ゴーストワールド   作:まや子

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31. ゼパイル、はじめてのお仕事

 部屋に入り、後ろ手で静かにドアを閉めた。そこはスイートルームの広い居間だった。

 中央のテーブルにはイヤフォンを耳につけたユタカがひとりでいて、パソコンの画面から目を離さないまでも手を上げてあいさつしてくれた。

「どう? ユタカ、ゼパイルは?」

「あー、うん、順調。今のところは」

 わたしはユタカのとなりに椅子を引っ張っていって並んで座った。ユタカの右耳からイヤフォンを引き抜いて自分の耳に差し込み、3台並んでいるうちの正面のパソコンの画面を見た。画面いっぱいにビデオが映っていた。わたしが、おお、と感嘆の声をもらすと、ユタカは得意そうに笑った。

「これくらいなら難しくない」

「すごいわね」

 わたしはほんとうに感動していた。そして現代の技術革新が念能力作成に与えた影響を考えた。

 つくられる念能力にも時代によって流行り廃りがある。ベアクローによれば、昔は技術レベルも低くて機械はあまりスマートじゃなかったから情報系の念能力者は今よりもずっと重宝されていたらしい。カメラに監視カメラ的な機能を持たせる念能力とか位置情報を受発信する念能力とかもあったらしい。現代では機械のほうがずっとうまくやる分野だ。今その念能力者たちはどうしているだろうと考えると、笑っちゃうと同時に気の毒になってくる。

 ゼパイルに持たせているのはネクタイピン型の小型カメラとカフスボタンを模した集音マイクだった。ユタカ謹製の。ユタカのことをそんなにたいしたことない間抜けハッカーと思っていたけれど、この分だと評価を上向きに修正しなければならないだろう。

「これ」

「え?」

 ユタカはパソコンのUSBポートに差し込まれたケーブルをつついた。

「これが中継ケーブルで、それが信号増幅器。カメラが発信する周波数を拾うんだ」

 そう言ってチョコバーくらいの長方形の箱を指した。

「それで――」

(……ああ、そういうこと。やめてよ)

 ユタカはわたしに技術講習をしようとしているらしかった。悪いけれどわたしは適当に相槌だけ打ってほとんどを聞き流した。

 

「着いたみたいね」

 ゼパイルはあちらさんの接触者――リグズと名乗った男――とともに車を降りた。

ユタカのもうひとつのパソコンに地図が展開していて、経路が赤い線で示されていた。そこに小さく住所がポップして表示された。

「場所情報把握。長かったけどぐるぐる回ってただけだったね」

「そうね。どう見てもアッパーイーストサイドだわ」

 その地域の家々は広く、手入れが行き届いていた。車が停まった前の家も高く白い塀を持つ豪邸だった。

 わたしとユタカは息をつめて見守った。

 門にいた男のひとりが厳しく表情のない顔つきで近づき、ゼパイルの体を上からたたいて身体検査した。

「やっぱりこういうのあったわね。あなたがタイピンとカフスボタンに偽装してくれて助かったわ。ねえ、それにしても、映画みたいでちょっと馬鹿げてる感じしない?」

「……オレもあんたの殺し屋にボディーチェックされたことあるけど」

 男はゼパイルが持っていたスーツケースにも手を伸ばして調べようとしたけれど、これはリグズが制止した。もうすでにその男によって調べられていたからだ。

 検査が終わると、門にいたもう一人の男がゼパイルとリグズが通れるだけの広さに門を開けた。塀の内側にはよく手入れされた庭に囲まれてブラウンストーンのヴィクトリア朝様式っぽく見える屋敷が建っていて、いくつかの窓は明るく照っていた。

 ふたりが屋敷に近づくと正面玄関の扉が開いた。中からは一昔前の野球選手みたいな金鎖をつけた大柄の男が出てきてふたりを迎え入れて、玄関ホールのすぐ左のドアを開けた先、応接間に案内した。

 

 わたしは中のようすをパソコンの鮮明な画面越しに観察した。よそ様の家に行ったらいつもついしてしまうように。それなりの鑑定家なら誰しもそうであるように、わたしは家をしばらく観察するだけで、その人がどういう人なのかをかなりのところ知ることができた。お金持ちなのかそうでないのか、昔ながらのお金持ちか成金か、旅行やパーティーによく行くのか行かないのか、交際関係が広いか狭いか、高学歴者か否か、趣味やセンス、教養のあるなしも。

