ゴーストワールド   作:まや子

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18. カラミティナイト(1)

「あんたとあの男、どういう関係か、聞いてもいい?」

 寝室に戻ったわたしをユタカは好奇の目で見た。

「……わかんない」

 そんなのわたしにだってわからない。なんでベアクローがわたしに構ってくれるのか、なんでわたしに与するのか、見当もつかない。ベアクローはいったいどういうつもりなのだろう?

「大切にされてるみたいだね」

「わかんない」

 まだ殺されていないということをもって大切にされているというのなら大切にされているのだろう。わたしには測りようがない。

 わたしの顔を見てユタカはちらっと笑んだ。

「気づいてた? あいつ、あんたの名前一度も呼んでない。オレに名前を知られるのを心配したんだろうな」

 わたしは目を丸くした。

「なのにあんたはガンガン呼ぶんだもんな」

 ユタカはくっくっと意地悪そうに笑った。せっかく楽しそうなところがっかりさせるのは忍びないけれど、わたしは残念な事実を教えてあげた。

「わたしはいいのよ。ベアクローって名前はどうせ本名じゃない、ニックネームだもの」

「……あーそう」

 ユタカは頭をがしがしかいた。

「オレが聞きたかったのはさ、あんたらが何者なのかってことなんだ」

「あら、教えてあげると思ったの?」

「まあ、だよね」

「殺し屋とお嬢様よ」

「教えるのかよ!」

「おーツッコミ。すばらしい」

 こういうノリって懐かしい。

 ユタカはがっくりと肩を落とした。

「あんたなぁ……」

「わたしはクローディア。クローディア=グレイ。可愛くておしゃまな11歳。ベアクローは殺し屋で、それ以外のことは知らない。ヨークシンで出会ってからまだ何回も会ってないの。ほんとうよ」

 わたしはベアクローの気遣いをさっぱり無視して名前を教えた。ヨルビアンの上流社会じゃよく知られた顔と名前だから、ユタカなら苦もなくわたしを特定してしまえるだろう。隠すだけ無駄なのだ。

「まあたしかにあんたはませてるね。ふーん、あいつ、殺し屋ねえ……ん? じゃああいつがあんたの望みをかなえるとか言って出て行ったのって……」

 わたしは眉を曇らせた。

「うん、デルベを殺しに行ったんだと思う……」

 とわたしが言うや否や、ユタカは顔色を変えて立ち上がった。

「オレ、あいつにデルベの自宅の場所教えちまったぞ!」

「え?」

「あんたがコーヒーいれてるとき! あのときあいつに訊かれて教えたんだ!」

 わたしが言った、え?は、それの何が問題なの?のえ?だ。ユタカが何を言ったのか確認したかったわけじゃない。

 ユタカは部屋をうろうろ歩きまわりはじめた。

「ああもう、今さら遅いよな……てかなんであんたももっとちゃんとあいつを引きとめないんだよ!」

「ねえ、ちょっと、いい? ――ベアクローがデルベを殺すの、いやなの?」

「いやっていうか……あんたは気にしないのか? あんたのために人を殺すのに?」

「そうね、死んだほうが社会のためだって人間がいて、そのひとりがデルベだっていうのには肯定するけど、だからって殺したいとは思わないし、死んでほしいとも思わない」

 死んでも気にしないだけだ。

「ろ、論点をずらすなよ。デルベが死ぬことの正否じゃなくて、自分のために人に殺させることの正否が問題なんだろ」

「あの人は普段、人を殺すのに理由なんか考えない人よ。少なくとも今回は、ベアクローには理由と大義があるわ。それを提供したことにばつの悪い思いがないとは言わないけど……」

 わたしはユタカを探り見た。

「そうじゃなくて、あなたが気にするとは思わなかったの。あなた、情報屋でしょ? こんなスイートルームで生活できるってことはそれなりの情報屋のはずよ。だとしたら売ったことあるでしょ、これから殺されるだろう人の情報を、これから殺すだろう人に」

 みごとにユタカの痛いところを衝いたらしかった。一瞬、ユタカが激怒したように見えた。それからぶすっとした顔に変わり、怒りが再燃し、果ては困惑げな、苦しそうな表情になった。

