クリーンだと考えるほうが馬鹿よ」

「それで?」

 ユタカは興味ありげに話を促した。自分から参加するとはいい兆候だ。

「こうした盗難美術品を狙っているらしい窃盗グループがモーナンカスに入って来てるの――幻影旅団とかいうね」

「聞いたことある」

「そうかもね。手口が乱暴というか大胆というか、とにかく彼らの犯行はよくメディアに取り上げられるもの。

 でも彼らがどこの誰で、どういった基盤を持つ集団なのかは知られてないの。どこかのテログループが資金調達のために組織した一部門だとかどこかのマフィアの美術品窃盗担当のグループだとか言われてるわ。わたしは後者の可能性が高いと思う。それもヴィネッタファミリーと盗難美術品市場で競合するマフィアの傘下か協力組織なんじゃないかしら。だとするなら、死者なしにはすまない派手な手口で知られる彼らはきっと、美術品を奪うついでにライバルの妨害を兼ねてひどく荒らしていくわよ。これで盗難美術品の集積地としてのモーナンカスは終わりになるでしょうね」

 何の根拠もないし、わたしの知見とも異にしている話だったけれど、とにかく自信ありげに言った。どうせ彼らにはわたしの話を否定できる材料なんてない。ここでどんな嘘をつこうと、それは違うだろうとは言えないのだ。初めから彼らには、わたしの話を信じるか信じないかしか選択肢はないのだ。

 ここで初めてベアクローが口を開いた。

「なんでそれがこれから起こると思うんだ?」

「彼ら、朝からカフェに行ったことなんてないわ。9時とか10時とかになってようやく借家から出てくるの。しかもみんなそろってだなんて……。仲良しグループじゃあるまいし、そんなところほとんど見たことない。時期はエミール会が終わったばかり。そういう彼らが今、朝から活動する理由なんて、いよいよ犯行をはじめる以外にある?」

「本人たちを特定できていたのか?」

 わたしはイーランにしたパドキア氷河鉄道での話とまったく同じ説明をした。

 ベアクローは小さくうなったあと、顔のしわがやわらぎ、くちびるの端をつり上げた。

「あんたはそれで、どうするつもりなんだ?」

 わたしは当惑したふりをした。

「……逃げてきたんだとは思わないの? どうしてわたしが何かするって思うの? そんなこと言った?」

「わかるさ。あんたは普通のガキじゃないもん。それにそんな話をするってことは、そうなんだろ?」

 わたしの無邪気さっていうのはなかなか信じてもらえない。不思議なことに。

「……うん。あのね、混乱に乗じようと思うの」

 わたしはため息とともに認めた。

「ヴィネッタファミリーの美術品犯罪を担当してるのがここの支部長マンタル=デルベ。つい10日前のエミール会にもVIP面して現れたわ。このことからもエミール会の背後にヴィネッタファミリーがいるとわかるわね。ねえユタカ、わかってるわよね? その会場がこの高級リゾートホテルだったのよ」

 ユタカはあいまいに微笑んだ。こういう反応の仕方が日本人だなぁってちょっと嬉しくなる。実際にはちょっと違うんだけれど。

「マンタル=デルベはマフィアとしての美術品犯罪だけでなくて、個人的なお小遣い稼ぎもしていたの。ちゃちな詐欺――デルベはエミール会で贋作を売っていたのよ。

 手口はこんな感じ――まず自分のところに流れてきた美術品の贋作をつくる。それから名の通った鑑定家に依頼して鑑定書を書いてもらう。それぞれの業者にさげてエミール会で競りにかける。落とされたら贋作のほうをぼんくらなお金持ちに引き渡す。手元に残った真作のほうは別のところで売ったり、自分のものにしたり、上役への貢物にする。

 さぞかし簡単だったでしょうよ。名士と言われるような人たちはたとえ騙されてたことに気づいても何も言わないでしょうから。仲間内で見る目がないと笑われるくらいならわたしだって沈黙を選ぶわ。でも人を馬鹿にしてるわよ。……まあそんなことはいいの。盗品だとわかって買うなら自業自得だもの。それはそれとして、これはこれよ。わたし、幻影旅団がせっかくここの盗難美術品市場を壊してくれるんだから、デルベの悪事ももう終わりにしてさしあげようと思うの」

