本土から凡そ2,000㎞離れた太平洋上にて、装甲空母鬼は今正に自らの野望を遂げようとしていた。
ここに来るまでの間、彼女は少なからず犠牲を払いつつも幾重にも張り巡らされた警戒網を潜り抜け、時にヒヤリとする場面もあったが、まんまと敵の裏をかき出し抜く事に成功していた。
後は、彼女の前に無防備な肢体を晒す敵本土を蹂躙するだけの段となり、彼女はここまでの道程を思い返していた。
それは少し前の事であった…
南方ポートモレスビー要塞から装甲空母鬼率いる艦隊は出航し、一路太平洋の中枢ハワイ諸島へと向かっていた。
表向きの理由として彼女達は来る海軍との決戦に備え太平洋に展開する艦隊を招集しポートモレスビー要塞に連れ帰ると言う使命の他に、装甲空母鬼の個人的な野望も抱えていた。
今ポートモレスビー要塞内で、自身の身と所属する艦隊の明日を憂いない者はいない。
何とかしてこれ以上飛行場姫の力が増す事を防ごうとするが、対抗馬である戦艦棲姫亡き今要塞内で飛行場姫の力を抑えられる者はいない。
指導者なき者達は、唯右往左往するばかりであった。
装甲空母鬼はそこに目をつけ、彼等の不安と不満の感情に言葉巧みに付け入り誘導し、遂に対抗馬が自分達の中に居ないのであれば他所から援軍をこうのもやむなし、との意見を纏め上げた。
無論、これに危機感を覚える者や慎重な論も出たが、其れ等の理性的な言葉以上に差し迫った問題として飛行場姫の権勢は脅威であった。
こうして急速に装甲空母鬼の意見を支持する者達が増え始め、勢いに乗った装甲空母鬼は自らの作り出した意見に自ら立候補する事で、こうして外洋に出る事が出来たのだ。
率いる艦隊は飛行場姫を刺激しない様極少数の艦隊であったが、其れ等は装甲空母鬼直属の部下達であり、彼等だけには内に秘めた野望を打ち明けていた。
「私の目的はハワイでは無い。西である」
その言葉の通り、ポートモレスビー要塞から十分以上に離れた事を確信した装甲空母鬼は、最早隠す事は無いとそこで麾下の艦隊と別れた。
彼等はそのままハワイ諸島を目指すが、装甲空母鬼はここから単独でトラック、グアムを大きく迂回する航路を取り、隠密に行動をする事となる。
装甲空母鬼は、ハワイ中枢艦隊が素直に自身に協力するとは見ていなかった。
寧ろ、自分で言っておきながら余りアテにもしていなかった。
と言うのも、ハワイ中枢艦隊はその性質上ハワイ諸島周辺の防衛艦隊であり、彼女達ポートモレスビー要塞の様な外征艦隊では無い。
例え援軍に来たとしても、そこまで劇的に状況が変わる事は無いと言うのが本音であった。
しかし開戦以来初期を除き全く消耗していない戦力と、要害の地である利点から実戦経験こそ少ないものの練度は非常に高く、飛行場姫にとって彼らの存在が目障りである事は間違いなかった。
その飛行場姫が、追っ手を差し向けたとしても、先ず追うのはハワイへ向かう部下達の方の筈だ。
直属の艦隊を切り捨てる形になるが、その間に自身は敵の手の届かぬ所に逃げおおせるだろう。
最も唯無為に失うのは癪なので、部下達と別れる際「死にたくなければこれから先は休む間も無く全速力でハワイ諸島へと向かへ」と叱咤した事で、必死になってにげるはずだ。
運が良ければ追いつかれる前にハワイ諸島の制空権内へと入っているだろう。
そこまで来れば、さしもの飛行場姫とてハワイ中枢艦隊と事を構えるのを恐れ手を出してこない筈だ。
そう考えての事であったが、今となっては部下達が果たしてどうなったのかは彼女にも分からない。
それと引き換えに、装甲空母鬼の手元には作戦の要とも言える爆撃機部隊が残っていた。