「違うんだ……いや違わないけど、そうじゃなくて……」

 ユタカはもごもごと言った。

「仕事とプライベートは違うだろ」

 ユタカにもいろいろと葛藤があるらしかった。けれどそれは出会ったばかりのわたしには知りようもないことだ。

「一般人とマフィアも違うわよ」

「……いいから連絡してみろよ」

「ベアクローは、仕事中はつながらないわ」

 それに電話して何を話せというのだろう? お願いだからデルベを殺さないでくださいとでも? そんなことを言えばベアクローはもうわたしに二度と会ってくれないだろう。しかしそう言ってもユタカが納得するだろうか?

「いいわ。わかった、こうしましょう。――わたしもデルベのところへ行くわ。ベアクローひとりで行かせるべきじゃなかった。わたしの問題だもの。運が良ければ間に合うし、間に合わなかったとしても責めはベアクローひとりには負わせないわ」

 部屋を出て行きかけたわたしの腕をユタカはつかんだ。

「ちょっ、待てよ! 何の解決になってるんだよ、それ! だいたいあんたはここに居ろって言われてただろ! そもそも子どもにそんな危ないところに行かせられるわけないだろ! あとオレはどうすんだよ!」

(何言ってるの、こいつ?)

 侵入者が出て行くと言っているのを喜ばないどころか、引きとめるとは。わたしにはもはや理解不能だった。

(罠でもしかけてるの?)

 それならばいっそう早く出て行くべきだ。

「……あなたには、ちょっとここにいさせてほしいだけだってはじめに言ったと思うけど」

「巻き込んどいてそれはないだろ!」

「迷惑だったでしょ?」

「そうだけど! ああもうなんでわかんないかな」

「わかんない。何なの?」

「だから! ……じょ、情が移った? んだよ」

「情が移ったってそんな、犬猫を拾ったみたいに。しかも疑問形だし」

「途中まで見たドラマを打ち切られた気分って言ってもいい。とにかく、いまさらハブにするなんてひどすぎる」

 わたしは鼻にしわを寄せた。こいつには危機感とか、頭のネジとか、脳みそとか、何かちょっと足りてないんじゃないかと思った。これがこの世界でもなぜかストックホルム症候群として知られているあの精神状態なのだろうか? それとも現代っ子らしく映画かゲーム感覚でいるのかもしれない。それならわたしにはよくわかる話だ。わたしもこの人生がフィクションであるような感覚が物心ついてからずっとしていた。

 外でけたたましいサイレンの音が遠く聞こえてきた。

「とにかくわたしは行くわ。生きてたら一週間以内に連絡するから、連絡先のメモでもちょうだい。それからあなたがもし何かしてくれるっていうなら、イーラン=フェンリについて詳しく探ってくれない? 経歴や出納を水も漏らさないようにね。じゃあまた、ヨークシンで」

 そして、部屋を出て行きかけたとき、ある考えが頭をかすめた。

「……ねえ、ちょっと訊きたいんだけど、ベロテルっていう情報屋を知らない?」

 ユタカの顔にあまり似合わない嘲笑じみた表情が浮かんだ。

「知ってる」

 

 わたしはホテルを出ると高級住宅街へ向かって駆け出した。そちらのほうの空は赤く染まっていて、緊急車両のサイレンがいたるところから聞こえていた。いつものモーナンカスの静かで瀟洒な夜はどこにもなかった。

 不謹慎かもしれないけれど、わたしはわくわくしていた。今夜の非日常感に対する淡い期待。台風が来て、風がごうごう鳴って、雨がざぱざぱ降って、空がぴかぴかしているのを見ているようなすてきな気持ち。わたしの足はほとんど飛び跳ねていて、まるで羽が生えているみたいだった。

 

 この騒ぎに人が起きだしてきていて、普段なら人通りなんて見込めない真夜中の道で何人もの人の姿を見た。ガウンを着て不安そうに近所の人と顔を見合わせたり話をしたりしている。そんな人たちに呼びとめられることもあったけれど無視して走った。構っている暇がない。自分の足に頼るしかなかった。車が使えないし、営業中のタクシーだって見当たらなかったから。