 診断結果が出た。

「ひどいセンスだわ……。わたしなら絶対にこんな家に住みたくない」

「え、そう? まあたしかにゴテゴテしてるよね」

 そういう話じゃない。外観はヴィクトリア朝様式っぽいのに市松模様の床と重苦しい装飾の壁はジェームズ王朝様式、にもかかわらず天井はほとんど装飾のないクリーム色一色、というちぐはぐ感が問題なのだ。それだけじゃない。絵の飾り方もひどい。わたしの見間違いでなければ、エッジの効いた直線と鋭角的なフォルムが特徴のバフェットの静物画のとなりにピッザロの明るい牧歌的なグワッシュの作品がかけられている。

 わたしはショックを受けて呟いた。

「ただの成金……いいえ、センスも教養もない最低の成金だわ。いいえ、まさかこんなことがあるはずがない、きっとふざけてるんだわ。でも、どう努力したらこんなひどい家ができあがるというの……? まさに欠陥住宅。何が欠陥かって、オーナーの美意識が欠陥よ。できの悪いオカマ、それも学園祭で浮かれた大学生のノリをトッピングした産物を見る気分だわ。これは、そう、産業廃棄物に似てるわ。公害問題じゃないの? 政府は税金を余分にむしり取るべきよ。わたしはこの家の様式を悲惨様式と名付けるわ」

「そこまで言う!?」

 

 ゼパイルとリグズが待たされて10分ほどしてから、応接間に50代後半くらいの男とそのボディーガードらしき男のふたりが入ってきた。ボディーガードはドアとソファの中間あたりに立った。年輩の方の男は、頭は半分ほど禿げてはいるけれど高そうなクラシコイタリア風のスーツを着ていて、それがよく様になっていた。男は立ち上がったゼパイルとリグズに手振りで着席を促し、自分も彼らの正面に座った。

「フリアだ」

 男は自己紹介し、一呼吸置いた。

「さて。話をはじめようか」

 

 わたしはユタカをちらりと見た。ユタカは得たりとうなずいた。

「いる。マーヴェルファミリーの金融部門の幹部がそんな名前だ。でも本物かどうか調べるのにはもう少し時間がかかるよ」

「いいわ。お願いね」

 

 フリアは微笑んだ。

「まずは君の正体を明らかにしてくれないか?」

「バウカーだ」

 ゼパイルは用意してきた偽名と用件を告げた。

「あんたたちと取引がしたい」

「どうやってリグズを見つけた?」

「難しくなかった。すべてに栓をすることはできないんだからな」

 もちろんわたしが教えた。リグズがジュリアンのオフィスを何度も訪ねていることくらい簡単にわかった。防犯カメラ、受付嬢、来訪者記録、秘書、そしてわたし。開いている栓はたぶんフリアが考えているよりも多くて、怪しい人物を抽出してユタカにマーヴェルファミリー構成員との照合を頼めば一発だった。

「そうなんだろうね。そして私までたどり着いたわけだ、おめでとう。まあよく堂々と乗り込んで来たものだ。どうだ、緊張はしてないかね?」

 ゼパイルは無言だった。フリアは笑った。

「リラックスしてくれよ。世間話でもして緊張をほぐしてやるのもいいが、生憎多忙で時間がなくてね」

「無駄話をしに来たんじゃない」

 その言葉はわたしにすら虚勢に聞こえた。フリアの背後に立っているボディーガードはあからさまににやついた。フリアはあえて気づいたふうを見せなかった。

「そうか。じゃあ本題に入ろう。君も察しているだろうが、この業界もなかなか微妙なものでね。並大抵の苦労じゃなかったがそれでもなんとか何年もやってこれた。それを君のような何物とも知れない男にめちゃくちゃにされてはかなわない。それで君の目的をはっきり聞かせてもらいたいんだ。私が気にしているのはそれだけだ」

「言っただろう、取引がしたいんだと」

「その君がしたいという取引とはなんだ?」

「金を貸してほしい」

 フリアはまた上品に微笑んだ。

 

