次は来月辺りに投稿で出来れば良いなぁ、と思います。
横須賀鎮守府が深海棲艦の空襲を受けている頃、洋上でもまた一つの戦いがあった。
軽巡酒匂はハエの様に集る敵機の攻撃を受け必死の応戦を行っていた。
「対空砲火、左舷薄いぞ!」
「機関部、もっと速力は出せんのか!」
「ぴゃ〜、敵機の位置を知らせてくれって、雲で隠れて良く見えないよ〜」
酒匂の艦橋では、艦娘酒匂と乗り込んでいた青年士官達が必死に指示を出しているが、敵機はそれを嘲笑うが如く巧みな操縦で次々と機銃掃射を浴びせてくる。
幸いにして爆弾や魚雷の類は装備していない様だが、敵機の攻撃は甲板上の構造物に集中し、このままでは酒匂の戦闘力が喪失するのも時間の問題であった。
「本土からは、横須賀からは何もないんですか⁉︎」
「う〜、何も入ってこないよ」
と俯く酒匂。
この時横須賀鎮守府は敵爆撃機による空襲を受けており、それどころではなかった。
しかしそういった事情を知らない彼女彼等からすれば、自分達は見捨てられたのでは?最早此処までか?そういった空気が艦橋に漏れ出していた。
こちらの練度不足と言う事もあり、酒匂の対空砲火は碌に当たらず、敵機にいい様にあしらわれて士気が下がっている中、指揮官が不安そうな顔をすると部下達にもその不安は容易く伝播してしまう。
敵機の攻撃が次第に大胆になってきている時に、これではいけないと気付いた一人が。
「諦めるのはまだ早い。今に味方が助けに来る筈…」
と仲間を励まそうとするが、その時見張り員が水平線の彼方に新たな編隊を確認した。
「12時方向、新たに機影を確認。数は凡そ五十!」
五十機もの新たな編隊が此方の真正面から此方に向かってくる。
その報告に誰しもが絶望に打ちひしがれた。
唯でさえ今の状況で手一杯なにのそこに五十機が加わるとなると、いよいよもって彼女彼等は覚悟しなければならない様に思えた時、報告には続きがあった。
「!これは…味方からの通信です。前方の編隊は敵ではありません。味方の救援です」
通信手ノット妖精さんが興奮気味に伝えてきたその内容に艦橋は一瞬、
「え?」
となったが、次にそれは歓喜へと変わった。
そして味方機が大挙して救援に来ると言う報告は艦内放送で乗組員全員に伝えられ、彼等の士気を回復させた。
この時向かって来ている編隊はアルウスから発艦したものであり、艦隊と酒匂との位置もそう遠くはなかった。
酒匂を襲っていた敵機も向かってくる機体の数に不利と思ったか、次々と翼を翻し空域からの離脱を始める。
だが彼等が無事に帰還する事は叶わなかった。
アルウスから発艦した艦載機群は執拗に追撃を行い、彼等を収容する為空域に留まっていた空中母艦ごと全滅させられたのだ。
この後、酒匂とその乗組員達達は無事味方の艦隊に収容され彼等の初陣はこうして終わりを告げた。
だが、彼等の仕事が終わったわけでは無い。
戦闘終了後、負傷者の手当てと艦内への収容は速やかに行われ、損傷箇所の応急修理も並行して行われた。
船体の彼方此方に生々しい機銃弾の痕が刻まれ痛々しい姿であったが、幸いにも機関部は致命的な損傷を受けずに済んだことで自力航行が可能であり、この点では味方の助けを必要とはしなかった。
途中焙煎が乗るデュアルクレイターと合流し、一路帰還の途に着く。
しかし、彼等が目にしたのは空襲により廃墟同然と化した横須賀鎮守府であった。
横須賀鎮守府が深海棲艦の空襲を受けてから一週間。
当初慌ただしく行われていた瓦礫に埋もれた負傷者の救助と被害調査が終わり、鎮守府各所に山と積まれていた瓦礫や残骸は跡形も無く撤去され、生々しく残っていた爆撃の後も表面上は綺麗に舗装されまるで何事もなかったかの様な状態であった。
これは幾つかの理由が挙げられるが、一つに敵爆撃機の空襲は鎮守府司令施設等の地上施設に集中しこそすれ、人的損害は非常に少なく直ぐに司令機能が回復出来た事。
