ゼパイルと別れてから再びリムジンに乗り、宝探しの続きをするためにヴィクトリア駅前で降ろしてもらった。値札競売市の周辺は歩行者天国になっているし、車での来場は禁止、あるいは遠慮が促されているから。わたしはまあまあ良き市民なのだ。
雨はほんの小降りになっていた。それでも雨だれは灰色のビルを伝い落ち、人々の輪郭を溶かして霞ませていた。
(だから前が……よく見えないんだってば……)
相変わらずの結構な混雑についひるんでしまうけれど、わたしは意を決して、ラグビー選手がスクラムにぶつかっていくように人の群れに突っ込んだ。
ぱっと視界が開けて、わたしはよろめいて2、3歩踏み出した。射的屋の香具師と目があった。
「5発で300ジェニーだよ」
「え? いや……」
「真ん中に命中すれば100点。外に向かって80点、50点、30点、10点だ」
「80点? そこは70点じゃないの?」
「400点取れれば何でも好きなおもちゃを持って行っていい」
「あーなるほど」
(サービスか)
「やるのか?」
「――やるわ」
わたしは300ジェニーをカウンターに置き、カービン銃を受けとって持ち上げた。
狙いをつけて引き金を引く。パン、パン、パンパンパン。軽い反動。カービン銃を撃ったのは初めてだったけれど、前世ではイタリアの知人に招待されてイノシシ狩りで散弾銃やライフル銃を撃ったことがあった。だから自信はあったのだ。
香具師はわたしにボール紙の的を手渡した。穴は2つ。その2つも中心から大きく外れていた。
わたしは500ジェニー硬貨をカウンターに叩きつけた。
カービン銃を持ち上げる。息を吸って、吐いて、吸って、吐いて――中心だけが赤い白黒の的に意識を集中する。
(わたしはできる子、わたしはできる子)
今度は立てつづけに5回引き金を引いた。
香具師はボール紙を手渡した。それをわたしは目を皿のようにして眺めた。
「――もう一回よ」
「まいど」
穴が3つ空いたボール紙を放り捨てて、わたしは財布の中の小銭をすべてぶちまけた。
口の中で転がしていたアメを噛み砕いて飲み込んだ。もう3個目。
「この銃、おかしいんじゃないの? もっといいやつに変えてよ」
香具師はわたしの文句を、肩をすくめていなした。
正確なところはよく覚えていないけれど、すでに5000ジェニー以上使ったのは明らかだった。それに雨にぬれて寒かった。でも、ここでやめては負けだという謎の熱い思いに突き動かされていた。自分がしつこいのもわかっていた。だとしても、負けを受け入れる気はなかった。
気がつけばわたしのチャレンジをからかい半分に応援する人垣ができていた。弾のカス当たりで景品としてもらったアメ玉がわたしのポケットをパンパンにしていて、そのことにも腹が立ったから、アメは見物人に気前よく振舞った。するとアメ目当ての子どもたちやその保護者でさらに見物人が増えた。そいつら暇人たちが、もっとアメを取ってくれだの、この調子ならあと100万あれば十分だだの、勝手なことを言いながら眺めている。
ポケットからまたアメを出して何味かも確認せずに口の中に押し込んだ。
「甘ったるいのよ。今度はミントガムにして」
「てことはまた50点を狙うつもりかい?」
「誰よ! 茶々入れてんじゃないわよ! もちろん満点を取るつもりに決まってるでしょ!」
「ほ~」
アメを食べながらもごもご喋るのもかっこ悪い。人垣のどこからか聞こえてくるヤジはもう無視することにして、いいかげんだるくなった腕でカービン銃をしっかり持ちあげ――。
「そんなんじゃダメだね」
わたしは銃を下ろした。
「――何って?」
「そんなんじゃ何回やったってダメだよ、お嬢ちゃん」
どこのどいつが露店の射的ごときでプロ面して偉そうにわたしにアドヴァイスなんかしてくれちゃっているのか確かめようと、わたしは振り返って群衆をぐるりと見た。
その男のことはすぐにわかった。周りの人がいきなりダメ出しを始めたその男をじろじろ見ていたし、何というか、雰囲気がほかの人間とは違っていたから。彼は腕を組んで、まるで親戚の子どもがちょっと羽目をはずしているのを見ているかのような目を向けてくる。軽い侮りとちょっとした親愛感と無関心が奇妙に同居した笑み。
(何こいつ。うさんくさい)
男は念能力者だった。わたしの警戒レベルは急上昇した。
(……ベレー帽……?)