 ユタカは目を点にして、初めて画面から目を離してわたしをうかがうように見つめた。

「ど、どういうこと? 借金を頼むためにここまでしたってこと? はあ?」

「落ち着きなさいよ」

「額が大きいから? それともこれは何かの交渉術?」

「いいから。ほら、見守りましょう。そのうちわかるわ」

 

「いくら必要なのかな?」

「2億。とりあえずそれだけあればいい」

「なるほど。かなりの大金だな。しかし私が出せない額ではない。問題は君が返せる額かどうかということだ」

「返せなさそうか?」

 ゼパイルは両腕を広げて自分を相手に見せた。袖からのぞく銀の時計。趣味のいい高価なスーツ。フリアもそれを認めた。

「悪くないな。自分で選んだのかね?」

「女と。それがどうかしたか?」

「いやなに、君自身のテイストではないと感じたものでね」

 

(たしかにわたしも女だけど)

 わたしが苦笑したからユタカにも女が誰を指すのかわかったらしかった。

「あんた何してんの? 服くらいひとりで選ばせなよ」

 そう言うユタカは変な英字――Flapper――がプリントされただぶついたパーカーとジーンズ姿だった。

(ハエたたき? それともガリバー?)

 ゼパイルだってユタカには何も言われたくないに違いない。

 

「オレが返せる額かどうかは問題じゃない。フリア、あんただってそれはわかっているだろう」

「ふむ、そうだな。――それは?」

 フリアはゼパイルが持ってきたスーツケースに目を留めた。ゼパイルはその意を受けてスーツケースをテーブルに載せ、鍵を開けて開いて見せた。フリアは、ほう、と興味深そうな声を上げた。

 中に入っていたのは花器だった。ダウムの『竜胆文花器』。高さはちょうど30センチメートルで、被せガラスの技法が使われている。乳白色の背景にすっと伸びた笹に似た葉と紫色のうつむいた花がエッチングで描かれている。ダウムのサインもちゃんと側面に入っている。市場価格は150万ジェニー前後といったところだ。

「利子として受け取ってくれて構わない」

 ゼパイルはスーツケースをそっとフリアのほうに押した。

 フリアは梱包材の中から慎重に花器を取り出してよくよく眺めた。胸ポケットから拡大鏡を取り出して細かいところまで。

「なるほど」

 うなずいて、フリアは文花器をテーブルにおいた。

「2億ジェニーと言ったかね?」

「ああ」

「悪いが、金を貸すにも無条件でというわけにはいかない」

「わかっている」

 手ごたえをつかんだのか、このころにはゼパイルの声色から不安や恐れといったものが消え、余裕と自信すら感じられるようになっていた。ゼパイルのことだから演技がうまいだけだろうけれど。

「もちろん担保は用意している。すべて美術品でだが、問題あるか?」

「ないとも」

「それらはすべてしかるべき場所に保管している。美術品は繊細だ、わかってもらえるだろうが。そちらから目利きを寄こしてもらえればありがたい」

 フリアはうなずいて受け入れた。

「リグズ」

 リグズは頭を下げ、軽く目を伏せて拝命賜った。

「鑑定家としてリグズを遣わそう。有能な男だ。鑑定と引き渡しがすんだら君の指定の口座に金を振りこもう。これは君の要求の2億ジェニーを保証するものではないが――鑑定結果が出ないことには何とも言えんからね――初回サービスとして多少色をつけるつもりだ。継続的な関係になると期待してもいいんだろう?」

「こちらとしてもそれを願っている」

 ゼパイルは落ち着いて答えた。

 

「え、だからどういうこと?」

 話がついてひとまずほっとしていたわたしは、ユタカの得心のいっていない呟きに一瞬耳を疑った。

「は?」

「いや、オレよく呑み込めてないんだけど……。結局フリアから金を借りることになったってことでいいんだよな?」

(冗談でしょ?)