並びに肝心の港湾施設や艦娘、船舶には目立った被害が出なかった事。
特に横須賀鎮守府の心臓部とも言える海軍工廠が、屋根を吹き飛ばされた程度で済んでおり、損傷した艦娘達が早期に戦線復帰が可能であった事。
そして付け加えるのなら巨大ドック艦スキズブラズニルのお陰であった。
スキズブラズニルはその有り余るマンパワーもとい妖精さん達を大量投入しての後片付けと、溜め込んでいた資材を一挙(焙煎に無許可で)に放出して早期の基地機能の回復に努め。
特に空襲の被害を受けた甘味処「間宮さん」の復旧は迅速であった。
しかもこれを機に大規模なリフォームも行われる予定である。
この他にも負傷者のベットが足らなければ病院船を建造して収容し、海軍工廠では手が回らない損傷した艦娘達を自身のドックで入渠させ。
その巨大ドック艦の名に恥じぬ八面六臂の活躍ぶりは、専門の部隊をして唸らせる程であった。
これらは全てスキズブラズニルが独断で行った事であったが、これによる問題は精々焙煎の頭髪がまた禿げた程度である。
(結果として、海軍工廠で無断使用した各種資材や備品などの横領については不問とされた)
スキズブラズニル等の活躍により鎮守府の復興は早く進んだが、依然として空襲の脅威が去ったわけではない。
高高度を飛行する敵機に対して海上戦力は全くの無力である事を露呈し、南方より飛来するこの新たな敵に対し海軍は具体的な解決策を見出せずにいた。
焙煎が「自分が海軍軍令部の長い廊下を歩くのはこれで何度目か?」と自分でも不思議に思う位には通い慣れた道を通り、この日は海軍元帥高野に呼び出されていた。
自身でも高野と海軍の半ば便利屋扱いに辟易してきた所なのだが、並み居る参謀と鎮守府提督達からすればこの程度当然の宮仕えであった。
今海軍を取り巻く環境は一変している。
先の空襲の一件によって海軍の権威は大きく傷付き作戦を主導した参謀達は軒並み更迭されたうえ、海軍元帥高野も又厳しい立場に追いやられていた。
総司令官不在の中空襲を防げなかった事は海軍と高野元帥の落ち度であるが、長年本土上空の守りを疎かにした本土政府側の姿勢にも責任の一端はある。
外では連日の様にデモが起き、本土政府は統制に苦慮しているとニュースや各種メディアが伝えてくる。
今更ながら彼等も自分達が戦争をしているのだと気付かされた格好だが、裏を返せばそれだけ本土は平和であったのだ。
平和、この言葉は焙煎が生まれてからこの方無縁の言葉であった。
焙煎が生まれたのは戦争終結直後の国土が荒廃し混乱期にあった世界であり、そこは平和と言う言葉とは程遠い場所であり、この世界に来ても焙煎は生きる為に自ら進んで戦争へと身を投じている。
しかも何の因果か元の世界を荒廃させた元凶である超兵器達を従えて、である。
しかし、それが無ければ焙煎はとっくに南方の海で戦死していたであろう事は疑いようがない。
だがそれと引き換えに自身の身に余り過ぎる程の力を得てしまい、済し崩し的に戦争拡大の片棒を(半ば自ら望んだとは言え)担がされている、と言うのは余りにも身勝手で虫のいい話か。
と其処まで考えている間に焙煎は執務室の前に着いていた。
後は何時もの通り守衛に誰何を受けてから中に通され、そこで暫く待たされてから高野と面会するのが何時ものパターンであった。
しかしこの日は彼が来たと知らされると直ぐに部屋に通された。
既に部屋では高野が椅子に座り焙煎を待っていたのだ。
「さて、君には又借りを作ってしまったな焙煎少佐」
二人の間に出された茶と菓子に手をつける間もなく、高野はそう切り出した。
この貸しとは鎮守府復興にスキズブラズニルが手を貸している事を言っているのだろう。
焙煎としては自分に断りもなく資材を使われたり、ドックを使ったりされても文句の一つも言えないので、曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。
