ゴーストワールド   作:まや子

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7. モーナンカス

 モーナンカス王国――ヨークシンから飛行船で北へ2日。アラキバ湾の宝石と称され、風光明媚で知られるこの小国には、実際にその宝石を身につけた君主がいる。モーナンカスは王冠に輝く宝石なのだ。多少傷はついているにしても価値はまだまだ衰えるところを知らず、多くの人間と富を引き寄せる。ここはずっと以前からハイソサエティの定着する地だった。公然たる富と快楽――1億も2億もするヨット、高級車、おとぎ話に出てくるお城のような邸宅や別荘、退位したよその国の国王とその王妃たち、肩書きないし称号で商売をしているプリンスやプリンセス、そして世界でもっとも名の通ったカジノ――世俗的な欲望が勝手気ままにふるまう別天地なのだった。

 

 赤道と南回帰線の中間あたりに位置するモーナンカスは熱帯の真っただ中。1月のこの時期はスコールが多いけれど、海は穏やかで透明度も高い。

 わたしは探していた海岸通りのカフェを見つけた。洒落た日よけといかにも南国らしい緑濃い植物がつくる陰に、テーブルと籐の椅子がならべられている。昼下がりの、一日でいちばん暑い時間。強い陽光でなにもかもがくっきりと輪郭をとっている。

 わたしが空いている席に座ると、ウェイターが奥から注文をとりにきた。やがてグラスを盆にのせて戻ってくると、それをわたしの前に見栄えよく置いた。レモネード。芸のある選択ではないけれど、やっぱりこれに限る。レモン果汁に砂糖とソーダ水だけのシンプルな飲み物だけれど、暑さと時が止まったような閑暇の中では最高においしい。有無を言わせぬ力がある。ヨークシンのエアコンのきいたオフィス――最近では仕事ばかりか寝食もそこでしている――ではただのシュワシュワする甘苦い水でしかないのに。

 わたしはおおいにリゾート気分を楽しみながら、もってきていた本を広げた。その本『アラキバ湾紀行』からモーナンカスの歴史に関するくだりを読む。この世界は前の世界とは大きく違うところも多いけれど、類似点も多い。記憶と引き比べながら読むとついついのめりこんでしまうほどおもしろかった。

 

 しばらくしてふと顔を上げると、広場の向こうに見覚えのある青年の姿があった。わたしが見間違えるはずもない。ついぎょっとしてしまったのはご愛嬌だ。

 わたしは本を閉じてテーブルに置いた。胸に下げた時計をみると、約束の時間ぴったり。ちょうど本が佳境だったからもっと待たせてくれてもよかった。

 彼の近くには知ったような顔がいた。会ったことはなかったけれど、ひと眼見てすぐに誰だかわかって、わたしは小さくため息をついた。

(なんでこいつまでいるのよ)

 ふたりはシャツにコットンパンツという幾分カジュアルな装いだった。よく似合っているだけでなく――素直な気持ちになれば、すごくかっこいいと言えた。

 彼は悠々と近づいてきて向かいの椅子に座り、ウェイターにアーモンドとミントで香りづけしたこの地方特産のお酒を持って来させた。

 わたしは作り笑いを浮かべた。

「ひさしぶりね、クロロ」

 それからつんとあごを持ち上げた。

「あちらの方、お仲間よね。連れてくるとは聞いてなかったけど」

「ああ、やっぱり知ってたんだ。じゃあ紹介しようか。――シャル、来てくれ」

 クロロはわたしの非難がましい目つきや口調をまったく意に介さず、シャルナークを呼び寄せた。

「この子?」

 軽い足取りで歩み寄ってきた金髪碧眼の好青年風のシャルナークが尋ねた。クロロは、ああ、と小さくうなずいた。わたしは仕方なくウェイターに合図して椅子を足し、シャルナークの飲み物を頼むついでに自分のおかわりも注文した。

  

 会話をリードしたのは、シャルって呼んで、とにこにこ愛想よく笑うシャルナークだった。彼はかなり話術が巧みで、おいしいと評判のレストランやヨット――彼はもうすでに旅団の移動担当なのだろうか――の話などで盛り上げていた。初対面の人間が親しくなるうえで普通明かすようなこと、略歴のようなものは語られなかった。わたしたちはしばらくの間、互いに真の胸の内をさらしたくないときの常で、さしさわりのない半ば世間話のような話ばかりしていた。その会話が一段落ついて沈黙が落ち、わたしはなんとなく雰囲気が変わったのに気づいた。