 わたしは念能力者になっておいた過去の自分の判断をほめたたえた。オーラの流れを制御できる念能力者というのは常人よりはるかに身体能力が優れるから、ちょっとやそっとでは疲労困憊はしない。へなちょこ念能力者で肉体的能力にも劣るわたしですらフルマラソンを完走するくらいのことはできる。疲れるからやらないけれど。利益が習得する労力や時間に引きあわないと当時のわたしが気づいてなくてよかった、と心から思った。

 海岸通りを西に入り牧師館のあるロタミ通りに差し掛かったところで、『ザ・ソプラノイズ~哀愁のマフィア~』の街のちんぴら役を熱演しているかのような男たちに出会った。声を張り上げ、銃で威嚇し、勝手な検問をしいている彼らはもちろん俳優ではなく本職のマフィア構成員たちだった。

 彼らは飛び出してきたわたしに一様に戸惑った顔をした。

「なんだ、このガキ?」

「通して! この先におばあちゃんのお家があるの! おばあちゃん、怖がってるわ。心臓が悪いの」

 わたしは臆面もなく嘘をついた。

 男たちはすんなり通した。子どもひとり、警戒にも当たらないということなのだろう。

 そこから先は出歩いている人はほとんどいなかった。それぞれの家で事態の鎮静を待っているのだろう。それでも何人か黒服の男がいて、わたしはときどき止められて、そのたびに同じ嘘をついた。

 

「クローディア!?」

 びっくりしてわたしは急ブレーキをかけた。すごく聞き覚えのある声。ぱっと振り向けば、美丈夫のお隣さんが目を丸くしていた。

「イーラン!?」

 彼は黒髪をポニーテールにした黒スーツの男と一緒にいた。並みレベルの男と並ぶと、横の男が気の毒になるほどイーランのかっこよさが光って見えることに、わたしはこんなときでも感心した。

「どうしてこんなところにいるの……そこの人と何か話してたの?」

(家にこもってろって言ったじゃないの! ……でも会えるなんてラッキー。電話しようと思ってたのに)

 あがる息を抑えつつ訊くと、イーランはあいまいに笑った。

「ああ、ちょっと情報収集をな」

 それからわたしに近寄ってきた。

「街は今どうなってるの?」

「はっきりとはわからない。かなり情報が錯綜してるみたいだ。でも女優のルクローサの屋敷が襲われたのはたしからしい。それから最初に火の手が上がったのはエウリアのあたりとは聞いた。何がどうなっているやら……」

(決まってるじゃない!)

「幻影旅団よ!」

 イーランは眉を上げた。

「……この騒ぎを見るに、ほんとうのことらしいね」

「彼らの借家へ行ってみようと思うの。いなかったら当たりでしょ?」

「それはこっちでやるよ。危ないからお前はどこか――」

「幻影旅団を探すわ。借家にはもういないと思うからそこは譲ってもいいけど」

 わたしは彼らの借家の場所をメモした紙を渡した。イーランはそれをちょっと見てポケットに突っ込んだ。

「この先は行かないほうがいい」

「どうして?」

「もういないからだ。やつらは引きあげて行った。いつまでも現場近くをうろちょろしてはいないだろう。――この先の家がやつらの襲撃にあって、何人か死んでるんだ。マフィアは激怒している。ここはマフィアの前庭みたいなものだからな。君みたいなかわいこちゃんは絡まれるかもしれない」

 わたしはこういう物言いにはうんざりだった。

(かわいこちゃんですって! まったくもう)

 前世では一回も言われたことがない。親からすら言われたことがない。そこに思うところはあるけれど、それはまあ問題じゃない。わたしの目的地はまさに襲撃に遭ったというこの先の家なのだ。

 まなじりをつり上げてふんと鼻を鳴らすわたしをイーランは困ったような目で見た。

 