「いえ、これはスキズ…此方の艦娘が勝手にした事ですので寧ろかえってご迷惑をおかけしませんでしたか?」
敢えて必要以上に謙遜してみせる焙煎だが、余り自分達の有用性と言うのを見せ過ぎるのも考えものだと言うこれ迄の経験から出た言葉であった。
元々大部分の資材は海軍から提供された物なのだから「カエサルのものはカエサルに」、と言う理論も成り立たなくは無い。
(下手に戦場以外でも使えると判断されれば今以上に厄介な事になりかねない。そうで無くともこれ以上身銭は切れないのに)
と言う世知辛い懐事情も関係していた。
「謙遜する事は無い、君達のおかげで致命的な事態は防げた。だがそれで状況が変わったとも言えないがな」
そう話すと高野元帥の雰囲気が変わった。
これから本題を切り出すのであろうと、焙煎は身構え高野の次の言葉を待った。
「近々南方反抗作戦を開始するつもりだ」
まさかよりも矢張り、と言った方が正しいか。
あれ程手痛い被害を受けたのだ、直ぐにでも反撃に移らなければ次の空襲が来るかもしれない。
事実あの空襲の日から本土では灯火管制も夜間外出禁止令が出され、海軍では本土防空の為に高高度性能に優れる機体の開発が急務となっていた。
嘗ての大戦ではこの国は防空戦に敗北し、遂には決定的な惨劇を招く結果となったが。
それと同じ轍を踏まないようにしているが万全の体制を整えるには時間が足らなかった。
「ついては貴官には本隊に先んじて南方海域に侵入。恐らくソロモン諸島の何処かに有るであろう敵爆撃機基地を発見しこれを壊滅させて欲しい」
「それは…随分と急ですね。しかも我々だけで敵の最深部に侵入し敵の飛行場を破壊せよとは…」
「貴官達ならば出来ると思っての事だ。貴官に出来ぬのならば他の誰も出来はしまい」
焙煎としては其処まで買いかぶられていたのかと言う思いと、超兵器ならば或いはと言う二つの気持ちがあった。
焙煎とその超兵器達は以前にも南方海域に潜入し、ソロモン諸島を突破仕掛けた事がある。
その後紆余曲折の末現在に至るのだが、あの時と現在とでは状況が一変している。
恐らくでは無く確実に自分達の存在は警戒され、そして対策もなされているであろう事は北方奪還作戦での経緯から分かっていた。
あの戦いで深海棲艦は撤退しこそすれ、相手に優秀な指揮官と統一された意志があれば通常艦船でも超兵器に対抗出来る事を焙煎に突きつけた。
つまり、今まで自分達が持ってい兵器としての質的優位が無くなりつつあると言っていい。
しかも今度の作戦で同じ様にソロモン諸島に侵入しようとしても、敵の厳重な警戒によって奇襲性も失われている。
その一方で心の中ではそんな不利な状況でも超兵器ならば覆してみせるのでは、と言う思いもあった。
それは焙煎が気付かぬうちに積み重ねてきた超兵器に対する信頼であり、同時に一度過信に繋がれば元の世界での列強の様に自滅の道を歩む可能性もはらんでいた。
「少し待って下さい。確かに以前私は元帥閣下に南方反抗作戦の参加を求められ了承しました。しかし独力で敵最深部にある飛行場を破壊せよとは聞いておりません」
「同じ事では無いのかな?貴官らならば此方と協力しようとしまいと結果は同じであると思うが」
高野の言葉にも一理ある。
超兵器達は皆隔絶した性能を誇るが、それは裏を返せばそれに追従出来るものが居ないと同義なのだ。
艦隊は通常同型艦同士で戦隊を組み、相互に性能が近しい者達で構成されるのが理想とされる。
通常の軍隊でも最も弱い者、足の遅い者に合わせるとあるが超兵器達はこの逆、ワンマンアーミーを誇る強さはかえって互いに足手纏いでしか無くなってしまう。
焙煎も超兵器を建造するに当たって成るべくヴィルベルヴィントの速度に合わせる事を意識していた。
超高速の戦艦である彼女に追従出来るのは、同じ超兵器でも速度が近い者でなければならなかったからだ。