虎の子の深海解放陸爆と呼ばれるそれは、以前横須賀鎮守府を爆撃した新型爆撃機に性能で劣るものの、無理をして実質航空戦艦である装甲空母鬼にも搭載出来るコンパクトさが魅力であり。
全ての艦載機と引き換えに延べ20機余りの機体が搭載されていた。
彼女の目的は、この爆撃機部隊を用いて敵本土を爆撃する事であった。
それだけならば飛行場姫と何ら変わりは無く、違う所を上げるとすれば参加する機数と彼等は生存を一切考えられる事の無い片道特攻である点であり、寧ろスケールで劣ってさえいる。
しかし装甲空母鬼もそれは分かっており、少数の戦力で効果的な戦果を上げる方法として彼女の真の目的は首都への直接攻撃であった。
しかも今度はこちらの姿が間近に見える距離、白昼堂々の低空爆撃を敢行しようとしていた。
爆撃隊に参加する人員は全て選りすぐりの者達が選ばれ、しかも全員がこの作戦に納得している。
彼等の思いは一つであり、深海棲艦の中において長らく空の覇者であり続けた自分達が、丘のカッパ如き連中に遅れをとる事等許されない。
真の空の王者は自分達である事を再び世に知らしめる為。
自らの無謀な行動を持って再び空の栄光を自分達の手に取り戻すと共に、唯悪戯に現状に手をこまねいている者達へのカンフル剤として自らの身を捧げようとしていた。
飛行甲板に係留された爆撃機達は次々と大空に舞い上がっていく。
一路敵首都を目指し、誰にも悟られる事無く彼等はその牙を敵の心臓に突き立てようとしていた。
太平洋上高度1万メートルを試験飛行中であった超巨大爆撃機アルケオプテリクスは、自らのレーダーに所属不明の編隊を捉えていた。
与圧の効いた快適なコクピットの中で、背を倒した機長席にプラチナブロンドの髪と豊満な身体を寝っ転がる様に預けていたアルケオプテリクスは、気だるそうな表情を浮かべた。
折角人が自由に空の旅を満喫していたというのに、無粋な輩を見つけ、何だか不機嫌になってきたのだ。
試験飛行中の為無視してもいいが、無線機を片手でとり、取り敢えず指示を仰ぐ事にした。
「あーあー、管制塔、管制塔。こちら試験飛行中のアルケオプテリクス、太平洋上にて所属不明の編隊と遭遇。IFFには反応なし。現在位置は…」
と伝えている間に、彼女は何時でも動ける様戦闘体勢を整えていた。
なんだかんだで染み付いた兵器としての本能がそうさせるが、兎に角今は無線機からの返事を待つ他無い。
暫くして無線機から返答が返ってきた。
『不明機部隊の所属を確認し、敵ならばこれを撃墜せよ』
管制塔付きの妖精さんから無機質な声で伝えられた命令に、彼女は怪訝な顔を浮かべた。
アルケオプテリクスは本来敵の都市や拠点、或いは艦隊を攻撃すべく開発された戦略爆撃機である。
超兵器機関の力によって航空機に有るまじき30.5㎝連装砲を10門も装備し、弾薬庫の中には大量の爆弾の他に航空魚雷や焼夷弾に対艦爆弾。
機体全面に張り巡らされた対空砲火と、自身の主砲に耐え得る重装甲を施された正に空中要塞とも言うべき存在である。
つまり、まかり間違っても敵機の侵入を阻む迎撃機などでは無い。
無論敵の迎撃を想定して強力な対空兵装を装備しているが、それとてあくまで迎撃用だ(鋼鉄世界基準で)。
本格的な要撃など望むべくも無いが、兎に角もう一度命令を確認する事にした。
一方で管制塔で指示を出した焙煎も迷った訳では無かった。
彼とてアルケオプテリクスに不釣り合いな命令を出した事は百も承知している。
本来であればアルウスから迎撃機(インターセプター)を出すべきなのだが、
しかし、爆撃機とは言え彼女も超兵器だ。
来る南方反攻作戦では、彼女は一人で本土防空につく事となる。