 ふたりを用心しいしい見つめる。

 こういうときも会話の進行役となるのはシャルナークらしい。あのさ、と彼は用件を切り出した。

「オレたち、エミール会に行きたいんだよね」

(そうきたか)

 

 エミール会というのは、前の世界でいう交換会みたいなものだ。

 交換会とはオークションとはまたちがった美術市場で、日本特有のシステムだったと記憶している。

 オークションの場合、オークション会社が売り手と買い手との間に入り、競売で売買が成立すると双方からオークション会社に手数料が支払われる。たとえばある絵画が5000万ジェニーで落札されたとする。料率は10パーセント。買い手はオークション会社に5500万ジェニーを入金し、その後に売り手に4500万ジェニーがオークション会社から支払われるというシステムになっている。

 交換会の場合、買い手からの入金を待たず、競売が成立すれば即刻――とはいっても原則は翌日だけれど――売り手はその代金を受けとることができる。

 買い手からの入金がないのに支払いができるのはどうしてか? それは金融機能が働いているからなのだ。つまり交換会は、会員から預かっている出資金と交換会の信用により銀行から融資を受けて資金を調達し、売り手に代金を支払うのだ。売り手にとって買い手の入金を待つ必要がなくすぐに代金を受け取れるのは大きなメリットだ。そして買い手には競売成立後の支払い猶予期間が与えられていて、こちらも大きなメリットになる。交換会は買い手に信用を付与しているわけだ。したがって、会員になるためには審査と承認というハードルが用意されている。

 エミール会が交換会に似て異なるのはこの部分。つまり、交換会に参加できるのは会を主宰する協同組合に審査され承認された同業者会員であるけれど、エミール会には同時に、会を主宰する協同組合(エミールアートコーポレイティヴ)に審査され承認された信用のある客たちも参加できるのだ。そしてその信用のある客というのがお金持ちたちというわけだ。近年では明らかに彼らのほうがメインとなっていて、会の性格も変わってきた。もうほとんど社交場と言っても差し支えないと思う。

 オークションと交換会およびエミール会の違いは参加者や代金の入金と支払およびその原資だけではない。たとえば、売買手数料は、オークションの場合10~20パーセントだけれど、交換会やエミール会の場合5パーセントとかなり安い。そしてたぶんここからが今回のポイントなのだけれど、オークションは競りを公開するのに対して交換会・エミール会は非公開であり、オークションには下見やカタログがあるけれど交換会・エミール会にはないのだ。

 

 察するところ、わたしの目の前の面々は、次なる獲物としてモーナンカスの美術品競売会に目をつけた。ところがどうやっても参加資格を手に入れられない。美術商を装うにも組合に入れない。そこで適当な身分と金のある会員に自分たちの活動を手伝ってもらおうと考えた、という事情なのだろう。

 シャルナークがいる理由がばっちりわかった。会員名簿を手に入れるためだ。そしていざとなったら参加会員――つまりわたし――にアンテナを刺して操るためだ。

(読めてきたぞ)

 わたしは慎重に答えた。

「あなたたちには難しいんじゃない?」

 このモーナンカスに呼び出し、この話を振ってきたということは、わたしが――正確にはグレイ家が――会員だと知っているということだ。間違いなく調べられている。

「うん。だから、なんとかならないかなーと思って。いい方法ない?」

 ある。ただ、彼らがしでかすだろうことを想像すると、その方法はとりたくない。わたしの信用が傷つきかねないから。とりたくはないのだけれど――。

「なくはないけど……」

 ほかにどう答えられる?

 わたしは渋々彼らが期待しているような説明をした。

「基本は会員を含むペアでしか参加できないのよ」

「それで?」

「だから、つまりわたしのパートナーとしてならエミール会に参加できるわ」

 彼らは試してきているのだ。わたしが利用できる人間かどうかを。

 利用されている感がものすごく嫌だったけれど、わたしは嫌々ながらに彼らに助力を申し出た。

「もしよかったら、そうしてさしあげましょうか? エミール会に参加できるよう取り計らってさしあげましょうか? シャルがパートナーならいいわよ」

「オレ?」

「プロハンターだもの」

 こちらにだって体面というものがある。危険度ではもうどちらも閾値を軽く突破していて選ぶ意味もないけれど、社会的ステータスではふたりには大きな隔たりがある。表の世界ではシャルナークはハンターという世界中どこでも神通力を発揮する偉大な資格の保有者だけれど、クロロなど身も蓋もない言い方をすれば正業に就いていない顔がいいだけの男にすぎないのだ。