既視感に目を眇めるけれど、わたしにはこの手の知り合いはいない。釈然としない気持ちのまま男に向かってくいっとあごを持ち上げた。
「何よ、あなた。じゃあどうすればいいって言うのよ」
「貸してみな」
わたしはどうしようか迷った。でもわたしが決断する前に香具師の声が割り込んできた。
「ダメだよ、あんた、その銃はそこの女の子に貸してんだ。あんたもやりたいなら300ジェニー払うんだな」
「いいじゃん。堅いこと言うなよ」
「ダメだ」
「ケチ」
「何とでも言え」
わたしは事の成り行きを眺める群衆の立場から立ち帰った。決めるのはわたしだ。わたしがそう決めた。それに相手にされないのは大嫌いなのだ。
「――あなたに任せるわ、おじさん」
「ほら、こいつもこう言ってる」
「おい、お嬢ちゃん、そりゃダメだって。言ってるだろ」
「わたしがそのおじさんを雇うわ。それならいいでしょ」
「だとよ」
「そう言われてもねえ」
香具師は渋っていたけれど、べつにいいじゃねえか、その女の子がそうしたいって言ってるんだぞ、などと口々に訴える外野の声に押されて、ため息をついてうなずいた。
わたしは男に銃を渡した。
「あの一番大きいクマのぬいぐるみがほしい」
「あいよ」
やけに気軽な声に不安になりながらポケットに手を突っ込み、ありったけのアメを出して男の服のポケットに押し込んだ。
「ん?」
「報酬よ。わたし、あなたを雇ったのよ」
男は吹き出した。
くっくっくっと笑いながら、機嫌良さそうにベレー帽を手に取り、胸に当てた。
「お任せください、お嬢様」
男はカービン銃を構えて、ほとんど間をおかず、パン、パン、パン、パン、パン、とリズミカルに弾を発射した。
打ち終わるや否やわたしはカウンターに飛びついて的を凝視した。そのわたしの頭に男は気安く左手を乗せて無造作に撫でてくる。妙に得意げに。
「嘘でしょ――全弾命中してるの?」
「すっごいだろ?390点」
「うん。すっごい」
それを認めるにやぶさかではなかった。人垣から口笛や拍手の音も沸き起こった。香具師は己が目にしているものが信じられないかのように何度もボール紙を確認して点数を数えている。でも何度見たって同じだ。50点、80点、80点、80点、100点。香具師は首を振りながらそれを手渡した。
「ほらよ。1回目でこんな点数を出されたのは初めてだ。でも残念だったな、あっちの大きいぬいぐるみがほしいなら400点は取らなきゃな。小さいぬいぐるみなら好きなのを持って行けよ」
「おーおー言うじゃない。400点を取るくらい簡単よ。ほら、やっちゃえ、おじさん。それとわたし、そのペンギンのぬいぐるみがいいわ」
それから男は口笛を吹きながら何度か銃身を気にするように矯めつ眇めつし、さっと構えてほとんど予備動作なしに5発すべてを撃ち切った。
わたしは詰めていた息をゆっくり吐き出しつつ的にあいた穴を数えた。ひとつ、ふたつ、みっつ。80点にひとつ、80点と100点の境目にひとつ、真ん中の赤いところ――100点にひとつ。
「ああ~」
いかにもがっかりしたような声が出た。ほんとうにわたしはがっかりしていた。
男は心外そうに垂れ眉をつり上げた。
「おいおい。まさかオレが外したなんて思ってんじゃないの?」
「いや、だって……」
「100点に3発。よく見てみな」
「えっ」
香具師を催促してボール紙をひったくるように手に取り、日に透かして穴の輪郭をじっと観察した。わたしは自分の目が信じられない気持ちだった。
「――ほんとだ」
周りにいた見物人がじれったそうにオレにも見せてくれと叫ぶので、わたしは快く見せびらかした。