場合によっては此方の支援無く、単独で太平洋を縦断して貰う可能性もある。
それを思えばこの程度の任務、軽くこなしてくれなければ開発した意味が無いと言うものだ。
再度問い合わせたが命令の変更は無かった。
しかしてアルケオプテリクスはこの世界での、初の実戦は予期せぬ空中戦と相成った。
「全く、これだから海上がりの人は困る。地を抉るハンマーで蚊を追い散らせと言うのか」
ヤレヤレと首を横に振りながらそうは言いうも、自分の用途とは違った任務を仰せつかったにしては、彼女の顔は猛禽類を思わせる笑みを浮かべていたが。
全長150mを超える巨大でありながら、四発の強力なエンジンによって最高速度時速750km以上を叩き出すアルケオプテリクスは、機体をゆっくりと傾け進路を変更する。
このまま一旦所属不明編隊の上空をやり過ごし、旋回して上方後背に付ける算段であった。
不運かな、この時装甲空母鬼より発艦した深海解放陸爆達のレーダーにはアルケオプテリクスの姿は捉えられて居なかった。
折しも上空には厚い雲が垂れ込み始め、しかも敵に気付かれぬ様海面ギリギリを飛行していた為、返って遥か上空の様子に気が着かなかったのだ。
本来であれば自分達を見つけにくくする為、敢えて天候の悪い日を選んだがこの場合それが仇となる形となった。
アルケオプテリクスは深海棲艦の爆撃機編隊に気付かれる事無く、彼らの背後を取った。
自衛の為装備されている長距離AAM(対空ミサイル)のロックを解除し、相手からは見えない距離で目標をロックした上で彼女は警告を発した。
「所属不明の編隊に告ぐ、こちらは…」
と言ったところで言葉を噤む。
そう言えば自分の所属は何処になるのかと考えた。
一応海軍所属という事になるのか?
それだと自分は海軍航空隊となるが、この国では鎮守府航空隊と言った方が正確か。
どちらにしろ、それを考えるのは後にする事にした
状況は刻一刻と変化し、しかも今は戦時である。
多少の事は、現場での判断が優先される筈だ。
「こちらアルケオプテリクス、貴隊の所属を明かされたし」
「………」
暫く待ったが応答は無かった。
レーダー上に見える編隊は慌てて逃げる様なそぶりも無く、非常に整然とした編隊を維持したまま、真っ直ぐに本土へと向かっている。
一応海軍で使っている無線コードの全てを使って呼び掛け、複数の言語で同じ内容を繰り返したが一向に返答は無い。
相手の無線機の故障も考えられたが、アレだけの編隊で全ての無線機が壊れたとは考え難い。
「こちらアルケオプテリクス、返答が無い場合は貴隊を撃墜する」
最後通牒を出してみたが、一応目視でも確認しておこうとアルケオプテリクスは速度を上げた。
フレンドリーファイアはごめん被りたいと言うのが半分と、「撃墜する」と断言されながらも全く進路を変えない肝の座った相手の顔を拝みたいと思ったのが半分。
目視可能な距離に近付くという事もあり、全兵装のロックを解除するアルケオプテリクス。
其処まで近付くとなると、生憎と主砲である30.5㎝連装砲は対地対艦用で空の相手には対応していない。
最も素早い戦闘機相手には無用の長物だが、動きの遅い爆撃機程度の相手であれば十分どころか過剰な威力を発揮するが。
速度を上げたアルケオプテリクスが相手を目視可能な距離にまで追いつくのに時間はそれ程かからなかった。
下手なレシプロ機よりも高速な彼女から、逃げられる相手はそうは居ないからだ。
一方で深海解放陸爆も漸く後部警戒レーダーに謎のノイズを捉え、慌てて速度を上げて逃走を図ろうとした。
今更ながら、自分達を追ってきている相手が超兵器だと気付いた為だ。