しかしだからと言って焙煎は自分達だけが危険な戦場に行く事を良しとは出来なかった。
万が一にでも超兵器が轟沈でもしたら、それまでに掛けた費用や資材が全て無駄になる。
それは焙煎にとって許されない事であり、彼が段々と指揮官としての自覚が芽生えてきた証拠でもあった。
「正直に言いますも元帥閣下は私達を便利屋か何かと考え違いを為されているのでは?私も指揮官の端くれとして、彼女達を危険な目には会わせたく有りません」
事実焙煎の目から見れば海軍に体良く使われていると感じざる終えなかった。
超兵器と焙煎と言う不穏分子と敵である深海棲艦を噛み合わせ、成功すれば良し。
よしんば失敗したとしてもそれだけ敵の兵力集中を妨げ、後は本隊が疲弊した敵を叩くだけだいい。
或いは深海棲艦と戦っている最中に背後から自分達ごと撃ち漁夫の利を狙うか。
少なくとも海軍にとって一石三鳥になるやもしれない策なのだ。
其処まで焙煎が言うと高野元帥はスッと目を細めた。
言う様になったじゃ無いか小僧、とでも言いたげな瞳を焙煎に投げかける。
或いは「君も艦娘の魔性に囚われたのか」と焙煎を嗤っているようにも見える。
と同時に、決定を覆したければそれ相応の代案を出せと無言で求めてきた。
そして、焙煎にはその腹案があった。
「本土防空の件」
ピクリ、と高野の眉が動く。
「私に任せては下さいませんか?私とそして超兵器ならば二度と本土が敵の空襲を受ける事は無くなるでしょう」
其処で言葉を切って高野の反応を待つ焙煎。
焙煎の考えが正しければ高野は必ず乗ってくるはずだ。
「ほう、本土防空とは。大きく出たが、しかし既にその件は此方で対処している」
今更君が出てくる様な事じゃ無い、と些か失望の念を隠せずにその程度かと高野が思った時。
「本土防空の件、随分と割りを食わされたと聞き及んでいます。実質空陸両軍に相当譲歩を強いられたとか?」
焙煎はここぞと言う場面で切り札を出した。
この時海軍は先の失態で人員や機材、装備の譲渡をせざる得ず、その癖本土防空には口出しが出来ず、しかも内外からの突き上げで無理な出兵も求められている。
焙煎は敢えて言わなかったが、今回の一件では高野は相当追い詰められていた。
内外からの非難の声は大きく、此処で挽回をしなければ高野は良くて辞任、最悪更迭される可能性もあった。
焙煎はそんな高野の弱みに付け入る形で提案しているのだ。
「何が言いたいのだ?焙煎少佐」
「元帥閣下は体制を立て直す時間を欲しておられる。私達はその時間を提供できると思っています」
「つまりは時間稼ぎか」と高野は腕を組む。
この際だからと焙煎は敢えて本音の部分で話した。
「失礼ですが元帥閣下の方こそ出兵には内心反対なのでは?」
「ほう、何故そう思うのだね」
「いまだ海軍主力はトラック諸島に終結が完了しておりません。しかも今の時期は爆撃を受けた直後で士気が下がっている。そんな中手ぐすね引いて待ち構えているであろう敵と当たるのは危険です」
艦娘達が持つ嘗ての大戦の記憶、その中にも今回と同じ様な出来事があった。
そうして今の高野と同じ様な決断を下した結果、その後凋落の一途を辿っている。
「だが敵は待ってはくれんぞ?」
高野の言も最もである。
今反撃しなければ、次は本土首都中枢を狙われるかもしれない。
そうなればこの国は終わる、との危機感が強いのだ。
「元帥閣下の言葉は最もです。しかし今大事なのは敵を討つ事ではなく如何に本土領空の安全を確保するかです」
それからでも南方に出兵するのは遅くは無い、と焙煎は説いた。
「う〜む、私も難しい立場なのだよ。君は私の代わりに彼等を納得させられるのか?」
暗に、高野はこの決定が彼一人によるものでは無いと焙煎に伝えた。
しかし焙煎はここで引くわけには行かなかった。
ここで高野を説得しなければ、彼と超兵器達は海軍の捨て駒として危険な戦場に送り込まれてしまう。
「残念ながら私には説得するだけの能は有りません。然しながら閣下のお役に立つと思っております」