「ふーん、オレがハンターだって知ってたんだ。でも、ほんとにいいの?」

「ええ」

 なにが、いいの?だ。そうさせておいて。面の皮が厚すぎる。

 

 わたしは一方的に協力させられるつもりはなかった。彼らからまだ何の確約も取り付けていない。これからが本題だ。

「それで、手に入れたお宝の処分はどうやってるの?」

 クロロは話題にはさして関心を見せようとせず、肩をすくめただけだった。

 わたしは、苛々しないで、落ち着いて、と自分に言い聞かせながらふたりの表情や仕草をいっそう注意深く観察していた。事の成り行きが思い描いていたようには進みそうにないな、とわたしは半ば危ぶみながらまた口を開いた。

「眺めて楽しんで、それから? 換金は?」

 クロロの眉がすっと上がった。

「君はオレたちが盗んだものをどう扱うか知ってるの?」

 このとき、たぶんわたしは、笑ってしまったんだと思う。クロロの口角がちょっと下がったのを見てあわてて顔を引き締めた。シャルナークはもっとポーカーフェイスがうまいのかこうした機微にはあまり聡くないのか、何も気づいた様子はなかった。

 こんな交渉の場でにやついたわたしは馬鹿だった。でもしょうがないわよね、とも思う。だって、強者であるはずのクロロが傲慢で率直な態度を脇に置いておいて、警戒しいしい探りをかけてくるものだから。そうしたせいで、彼はわたしがどれだけ幻影旅団について知っているのかわからず多少不安がっているということをわたしに知らせてしまったのだ。

 なんだかんだ言ってもクロロもたった20歳の若造にすぎないんだなあ、と気を軽くしながらわたしは記憶をさらいはじめた。

「このあいだ、知り合いのホームパーティーに招待されたの。でね、行ってみると、なんと1年半前にポストンの旧家ジョーンズ家である強盗団に盗まれたはずのオーデュポンパターンの銀食器が出てきたのよ。わたしの勘違いなんかじゃないわ。だってね、持ち手の裏に模様に紛れるように、でもちゃーんとイニシャルが入っていたの。AVJってね。アントニア・ヴィリー=ジョーンズ――まだアルファベットが一般的だった時代の、ジョーンズ家の先祖の名前よ。

 どうしてこんなものが?とわたしは訝ったわ。素直に聞いてみたの。そうしたら、最近手に入れたものだって言うじゃない。まったく無邪気な様子だったわ。たぶん彼らは盗品だと知らずに買ったのね」

「簡潔に話してくれない?」

「あー、うん、ごめんなさい。こういう話にはつい力が入ってしまって……。えーと、こういうパターンってあんまりないのよ。普通、こういった組織だった美術品犯罪は、どれそれを盗ってきてほしいとあらかじめ依頼主から注文があってから標的が盗まれるものなの。そうしたものは1年半近くも経ってから買い手の手に渡るなんてことはないの。計画的だし、専門的な犯罪類型なのよ。だから気づいたわけ。あなたたちはこの業界の人間ではないし、この業界にまともなコネも持ってないって。

 なんでそういう人間が美術品を狙うのかよくわからないけど――だってそうよね、トラックで宝物を盗むこととその御利益にあずかることはまったく別の話よ。現金ならたいした疑いももたれることなく使ってしまえるけど、美術品はそうはいかないわ。どこかで換金しないといけない。かといって美術品そのものが目的でもないわね、いずれ闇に流れているようだから。考えられるのは何? せいぜい、美術品を一時的にせよ鑑賞しているのか、伝統や格式に対する攻撃という意味もあるのか、というくらいね。ね、あなたたちが盗んだものをどう扱うかなんて、簡単に推測できるでしょう? まあそれはどうだっていいの、興味ないわ。

 つまり、そう、あなたたちはこの美術業界にもう少し人脈があってもいいんじゃないかしら、ということが言いたかったの。――どう? これでクロロ、あなたの質問に答えて、わたしの用件が明らかになった?」

 クロロは意図の判然としないため息をついた。

「そうだな」

 シャルナークは皮肉っぽく言った。

「賢いんだね、クローディア」

 意外だった。もっと違う態度を示すと思っていた。わたしはふたりの反応のなさに気をもんだ。

(あのため息はいったい何?)