仮に全速力で逃げたとしても、時速500kmにも満たない彼等が逃れられる術は無かったが。
「そろそろ、いいか」
速度を上げたアルケオプテリクスのレーダーには海面スレスレを這う様に飛行する編隊の姿がはっきり捉えられていた。
アルケオプテリクスはそこから「ガクンッ」と一気に機首を落とす。
機体がミシミシと悲鳴を挙げる幻聴が聞こえ、キャノピーの窓は水滴で覆われ外の様子も伺えない。
これ程の巨大で急降下を行うなど本来自殺行為にも等しいのだが、生憎と彼女はそんじょそこらの爆撃機とは訳が違う。
超兵器である彼女にとってこの程度の事朝飯前でしか無いが、これを食らう相手はたまったものでは無い。
雲を突っ切ると、眼下には緑色で航空機とはとても思えない丸い機体が編隊を作って飛行していた。
海軍の呼称で「深海解放陸爆」と呼ばれるその機体は、深海棲艦の中でも珍しい陸上機である。
ふと違和感を覚えたが、それよりも護衛機もなく良くぞ此処まで飛んできたものだと感心した。
だからとて、敵に手加減する様な彼女では無いが。
敵機も漸く動揺から回復し、慌てて散会しようとするがもう遅い。
誰だって突然頭上から巨大な機体が降りてきたら、驚かない筈が無い。
そうでなくとも、彼女に捕捉された時点で最早勝敗は決していたが。
「悪いが、私に見つかったのが運の尽きだと思うんだな」
アルケオプテリクスの機体下面には5基ある主砲のうち、3基6門が敵機に照準を定めた。
爆装し、本土首都への片道切符しか持たない敵機の動きは鈍い。
ここで爆弾を捨てたとしても、引き返す事も逃げる事も出来ない哀れな獲物達は、後は怪鳥に啄められるだけであった。
頭上から自分達の頭を押さえる様に飛ぶアルケオプテリクスから、スコールの様に火砲が撃ち降ろされる。
その死の雨から逃れようと、のたうち回り、もがき、足掻くも逃げられる事など出来ない。
照準を定めた30.5㎝連装砲の一撃で機体が粉微塵に吹っ飛び、隣を飛んでいた僚機が機銃に絡め取られ蜂の巣となって炎と消える。
果敢に迎撃しようとする者は、敢え無く巨大な鉄の礫の前に、翼を折られ海の藻屑となる。
最早それは戦闘などでは無かった。
一方的な虐殺、いや屠殺であった。
哀れな家畜となった彼等は凡そ5分もの間この世の地獄を味わい、そして二度と浮かび上がる事は無かった。
全てが終わり、再び空に静寂が戻るとアルケオプテリクスは任務完了の報告を入れた。
「こちらアルケオプテリクス、任務完了。この後の指示をどうぞ」
暫くして、職務に忠実な管制塔付きの妖精さんから返答があった。
『こちら管制塔、その前に侵入してきた敵機は例の新型だったか?』
「いや、通常の陸上機…」
と言った所で彼女は言葉を切った。
そしてハタと気付いた。
敵編隊を文字どおり全滅させた直後から、何か奥歯に引っ掛かりを覚えていた。
その正体に、漸く思い立ったのだ。
「こちらアルケオプテリクス。今から言う機種の詳細なデータを頼む」
『何、どういうことだアルケオプテリクス』
アルケオプテリクスの突然の言葉に、管制塔付きの妖精さんから怪訝な声が漏れる。
その間にも、アルケオプテリクスから転送されたデータから機種の判別が行われ、そのスペックが明らかとなる。
『一体どうしたんだアルケオプテリクス。この機体に何か異常でもあったのか』
「私のカンが正しければ、な」
送り返されたデータから先程撃墜した敵機の詳細なスペックを読み取り、アルケオプテリクスは矢張りと口角を吊り上げた。
「管制塔へ、こちらアルケオプテリクス。付近に敵の機動部隊が潜んでいる可能性がある」
『何、どう言う事だアルケオプテリクス?』
今度は妖精さんでは無く、焙煎が直接応答してきた。