「それは超兵器かね?」
「…私などには過ぎたる力です。しかしながら今閣下のお役に立てる事は確かです」
焙煎は自信が持つ唯一のカードにして鬼札でもあるそれを高野の前で切って見せた。
暫く腕を組んで押し黙る高野、このまま作戦を強硬するのと目の前の小僧の話に乗せられる、その何方がマシかを考える。
「分かった。君の誘いに乗ろうじゃ無いか」
「ありがとうございます」
ホッと安堵する焙煎、しかし此処で気が抜けてはいけない。
彼にはまだやる事が有るのだ。
「先ず最初に幾つかお願いがあるのですが、飛行場を一つお貸し頂きたい。なるべくなら大きいものを」
「それ位ならば」と頷く高野。
海軍が保有管理している基地の内に使っていな物も幾つかある。
大概は緊急着陸用に使われる程度で部隊も駐留してはいない。
それの一つくらい、今の高野でもどうとでもなった。
「必要な資材も援助して頂きたい」
「それは今貴官に供給している物とは別に、と言う事か?」
今海軍が焙煎に供給している量を鑑みて難色を示す高野。
唯でさえ先の空襲で何かと物入りな海軍が、これ以上の出費が嵩むとなると屋台骨が傾きかねない。
「それ程資材や経費はかかりません」
「確約は出来んぞ」
焙煎はこの件については頭の中で「保留」という区分に置いた。
まずは成果を見せろ、と言う事だ。
その後焙煎は高野と幾つかの話し合いをした後執務室を去って行った。
結果として焙煎は高野と海軍に対し作戦の撤回を求める代わりに大幅な譲歩をせざる得ず、と同時にそれは焙煎が海軍とそれを取り巻く政治情勢に自ら足を踏み入れた瞬間でもある。
本人の思いとしてはどうであれ、実質此れから彼がそう見られる事には変わりはなく、しかしそれを知らぬは今だ凡人の域を出ない本人ばかりであり、もう一つ本人の与り知らぬ所である変化があった。
その日、焙煎武衛流我は海軍軍令部より事例が下り、此れまでの数々の功績に報いる形で中佐へと昇進。
実戦に出てから僅か半年足らずでの昇進は人々の注目を集めると共に、否応なく焙煎とその超兵器達を新たな戦いへと巻き込んで行くのである。
海軍軍令部から横須賀鎮守府で彼と超兵器達が寝泊まりしている洋上の宿泊船に戻った焙煎は、これから忙しくなるのにも関わらずドッシリと背もたれに体重を預ける様にして椅子にもたれかかった。
ここ一週間、寝る間も無く空襲後の後始末に追われ、特にスキズブラズニルと鎮守府関係部署との調整に忙殺されていた。
軍と言うのは詰まる所巨大な官僚組織であり、何をするにしても書類が必要であり、戦時とは言え縦割り行政の縄張りを勝手に侵す事は許されない。
この一見不合理かつ理不尽に思える体制も、軍組織を守る為に存在しいみじくも一応の海軍人である焙煎もこれには従わざる終えなかった。
最も今回ばかりは焙煎だけか苦労した訳ではない。
横須賀鎮守府と軍令部に詰める諸提督と参謀や関係スタッフも大体同じ様な目に遭っており、その苦労を等しく分かち合っていると言う点では彼も軍も平等であった。
しかしそれに加えて焙煎の元には、ここ最近連日の如く訪れる海軍と軍需関係者の対応に追われていた。
何故かと言うと空襲を受けた日、海軍工廠の屋根を吹き飛ばして現れた超巨大戦艦。
あの戦いで唯一敵新型機を撃墜したそれは、見た目のインパクトもあって人々の耳目を集めるのに十分すぎた。
(最も偶々起動しただけなので艦娘としては覚醒しておらず、中身が無い状態で動かす事も出来ず復興の邪魔だからと超兵器が三隻がかりで曳航するはめとなったが。)
これにより海軍軍令部と高野元帥の力により情報統制されていた超兵器の存在が一気に拡散し。
その指揮官が焙煎である事も分かってしまい復興が一段落した後、彼の元に艦娘、海軍人問わず幾人も訪れた。