「……いいんじゃないかな」

 ユタカはうなずきながら言った。

「おもしろそう」

 とりあえずわたしは罪悪感を刺激しない、冒険仕立てのストーリーをつくりあげることに成功したらしい。大義名分があれば、人はいくらでも自分に言い訳できる。

「わたし、誰が何をしてたってかまやしないわ。でも美術品を愛する者として美術品犯罪は許せない。美術品を盗むってことはそれだけの意味じゃないの。その作品の歴史やアイデンティティを盗むってことよ」

 ベアクローは簡単には縦にも横にも首を振らない。

「あんたの思いはわかった。でも具体的にどうするつもりなんだ?」

「それは……これから考えようかなって……。急だったし……」

「ふーん」

「まあ何か考えるわ。もうちょっと時間もありそうだし」

 

 わたしは立ちあがって窓に近寄り、カーテンをそっと手で分けて外を見た。日が出ているうちなら海が見えて眺望絶佳というところだろうけれど、今は夜のかけらが空から落ちてきていた。音が聞こえるように窓を少し開ける。

「当然だけど、海側なのよね。街は見えないわね」

 ため息をつくと、おずおずとユタカが口を挟んできた。

「警察の交通監視カメラの映像なら見れるけど……」

「……ほんとに?」

「それくらいできなくてハッカーハンターは名乗れないよ」

「プロは名乗れなくても?」

「うるさいな! ハッカーハンターはアマチュアが多いんだよ! サバイバルだの殴りあいだのはマッチョどもがやってればいいんだ!」

「ごもっとも」

 取り立てて言うべき能力もないわたしがからかうとわが身に返ってくる。

「やってくれる?」

「いいけど、手はほどいてくれよ。くそ、血が止まってしびれてる」

「うん。そうしなきゃ反吐の片付けもできないしね」

 ユタカは小さく笑ったあと、大きなため息をついた。

 

 居間のソファに座っていると隣の寝室でかたかたとキーボードをたたいているユタカの姿が開けたドアから見えた。そのうしろ、ベアクローはドアの框に背を持たせかけてユタカの作業のようすを眺めていた。正確に言うなら、ユタカの挙動を監視していた。

 ベアクローはユタカにコンピュータを触らせることに難色を示した。電脳ネットに入らせるべきじゃない、何をやられてもオレにはわからない、そう言って。それでもいいわよ、とわたしは言った。だって彼に何ができるというのだろう、死なばもろともの覚悟なしに? それでもベアクローは彼を見張るという労をとってくれているのだ。どんなに隠そうとしても態度に出るちょっとした違和感をオレなら見逃さないからと。

 わたしはまた良心のクローディアがわたしの胸元を引っつかむのを感じていた。

(だってしょうがないじゃない。わたしのことをこんなに心に懸けてくれるとは思わなかったもの。誰が原作のあんな描写でわかるっていうのよ。ベアクロー、名前さえなかったこの男に、優しさなんて平凡なものがあるなんて)

 違うことを考えようと思っても、どうしても思考はそこへ戻ってきてしまうのだった。

 

 誰も何も言わないから、部屋はキーボードがたたかれる音と空調の音だけがして、静かだった。

 手持無沙汰で3人分のコーヒーをつくっているとき、ベアクローがユタカに何事かをささやいているのが見えた。ユタカは2、3言返し、キーボードを操作しディスプレイを指した。わたしがコーヒーを持って行くころにはふたりはまた黙っていた。

 

 変化は突然だった。

 ディスプレイを見ていたユタカがあっと声を上げた。それに反応してわたしがソファから立ち上がったとき、ホテルの外からかすかに何かが弾けるような音が聞こえた。窓が開いているとはいえ防音性のいいスイートルームで聞こえたのだから、実際は結構な大きさだったのではないだろうか。