こちらの様子に唯ならぬ気配を感じた彼は、直接話を聞こうと言うのだ。
「あの敵機の航続距離では、到底南方から本土まで辿り着けない。なら方法は一つだ」
装甲空母鬼は艦載機を発艦させた後、無線封鎖を行った後、未だに付近の海域に潜伏していた。
と言うのも、敵首都への攻撃成功の知らせを待っているからだ。
深海棲艦の概念伝達を使えば海の何処にいても情報のやり取りが出来るが、生憎と艦載機にはその能力が備わっていない。
飛行場姫の新型爆撃機クラスの大きさであればまた話は違ったのだが、無線が通じるギリギリの距離を保つ必要があるのだ。
それが同時に彼女の明暗を分けた。
装甲空母鬼は実を言うと空母、と言うよりも航空戦艦と言う方が正しい艦種である。
確かに下手な空母よりも強力な艦載機を保有するが、本格的な運用となると、矢張り専門には劣る。
つまり、無理をして陸上機を搭載しそれを発艦させてしまった彼女の格納庫は、空っぽであったのだ。
空の空母など置物同然であるが、しかし航空戦艦である彼女には戦艦クラスの火力が備わっている。
流石に機動部隊は相手できないが、下手な艦隊であれば、逆に返り討ちにする自信さえある。
しかし、彼女が対面する事となるのはその常識を覆す存在であった。
まず最初に異変に気付いたのはレーダー上の不審なノイズであった。
深海棲艦の特に鬼、姫クラスの電子装備は、艦娘と比べても高級であり滅多に故障などしない。
しかもそのノイズは台風の目の様に此方に近づいて来るのだ。
その進行方向は、彼女から発艦した陸爆達の空路と重なる。
と同時に、彼等の全滅を想像させた。
「成る程これが噂の超兵器か」、と装甲空母鬼は口元を歪ませる。
南方や北方海域で確認された超兵器は、その恐るべき戦闘力により深海棲艦の中でも特に注意が払われていた。
しかし装甲空母鬼はここで逃げると言う選択肢は無かった。
無断で出撃した挙句攻撃にも失敗し、オメオメと逃げ帰っても待っているのは飛行場姫による粛清だけだ。
そもそも噂に聞く超兵器が相手では逃げられるはずも無く、ならば此処で敵と戦い果てるのが本望と、装甲空母鬼は腹をくくった。
彼女は下手な小細工や見栄を張る一方で、こうした戦艦らしい潔さも兼ね備えていたのだ。
これが戦艦棲姫の配下であれば、また違った役割を与えられていたが、最早彼女には運命の時が迫っていた。
水平線の彼方より姿を現したのは、巨大な翼を持つ怪鳥であった。
目測において全長は優に100mを超える巨大、飛行場姫の新型爆撃機など足元にも及ばない巨人機である。
装甲空母鬼は敵と正対し、主砲を高々と上げた。
敵の攻撃を正面から受ける形にはなるが、相打ち覚悟ですれ違いざまに敵の腹に砲弾を食らわせてやる腹づもりだ。
勿論これは部の悪い賭けで有るが、艦載機の無い彼女が空を飛ぶ敵を相手に取るにはこの方法しか無かった。
アルケオプテリクスも又、敵の行動を見ると俄かに色めき立った。
この自分を前にして、逃げるでもなく真っ向から向かう立ち向かうなどあの艦隊以外いなかったからだ。
やろうと思えば、上空から旋回しつつガンシップの様に攻撃を加えて一方的に嬲る事も出来たが(相手が逃げようとすれば無論そうした)、この獲物相手にその様な無粋な真似はしない。
果たして両者の思惑は合致した。
速度を上げ真っ向から向かい合う。
先に攻撃を仕掛けたのはアルケオプテリクスだった。
5基10門の30.5㎝砲が火を噴く。
瞬く間に装甲空母鬼の周りに水柱が立ち上り、その内の幾つかが命中する。
装甲空母鬼の主砲は16インチ(約40.64㎝)連装砲であり、戦艦は自身の主砲に耐えられる堅牢な装甲に守られている。