「幻影旅団の居場所、心当たりないかな」

 イーランはたいして期待してなさそうに尋ねた。

「そうねえ……」

 幻影旅団はどこにいるのか? 彼らは具体的に何を狙っていて、どういう手順で襲い、持ち出して、去るつもりなのか? モーナンカスがマネーロンダリングの中心地でマフィアの庭だということは彼らもわかっていたはずだ。警備は厳重でここを何事もなく出て行くのは難しい。原作のヨークシン編では2000人のマフィアと陰獣を相手にしたくらいだからものの数ではないだろうけれど。

「とにかく、クローディア、避難したほうが――クローディア?」

「――わたしの家」

 わからないなら教えてあげてもいい。

「わたしの家、グレイ家のサマーハウスじゃないかしら、彼らが来るのは」

 見上げると、イーランは小首をかしげて話を促した。

「盗ったものをどうするんだろうって考えてたの。モーナンカスに民間の空港や飛行場はないし、空港では厳重な荷物検査がある。この時間だから電車も走ってないし、列車内に手荷物として持ち込むにも限度がある。国外に出る道は検問がしかれていてトラックは見逃さないし、荷台は必ずチェックされる。突破はできるだろうけど、そうすれば必ずそうと知られる。すぐさまこれらの選択肢をとらず目立たないやり方で持ち出すならどこかに一時保管しておかなくちゃならない。

 意表を衝いてヨットクラブという可能性もあるとは思ったんだけど、せいぜい今夜の間しか隠せない。少しでも頭があるなら借家はもう使わない。残る可能性はそんなに多くないわね。ほかに隠し場所を用意していたとかね。でもきっとそうじゃない。もっと安全な場所があるわ。わたしの家よ!

 彼らはうちのサマーハウスに何度か来たことがある。勝手は知っているでしょう。家には普段たった11歳の女の子ひとりしかいないことも知ってる。しかもその子とは知り合い同士。というより、彼らはこの国にほかに友人も知人もいないの。サマーハウスは広くて車を隠すのも盗品を隠すのも、自分たちの身を隠すのも容易だわ。あとはその子の友情を盾にとって言わないように迫るか、実力で言えないようにさせるか、どっちにしても難しいことじゃない。――そうじゃない?」

 そうでなければ彼らがわたしと距離を詰めた理由がない。

 イーランはあごに手を添えてわたしの考えを検討していた。それを見て、わたしは謙虚ぶって付け足した。

「わたしをどこまで信用できるかというところが一番大きな問題でしょうね。11歳の観察力や知能にはそこまで説得力がないわ」

「いや――思ってもないことを言うのはやめろよ、クローディア。君の賢さをオレは疑ってない」

「……ありがとう」

 わたしはときどき自分の低能さに絶望するんだけれど。少なくともこんなところで時間を浪費するのは賢いことじゃない。

 わたしは後ずさって距離をとった。

「じゃあ、わたしもう行くわ」

 身をひるがえそうとしたわたしの腕をイーランがつかんだ。ユタカにつかまれたのと同じところ。今日はこのパターンが多すぎる。

「クローディア、だめだ。君の手に負えるようなことじゃない。頼むから、――サマーハウスはだめだから、どこかホテルにでもいてくれ」

「わたしの家に行くことの何が悪いの?」

「だめだ。危ないんだ、わかるだろ。……ベアクローはどうした?」

「騒ぎが起きはじめたとたんどっか行っちゃったわよ。どこにいるのかしら。どこかで怪我でもしてないといいんだけど」

「くそ、あいつ、女の子をひとりで放っとくなんて何考えてるんだ?」

 イーランは苛立たしげに髪をかきあげた。それからわたしを見てもう一度、頼むから、と言った。わたしは首を振って突っぱねた。

 イーランは腕時計を見て小さく舌打ちすると、ため息をついた。妥協することに決めたらしかった。

「じゃあこうしよう。ホテルはなしだ。そのかわり家のあたりには近づくな。離れたところから野次馬するなりベアクローを探すなりしてろよ。友だちの家に行くのもいい。携帯は持ってるな? 何かあったら電話しろ。わかったな?」

(ああしろこうしろと)

 気に入らなかったけれど、せっかく解放されそうなのにここでごねるほどわたしも馬鹿じゃない。わたしは不満げな顔を意識しながらうなずいた。


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