証拠を見てみんな口々に賞賛の声を上げたけれど、香具師だけは違った。2発外れていると言い張った。かたくなに認めようとはしなかった。
「ちゃんと見ればわかるでしょ。5発全部当たってるわ。460点、そうでしょ。何の文句があるというの」
「当たってない。外れてる」
「ちょっとふざけないでよ。的外れなのはあんたの方よ」
「160点だ」
「あんたねえ――」
憤然と言いつのるわたしの肩にぽんと大きな手が乗せられた。見上げると、男がわたしにウィンクして、香具師に歩き寄った。
「な、なんだよ……」
「まあまあ」
そして香具師の腕をさりげなくつかむと、引っ張ってカウンターの陰に入りこんだ。
しばらくして、わたしは男に持ち上げられて、乱雑にビニール袋に入れられて屋台にぶら下がっていたクマのぬいぐるみを手に入れた。
「ドリームオークションはね、まさに掘り出し物を見つける場所なのよ」
わたしは茶色いもふもふが詰まったビニール袋をぽんぽんと叩きながら、男の目を熱心に見詰めて語った。今や彼の正体の見当がついていた。頬が興奮でほてった。
「そうなの?」
「今日証明されたわ」
「ふーん……それ、ビニール袋から出さないの?」
「クリーニングに出してからね」
「あ、そう」
この男は気にしないのかもしれないけれど、わたしは気にするのだ。長年のうちにぬいぐるみについた埃っぽさを。それと、ほとんど霧みたいな雨なのでたいしてダメージは受けないだろうとはいえ、せっかく取ってもらったぬいぐるみを濡らしてしまうのを。ちなみにペンギンはコートの大きなポケットの中に避難させている。
そっちとは反対側のポケットに残っていた最後のアメを口の中に放りこんだ。
(あ、これおいしい)
青い包装フィルムを見ると、『ブリザードキャンディS』と書かれていた。
ぬいぐるみを取ってしまったら、もう値札競売市はどうでもよくなっていた。混雑を避けて人のいないほうへ歩き出すと、男もわたしの横をぶらぶらとついて来た。
「コツを教えてよ。次はもっとうまくやりたいの」
「銃の?」
「うん」
「難しいことなんかないじゃん。視差が狂ってたらちょっと調整すればいいんだよ。銃身が曲がってたのわかっただろ?」
何を言っているのかよくわからなかった。とりあえず、帰ったら『しさ』なる言葉を辞書で引いておこうと思った。
(しさ、しさ、しさね。よし覚えた)
わたしはあいまいに相槌を打ってごまかした。たぶんこの男にとっては、わざわざ説明することもないくらい、銃を扱いなれているのだろう。
「あなた、銃を使うのね」
ナイフだけかと思っていた。
「オレもああいうオモチャ持ってるんでね」
そう言って男は彼のバッグから大きな銃を取り出した。わたしが息を飲んで後ずさると、笑いながらグリップから銃身に持ち替えた。
「特別製だけどな」
それでもわたしが警戒を解かないのを見て、銃弾が一発も込められていないところを見せた。
(あれ、この銃……)
「怯えることないじゃん、普段は平気な顔して街を歩いてるくせに。この国には4億丁以上の拳銃が存在してるんだぜ?」
わたしの戸惑いも非難のまなざしも柳に風といった感じだった。
「教えてあげようか?」
「え?」
「お嬢ちゃん、見込みあるよ」
わたしは男の真意を測って、すぐには返事をしなかった。
男はうふふと笑った。
「……何の?」
「あんたさ、まだ小っこいけど、念、使えるんだろ?」
さりげない調子のこの言葉はわたしを死ぬほど驚かせた。
(え? え? なんで? なんでばれたの?)
