ゴーストワールド   作:まや子

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26. 教会(3)

 礼拝式は終わり、司祭が聖具室へ消えると、信者たちもひそやかに雑談をしながらはけていった。わたしとクロロはしばらくのあいだ口を閉じていた。わたしはその機会に教会堂のなかをこっそりと観察した。幻影旅団が盗みに来るかもしれないとちょっと考えたからだ。クロロを前に物珍しげにきょろきょろするなんてプライドが許さなかったから、あくまでこっそりと、泰然とした態度を装った。

 中央祭壇では4本の銀の燭台がゆらめく光を放っていた。内陣障壁は傷みが気になったし、像もくすんでいた。ぐるっと頭をめぐらせて側面や後方も見たかったけれど、それは我慢した。どうせたいしたものはなさそうだった。正面を一見しただけでそんなに市場価値があるものはないとわかった。信者数が少なくて修繕費にも事欠いているだろうこともわかった。泥棒の食指が動きそうなものは天井画くらいのものだ。暗くてよく見えないけれど、それもこの分ではちゃんと保存されていそうではなかった。

 

 わたしは髪をいじりながら尋ねた。

「なぜはじめから人を割いてサマーハウスに来させなかったの?」

 仲良しグループじゃないのだからそのくらいできたはずだ。動き出すまでにわたしを殺さなかった理由は想像がついた。もしそうすれば、大目的である美術品の収奪の前に、自分たちのことをどこまで知られているかもわからない相手と衝突せねばならなくなる。だとするなら変じゃないか? 彼らは市中に異変かが起きればわたしがその場を動くかもしれないと考えなかったのだろうか? 普通は家にこもっているのが正しい対応なのだろうけれど、わたしが一般市民として行動することをどこまで期待できるだろう? わたしはさっさとあの別荘を離脱していたけれど、そうとは知らないのだったら、犯行開始と同時に不意打ちで来るべきじゃなかったのだろうか。

「ただのついでだったから」

(なるほど)

 またわたしの自意識過剰だった。

(それなら――)

「あの日、なんでわざわざわたしに電話なんかしたの? どうしてわたしに準備させる時間なんて与えたの? 知らん顔してればよかったじゃない」

「君は少し誤解してる」

「何を?」

「オレは君を殺そうとは考えてなかった。殺すことになるかもしれないとは思ってたけど、殺してやるとか殺したいとか積極的な気持ちがあったわけじゃない」

「それはどうも」

 わたしの声は冷えていた。当然だろう。それを聞いてわたしが喜ぶとでも思っていたのだろうか? なんて寛大なんだろうと見直すことは絶対にないし、いいところあるのねと感心することも絶対にない。だって、結局、殺してもいいやと思っていたのだ、こいつは。

 クロロは思案気な間をおいて言った。

「正直、君を測りかねていた」

 わたしはこの手の戸惑いを持たれることには慣れていた。子どもの容姿に大人の頭という不整合は会う人会う人当惑させる。わたしはそういう反応を心から楽しんでもいた。

「ただのいかれた馬鹿なのか、それとも評判通りの神童なのか。君が何を求めているのか、どうもよくわからない。だからああいう場面でどう行動するのか見たかった」

(……ん?)

 なんだか聞き逃せない言葉が聞こえた。

「いかれた馬鹿?」

 言いぶりから察するに、クロロが抱懐している意見はこっちのようだった。わたしにはなんでそう思ったのか理解できなかったし、そんな評価は心外だった。

 クロロはため息をついた。

「気づいてた? 君のオーラの動きは念を知らない人間のものにしてはちょっと不自然なんだよ。敵意を見せれば顕在オーラは増えるし、警戒すればオーラが君にまとわりつく。まるで、そう、精孔がすでに開いているかのように」

 この指摘にはぎょっとさせられた。

「天才少女ならそういうこともあるかと思った。オレだって念なんて完璧に理解できるものじゃないし、君は念を使うことにおいても天才なのかもしれないし、逆説的だけど、オーラをオレたちの想像しないような何らかの形で行使している人間が天才と呼ばれるようになるのかもしれないとね」