 わたしは目をぱちくりした。

「えっと、まあそういう体ではあるわね」

「実体は違うってこと?」

「もちろんよ」

 お互いに眉を寄せて首をひねった。そしてわたしはほんとうにわかっていないらしいユタカにどこから説明したものかと頭を悩ませた。

 やっぱりはじめから丁寧にやるしかないだろう。

「ヨークシンドリームオークションって知ってるわよね?」

「ああ、9月にやってるやつ。行ったことないけど」

「その通り。疑いなく世界最大の大規模なオークションフェスティバルよ。日程は10日間で、公式のオークションだけで数十兆ものお金が動くと言われているわ。まあ業者市とか値札競売市とか実行委員会と州に届が出されているものはとにかくすべて含まれてるみたいだからね、正確に把握することはできないし、わたしは景気よく数字を盛ってると思うけど」

「大金が動くことは間違いないわけだ」

「そう。そして期間中は多数の闇オークションも催されるわ」

 ユタカは不穏な単語に少したじろいだ。

「こんなに大規模に人やお金や美術品が動く機会をマフィアが見逃すはずはない、そうでしょう?」

 ジャポン人のユタカの感覚じゃ理解できないかもしれないけれど、ここは世界最大の犯罪都市ヨークシンなのだ。

「マフィアは各種の闇オークションを取り仕切ってるわ。バックについてるだけのものもあれば、どこかのマフィアが単独でオークションを開催することもある。マーヴェルファミリーのオークションはなかなか質が高いって聞くわね。でも一番規模が大きくて有名なのはマフィアンコミュニティーが主催するオークションなの。

 これが変わっててね、身内向けのオークションなのよ。客はコミュニティーに参加しているファミリーの幹部やボスでね、そんなやつらが価値なんてちゃんとわかるはずないし、自分たちのファミリーの経済力を示すために競り落とすなんて美術品がかわいそうすぎるんだけど、大物ばかりが集まるのよ。できるならわたしも参加したいわ。芸術に理解のない人の手に渡って倉庫で死蔵されるなんて、美術品に対する冒涜だもの。それくらいならわたしが手元で可愛がってあげたい――」

「あのさ、さえぎって悪いんだけど、話それてない?」

「――ちょっとくらいいいじゃない。細かいわね。じゃあ、えーと、こういうところで競られる美術品ってどこから来ると思う?」

 ユタカは嫌そうな顔をした。

「あー、わかってきた。つまりやつらの普段の活動からだろ? 窃盗団から買ったり、上納されたものだったり、貸金業で担保として得たものだったり」

 わたしはにっこり笑って合格点を出した。

「そういうこと。フリアはマーヴェルファミリーの貸金業を統括する幹部なのよ。彼は己の職権の範囲内でこのビジネスをやってるの。だから貸し借りの形をとってるだけで、実体は売買だわ。借りるほうも貸すほうも、お金は返らず担保は流れること前提で取引するのよ」

「まじかよ……なんであんたがそんなこと知ってんだよ」

「美術販売業界の応用知識よ」

 こういう予備知識を知らなくても彼らの話の流れから察してほしいところではあった。

 わたしはパソコンの画面に目を戻した。ゼパイルがタクシーに乗り込むところだった。説明に気を取られていて具体的な話をろくに聞いていなかった。あとから録画を見返さなくちゃならない。でもとりあえず取引はうまくいったようだった。こういうことを盗品が全部さばけるまであと何カ所かで繰り返せばいい。美術品を右から左へ転がすだけの簡単なお仕事だ。簡単ではあるけれど、誰にでもできるわけじゃない。素人がやったって百戦錬磨の専門家のカモにされるだけだ。

(そうよ、なめられたら終わりなのよ)

 美術品を現金に換える方法はほかにもいくつかある。マフィアへの転売が失敗すれば、それを勉強料と思ってゼパイルの冥福を祈りつつ別のやり方を試してみるつもりだった。でもゼパイルはなんとかうまくやってくれた。そのことにほっとした。

「それで、担保にする2億分もの美術品の当てはあるのかよ?」

「ええ、まあ」

「それ、どこから持ってくるんだよ?」

 わたしは意味ありげに微笑んだ。

「そのうち教えてあげるわ」

「ちょ、なんだよそれ!」

(でもどうせ――)

「あなたなら教えられなくてもわかると思うけど」

「わかんないよ!」

「わかるわよ」

 事実、しばらく後に、わたしの言った通りになった。

 




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