無論の事それは絶対では無いにしろ、鬼クラスである装甲空母鬼の装甲と耐久力は並の戦艦を遥かに上回る。
しかし純粋な戦艦では無い装甲空母鬼には弱点が存在する。
そう、戦艦と空母の両方の能力を備えるからこそ出来てしまった弱点、それは…
「くっ、飛行甲板の非装甲部が抜かれたか⁉︎」
装甲空母鬼の下半身部分である、巨大な鮫の頭の様な艤装から火が出る。
幸い艦載機も無い空の箱を狙われた為、被害はそこまででも無いがこれで中にまだ艦載機が残っていたらとゾッとする。
間違いなく、燃料も弾薬に引火して轟沈する羽目になっただろう。
敵からの先制パンチを受けたもののまだ戦意を失ってはいない装甲空母鬼は、ギリギリまで敵を引きつけようとする。
あれ程の巨体を墜とすには、主砲の直撃しか無いと悟っていたからだ。
もし、空の相手だからといって三式弾の様な対空散弾を使ったらどうであろう。
普通の航空機や爆撃機が相手ならばそれでも良かっただろうが、重厚長大なアルケオプテリクス相手では象の皮膚を刺す蚊程度の被害しか与えられて無いだろう 。
その点、装甲空母鬼の判断は正しい。
この化け物相手には、相打ち覚悟で真っ向から立ち向かうか、それとも相手のスピードに合わせられる立ち回りと未来予知レベルの砲撃能力が求められる。
立ち上る炎と煙により視界が塞がれるが、最早装甲空母鬼にとってはどうでも良いことであった。
勝負は一瞬の交差の間。
すれ違うその瞬間に、敵機の土手っ腹に16インチ砲弾を食らわせてやる。
勝負の時が近づいていた。
アルケオプテリクスは最初の砲撃の手応えから、敵艦を仕留めていないと悟った。
事実攻撃を受け、被弾したのにも関わらず、敵艦の針路は変わらず真っ直ぐ此方に向かってきているからだ。
このままの勢いで行くと、次弾の装填が終わる間に敵艦の頭上を通り過ぎてしまう。
そのまま旋回してもう一度反復攻撃を行うとの手もあるが、なるべくならこの交差で仕留めたいとの思いがあった。
でなければ危機に陥るのは自分だと言う直感が働いたからだ。
優れたパイロットは経験だけでは作れない。
時にふと自分を突き動かす“何か”が必要なのだ。
これはどんな優れた機械も、プログラムも真似出来ない生身だからこそのものであり、アルケオプテリクスが本能的に無人機の運用に忌避感が強い理由でもあった。
直感に身を任せながらも計算を怠らないのも彼女。
この時、先に打っておいた布石が後々役立つ事となる。
既に『解放』されている弾薬庫から狙いを定め、対艦爆弾と焼夷弾の投下準備に入る。
アルケオプテリクスの巨体に収まる巨大なリボルバー状の回転弾薬庫が回転し、落下の時を待つ。
『来た』と半ば本能的に悟った後に、装甲空母鬼は「ひゅー」と言う耳障りな爆弾の投下音が耳に入る。
彼女の艤装は未だ炎を上げ続けていたが、これはわざと消化しないで手負いに見せかけると同時に、自分が何をしようとしているのかを隠す為でもあった。
敵機からは、立ち上る炎と煙で自分の姿が見えない筈だ。
しかし針路を変えていない以上必ずや止めを刺しに来る。
その時を今か今かと待ち受ける装甲空母鬼。
狙いを外れた爆弾が海面を叩き炸裂する。
水飛沫と爆風によって一気に視界が晴れる。
ナパーム弾の様に一直線に続く爆弾の列。
アルケオプテリクスの持つ驚異的な搭載量だからこそ出来る芸当であり、これを食らえばどんなに優れた船で有ろうとも一たまりも無い。
しかし、だからこその好機。
頭上一杯に巨大な影が差しかかる。
敵機も漸く此方の思惑に気付いただろう。
しかし今更回避しようとしても遅い。