 わたしはもっと真剣に念の修練をしていればよかったと激しく後悔していた。

「君が念能力者だとするなら話はもっと簡単になる。オーラの不自然な動きは精孔が開いていないことを装っているが装いきれていないためと考えられるからね。それよりオレがずっと腑に落ちなかったのは、レストランで君に尋問したときの君の態度だった。念をよく知っている者の態度、これは実際その通りなんだろう。それはいい。ただ、君が妙な反応を見せた場面があったよね。そう、イーラン=フェンリのことを訊かれたとき。オーラも乱れてたし、君の様子はどうもおかしかった。オレの質問がグレーゾーンだったから君もその影響を受けたのかとも思った。でもあれはこちらの誓約であって、君が顔色を変える理由にはならない。

 次に考えたのは、父親の言いつけによって君が話せないことを訊かれたことによる精神的圧迫のせい――これもないよね。『イーラン=フェンリとはどういう関係か?』程度の質問は君だって想定していただろうし、普通なら答えたからって問題のある質問でもない。

 それでひとつの想定が浮かんだ。君の答え方は精通した念能力者っぽい。君の念の制約か誓約にかすったんじゃないかと」

 体が震えだしそうだった。脈拍がどくどくと早くなる。

「これならいろいろと説明がつく。それで散歩しながら君を“凝”でずっと観察していた。そうしたら見つけた。それ――」

 クロロはわたしの胸元を指した。

 わたしはついぱっと手で覆って隠してしまった。

「その懐中時計。かなり巧妙に“陰”で念が隠してある。それにそんなに体に密着させていたら、体から漏れ出るオーラに紛れて並みの念能力者じゃ気づけない。オレが気づけたのだって、その懐中時計にかけられた念が君のオーラとちょっと違う他人の念だったからだ」

 力の差をひしひしと感じていた。わたしでは一生かかったって気づけない。

「その懐中時計には他者の念がかけられている。君は父親の言いつけ、沈黙の強制の有効範囲についてすごく慎重かつ緻密に測って答えていた。君はその懐中時計を常に首にかけている。これだけの材料があれば推測できることもある。

 君は念能力者だ。そして誰かに念をかけられた物をもつことに同意している。その誰かとはまず間違いなく君の父親だ。その念がどういった念であるかも理解している。その念は君に沈黙を強制させることに関する念である可能性が高い。イーラン=フェンリについての質問で君の顔色が変わったのは、それに答えようとすることが君にとってもグレーゾーンだったからだ。違うかな」

 わたしはだんまりを決め込んだ。

(……違わないのが腹立つ。なんでここまで正確に、その程度のヒントで……)

 ここにきて嫌な可能性に気づいた。

(ということは、なんだ、砂辺の遊歩道でも市街地のレストランでもこいつらはわたしを念能力者と知りながら知らないふりをし、鎌をかけてはわたしが必死にとぼけるのを見ていたということ? 自説をちょこっと補強するために、あるいはおちょくるために? なにそれ。最低だ。悪趣味すぎる。性格が悪いどころの話じゃないわよ。肋骨だって折られ損じゃないの)

 冷や汗がむかつきで引いていく。

「周囲からは神童と呼ばれ、それにふさわしいだけの高い知能を持ち、実家は貴族の流れをくむ名家で、一般的な家とはけた外れの資産を持っている。念能力者としては未熟だけど、このままいけば形にはなるだろう。君という人間がわからないな。これ以上何をどうしたいんだ? 十分じゃないのか? 何もかも約束されているじゃないか。わざわざ不法なことに手を出さなくても富も名声もすでに持っているだろ」

 わたしは眉をひそめた。

「十分じゃないのよ」

「だから君がリスキーに思えるんだ。どうなれば満足なのかわからない」

(なんでわからないのよ)

 一応言うまいとはしたけれど、どうにも堪え性がなくてだめだった。

「なんでわからないのよ。あなた頭いいんでしょ。それに、あなただってわたし以上の神童だったはずよ」

 それなら理解してほしいけれど、無理なんだろうなと思う。

「わたしはあなたとは違うの。十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人よ。わたしはもう11歳なの。時間の猶予なんかないに等しいわ」