最初訪れるのは艦娘達が多く、仲間の仇を討ってくれた事に関する感謝であったり、スキズブラズニルに対するお礼であり、自分達が救助した酒匂と青年士官達がお礼に来た時など焙煎は珍しく背中がむず痒くなった。
変り種としては広報部に席を置く重巡青葉が訪ねて来たが、中々に事情通な彼女との面会は互いの情報交換と言う形で進み、これが先の呼び出しでも役に立った。
他少数は何故もっと早く助けてくれなかったんだ言う娘もいたが、大多数の艦娘と極一部の提督からは友好的な訪問であった。
だが後に成る程人も質も変わり、やれあの巨大戦艦は何なのだとか、自分達も建造できるのかとか、中には図々しくも研究用に一隻提供してくれとか、大金を彼の前に積み上げる者もいた(少し揺らいだが)。
それ等を一人一人断っていたのでは埒があかないと、焙煎は堪らず宿泊船を洋上へと逃れさせる結果となり、流石に海の上までは追っては来なかったが復興が一段落した今でも彼とその超兵器達はかなり不便を被っている。
最も艦娘である超兵器達は簡単に洋上を行き来出来るので、焙煎程不便では無かったりするのだが。
自室の椅子で少し休んでいる焙煎の他に、部屋の中には彼の隣で相変わらず侍っているヴィルベルヴィントが自分の胸部装甲を枕の代わりにして、ここ最近めっきり薄くなった焙煎の頭を優しく撫でていた。
(この数日で既に阻止限界点を突破し、秋の野に火を放つ勢いで焼き尽くされようとしていたが)
ともすればその心地良さにうっかり寝てしまいそうになる焙煎。
しかし彼の休息も部屋の扉をノックする音で短く終わってしまった。
ゆっくりと頭を上げて椅子にちゃんと坐り直し、机の上に放り出していた軍帽を深く被り直す間にヴィルベルヴィントが何事も無かったかの用に椅子の後ろから斜め横にズレた立ち位置を占める。
二人とも人前で甘えたままでいる程非常識では無く、身嗜みを手早く整えると相手の入室を許す。
「お休み中の所失礼します。焙煎艦長」
入ってきたのは肩から下げたお下げが特徴のドレッドノートであった。
「いや、今さっき戻った所だ。で、何かあったのか?ドレッドノート」
と焙煎が言うが、潜水艦特有の耳の良さで部屋の中で二人が何をしていたのかとうの昔に分かっているドレッドノートは、焙煎の隣に侍るヴィルベルヴィントに一瞬眼を細めると直ぐに焙煎に向き直して話し始める。
「艦長が出かけている間、海軍工廠で調整中だった娘が覚醒しました」
「そうか、なら挨拶しなければな。まだ工廠に居るのか?」
と焙煎が問うと、「いえ、既に此方に向かって来ては居るのですが…」とドレッドノートが珍しく歯切れが悪く言う。
その様子を不審に思った焙煎は、何か不都合があったのではと思いドレッドノートに尋ねる。
「何かあったのか?ドレッドノート」
「いえ、大したことではないのですが…少々込み入った事情がありまして…はあ、また濃いのが来た」
焙煎の問いに言葉を濁すドレッドノート、最後の方は声が小さくて聞き取れなかったが、その理由は直ぐに分かった。
「もう、お話は済みましゃろか?いい加減入らして貰うどすえ」
部屋の外から、聞き慣れぬ声が聞こえたと思うと部屋の扉が開き見慣れぬ女性が中へと入って来た。
一目見た印象は物腰の柔らかい、何処かの令嬢風と言った所か。
濡れ羽色の長い髪は頭の後ろで結って大きな簪で留ており、白を基調とした着物と巫女服折衷の衣裳を身に纏っていた。
「お初にお目にかかりやす。超巨大双胴戦艦、播磨と申しやす。以後お見知り置きを」
そのまま三つ指を付けば嫁入り前の挨拶かと思う完璧な動作に、焙煎は少なからず面食らっていた。
見た目からしてもそうだが、今までの超兵器とは全く異なるタイプである事は間違いなかった。
「あ、ああ。焙煎武衛流我だ、以後よろしく頼む」
「こちらこそ、艦隊戦から何でも期待してくれやす」
新しい超兵器の見た目のインパクトで気後れした焙煎だが、思ったより相手はまともそうなので安心していた。