 今した説明はすべて後付けだった。原作知識に適合的な事実を沿わせただけ。そんな事実が都合よく転がっているはずもなく、必死に探してこれだけしか見つけることができなかった。ちょっと無理があるかもしれない、でもこれでごまかされてくれればいいと思っていたけれど、そうなるには彼らの頭が良すぎたかもしれない。

「何がピンとこないの?」

 わたしは暑さのためか緊張のためかよくわからない汗をぬぐいながら尋ねてみた。尋ねながら、そんなのいっぱいありすぎるくらいだとわかっていた。まずわたしには実績がない。それからちゃんと仕事をする能力があるかどうかも不明瞭。加えて、幼すぎて誰にもまともに相手にしてもらえない可能性がある。おまけに怪しい。ほかにも色々。それら諸々の理由を一言にまとめて、クロロは切って捨てた。

「君を信用できない」

 わたしはそれを一笑に付した。

「あなた、宇宙人っていると信じてる? 妖精はどう? 探したことある?」

「……つまり、信用できる故買商なんているわけがない、だから信用できないという言い訳はナンセンスだ――こう言いたいんだな」

「その通りよ」

 わたしだって、自分に足りないものがたくさんあるのはわかっているし、ちょっと山師っぽいところがあるのも自覚している。でもそんなのはお互いさまだろう。

「信用できないっていうのは能力面でのことだ」

「そう。なら証明する機会をまずくれないとね」

「オレが? はじめからその能力があるとわかっている相手と取引したいな」

「コストの問題? 安全性の問題? もっともだけど、違うところに目を向けなさいよ。そういう業者は取引相手に苦労してないの。あなた、絶対買いたたかれてるわよ」

「それでもそういう業者に客がつくのはどういうわけか、君ももう少し考えれば?」

「後進を育てるくらいの気概を持ちなさいよ」

「悪いが、それはオレの仕事じゃない」

 クロロは、話は終わり、とばかりに背もたれに寄り掛かって手を振った。

「君の頭は回るし、空港を爆弾でふっ飛ばすくらいのことができるのは知ってるけど、だからって君を使おうとは思わない。わかるだろ」

 こういうふうに時間がたって、軽くあしらわれれば、強気な気持ちも小さくなった。グラスの底に残っていた溶けた氷で薄まったレモネードを下品な音が出るぎりぎりまで吸いこみながら、失敗したかなあ、と急に気持ちがしぼんでいくのを感じていた。もっと適当に盗賊運営しているのだと思っていた。

(こういうときのためのゼパイルなのに)

 交渉事はわたしの得意とすることじゃなかった。ゼパイルならもっとうまくやれただろうと思うと、なおさら情報屋の裏切りが悔しかった。クロロにわたしを指名されなければゼパイルにやらせることができたのだ。命が惜しいから幻影旅団と対面するのも怖かった。こういう苦労も恐怖も危険もすべてゼパイルに押しつける気でいたのに。

 わたしは気力を振り絞ってなおも言いつのった。

「それでもあなたは断らない。そうじゃなかったらここへ来ないし、わたしに頼みごともしない」

「頼みごとに聞こえたか? なら悪いが、そうじゃない。ここへは君を利用しに来たんだ」

 凄みのある笑みでそう言われれば、もう黙るしかなかった。

(若造? たった20歳の若造? こいつが? ……わたしったらなんて馬鹿なの)

 何というか、格が違った。敗北感で胸がいっぱいだった。

「頭がよくて、やる気がある。将来、いい故買商になれるよ」

(あなたがそれを言うの?)

 わたしの顔にかすかに苦笑いが浮かんだ。

「ねえ、あなたたち、この道に入ったときに一回でもいい、誰かに言われたことある? まだ若すぎると?」

 わたしは穏やかな黒い目と悪気なさそうな碧い眼を覗きこむようにみつめた。

(そんなこと言ってくれる大人なんていなかったわよね)

「ないな」

「ない」

「それで、わたしの何が問題なわけ?」

 クロロはテーブルに肘をついて手を組んで何事かをしばらく考えていたけれど、やがてわたしの目を見て言った。

「いいだろう」

 

 彼らはウェイターを呼んで勘定を払い、席を立った。

「ちょっと待ちなさいよ。まだ話は終わってないでしょ」

「いや、終わりだよ。――次はもう少し別の話をしよう」

 わたしは口元を曲げたけれど誰も気にしてくれなかった。自分の意見を押し通せるだけの力もないから渋々身を引くしかなかった。

 クロロはそのあいだもテーブルの上の本をじっと見ていた。ずっと気になっていたようだった。

「『アラキバ湾紀行』か」

「いい本よ」

 彼はうなずいた。

「君が選んだのならそうなんだろう」

 わたしは微笑んだ。クロロも微笑んだ。

 まったく、これだけの関係でいられればどれだけ素敵だろう。でもそれは、わたしの望むわたしたちのありようではないのだ。

 


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