 それに未来情報は原作が進んだ範囲しか持っていない。だから実質あと5年程度しかないのだ。すごい焦燥感。

「わかる? わたし、ただの人になんかなりたくないのよ。この人生がそれだけのものだなんて思いたくない。せっかく特別な存在として生まれたのに、だらだら生きてこの特別をすりつぶすなんて考えられない。平凡や平和なんてお呼びじゃないの。わたしがこうやって生まれてきたことには何か特別な意味があったんだって、偶然や家庭のメロドラマのためじゃないって、信じたいのよ!」

 焦慮に駆られるわたしとは対照的に、クロロはどんどん醒めた顔つきになっていった。

「それがここまで話を書き換えた理由? 君が戦争ごっこを好むタイプとは思わなかったけど。ほんとうに君にここまでするほどの利があったのか?」

 わかってもらえるとは思っていなかった。クロロは原作でも特別の地位をあたえられたかっこいい悪役なのだ。美青年で、カリスマがあって、怜悧な頭脳を持っていて、強い人だ。わたしこそクロロに訊きたい。それ以上なにがほしいの?と。お互いに理解は遠い彼方だ。

「もちろん――」

 わたしは一瞬生じたためらいのために言葉を飲みこんだ。でもここまできたらひと思いに突き進むしかない。

「もちろんよ。わたしをあぶりだすために窃盗を繰り返すというあなたたちにしては穏健なやり方、今日ここに来たこと、こうやってわたしたちが言わなくてもいいことまでべらべらしゃべっていること、ついでにあなたがわたしを理解しようとしているということ、それがもう答えでしょ?」

 お互いにもう了解していることだ。

「わたしたち、お互いをプレイヤーとして認めたわよね。ならば対等な関係を築きましょうよ。利益だけを積み上げていきましょうよ。難しく考えないでいいじゃない。あなたたちはわたしに盗品を売る。わたしはそれに対してお金を払う。それだけだわ」

 それだけの関係を得るために、わたしは今日、こうして再びクロロと向かい合ったのだ。

「あまりメリットが感じられないんだよな」

 クロロが言う。それも仕方がないと思う。彼らはあまりにも才長けている。自分たちだけでうまくやっていけるのだから他力を頼む必要がない。でもそれではわたしが困るのだ。

「一方がうぬぼれつつ、一方が気兼ねしつつの関係はうまくいかないわ。今回のわたしとのことでそれはわかってくれたと思ったんだけど」

 わたしの嫌味の鋭い一撃にクロロがわずかに顔をしかめた。それを見てとても胸がすいた。この一発は肋骨を折ってくれた分。でも感謝してほしい。過剰な自意識は早めに折っておいたほうが彼自身のためなのだから。

「あなたたちはとても強いわ。それに馬鹿じゃない。だから、このままだと、遅かれ早かれわたしみたいなやつに利用されておしまいよ。どうせそうなる。わたし程度にすら隙をみせるくらいだもの。もっと賢いやつならわたしがやったよりももっとうまくやる。あなたたちを御することはできなくても利用することはできるし、あなたたちにはその価値がある」

 クロロは当然知らないことだけれど、原作にはそんな描写はなかった。でもそれも描写されなかった範囲で起きていたか、そうでなければ彼らのすぐれた情報操作力と慎重さのほかに、運が相当よかったせいだとわたしは思っていた。クロロもここでありうることだと考えないほど思いあがってはいないだろう。わたしという例もあることだし。

「それを教えてくれたというわけか」

「悪く取らないでね。誰にだって、どの組織にだって弱点はあるというだけの話よ。あなただって盗賊団を運営しているんだからそれくらいわかってるでしょ? あなたはわたしに情報で圧倒的に負けていた。あなたたちの弱さのひとつは情報収集力が限定的だという点よ。

 たとえばね、あなたが使った情報屋、ベロテルね。なかなかいい選択だったと思うわ。彼って優秀よね。で、なぜ彼が優秀なのか。それは彼がヨークシン市警の人間だからよ。知ってたわよね。警察の情報収集能力と捜査能力に及ぶ情報屋なんていやしないわ。だからいい選択だと言ったの。あなたたちにない組織力をもっているから」

 これももちろん、ユタカからもらった情報だった。ベロテルは同業者に居場所や正体までつかまれている程度の情報屋であり、だからこそユタカはベロテルのことを語るときに軽蔑的な表情を浮かべたのだ。