超巨大双胴戦艦播磨は、元の世界で列強を二分する勢力である枢軸陣営が建造した超兵器である。
そのコンセプトは単純にして明快。
大排水量の船体に巨砲を並べ相手を圧倒する。
この一言に尽きる。
双胴の船体により速度を犠牲に(それでも40ノットは出た)大排水量を得て、当時としては最大の50.8㎝三連装砲を八基二十四門装備し、自身の主砲に耐え得る装甲も付与され、これにより重武装重装甲を両立し、一隻で敵艦隊と渡り合える様に設計されたこの超兵器は、大戦中期其れまでの戦場を一変させた。
広大な太平洋を統べる為、連合国はアルウスに代表される航空戦力を主軸として戦う中、播磨はそれに逆行する形で誕生した。
この一見大艦巨砲主義への退行とも取れる播磨は、しかしながら初陣においてその圧倒的な力でもって単艦で連合国太平洋艦隊を全滅させ、東京湾に飛来した百機以上もの航空機を撃墜し当時の連合から「東亜の魔神」として恐れられた。
播磨登場以降戦場は再び巨艦巨砲どうしが凌ぎを削る場へと戻り、航空主義はなりを潜めこれ以降超兵器は益々巨艦巨砲主義を突き進める事になる。
焙煎としては念願の真っ当な撃ち合いが出来る超兵器が加わった事で、思わず顔を綻ばせたが同時に安心した。
播磨は見た目こそインパクトはあるものの、話し方は何処と無くはんなりとしていて物腰も柔らかく、これなら自分の胃と頭髪を痛める事は無いだろうと油断していた。
だが、それがいけなかった。
「処で焙煎艦長、この艦隊には五月蝿いのがおりまっしゃろ」
「五月蝿いの?まあ騒がしく無い奴が居ないとも言えないが…」
一体何の事だと訝しむ焙煎を置いて、播磨は話を続ける。
「うちな、五月蝿いのはあかんのや。気になって夜も眠れへんのや。せやからな」
不味い、その先は絶対に聞きたく無い、と焙煎が止めようと思った時もう遅かった。
「せやから、うち今から沈めに行ってもええ」
おっとりとした口調で、穏やかで無い事を口走る播磨。
しかもタイミングが悪事に部屋に誰か入って来た。
「焙煎艦長、少しお話が…」
その瞬間焙煎の背中に悪寒が走った。
それはどの戦場で感じた物よりも色濃く強い、死の予感であった。
「待て、今入って来ちゃ…」
「?なんなのですの」
焙煎の制止も間に合わず、アルウスが部屋に入って来て播磨と目が会った瞬間。
「あ、終わったな」と焙煎は心の中で思った、そしてそれは正解であった。
暫くお互いに見つめ合う播磨とアルウス。
しかし次の瞬間、両者とも早撃ガンマンの如く超スピードで艤装を展開すると共に、目に見えない一瞬の攻防を経て互いに腕を押さえあい胸と胸、額と額とを突き付けて近距離で睨み合う。
この一瞬の間に何が有ったのかを解説すると、相手よりも経験に勝りロングレンジを得意とするアルウス対練度で劣るがミドルレンジ以内が自分の領域である播磨との早撃勝負であった。
この勝負、最初からアルウスは不利であった。
得意の距離を潰され艤装の展開スピードにしても、戦艦である播磨は主砲を展開し狙い撃つだけで良く、アルウスが艤装を展開し艦載機を発艦する前に勝負がついてしまう。
しかし、アルウスは艤装の展開スピードで勝てないと見ると普段の装備では無く、本来のボウガンタイプの艤装を両腕では無く片腕だけに展開し不利を帳消しにして優位に立つ。
突き出しされたボウガンの狙いは播磨の脇の下、如何に重装甲を持つ相手でもゼロ距離からの射撃を喰らえばひとたまりもない。
例え耐えられたとしても、相手の体勢は崩せる。
その間に距離を取り艦載機を発艦して矢継ぎ早に波状攻撃を仕掛け、削りに削り切る二段構えの作戦であった。
播磨はこの時自身の不利を悟った。
播磨の艤装は基本的な戦艦タイプと同じく後背に展開するタイプであり、大質量と安定性を誇る反面柔軟性には欠けている。
この場合例え艤装の展開が間に合ったとしても、射角の問題でアルウスを捉える前に撃たれてしまう。