装甲空母鬼から放たれる16インチ砲弾は、アルケオプテリクスの開け放たれた弾薬庫を穿ち、蹂躙し、内部から腸を食い破り超兵器機関にさえ届き得る。
…そう放たればならだ。
装甲空母鬼を衝撃が襲った。
まさか予想よりも早く投下された爆弾が命中したのか⁉︎
そう思考を巡らせる間もなく、ガクッと艤装が前のめりに傾く。
突然の事で安定を欠いた姿勢で砲撃出来る筈もなく、しかもそこに容赦なく爆弾が降り注ぐ。
装甲空母鬼は有りっ丈の対空砲火で迎撃しようと試みるも、圧倒的な数の前には無力であった。
次々と命中したのか炸裂する爆弾によって艤装を吹き飛ばされ、四肢を捥がれる装甲空母鬼。
至近弾でさえ、水中爆発の衝撃により船体を滅茶苦茶にし数千度を超える焼夷弾によって装甲が焼け爛れる。
しかしそれでも倒れない装甲空母鬼、いや倒られないのだ。
優れな装甲と耐久力が災いし、致命傷を受けて尚沈む事が出来ない彼女。
これが普通の深海棲艦であればとっくに水底に沈んでいる筈であった。
しかしそんな彼女にも終わりは来た。
既にアルケオプテリクスは遥かに彼方に通り過ぎ、頭上には憎たらしいほどの晴天が広がっていた。
わざと雲の多い日を選んだと言うのに、虚ろな目で最後の最後に見た光景は何処までも青く透き通る様な、飛ぶのには気持ちの良い空であった。
手を伸ばせば届きそうなそれを、最早肩から先のない腕を伸ばそうとして、天から落とされた最後の一発が彼女の上半身と艤装との結合部を穿ち、竜骨をへし折り、船底を突き抜けて炸裂する。
巨大な水柱は、彼女の最後の姿を隠す様に高く高く昇り、あと少しで天まで届きそうな所で落ちて行く。
水柱が収まると、そこには装甲空母鬼の姿は無く、唯空だけは穏やかな水面の様に最後まで彼女の姿を見守っていた。
アルケオプテリクスは装甲空母鬼の最後を見届けると、暫し黙祷した。
ついさっきまで戦った相手に敬虔な表情で祈りを捧げるのだ。
例え相手が敵であれ味方であれ、今日戦った相手は誰もが勇敢な者であり、それらに敬意を忘れないのが彼女である。
そこが他の超兵器達とはまた一歩違う考えのアルケオプテリクスだが、先の戦闘は実はギリギリであった。
あの時、装甲空母鬼の砲弾は、放たればまず間違いなくこの世界で初めて超兵器を撃破する可能性があった。
しかし、そうはならなかった。
それは何故か?
アルケオプテリクスは先の戦闘に置いて、最初に砲撃を選択した時点で実はあの時砲撃に目を向けさせる一方で、弾薬庫から航空魚雷を投下していたのだ。
敵の目を空からの砲撃と、弾薬庫を開け続けることによって頭上からの爆撃に向けさせる一方で、敵の視界外の水中から雷撃を食らわせる。
戦艦は言うなれば水に浮かぶ鉄の箱であり、爆弾や砲弾で水に浮いた部分を攻撃しても沈める事は出来ない。
沈めるには、箱の底に穴を開けるしかない。
故の雷撃である。
その思惑は上手く成功し、アルケオプテリクスのほぼ一方的とも言える勝利に繋がるのだが、一つ選択を誤れば勝敗は逆転していた筈だ。
アルケオプテリクスは「ふっ」と微笑んだ。
この世界に呼ばれ、自分の獲物になる様な相手はいないと思っていた。
しかし、今日の様な相手が居るのだ。
まだまだ自分を楽しませてくれる相手を想像し、先程までの敬虔な面影は消え失せ、アルケオプテリクスもまた他の超兵器の様な獰猛な猛禽類を思わせる笑みを浮かべた。
横須賀鎮守府海軍軍令部の執務室に手、海軍元帥高野は焙煎からの直通電話で事のあらましを伝えられていた。
焙煎の昇進を機に設けられたこのホットラインだが、幾つかのやり取りの後、受話器を置くとタイミングを見計らったかの様に秋山参謀が部屋に入ってきた。