 わたしはこれらのことを端から知っていたと言わんばかりの顔をして滔々としゃべった。

「でもわたしの情報は通り一遍しか出てこなかったと言ったわね。それは当然なの。わたしは警察のお世話になったことなんてないし、表に出るようなことはしないから。記録されないことは調べられない。ハンターサイトの情報については何とも言えないけどね、優秀な情報系念能力者を抱えているようだから」

 ここでわたしは抱いていた疑念を口にした。

「……あなた、マフィアとの直接的なつながりを避けてない? 敵対的な関係になることもあるから? 普通、マフィアとつながってる情報屋を使うでしょ? 数も多いし、組織力もあるもの。並みの情報屋やハンターサイトでも得られないような情報でもマフィアなら得られるものもあるわ。警察に情報提供をしても1ジェニーにもならないけど、マフィアは金を払うし、徴募した密告者もそこら中にいるもの。どうでもいいんだけど、それならわたしをあいだに噛ませればいいわ、今度からね」

 ほかにもいろいろな恩恵をあたえてやれる。ちょっとした隠れ家だって用意してやれるし、伝手のある限りで人も紹介してやれる。急な金融的要望にも応えることができるし、資金洗浄も手伝える。望むなら引退後の転身を斡旋してやってもいい。企業の役員のポストのひとつふたつすぐ用意できる。素晴らしきかな、名門大富豪。

「あなたたちは強いし、へたに有能な情報・処理担当がいるから、ろくに闇社会に人脈がない。あなたたちにはもっと組織的で後ろ暗い支援が必要だわ。なら、わたしを利用すればいいじゃない。ね? どうせ誰かに利用されるなら、わたしに利用されなさいよ。そのかわり、あなたたちはわたしを利用すればいいわ」

「そうだな」

 相変わらず反応が鈍い。でもわたしはクロロをうなずかせるための彼ら流の言い回しを知っている。

「慈善事業みたいなものだと思ってくれてもいいわ。あなたたちは盗賊団だけど、だからって何も収奪しかしちゃいけないってわけはないでしょ。あなたたちはわたしから奪う。そして慈善も施す。それでいいんじゃないの」

「――君はオレたちのことを何でも知ってるみたいに振舞うね」

(もしそうだったらこんなに苦労してないわよ)

 彼の馬鹿らしい言いようをわたしは肩をすくめていなした。

「……そろそろ、新しい取引相手が必要だとは思っていたんだ。買い取り価格を聞かされるたびに殺したいような気持ちにさせられない取引相手が。まあ価格なんて二の次ではあるけどね。ただ、君と一蓮托生する気はないよ」

 わかりやすい共通言語に翻訳すると『条件次第かな』。

「こちらも盗賊団と一蓮托生する気なんかないの。気軽な関係にしましょう」

 わたしとしてもこいつらのせいでマフィアンコミュニティを敵に回すなど冗談じゃなかった。そんなことになれば商売あがったりだ。それにこいつらもどうせ長生きできはしないだろう。相応の死に方をするにちがいない。適当なところで切り捨てなければならないのだ。

「わたしがあなたたち幻影旅団の活動費を出すわ。必要なだけね。交換条件としてわたしに独自の査定額に基づいた先買権を与えなさい」

 存外にクロロはあっさりうなずいた。

「ま、妥当だろうね。……その前にいいかな。はっきりしてほしい、君はどの立場からものを言っているの? グレイギャラリーの代表として? それとも、クローディア=グレイ個人として?」

「わたし個人として」

「なら、幻影旅団の団長であるオレと、君との内約という形にしよう。悪いけど、ほかの人間とまで馴れ合うつもりはないんだ」

 それは願ったり叶ったりだ。了承して、会衆席から立ち上がった。話は終わった。時間を確認すると正午前。どこかで昼食を食べて、ナタリーの顔でも見てから帰ろうかなと簡単に予定を立てる。

 

「クローディア」

 別れの言葉もなく行こうとしたわたしをクロロは呼びとめた。

「君のことは割合に気に入ってるんだよ。人を駒くらいにしか思っていない身勝手さも、他人を平気で犠牲にできる冷酷さも、その小賢しさも含めてね」

「…………」

 わたしは無言で身をひるがえした。

 この男にここまで言われる筋合いは原子ひとつ分ほどもないけれど、その言葉に気まずさのひとつも感じないほど鈍感ではなかった。

 


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