自分ならば耐えられる自信があるが、小癪な空母如きにしてやられるなど彼女のプライドが許さなかった。
播磨は突き出された腕を艤装ごと片腕で抑えると共に、反対の腕で相手の顎を狙う。
排水量、質量、馬力の三つで勝る自分の腕力に、空母であるアルウスでは例え防御したとしてもダメージは通る。
躱そうとしても、その時には主砲の展開が終わり、一斉射の元に相手は崩れ去るはずであった。
だが練度に勝るアルウスは、残った手でこの稚拙な打撃を難なくいなす。
本来質量と馬力の差は絶対のはずであったが、以前超兵器機関を暴走させた時の経験から瞬間的な機関出力の上昇を体得し、そこに相手の力を上手く合わせることで方向を変化させる。
互いに艤装、両腕を封じられたがここで両者最後の手段に出た。
互いに頭を大きく振りかぶり、相手の額に激しく打ち付けたのだ。
インパクトの瞬間、超局地的なソニックブームが発生し衝撃で床がひび割れめり込む。
古代より海戦で行われていたラムアタック、衝角攻撃とも呼ばれる戦法が現代に復活した瞬間である。
最もこれは破れかぶれの攻撃では無く、寧ろ彼女達超兵器にとっては当然の選択であった。
元の世界において列強間の大戦末期、各国で究極超兵器が建造され播磨の故国で建造されたそれは衝角を備え、「緑神」の異名を得ている。
その血統に連なる彼女達が、最後の手段としてラムアタックを行ったとしてもなんら不思議では無い。
しかし最後の攻撃でも決着が付かず、互いに膠着状態な陥り最初の状態になったのである。
因みにこの間僅か0.3秒、正に一瞬の出来事であった。
今の状態は額を突き付け合わせ互いに互いが手を出せず、然しながらそれで止まるような二人では無い。
「全く、東洋の蛮艦はすぐに手が出るなんて躾がなってませんわね」
播磨の方が背が高いので見上げる形になってしまうアルウスだが、余裕の表情を見せる。
「あんさん、勘違いしてまへん?先ん仕掛けたのはおたくの方でっしゃろ」
それに対しグググっ、と上から額を押し付ける様にして迫って来る播磨。
さしものアルウスも、瞬間的な力で勝っても自力が違いすぎ冷や汗を垂らす。
「この、馬鹿力が⁉︎相も変わらず力押しだけ。これだから、頭の中まで筋肉で出来ている方は嫌ですわ」
「あんさの方こそ、動くのは舌だけで全然大したことありまへんな」
「は、図体がデカイだけで。貴女の様なのを東洋ではウドの大木と言うのでなくて」
「ウドかどうかもう一度思い知らせてやりまっしゃろか?」
両者の間に横たわる前の世界での因縁は、例え世界が違えどそんなの関係無いとばかりにぶつかり合う。
なまじ目覚めたばかりで慣れていない播磨と、先の戦いで意気込んだは良いものの不完全燃焼気味の戦闘でフラストレーショを抱えたアルウスとが出会ってしまった不運と言える。
この点、上手く姉妹艦達を統制しているヴィルベルヴィントは、伊達に最初期の超兵器にして艦隊内最古参の艦娘ついでに最近始めた秘書艦擬きの立場から、一定の敬意を払われていた。
互いが互いに負けじと押し合い圧し合をする中、本来ならば二人を諌めるべき焙煎は超兵器同士の気迫に圧倒され放心状態であり、ドレッドノートは潜水艦特有の隠密能力でとっくの昔に部屋から退散していた。
一応超兵器達の良心?と目されているヴィルベルヴィントはと言うと、対岸の火事を決め込んでいた。
この手の問題は下手に手を出すと火傷しかねず、相手が超兵器レベルならそれこそ鎮守府一つが吹き飛ぶ危険性もあったが、本当の所はただ単に本人が面倒くさがっているだけである。
この後、正気を取り戻した焙煎の必死の説得により事なきを得たが、この日から彼の常備薬の中に妖精印の育毛剤の他胃薬が追加される事となる。
果たして、焙煎が元の世界に帰還するまで彼の肉体は保つのであろうか?
それとも散ってしまった髪の毛の様に、異世界に無残に屍を晒すのか。
少なくともこのままでは確実に彼の寿命が削れる事は間違い無かった。