「何なの? どうしたの?」

 ユタカの背に飛びつくようにしてディスプレイを見ると、分割された画面のいくつかが暗くなっていた。

「エ、エウリア付近の監視システムがダウンしてる……。こ、壊されたのか、あっちのテク担当がやったのか……あー、どっちみちシステムがあることを知ってたんだな」

「エウリアってどこ?」

「ルリチビーチ近くの高級別荘街だよ」

「どこ!?」

 ユタカは横のディスプレイに地図を出して示した。それを見れば、このホテルから車で10分くらいのところだとわかった。

「――ということでごめん。た、たいして力になれそうにないね」

 ベアクローはわたしに向かって意味深長に眉を上げてみせた。たぶん、あんまり信用できないって言いたいんだと思う。たしかにわたしたちは、ユタカがそれをやったんだとしてもそうとはわからない。腹いせのために妨害したのかもしれない。

「いいのよ。変な音もしたし、少なくとも何かが起きたんだってわかったわ」

 そうしているうちにディスプレイはすべて真っ暗になった。

「あ、あー、ダメだね。市内全域、全部落ちてる」

「直せないのか?」

 ベアクローの問いにユタカは首を振った。

「わ、悪いけど、オレには無理。オレがしてたのって、つまり、勝手に映像を見てただけなんだよ」

 これを聞いてちょっとがっかりしたけれど、仕方ない。踏み込んだ先にスーパーハッカーがいたなんてことは、かなり望みすぎだろう。そんなにすごそうじゃないハッカーにどこまで協力する気か知れない態度。これくらいが現実というものだろう。

「テレビ! MBCつけて!」

 やっぱりこういうときはテレビで情報収集をするに限る。

 でもディスプレイのひとつに映したテレビにもとくに動きはなかった。

「まだ緊急ニュースとはいかないみたいだね。一報を受けて、取材班を組んで、駆けつけて、機材の準備をして、取材して、番組としての体裁を整えてってしてたら、ふん、こんな短い時間じゃ無理だよ」

(こいつ、今、鼻で……! 言ってることが正しいのも腹立つ……!)

 ユタカの肩にのせたわたしの手にギリギリ力がこもった。

「いたっ、ちょ、痛い!」

 じゃれるわたしたちを制してベアクローが言った。

「また音が聞こえたな」

 しばらく耳をすまして、それからベアクローはベレー帽をかぶりなおした。

「ちょっと行ってくるわ」

 トイレに行ってくる、みたいな調子でベアクローは言った。

「え、待って、どこへ?」

「しばらくしたら帰るから、そいつちゃんと見張ってろよ」

 ベアクローは答えず、わたしの頭をぽんぽんと撫でた。そして身を返してさっさと居間を横切っていった。わたしは急いで追いすがって、なんとかベアクローが部屋を出る前に彼の腕をとることができた。

 わたしはベアクローのワスレナグサ色の目を一生懸命のぞきこんだ。何をしようとしているのか、真意を確かめるために。そして確信を得た。

「待ってよ! ベアクロー! わたし……!」

「勘違いしてない? 遊びに行くだけだぜ。せっかく楽しそうなことになってるのに、はぶられるなんてさみしいじゃん。それに飛行船移動が長くてさ、ちょっと体も動かしたかったし、趣味みたいなもんだし」

 ベアクローの目つきや楽しげに歪んだ口元からは香気のように危険な鋭さが立ち上っている。

「でも――」

「オレは好きなことをするだけだ」

 殺人中毒者がこんなときにのんびりしていられるわけないとはわかっていた。

「ベアクロー」

 ベアクローは頭をかいて天井を仰いだ。それから飄々とした笑みを浮かべると、ポケットに手を入れて、出したものを見せた。ビニールのセロファンに包まれた小さな丸い玉。

(……アメ?)

「ほら、この前の報酬もまだ残ってるから、ついでにお前の望みもかなえてきてやるよ」

 そして背を向けて歩き出す。

「ベアクロー!」

 わたしのしつこく呼び止める声に、ベアクローは煩わしそうに振りむいた。

「……何?」

「前に見せてくれた、あの特別製の銃を使うといいわ。後のことはわたしに任せて」

 止めはしない。わたしはわたしにできることをやって、望みをかなえるだけだ。

 ベアクローは片手を挙げて応えた。わたしはそのままベアクローを見送った。


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