「元帥閣下、例の件なのですが…」
挨拶もそこそこに、高野の前に来た秋山は本題を切り出そうとするが、それを高野が遮る。
「いや、その前に早速彼がやってくれたよ」
「と、言いますと例の」
「ああ、そうだ。太平洋上で鬼クラスの深海棲艦とそこから発艦したと思わしき爆撃機部隊を撃滅したそうだよ」
「な⁉︎」と秋山は思わずたじろいだ。
深海棲艦が再度本土空襲を試みようとした事と、それを焙煎達が撃破した事にだ。
特に鬼クラスとなれば一隻で一個戦隊に相当する戦力だが、それを撃沈するとなると…
改めて超兵器の力に薄ら寒い思いを浮かべる秋山だが、しかし直ぐに冷静さを取り戻すと聞くべきことを高野に尋ねた。
「敵は我々の警戒ラインの外でしたか?」
「残念ながら内側だ。大凡本土から2000km、ギリギリだな」
それを聞き、秋山は悔しそうに肩を震わせた。
先の横須賀鎮守府空襲と合わせてこれで二度目の失態。
これでは益々海軍の立場が無いでは無いかと。
しかしそんな秋山参謀をよそ目に、高野元帥は意味ありげな笑みを浮かべる。
「良かったよ、偶々偶然にもそれを察知し、偶々偶然付近を飛行中であった部隊が敵を追い払った。本土の防衛は万全だよ」
最初、秋山参謀は高野元帥が何を言っているか分からなかった。
しかし直ぐに答えを導き出すと成る程、と頷いた。
「貸しを作りましたな、元帥閣下」
「貸し?いや、これは彼が望んで差し出したものだよ」
秋山は高野元帥と焙煎との間に、どんな取引があったは想像するしか無い。
しかし高野の自信ありげな様子から、どうやらストーリーはもう出来上がっている様だ。
他にも、また試作機が出来上がったばかりの新型要撃機が、『何故か』本土重要拠点に大量に配備されていたりと不審な点が多々あるものの、深くは追求するまいと口を紡ぐ秋山。
「私の方からは以上だ。秋山参謀、君の方もどうやら上手くいった様だね」
「はっ、上手く食いついてくれました。これで暫くは奴らの動きも収まる筈です」
「しかし驚きました。まさか此方から情報を流すとは」
「何も情報の使い道は守るだけでは無い。それをどう使うかだよ、その点君塚は秘密主義過ぎる」
そうして高野は小馬鹿にする様に鼻で笑った。
呉鎮守府は、君塚本人の気質もあってか、中々上層部の考えが伝わらず、各々が勝手に行動してしまう所がある。
それで何度か痛い目を見ているのだが、その最たる例が超兵器だ。
今回も、それと無く焙煎が築いた飛行場の事と新しい超兵器について漏らした。
勿論、ある程度不自然に見える様にだ。
今頃呉鎮守府はこれが高野が仕掛けた謀略で、偽情報がそれとも本当かでてんやわんやだろう。
しかもその情報は上層部だけで無く、下にまで伝わっている。
とすると、また以前の様に先走った連中が藪をつついてとんでもない事になるかもしれない。
またはほんとうに何も無かったとしても、それで調子に乗られては困る。
仮に真実にたどり着いたとしても、今度は鬼、姫クラスにも伍する超兵器が空から自分達を狙っているという始末。
抑えとしてはこれ以上無い程の札であった。
秋山は改めて高野元帥に敬服した。
伊達に海軍最高齢にして最長の海軍元帥を務めている訳では無い。
組織間の政治闘争において君塚はこれに遠く及ばない。
「呉は抑え本土の守りも万全。後顧の憂い無く、後は行動するのみだ」
「はっ、元帥閣下。この秋山、いつまでも元帥閣下のお側にお仕えさせて頂きます」
二週間後、前線拠点となるトラック諸島において戦力の集結を完了した海軍は、この日海軍元帥高野の号令の下南方反攻作戦が開始された。
それは史上に残る、長く厳しい血で血を洗う戦いの始まりであった。