わたしは念能力者として振舞ったことなんて一度だってなかった。“纏”もせず、精孔が開いていないように見せるためにオーラはちょろちょろしか出していないし、“発”なんかないし、当然そのへんの人にペラペラ念のことを喋りもしない。
どぱっと嫌な汗が出た。
抜け目ない視線が観察しているのがわかった。
(どうしようどうしよう。認める? でもこいつは殺人中毒者よ? ヤりあおうぜとか言われたらどうするの? でも否定もできない……見抜いたってことは根拠があるはずだもの……。なんとかごまかせれば――そうだ!)
女は度胸だ。
「何? 今、念って言った?」
「そうだよ」
「――ははん、そういうことね。あなた、わたしに宗教勧誘してるのね」
「は?」
わたしはトートバッグの中に入れていた『ヨークシンデイリーガゼット』を出して広げて、当該記事を指し示した。
「ここに書いてあるわ。教祖ネルの話じゃ、世界は念なるもので満たされているんですってね。入信して修行すれば空を飛べるようになるらしいわね。でも残念ながら、何人かの信者は信仰心が足りないのか飛べなかったようだけど?
わたしについてきたのはそういうわけだったのね。恩を売ったと思ってるんでしょ。あなたの射撃の腕も念とかいう世界の力のお陰だとでも言うつもりなの? でもお生憎様、わたし、そんなの信じる気はないし、信教を変える気もないわよ」
馬鹿にするように、挑むように男を見ると、男は肩の力を抜いて微苦笑した。
「あんた、おもしろいねえ」
「否定するの? それから、あんたもお嬢ちゃんもやめてよ、おじさん。クローディアよ」
「ベアクローって呼んでくれ。それから宗教の話をするつもりはないぜ。ただの気まぐれだよ、クローディア」
「わたしがあなたの気まぐれを光栄に思うなんて期待しないでね、ベアクロー」
ないと思っていた。あるわけないって。だって普通に考えたらそれって当たり前のことだ。この世界だって、前の世界と同じくらいの人口を持っている。具体的に言えば約65億人。
(信じられない)
わたしはクマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめてコートの中のペンギンをつぶした。その信じられない奇跡が、今、わたしの腕の中にあった。わたしはベアクローを知っていて、そのことに確信を持っていた。
(ヨークシン編でマフィアに雇われた殺し屋のひとりだ。殺人中毒者。クロロ=ルシルフルになす術なく殺された人)
65億人の中から原作登場人物に偶然会うなんて、いったいどれくらいの確率だろう? もちろんヨークシンはその可能性のもっとも高い場所だろう。それもお祭りの会場なら。逆にアイジエン大陸の僻地なら人間に会う可能性すら低そうだ。でもやっぱりそんなこと、実際にはありそうもない。
(すごい。わたし、原作登場人物みたいだわ)
もちろんそうじゃないことは自分がよく知っている。でも、このお祭りの日にわざわざ現実に戻る必要なんてあるだろうか? 惜しむらくは、せっかく偶然会えた原作登場人物が、クロロの戦闘力描写に使われただけの雑魚ってところだ。いや、贅沢は言うまい。
わたしは舞い降りてきた奇跡を逃すまいとベアクローのジャケットの裾をつかんだ。
「宗教勧誘じゃないって言うなら、ベアクロー、その念の話、聞いてあげてもいいわ」
彼の青い目が瞬いた。
きれいな色だと気づいた。空の色でも海の色でもない。父の目の色に似ているとも思ったけれど、やっぱりちょっと違う。花の色。ワスレナグサの青だ。